2022-10-30

"エリア随筆" Charles Lamb 著

書き手が名乗る時、なにも本名である必要はあるまい。作者不明の名作もあれば、匿名の名文も見かける。アリスを書いたルイス・キャロルのように、ペンネームというやり方もある。名を隠し、虚空の人物になりすまし、筆の走るままに書く。人間ってやつは、仮面をかぶると自由になれるらしい。自ら演じた醜態を遠近法で眺め、羞恥心と距離を置けば、どちらが本当の自分なのやら。自己責任論を免れ、めでたしめでたし!
トム・ソーヤーを書いたマーク・トウェインもペンネーム。彼は、こんな言葉を遺した。「人間は顔を赤らめる唯一の動物である。あるいは、顔を赤らめる必要のある唯一の動物である。」と。これが、書き手の定めか。そして、「エリア」とは、チャールズ・ラムのペンネームである...

尚、本書には、「人間の二種類」「除夜」「不完全な共感」「近代の女性崇拝」「夢の中の子供たち - ある幻想」「遠方の友へ」「夫婦者の態度について - ある独身者の不平」「退職者」「結婚式」「酔っぱらいの告白」「俗説 - 悪銭身につかずということ」の十一篇が収録され、平井正穂訳版(八潮出版社)を手に取る。

退屈な日常までも物語にしちまう文才。幸せな人間に、こんな芸当ができるはずもない。自由奔放な筆さばきに魅せられれば、不幸な人間という自覚もなさそうだ。不幸な自分を愛し、不幸な自分に酔い、自分の傷を舐めるように書く。狂人ゆえ書かずにはいられない。発狂を抑えるために。随筆家とは、人生の達人であろうか。自ら病的な性癖を認める能力、自身を知る能力があればこそ書けるのやもしれん...

1. 除夜に何を想う...
来る者を歓迎し、去る者は追わず。生きている時間が長くなるほど、流れゆく時間は相対的に短くなっていく。過去の時間が長くなるほど、新たなものに臆病になり、過去にしがみつく。如何ともし難い時間の流れに反感を覚える...
「一銭惜しみをする吝嗇家のように、一瞬一刻がついやされてゆくのに我慢ならないのである。歳月が細々と少なくなり、矢のように走り去ってゆくにつれて、私はその経過にいっそう大きな感心を寄せるようになったのである。」

2. 不完全な自我に何を想う...
ネット社会には、共感を求めてやまない輩で溢れている。類は友を呼ぶ... と言うが、哀れな自己に、くだらない個性を見つめては、共感できる者を探し求める。自我を克服するために、少しばかり強すぎる偏狭ぶりをほじくり返しては、自己否定に、自己欺瞞に、自己陶酔に、自己肥大に自我を追い詰めていく。不完全な完全主義者を装うのは至難の業だ...
「私という人間は偏見のかたまりなのである。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いという人間、いわば共感の奴隷、無感の奴隷、反感の奴隷なのである。」

3. 独り身の嫌味ごと...
結婚式に出席すれば、孤独を忘れるひとときの喜びを感じるものの、高砂がやがて惰性となる愛の生け贄の祭壇に見えてくる。ブーケトスに幸せをあやかろうと群がれば、地獄への道連れかい。生涯、一人を愛し抜く自信がなければ、独身の方が誠実というもの。この寂しがり屋め!
「結婚というのはいかにも立派なものであるかもしれないが要するに一種の専売権みたいなものであり、これくらい不愉快なものもめったにない。独占的な特権をもっている者ができるだけその特権を他人の眼からみえないようにしておくというのがその知恵というものである。」

4. 退職後に何を想う...
だらだらと勤め上げ、自由に生きる能力を削られ、退職した瞬間に生き方を忘れちまう人は少なくない。時間が重荷なら、散歩でもして払いのけるさ...
「あの昔のバスティユ牢獄に四十年も幽閉されていて突然青天白日の身になった囚人みたいなものであった。」

5. 大酒飲み告白す...
酒の害は誰もが認める。治療法も簡単だ。だが、誰でも依存するものがある。会社や組織に、人間関係や集団社会に... 人との付き合いには、至るところに臆病の気持ちがつきまとう。モラリストどもよ。誰にでも自制がきかず、自省できないものがあると知れ!
「全面的な禁酒と、生命を縮める大酒の間に中庸の道はないものであろうか。」

6. 二つの種族...
人間には二種類あるという。借りる人間と貸す人間である。ゴート民族やら、ケルト民族やら、白人やら、黒人やら、そうした分類は些細なものらしい。そして、借り手を偉大な種族と呼び、貸し手は生まれつき下劣をきわめているとさ。借り手の方がはるかに優秀で、その態度には威風を感じるとさ...
貸し借りといえば、まずお金の関係を思い浮かべる。バランスシートは日本語では貸借対照表と呼ばれ、借方と貸方で記載される。経済学の格言によると、銀行家とは資金を必要としない人たちに、無理やり貸したがる連中を言うらしい。利息をつけるのも、貸す側。この行為を完全自由化すれば、社会には経済破綻者で溢れ、確かに、えげつない。ただ、借り手の無計画性は如何ともし難い。
貸し借りは、なにもお金だけではあるまい。人に親切を施せば、見返りを求める。親切は押し売りもされる。自分のものは自分のもの、人のものも自分のもの。自分の人生も、人の人生も、すべては自分のもの。人間の所有意識は如何ともし難い。多くの書物を所蔵し、自分で図書室をまかなえば、本を借りる達人に書斎を乗っ取られ...
「ある書物の所有権は権利の主張者のその書物に対する理解力と鑑賞力に正比例する。もしこの説を実行する限り、われわれの書棚のうち一つとして掠奪を免れうるものはないといって過言ではないのだ。」

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