2023-02-12

"ダニエル・カーネマン心理と経済を語る" Daniel Kahneman 著

専門用語ってやつは、その表現の仕方に違和感を覚えるものを見かける。語彙が乏しいから、そんな風に見えちまうのだろうが、特に経済学には、それが多く感じられる。
おまけに、そのニュアンスまでも専門家の間で白黒つけられ、ちょいと違った風に用いようものならアホウ呼ばわれ。疑問すら持てないとすれば、どちらが。同じ阿呆なら踊らにゃ損々!
経済学ときたら、日常用語までも専門用語のように扱う。そこで、用語の定義から始める専門書に出会えば、それだけで敬するところがある。本書も、そうした一冊。門外漢の読者への気遣いもあろうけど...
そして、本書に収録される二つの論文に、おいらはイチコロよ!
尚、友野典男監訳、山内あゆ子訳版(楽工社)を手に取る。

「効用はどんな時も最大化されるものであると仮定すると、欲求の性質について驚くべき推論をしてしまうことになる。それは、人間はいついかなる時にも合理的な選択をするはずだという考え方につながる。こうした方法論はいろいろと使い勝手があるし、経済学者にとっては紛れもなく魅力的ではある。だがこれは、いまだに実証されていない危うい土台に立ったものだ。このコラムでは、検証可能な効用最大化仮説の一つについて論じて行くことにしよう... それは間違いだ、ということが分かる。」
... リチャード・セイラーとの共著論文「効用最大化と経験効用」より

「昔から経済学者は、人が示す好み(顕示選好と言う)についての研究を好んで行ってきた。つまり、好きだ嫌いだと口に出して言った意思や、主観的な報告ではなくて、人が実際に選んだ物事や決定を観察するということだ。しかし人間はよく、自分自身の幸せに単純にはつながらない選択を行っている。一貫性のない選択をすることもしょっちゅうだし、経験から学ばず、取引を嫌がり、他人と比べて自分はどうだということに満足の基準を置き、その他ありとあらゆるところで合理的な経済主体の標準モデルから外れている。」
... アラン・B・クルーガーとの共著論文「主観的な満足の測定に関する進展」より

心理学者ダニエル・カーネマンは、自らの考えが「プロスペクト理論」に至った様子を物語ってくれる。それは、不確実な状況下での意思決定モデルに関するもので、この研究によって彼はノーベル経済学賞を受賞した。心理学者がノーベル経済学賞とは、なんとも奇妙な取り合わせだが、この学問もようやく人間を見るようになったというわけか。
カーネマンは、人間の経済行動を心理学的に考察したことで、行動経済学の創始者の一人とされる。「行動経済学」という用語にも、ちと違和感があるが、そもそも人間の行動分析に、心理的な視点を欠いていたことが異様であったと見るべきであろう。
本書には「効用」という用語が散りばめられ、この用語にもずっと違和感を持ってきた。効用の最大化ってなんだ?欲望の最大化ってことか?しかも、これが満たされると、経済的均衡状態になるってか?経済人モデルが狼なら、経済学者も狼ってかぁ...

本書の考察で、鍵となる心理学的な性質を三つ挙げておこう。そして、これらがそのまま効用の担い手となる。

一つは、状態よりも変化に意識が向くという性質。
伝統的な経済学では、富の水準を効用の担い手としてきた。対して、現状に対する変化という視点を与えたのが、経済学者ハリー・マーコウィッツだったという。だた、この段階ではまだ思考のスケッチにすぎず、このアイデアを根本から詳述したものがプロスペクト理論ということらしい。
例えば、心理的には、年収一千万円といった絶対値よりも、年収二割増、四割増といった相対値に反応しやすい。さらに、二割減、四割減となれば、目くじらを立てるは必定。効用を満足度で計測するなら、絶対的な水準よりも、現状に対する変化に反応しやすい。売上や利益についても、似たような反応を示すであろうし、目標を掲げる時も相対的な割合で表現することが多い。効用の最大化、あるいは、満足の最大化という視点は、現実の人間感覚をあまり反映していないようである。

二つは、直感は知覚メカニズムに似ているという性質。
知覚は、見たまんまの分かりやすさという利点もあるが、錯覚や錯視の類いを誘発させるという欠点もある。こうした性質において、直感と知覚のメカニズムが類似しているという。
迷った時、手っ取り早く答えを出さなければならない場合、直感が頼りになる。確かに、人間の直感は高度なこともやってのけるが、系統だった認識バイアスにかかりやすいし、知覚のように惑わされやすい。経験を積めば、直感を直観に昇華させることもできようが、そうなる前に非合理的な行動を誘発する。
ちなみに、直感的にある程度正しい答えを得るような手法を「ヒューリスティック」と言うが、これは心理学的な用語らしい。コンピュータ科学でも見かける用語で、最適化の問題で正解率と睨めっこしながら発見的な手法が用いられる。
「メタヒューリスティクス」なんて用語も見かけるし、直感も科学的に計測することが可能になった時代ではある。

三つは、利得よりも損失に意識が向きやすいという性質。
たった一つの否定的な感情のために、エピソード全体が色付けされる傾向にあるという。人は普段、肯定的な感情で落ち着いているが、否定的な感情が一つ紛れ込めば、それは重大な意味を持つことになると。
例えば、人を評価する時、気に入らない短所が一つあれば、長所が見えなくなることがある。周りが得をして自分だけが得をできなかった場合では、大損した気分にもなる。
概して人は、肯定的な感情より否定的な感情の方に反応しやすい。古い諺に、隣の芝は青い... というのがあるが、これもその類いであろう。

本書は、これら三つの性質を踏まえて、効用の測定に「U指数(経済不快指数)」というものを提案している。経済指標に、GDP や景気動向指数などに加えてみてはどうかと。
尚、U は、unpleasant(不快)、あるいは、undesirable(望ましくない)の意。
従来の経済学の指標を正の指標とすれば、これは負の指標ということなろうか。
「効用」という用語には、二つの意味があるという。
一つは、主観的な好ましさを示すもので、本書は「決定効用」と呼んでいる。
二つは、結果と結びついた快楽体験に基づくもので、本書は「経験効用」と呼んでいる。
後者は、功利主義で知られるジェレミ・ベンサムが提起したものらしく、アルフレッド・マーシャルに至るまで「快楽の流れ」という概念だったという。それ以降は、前者の意味でも解されるようになったようである。
「しかも、幸福とは瞬間的な経験効用の経時的な総和であるとまで定義されている。」
そういえば現在でも、世界幸福度ランクングといった指標がしばしば報じられる。上位の順位はどうでもいいとしても、下位の順位はそこそこ妥当かも...

そもそも、人は自分の好みが分かっているだろうか。無意識の領域は、ことのほかでかい。実は、何に満足できるかも、よく分かっていないのでは。企業の提案や政府の経済政策に乗っかっているだけで、それに文句を垂れているだけでは。効用を肯定的な部分で計測するよりも、否定的な部分で計測する方が合理的という見方はできるかもしれない。
そういえばアンケートの類いで、とても満足、満足、普通、あまり満足でない、まったく満足できない... といったものによく出くわす。どうでもいいから相手にしなかったり、あまりの不満のためにアンケートに協力しないという選択肢もあろうし、文句を言わずにはいられないこともあろう。大した不満がなければリップサービスも飛び交う。こうしたアンケートは、真相を反映することが難しいように思えるが、企業はやたらと、こういうデータに群がる。
ネットでは口コミやレビューを参考にすることはあるが、ちょいと不満かちょいと満足の具体的な意見が役に立ちそうな気がする。あまり極端なものはフィルタをかけて...
人間の心理は、満足すればすぐに忘れたり、不満への怨念がいつまでも残ったりする。殴った方は忘れても、殴られた方はなかなか忘れないものだ。満足度が低い方が本音が出やすい!ってことはあるかもしれない。
ちなみに、おいらがプロマネをやる時、チームの精神状態を計測するために、メンバーが愚痴を言いやすいように心掛けている。愚痴を言うのは、道徳的な観点から悪いとされるが、おいらはそうは思わない。愚痴の質こそ問題にすべきであろう。愚痴が冗談で言える間はチームの健康状態を良好と見るが、愚痴が言えないばかりか冗談も出なくなると、かなり深刻と見る。この際、褒め言葉はまったく参考にならないし、ましてや世辞なんぞ...

「幸福な家庭は皆似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸の様を異にしている。」
... トルストイ「アンナ・カレーニナ」より

最後に、共同研究者への追悼文に印象深いものがあるので、抜粋しておこう...

「大きな影響力のある人が亡くなるということは、その人一人がこの世からいなくなるというだけでは済みません。その人に影響を受けた一人ひとりの中で、何かが死んでしまうのです。
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エイモスほど自由な人を私は他に知りません。彼があれほど自由でいられたのは、彼が同時に誰よりも規律ある人だったからなのです。
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われわれ二人の間では、相手の言おうとしていることを、言った本人よりも聞いている方がより深く理解してしまうという摩訶不思議なことが、何度も、何度も起きました。昔ながらの情報理論の法則に反して、われわれの間では、受け手の側が送られた情報よりも多くを受け取ってしまうということが普通だったのです。もしこんなことが起きないのなら、共同研究がどんなに素晴らしいものかを知ることもできないだろうと思います。」
... エイモス・トヴェルスキー追悼より

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