2023-02-19

"ファスト & スロー(上/下) - あなたの意思はどのように決まるか?" Daniel Kahneman 著

原題 "Thinking, Fast and Slow"
人間の思考回路には、直感や感情を担う「システム 1」と、熟考を担う「システム 2」があるという。システム 1 は、手っ取り早く、これといった努力なしに無意識的に作動する。対して、システム 2 は、意識的に努力してようやく作動し始め、その重要な役割として、システム 1 の判断や決定をモニタする機能が備わり、必要に応じて修正したり、停止したりする。
尤も、そのようなシステムが脳の中に存在するはずもなく、脳の機能を比喩的に表現しているだけのこと。これに近い思考の区別に主観と客観ってやつがあるが、二つのシステムは、どちらも主観の領域にあり、システム 2 は、若干の客観性を持ち合わせている。どちらも人間味あふれた特徴を有し、システム 1 は気まぐれ!システム 2 は怠け者!
これを長所とするか、短所とするかは、己次第だが、どちらの特徴も意思決定において足枷せとなる性癖となる。自分の信念や願望を疑うことは、控えめに言っても難しい。好調の時ですら難しい。それを最も必要とする時は、さらに難しくなる。高度な認知能力を有する知的生命体にとって、認知バイアスとの葛藤は宿命やもしれん。
ちなみに、笑顔をつくってみると気分が明るくなるのは、本当らしい...

さて、この読書体験を主導しているのは、どちらのシステムであろう。こいつを読むのに、認知能力を極限まで働かせること請け合い。
読み手として、この書をどう解するか。その手腕を見極めるために自己を分析し、自己を語ることができるのは、システム 2 である。自己主張の強いおいらのことだ、システム 2 は、いつでも思考を制御できると自信満々で、自分こそが主役だと思い込んでいることだろう。
しかしながら、本書の主役は、システム 1 だと告げている。これは、自我意識の主導権をめぐって、二つの架空のキャラクターが織りなす物語である。
尚、村井章子訳版(早川書房)を手に取る。

本書は、「システム 1」と「システム 2」の二項対立に加え、さらに二つの対立構図を配置している。

一つは、「エコン」「ヒューマン」
行動経済学者リチャード・セイラーは、経済学者が定義する合理的経済人をエコン類(Econs)と呼び、ヒューマンと区別して揶揄したそうな。エコンは、完璧な計算能力と意志決定能力を持っているが、ヒューマンは、錯覚し、欺瞞し、間違いを犯し、自信過剰で意志が弱い。エコンこそが理想高すぎの架空の人間像というわけである。
但し、エコンのような理想モデルを仮定すると、理論は組み立てやすい。

二つは、「経験する自己」「記憶する自己」
経験する自己とは、現在経験している状態の評価を、そのまま総合的な自己評価とすり替える自己である。結婚や恋愛、あるいは仕事などで充実している時は、なんでもうまくいきそうで、人生は素晴らしいと思えるものだが、それらが一転して、破綻したり、貧困に陥ったりすると、不遇な人生を呪ったり、絶望したりする。
一方、記憶する自己とは、エピソードやストーリーの要点や印象を記憶し、その記憶を元に判断や決定をする自己である。時間を置いて冷静に自己を見つめる目は、後者で養われる。

こうした見方を表現する経済学用語に「効用」ってやつがある。経済学者は、この用語に二つの意味を与えてきたという。
一つは、ジェレミ・ベンサムが提起した快楽や苦痛の経験を尺度とする効用で、本書はこれを「経験効用」と呼ぶ。
二つは、好ましさや望ましさといった意味合いで、冷静になってあとから感じるような効用で、本書はこれを「決定効用」と呼ぶ。
例えば、期待効用理論では、決定効用を支配すべく合理性を論じる。二つの効用は、経済主体が合理的あるという前提において一致するが、長い間、経済学者は不一致の状況を想定してこなかった。
尚、効用については、著作「ダニエル・カーネマン心理と経済を語る」で、これを主題に論じられている(前記事)。

自己が経験している瞬間、瞬間に、快楽や苦痛に振り回されるとしたら、自己を冷静に語れるのは、その状況を記憶している自己ということになる。
しかしながら、記憶がまともに残るとは限らない。自己防衛本能が、自己の都合のよい形で記憶することもあれば、トラウマとなって神経症やヒステリーを引き起こす要因となったり、記憶そのものを抹殺することもある。
本書は、記憶の心象現象として、特に「持続時間の無視」「ピーク・エンドの法則」に注目している。
人間の脳は、物事を抽象化し、コンパクトに記憶する習性がある。記憶容量の効率化を図るためかは知らんが。たいてい快楽は長く感じたいし、苦痛は短く済ませたいものだが、快楽も、苦痛も、最も強く感じた瞬間が記憶に残りやすい。恐怖やショックなどはインパクトの瞬間が記憶に刻まれ、時間感覚を麻痺させることもある。あるいは、平凡な出来事には、平均的な印象が、その総和の代用となることもある。終わりよければすべてよし... というが、まさにピーク・エンドの法則を物語っている。ステレオタイプとして印象づけられるのもその類いか。人種や国籍、世代や地域、職業や専門、性別や血液型など、あらゆる属性が自分の世界観で決定づけてしまう傾向がある。この多様化の時代に... 
とはいえ、意思決定のために、多種多様なパターンすべてを観察している時間はない。人生は短いのだ。
自己欺瞞を自己が見抜くには、よほどの修行がいる。心理操作によって記憶をすり替え、記憶を再構築することも可能だ。嘘だと分かっていても、それを続けていくと、やがて本当だと信じ込んでしまうこともある。社会風潮や情報流布などの外的要因で、ニセの記憶を摺り込まれることもしばしば。高度な情報化社会ともなれば、尚更。記憶とは、人に操作されるものであり、また、自ら操作できるものでもあるらしい。しかも、無意識に...

「経験と記憶を混同するのは、強力な認知的錯覚である。これは一種の置き換えであり、すでに終わった経験も壊れることがありうる、と私たちに信じ込ませる。経験する自己には発言権がない。だから記憶する自己はときにまちがいを犯すが、しかし経験したことを記録し取捨選択して意志決定を行う唯一の存在である。よって、過去から学んだことは将来の記憶の質を最大限に高めるために使われ、必ずしも将来の経験の質を高めるとは限らない。記憶する自己は独裁者である。」

人間の思考は、慣れ親しんだ考えに吸い寄せられる傾向があり、それで安心を買う。「認知容易性」ってやつか。
本書をどう解するかという問題にしても、最初から自分の考えで偏重しながら読み進めているかもしれない。認知バイアスを論じた書を認知バイアスによって解するとは、ソクラテスの時代から問われてきた「無知を知る」という難題にも似たり。自分の思考を知るということは、そういうことなのであろう。今の自分の行動は、本当に自分の意思に従っているだろうか。自我ほど手に負えないヤツはない。しかも、せっかくヤル気になっているところに、ややこしいことを問い掛けてきやがる。無論、おいらにだって意思はある。ただ、暗示にかかりやすい...

「リバタリアン・パターナリズムでは、市民が自分たちの長期的利益に資する意思決定ができるよう、国をはじめとする行政機関や制度が市民をナッジすることを認める。ナッジとは、そっと押すとか、促す、誘導する、といった意味合いである。年金制度への加入をデフォルトの選択肢にしておくことなどは、ナッジの一例である。チェック欄にマークを入れるだけで簡単に非加入を選べる場合、自動加入方式が個人の自由を侵害するとは主張できまい。」

本書は、日常生活があらゆる認知バイアスにしてやられていることを再認識させてくれる。
企業家の経営哲学に魅了されれば、その経営手法までよく見えたり... ハロー効果の類いか。
気の合わないお偉さんの言葉が、発言前から馬鹿げていると嘲笑ったり... プライミング効果の類いか。
確率という魔の数値を提示されるだけで、行動意欲を掻き立てられたり... フレーミング効果の類か、あるいは、アンカリング効果の類いか。
普段、利益に対して保守的なはずなのに、ちょいと損失を出すとギャンブル的な行為に走ったり... プロスペクト理論の類いか。
... などなど、まったく心理学用語に翻弄されっぱなし!

また、「モーゼの錯覚」と呼ばれる問題を紹介してくれる。「モーゼは何組の動物を方舟に乗せたか?」こんなことを話の流れで問われれば、違和感はない。だが、ちょいと考えると、モーゼは誰も方舟に乗せてはいないし、主語をノアにするべきだと気づく。モーゼとノアは、旧約聖書の登場人物として結びつけられる。脳内の連想記憶メカニズムとは、こんなもんか...
おまけに、説得力のある文章術まで助言してくれる。原則は、認知負担をできるだけ減らし、視認性を高めること。難解な言葉を避け、文章をシンプルに覚えやすくする。フォントにも配慮して。格言風に仕立てると、洞察に富んだ文章を装うことができるんだとか...

さらに、資本主義経済のメカニズムにも言及され、その原動力の一つに楽観的な起業家精神を挙げている。楽観主義はごくありふれた傾向ではあるが、企業家たちのリスクテイクこそが経済循環を活性化させているのは確かであろう。
但し、論語は告げている。過ぎたるは猶及ばざるが如し... と。
そこで、保守的な戦略として、損失に利得の二倍の重みをつけるという見方は、心理的に頷ける。
そして、リスクポリシーは告げる。トレーダーのように行動し、みみっちく勝って負けを抑えよ!と。だが、このポリシーを麻雀で実践すると、ビッグに放縦することになる。
こうした構図は、自信満々のコンサルタントに高い報酬を支払うのと何が違うのだろう。資本主義経済で合理的に行動することが、いかに難しいことか...

「計画の錯誤は、数ある楽観バイアスの一つにすぎない。私たちの大半は、世界を実際よりも安全で親切な場所だとみなし、自分の能力を実際よりも高いと思い、自分の立てた目標を実際以上に達成可能だと考えている。また自分は将来を適切に予測できると過大評価し、その結果として楽観的な自信過剰に陥っている。意思決定におよぼす影響としては、この楽観バイアスは認知バイアスの中でも最も顕著なものと言えるだろう。楽観バイアスは好ましくもあるが危険でもある。」

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