2023-07-16

"風船社会の経済学 - シュマッハー学派は提言する" Satish Kumar 編

原題 "THE SCHUMACHER LECTURES"
E. F. シューマッハーといえば、「小さきことの善」を説いた人で、昨日、南米ジャングルから彼の著作「スモール・イズ・ビューティフル」が届いたばかり。本書もまた小さき知の結集といった様相を呈する。叡智とは、多角的な知の総動員!しかしながら、小さきことばかりに目を奪われれば、大局を見失う。ご用心!ご用心!
尚、村山勝茂訳版(ダイヤモンド社)を手に取る。

本書は、E. F. シューマッハーの追悼講演録で、精神医学、歴史学、考古学、言語学、心理学、物理学、未来学、政治哲学といった分野で活躍する八人もの研究者や実践家が入り乱れ、これらをサティシュ・クマールが編む。八人それぞれが専門の枠組みから解き放たれ、地球の在り方や自然との共存を問い、人間らしい社会とは... という観点から社会に物申す。それで新たな見解が得られるわけではないが、知的好奇心とは、それ自体に意義があるのだろう...

「どんな研究分野であれ、新しい着想を得ようとするときに、旧い概念に対する批判や攻撃を加えるという方法は必ずしも有効ではない。垂直に物事を積み上げて、自らにいっそう重い負担をかけて苦しむより、発想を思い切って転換し、要点と思われるところで物事を水平に切って頭を軽くすると新しい着想が得られることがある。」

学問を深化させれば、専門化が進むは必定。だがそれで、専門バカを量産し、知の縦割り社会となるのでは本末転倒である。「風船社会...」と題しているのも、中身は空っぽ!ってかぁ...
しかしながら、現実に目的を求めたところで詮無きこと。この世に合目的なんてものが存在するのかは知らんが、人生に意味を求めずにはいられないのが人間の性(さが)。現代人は、空っぽの中身を連想で埋めようと必死にもがき、仮想化社会にのめり込んでいく。それは、現実に幻滅した結果であろうか...
巷では、リアリティという表現をよく耳にするが、Real と Reality では、ちとニュアンスが違う。現実から現実性へ、実存から実存性へ。精神の実体が自由電子の集合体なのかは知らんが、この塊を魂と呼ぶなら、魂ってやつは、真実よりも真実っぽいものに、本物よりも本物っぽいものに引き寄せられる性質があると見える。そして大衆は、リアルではなく、リアリティに群がる...

「物事はもはや知性ある人間のコントロールを離れ、盲目の権力が敵対する権力に対し、ゲームのルールに従って、両者があらかじめプログラムされたとおりに対応するようになる... そうして、世界権力をめぐる二つの権力のゲームは人間の理性が不在のまま継続し、残された地球の鉱物資源と奴隷的人口の忠誠の獲得を競い、宇宙の覇権とその他もろもろの愚かで自殺的な目標を競うことになる...」

E. F. シューマッハーは、ケインズに師事しつつも、ケインズやマルクスの理論に違和感を覚えるようになったという。今日の経済理論でも、生産力の上昇、国民所得の増大、失業率の改善といったものを論じながら、自然環境の破壊を黙認している。産業革命から続く科学技術の進歩は、莫大な人口増殖を引き起こし、エネルギー危機や資源問題に直面しつつある。人類は、地母神に見放されつつあるようだ。ついでに、月は地球から数センチずつ遠ざかっているとも聞くが、ツキからも見放されつつあるようだ...

「工業経済が中央集権化と資本集約的生産の一定の限界に達してしまったら、今度は横断的情報網と意思決定をより多く用いて、地方分権的な経済活動や政治形態へと方向転換せざるをえない... さもなければあまりにも階級組織化され、官僚化された制度における深刻なボトルネックに陥って、どうしようもなくまってしまう...」

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