2023-10-08

"エリザベスとエセックス" Lytton Strachey 著

リットン・ストレイチーは、"Portraits in Miniature (邦題: てのひらの肖像画)"と題し、18 篇ものささやかな人物像を通して、イギリスの一時代を炙り出した(前記事)。
この伝記作家は、自分自身が生きたヴィクトリア朝の時代を呪い、過去の時代に思いを馳せたのか。ここでは、歳の差の恋愛物語を通して、エリザベス朝の時代を物語ってくれる。
生涯独身を通し、聖母マリアのごとく処女として崇められた女王エリザベス一世。スペイン無敵艦隊に大勝利した英雄。だが、彼女とて一人の女であった。いつまでも女であった。しかも平凡な。愛人の噂も絶えず...
53 歳にして、20 歳にも満たないエセックス伯爵と出会ったことは不幸だったのか。熟年の恋は始末が悪い。人間ってやつは、自由よりも束縛にこそ真の自由を見るのやもしれん。そして、禁断にこそ真の恋を...
尚、福田逸訳版(中央公論社)を手に取る。

「エリザベス朝の人々に見られる一貫性の欠如は、人間に許される限界を遥かに越えている... 狡猾かと思えば純真、繊細かと思えば残忍、そして敬虔かと思えば好色、かかる存在に筋の通った説明を与えるなど一体可能であろうか... それはバロックの時代であった。そして、恐らく彼らの内部構造と外部装飾とのずれこそ、エリザベス朝人の神秘の原因を最も端的に物語るものなのだ... まさにバロック的人物と言える存在が、他でもない、エリザベスその人である。」

エリザベスの治世は、二つに分けられるという。スペイン無敵艦隊を撃破するまでの三十年と、その後の十五年。前者は、いわば準備段階で、その結果、イングランドは統一国家となり、後に大英帝国となって七つの海を支配することになる。
エリザベス女王は、精神の支柱にイングランド国教会を据え、民衆に国家という概念を植え付けた。そして、スペインの横暴を撥ねつけ、ローマの圧力にも屈せず、イングランドを帝国へと導いた。
だが、こうした功績は英雄的な資質の為せるわざではなかったという。激動の時代を生き抜くには、何よりも政治的手腕と慎重さが肝要で、むしろ、のらりくらりとかわした結果であったと...

「変化に富むがゆゑに自然は麗し」... これは、エリザベスが好んだ格言だそうな。彼女自身の振る舞いも自然に劣らず変化に富む。ある時は気の荒い貴婦人、ある時は厳しい顔つきの実務家、ルネサンスの教養に溢れ、六カ国語をこなし、優れた音楽家で舞踏も得意、会話はユーモアのみならず気品と機知に溢れ、確かな社交感覚の持ち主とくれば、こうした変幻自在な振る舞いが、外交手腕と結びついて、激動の時代を生き延びたという見方もできる。
ストレイチーは、この女王の多芸ぶりと優柔不断ぶりを、エセックス伯爵という一人の男を通して物語る。この若き男子も、熟女の寵愛の受け方をよく心得ている。人に支配されるのを好まず、最高権力者である女王の寵愛という特権を掌握し、軍隊の後ろ盾に支えられ、またそのことを十分に承知していればこそ、国家にとって危険な人物となる。宮廷内では警戒心が広がる。数々の戦場で無能ぶりを曝け出し、名誉挽回でアイルランド総督に任命されるも、アイルランド叛乱の鎮圧に失敗して失脚。ついにはクーデターを起こし、反逆罪。かくして女王の寵臣は、首斬り役人の斧によってその首を斬り落とされたのだった... 享年 34 歳。
真実を悟った老婆は、すでに67歳。どちらが弄び、どちらが弄ばれたのか。互いの引力が運命を弄んだのやもしれん...

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