2023-12-24

"外骨という人がいた!" 赤瀬川原平 著

こんな時代に、こんな人がいたとは... 今宵は、明治の時代へタイムスリップ!
日露戦争の機運が高まり、日本国中に軍国主義が充満していく中、「滑稽新聞」なる刊行物が創刊されたそうな。タイトルからして、反骨精神に満ち満ちていることが伺え、天の邪鬼にはたまらん。
書き手の名は、宮武外骨。外骨というペンネームも薄気味悪いが、どうやら本名らしい。この名で説教され、怒鳴られでもすれば怖そう。自分の名前が珍しかったり、面白かったりすると、馬鹿にされたり、からかわれたりと、幼き頃から捻くれた人生を背負わされることがある。おいらも珍しい名字のせいで、ずいぶんと捻くれちまった。子供は残酷なものだが、大人はもっと残酷!陰険で、策謀的で、おまけに政治的で...

ここでは、言論の自由というものを改めて考えさせられる。言葉遊びに、パロディに、文字のツラで世界をぶった切る。こき下ろす相手は、批判精神を失った新聞屋に、ユスリ・タカリがまかり通る財界に、賄賂の警察署長さんに... お上に至っては、テんで話にならぬ大馬鹿者!テ柄にもならぬ事を威張る!などと、そのしつこさはケタ外れ。伊藤博文や明治天皇にも臆することなく、露骨即物精神をぶちまければ、案の定、投獄される羽目に。入獄四回に、罰金と発禁で二十九回と...
当時の検閲の厳しさや権力批判への圧力は、21世紀の現在とは比べ物になるまい。だがそれでも、誹謗中傷が弱者を襲い、政界や財界に忖度するマスゴミといった構図は、あまり変わらんようだ。言論の自由を盾にすれば、裁判も、牢獄も、同じことなのやもしれん...

赤瀬川原平は、遺品の眼鏡や着物を拝借して外骨に扮し、その書きっぷりも、当人が乗り移ったかのように、えげつない。反骨精神に満ちた外骨を紹介しようと、外骨の知識に飢え、骸骨になっちまったか。そして、こう言い放って外骨講義を始める...
「人類はみな外骨の話を聴く権利がある!」

外骨先生の主著には、「スコブル」という雑誌もあるそうな。スコブル念入りに、スコブル苦心し、スコブル猛烈で、スコブル慢心で... それが、スコブル面白いか、スコブルつまらないかは別にして、スコブル馬鹿げた表現力に、スコブル吸い込まれて、スコブル爽快!とくれば、読み手の方が、スコブル変になりそう。
外骨先生のスコブルぶりは、文面だけではない。挿絵や図板の存在感が、これまたスコブル強烈!絵は文章の背景にあるだけでなく、それ自体が言語機能をもってやがる。
そして、外骨講義は、「滑稽新聞」に掲載される図板をスライドで投影しながら、効果音とともに流れていく。しかも、妙にエログロ!R-18 指定か...

例えば...
ケツの穴が小さい... という言葉があるが、まさに、ケツの穴の大きさを比較しながら、なんと下品な官僚批判!
カシャン!
糞で書いた「法律」という文字は、いかにも臭ってきそうな。司法界には、糞法で溢れているってか。
カシャン!
露と露とが舌でもって接する。接吻とはそうしたものだそうな。そして、表面張力が破れちまった日にゃ、とろ~り合体!お子ちゃまの目に触れぬよう...
カシャン!

漢字論が飛び出せば...
「婆」という字を「波」+「女」に分解して、時代の荒波にもまれてきた女性ってか。
カシャン!
「口」から「耳」へ「囁く」のに、男から女へ向かうのが鉄則らしい。逆方向は、なんで禁句なの?
カシャン!
「襖」の「奥」には「衣」がどっさり隠されているとさ。衣服の整い具合で、その家の格式が決まるのかは知らんが。
カシャン!
ついでに本書にはないが、「信者」と書いて「儲かる」ってのはいかが。「酒」に「落ちて」「お洒落」ってのもいかが。いや、棒が一本足らんよ。
カシャン!

言葉遊びでは、隠語も、禁語も、なんでもあり!
「身体で飯を食ふ人」シリーズでは、口で飯を食ふ人... 落語家、目で飯を食ふ人... 鑑定家、鼻で飯を食ふ人... 香道家、喉で飯を喰ふ人... 義太夫、あたりで軽く流し、腕で飯を食ふ人... 無頼漢(ゴロツキ)、他人の耳で飯を食ふ人... 音楽家、他人の目で飯を食ふ人... 眼科医、とくれば、他人の肛門で飯を食ふ人... 痔疾医、とグロテスクに...
カシャン!
社会は分業と言われるが... 看病する役に、人を殺す役に、人を弔う役に、人を焼く役に... と軽く流せば、子を仕込む役に、子を孕む役に、子をおろす役に、子を挹(く)む役に、とドぎつくなっていき、出征する役に、戦死する役に... と、すべての役が等間隔で静かに流れていく。
カシャン!

思考の動きをそのまま言葉にすると、こうなるのだろうか。その場限りの使い捨て表現のオンパレード!極めて消耗的な力量でありながら本質的!お洒落にフランス語風に言えば、シュールレアリスムか。いや、スーパーモダンか。いやいや、あまりに規格外でスコブル恐ろしい...

さらに、外骨先生と赤瀬川氏の対談も見逃せない。もちろん架空だ。
外骨先生をパラノ人間とすれば、精神だけは元気なもんで!
これに負けじと、赤瀬川氏がスキゾ人間を自称すれば、「いいか、本当のスキゾ人間ってのは体なんてバラバラにしてなくしちゃってるもんだよ!」と反駁を喰らう。
パラノとは、パラノイア、つまり偏執人間。スキゾとは、スキゾフレニア、つまり分裂型人間。類は友を呼ぶと言うが、パラノ人間とスキゾ人間は、すこぶる相性がよいとみえる...

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