2024-05-26

"世界が動いた「決断」の物語 - 新・人類進化史" Steven Johnson 著

熟考というのは、人類特有の行為であろうか...
長期的な視野に立てるというのは、進化の過程でホモ・サピエンスだけが習得した能力であろうか。そこが、人間の人間足る所以やもしれん...
だが、三千年記が幕を開けても尚、現代人は近視眼的な判断に振り回される。どんなに経験を積み、どんなに情報を集めても、動物の本能には逆らえない。そこが、人間の人間足る所以やもしれん...

「自然は人間を二人の独立した主人の支配下に置いてきた。それは苦痛と快楽である。私たちが何をするか決めるだけでなく、何をすべきかを指示するのも、もっぱら苦痛と快楽なのだ。一方では善悪の基準が、他方では因果の連鎖が、この二つの玉座に結びつけられている。私たちがやること、言うこと、考えること、すべてを苦痛と快楽が支配している。服従をかなぐり捨てるために私たちができる努力はどれも、服従を実証し裏づけることにしかならない。」
... ジェレミー・ベンサム

本書は、決断のメカニズムを、認知科学や社会心理学、軍事戦略や環境計画、そして、文学から紐解こうとする。それは、「モラルの代数学」に始まり、あらゆる状況や条件を「マッピング」した上で「予測」を組み立て「シミュレーション」し、「決定」に至る一連のプロセスを物語るという趣向。
モラルの代数学とは、メリットやデメリットを箇条書きにし、そのバランスを検討して意思決定を下すというもので、価値観の貸借対照表とでも言おうか。
マッピングとは、経験値などのスペクトル全体にわたる多変数システムのモデル化とでも言おうか。それは、内面から生じる感情から、政治的世界観や宗教的信仰、あるいは、社会的用件や経済的制約、さらにチャンスなど、実に幅広い。
予測やシミュレーションは、このマッピングによるモデリングが鍵となる。
ちなみに、この世には誤りが溢れているが、予言ほど差し出がましい誤りはないとさ...
尚、大田直子訳版(朝日新聞出版)を手に取る。

「決定者に必要なのは、意思決定の才能ではない。必要なのはルーティンや習慣なのだ。それは問題と向き合い、ほかにはない特性を探り、選択肢を比較検討するための、明確な一連の手順である。複雑な意思決定に取り組む人々の集団を見ていると、そこにはすばらしいドラマと深い感動があることがわかる。」

本書で注目したいのは、これらを物語性で結びつける点である。文学小説や芸術作品を嗜むことで豊かな物語が想像でき、意思決定のスキルが養われるらしい。
歴史を振り返れば、人間は言葉で操られ、大衆という集団性に惑わされてきた。劇的なスピーチに、ドラマチックな宣伝活動に... それは、ゲッペルス文学博士が証明して見せた。現在ではスタイリッシュなプレゼンテーションに踊らされる。
ならば、自分の人生を自分自身の言葉で物語ることができれば、周りに惑わされることも、ある程度は防げるかもしれない。小説は科学には示すことのできない洞察を与える。科学もまた小説には示すことのできない洞察を与える...

最も誤りやすいのは、えてして自分が正しいと確信することだという。能力の低い人ほど自分のスキルを過大評価しがち。意思決定の科学では、多様な集団の方が同質の集団よりも賢い選択をする可能性が高いという。多様な集団は、自分たちが間違っているかもしれないという考えにあまり抵抗がないらしい。
さらに、自己の中でも多様な物語が語れれば、選択肢がぐっと広がりそうだ。物語ってやつは、想定外な事も起こるから面白い。自己の許容範囲にあればだけど。そして、自己の許容範囲を広げるのも、物語の想像力ということになろうか...

しかしながら、その物語をマシンが語り始めたら...
人類は、ひたすら利便性を求め、実に多くの技術を編み出してきた。そして今、自らの技術力に陶酔する。いや、泥酔か。究極の発明品足る人工知能は、人類の判断能力を超える。こいつに情報を与えておけば、人間が思考する必要はない。いや、思考する人間は邪魔な存在か...
思考せず、判断しなくて済むとういことが、人間にとって幸せなのかは知らん。だがそれは、独裁者がすべての行動を個人に命じ、権力者が下した判断の言いなりになるのと何が違うのだろう。
すべては結果!そこに至る過程なんぞどうでもええ。すべての労苦は早送りされ、最後のスナップショットだけが残像に留まる。そして、結論が独り歩きを始める。しかも、結論を導くのはマシンだ。独裁者よりはましか。
マシンが人間味を帯び、人間がマシン化していくとなれば、落ち着いて嘆く準備だけはしておいた方がよさそうだ。人間そのものを再定義する準備を...

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