ルカ伝第十三章二十四節、及び、マタイ伝第七章十三節に曰く...
「力を尽くして狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし。」
父を早く亡くし、母の悲劇にも触れ、感受性を強めていく少年ジェローム。彼は叔母の家に身を寄せ、従姉妹アリサとジュリエットと一緒に過ごすことに。やがて年上のアリサに恋心を抱く。アリサもジェロームに好意的だが、妹ジュリエットもジェロームに恋する。キリスト教が理想とする禁欲的な世界に憧れるアリサは、妹への遠慮もあって結婚を拒み続ける。ジュリエットが身を引いても気持ちは変わらず。アリサは地上の幸福を放棄し、天上の幸福を夢見て命を落とす。ジェロームは、アリサの遺した日記の思いを背負って生きていくことに...
尚、山内義雄訳版(新潮文庫)を手に取る。
「今の曲をもう一度!滅入っていくような調べだった。まるで菫の咲いている土手を、その花の香をとったりやったりして、吹き通っている懐かしい南風のように、わしの耳には聞こえた。もうたくさん...。よしてくれ。もうさっきほどに懐かしくない。」
... シェイクスピア
幸福の感じ方は人それぞれ。自分の辛苦に対する対価として味わう者もいれば、幸せを演じ、それを人に見せつけることによって味わう者もいる。
幸福とは、滅びへの序章か。自己嫌悪も、自己憐憫も、自己愛の類い。愛とは、滅びへの道しるべか。
恋ってやつは、成就した途端に幻滅する。ならば、あえて成就させず、美しいままにしておく方がいい。いや、幻滅して現実を知る方がましか。不幸を知らずして、幸福を知ることも叶うまい...
「自ら進んで引かれるままになっているときには、人は束縛を感じません。しかし、それにあらがい、遠ざかろうとするとき、はじめて激しい苦しみを感じます。」
狭き門とは、自己犠牲の徳を言うのであろうか。アリサは、殉教者か、解脱者か。
自虐によって、自己を正当化することもできよう。自己を不幸のヒロインに仕立て、純粋なままに死んでいくのもよかろう。そして、その生き様を、その死に様を、ニーチェ風に忌まわしく眺めるもよし、パスカル風に皮肉交じりに見下すもよし。いずれにせよ、人の生き方なんて、いかようにも解釈できる。ジャック・リヴィエールは、この本をこう評したそうな...
「これについては語りたくないほどな書物、読んだことさえ人に話したくないほどな書物、あまりに純粋であり、なめらかなるがゆえに、どう語っていいかわからないほどな作品。これこそまさに一息に読まれることを必要とする作品。愛をもって、涙をもって、ちょうどアリサがある美しい日に、ぐったりと椅子に腰をおろして読むように...」
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