2007-01-24

"はじめて読むドラッカー: 社会編" Peter F. Drucker 著

3冊目: 社会編 - イノベータの条件
本シリーズでは、本書が一番好きなのだ。歴史書としていけてるからである。しかし、まとめるのは大変である。主だったフレーズのメモだけでも1000行を超えてしまった。本シリーズを1つの記事にまとめられなかった理由は、本書を簡潔にできなかったことが大きい。
困った挙句、勝手に以下の3つのテーマに分けてみた。
なぜかって?そこに純米酒があるから。

1. イデオロギー
「今日、ルソーの啓蒙主義とフランス革命が自由のルーツのように語られるが、間違いである。あらゆる全体主義がリベラリズムから発している。ルソーからヒトラーまでは真直ぐに系譜を追うことができる。その線上にマルクス、スターリンがいる。彼らの全てが、時代の理性を万能とする理性主義の失敗から生まれた。」
理想崇拝は社会を破滅させてきたという人類の経験を解説しているのだが、ルソー自身が絶対理性を持っているというのだ。
自由主義の根幹は独裁主義なのかもしれない。なぜならば、自由と言われる最近でさえ、独裁的体質を持った組織をよく見かけるからである。
学校の社会科とは随分違う印象を受ける。ただ授業中はぐっすりだったので記憶があろうはずがない。おっと!授業中、金縛りになり笑われた記憶が蘇えった。こうしてアル中ハイマー病の治療が進むのである。

「リベラリズムが必ずしも絶対主義ではない。しかしあらゆる保守主義が反動主義に陥る危険をはらむように、あらゆるリベラリズムが全体主義に向かう要素をはらむ。絶対理性を獲得した者にはそれを実現する権利と義務がある。」
独裁者の理論と紙一重である。人間は経験を積むことにより自分自身の思想に自信を持つ。
社会、組織において、自分の考えや手法に自信があるゆえに主張を押し付ける。これも理性主義のようで全体主義なのかもしれない。自分自身の思想は常に検証し続けなければならないのである。
理想社会を求めるとは恐ろしいものなのかもしれない。
理想とは、しいて言うならば、アル中ハイマー流に、"あらゆる規制を撤廃しながらも、完全な意思統一がはかれる組織"とでも表現しておこう。つまり、組織において、仕事をしていくうちに認識や価値観が自然と一致していき、方向性の意思統一がはかれた時こそ、成果を上げ、安心して酔えるのである。
あれ?逆に、似たもの同士が集まり、知識の進化を妨げる危険性をはらむではないか。議論がグルグルまわっていく。
不完全すぎるおいらは、そこそこ人生を楽しんでいる。ということは、酔っ払いが一番良いということか?アル中ハイマーは酒席での醜態の言い訳を必死に探るが、結論が出せないのである。

「マルクス主義の失敗は、階級のない社会を実現できるかにかかっていたにも関わらず、自由のない硬直的な階級を必然的にもたらしたことにある。資本主義でさえ、自由と平等を実現することは幻想であることは、1848年のヨーロッパ激動期に明らかである。しかし、ごく最近までかなりの人が資本主義を信じていた。」
本書では、既に資本主義は崩壊していると語っている。では、今はポスト資本主義ということだが、どう表現すればいいのだろう?おいらも最近まで資本主義であると信じている一人である。

2. 社会変化
「20世紀の変化の本質。農民と使用人の激減。第一次大戦まで農民は最大の人口を占めていた。やがて、アメリカとカナダを除く先進国が発展途上国による食糧輸入を必要とするのは自明の理とされた。しかし、今日では先進国で食糧を大量輸入しているのは日本だけである。時代遅れの米作補助という農業政策が近代農業の発展を阻んだからである。」
それにしても、食糧の自給自足率が低い国が裕福というのも不思議な世界である。日本社会は、ただの幻想なのかもしれない。
父の田舎は農業をやっているが、減反政策をやっていることを小学生時代に知った。祖母に"どうせ余ってんだから、畑くれよ!"ってせがんだ事を思い出すのである。その頃から、江戸時代からの農家圧制がいまだに続いているという印象を持つのである。

「西洋において過去2度の歴史断絶が起きた。1度目は13世紀に"宗教人"なる概念の崩壊。2度目は16世紀に"知性人"なる概念の崩壊。これらは自由と平等を実現できなかったために崩壊した。今日は3度目の"経済人"なる概念の崩壊である。」
結局、人類は自由と平等を勝ち取れないということなのか?酒が売れるわけである。

「政府自らが実行者となって社会的問題を解決しようとして成果を出したものは1つもない。これに対して、NPOは目覚しい成果を上げている。」
NPOの自然発生的な様子を歴史的背景から語られている。NPOという組織形態が、知識社会に合っているのであろう。そもそも自主的活動はボランティア精神から生まれる。そこに達成感や使命感があれば、能力がより効果的に発揮できるのである。
あらゆる社会、組織において、有能な人材に、このような精神が生まれる環境を用意する必要がある。そのためにアル中ハイマーは、せめて世間の邪魔にならないようにこっそりと生きるのである。

3. 国家と教育
「福祉国家が誕生し、2つの大戦が国民国家を財政国家へ変えた。交戦国は国民から搾り取れるものはいかなるものも限度がないことを知った。そして、最悪の状況は、ばらまき国家となった。予算編成が歳出からスタートするならば、徴税に節度がなくなる。歳出は政治家が票を買うための手段となる。ばらまき国家が民主主義の基盤そのものを侵食しつつあることは、投票率低下が示している。」
まさしく、いくらでも国民から借金できる某国の国家財政ではないか。こうして、福祉重税国家がますます肥大化するのである。
ちょうど、昨日税務関係の書類が送られてきた。どうせ赤字なので福祉重税国家の肥大化には貢献できないのである。

「知識社会では、学校が枢要な社会的機関になる。知識の競争は激しさを増す。知識は普遍であり成果が上げられないことの弁解ができなくなる。恵まれない国というのもありえなくなる。あるのは無知な国だけである。」
のんびりと構えていられない時代ということである。このことは、あらゆる企業、組織、産業、個人についても言えることである。

最後に、こう締めくくっている。
「今日、われわれの眼前にある新しい現実は、すべて形態的である。したがって、それらの問題を扱うには、概念的な分析とともに知覚的な認識が不可欠である。よって、読者に対して、考えるとともに見ることを求める。」
求められても困るのである。アル中ハイマーには、社会に酔うことぐらいしかできないのである。

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