2007-06-10

"早わかり物理50の公式" 岡山物理アカデミー 編

岡山物理アカデミーとは、岡山県内の物理教員の集まりらしい。
本書は、こうした先生方が高校から大学初年次レベルの物理を、公式を通して語ってくれるという企画であり、いかにもブルーバックスらしい。岡山といえば、応用数学や最適化数学で執筆している岡山大学教授金谷健一氏の本を読んだ。アル中ハイマーのような酔っ払いにでも、なんとなく理解させてくれた気になったので感謝している。岡山県は、理科系の学生を育てようという気運でも高まっているのだろうか?いや、酔っ払いが出くわした、ただの偶然である。

アル中ハイマーは、高校時代物理学が好きだった。先生が好きだったからである。おいらのクラスは、たまたま珍しい名前の人間が集まっていた。その一人であるアル中ハイマーの姓は珍しく名は当て字でフルネームで正確に読まれたことがない。幼少の頃には、からかわれることも度々であった。こうした社会状況は性格を妙に攻撃的にしたり、天邪鬼にしてしまう。そして、アル中ハイマーは甲高い声で叫ぶのであった。社会の馬鹿やろう!
ところが、多分最初で最後であろう、その物理学の先生が、初対面で全ての人間の出席を間違うことなく完璧に読み上げた。当時、歓声が涌いたことを鮮明に覚えている。これほどの気遣いができる先生を嫌いになる理由などない。その頃を思い出して、なんとなく本書に吸い込まれるのである。

本書の中には、先生方のエピソードや主観も混ざっていて読み物としてもおもしろい。物理学は、仮説から実験を通して、その証拠を積み上げることにより物理法則として証明されていく。よって、証明されるまでは、ある程度都合の良い解釈がまかり通る。こうしたことが歴史的に起こっており、物理学のご都合主義として語られる。この点は数学と少々異なるようだ。サイモン・シンは書籍「フェルマーの最終定理」で数学の証明の出発点は公理である。完全な論理的証明がなされた時、初めて定理となる。よって、一度証明された数学の定理は永遠に真である。といったことを語っている。説得力だけでは数学の方が一枚上かもしれない。
また、科学の世界にも政治力があることも語られる。その例が、法則や原理など、本当の発見者でない人の名前がついてしまうことを上げている。ニュートンの肖像画が残っていても、それと同じ時期に活躍した科学者の肖像画もなければ名前も薄い優秀な人々が多く存在する。悲しいかな、科学の世界にも政治力はあるのだ。こうした事に学生諸君は目くじらを立てなくても良い。重要なのは中身なのである。と語られる。さすが学校の先生、教育に余念がない。

本書は全般的に公式の厳密さよりも意味あいを重視しているので、読み物として楽しめる。酔っ払いには、公式の厳密さは悪酔いのもとである。やはり気持ちよく酔うには、なんとなく理解できたような気になることが重要なのだ。アル中ハイマーは、マクスウェルでも読み返してみるかという気が、ほんの少し起きるのである。では、もう一杯、ほんの少しスコッチをオーダーして今夜の締めとしよう。

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