本書は「石の扉」に続いてフリーメーソンの物語である。
著者は、幕末の志士達とフリーメーソンの関わりを示した歴史書のつもりかもしれないが、アル中ハイマーには推理小説ばりでなかなかおもしろい。そこには、坂本龍馬がなぜ暗殺されたか?仕組んだ奴は誰か?その状況証拠を順に暴いていく。
龍馬といえば幕末時代。日本の大改革の時代として語られる文献も多い。ただ、アル中ハイマーはこの時代にいまいち興味がもてない。昔読んだ本の影響だろう。無理に美化された印象があり説得力を欠くからである。政治の泥臭い部分をさらけ出して歴史のこくが出るというものである。本書は、そうした印象を違った角度から見直させてくれるのでアル中ハイマーには意義深い。
物語は、龍馬暗殺事件で一般的に語られる歴史に矛盾を呈するところから始まる。龍馬には二階奥の部屋に陣取り刺客対策をしているなど危機管理意識があった。にも関わらず抵抗した形跡がないなど不自然なところが多い。周囲の証言も矛盾だらけだという。これは、誰も真相が語れない大きな力が存在するのではないかと示唆している。
そして、龍馬の行動を追っていく。龍馬の脱藩は特殊任務であり諜報活動であったことが語られる。武士の世界では、脱藩は重大犯罪であり罪は家族にまで及ぶ。しかし、土佐藩からはお咎めなし。藩内にも自由に出入りできた。これはいかにも奇妙である。また、龍馬のような下級武士が、いきなり歴史の表舞台に現れること自体が疑問であるという。幕末の志士に歴史のロマンを感じたり憧れを描いている人は衝撃を受けるかもしれない。ただ、明治維新のような時代に数々の陰謀が取り巻いてもなんら不思議はないのである。
時代背景は、幕末の志士達は欧州列強から国を守ろうとした。自由貿易で近代文化を取り入れる必要があり開国へと走った。英国もまた自由貿易により影響力を増したかった。英国から見れば、幕末の志士達は反体制テロリストにでも見えたことだろう。武士の魂を葬り東洋の島国を転覆させようなどと考えていただろう。いずれにせよ、双方とも攘夷派を一掃しようと考え利害関係は一致していた。これは一般的な歴史が示している通りである。数々の歴史本では、幕末の志士達は西欧の自由や平等という価値観に憧れたことが語られるが、フリーメーソンが持つ神秘性となんとなくつながりそうだ。また、同じ島国でもある世界最強の大英帝国に学びたいと憧れたりもしただろう。大英帝国こそ大日本帝国の産みの親かもしれない。
では、その黒幕とは?「石の扉」でも取り上げたトーマス・グラバーである。幕末の志士達が英国へ留学できたのもグラバーの支援による密航であると語られる。
幕末当時活躍した藩と言えば、薩摩藩と長州藩だろう。おいらは、幕末の大改革に、なぜ遠く離れた薩摩藩が主役になれたのかという疑問を持っていた。江戸時代の藩の収入は石高で決まる。貿易でも収入を得ていた薩摩藩は自由貿易の大切さを知っている。外国と密かに交流していたからには情報の優位性もあったであろう。薩摩藩と言えば、西郷隆盛が主役で、島津斉彬、大久保利通などとつづくが、大阪実業界トップにも君臨した五代友厚の扱いは地元では低いらしい。本書では、五代がグラバーの秘密工作員だったという仮説を述べている。グラバー邸は、倒幕の志士たちの隠れ家となっており、五代もその一人であるという。実は幕府と倒幕派には秘密ルートがあったこと、倒幕派でも武闘改革派と無血改革派があり、これら全てがグラバーで結びつく様子が語られていく。
五代の活躍に生麦事件の処理を紹介している。
薩摩藩の大名行列に英国人が通りかかったところを藩士が無礼打ちした事件である。この代償に軍船を明渡した疑いがある。西洋の近代兵器と戦ったところで勝ち目がないと見て、頑固な薩摩藩の意地を立てて密かに英国と取引したものである。
長州藩については下関事件を取り上げている。
歴史では、和平交渉が決裂し英仏米蘭の連合艦隊に一斉砲撃したことになっている。しかし、実は和平交渉は儀式であり英国側の真意は攘夷派撲滅の口実がほしかっただけだったという。平和を求めたが蹴られたという既成事実を完璧に演出したのである。これは欧米の伝統的手法なのか?酔いがまわってきたせいか真珠湾とイラクを思い重ねてしまう。
やはり外交手法については、日本は伝統的に遊ばれているようだ。日本の政治が三流と言われる原因は外交交渉だけではないだろうが、民主主義の世界では、政治的に優位に運ぶためには要望だけでは戦術にならない。無理やりにでも何らかの正当と思わせる理由が必要である。それが議会を動かす力であり他国への説得力である。理由付けを作る諜報活動も民主主義が生み出した高等技術と言えるだろう。現に英国は幕府側の人間ともうまく情報交換していたらしい。表向きは中立の立場をとっていたが諜報活動に余念がない。結果的に幕府側は英国の術中に嵌った。さすが最先端の民主主義国家である。英国政府は、誇り高き武士に気づかれなぬよう、あくまでも秘密裏に事を起こしている。本書は、明治維新を起こさせたグラバーとアーネスト・サトウの英国諜報ラインを暴いた感じである。各藩を倒幕派に走らせた駐日英国公使ハリー・パークスの巧みな倒幕工作と合わせて語られる。日本中を軍艦で脅し回って、残ったのは会津、長岡、南部、二本松などいずれも内陸で英国軍艦を目撃できない所か、海に面していても英国軍艦が立ち寄れない小港をかかえる藩である。歴史は英国の武力に屈した感がある。
いよいよ、龍馬暗殺事件の結末に迫る。
本書は、薩長同盟における坂本龍馬の影響がどれほどあったのか?疑問を投げる。そもそも脱藩した下級武士がそれほどの仲介ができるのか?やはり黒幕はグラバーということになる。
歴史では、坂本龍馬と中岡慎太郎の2人は京都近江屋に滞在中、京都見廻組に襲撃されたことになっている。免許皆伝の凄腕の二人が反撃の間を与えずに暗殺されている。龍馬に至っては拳銃を撃つ暇も与えていない。また、隊長がやられたというのに事件直後陸援隊も海援隊も騒いでいない。本書は改革派が分裂していた仮説を持ち出す。無血改革派と武闘改革派の対立である。目的が一致しても方法論をめぐって対立することはよくある。
まあ、そんな内輪揉めはいいとして肝心の2人を暗殺した奴は誰やねん?
なにー!ジェフリー・アーチャーばりじゃん!
なぜそう思ったかって?たまたま「ケインとアベル」を観ただけのことで特に意味はない。
本書は、幕末の志士の誰がフリーメーソンだったかという証拠はないが、フリーメーソンによって影響されたのは確かであると語られる。いったい明治維新とは日本人にとってなんだったのか?「君が代」の元曲でさえ英国人の作曲であるとしめくくっている。
日本は大英帝国にあやつられて近代化した様子が語られているのだが、見解はもう一つあるだろう。日本が大英帝国を逆利用したとは取れないだろうか。この時代、西欧のご都合主義で、植民地化が進む中国人は正直者で、自立を目指した日本人は信用ならないというのを昔本で読んだのを思い出す。
W.リップマンは書籍「世論」の中で、陽気なアイルランド人、論理的なフランス人、規律正しいドイツ人、無知なスラブ人、正直な中国人、信用ならない日本人、などの固定概念を持っていると記している。
本書を読んで日英同盟までの歴史は描かれた筋書きのように思える。英語が国際語となったのは第二次大戦で米英が勝ったからと言う人も多いだろうが、キリスト教の宣教活動とフリーメーソンの役割は大きいだろう。本書で語られる数々の仮説が全ての矛盾を解明しているとは到底思えない。ただ、一般的に語られる歴史よりも説得力を感じるのは、アル中ハイマーがただの酔っ払いだからかもしれない。
2007-07-22
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 コメント:
あの本は、図書館で借りて夢中になって読みました。高校時代に司馬の「龍馬がゆく」を読み、感激はあったものに何か不思議なイメージがあったものです。サラリーマンになり、組織を経験すればするほどあの挙動はありえない。不思議すぎると思えたものです。加地の龍馬像が、よほど生きている自分の体感と重なり、リアリティがあるんですね。司馬の成功は、けして否定しさることは出来ませんが、この「あやつられた龍馬」が描く人物像は、傑作だと思いました。
としひろさん。
こんな僻地のブログへのコメント、どうもありがとうございます!
そうですねえ。本書は、龍馬暗殺事件の結末が突飛で、歴史への挑戦という感じがしています。
完全に論理立てられているとは思いませんが、一つの可能性を提言しているところに感銘を受けました。
コメントを投稿