2008-05-06

"物理数学の直観的方法" 長沼伸一郎 著

なんとなく本棚を眺めていると、一つの本に目が留まった。本書は遠い昔に読んだような気がする。この際、連休を利用してパラパラっと読み返してみよう。こうしてみると記憶力が無いのも良いことだ。なにしろ、昔読んだ本が新鮮に思えるから得した気分になる。一年前に書いたブログ記事でさえ、今読み返すと新鮮に思える。これも記憶力の無い人間の特権である。このように昔の本を読み返したくなる気まぐれは、ブログを始めてしばしば起こる。これも悪くない傾向である。

アル中ハイマーは、大学時代に数学を挫折した。その引き金となったのがε-δ論法である。これは、大学初等教育でいきなり登場する。おいらは、落ちこぼれスプレーを浴びせかけられたゴキブリのように、ピクリともしなくなった。これにはダースベイダーによる陰謀が潜んでいるに違いない。お陰で、数学は大嫌いになり暗記科目となった。皮肉なことに、数学ができないことが、現在においても仕事の幅を狭くしている。
学生時代は、厳密こそが数学であるといった風潮が蔓延り、感覚的に手助けしてくれる手段を見つけることが難しかった。数学の授業では、難しい数式を証明することに専念して、目的や使い方を説明したものに出会ったことがない。物理学には興味が持てても、数学的表現となると拒否反応を起こしたものだ。最近でこそ、理系離れが叫ばれる中、感覚的にイメージしやすい本をよく見かけるが、当時は、直観的な視点を与えてくれる本が少なかった。本書は、落ちこぼれのおいらにとっては、再勉強できるありがたい存在である。著者は次のように記している。
「人間の頭脳のもつ最大のパラドックスは、理解することに関しては複雑なことよりも簡単なことの方が分かりやすいが、自分で発想を得ることに関しては、複雑なことよりも簡単なことの方がはるかに難しい。」
常々疑問に思うことがある。どんな分野であれ学者というのは、本当に理論の根本をイメージできているのだろうか?彼らは、難しい表記を使って、素人に理解できないのは当り前というように振舞う。厳密性が要求される数学では、極度に分かり辛い表現を使うのは仕方が無いことかもしれない。しかし、少々厳密さを犠牲にしても、理解を手助けするための方法があっても良いだろう。ただ、本書は昔はおもしろいと思ったのだが、今読んでもそれほど感動しない。逆にイメージし辛いところもある。酔っ払いの味覚も随分変わったものだ。

本書の印象で、今でも残っているのはエントロピーの概念である。おいらの学生時代は、エントロピーという言葉が流行った。エントロピー増大とは、どっちの方向だっけ?と、しばしば混乱した。一般的には、粒子が散らばる様子から「乱雑さ」と表現される。ただ、本書は、エントロピーの数学的表現は、乱雑さよりも、むしろ、「平等さ」や「平凡さ」と言った方が良いという。単に言葉の使い方と言ってしまえば、それまでだが科学的な表現にそんな曖昧さは許されない。したがって、ほとんど暗記で誤魔化していた気がする。情報理論においては、エントロピーは平均化を示す。熱力学では、熱機関とその仕事について調べる過程で登場し、気体が分散する現象を見れば、それは乱雑さと捉えるのも不思議ではない。ここでおもしろいのは、エントロピー増大の法則では、温度が掛け算で変化するのに対して、熱量が足し算で変化する関係を示している点である。熱力学のエントロピーとは、熱量を加算した時、それが温度を何倍したかを示す指標とも言える。エントロピーの概念がlogと密接な関係を持つのも、数学的には足し算と掛け算の橋渡しをしていることが、うなずける。エントロピーが乱雑さを示すものであるならば、人口増加の現象も説明がつきそうだ。職業が多様化し、人生が多様化する。エントロピーが平等さや平凡さを示すものであるならば、凡庸な人間による政治運営も、エントロピー増大の過程と言える。民主化や自由化もエントロピー増大の最たるものである。では、人々が社会への意欲を失い、平和が蔓延していく過程もエントロピー増大の現象であろうか?人間社会も、エントロピー増大の法則に従い、凡庸で複雑系に向かう運命にあるのだろうか?

1. テイラー展開
テイラー展開は、一次までの近似であれば、単なる導関数である。これが、二次以降の項があってややこしいから、落ちこぼれには丸暗記するしかない。そもそも、階乗記号がビックリマーク(!)だから驚くのである。ただ、二次以降も、同じように近似されているだけである。本書は、そうした幾何学的イメージを与えてくれる。

2. exp(iπ) = -1
数学界で最も美しいとされる奇妙な公式である。これのeとiの意味を、昔の船の航海術でイメージを与えてくれる。exp(iπ)を微分したものが速度で、iはその地点の方向で、直角に向きを変えると考える。そして、少し移動するたびに原点を中心に直角方向へ向きを変えれば、自然と円軌道を描く。そしてπだけ移動すれば、必然的に-1になる。

3. 電磁気学
おいらは電磁気学で赤点を取り、苦労した科目の一つである。ベクトル解析では、divとrotが登場する。ここで扱っているのは、rot(回転)である。これは、z方向に回転させるのに、y方向に対してxで微分し、x方向に対してyで微分し、しかも、その差という奇妙な形をしている。ただ、暗記しやすい形をしているので誤魔化すにはOK!。本書は、ベクトル場を水流と考え、その中にある微小な水車の回転速度と解釈する。そして、y方向の成分を流量とした時に、xの地点と、微小地点x+dで、流量が違えば、その間にある微小の水車は回転する。x方向の成分も同様に、yとy+dの地点を考えれば水車は回転する。電磁場では、水車の回転軸を磁力線と考えるとイメージしやすい。

4. ε-δ論法
これには、蕁麻疹が出る。ただ、本書は、数学科の人間以外で使うことはないから、気にする必要はないと言ってくれる。そもそも、この論法が登場したのは、あまりにも多くの微分方程式が解けないという背景があるらしい。そこで、不等式を多用した間接的アプローチが登場する。まず、広範なレベルで関係付けて、極小へ近づければ、その正確な関係が解明できるだろうという発想である。概念的には、それほど難しいとは思わないし、関数の連続性を調べるのに便利な道具であるが、無理やり難しくした挙句、使い方もわからなくしている気がする。ただ、こうした手法では、しばしばパラドックスが生まれる。本書はアキレスと亀の話を紹介している。永遠にアキレスは亀を追い越せないという話である。ちなみに、このような話はごろごろしている。例えば、ある地点に到着するために、まず半分の距離だけ進む、そしてまた残りの距離を半分だけ進む。これを繰り返して、極限に近づくのだが、永遠に目的地点には到着できない。こうした世界は、数学者を無限の概念と対峙させることになる。

5. 複素積分
複素関数論のもともとの目的は、実数関数の積分値を求めることだという。その手段として、一度複素数を経由する。複素関数は、変数に複素数を与えるもので、もともとは実数関数である。では、積分を複素数に拡張することのメリットとは?複素積分には、驚異的な性質があるという。それは、関数から定まる特異点があれば、積分路がその特異点を内側に取り囲む閉曲線である限り、積分路がどうであっても積分値は変わらないというのである。余計な部分は、複素平面上の計算でキャンセルされて消えるらしい。確かに、一周積分では、値がキャンセルされて0になる。では、値が0にならない時は、どういう時か?それが、特異点を内側に取り囲む時というわけである。特異点とは、複素関数の値が無限になるところである。よって、特異点が存在しない関数に対して、複素関数を適用しても効果はない。

6. 解析力学
ニュートンの解いた最高降下線の問題とは、二点間で球が転がって降下する時、最も短時間で降下する経路はどうなるかを問うたものである。この曲線はサイクロイドになることが知られている。光学におけるフェルマーの原理に、光が通過する経路は、時間が最小となる経路に沿って進むというものがある。解析力学は、この考えの力学版であるという。その中で、ラグランジアン(ラグランジュ関数)とハミルトニアンの関係も紹介される。昔読んだ時は、いつかはチャレンジしてみたいと考えたものだが、いまだに放置したままである。

7. 行列式
三体問題と複雑系の例を行列式で表すことにより、数学の道具のパワーを見せつける。現在の状態をベクトルで表し、これに条件である行列を掛けることで、次の状態を表す。複雑になればなるほど、ベクトルの要素が増え、行列の要素も増えるのは当り前である。また、逆行列を掛ければ、過去へもさかのぼれる。この道具は、ひょっとすると原理的に宇宙そのものを表現できるかもしれない。ただ、最大の問題は、この行列式の正体を、どのように具体化するかである。行列の難しいところは、その行列をN乗した場合、それぞれの要素のN乗したものとは異なるものになることである。ところが、これが対角行列となると話が違ってくる。対角化さえできれば、演算数を大幅に減らし、実際に解ける可能性が出てくる。微分方程式も対角化できれば解ける。対角化は、固有値問題のありがたみも匂わせる。固有値の目的は、それを使って行列の対角化ができると見ることができる。ある行列に固有値と固有ベクトルが求まる絶妙なケースが見つかれば、標準形に持ち込めるのである。

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