2009-08-02

"年代記(上/下)" タキトゥス 著

10年ぐらい前から読もうと決意していたが、なかなか読む気になれないでいた。それは、ローマ帝国時代の二代目ティベリウス帝からカリグラ帝、クラウディウス帝、ネロ帝の4人の皇帝を題材にしているところだろうか(紀元14年から68年の55年間)。目立った動乱もなく平穏な時代に映るので、退屈する読み物と思っていたからである。ところが、どうしてどうして!タキトゥスは、カエサル、クラウディウス家にあって、なぜこの時代を詳述したのか?その答えがいきなり記される。それは、古代ローマ時代の栄枯繁栄については優れた歴史家の記録がある。初代皇帝アウグストゥス時代しかり。しかし、それ以降については、元首の生存中は恐怖から曲筆され、元首の死後であっても恨み憎悪から編纂されたという。そこで、アウグストゥスについては簡単に最期を述べ、その後の四代に渡るローマ皇帝の歴史を、怨恨も党派心もなく述べてみたいと語られる。そこには、粛清とも恐怖政治とも言うべき、ローマ帝国が腐敗へと向かった様子が克明に描かれる。ちなみに、「年代記」は全18巻あるらしい。ただ、途中の7巻から10巻と17,18巻は消滅し、三分の一ほど失っているのは残念!本書は現存する16巻までを上下巻に分けて掲載される。

タキトゥスはローマ帝国の最盛期を生きた歴史家である。また、元老院議員になり、執政官にも就任し、属州統治者にまで出世した政治家でもある。彼の著書「ゲルマーニア」は、その観察力に魅せられたものだが、ここではかなり違ったイメージがある。彼の代表作は、むしろ晩年に記された「年代記」の方なのだそうな。その内容は、賄賂、不倫、近親相姦、冤罪、そして、暗殺、自殺の強要、死罪に追い込む謀略など汚い言葉を並べれば切りがない。更に続けるなら、血筋の夭折それも奇怪な死、不貞の皇后、風俗の乱れと腐敗した皇帝家... あらゆる人間の醜態を曝け出すかのような物語である。女性が活躍する時代は平和な時代の証でもあり、人類にとって良い時代だと思っていたが、その考えは2000年以上前の歴史書によってあらためさせられることになる。クラウディウス、ネロの時代になると更に泥沼化し、悪業も大胆で巧妙化する。まるで歴史書が推理小説化していくようだ。卑屈な態度を続ける元老院の隷属じみた様子には、何かに憑かれたような愚痴っぽい記述が加速する。ネロ帝の記述では、元老院のへつらい振りを次のように嘆く。
「このような決議を私はいったいいつまで述べてゆくつもりだろう。さよう、これを最後にしよう。しかし、この時代の不幸を、私の著述やほかの歴史家を通して知ろうとする人々はみな、あらかじめ次の事実を承知しておいてもらいたい。すなわち、元首が追放や死を命ずるたびに、いつも神々に対する感謝の儀式が執りおこなわれたということ。そして、かつては慶祝事と関係したこの儀式が、当時にあっては国家の不幸の象徴となっていたということである。」
岩波文庫「ナポレオン言行録」では、ナポレオンはタキトゥスが言うほどローマの皇帝たちは悪くはなかったと弁明している。なるほど、本書はローマの皇帝時代を暗黒時代とでも言うように綴っている。
ところで、ローマ帝国の衰亡の原因をどこに求めるかは議論の分かれるところであろう。そもそも滅亡の時期にしても、その原因にしても特定することは難しい。直接の原因、あるいは表面的な原因として蛮族による反乱、特にゲルマン人の移動に見ることはできる。しかし、本書を読んでいると、この時代に既に魔の手が忍び寄っていたと思わせる節がある。タキトゥスは、ローマの行く末を予想したのか?それともそれを阻止しようとしたのか?今となっては想像するしかない。

歴史書でいつも問題とされるのは、客観性の評価であろう。本書の中でも、タキトゥスは先人たちの史書に対して批判的な態度を見せる。元首政治による自由の圧迫とそれに由来する道徳的退廃を強調するあたりに主観性が混ざっているものの、客観性にこだわった努力は随所に見られる。これが、どこまで科学的、客観的に分析されているかは、専門家によっても意見が違うようだが、当時の歴史分析としては、かなり高いレベルにあることは間違いない。ところで、完璧に主観が排除された歴史書って存在するのだろうか?歴史家の解釈を全く排除するのも、その使命を放棄しているように思える。歴史事象を、ありのままを羅列するだけであれば、せいぜい最寄の因果関係を示すぐらいしかできないだろう。現在ですら原因を特定できないものが多いのだから、歴史の解釈が時代によって変化するのも仕方がない。あまり主観ばかりでも困るが、多少の主観の入り込む余地を残し、あとは読者に任せるしかなかろう。宇宙は、こうした実に多くの相反する概念に支配される。これを矛盾と捉えるか、対称性と捉えるかによっても思考方法が変わるだろう。主観の程度を議論したところで永久に解決を見ないだろうが、本書のレベルであれば、現代感覚でも十分価値あるものと評価できる。おまけに、政治が腐敗しきると民衆は嫌気がさし、独裁的な暴走的な政権を許す危険性があることを露骨に再現している。現代風に言えば、政治家たちのみっともない応酬の中で、官僚独裁が完成しつつあるといったところだろうか。

1. 古代ローマ
「太古の人は、性悪な欲望も破廉恥も犯罪も知らず、したがって、罰も取締りもなく暮らしていた。そして、美徳がそれ自体のもつ価値のため求められていたので褒賞は不要であった。誰一人として習慣に悖る行為を欲しなかったので、恐怖心に訴える罰則は全く無用だった。ところが、平等性が奪われ、謙遜と廉恥心に代って野望と暴力がのさばるようになって以来、専制君主が現れ、それが多くの国民の間で恒久化される。」
ローマの伝説的な起源は紀元前753年とされる。都市国家ローマはその起源から王に支配されていた。やがて、国家は法律を欲する。これらの法は始め素朴な精神にふさわしく単純であった。そのうちで最も名高いものが、ミノスがクレタ島民に与えた法律と、リュクルゴスがスパルタ人に与えた法律であり、次いでソロンがアテナイ人に洗練した複雑な法律を与えた。ローマでは、ロムルス(伝説の初代ローマ王)がその意志のまま命令していたが、ヌマ(二代)は宗教的規約と神聖な掟で国民を縛る。次いでトゥッルス(三代)とアンクス(四代)は、これにいくつかの新しい要素を加える。しかし、セルウィウス・トゥッリウス(六代)こそ、最も卓越したローマ法の制定者であるという。彼の法律は王ですら服従せねばならなかったからである。紀元前509年に、タルクィニウス(七代)が追放されると、自由と執政官による共和制が敷かれる。「古代ローマ」と言えば、この共和制時代を指すようだ。これはルキウス・ブルトゥスが創設した。とはいっても、期限付の独裁官制度で一時的な手段に過ぎない。次いで十人法官が生まれ、それ以前の優れた法を引用して十二銅板法が作られる。これが、不偏不党の法律の最後だったという。これ以降の法律は、階級闘争の道具といった邪悪な意図で暴力によって制定されることになる。十人法官に絶対権力を与えられたが、二年以上は続いていない。ルキウス・キンナやルキウス・スッラの専制も短命で終わる。第一回三頭政治では、カエサルとポンペイユスとクラッススが覇権を争って、カエサルの手に帰す。第二回三頭政治では、オクタウィアヌスとアントニウスとレピドゥスが覇権を争い、オクタウィアヌスの手に帰す。カエサルの暗殺後、内乱が起こるが、オクタウィアヌスが養父カエサルの後を継いで勝ち抜き「アウグストゥス(尊厳なる者)」の称号を得て、初代ローマ皇帝となる。

2. ティベリウスが帝位に就く
ブルトゥスとカッシウスが倒れてからは国家に軍隊は存在しなかったという。というのも、三頭政治からの軍隊を私軍と呼んでいたようだ。元老院ではカエサル党とポンペイユス党で対立するが、やがてポンペイユス党が倒れカエサル党で生き残ったのはアウグストゥスのみとなる。アウグストゥスが独裁者となっても誰も反対しなかったという。権力者どうしの確執から横行する暴力や陰謀で、民衆も嫌気がさしていたからである。独裁制によって古くからある共和政の慣例は全て失われた。ただ、平等を奪われたにもかかわらず平和が維持されたために民衆は不満を持たなかったという。アウグストゥスには十分な後継者がいたにもかかわらず、なるべく多くの後ろ盾を得るために養子を入籍させていた。ティベリウスもその一人。多くの後継者が他界したのは陰謀なのか天命なのかは怪しい。結局、生き残ったのがティベリウス、そこには冤罪で消された者もいる。その頃、ゲルマニアとの戦争を残して全ての政治上の問題は解決していた。ティベリウスの母リウィアは、晩年のアウグストゥスを完全に牛耳っていたという。リウィアは、後継者のライバルたちを陰謀によって排除する。ただ一人の孫アグリッパ・ポストゥムスをプラナシア島に追放させたほどである。アグリッパは逞しい体力を愚かにも自慢するだけの教養のない人物だったという。アウグストゥスは、病状が悪化すると親友ファビウス・マクシムスをともないプラナシア島に赴き、アグリッパと互いに涙と愛情のしるしを交わす。この会談の模様は、マクシムスから妻マルキアへ、マルキアからリウィアへ漏れる。しばらくしてマクシムスは死ぬが、これが自殺だったかどうかも怪しい。ただ、葬式で妻マルキアが自らを嘆き悲しんだというから、情報を洩らしたことを責めたとも解釈できる。それはさておき、ティベリウスがアウグストゥスの元にかけつけた時、既に亡くなっていたかは不明であるが、アウグストゥス逝去と同時に万事は整えられ、ティベリウスの政権獲得が発表された。新しい元首の最初の悪業は、アグリッパ・ポストゥムスの暗殺である。ティベリウスは元老院で、アウグストゥスの遺言で殺すように命じられたかのように振舞う。アウグストゥスがティベリウスの安泰のために孫を殺させるなど誰も信じない。むしろ、ティベリウスとリウィアが共謀したと考える方が自然であろう。しかし、元老院はこれを承認する。この頃、執政官も元老院議員も騎士階級も、卑屈な服従に陥ったという。地位の高い人ほど、うろたえて本心を晦ます。まさしく暗黒時代の幕開けである。ゲルマニア人との戦争で勝利した時、ローマ軍将兵はアウグストゥスへ畏敬の念を抱くが、元老院はティベリウスの嫉妬心を恐れる。ティベリウスは世間の噂を気にして、国家から要請されて自然に帝位についたように振舞う。あらゆる都合の良い主張を第三者に発言させ、自らは穏健な態度を見せる。元老院が瀕死状態とはいえ、まだ自由の精神があったという。しかし、本質を隠蔽した自由の仮面が、将来いっそう恐ろしい圧政へと急変させることになる。ティベリウスは、しばしば次のように呟いたという。
「いつでも奴隷になり下がろうとしているこの人たちよ!」
ティベリウスですら議員の奴隷根性を嫌悪していたわけだ。やがて元老院は隷属から迫害への運命をたどる。

3. ゲルマニクスの夭折
カエサル家は、兄ゲルマニクス派と弟ドゥルスス派で二分されていた。ゲルマニクスは養子なので、ティベリウスは実子のドゥルススを引き立てる。ゲルマニクスの父の名もドゥルススというからややこしい。ちなみに、ティベリウスの父はティベリウス・クラウディウス・ネロで、養子になる前は同名を名乗っていたという。カエサル家の家系図を見渡しても、実子と養子が入り混じり、同名が多く連なるので目が回る。ゲルマニクスは司令官としてゲルマニア人と戦った。ティベリウスはゲルマニクスの名声を利用して、民衆の人気を取り付ける。そして、利用した後にあらゆる手段でゲルマニクスを抹殺しようとする。その機会をこしらえたかどうかは不明だが、少なくとも偶然の機会をものにする。元老院は東方の動乱を静めるためにゲルマニクスを派遣する。ゲルマニクスは、友人に優しく、一人の妻を通したという。たびたびゲルマニア人を撃退したにもかかわらず、奴隷に鞭をかけることができなかったのも、人柄の現れであろう。また、アレクサンドロス大王の運命と比較されるほど、武人としても尊敬されていたという。ゲルマニクスの死には、シリア総督ピソが毒を盛ったという噂が広まる。ゲルマニクスの葬儀で、民衆は「共和国は倒れた!すべての希望が消えた!」と嘆いたという。結局、ピソがティベリウスと謀って毒を盛ったのかどうかは分からない。ただ、ティベリウスはピソの噂を無視して快く迎えている。しかし、ゲルマニクスを慕い、ピソに我慢のならない人々も多い。ピソは訴訟を起こされる。直接ゲルマニクスの復讐を見せるわけにはいかず、ピソは過去の行為を弾劾される。軍隊の買収、属州を悪の中に放置したこと、最高司令官に侮辱的な行為があったことなど。だが、肝心のゲルマニクス暗殺の証拠は示すことができない。間もなくピソは死ぬが、刺客によるものか自殺なのかは不明。ただ、ティベリウスの命じた暗殺の書簡をピソが持っていたという噂が流れる。

4. セイヤヌスの陰謀
ティベリウスは残忍になっていく。その原因は護衛隊長アエリウス・セイヤヌスにあるという。セイヤヌスは唯一の信頼者で相談役。彼は表面では平静を装い、内心では強い権力欲を持っていた。ティベリウスはセイヤヌスを極度に寵愛して、その言いなりになる。当時カエサル家には後継者で満ちていて、男盛りの嫡子や成年に達した孫たちが、セイヤヌスの野望を妨げていた。だからといって、一度に抹殺するわけにはいかない。まず、ティベリウスの息子ドゥルススから始めるために、ドゥルススの妻リウィアに迫る。彼女はゲルマニクスの妹で美貌だったという。のぼせあがったように見せかけて近づき不倫関係で縛り付ける。当時、女性の貞操を奪うと、そのまま言いなりになるという価値観があるそうな。セイヤヌスは妻を追い出しリウィアを安心させ、将来結婚して王位を分け合う約束をし、夫を殺すようにそそのかす。そして、効き目のおそい毒薬を選んで病死と見せかけた。次の後継者には、ゲルマニクスの二人の子供ネロ(後の皇帝とは別人)とドゥルスス(ティベリウスの息子とは別人)である。三番目のガイウス(後の皇帝カリグラ)はまだ幼少。リウィアは、ゲルマニクスの妻で二人の子供の母でもあるアグリッピナと対立する。リウィアがセイヤヌスと再婚すれば、セイヤヌスは騎士階級を越えることになる。アグリッピナは気性の強い女性で、血縁の危険に腹を立ててティベリウスに直談判する。セイヤヌスはアグリッピナを亡き者にしようとする。この頃、アグリッピナは毒殺されるという噂が流れた。これも精神的な嫌がらせだろうか?元首の家では様々な陰謀の噂があり、ティベリウスは孤独を求めるようになる。セイヤヌスは、ティベリウスに快適な土地で暮らすように巧みに説得し、カンパニアに隠遁させる。そして、ゲルマニクスの遺子を罪に陥れる。別人の告発者を仕立て、自らは公平な裁判官を演じる。セイヤヌスは弟ドゥルススを味方につける。もはや元首の地位は弟様のものです!といった具合に。ネロとアグリッピナは別々の島に流された。間もなくネロは死ぬが、殺されたか自殺を強いられたかは不明。次は、弟ドゥルススの番である。セイヤヌスはドゥルススの妻をたらしこみ野心を吹き込む。ドゥルススもまた公敵と宣言され地下牢に幽閉された。ティベリウスは、セイヤヌスの離婚した元妻からドゥルスス毒殺の経緯を詳しく聞いて、セイヤヌスと距離を置くようになる。セイヤヌスは、ティベリウスと後継者ガイウスを亡き者にしようと企てたが、逆にティベリウスはセイヤヌス派の処刑を命じる。

5. 恐怖政治
ローマにおいて高利貸しのもたらす不幸の歴史は古いという。これがたびたび暴動や内乱の原因になっている。道徳がさほど腐敗していなかった昔ですら利息規制があったという。例えば十二銅板法が、はじめて利息の上限を元金の12分の1に規定した。それまでは、利息は金持ちの勝手放題だった。その後、護民官の提案で24分の1に引き下げられ、ついには一切の貸し付けが禁止された。金持ちの奸策を民会議決で押さえつけても、巧妙な手口が発生する。この頃、すべての負債が一斉に回収され通貨が不足していたという。断罪された人々の財産が競売にかけられる。現金が元首金庫や国庫に滞っていたのも、その原因だという。債権者は返済を要求し、要求された人は嘆願する。その多さに法廷も混乱。その対策で、元老院は債権者に貸付総額の3分の1をイタリアの土地に投資するように命じる。しかし、債権者は回収した現金を貯めて、土地を買う機会を狙う。売り建てが多くなると土地価格が下がり、借財が多いほど売却に苦悩し倒産者が続出する。財産の破滅は地位や名誉を真逆な立場にする。有力者は生贄となり、以前の恐怖政治へと戻る。資産家への恨みは大きく、次々と告発される。
「表面は逆境に苦しめられているような人が、実はしばしば無情の幸福者であり、財産があり余っていても、そんな人はたいてい、悲惨極まりないのである。なぜなら、前の人は、茨の運命を不撓不屈の精神で耐えて行くからであり、後の人は、幸運の贈物を、前後の見境もなく使い果たすからである。」

6. ティベリウスの最期
ティベリウスは自らの最期が近いとみるや、後継者を誰にするか迷う。まず、孫たちの間から候補者を考えた。ドゥルスス(ティベリウスの息子)の息子ティベリウス・ゲメッルスは血と愛情において一番近いが、少年の域を脱しない。ゲルマニクスの息子ガイウス(カリグラ帝)は、血気盛んな青年で世の衆望を集める。カエサル家の外部から後継者を選ぶと、体裁が悪い。晩年のティベリウスは生存中の評判よりも死後の栄光を気にしていたという。ティベリウスは予言した。ガイウスがルキウス・スッラのあらゆる悪徳を身に付けても、美徳を持つことはできないだろうと。ガイウスの陰険な顔を見ながら年下のゲメッルスを抱きしめ、この孫を殺すであろうと。その予言は的中することになる。ティベリウスの肉体が衰弱すると、後継者選びは運命に任せるしかなかった。ティベリウスの呼吸は止まり天寿を全うしたかに思われた。ガイウスは統治の一歩を踏み出すために、祝賀にかけつけた群衆の前に姿を表す。ところがその時、ティベリウスが目を開いて元気を取り戻したという報せが入った。ガイウスは茫然自失で言葉を失い、最悪の事態を想定して先手を打つ。ガイウスの護衛隊長マクロは部下に、この老人の上に蒲団を山と投げかけ、かぶせたままにして部屋から出て来いと命じた。

7. カリグラ(ガイウス)の統治
カリグラは、ナポリ湾の別荘でティベリウスが永眠すると、護衛隊長マクロをローマに派遣して、元首継承を円滑にするように工作させる。ゲメッルスには自殺を強いて、あらゆる陰謀が企てられる。このあたりは、第7巻から第11巻に記されるはずだが、ほとんど失われているのが惜しい。カリグラは気違いじみた自己崇拝に陥ったという。双子神カストルとポリュックスの神殿を住居とし、神々の服装を身にまとう。アポロン神や軍神マルス、あるいは女神ウェヌスやディアナの扮装で歩き回る。また、彼自身の像を世界中の神殿に置くように命じた。シリア総督ペトロニウスは、ユダヤのエルサレム神殿の聖地にカリグラの像を安置せざるを得なくなる。ちょうど、現地人の反対にあって困惑していた頃、カリグラは護衛官に暗殺されて事なきを得る。

8. クラウディウスの統治
カリグラが暗殺されると、元老院が臨時召集され深夜まで論じた。共和制復活を唱える者もいれば、カエサル家以外から元首を選ぶべきだという意見もある。結局、結論が出ず散会。やがて、護衛隊がカリグラの叔父のクラウディウスを担ぐ。クラウディウスは、乱れたローマの再建に乗り出すが、その妻メッサリナが次第に有害をもたらす。メッサリナから睨まれた人間はことごとく殺される。彼女はガイウス・シリウスという美青年にのぼせてあがり無理やり別れさせ、独身の情夫として思うがままに操る。シリウスは恥知らずの行為と百も承知しているが、拒むと破滅するのは明らか。クラウディウスは鈍感で妻の尻に敷かれっぱなし。元首がいっさいの司法権と行政権を掌中にすれば、彼女にあらゆる略奪の機会を与えることになる。本書は、公認の市場では、弁護人の不実ほど、売れ行きのよい商品はないとまで記している。メッサリナは、抵抗もされない情事に倦怠感を持ち淫蕩のうちに落ち込み、シリウスとの二重結婚の生活に明け暮れる。いくら鈍感なクラウディウスでも薄々気づきはじめ、ついにメッサリナの処刑を命じる。次の妻の座をめぐっての争いも凄まじい。財産をなげうってアピールする女性が続々と現れる。最後まで残ったのが、執政官級のマルクス・ロッリウスの娘ロッリア・パウリナと、ゲルマニクスの娘ユリア・アグリッピナ。肝心のクラウディウスは側近の忠告を聞く度に、あちらこちらに傾く始末。結局、誘惑も手伝ってアグリッピナと再婚。アグリッピナは、元首の結婚をめぐって争った時からロッリアに敵意剥き出しに占星師や魔術師に呪わせる。そして、ロッリアの罪と告発者をこしらえて財産を没収し追放する。おまけに、護衛隊副官を派遣して自殺を強いる。ロッリアの周辺の人々も陰謀の渦に巻き込まれる。アグリッピナの息子ネロ(後の皇帝)が二十歳で執政官職に就く。ネロはクラウディウスから見れば養子。その一方で、メッサリナとの間の実子ブリタンニクスの境遇に同情する者も多かったという。

9. クラウディウスの死
クラウディウスは、アグリッピナの野望に従って、考えられる限りの虐政を強いられる。資産家の告発や執政官職への謀略など、ことごとく破滅させる。クラウディウスの晩年、不吉な前兆とされる現象が相次ぐ。軍隊の旗や天幕が雷火で燃えたり、カピトリウムの神殿の破風に蜂の大群が巣を作ったり、半人半獣の子が生まれたり。財務官、造営官、護民官、法務官、執政官が各々一人ずつ、わずか数ヶ月で死亡するという現象もある。こうした凶兆を誰よりも恐れたのはアグリッピナである。おまけに、クラウディウスが泥酔した時に「妻の罪に耐え、やがて罰するのが、予の運命だ。」などと洩らしたもんだから、クラウディウス毒殺が計画される羽目に。共犯者は侍医クセノポン。じわじわと衰弱させる軽い毒では陰謀に気づかれる恐れがあるので、精神を錯乱させ死期を遅らせるという微妙な効用のある毒薬を選ぶ。ところで、カエサル家には、独裁政治の道具として毒殺専門のロクスタという女性がいたらしい。アグリッピナは彼女を抜擢。ロクスタも後に毒殺のかどで処刑されることになるのだが。

10. ネロの統治
ネロの影で、競争相手はアグリッピナの奸策でお膳立てされる。ネロには二人の指南役がいたという。一人は軍人アフラニウス・ブッルスで忠勤さと厳格な私生活を説く。もう一人は、哲人アンナエウス・セネカで雄弁術と威儀作法を教える。アグリッピナの横柄な振舞にも二人は結束して対抗した。アルメニアの使節が嘆願を訴えてきた時、アグリッピナが最高司令官の座に昇って、ネロといっしょに謁見しようとすると、周りの人々は恐れから立ちすくむ。だが、セネカはネロに忠告してその醜態を未然に防ぐ。クラウディウスは優柔不断さゆえに、不義な結婚と致命的な養子縁組を強いられて身を滅ぼした。しかし、ネロはおめおめと屈するタイプではない。歴代の元首のうちで、他人の雄弁術を必要としたのはネロが最初だったという。独裁者カエサルにしても、アウグストゥスにしても雄弁家であった。ティベリウスも、言葉を考慮吟味する才に熟達していたという。カリグラやクラウディウスにしても、演説の中に洗練された文体を見つけることができる。だが、ネロの精神は、雄弁術よりも彫刻、絵画、詩歌、馬術に向かったという。ネロの中で母アグリッピナの影響力が次第に崩れていく。アクテという解放奴隷の女と恋に落ちたからである。ネロの妻オクタウィアは高貴で貞淑の評判も高いが、嫌悪し遠ざける。アグリッピナは、解放奴隷の女を嫁にすることに反対であるが、息子からの疎遠を嫌って下手にでた。ネロはその豹変ぶりに騙されない。ついにアグリッピナは、正当な後継者はブリタンニクスだ!と言い出す。養子のネロは母を虐待し統治権を乱用していると言いふらす。すると、ネロは義弟ブリタンニクスの存在を不安に思い毒殺する。元首やその家族らと一緒に食卓を囲んでいる中での毒殺に、周りの人々は震え上がる。これを目の前にすれば、さすがのアグリッピナも恐れた。

11. アグリッピナの暗殺
ネロは元首の地位に長く就いていると次第に大胆になる。次に、ポッパエア・サビナという女性と恋仲になる。ポッパエアとの結婚を母アグリッピナが許すわけがない。クルウィウス・ルーフスの説によると、アグリッピは権力を維持したい衝動から、饗宴の席で酔ったネロと接吻したり、不倫を迫るといった醜態を見せたという。これは、元首の不名誉であり、もやはアグリッピナはネロにとって危険な人物となる。ファビウス・ルスティクスの説では、不倫を迫ったのはネロの方だという。クルウィウスの説は、他にも典拠されているので、巷ではこちらが有力とされるらしい。そういうわけで、ネロは母と二人っきりで会うことを避ける。そして、暗殺を目論むが、ブリタンニクスの例があるので偶然の出来事にするのは難しい。また、アグリッピナ自身も、食前に解毒剤を服用して身の安全を計る。そこで、アニケトゥスという解放奴隷が、船に乗せて海難事故に見せるのはどうかと進言する。ネロはこの案を気に入る。ちょうどミネルウァ祭で、ネロはバイアエに行く慣わしがある。そこに母も招待すれば、息子が改心したと母を喜ばすのにもってこい。そして、船を一気に沈めようとしたが、機敏さを欠きゆっくりと沈む余裕を与えてしまった。側近が「私はアグリッピナです。」と言って身代わりになり、アグリッピナは漁夫の小船に助けられる。母が助かったと知ったネロは復讐を恐れる。母はこの事件を暴露して元老院と国民に訴えるに違いないと。ネロは先手を打って刺客を送って殺害し、母が元首を暗殺しようとしてその罪の発覚を恐れて自害したという話をでっちあげた。アグリッピナには、自らの死を覚悟していた節があるという。あるとき、占星師に占ってもらうと、「ネロは政権をとるだろう。そして母親を殺すだろう。」と答えが出たという。しかも、彼女は「ネロが天下をとれば、私を殺してもよい」と言っていたという。ネロは元老院で母の罪をクラウディウス時代にさかのぼって追求した。

12. ネロ祭
母の死以来、ネロはあらゆる欲情に没頭した。いままでもそれほど抑制していたわけではないが、ネロはまだ公の場で身を汚そうとはしていない。しかし、「青年祭」と呼ばれる祭典をつくり、自ら登場しあらゆる階級に渡って人々を堕落させる。自らの恥さらしを人々の下劣な行為によって慰めようとでもするかのように。上流階級の婦人までもが下品な台詞を吐き、盛り場や居酒屋を設け、祝儀がばらまかれ民衆に浪費させた。次第に背徳と汚辱が幅をきかす世となる。当時の光景を、清潔潔白を保つのは難しく、悪徳を競い、純潔とか廉恥心とか、いかなる良風美俗にせよ、それを守ることは不可能であったと回想している。また、ギリシャの競技祭を手本にローマ五年祭を創設した。これはネロ祭と呼ばれ、費用は国家から捻出される。

13. セネカの隠退
国家の悪弊が募っていく中で、矯正する力も失っていく。まず、ブッルスが世を去る。病気か毒殺かは不明。ブッルスは呼吸障害を起こし窒息死したから病死と推定する人がいるが、ほとんどの人はネロの陰謀説を信じたという。市民は長い間、彼の死を惜しむ。元首にとって善良な両輪の片方を失うと片方も崩壊する。セネカは、多くの蓄財のために反感を買っていたので、ブッルスの死に乗じて性悪な連中の攻撃対象とされた。ネロはセネカを敬遠するようになる。セネカは権威者の生活を捨て都にめったに姿を見せなくなる。セネカが失墜すれば歯止めがなくなる。ネロの悪行は元老院で善行と見なされるようになる。オクタフィアを追い出し、ポッパエアを妻としてからは尻に敷かれる。オクタフィアの召使をそそのかし、奴隷と密通したと讒訴させる。オクタフィアの一部の下女は拷問に屈して偽りの罪を認めたが、大部分は女主人の貞節を頑固に弁護した。にもかかわらず、オクタフィアはカンパニア地方に追放される。民衆は公然と批難した。民衆は社会的地位がないので危険がないから言いたい放題。その時なぜか?ネロは自らの不正を後悔し、オクタフィアを呼び戻して再び妻としたという根も葉もない噂が広まって騒動は鎮まったという。オクタフィアは死を命じられる。縄で縛り上げ四肢の血管を切り開かれる。恐怖のため血管は締め付けられ、血はぽとぽと滴る程で、死に至るまでに時間がかかる。それで、発汗室の熱気にあてて窒息させる。おまけに、首を斬りポッパエアに見せた。これに恐怖した元老院は、神殿の感謝の供物を捧げることに決議したというから呆れるばかり。ちなみに、後のポッパエアの死は、なにかのはずみでネロが腹を立てて足で蹴ったためだという。史家には毒殺説を唱える人達がいるが、著者は信じてない。話の流れからすると毒殺でも不思議はないのだが、ネロは妻との間で子供を欲しがっていたという。

14. ローマの大火
ネロがヴェネウェントゥムに立ち寄った時、ウァティニウスという者が剣闘士の見世物を盛大に催していた。この男はネロの宮廷におけるもっとも醜悪な怪物の一人だという。最初なぶりものとしてカエサル家にかかえられるが、やがて著名な人々を讒訴して大きな勢力を持つ。ネロは公の場で饗宴を繰り返し浪費するようになる。中でも、正気の沙汰とは思えぬ浪費で、最も悪名を馳せたのはティゲッリヌスの膳立てした饗宴である。アグリッパ浴場の人工池に、饗宴を張って幾艘かの船に引かせて漂わせる。船は黄金や象牙で飾られる。池の土手には娼家を建て名門の婦女子で満たす。その対岸には淫売婦が素っ裸で、立居振る舞いは卑猥。ネロはあらゆる淫行で身を汚し、これ以上堕落のしようがないほどの背徳の限りを尽くす。この後、すぐに大火事が起こった。最初に火の手が上がったのは、大競技場の外側に出店が並ぶあたり。燃えやすい商品を陳列していた店が密集していたので火勢は強く、風にもあおられ炎は大競技場を包む。当時のローマは幅の狭い道があちこちに曲がりくねって、家並も不規則だったから被害を拡大する。ネロは、自分の財産を拠出して復興宣言する。奨励金制度を設け、地位や財産に応じた金額を貸し付けた。水道は、それまで個人が勝手に横取りしていたので、監視人を置き空地に消火用器具を備えるなどの火災対策も講ずる。しかし、元首の慈悲深い援助も虚しく不名誉な噂は絶えない。民衆は、ネロ自身が大火を命じたと信じたという。大火事を眺めながら、太古の不幸になぞらえて「トロイアの陥落」を歌っていたという噂が流れた。ネロはこうした風評を揉み消そうとして、身代わりの被告人をこしらえて処刑する。それは、日頃から忌まわしいと憎まれるクリストゥス信奉者たち。ちなみに、クリストゥスはティベリウス時代に処刑された人物。やがて、寄付金の徴収を名目にイタリア本土が絞り上げられ、属州や同盟諸部族も荒らされることになる。

15. ピソ一派の陰謀
ネロへの憎悪は日ごとに増していく。陰謀には元老院議員、騎士、兵士、婦人までもが競って名を連ねる。ガイウス・ピソは、カルプルニウス氏の出身で多くの名門と親戚関係にある。彼の徳望は人々に慕われていた。その一方で、快楽に自制心がなく軽率で放埓に溺れる。その欠点も大衆には気に入られたという。大衆は、支配が緊張しすぎることも、厳格すぎることも嫌うのである。ただ、誰が扇動したかについては、簡単には答えられない。陰謀はピソの野望から生まれたのではないらしい。最も熱心だったのは、護衛隊副官スプリウス・フラウスと百人隊長スルピキウス・アスペルである。やがて、疲弊した国家を建て直す人物を捜し求める人々が集まる。中には政変によって甘い汁を吸おうという魂胆で加わった者もいる。彼らはネロの暗殺を計画するが、陰謀は密告者によって暴かれピソは自決する。この時、ピソとセネカが通じている気配があり、ネロはセネカに死を宣告する。セネカも自決。続いてフラウスとアスペルも処刑。そして、多くの者が処刑あるいは自決する。ネロは断罪者の証拠や自白の記録書を出版した。無実な名士を、嫉妬や恐怖から根絶したという噂にさいなまれていたので、その言い訳である。

16. ネロの死
第16巻で断絶して、ネロの死までは到達していない。ただ、本書ではその後の略説が年代記風に展開される。ユダヤで大きな暴動が勃発した。エルサレムの群集は王宮を包囲し、王宮内のローマ軍は降伏。その一方で、カエサレア市ではギリシャ人がユダヤ人を殺し、各地で事件が波及する。シリア総督ケスティウス・ガッルスは、事態を収拾するためにパレスチナに入り、非ユダヤ人を助けながらエルサレムに接近する。ローマ軍の敗退で東方に暴動が広がり、ついにローマ中央政府も事の重大さを認識して軍隊を派遣する。さて、ネロはというと、暴動を知らぬふりをしながらギリシャ旅行に出発する。しかも、コリントスでは属州に自由を与えたと誇り高く演説する。ネロはオリンピア競技祭に音楽競技を加えさせ月桂冠に酔っていた。上級階級の人々はピソの事件以来、いつネロに狙われるかと不安に怯えていた。そんな矢先、有名な三将軍がギリシャに呼びつけられて殺され、人々はネロに我慢できなくなった。ネロは相変わらずユダヤ暴動に無関心。そこへ立ち上がったのが、老人のガルバ(後の四皇帝の一人)。ガルバは、自ら「ローマの元老院と国民の代行者」と呼ぶ。当初、これを公然と支持したのはオト(後の四皇帝の一人)だけであったが、やがて元老院も支持し、ついにネロは元老院で公敵と決議される。ネロは追い詰められ剣を咽喉に突き刺した。

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