社会科学や経済統計学などの源泉を遡れば、ウィリアム・ペティあたりに辿り着くのであろうか。マルクスは、著書「経済学批判」で「経済学が独立の科学として分離させた最初の形態が、政治算術である。」と語った。同じ17世紀から18世紀に起こったドイツ国状学派やフランス古典確率論とともに、近代統計学の源流の一つとされるそうな。しかし、この歴史的文献が絶版なのは惜しい!
ペティの長男チャールズ(初代シェルバーン男爵)がイギリス国王に宛てた書簡には、「政治算術(Political Arithmetic)」という言葉の発明者は父であったことが綴られる。ただ、政治算術学派の創始者としては、ペティの友人ジョン・グラントとする方が有力なようだ。となると、グラント著「死亡表に関する自然的及政治的諸観察」にも興味がわくが、これまた絶版!図書館にも見当たらん!電子書籍の話題で盛り上がる昨今、古典パワーこそ見せつけてほしい。
時代は17世紀、チャールズ2世統治下のイングランド。ピューリタン革命から名誉革命へと二つの市民革命が受け継がれていく中、辛うじて王政復古期にある。その前半期、イングランドの国内紛争に乗じて、オランダが世界貿易を掌握しようとしていた。これに対抗して、重商主義の根幹である航海条例を強化しながら、度々オランダと戦争状態にある。第二次オランダ戦争は第一次よりも著しく苦戦。1665年のペスト大流行と翌年のロンドン大火で財政難に陥る。
更に、オランダ以上にフランスの脅威が目立つようになる。絶対王政の最盛期にあるルイ14世は、絶対主義的重商主義にもとづく国内産業の振興と貿易統制を強化し、その上に軍隊はヨーロッパ最強となっていた。国内産業の衰退の上に国際的地位の失墜となると、世論に悲観論が蔓延する。
「人間というものは、衰運に際会したり、自分の業務について悪い判断しかもてなくなると、我が身にふりかかる災難に対して、一層精だして抵抗しようとするどころか、その反対に、いっさいの努力を怠り、活力を減ずるばかりで、自分を救うことができそうな手段さえ、これを考えたり、講じたりしようとはしなくなるものである。」
「政治算術」は、悲観論を論駁するために、国力を冷静に分析する必要に迫られた立場から成立した。要するに、イギリスも捨てたもんじゃない!という国力の潜在能力と余剰利得を示した国民激励の書というわけだ。その意味で、東日本大震災に見舞われた我が国の状況に似ているかもしれない。
そこには、オランダ凌駕論からフランス凌駕論、さらにイングランド増進論が展開される。ペティは、政治算術を「人民、土地、資材、産業の真実の状態の認識方法」と規定している。ただ、歴史を大局的に眺めると、イギリス式合理的重商主義による世界市場制覇論とすることもできそうだ。あるいは、植民地帝国主義を後押ししているのかもしれない。インド征服論やアメリカ大陸におけるアングロサクソン優位説も、この時代に盛り上がったのだろう。いずれにせよ、後に起こる産業革命を前提としなければ現実味を帯びない理論ではある。
また、興味深い考察は、地代が人口密度に比例して高騰し、土地の資本価値すなわち地価も増進させるとしていることである。人口密度が増加すると、なぜ土地の価値が上がるのか?人口が密集すれば、食料の供給や運輸の効率が高まり、その相乗効果で消費も増加し、経費も節約できるとしている。なるほど、産業効率の高まりによって生じる地代や余剰利得は、利潤と利子を含む概念というわけか。しかし、工業地や商業地が利潤において有利となれば、すべての農地をそのように変えてしまえばいい...なんてことにはならない。経済指標の扱いの難しさが、このあたりにある。真の価値の計測とは、人類に課せられた永遠のテーマなのかもしれん。
社会現象における数値の意味するものとは何か?人間社会という複雑系を把握する上で実測値が不完全となれば、推定値や理論値を組み合わせて議論することになる。したがって、統計情報は、信憑性と解釈の双方において問われなければならない。ペティ自身も、ここに提示される数値が不十分であることをよく承知しているようだ。
統計情報で陥りやすい罠に平均値の誤謬がある。最近、社会現象はべき乗則に従うといった類いの書籍をよく見かける。だが、ちょいと前の時代まで、経済学は正規分布を仮定していた。所得分布で平均値を求めたところで、ごく一握りの連中によって全財産が掌握される。平均所得を鵜呑みにした政策は、たちまち富裕層優遇政策となり、GDPのような経済指標も当てにならない。
本書は、「数、重量、尺度」という言葉を用いて質や重みのような見方をしている。言うまでもないが、国力は国土面積や人口で決定されるものではない。土地の持つ自然的能力や民衆による経済的能力、あるいは産業の種類や政策いかんにも関わる。国力の試算では、人口を単純な数ではなく労働人口を重視し、土地や家屋や船舶など富を創出する能力として貨幣価値で換算している。つまり、資本的な価値を社会関係から導き、特に生産性や商業性と結びつけている。国家社会の大黒柱は、農夫、海員、兵士、工匠、商人であるとし、特に国際情報に精通した海員や、技術水準や機械使用に優れた工匠の割合を重視している。社会的価値を労働に求めるところは、マルクスに通ずるものがある。そして、経済活動の原動力となるのは異端的な人々だとし、国を富ませるために信教の自由を唱えている。実際、ビジネスチャンスは異端的な発想から生まれる。あらゆる産業の創始者や改革者はその時代の異端者でもあった。イノベーションとは、異端的なパワーであり、公認への反抗力ということになろうか。商業的交流が、抑圧的宗教から解放したのも事実だ。ドイツのハンザ同盟しかり、フランスのユグノーしかり。聖職者をあまり役に立たない存在としているのは、伝統思想への皮肉であろうか。
驚くべきは、こうした考察がアダム・スミスより百年も先んじていることだ。古典派経済学者T.R.マルサスは、人口は幾何級数的に増加するとした。そのずっと前にペティは、経済現象に非線形性なるものを見出しつつ、政治的観点から統計学の意義なるものを考察している。形而上学的で思弁的な議論を排除する立場を強調して、科学的認識が普遍的な法へ導くと言わんばかりに。経済学の祖父は、この時代にあったのかもしれない。
ところで、社会や経済の状況を示す上で、統計情報ほど感覚的で政治的な思惑に左右されるものはなかろう。数値の恐ろしいところは、それが欺瞞であれ、意見を武装する力があるということだ。数値を得るにしても手段そのものが主観性に囚われ、そのほとんどが不完全あるいは不十分な調査で終わる。現実に、各省庁が発表する経済予測はまちまちで、ご都合主義がまかり通る。政治家が起用する専門家もその政治家のお気に入りである。したがって、政府と独立した科学的研究機関が必要ということになる。社会科学、経済統計学、地球工学などの広範な分野において...そして選挙制度も独立の研究対象とするべきであろう。
1. フランス vs. オランダ
フランスとオランダの比較は、良質な土地面積において80対1、人口において13対1だという。だが、経済的には土地や人口もせいぜい 3対1 ぐらいで、相対的にオランダの方が優位にあるとしている。
特に、国力を測る上で重要な要素を航海業の発達と水運の便に求めている。オランダは、自然の地形によってフランスよりもはるかに国際貿易で優位にある。三大河のライン川、マース川、スヘルデ川のデルタ地帯に位置するだけで、これらの川が貫流する国々の海運を掌握できる。おまけに、その土地は豊饒、肥沃であること、平坦で常に風が吹き通しで機械力となる風車が利用できるなどの利点がある。ジーランドは島国のような地形で、大型船を収容する港を建設するのに適している。海に囲まれて防御もしやすい。航海業を掌握すれば、多くの機会に恵まれる。各国で何が不足し何を欲しているかを素早く把握できる。東インド会社においては、オランダは莫大な資本を所有しているのに対して、フランスはゼロ。船舶比では、1対9。輸出比にすると、5対21と逆転する。ちなみに、聖職者の数は、100対1だとか。生産性がなくても商業貿易だけで利潤を生むことができれば、アムステルダムのような商業都市の価値が高くなる。一般的に国というものは国産品によって繁栄するものであろうが、オランダの特徴は世界貿易の問屋や仲介役という非生産業を生産業の地位に押し上げたところにあろうか。
しかし、そんな自然の理も百年前までは、寒く湿潤な自然で不愉快な環境とされてきた。おまけに、ネーデルランド時代は支配者スペイン・ハプスブルグ家による宗教迫害を受けてきた。辛抱強い勤勉性は迫害の中で育まれ、極端な富や権力を欲しないことに美徳を持つという。異端者にも寛容だそうな。自由とは、精神抑圧の反発として養われるものなのかもしれない。思い通りに振る舞うこととは別物のようだ。
「人間が、感覚や理性をこえた問題について見解を異にするのは自然であるし、しかも小額の富しかもたぬ者が、とりわけ貧民に主としてかかわりをもつと考えられる神のことについて、自分たちの方が一層の機知と理解力とをもっていると考えるのは自然である」
また、オランダの不動産登記制度や銀行政策を論じている。登記法は、私有財産を擁護し、勤勉な労働に対する保証だという。銀行政策では、貨幣を純然たる流通手段と考え、信用制度が確立され、貨幣を増加させる。そして、租税制度を、公共的な富すなわち国民の富の部分徴収だとし、投資へフィードバックさせれば生産を促進させる。オランダの政策は、信教の自由、資産譲渡の登記、僅少の関税、銀行、質屋および商人法を発達させる。その結果、利子率はフランスの7%に対してオランダはその半分になったという。納税額ではオランダがずば抜けている。オランダとジーランドは全連合欧州の納税額の67%を支払い、そのうちアムステルダム市が27%も支払っているという。経済循環に寄与する租税こそ、租税制度のあるべき姿ということか。当時のオランダは、超先進国だったというわけか。こうしてみると、我が国の租税にせよ、相続税にせよ、根本的な経済哲学から酷く逸脱しているように映るのは気のせいか?
2. イングランド vs. フランス
ルイ14世の華美を誇りにできるのか?国の富は国王の贅沢さで決まるものではなく、むしろ税を搾取している証拠であろう。
まず、世界貿易において制海権が検討される。イギリス海軍が優勢なのは、大型船の建造技術にあるとしている。大型船は射程距離の長い大砲を搭載することができるからで、いわば大艦巨砲主義を主張している。大型船の方が、天候などの諸条件にも航行が安定する。フランスには大型船を収容する良好な海岸と港がないため、これを建設するのに2倍以上の経費でも追いつかないという。海員能力の差も大きい。スペイン無敵艦隊を破った伝統は、フランスを凌駕するに十分な経験と言えよう。
国土面積では、イギリスではなくイングランドで比較すると、フランスの7分の1から5分の1ぐらいか。ただ、領地の差はさほど問題にならないという。楽観視できのは、両国とも人口過剰になっていないからだとしている。海上交通の面から眺めると、むしろイギリスの方が海岸線が長く、海岸に近い場所に工業化や商業化の立地条件が整っている。
人口比較では、聖職者、海員、工匠において分析され、生産性を考慮するとイングランドの方が1.3倍多い換算になるという。一人当たりの貿易比は、イングランド人はフランス人の3倍もあるという。
さらに重要な考察は、フランスの航海業が増加する見込みがあるかどうかである。フランスは、穀物、家畜、ぶどう酒、塩、亜麻布、紙、絹布、果物などの必需品を国内で十分に貯蔵しているので、輸入に頼る必要がない。また、主な輸出品は、ぶどう酒や塩など容積を必要としないものばかり。したがって、フランスに脅威はないと結論づけている。
3. ドーヴァーの密約
1668年、フランスの侵略がオランダに及ぶと、イングランドはオランダとスウェーデンと三国同盟を結ぶ。オランダは新教国で共和政の国だったので、イングランドの民衆からも支持を受けていた。しかし、チャールズ2世は同盟を喜ばなかった。フランス亡命時に、従弟のルイ14世からカトリックの影響を受けたからである。加えて、王政復古の財政改革によって国王の内帑が国家財政から切り離されると、負債に苦しむようになる。
1670年、ルイ14世の財政援助を請うしかなかったチャールズ2世は、フランスと秘密条約を結ぶ。いわゆるドーヴァーの密約だ。チャールズ2世は独断で、資金援助の代償に軍隊を派遣することと、カトリック教の復興と国王自身の改宗を約束したという。本書は、「イギリス外交史上もっとも恥ずべき条約」としている。
この密約で第三次オランダ戦争となるが、この戦争は国民の支持を得難く、いっそう財政難が著しくなる。だが、主戦場が陸戦であったので、イングランド政府はうまいことオランダと講和する。フランスのオランダ侵略に乗じて、貿易権や植民地権を盾にしながらオランダを弱体化させ、海上貿易の覇者となった。チャールズ2世はというと、専制的支配を弱め、再び議会に依存することになる。やがて、名誉革命で王政は終焉へと向かう。
4. 重荷となる植民地政策
イギリスが分裂していることは、一つの障害であろう。イングランド、スコットランド、アイルランドにはまったく別の立法権力があって、互いに結合するどころか、しばしば貿易を閉ざしたり、邪魔をしたりする始末。
植民地が多すぎることも障害になる。あまりにも遠く分散し、多数の王国や政府に分割されている。ジャージ島、ガーンジー島、マン島は、イングランド、スコットランド、アイルランドのいずれとも異なった司法権の下に置かれる。ニューイングランドにいたっては、民事、宗教ともに異なる。このような異なった政府、地理的な位置、産業や国民の状態は、まったく自然的なものではない。これらを保護する負債は首長王国たるイングランドが背負うことになるが、小さく分割された遠方の地までは防衛できない。したがって、全帝国を統治する上では二重構造となる。イングランド国王が全帝国の頭領となり、その下に植民地の代表者たちが同列に配置される。ちなみにガンジーは、インドの代表者としてイギリス本土へ乗り込んで独立を嘆願したが、代表者の一人としてあしらわれた。
各植民地では、国王の大権、議会の特権、法律や司法の不分明な相違によって、理解がまちまちだという。イングランド王国は、はたしてアイルランド王国に対して支配権を持つか?という疑いすらあるらしい。そのために、驚くべきことも施行されるという。アイルランドの反乱を鎮圧するために、合法的に派遣されたイングランド人が、その目的を遂げるや否や公民権や参政権を奪われ、おまけに関税まで支払うようなことも起こる。一方で、本国から遠方にあれば、独自の行政や司法を必要とし、自立性をもたらすだろう。その結果が、アメリカ独立戦争や、ガンジーの非暴力、不服従運動であろうか。民衆運動が起これば経済的リスクとなり、いずれイギリスにとって手に負えなくなる。
また、アイルランドやスコットランドの高地を放棄するという仮説も述べられる。特にアイルランドは、政治不安を抱えていて経済的リスクも大きい。土地や人員を経済的価値でしか見なければ、そういう思考も成り立つのだろうが、当時の価値観からすると現実味がない。本書もそれを承知で議論しているのだけど。
尚、名誉革命以降、アイルランドは貧困化し、イングランドへの隷属化の基盤を固めることになる。ペティは、重商主義や租税制度などによるアイルランドへの抑圧に反対する立場にあるようだ。
5. イングランドの国力増進論
イングランドの国力はますます増進すると予測している。その理由は、過去40年間に渡って内乱や戦争を経験したにもかかわらず、国力を増大してきたことである。この40年間で、ニューイングランド、ヴァージニア、バルバドス、ジャマイカ、タンジーア(モロッコ北部)、ボンベイが、イングランド国王の領土に加えられた。そして、多くの改良がなされ領土以上に国力を高めた。ロンドンの家屋は、2倍の価値になり、船舶も増加。海軍は3倍から4倍に。海上貿易の規模も拡大。利子率は、法律や制度に頼らなくても自然にほぼ半分まで低下したという。土地や家屋が増えれば賃借が増加し、貿易が拡大すれば貨幣量も必要とされる。そして、貨幣も公収入も増加した。イングランド国民の支出を推計し、課税方法を合理的に運営すれば、その10分の1で強大な軍隊を保持できるという。
また、貨幣の流通速度を計算すれば、国内産業を運営するに足るだけの貨幣が十分にあるとしている。更に、国内産業だけでなく、全世界の貿易を運営するに足るだけの資産もあると。
「政治算術とはいかなるものであるか、
つまり人民、土地、資材、産業等々の真実の状態を知ることの効用はなにか、
国王の臣民は、不平家諸君がそういいたがっているほど悪い状態にはない、
共同一致、勤勉および従順は、共同の安全のためにも、また各人各個の幸福のためににも、偉大な効果がある、
以上三つのことを示すことこれである。」
ペティが最終的に論証しているのは、イングランド国民の生産力の増進を原動力とする世界貿易の掌握の可能性である。そして、その生産力が生み出すものは、余剰利得であり、これが国力増進の実質的な根拠となっている。だが、余剰利得の推計を検証することは難しい。本書が、フランスとオランダ、イングランドとフランスの比較で試みたように、比較論でしか語れないものなのかもしれない。
2012-04-15
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