2013-06-23

"天才たちの誤算" Roger Lowenstein 著

なぜGMは... に触発されて、ロジャー・ローウェンスタインをもう一冊。実は、十年以上前に一度読んでいる。株式投資の勉強を始めた当時、オプション、デリバティブ、アービトラージ、VaR(Value at Risk)など、ヘッジ手法の入門書として感服したものである。そして、リーマンショックへの流れを眺めると、金融業界の体質がまったく変わっていないことに気づかされる。
本書の主役、すなわち悪の根源は、LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)。1994年、突如無名のチームが、二人のノーベル賞経済学者ロバート・マートンとマイロン・ショールズを擁して登場すると、多くの金融機関が損失を出す場面で一人勝ちの成績を収め、夢の4年間を過ごす。しかも、年間40%のリターンを稼ぐ驚異ぶり。ブラック = ショールズ方程式の伝道師となった彼らは、ヘッジファンドなどという自覚はなく、金融リスク保険会社を自負する。
「われわれはただのファンドではなく、金融工学(ファイナンシャル・テクノロジ)カンパニーです。」
そして、難解な数学用語を持ちだし、勘と度胸が売りのウォール街土着の非科学的なネアンデルタール人どもを圧倒する。金融屋たちは、リスクとは無縁に映るドリームチームに目が眩み、われ先にと取引を申し出る始末。外国のグローバル銀行や政府系機関、そしてFRB議長グリーンスパンまでも、彼らのデリバティブ取引の仕組みに心を奪われる。
しかし、1998年、ロシア債がデフォルトに陥ると状況は一変。ポートフォリオの不透明さに加え、異常なほど高いレバレッジは30倍。自己資本が目減りした時期には55倍にまで膨らむ。世界的金融危機を免れるため、ゴールドマン・サックスがリーダ格となり、ベア・スターンズやメリルリンチなどの投資銀行が救済に乗り出す。そう、後のリーマンショックで主役に躍り出る連中だ。
結局、LTCMは14銀行に買収される。総額36億5千万ドル。十年前に読んだ時、この数字に目を丸くしたものだが、今読むと感覚が麻痺している。リーマンショックでも、ベア・スターンズやリーマン・ブラザーズの演じたレバレッジ水準は30倍に達した。おまけに、公的資金の注入では数千億ドルと桁が違う。ここで救済役を演じた連中が、十年後には主役を演じるわけだ。なるほど、本書はウォール害(街)の雛形物語であったか...
しかし、ウォール街で長く記憶される教訓はない。さて、次の十年後には誰が主役に抜擢されるだろうか?ちなみに、リーマンショックでは、財務長官ポールソン、NY連銀総裁ガイトナー、FRB議長バーナンキらが救済役を演じたが、まさか...
「第二のマートンが現れ、リスク管理しオッズを予想する優美なモデルを発表しても、過去を完璧に記憶するコンピュータが開発され、将来のリスクを測定できると言われても、投資家は今度は、大急ぎで別の方向に逃げ出すだろう。」

とかく人は、カネが絡むと合理的に行動できないものである。アナリストたちの将来予測ほど当てにならないものはない。プロスペクトル理論は、いわば欲望の法則と言っていいだろう。リスクとリターンの関係は常に監視しておく必要がある。とはいえ、リスク分散の難しい時代、不可能なほどに...
証券取引において最も注意を払うのはリスク管理であろう。そこで、無関係そうな証券を組み合わせてポートフォリオを形成し、分散投資する。その組み合わせは、流動性の高いものと低いもの、変動性の大きいものと小さいもの、あるいは多業種に分散させたりと、投資戦略を練る。だが、無関係に見えても誰かがポートフォリオに組み込み、少しでもレバレッジをかけた時点で関係を持つことになる。レバレッジをかければ決済期限に縛られ、損失が生じると評価額が下がり、証拠金を見せなければならない。損失が広がれば、証拠金を見せるために連鎖して他の証券が売られる。リーマンショックでは、資産運用リスクを分散させるために不動産に手を出して、却って大損した人もいるだろう。
また、一つの銘柄が、欧州市場、米国市場、アジア市場など重複して上場している企業も多く、なによりも地球上にある市場は為替で結びついている。しかも、ネット社会では、世界中の市場がリアルタイムでつながる。大手金融機関の間では、アルゴリズムを使って自動売買を高速で行う高頻度取引(HFT)がお盛んだ。コンマ何秒で差益を決するとなれば、大衆は大挙して押し寄せ、リスク分散だけでは対処できない。ブラック = ショールズ・モデルのような微分方程式の弱点は非連続性への対応であり、まさに金融危機とはそうした状況にある。数学的にはアトラクターのような、物理学的にはブラックホールのような状態なのだ。人は、理は避けられても、偶然までは避けられない。人間は本能的に、偶然に対して無防備にならざるをえない。
では、レバレッジをかけなければどうだろうか?1929年の世界恐慌から100年スパンで眺めれば、多少の瞬間ノイズがあるにせよ、市場全体では連続性を保っているように映る。デフォルトした国家ですら立ち直っているではないか。倒産リスクがあるにせよ、決済期限に縛られなければ、ポートフォリオはずっと機能しやすくなるのではないか。仮想価値に目を奪われず、経済循環の根幹である生産性に確実に向かっている銘柄を選択すれば、偶然のリスクを軽減することはできるだろう。実体を見据えておけば、世間が大騒ぎするような事態には陥らずに済むのではないか。ウォーレン・バフェットといった多くの投資家が、デリバティブを毛嫌いする理由がここにある。財布と相談しながら気に入った事業に投資し、地道に配当金を狙うだけでも、銀行金利よりはるかに良い成績が得られるし、わずかでも年金運用の足しにはできる。少々要領が悪くても、数年後には金融危機前の水準に回復する。マスコミや風潮に踊らされてよほどの高値を掴まされない限り。むしろ逆張りで行く方がいいかもしれない。わざわざリスクの高い時期に売買に参加することもあるまい。
いずれにせよ、リスクのない成長はありえないし、リスクを完全にコントロールすることも不可能である。それは遺伝子工学が教えてくれている。人間は、DNA配列の複製ミスのリスクを冒してまで進化の道を選んだ。欲望は人間の本質、抑制するもまた欲望、この性質はけして消し去ることはできない。そこで、微分方程式を用いて環境条件を絞りながら分析しようとする試みが、悪いとは思わない。ただ実際、カオス系で条件を網羅することは不可能なぐらい難しく、初期条件と境界条件をちょいと間違えるだけで、まったく違う答えを弾き出す。道具ってやつは、弱点を心得た上で用いて威力を発揮する。LTCMの最大の問題は、数学の道具を宗教レベルにまで崇めたことであろう。

1. 陰謀説と市場原理
世界的金融危機が生じると、必ず取り沙汰されるのが金融陰謀説。ユダヤ系金融支配説やフリーメイソン世界支配説、あるいは、ロックフェラーやロスチャイルドの影響が何かと噂され、アメリカの建国史そのものが、フリーメイソンとの関係を噂されてきた。近年で言えば、ゴールドマン・サックスであろうか。その創設もユダヤ系。本書でも不穏な動きを見せる。積極的に援助を申し出て帳簿に侵入し、ポジションをそっくりノートパソコンにダウンロードしたようだと。その張本人ジェイコブ・ゴールドフィールドは、なぜかリーマンにも精通している。ゴールドマン側は必死に否定しているけど。しかし、これは単なる産業スパイの類いに見える。金融業界そのものが、陰謀めいた性格を持っているし...
経済にとって最も重要なのは生産性であるが、それを触発するのが投資である。生産によって得られる利益を効率良く投資にフィードバックさせれば、経済循環をより活性化させることができる。資金を効率良く投資に向かわせるには、生産財の価値評価が欠かせない。その評価に信用をもたらすのが金融業界の役割である。逆に言えば、価値評価をちょいと欺瞞するだけで、経済循環を根元から牛耳ることができる。国家の枠組みを超えたヘッジファンド、あるいはテロリストによる世界金融支配を目論む連中が存在するのも確か。実際、日本国債にしても、空売り攻撃を何度も経験している。今のところ外国人保有率が低いので動じないようだが、日本人にも空売り屋はいるし、自称日本人ってのもいる。それに、経済危機の後は、国債などの安定資産に資金が向かう傾向にある。危険水準にあれば、ちょっとしたきっかけで一斉に暴落を誘発する可能性があるということを、そして、どんな金融商品であれデフォルトのリスクは避けられないということを、この物語は教えてくれる。要するに、今現在、市場が機能しているかどうかなど、誰にも分からないということだろう。やはり、アナリストとは占い師の類いか...

2. 底なしの資金調達機関
LTCMの当初の戦略は、安定資産をロングポジション(買い)で仕込み、ショートポジション(売り)でヘッジするというやり方。つまり、デリバティブをヘッジとして機能させている。この手法は、それほど悪くない。むしろ参考になるぐらいだ。
ただ、一つ一つの取引が小銭稼ぎのために、ファンドとしての利益拡大が見込めない。そこで、自己資本を大幅に超えた資金を投じる物量作戦にでる。失敗の確率は、いくら資金を投入しても同じという先入観。しかし、失敗した時に取り返しがつくかどうかは別で、小学生でも分かりそうなものだけど。そして、デリバティブ残高は、1995年の時点で6500億ドル、1997年では1兆2500億ドルという途方も無い値にまで膨れ上がる。レバレッジをかけた分、損失期間を耐えぬくための資金が必要になる。ここにデリバティブのメカニズムがある。
それにしても、ちっぽけなファンドがなぜ、これだけの資金を集めることができたのか?LTCM率いるジョン・メリウェザーは、数学の才能に溢れ、ソロモン・ブラザーズで債券アービトラージャーとして才覚を現した人物だという。内気で一分の隙もないポーカーフェース。怯えと強欲さというトレーダーにとって命取りとなる二つの感情を、並外れた自制心で抑えることができるという。私利を追求する人間には珍しく気品を感じさせるそうな。業界でも信頼が厚く、寛容な態度と部下を思いやる態度は、トレーダーらしくない道徳心も見せるという。
彼の人事戦略は単純で、自分より頭のいい人材を雇うこと。まず、ノーベル経済学賞の有力候補ロバート・マートンとマイロン・ショールズの二人を引き入れる。さらに、射止めた人物は衝撃を与える。グリーンスパンの後継者とも言われる人物、FRB副議長デビッド・W・マリンズ。ワシントンから太鼓判を押された格好で、香港土地開発局、シンガポール政府投資公社、台湾銀行、バンコク銀行、クウェート国営年金基金などから相次いで契約を取る。イタリア中央銀行の外為局に1億ドルを投資させる離れ業まで披露。とても民間のヘッジファンドのできる芸当ではない。というより、相手側もヘッジファンドという感覚がないのだろう。住友銀行も1億ドルの契約、ドイツ銀行とリヒテンシュタイン・グローバル・トラストも、スイスのプライベート・バンク、ジュリアス・ベアーは億万長者の顧客にファンドを売り込んだという。LTCMの掲げる肩書きに、銀行をはじめ一般の大企業のCEOや著名人たち、あるいは資産運用機関が群がる。手数料の高さなど、そっちのけ。マートンとショールズの書籍を読めば、ローリスク投資だと思い込んでいる。ウォール街の幹部クラスは、学術的な話になるとチンプンカンプン。
しかし、金融屋や保険屋という人種は、専門家ですら理解の難しい複雑な金融商品を編み出して、素人を喰い物にする連中である。ここでは逆に、難しい数学用語によって喰い物にされる。メリウェザーがいなかったら、こうした数学者たちに実験の場を与えることはなかったのだろうけど...

3. 金融工学の相対性理論 = サヤ取り商法
経済循環における投資の役割は、流動性を形成することである。だが、LTCMの戦略は、流動性などはどうでもよく、相対価値戦略にある。サヤ取りこそが、メリウェザーの基本形というわけだ。というより、業界全体の体質であろう。
市場で相対価値が生じる最も基本的な形は、先物と現物であろう。つまり、将来価値と現在価値の差益を求める仕組み。原理的には、将来価値は現在価値に収束するはず。その前提では、購入時に将来価値と現在価値の差が大きいほど、差益が得られることになる。つまり、相対価値戦略とは、相対的な関係を持つ金融商品において、その双方のスプレッド(格差)を狙う取引術である。
本書が紹介する住宅ローンの仕組みは興味深い。それは、PO債(Principal Only)とIO債(Interest Only)である。借り手が、住宅ローンを途中で借り換える場合、元のローンは一括返済される。多額の元本が一気に支払われ、利息プールへの支払いは、そこで途絶える。その元本のみの証券が、PO債である。一方、当初の契約どおりに月ごとの利払いのみを行う証券が、IO債である。つまり、IO債は、借り換える人が増えると値を下げ、借り換える人が減ると値を上げることになる。
1993年頃から、米国では借り換えブームが起きたという。ベトナム戦争後、初めて住宅ローン金利が 7% を割り込み、ベビーブーマー世代が一斉に利払いの節約に走ったという。IO債は明らかに低すぎる水準まで急落。そこに目を付けたLTCMは、IO債を買いまくり大儲けする。その基本原理には、イールドカーブ取引による戦略がある。金利がある期間に限って、これといった理由もなく通常の水準から乖離していると、すかさず介入。例えば、中期の金利が短期を上回り、長期に肩を並べそうな水準であるような場面で一連のアービトラージ取引を仕掛け、この中期の出っ張りが消える方向に賭ける。こうした複雑な取引を物色する眼力は鋭い。1994年の米国債権市場の混乱が、ドイツ、フランス、イギリスの国債と、それぞれの先物とのスプレッドが拡大、そこにLTCMが飛びつき利益を上げる。あるいは、日本株ワラントと東証株価指数オプションとのアービトラージにも目をつける。その性格が、ロシア債にも手を出すことになる。
また、ペア株にも目を付ける。複数の市場に上場した銘柄は、必ずスプレッドが生じる。しかし、だ。PO債やIO債にせよ、元本と金利を分けた証券を編み出したのは金融屋だ。まるで価値の幽体離脱!マイホームの夢は、どこの国でも同じようで、住宅ローン証券は餌食にされやすい。信用取引とは、実体価値から信用だけが浮遊してまわる原理というわけか。金融屋たちは霊感が強いのか?
そして、リーマンショックでは、もっと巧みな技法、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)という債権の委譲なしで、信用リスクのみを委譲するなんて証券が主役を演じることになる。相対価値を無理やり編み出してスワップするのは、金融屋の得意技か。他にも、貸出を資本にスワップされるような仕掛けを編み出すなど...これが金融工学なのか?金利スワップに、株式スワップに、通貨スワップに、信用スワップに...なるほど、欲望の原理はスワップにあったのかぁ。そして、夫婦関係もスワップ?
金融業界は、こういう取引のあり方に疑問を持たないのだろうか?本来のデリバティブは、災害などで生じる大幅な価格変動を軟着陸させるための方策であったはず。堺の商人によって考案された先物取引は、気象状況に影響されないように、予め米価を決めておくことによって価格を安定させ、社会混乱を避けようとする仕組みであった。政治屋は金融屋と結びついて、規制緩和をいかにも自由主義の象徴にように持ち出すが、奇妙な金融商品を編み出すために利用されているとしたら、本末転倒も甚だしい。最大の問題は、LTCMの出現よりも、その出現を呼び込んだ業界体質の方にあるように思えてならない。

4. ボラティリティで、ぼられる?
LTCMの基本形と言うべき取引に、エクイティ・ボラティリティといものがあるという。これが破綻の原動力か。
さて、ボラティリティ(変動性)に賭けるって、なんだ?変動幅を予測するのは、チャート分析では欠かせない考え方で、微分方程式を用いた基本的な思考方法である。ただ、変動の激しさを予測するとなると、途端に難しくなる。
1998年の初め、LTCMはエクイティ・ボラティリティを大量に売り始めたという。といっても、エクイティ・ボラティリティなんて株式や証券があるわけではない。オプション価格を決定する鍵は原資産の予想ボラティリティにあり、ブラック = ショールズ方程式によると、オプション価格が分かれば、市場がどの程度のボラティリティを予想しているかを推定できる。ボラティリティから市場予測の間違いを推定し、オプションの方向性を売るといったことをやるわけだ。
まず、オプションの買い手は、相場の下落に備えて保険をかけたいと考える。暴落のリスクに対して、わずかばかりの保険料(プレミアム)なら喜んで支払うだろう。一方、LTCMは保険料を徴収する代わりに、市場が暴走した時は損失を引き受ける義務を負う。モルガン・スタンレーは、LTCMに「ボラティリティ中央銀行」というニックネームを進呈したとか。
実際には、LTCMは急速な下落と急速な上昇の双方向のリスクに対して、保険(オプション)を売ることになる。買い手は、オプション価格が適性かどうか判断できないので、双方に買い手がつく。ちょうどアジア通貨危機を目の当たりにした時期で、保険料の相場がどうであれ、保険に入りたいという心理が働く。投資家が安全ネットへの出費を増やせば、オプション価格を押し上げる。金融機関は、投資家の不安につけ込み、下落リスクをヘッジした株価指数商品を売り込む。LTCMは、こうした動きが、オプション価格を人為的に押し上げると見ている。それも間違いではあるまい。オプション価格が高い水準にあれば、実質的には保険に割高な料金を請求していることになり、オプション契約満了時に儲かるという寸法。なるほど、保険屋の言い分ももっともだ。
「保険にばかげた値段を支払おうという客がいるのに、売らない理由がどこにある。」
長期的なオプションは取引所では売買されないので、個別契約をしているという。1対1の契約を、JPモルガン、ソロモン・ブラザーズ、モルガン・スタンレー、バンカース・トラストといった大手に売る。エクイティ・ボラティリティは、長期的には理に適っている。だが、短期的にはハイリスクとなる。やはり、レバレッジに耐えうるだけの資金力が鍵になるというのは同じか。

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