2013-06-16

"なぜGMは転落したのか" Roger Lowenstein 著

世界一の自動車メーカとして君臨し、アメリカの象徴となったゼネラルモーターズ。会長チャーリー・ウィルソンが国務長官に任命された時、議会で発言したあの言葉が蘇る。
「我が国にとって良いことは、GMにとっても良いことであり、その逆もまたしかり。」
ところが、2009年、GMはチャプターイレブン(連邦倒産法第11章)の適用を申請する。その凋落ぶりの最大の原因は、利益を喰い潰す企業年金にあったという。しかも、この問題はビッグスリーに留まらず、全米に蔓延していると指摘している。
注目すべきは、民間部門よりも、むしろ公共部門の方が深刻なことである。どこの国でも、民間企業の従業員よりも公務員の方が、明らかに職場の財政破綻に対する危機感が薄い。周知の通り、アメリカは社会保障制度があまり充実していない。その分、民間企業がその役割を果たしてきたということか。言い換えれば、企業に所属しなければ社会保障制度にありつくこともできない。労働組合は奇妙な労働者権利を増幅させてきた。まさに既得権益の原理がここにある。
本書は、地方自治体の至るところで年金爆弾を抱えている実態を暴き、実際にニューヨーク市地下鉄とサンディエゴ市で起こった年金破綻の事例を紹介してくれる。特に、サンディエゴ市の事例はエンロン級の粉飾、いや、陰謀の類いか。著者はペテン師と呼んでいる。これらの事例で共通している事は、経営陣による「先送りの原理」と労働組合による「タカリの原理」が相補に作用した結果だということ。そして、我が国にもそのまま当て嵌まるということ。いや、20年前に語るべきものだったかもしれない。

「不幸なことだが。年金プランは政府予算のバランスをとるために支出を簡単に先送りできる領域だ。」
...連邦下院議員エルウッド・ヒリス

まだしも民間部門の破綻は仕方がないかもしれない。だが、地方自治体の破綻を目の当たりにすると国家の危機となる。公共機関における労働組合の政治的結束力は強く、そのまま公務員という名の特権階級に押し上げる。ただ、公務員にも同情すべき点はある。法律でストライキ権が認められていない上に、なにかと批判の対象とされやすい。それでも、TWU(全米運輸労組)は過去に二度のスト経験があるらしいが。いずれにせよ、能力主義が明確に現れない職場ほど、奇妙な団結力を発揮するものである。
本書に驚かされるのは、あのアメリカにして共産主義的な、社会主義的な思想が根強くあることである。老舗巨大産業は、1974年のエリサ法(従業員退職所得保障法)などを経て、労働者待遇の義務化を押し付けられてきた。GMから分社化した自動車部品メーカ、デルファイの従業員は、こんな権利まで手にしていたという。歯科、眼科、年金、生命保険、疾病、身体障害、事故などに対応する各種保険、約5週間の有給休暇、おまけに無料法律相談... と、呆れんばかりの優遇!こんな堕落産業に公的資金投入とは、これいかに?官僚化とは、なにも公務員の専売特許ではない。モラルハザードとは、なにも金融屋の専売特許ではない。そして、航空会社、繊維メーカ、製鉄業など至る所で年金スポンサーが倒産に追い込まれる。
一方、ウォルマートのような小売業やグーグルのようなIT企業といった新興産業では、企業年金を拒否する。米議会では国民皆保険でいまだ揉めているようだが、あながちアカの政策とも言えないようだ。日本でも同じように、企業の競争力を削ぐかのように巨額な法人税を課す。純粋な競争力で試算すると、日本企業も捨てたもんじゃないはずだが。社会保障において、国家と民間の役割分担を論じることは難しい。それは、国際競争力と深く関わり、絶対的な解を見つけることはできないだろう。
こうした構図を眺めていると、我が国でも似たような政策に出くわす。最近の例では、2009年に成立したモラトリアム法(中小企業金融円滑化法)あたりであろうか。リーマンショックの煽りで成立したと言っていいだろう。当時の金融担当相亀井静香氏が推進した政策で、約30万社に総額95兆円をばら撒いたとも言われる。返済を猶予すると宣言すれば、弱者を守る心地良い制度に映る。実際、この制度を活用して助かった企業も少なくないだろう。だが、1年間の時限立法だったはずが、1年延長、2年延長と先送り。当初からペーパー会社の乱立が指摘された。民間が政治家にたかる構造によって政治家が大きな顔をする、その典型であろう。頭の痛い金融副産物は、いまだ亡霊のごとくつきまとう。

1. 労働組合
「年金物語の大半は、労働組合の力がゆっくりと増大する物語である。」
労働組合はその性格上、共産主義や社会主義と結びつきやすい。プロレタリアートの代表として。企業側が裏社会と結びつき労働者組織を潰しにかかれば、共産主義者が突撃部隊を組織し、ストライキ、脅し、あからさまな政治工作によって、議会の一大勢力へ伸し上がってきた。暴力抗争の末、ニューディール政策によって労働者を保護するワグナー法が制定されると、上品な労使交渉へと移行していく。それでも、ルーズベルト大統領は公共機関に対する労働組合という考えには冷ややかだったという。
労働組合にしても共産主義にしても、発足当初はおそらく意義深いものだったに違いない。あらゆる市民階層から生じる草の根運動の類いが、そうであるように。資本階級に権利が集中した時代、マルクスが資本主義の弱点を指摘すると、労働組合は労働者の権利を獲得していく。だが、どんな組織でも、増殖していくうちに心得違いした者が紛れ込み、本質的な意義が失われていく。これが、官僚化の法則というやつだ。
そして今、労働組合は本当に労働者の代表者として機能しているだろうか?本書が紹介する逆転現象は興味深い。大手労組の多くは自らの政治的利益にきわめて敏感な幹部で固められ、確実だが控えめな給付金よりも、不確実でも贅沢な利益を求める交渉を好んだという。むしろコダックやIBMのように労働組合のない企業の方が、年金基金の積立状況が良いそうな。日本においても大手労組が選挙運動に血眼になる光景を見かける。目先の平等主義を訴える姿を。組合費が選挙戦に費やされ、まさに政治団体と化す。経済学者の中には、労働組合不要説を唱える人も少なくない。実際、労組が獲得する賃上げ運動が非正規社員や下請けをいじめ、組織外の人々に犠牲を強いることによって存在感を示している。

2. 先送りとタカリの融合
選挙の機能について、興味深い指摘がある。選挙は、一般人にとっては政策の選択となるが、公務員にとっては上司の選択になるという。サンディエゴ市の事例では、政治家たちは情報を隠蔽し、労働者優遇や公共施設の整備を訴えて当選を繰り返す。そして、サンディエゴ市職員の給付金は、民間企業よりもはるかに高い水準にまで達したという。GMでは馴れ合い取締役会が先延ばしを続け、サンディエゴ市では政治家の心地良い公約が市民を欺瞞し続けた。
「政府の実施する計画のなかで、年金ほど政治的性格が試されるものはない。年金は未来との契約である。つまり、市が職員をどれだけ評価するかを表明するものだ。」
では、政治家が情報を開示し、正直に給付金カットを宣言したらどうだろうか?それでも当選できるだろうか?市民は冷静な判断を下せるだろうか?政治家がいくら先延ばししようとも、市民が実態を知り、拒否すれば済む話。
そこで、一つは情報の透明性が鍵となる。全面的な情報開示は健全な株式市場には必要不可欠で、良好な行政においても同じであろう。しかし、仮に正確な情報を公開したところで誰が信じる?既に、政治不信は蔓延しているというのに。それに、市民は給付金カットに応じないだろう。そして、より権利を主張してデモを繰り返すだろう。企業が既に破綻しているにもかかわらず、どこぞの労働組合は賃金カットを拒否するどころか、賃上げを要求する始末。人は誰しも、不都合な事実には目を向けない上に、多数決の場に安住を求める。ちなみに、大都市が焼夷弾で焼け野原になっている現実を前にした時でさえ、戦争は勝っているという言葉を信じる。これが集団心理ってやつか。
また、選挙戦を踏まえれば、地方自治体の財政破綻は絶対にありえない!などと主張する政治屋や有識者がいる。暗に、必ず国が援助してくれると主張するがごとく。民間企業では、大き過ぎて潰せない!という言葉を何度聞かされたことか。
先送りとタカリは相性がいいだけに、これらが融合すると集団性の悪魔に取り憑かれた状況となる。そして、一度でも隠蔽するとそれが習慣となり、一度獲得した保障は病みつきよ。なるほど、これは人間の本質と、その集団性を暴いた物語であったか。

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