2015-10-25

"化学のはじめ 増補訂正版" Antoine-Laurent de Lavoisier 著

化学革命の父と呼ばれるアントワーヌ・ラヴォアジエ。バケガクで赤点の危機にあったおいらには、忘れられない名だ。今日認められる元素のアイデアを確立し、それを分かりやすく整理したものが、この入門書である。
ラヴォアジエは、フロギストン説を打破した人物としても知られる。古代ギリシアの自然哲学者たちは、万物の根源的な存在をアルケーと呼び、四大元素説を唱えた。あらゆる物体は、火、空気、水、土の四つの要素によって構成されると考えたのである。この説を覆したのが、1789年に出版された「化学のはじめ」というわけだ。仮説ってやつは、否定を証明された時、はじめて偏見であったことに気付かされる。18世紀になって、ようやく化学は形而上学からの脱皮を図ろうとする。この間、二千年とは!現代科学が迷信に囚われていないと、どうして断言できようか...
尚、この文句は、化学者フランソワ・ルエルが、実験室の最も目につく場所に大きな文字で書き記したものだという。
「さきに感覚に在らざりしところのなにものも、悟性に在ることなし。」

化学とはなんであろう...
元素の組み合わせや結びつきから、性質の違う物質が生まれる。物質には、人体にとって良いものや悪いものがあり、ちょいと組み合わせを変えるだけで良いものが悪いものに、悪いものが良いものに変わる。まさに化ける様子を学ぶというわけだ。その性質を知るために、構成される元素とその比重を調べ、結びつき方を観察する。実験の考え方そのものは極めて単純!分解と結合を繰り返すだけ。物質を細かく砕き、ふるいにかけ、天秤にかけ... これが化学の基本操作であり、パラダイムだ。... などと言えば、人間関係の極意を語っているようでもある。元素はどこまで元素なのか、素粒子はどこまで素粒子なのか、これは人類にとって永遠のテーマとなろう。
「化学は、分解、再分解さらにその再分解の分解を経て、その目的と完成に向かって進む。」

新たな元素が発見される度に、性質に適合する命名規則を模索する。化学には、まさに命名の哲学が内包されている。言語は、事実を描くものでなければならないと同時に、アイデアを生むものでなければなるまい。道はひたすら単純化することにあるが、人類はいまだ合理的な言語体系を編み出せないでいる。凡庸な、いや凡庸未満の泥酔者には合理性が複雑系に見えるが、天才にはそれが単純化に見えるのであろうか。そして、くだらない悩み事から解放され、真に悩むべき事柄に没頭できるのであろうか...
「われわれは言葉の助けによって考えること。言語は真の分析方法であること。表現のすべての方法に、その目的を満たしてくれる最も簡単、最も正確、最も優れている代数は、一つの言葉であり、また分析方法であること。最後に、論理学はよく整った言語に縮少される。」

1. ラヴォアジエとラヴォアジエ夫人
ラヴォアジエは、科学者としては変わり種だったようである。最高裁判所検事の長男として生まれ、マザランカレッジで法律を学び、区裁判所の弁護士になったとか。徴税管理官や火薬管理官を勤め、農家の貧困と老衰を保護するための保険制度を草案し、「フランス王国の国富について」という報告書を作って、合理的な税制を施すための基礎を作ったという。
科学者としても優れた教育を受け、数学、天文学、化学、植物学、地質学、鉱物学などを学ぶ多彩な天才だったようである。数学者のラグランジュやラプラスらとともに度量衡の単位の改制に務め、その労作は今日のメートル法の基礎になったという。
宗教心の強烈な時代では、これに対抗するために、自然科学をはじめとする普遍の学問を欲するのであろうか。ルネサンス期に多くの万能人を輩出したように...
しかしながら、科学者にとって皮肉な事件が勃発する。フランス革命ってやつが。革命裁判にかけられ、裁判官コフィナルのあの言葉を耳にしょうとは...
「わが共和国には科学者はいらない。さあ、裁判を続けよう。」
税の負担を軽減しようと努力してきた徴税管理官は、不当な掠奪、搾取の罪を問われ、コンコルド広場でギロチンの露と消えた。ラグランジュの残した言葉が響く...
「彼らはたった一瞬の間に、この首を落とすことができたが、これと同じ頭脳を得るには一世紀あっても足りないであろう。」
ここで、ラヴォアジエの実験器具へのこだわりも然ることながら、ボールズ夫人の存在が大きかったことを付け加えておこう。この才能高き婦人は、画家ルイ・ダヴィッドに絵画を学び、本書に添付される実験器具のスケッチや製図は、彼女によるものだという。天才ラヴォアジエの実験助手として科学史に名を留めるべき人物である。地道な実験人生では孤独の闘いを強いられる。化学革命の女神のような存在があったからこそ、偉大な功績が残せたのであろう。彼女の作品は妙にリアリティがあり、木造校舎の理科の実験室を思い出させてくれる。蒸留酒を作るための装置、いや酒蔵のスケッチに見えてくるのは、精神が泥酔しているせいであろうか?いや、君に酔ってんだよ!

2. 元素表と熱素(カロリック)
本書には、32個の単一物質が紹介される。大まかに分類すると、物体の基本を成す単体(5つ)、酸化する非金属(6つ)、酸化する金属(16つ)、土類で塩となる単体(5つ)の四種。物体の基本を成す単体には、光、熱、酸素、窒素、水素を挙げている。まさかこの時代に、光子の概念があったとは思えないが、熱を含めてある種の力のような存在を考えていたようである。力があれば質量が存在し、そこに物質なるものが存在すると考える。それは、物質と熱との間に、親和力、吸引力、はたまた弾性力を考察している点に見て取れる。
そして、「質量保存の法則」が記述される。化学反応によって元素が増加したり減少したり、他の元素に転化したりはしないと。つまり、光も熱も元素である必要があるという考えである。
固体に熱を加えると、液体や気体になって容積が増加する現象を、熱の素が分離することで説明し、これに「calorique」と名づけている。いわゆる、カロリック説というやつだ。
しかしながら、力の正体については、アリストテレスの運動論以来、インペトゥス、モーメント、トルク、フォースなどと用語が乱立してきた。ニュートンは質量を万有引力で説明し、アインシュタインはあの有名な公式で質量とエネルギーの等価性を示した。ここに、力は質量を通じてエネルギーと結びつき、今日では、熱量と仕事量の等価性からエネルギー保存の法則、すなわち熱力学第一法則で説明される。
だからといって、力の定義の曖昧さが解消されたわけではない。エネルギーってやつは奇妙なもので、質も、量も、力も、運動という概念の中で都合よく抽象化される。その証拠に、人間はあらゆる関係において力が生じることを本能的に知っており、政治の力、金の力、愛の力... などと物質欲の幻想に憑かれている。ラヴォアジエが、熱の正体を物質で説明しようとしたのも道理であろう。カロリックがカトリックと同じ音律に響くのは、偶然ではないのかもしれん。そう、同じ熱病よ!

3. 大気の命名
ジョゼフ・プリーストリーとカール・ヴィルヘルム・シェーレ、そしてラヴォアジエが同時に発見した空気についても言及される。本当のところ、誰が最初だったかは知らん...
当初、ラヴォアジエは、「air éminemment respirable(優れて呼吸に適した空気)」と名づけたという。そして後に、「air vital(活性空気)」と呼ばれるようになったことに、苦言を呈している。空気を分解して窒素と酸素を見出し、呼吸に適するかどうかという性質から迫っている。窒素については、ギリシャ語のゾイ(生命)に否定詞 a をつけて、「azote(アゾト)」と名づけている。
また、ラヴォアジエの名は、酸素の発見者は誰か?という論争でも見かける。歴史上の功績は、プリーストリーということになっているが、シェーレの実験抜きには語れない。そして、命名したのがラヴォアジエということで落ち着いているようである。
本書には、二つのギリシア語、oxys(酸)と genen(つくる)から、oxygen(酸素)と名づけた様子が語られる。酸化についての系統的な命名法を決定して、硫酸、リン酸、炭酸... とし、分子構成と性質によって、お馴染みの、いや!蕁麻疹の出そうな、 oxide...、acide... と命名する様子など。そして、燃える物質という視点から、酸素の飽和度で分類される。例えば、オキソ酸は、ヒドロキシ基(-OH)とオキソ基(=O)の結合によって構成されるが、その種類では、硫酸 H2SO4 や酸素が一つ少ない亜硫酸 H2SO3 で区別されるといった具合に...
当時、「化学命名法」を発表して伝統的な言語系をすっかり変えてしまい、世間から猛烈な非難を受けたことを苦々しく語ってくれる。ラヴォアジエの化学改革を推奨したウプサラ大学のベルクマン教授は、こう書き残しているという。
「不適切な名称はどんなものでも容赦してはならない。それまでにそれを知っている者は、いつまでも覚えていることになるし、まだ知らない者は、ただちに覚え込むであろう。」

4. 酒精発酵と酒の聖霊
アル中ハイマーと呼ばれるからには、「酒精」という用語に反応せずにはいられない。アルコール、エタノール、エチルアルコールなどと呼び方は違えど...
発酵も腐敗も似たような現象である。ただ違うのは、化学反応を起こした結果、人体にとって好ましいかどうか。物体が固体、液体、気体の三態のいずれかで存在しうるのは、世間で常識とされる。
では、それらの魂とはどういう状態であろうか?固体のように頑なになることもあれば、液体のようにドロドロした人間関係もあり、アルコール濃度の高いものと反応すれば、カッとして揮発する。はたまた、腐ったものが、必ずしも悪いものとは言えない。適度に腐れば、それは発酵と呼ばれ、酒の精霊となる。さらに蒸留して熟成すると、記憶までも蒸発してしまう。化学の最大の貢献は、錬金術なんぞではあるまい。魂を聖霊と化すことであろうか。やはり化学実験には、蒸留と濾過は欠かせない。固体と液体を分離する道具では、デカンテーションが紹介されるが、デキャンタと言ってくれた方が親しみやすい。そう、バー用語だ。おまけに、物体が蒸留して固形の状態に凝結することを、「sublimation(昇華)」と名づけている。今宵も、精神を昇華させるために、夜の社交場へ向かう衝動を抑えられそうにない...

0 コメント:

コメントを投稿