2015-11-29

"確率の哲学的試論" Pierre-Simon Laplace 著

ピエール=シモン・ラプラス... 数学オンチのおいらは、この名を聞くだけで蕁麻疹がでる。ラプラス変換ってヤツのために。微積分における線形変換系のことで、回路方程式を解く上で欠かせない数学の道具であるが、酔いどれにできることといえば、作用子の変換表を鵜呑みにすることくらい。おかげで、アナログ回路設計という物理数学の世界から、デジタル回路設計という論理学の世界、いや屁理屈の世界へ逃避する羽目に...
ここでは、拒絶反応を少しばかり抑えて、ラプラス哲学に触れてみる。本書は、確率を誤差の振動と捉えれば、解析学に通ずることを教えてくれる。それは、再帰級数の応用と、最も単純な周期性を示すπとの関係であり、フーリエ級数のような三角関数によって近似値が得られる原理を匂わせてやがる。そして、解析学でよく目にする数式と出会えたことに感動するのであった...

ここでは、ラプラスの決定論的世界観を垣間見ることができる。すべての命題は、普遍命題へ向かう。それは、確率が 1 になることを意味する。ラプラスの崇拝するものはニュートン力学で、この時代、すべての知識は科学で説明できるとされた。なるほど、確率論とは、冷徹なほどに虚無をまとった形而上学であったか...
「したがって、われわれは、宇宙の現在の状態はそれに先立つ状態の結果であり、それ以後の状態の原因であると考えなければならない。ある知性が、与えられた時点において、自然を動かしているすべての力と自然を構成しているすべての存在物の各々の状況を知っているとし、さらにこれらの与えられた情報を分析する能力をもっているとしたならば、この知性は、同一の方程式のもとに宇宙のなかの最も大きな物体の運動も、また最も軽い原子の運動をも包摂せしめるであろう。この知性にとって不確かなものは何一つないであろうし、その目には未来も過去と同様に現存することであろう。人間の精神は、天文学に与えることができた完全さのうちに、この知性のささやかな素描を提示している。」

現在でもなお、どんなに複雑な、どんなにカオスな、どんなに不完全な現象でも、そこに宇宙法則が潜んでいるに違いないという研究者の執念が、科学を支えている。目的因や偶然性で説明しようとするのは、真理を知らないことの証拠と言わんばかりに。ラプラスの知性は、地道に知識を積み重ねてきた連続性のテーゼによって支えられ、まさに永劫回帰と呼ぶべきものであろう。彼の唱える連続性が、解析学の根幹をなす微積分と相性がいいのもうなずける。
しかしながら、ラプラスの決定論は、なぜ不確かさが生じるのか?という問いには答えてくれない。無知ゆえに不確かだとすれば、無知をどう打破するというのか。結局、ソクラテス流の問答に回帰する。決定論と確率論は、本当に矛盾しないのか?と...
帰納法的な確率も、統計的な確率も、決定論で説明しようとすれば、もはや現象の解釈は主観に委ねられる。条件付き確率を唱えたところで、条件となりうる原因は多義的にならざるをえない。誤差の概念を持ち込んでも、誤差とは可能性であり、その可能性の解釈もまた確率で論じることになる。経験の積み重ねによって、確証の正解率を増大させるかもしれないが、無知もまた増大させる。物理現象を人間が認識するとは、純粋な物理系に観測系が関与することを意味するのであって、すでに主観と客観の狭間で自己矛盾に陥っているではないか。そして、決定論が理想像に崇められた時、もはや自問することをやめ、偉大な知性が暴走を始める。「ラプラスの悪魔」と呼ばれる所以だ。したがって、知性は、健全な懐疑主義と啓発された自己主義によって支えられている、としておこうか...
「確率は一部はこの無知に相対的であり、一部はわれわれの知識に相対的である。」

1. 確率の一般的原理
本書には、十の原理が羅列される。十戒のごとく。これらが、主観の原理によって支えられていることは確かであろう。注目したいのは、第三原理において確率と錯覚について言及している点、第八、第九原理において有利さの概念、すなわち好都合や、利益と損失の関係から期待値が心配値に変質する点、第十原理において人間存在の価値に言及している点である。つまりは... 偶然に関する理論は、事象の存在確率を問うことであり、好都合の比率こそが可能性の正体であり、分子は好都合の場合の数で、分母が可能な場合の総数であるような分数に他ならぬ... というわけだ。そして、物的期待値もあれば、精神的期待値もあるということを付け加えておこう。
尚、確率の公理の簡潔な数学的記述は、20世紀のコルモゴロフの登場を待つことになる。

[第一原理]
第一の原理は確率の定義にほかならない。確率とは、すべての可能な場合の数に対する好都合な場合の数の比である。

[第二原理]
ところが、第一原理は異なる場合が等しく可能であると前提している。もしそうでないなら、それぞれの場合の可能性をまず決定する。これを正しく評価することが偶然性の理論で最も微妙な点の一つである。この時、確率は各々の好都合な場合の可能性すべての和である。

[第三原理]
確率論において最も重要な点の一つであり、しかも最も錯覚を呼び起こしやすいのは、いくつかの確率が互いの組み合わせによって増加したり減少したりする仕方である。もし複数の事象が互いに独立であるならば、それらの事象がともに生じる確率は個々の確率の積である。

[第四原理]
二つの事象が互いに依存する場合、それら二つが複合した事象の確率は、第一の事象の確率と、その事象が生じたものとして第二の事象が生じるであろうという(条件つき)確率との積である。

[第五原理]
すでに生じた一つの事象の確率と、予期されるもう一つの事象とこの事象とを合わせた複合事象の確率とがアプリオリに計算できるものとしよう。この時、第二の確率を第一の確率で割ったものは、すでに観察された事象のもとでその予期された事象が生じる(条件つき)確率である。

[第六原理]
一つの観察された事象について、それを生み出しうる(そして互いに両立しない)原因がいくつか考えられるとしよう。この時、各々の原因が存在すると仮定した時にその事象が生じる(条件つき)確率が大きければ大きいほど、その原因(が当の事象の本当の原因であること)の確率も大きい。かくして、これらの原因の各々が存在する確率は、分子としてその原因を仮定した時にその事象が生じる確率をとり、分母として同様の確率をすべての原因にわたって合計したものをとった分数である。もしこれらの原因がアプリオリには等確率でない場合は、各々の原因を仮定した時の当の事象の確率の代わりに、その確率とその原因自体の(アプリオリな)確率との積を取らなければならない。これが、偶然性の分析のうちで、事象からその原因へと遡る推論の分野での基本的な原理である。

[第七原理]
未来の事象の確率は、観察された事象に基づく各々の原因の確率と、その原因が存在すると仮定した時のその未来の事象の確率との積をとり、それらの積すべての和をとったものである。

[第八原理]
この有利さがいくつかの事象に依存する時、数学的期待値は、各事象の確率とその事象が生じることで得られる利益との積を合計したものである。

[第九原理]
確率をともなう一連の事象のうち、あるものは利益を生み出し他のものは損失をもたらすとしよう。この時、全体からもたらされる有利さは、各々の好都合な事象の確率をそれがもたらす利益に乗じてそれらの積を合計したものから、各々の不都合な事象の確率をそれにともなう損失に乗じてそれらの積を合計したものを差し引くことによって得られる。もし、後の合計が前の合計より大きければ、利益は損失となり、期待は心配に変わる。

[第十原理]
無限に小さい額が持つ相対的な値は、その絶対値をそれと利害の関わりを持つ人の全財産で割ったものに等しい。これは、どのような人もなにがしかの財産を有しており、その価値は決してゼロではありえないと想定している。実際、無一文の人でも、自分の存在に対して、少なくとも彼が生きていくためにどうしても必要なものと等しいだけの価値は常に与えている。

2. 異常と誤差
異常とは、稀な事象を言うのか?あるいは不都合を言うのか?人間社会では、自分の属すグループの側を正常と呼び、それ以外のグループを異常と呼んで蔑む。ここには、ある種の排他論理が働いている。嘘もまた条件つき確率として振る舞い、集団性によって巨大な流言と化し、欺瞞の巧みな者がしばしば勝利する。アプリオリな決定の限界、すなわち主観判断の限界は、既にカントによって唱えられている。
ところで、統計学には正規分布というものがある。ガウス分布とも呼ばれるやつだ。これを正規と呼ぶことに少々違和感はあるものの、平均値を中心に左右対称の釣鐘型の曲線を描くという意味では、美しい関数特性を持っている。
また、近似モデルの一つに最小二乗法がある。誤差の2乗をとることで、プラスとマイナスで対称性をなす特徴があり、最良の誤差を数学的にどう捉えるかという観点から、正規分布と相性がいい。
こうした特性をラプラスは、死亡表と出生率などの事例から説明してくれる。わずかな幸福も、利益の可能性と無限の願いとの積からなるというわけか。そこには、医療福祉政策や年金制度を合理的に決定できるというメッセージが込められている。
しかしながら、無差別の原理を決定論でどう説明するか?という問題は、相変わらず残されている。これがラプラスの弱点であり、確率論の永遠のテーマなのかもしれん...

3.母関数と級数展開
一つの変数 x を持つ関数 A が、変数の累乗の大きさを昇っていく順に並べられた級数に展開される時、これら累乗の任意の一つ xm にかかる係数は指数関数となり、その係数を cm と表す。

  A(x) = ∑cmxm

この A(x) が母関数である。これは形式冪級数であり、係数が確率の質量を表すかのように振る舞う。x0項, x1項, ... を考察することによって、確率関数が記述できるという寸法よ。そして、これを有限界で解くことによって実用性をもたらしてきた。
しかしながら、数学者の興味は、無限へと向う。実際、無限における非連続性こそが、複雑な近代社会を投影するかのようである。金融危機や疫病の蔓延、突然勃発するテロや紛争などは、物理学的ブラックホールや数学的アトラクターといった力学系を持ちださなければ説明できそうにない。ラプラスも、極限の原理を導入することを示唆している。尤も連続性においてであるが...
「有限から無限に小さいものへの移行は、微分計算の形而上学に多大な光を投げかける。この移行により、微分計算は、不定な微小量だけそれぞれ増加させた指数の関数を級数展開し、その級数のなかで微小量の同じ累乗の係数を比較することにすぎない。」

ところで、解析学には、サブタンジェント(接線影)という概念がある。曲線 y = f(x) のサブタンジェンは、サブセカント(割線影)が絶えず近づいていく直線と考える。そして、サブセカントの二つの交点が累乗に従って展開された級数の第一項として記述し、これをテイラー展開する。こうした思考は、近似法において、すこぶる有効である。




ここで重要なのは、サブセカント s と y の関係である。

  y/s = ⊿y/⊿x ...(1)
  s = y⊿x/⊿y ...(2)

次に、y = f(x) において、⊿x → 0 で収束する様子を見る。

  y + ⊿y = f(x + ⊿x) ...(3)

この右辺を、⊿x の冪級数にテイラー展開すると、

  f(x + ⊿x) = f(x) + ⊿xf'(x) + ...

そして、(3)から y = f(x) を引き、両辺を ⊿x で割ると、この形になる。

 (y + ⊿y - y)

 ⊿x 
 =   f(x + ⊿x) - f(x)

 ⊿x 
 =   f(x) + ⊿xf'(x) + ... - f(x)

 ⊿x 

極限値を決定する上で重要なのは、第二項である。右辺の第二項は ⊿x で割り切れて f'(x) となり、左辺の第二項は ⊿y/⊿x となり、(2)より s の極限値は導関数 f'(x) で決定づけられる。

  ⊿x → 0 の時、s = y/f'(x)

これが、近似法におけるだいたいの主旨であり、結局、角θにおけるサブタンジェント(接線影)を問うことになる。
なんと!本書はこれを確率の視点から考察している。つまり、収束するか否かを。ただし、難解!その確率を求める計算式は、こんな形になるそうな...

 ⊿n{s(s - 1)...(s - r + 1)}i

 {n(n - 1)...(n - r + 1)}i 

尚、この場合の s は、最終的に 0 なるべき内部変数だとか。詳細はラプラス著「確率の解析的理論」を参照とのこと。確率とは、存在するか否かを問うことであり、存在するとは、影を引きずって生きることを言うのかもしれん。
ラプラスは、自らの方法論を「母関数の計算」と名づけている。
「定積分の極限が実数であり正であると仮定した場合に到達する級数は、その極限を決定する方程式が負あるいは虚数の解しか持たない場合にも同様に生じるということである。この正から負、そして実数から虚数への移行を利用したのはわたしが最初であるが、さらに、それによって、わたしはいくつかの特異な定積分の値を得ることができた。」

4. 大数の法則に見る哲学的意義
ラプラスは、ヤコブ・ベルヌーイの功績を称えながら、哲学的試論の意義を語る。
「理性、正義、および人間性の永遠の諸原理においてさえ、それにいつも伴う好都合な見込みだけを考えて原理に従えば大きな利益があり、原理から逸脱するなら重大な不都合を招く... こういったことを、人は疑いなく興味を持って理解することであろう。このような見込みが、富くじにおける有利な見込みのように、偶然性の揺れのなかでついには大勢を制するのである。」
実際、日常の経験に基づいた確率や、期待と心配によって誇張された確率は、純粋に計算で導かれる確率よりも強く作用する。そして、これは、大数の法則の極限的な表現である。
「観察と実験が限りなく繰り返されるならば、生じるはずの種々の事象の比率は、それぞれの事象の可能性の比率に、絶えず収縮する区間の限界内の差で近づき、この区間は与えられたどんな量よりも小さくすることができる。」

5. ド・モアブルの方法とスターリングの定理
ド・モアブルは、積分を極めて好都合に用いた方法論を見出したという。二項公式に基づいた方法で、その特徴は再帰級数の応用にある。
まず、以下の幾何(等比)級数を考える。

  a + ar + ar2 + ar3 + ...

n番目の二項の関係において、

  xn - rxn-1 ...(1)

添字 n を n-1 で置き換え、定数 k をかけると、

  kxn-1 - rkxn-2 ...(2)

(1) から (2) を引くと、

  xn - (r + k)xn-1 + rkxn-2 ...(3)

次に、公比が k に等しい別の幾何級数をとる。

  b + bk + bk2 + bk3 + ...

同じ手続きを繰り返すと、以下の三つの式が得られる。ただし、かける定数を最初の級数の公比 r とする。

  yn - kyn-1 ...(1')
  ryn-1 - rkyn-2 ...(2')
  yn - (r + k)yn-1 + rkyn-2 ...(3')

そして、二つの級数の項ごとに和をとると、

  (a + b) + (ar + bk) + (ar2 + bk2) + (ar3 + bk3) + ...

つまり、(3) および (3') と同型である。

  zn - (r + k)zn-1 + rkzn-2 ...(3'')

さらに、再帰級数で抽象化すると、

  c0 + c1t + c2t2 + c3t3 + ...

つまり、二つの幾何級数の和として記述でき、二つの解はこれらの級数の公比に他ならないというわけだ。これは、物理現象を解く上でしばしば見かける形であり、次元を思わせるような魔力を感じる。

さらに、ド・モアブルは、二項式の高い累乗においてスターリングの定理を利用したという。その特徴は、円周が半径に対して持つ比の平方根 √(2π) を導入する点にある。ちなみに、現代の記法では以下のようになる。この近似値はしばしば重宝してきたが、こんなところで出会えるとは...

  x! ≒ √(2π)・x(x + 1/2)・e-x

0 コメント:

コメントを投稿