2016-07-03

"リデルハート戦略論(上/下)" B. H. Liddell-Hart 著

真の平和論を語れるのは、知性ある軍人のなせる業であろうか... 平和を望むなら戦争を理解せよ!人間を理解するためには、己の内にある悪魔性を知れ!自己にとっって、憎悪、嫉妬、復讐の類いほど手に余るものはない。しかし、これが人間の本質である。
愛国心は悪人の最後の隠れ家である... とは、サミュエル・ジョンソンの言葉だ。愛国心そのものが悪いわけではない。だが、情愛ほど暴走しやすいのも確か。犯罪心理学では、平和愛好家の隠された好戦性というものが指摘される。穏健な人ほど一旦ブチ切れると、一層暴力的になる。不必要な危険を招き入れるのは、無防備な平和論者の方であろう。
近現代の軍人には、ますます国際的視野が要求され、時には狡猾さも必要である。そして、戦略なき政策は危険となり、哲学なき戦略は戦争へと導くであろう。
近年、イスラム国の脅威を世界への挑戦と捉える欧米諸国から見れば、今まで敵であったアサド政権は、敵の敵。もし復縁すれば、第二次大戦でアメリカとソ連が同盟し、対日戦線で中国国民党と共産党とが手を握った構図と似ている。これも政治的合理性ではあるが、ロシアがアサド政権を軸にIS対抗策を打ち出したことによって混迷度を増すことに。
一方で、伝統的に外交感覚に乏しい日本は、無策を続ける。失策を続けるよりはましか。
金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことは全てを失う... とは、チャーチルの言葉だ。
「道義的義務感を尊重しない国ほど物質的な力 - 罰を受けずに挑戦するにはあまりにも強すぎる実力を抑止する力 - をより尊重する傾向がある。同じように、弱い者いじめ型や強盗型の人間は、自力で立ち向かってくる人間に対しては攻撃をためらうということは個人について共通する経験である。そのためらい方は平和型の人間が、自分よりも強い攻撃者と取り組み合うのをためらうよりもはるかに強い。」

B. H. リデルハートの「間接的アプローチ理論」は、クラウゼヴィッツの「戦争論」と並び称される。ここには、人間的要因の支配する世界における生命の法則らしきものが綴られる。それは、真理の追求のみが真の戦略を与え、長期的な人生戦略につながるということである。
攻撃は最大の防御なり!... という格言をよく耳にする。しかし本書は、これを見事に反証して見せる。戦争の花形は確かに攻勢にあるが、戦略の本質はむしろ防勢にあるということを。
過去一世紀を振り返っても、軍事ドクトリンの規範では、敵の主力を叩け!というのが本筋とされてきた。しかし、間接的アプローチでは、主力を遠回しに攻撃する戦略が重視される。短期決戦で済むのであれば、主力を直接叩く方が合理的であるが、長期戦になるほど直接的アプローチは犠牲が大きい。ましてや殺戮など余計な行為であり、なによりも愚かである。
直接的アプローチが簡単にどんでん返しを喰らうのに対して、間接的アプローチは戦略を重厚なものとさせ、一度流れをつかむと容易には押し返されない。備えが十分であれば、仕掛けるよりも仕掛けさせる方が優位となろう。
リデルハートは、戦略に対して、より抽象度の高い「大戦略」という用語を持ち出す。戦術が戦略の下位で適用されるように、戦略もまた大戦略の下位で適用される。
「戦争遂行者は戦略家以上の人物でなければならない。その人物は指導者と哲学者を結びつけたような人物でなければならない。戦略というものは、その主体が敵を欺騙する術と関係しているので、それ自体が道徳に対立するものであるのに対して、大戦略は道徳と両立する傾向を持っている。」

人間同士の敵対ほど相対性理論を体現するものはあるまい。矛盾とは、盾と矛の関係。優れた作戦は、相対的に愚かな統帥に対して通用し、上手をいく統帥には通用しない。どんなに愚かな作戦でも、相手がもっと愚かであれば成功する、ただそれだけのこと。歴史的成功とは、まさに相対的関係において生じるのであって、絶対的な戦略などありえない。
したがって、軍事行動には、常にギャンブル性がつきまとう。石橋を叩いても渡らない!とまで言われた家康とて、関ヶ原で万万勝てるとは思っていなかったはず。戦は、なるほどやってみなきゃ分からん。
クラウゼヴィッツは言った... 「政治目標が最終目的であり、戦争はその目的に到達するための一つの手段である。」と... ならば、自国の軍事力を過信して賭けをやる政治家ほど、公共物を私物化した状態があろうか。クラウゼヴィッツはこうも言った... 「あらゆる軍事行動には、知性の力とその効果が行き渡っているべきもの。」と... 知性ある者が、どうして国民の命を犠牲にしてまで賭けにでることができようか。戦争を始める者は、よもや負けるとは思っていないだろう。一旦始めてしまえば後戻りできない。戦争状態では人間の最も野蛮な面を曝け出し、憎悪の念は拭えない。仲間が殺される現場で、どうして敵に寛容でいられよう。味方や一般市民を誤爆、誤射することだってある。犠牲者を最小限にするよう周到に計画された戦争であっても、しばしば泥沼化する。そうなれば、直接行動に目が奪われる。戦局が思わしくなければ尚更。そして、政治家は必ず戦争の正当性を精神論に訴え、愛国心を煽る。合言葉は決まって... 正義だ!戦争に踏み切る前は慎重だった世論もまた徐々に真実を見失い、ちょっとでも苦言を呈すと非国民!と罵声を浴びせる。言論の自由は迫害され、敵の文化までも全面否定し、敵を知り己を知れば百戦殆うからず!という黄金律までも忘却の彼方...
こうした傾向は、悪化したプロジェクトで、納期は絶対死守!などと従業員を鼓舞するマネージャの言動、あるいは、株式市場で業績悪化のためにトレンドに逆らってまで資金投入を続ける行動などと似ており、いわば敗者の心理状態にある。人間のギャンブル性は依存症とも相性がよく、負け始めるとますます止められなくなる。相手を撃滅させることにしか打開策を見出だせない戦略家は、消費を煽ることしか経済対策を打ち出せない政治家にも似たり。そして、どんな戦争でも、どうやって終わらせるか?が大問題となり、第三者が尻拭いをさせられる。
したがって、戦略の定義には責任の範囲を明確にすることも含まれ、勝とうが負けようが戦後処理の方がはるかに重要となる。戦争に勝っても人は死ぬ。いったい誰が勝ったのやら...

1. 孫子の黄金律
本書は、紀元前5世紀から20世紀までの戦争を分析し、間接的アプローチの戦略的使用がいかに有効であったかを物語る。古代や中世の統帥たちが戦略的に意図していたかは別にして、結果的に間接的アプローチによって成功したこと。そして、近代戦争では総力戦と化し、補給戦略などの間接的アプローチの重要性が増し、より長期的な戦略が求められるようになったこと。その反面、突撃や主力決戦といった直接的アプローチが、いかに国力を消耗させ、自滅へと導いてきたかということ。
さらに、核兵器をはじめ爆撃用兵器の大型化にともなって戦術的に融通が利かなくなり、柔軟性の高いゲリラ型戦略の進展を助長したこと... 現代では、更に巧妙なサイバー攻撃が用いられる。
戦略の極致は、いかなる激しい戦闘もなしで、最小限のコストで事態を決着させることにある。その事例では... カエサルのイレルダ作戦、クロムウェルのプレストン作戦、ナポレオンのウルム作戦、モルトケのマクマオン軍の包囲(セダンの戦い)、アレンビーのサマリア丘陵地帯におけるオスマン帝国包囲(メギッドの戦い)、グデーリアンの電撃戦... などが議論の対象となる。
そして、「孫子の兵法」から実に多くの言葉が引用される。どんなに技術や戦術が進化しようとも、二千年以上前から人間の心理的原理は変わっていないということか。人間の行動を抽象化、パターン化しようとすれば、極限状態にある戦争ほど良いモデルはあるまい...

「あらゆる戦争は欺瞞のうえに成り立っている。したがって攻撃が可能なときには、それが不可能なように敵に思わせなければならない。」

「長期戦で利益を得た国は一つもない。戦争の悪について熟知している者だけが、戦争で利益を得る方法をよく理解している。」

「最高の戦争のやり方は、戦わずして敵の抵抗を排除することになる。」

2. 戦略とは...
戦術と戦略を分類して議論する場合、責任範囲を明確にすることと深くかかわる。しかしながら、リデルハートは、戦術と戦略をカテゴリーで分けることは議論するには便利だが、けして分離できないとしてる。両者は相互に影響し合うだけでなく、一方が他方と一体化する場合もあるからである。
クラウゼヴィッツは、戦略をこう定義している。
「戦争の目的を達成する手段として戦闘を用いるための術である。」
この定義の欠点は、戦略が政策の分野に、あるいは、より高度な戦争指導の分野に踏み込んでいることだと指摘している。政府の責任までも軍事指導者が負うべきではないと。そして、もう一つの欠点は、戦略の意味を、純粋な戦闘の使用に局限している点だという。そのために、目的と手段を混同する考えがドイツ統帥部に蔓延していったと。特に、誤解の種となったクラウゼヴィッツの言葉に、これを挙げている。
「戦略の唯一の目標は戦闘であり、勝利は血をもって贖うものである。」
戦略家が戦略と戦術を混同してしまっては、血に飢えた狼となるは必定。忌まわしい戦争の時代に戦いで死ねるのは、軍人にとって幸せではあろうけど...
クラウゼヴィッツの書は抽象度が高いために、言葉の表面だけを追えば多分に誤解されやすい。そもそも哲学書にはそういう性格があり、記述によって精神の領域に踏み込もうとすれば、言葉の限界にぶつかる。真に言葉の意味を理解するには、全体構成から立体的に読み解く必要がある。
したがって、哲学的思考に疎い者が読むと、作者の意図とはまったく正反対の結論さえ導き出すことがある。実に多くの哲学者や思想家が、後世のほとんど言いがかりのような批判に曝されるのも道理である。
さて、戦略と政治の役割については、もう少し明確な区別が欲しい。フリードリヒ大王やナポレオンのように、戦略と政治の二つの機能が一人の人物の中に統一されている場合、両者を区別しないことは大した問題にならなかった。だが近現代では、シビリアンコントロールが主流であり、専制君主的な軍人兼政治家は稀である。かつて戦時下の戦争指導者や軍部は政策の領域まで口を出し、その権限までも要求した。現在の民主主義国家でも、政治家が軍事的手段に干渉する傾向がある。モルトケは、クラウゼヴィッツよりも明確かつ賢明に戦略を定義づけたという。
「戦略とは、見通しうる目的の達成のために、将帥にその処理を委任された諸手段の実際的適用である。」
軍の司令官は、あくまでも政府の雇用者というわけだ。さらに、リデルハートは戦略を再定義している。
「戦略とは政策上の諸目的を達成するために軍事的手段を分配し、適用する術である。」

3. 大戦略とは...
政治目的と軍事目的を明確に区別せよ!とはよく耳にする。だが実際は、この二つを完全に分離することは難しい。国家は、政策遂行のために戦争をするのであって、戦争のために戦争をするのではない。ただ、軍事目的は政治目的における一つの枝葉に過ぎない、ということは心得ておくべきだろう。
本書は、軍事目的は政治目的によって支配されるべきで、政策は軍事的に不可能なことを要求しないことを基本条件としている。戦争指導の方針を示す政策、すなわち、戦略目的を支配するものをより高次な基本的政策とするならば、大戦略は政策と同じ意味を持つことになる。
ではなぜ、わざわざこんな言葉を用いるのだろうか?より差し迫った意味が欲しいようである。少なくとも福祉や社会制度などとは区別すべきである。
例えば、資源を政治目的とする場合、これを確保する基本政策が戦争を手段とした大戦略ということになる。国家の経済資源や人的資源の開発を図ることも、国力としての軍事力と関係し、産業間の資源配分も含まれる。近年、軍事費の有り方は、よく対GDP比で議論される。
また、国民の意欲を涵養するための精神的資源は、戦力の保持と同様に重要だ。戦略で見通すことのできる範囲は戦争に限られるが、大戦略の視野は戦争を超越して戦後の平和にまで及び、安全保障政策まで踏み込む。そして、目的と手段は釣り合っているか?が問われる。目的と手段が混同されるだけでなく、目的が立派すぎて手段がおぼつかないこともあれば、手段が目的を無視して独り歩きをはじめることもある。技術偏重も、理想主義も、平和主義も、過剰となれば危険となろう...

4. ナポレオン方式
適応力は、生命におけるのと同様、戦争においても生存を支配する法則だという。戦争は、環境に対する人間闘争の集中された形態に他ならない。
戦争の原則は一言で言えば「集中」であるとしている。より厳密に言えば「弱点に対する力の集中」であり、相対的には敵軍の分散に依存することを意味する。逆説的ではあるが、自軍を分散することによって敵軍が分散せざるを得ない状況を作り、その隙に自軍を集中させて優位に立つ。したがって布陣では、分散と集中の連続した形態をとる機動力が要となる。基本的な誤りは、自軍の集中のために敵に集中する時間を与えること。
ナポレオンは、戦略的にも戦術的にも「速度による質量の倍加」をもたらしたという。当初は、やはり天才戦略家であったか。彼は、18世紀の二人の優れた軍事研究家ブールセとギベールの理論を継承している。それは、作戦計画が枝分かれを持ち、一つは失敗がありえないほど確実な作戦とすることや、師団編成という概念をもたらしたことである。それまでの陸軍戦略は、フリードリヒ大王をはじめ国家軍の単位で行動を起こしていたが、ナポレオンは師団構成という形で進化させた。
しかしながら、ロシア遠征では、45万もの大軍のために、ほとんど一直線の配備をとることになる。巨象は動きが鈍く事実上の虚像となるは、自然の結果。
おまけに、ロシア軍の自国を焦土化する巧妙な退避戦略が、機動の欠点を際立たせた。もっともロシアの広大な領土が前提条件にあるわけで、うまく誘い込まれたのである。伸びきった補給線が、やがて臨界点に達するのは自明の理。勝ち続けているという幻想が、軍人のプライドをくすぐり、さらに進軍を続けようという誘惑に駆られる。
それは企業戦略でも同じで、ちょっと儲け過ぎると拡販路線をとってリスクを自ら拡大してしまう。上昇トレンドの勢いに乗せられて必要以上にレバレッジをかければ、他人資本がまるで自己資本のように見えてくるものである。はたして領土が本当に自分のものになっているのやら?と疑問すら感じなくなるのだ。そして、軍事資本が無制限に投入できると思い込み、悲劇をさらに拡大させる。まさに負の連鎖。
「人材の銀行にいわば白地式小切手口座を所有することという点で、ナポレオン戦争と第一次大戦は、きわめて類似した結果を示したことは奇妙なことである。いずれの場合もその結果が激しい火砲射撃の方式と関連していることも奇妙なことである。その意味は、惜しみない資源の投入は浪費を生む、ということであろう。これは、奇襲や機動を手段とする兵力の節用という考え方とは正反対のものである。」

5. 第一次大戦
独仏国境線は意外と短く、わずか150マイル余り。だが、ベルギーやルクセンブルクを含めると機動性の余地が出てくる。フランスの当初の計画は、大規模の要塞群によって防勢をとり、反撃を喰らわすというもの。そのために、アルザス - ロレーヌの国境線に沿って要塞が創設され、ドイツ軍を誘い込むためにトルエー・ドゥ・シャルメ峡谷のような間隙を残したという。
しかし、ドイツの「シュリーフェン計画」によってフランスの思惑は外れる。それは、主力をベルギーから迂回させて、右翼の側面から奇襲するというもの。フランス軍統帥部は、ドイツ軍がベルギーへ侵入を開始した時でさえ、マース川以東の狭い正面に限定されると予測したという。奇襲が成功するのは、相手側の楽観主義によるところが大きい。
一方で、せっかく奇襲に成功しつつある中で、用心深さのために躊躇する事例もまた多い。シュリーフェン計画もまた、参謀総長モルトケ(大モルトケよりも若い小モルトケ)が台無しにしてしまう。フランスの攻勢につられて右翼を後回しにし、主力を正面に布陣させてしまったのだ。主力を右翼に転移させれば、敵の主力が集結する左翼が弱体化するものの、右翼にとどまる兵力が大きいほど、背後攻撃が一層決定的になる。正面攻撃を避けて、犠牲を小さくするとうのが、当初の計画である。
本書は、失敗要因の一つに鉄道の発達を指摘している。鉄道という固定化された交通線に軍隊が依存したために、攻勢も防勢も兵力を集中させる傾向があると。鉄道に依存した融通の利かない配備については、日露戦争のシベリア鉄道に依存したロシア軍についても言及される。日露両軍が、その目標に固執したがために正面衝突を繰り返し、互いに犠牲を拡大したという。西部戦線では、独仏の初期戦略の失敗によって、続く四年間を塹壕戦という膠着状態に陥れた。戦車が登場し、最初こそ恐れさせたが、動きが鈍く恰好の標的となった。おかげで戦車の評価が下がり、次の戦争で電撃戦の奇襲性を助長させたという見方もできる。
ところで、西部戦線の膠着状態は、他の戦線から見れば、ドイツ軍の主力を釘付けにしているという見方もできる。当時、海軍大臣だったウィンストン・チャーチルは、こう語ったという。
「連合を組んでいる敵の諸軍は一体のものとして見るべきである。現代の戦いでは距離と機動力に関する概念が大きく変わっており、ある別の戦域で敵軍に与える打撃は、古典的戦争での敵翼側への攻撃に匹敵する。」
イギリス首相ロイド・ジョージもまた、敵の裏口へ通ずるバルカン半島へ主力部隊を転用すべきと主張したという。しかし、イギリス軍はバルカン半島へ兵力を小出しにして、使い果たしてしまう。
そして、本当の意味で第一大戦に決着をつけたのは、海軍力による海上封鎖だったと結論づけている。戦闘による大出血や勝利が不可能と知った精神的ダメージも大きいが、それ以上に国民の飢餓が深刻だったという。戦争を終わらせるために、皮肉にも革命に頼ることになった。しかも、ロシアとドイツの双方で...

6. ヒトラー方式
ヒトラーは、初期戦略で慎重に計画し、経済的効果、精神的効果を狙っている。平和愛好家たちは、ヒトラーの企図を予測することが緩慢だったために暴走を許した。「我が闘争」という著作まで準備し、意思を明確にしているにもかかわらず。人間ってやつは、自分の目で見ているがために、逆に何が真実かを見逃しやすい。秘密はしばしば公然と見せつけられているにもかかわらず、不都合なものには目を背ける傾向がある。これこそが深層心理を巧みについたヒトラーの秘匿の術だったのかもしれない。
そして、資本主義者と社会主義者を巧妙に衝突させた隙に、ワイマール憲法の弱点に乗じて独裁者となった。これほど大々的に宣伝活動を煽動の道具にした政治家は、かつていなかった。見事な間接的アプローチである。
「民主主義諸国の政府が、ヒトラーが次に進む道の予測に失敗した方法ほど、後世の歴史家にとって奇妙に思われることはないだろう。ヒトラーほど大きな野心を抱いた人物にして、自分の目標達成のための全般的手順と具体的方策の両面にわたり、あれほど明らかにあらかじめ暴露してみせた者は他には全くいないからである。」
ドイツの軍事的教義に対して、ヒトラーがいかに斬新的であったかは、ルーデンドルフとの比較から考察される。ルーデンドルフは、ミュンヘン一揆でヒトラーと共にベルリンへ行進した仲間。彼にとってのクラウゼヴィッツ理論の欠陥は、犠牲という代償を無視して無制限の暴力行動へ突進しすぎるという点ではなく、その突進が不十分であったこと。そして、「国家の軍隊化それ自体を目的としない限り、戦争とは目的を持たない手段になる。」と考えたそうな。ルーデンドルフが戦争の下に政策が位置づけられるのに対して、ヒトラーは、戦争を政治の手段の一つとした点で、クラウゼヴィッツに近い。
とはいえ、戦略と政策の二つの機能を兼ね備える総統の地位を獲得し、アレクサンドロス大王やカエサル、あるいはフリードリヒ二大王やナポレオンと同じような利点を享受することになる。

7. 第二次大戦
ジークフリート線は、フランス軍に対する威嚇もあろうが、それ以上に、第一次大戦で傷つけられた国民の誇りを取り戻すための戦略と見ることはできよう。当初、ドイツ軍統帥部でシュリーフェン計画の踏襲が検討されていたことは、グデーリアンの著書でも回想されている。第一次大戦の反省から、この計画が忠実に実行されていれば、十分に戦果が望めるという考えである。
しかし、ヒトラーには硬直化した陸軍司令部が気に入らなかったと見える。そこで、「マンシュタイン計画」が検討される。マジノ線を正面から突破するためには、アルデンヌの森がルートとなり、この方面では装甲部隊の展開が困難に見えるが、マンシュタインはそれは可能であるとの結論を出した。この計画を決定づけたのは、歴史的にはメヘレン事件によって情報漏れを恐れたということになっているが、わざと漏洩させたとの見解も耳にする。
それはともかく、ヒトラーが長期戦を危惧していたことは間違いあるまい。長期戦となれば中立国が連合国側につくだろうし、連合国の軍備拡張が追いついてくることも予測できる。さらに、アメリカの参戦も考えていただろう。それは、第一次大戦で検証済みである。
したがって、第一次大戦のような初期戦略の失敗は許されない。グデーリアンの電撃戦は、要地を正面突破したという意味では直接的アプローチではあるが、航空部隊と装甲師団の連携した三次元攻撃という意味では意外性をもつ間接的アプローチであった。そして、マジノ線をあっさりと無力化した。
しかし、とどめの段階で、最後の脱出港ダンケルクへの突進を中止したのは様々な憶測を呼ぶ。ルドルフ・ヘスの不可解なイギリスへの飛行など、ヒトラーがイギリスとの講和を望んでいたという可能性である。
確かに対イギリス戦争は困難な問題ではあるが、見方によっては単純である。イギリスはヒトラーが大きなミスを犯すまで持ちこたえなければならなかった。対ナポレオンでもそうであったように。ナポレオン戦争と二つの大戦では、イギリスの海上封鎖が機能した。それは、ドイツ側にも同じことが言えたはずである。実際、イギリスの物資力は植民地やアメリカの支援に頼っていたのだから。ブリテンの戦いで空爆目標を空軍要地からロンドンなど都市に変更しなかったら、あるいは、Uボート戦略でもっと潜水艦生産を集中させていたら...
ヒトラーは、空軍と機械化部隊を連携させる斬新な方式を編み出しておきながら、戦局が膠着状態に陥ると、ついに東部戦線で古典的な方法に頼るという重大なミスを犯す。ヒトラーが軽蔑したドイツ軍司令部以上に硬直化した思考に陥ってしまったのだ。ヒトラーとドイツ軍統帥部では侵攻計画を異にする。ヒトラーは、レニングラードを主目標とし、バルト海側を安全にしてフィンランドど提携し、また、経済的要因としてのウクライナの農業資源と、ドニエプル川下流の工業地帯を奪取したいと考えたという。この二つの目標は、地理的に両極端にある。グデーリアンは首都モスクワまで二百マイルに迫ると、再びソ連の兵力が結集する時間を与えないことの重要性を唱えたが、聞き入れられず一時期解任された。マンシュタインも解任された。やがて冬将軍が到来し、広大なロシア領をさまようことに。
本書は、ポーランドを防衛ラインとすれば、地理的に兵力集中の観点からドイツ軍は優位を保っていたと指摘している。ロシア領土内に深く踏み入るほど、部隊の大展開が必要となって優位性を失う。それは、ナポレオン戦争でも二つの大戦でも同じ。歴史は繰り返される... とは、よく言ったものである。

8. 戦後処理のための戦争
ドイツ軍の東部戦線の有り様は、大日本帝国陸軍が中国大陸に侵攻し、泥沼化していった状況と酷似している。さらに、マッカーサーの奪還戦略では迂回方式が採用された。「飛石作戦」によって島々の守備隊を孤立させ、自然の抑留地として取り残されたのである。軍部は「満蒙は日本の生命線」と主張しながら、シーレーンの崩壊によって真の生命線が絶たれた。この点は、ヒトラーがスターリングラードにこだわった思考回路と似ている。
また、本書では言及されないが...
大戦略の観点から、ノルマンディー上陸後、自由主義国と共産主義国との間で、既に戦後処理の主導権争いが意識されていたことは想像に易い。ヤルタ会談はその前哨戦だ。ヨーロッパではベルリンへ向かっての進軍競争が展開された。連合国は、勝ち戦と分かっていながら無謀な作戦をとっている。マーケット・ガーデン作戦もその一つ。この時期には豊富な物量に支えられ、戦局に大きな影響を与えないとはいえ、出さなくてもいい犠牲を出した。ヨーロッパ戦線では、クリスマスまでに終わる!といった楽観的動機で無駄な犠牲を出した事例は実に多い。
日本においても、アメリカは占領政策で主導権を握りたかったはず。本土決戦で長引けば、ソ連が北海道分割占領を要求してくることも十分に予測できる。その方策としての原爆投下の是非は別にして、ソ連の対日参戦のタイミングと重なるのは偶然ではあるまい。米英にとって、戦後の世界における共産主義化に懸念があったことは確かであろう。イデオロギー戦争ともなれば、クラウゼヴィッツの唱えた政治の一手段を超越し、もはや平和のための戦争ではなく、戦争のための戦争となっていくのかは知らん...

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