2016-07-10

"フラー制限戦争指導論" J. F. C. Fuller 著

英国陸軍少将ジョン・フレデリック・チャールズ・フラーは、機甲部隊を中心に据えた機動戦略を提唱したことで知られる。しかし、伝統的な将校たちの反発を受けて頓挫。イギリス人の理論がドイツ人によって実践されるとは、なんと皮肉であろう。そう、グデーリアンの電撃戦である。
ナポレオン戦争と二つの大戦は、非戦闘員に多大な犠牲を強いてきた。もはや近代戦争は、消耗戦、総力戦の様相を呈す。無差別爆撃を戦略爆撃と呼ぶことに抵抗を感じる人は少なくないだろう。「制限」というからには、敗北主義のイメージを与えかねない。案の定、攻撃性旺盛な連中から批判を受けてきた。
フラーは、攻撃こそ最大の防御!を信条とする連中を、クラウゼヴィッツを皮相的にしか解釈できない輩だと吐き捨て、戦争のもつ政治的な意義を再定義しようとする。備えこそ最大の防御!というわけだ。真の軍人精神にはスポーツマンシップに通ずるものがある。格闘性の激しい競技ほど自制と厳格なルールが求められるように。敵対心を煽って無謀な行為を勇敢と履き違えるような旧式軍人は、いまや無用だ。

「制限戦争」という言葉には、全世界から戦争をなくすことは可能であろうか?という普遍的な問いが暗示されている。偏重した善は悪魔にも匹敵する。博愛を唱える修道士が、最も残虐な行為に及ぶのも道理というものか。そして、あらゆる行為を正当化するために、正義と大義が道具とされてきた。犯罪心理を考慮しない有識者どもが唱える道徳論ほど陳腐なものはあるまい。
哲学や科学は普遍性を追求する世界であり、いわば理想を求める世界。そのために現実から目を背けがち。一方、政治や経済は現実を直視し、実益を求める世界。そのために目先の利益に目を奪われがち。理想主義には、誰にとって理想かという問題を抱え、その対極にテロリズムを置くことができよう。現実主義には、哲学なき利益に執心し、その対極に弱肉強食を置くことができよう。どちらも排他的思考を旺盛にさせる。クラウゼヴィッツが言うように「戦争は一つの政治的手段」とするならば、人間精神に内在する悪魔性からも目を背けるわけにはいかない。力とペテンは、平和時には悪徳とされるが、戦時には美徳とされるのだ。戦争を根絶することができれば、世界は本当に平和になるだろうか...
「原始人の最も危険な敵は自分の属している人種の敵であった。今日でも、人間が人間の唯一の敵である。そして人が人を攻撃するのは50万年前と全く同じである。戦争と狩猟は昔からアピールする。これは本能的に、どんな子供でも鉄砲が好きで、大人が殺害にスリルを感じるゆえんである。」

そもそも、何のために戦争をやるのか?それは、集団的な自己存在の強調、集団的な自我の肥大化と見ることはできる。民族優越主義もその現れ。本書は、「戦争の真の目的は平和であり、勝利ではない。」と唱える。そして、敵を撃滅して一方的に意志を強制することの愚かさを説いている。平和こそが政治を支配する第一の観念であるとすれば、勝利は平和を達成する一手段に過ぎないことになり、無制限戦争の意味は自ずと失うであろう。
しかしながら、戦争をやる理由がイデオロギーや宗教の対立である場合、国家や民族の根絶までも獰猛に欲する。実際、二つの大戦では無差別攻撃が正当化された。民主主義といっても実に多様な形態があり、自国の民主主義を平和愛好の唯一の手段として崇めるのは危険である。平和にしても様々な解釈があり、真の国際調和を意味する場合もあれば、国際的不和や緊張関係によって殺し合いを抑制するという場合もあり、後者の方が現実的であることが多い。
「冷戦」という言葉は、戦闘状態の継続を意味していたが、ある種の平和状態と見ることもできよう。その証拠に、冷戦構造が終結して平和が訪れたかと言えば、むしろ危険を増している。核兵器といった大量破壊兵器が大規模な戦争を抑止しているとはいえ、新たなゲリラ戦術が生まれ、従来型兵器への依存度は変わらない。本書には、「小銃が歩兵を生み出し、歩兵が民主主義を作った」という記述がある。ネット社会では情報の民主化が進み、国家はサイバー攻撃に晒されている。これもある種のゲリラ戦だ。戦闘様式は、技術進歩にともなって合理化するどころか、より複雑化している。
平和の概念を支える原則の一つに、世界人権宣言などが掲げる「すべての人間は平等」という理想があるにはある。それは政教分離によって支えられる原則であるが、法律でいかに定めようとも完全に政教分離を果たした国家はない。おそらく、人間社会から信仰心を根絶することは不可能であろう。無神論者だって、宗教が唱える神を信じないだけで、宇宙論的な独自の神を構築する。無宗教家だって、既存の宗教が唱える教義に納得できないだけで、自己の中に論理的な信仰を構築する。精神の持ち主が、自己存在に何らかの意義を求めるのは自然であり、生きた証ってやつを求める。
もし、このような思考傾向が相手を煙たいと感じさせ、紛争の根源的な要因であるとすれば、無制限戦争をいかに回避するか、ということに注力することの方が現実的な解となろう。現実を生きるということは、妥協を生きることであり、和平条約の類いがすべて妥協の産物である。

1. 絶対君主の戦争様式
本書は、制限戦争の起源を18世紀の絶対君主の時代に求めている。宗教戦争は三十年戦争で頂点に達し、飢えた人民の大群を産み出した。人口は激減し、人肉食いもあったという。そして、一般市民が傭兵たちの恐ろしい野蛮行為の犠牲になった。絶対君主は、この宗教戦争の廃墟の中から生まれたという。
15世紀頃の専制君主に対して、ルイ14世の処世上の身分は神の摂政としての絶対的地位を確保し、全ヨーロッパの模範となった。その傾向は、軍事面において顕著だったようである。15世紀の専制君主の権力が傭兵に依存したのに対し、17、18世紀の絶対君主は常備軍に権力の基礎を置いたという。常備軍の成立はシャルル7世による親衛隊の編成に遡るが、範となるのは1643年、大コンデ率いるフランス軍がロクロワの戦いでスペインを破った時だとか。常備軍の規模は国力と関係する。国民経済が破壊された状況で常備軍を養うことはできないのだから。そして、ここに制限軍事力という概念が生まれたという。常備軍の意義は、なんといっても非戦闘員との明確な区別にある。
フリードリヒ大王の時代には強制的な徴兵と厳格な規律が、戦術を密集陣形による作戦に限定する主因になったという。この時代の戦争は恐ろしく犠牲者が少なかったとか。戦争は形式的なものとなり、しばしば限定的な戦闘で済んだという。敵の領内に侵入し、相手を右往左往させるだけでも大成功だったと。殺し合いというより脅し合いか、罵り合い。制限戦争で立案される作戦は、疲弊戦が基本原則であったという。だから、スペイン継承戦争あたりまで惰性的な戦争が続いたのであろうか?歴史家ガリエルモ・フェレーロは、合理的で無感動な戦争様式について、こう記したという。
「制限戦争は、18世紀の最も崇高な実績の一つであった。それは、温室植物の種類に属し、したがって貴族的かつ良質の文明の中にだけしか繁茂し得ないものであった。われわれはもはやそれを繁茂させることができない。それは、フランス革命の結果失ってしまった素晴らしいものの一つである。」

2. 国民戦争の原動力
本書は、絶対君主時代の制限戦争を終焉させ、破壊と殺戮の野蛮な形に逆戻りした転換期がフランス革命だとしている。つまり、絶対大衆主義が絶対君主を追放し、大衆の熱狂が国民戦争を覚醒させたというのである。そして、古臭くなった制限戦争と未発達の無制限戦争の二つの形態が初めてぶつかったのは、1792年のヴァルミーの戦いだとしている。
とはいえ、フランス革命は周辺諸国で歓迎された。オーストリア支配から解放されることを熱望した民衆には、自由の観念が輝いて映ったことだろう。
「原始部族は武装した遊牧民の集団であり、各々が戦士であった。部族全員が戦争に従事するので、戦争は総力戦である。しかし人類が野蛮時代に代って農業文明の時代を迎えると、ごく少数の例外を除き、人々は狩りや遊牧の生活をすてるようになった。以来、非戦闘員である食物生産者と戦士との間に差別が生れたのである。古代の都市国家においては、十分な資格を有する市民のみが市民軍に入隊できた。封建時代には、騎士とその家族達が召集の主体となったが、それは全人口のごく一部分にすぎなかった。そして、絶対君主の時代には、一般市民はまったく戦争の域外に立った。この区別がいまや廃止され、武装した遊牧民の集団に復帰することになった。ただし、今度は国家的立場においてである。」
やがて、国家軍を増強するために徴兵制が合法的に組み込まれていく。国民の熱狂を一旦冷静にさせるための手段として法律の存在意義が増すものの、政治家は法律の解釈を捻じ曲げて熱狂を煽動してきた。いわば、論理学の盲点をついて。国民を煽動するには感情論に訴えるのが手っ取り早い。ナポレオンは、国民を奮起させるために敵国を完全に打倒しなければならなかった。民意が戦争を支持すれば当然の帰結。そのことを証明して見せたのが宣伝省を重視したヒトラーである。大日本帝国では、大衆に神の国と思い込ませた。国民啓蒙の原則は、現在とて変わらない。民族優越性をちょいとくすぐれば国民をヒステリクックにさせる。宗教戦争が異教徒への憎悪から生じる衝動だとすれば、国民戦争は周辺国への憎悪から生じる衝動である。自己の内に真の誇りがあるとすれば、相手を罵るようなネガティブキャンペーンに執心するだろうか?民主主義の原動力は、友愛にもまして憎悪にあることを心得ておくべきであろう...
「民主主義の原動力は他人を愛することではない。それは外部のすべてのもの、部族、徒党、党派、あるいは国民に対する憎悪である。このような一般意志は総力戦を予言する。そして憎悪こそが最も権力のある新兵募集官なのである。」

3. クラウゼヴィッツの理論
クラウゼヴィッツの格言には、暴力を容認したものも多く見かける。「敵の打倒こそが唯一の実体である。」といった類いである。本書は、クラウゼヴィッツの原則を三つ挙げている。一つは、 敵軍の征服と撃滅。二つは、 敵軍の侵略活動を可能ならしめる物的要素の奪取。三つは、世論の獲得。こうした言葉が、暴力至上主義の弟子たちを誤った方向へ導いたと指摘している。
とはいえ、戦争が政治の手段である以上、軍人にも政治的な視野が求められる。太平洋戦争時代の日本帝国軍人と違って、今日の軍人には外交的感覚にも敏感でなければならない。政治は社会の利害を代表し、戦争は無政府国家でない限り、政治から生まれる。軍事的観点は政治的観点に従属するが、その逆はありえない。クラウゼヴィッツの理論には、これが大前提されるはずである。
本書は、クラウゼヴィッツの欠点は、戦争の真の目的は平和であって勝利ではないことを、理解させられなかったことだと指摘している。つまり、政治の一手段であるならば、征服や撃滅などとは表現しなかっただろうと。だがそれは、戦闘員に向けられた表現であって、まさか非戦闘員に向けられるとまでは考えていなかったのではないか。どんなに優れた哲学書であっても、解釈する者によって正反対の結論が見いだされることはよくある。法律の解釈ですら、いくらでも戦争を正当化することはできるのだから。ルソーが言うように... 人間は高尚な野蛮人!というのは本当かもしれん...
一方で、クラウゼヴィッツこそが、大衆に対する戦争の衝撃的効果の重要性を早くから認識していた人物で、戦争と政治の関係を唱えたことで軍事理論に一大貢献をもたらしたと評している。確かに、世論の後押しがなければ政治は動かないし、ましてや国民戦争などありえないだろう...

4. マルクスの弁証法
産業革命によって兵器の近代化をもたらし、戦争を総力戦とさせたのも確かだ。大量殺戮の始まりである。そして、巨大な産業都市の出現、人口密度の増加、生産性の合理性をもたらし、戦争論もまた人口論と結びつく。
南北戦争は、産業革命の影響を受けた最初の大戦争だという。それは驚くほど近代的戦争だったそうな。木製の迫撃砲、翼付手榴弾、ロケット、各種仕掛装置などが駆使され、ガトリング砲やスペンサー銃が登場し、さらに、魚雷、地雷、機雷、野戦通信、電光通信、手旗信号が試されたという。
しかしながら、それよりも本質的な影響を、マルクスの主張した階級闘争に求めている。階級間のいがみ合いは、国王や君主の時代、あるいは封建時代にもあった。ただ、産業革命が資本家階級と労働者階級をより明確に区別し、階級単位で団結する傾向を強めたということである。社会主義者たちは、プロレタリアートという恒久的賃金労働者を出現させたと主張する。マルクスはヘーゲル哲学の影響を受けながらも、ヘーゲル弁証法を逆転させる立場だったという。それは、マルクス自身もそう語ったとか。
まず、マルクスの自明の理とするもの、それは物質世界こそを基礎とし、唯一の実存とし、そこから社会構造や社会的意識を捉える。この史的唯物論は、生産関係を巡っての階級闘争という位置づけ。資本主義は、金持ちはますます金持ちとなり、貧乏人はますます貧乏人になる、という矛盾を抱えている。この矛盾を克服した時、生産効率を最大限にまで発展させることができると考えるのも悪くない。
しかし、だ。資本主義を否定したところで、資本家でもない、労働者でもない、全く新しい階級の出現を予期することはできたであろうか?つまり、官僚階級による搾取構造である。クラウゼヴィッツ主義は戦争を手段として敵国政府の転覆を狙ったが、マルクス主義は革命を手段として自国政府の転覆を狙った。前者が戦時における戦争論だとすれば、後者は平時における戦争論とすることはできるかもしれない。
尚、マルクス弁証法における階級矛盾をピーター・ドラッガーは、こう指摘したという。
「恐らく、現代における最大の誤謬はこれといった特色も、社会性もなく、各個ばらばらな集まりである大衆を金科玉条のように讃美する神話の存在である。たしかに、大衆というのは社会的腐敗や階級的害毒の結果生まれたものである。...
大衆の危険性は彼らが反抗するという点にあるのではない。反抗なるものは、これを単なる抗議とみれば、社会生活における参加の一形態であるといえるからである。危険性はまさに大衆の参加能力の欠如にある。...
彼らは社会的地位も機能もないので、社会というものは、悪魔のような、不合理かつ不可解な脅威以外なにものでもない。...
どのような合法的政府も、彼らには専制独裁政府に思える。したがって、彼らは常に非理性的行動に訴えるか、ないしは専制独裁者が変革を約束しさえすれば、その専制独裁者にさえ従おうとする。...
彼らは既成の社会秩序さえ変革してくれるなら、どんなことでもうのみにできる。換言すれば、大衆は常に、権力のために権力を求める煽動政治家や独裁者のえじきになることになっている。力さえあれば、大衆を簡単に隷属的で、否定的な地位につけることができる。...
大衆の動きさえも制止できないような微力な社会なら、そんな社会は消滅してしまう。」

5. イデオロギー戦争
第一次大戦の主目的は、産業上、商業上のものであったが、交戦国は戦争の性格についての観念を持たずに参戦し、完全な膠着状態に陥って、やっと産業と科学に訴えたという。結局この戦争は、海上封鎖によるドイツ国民の飢えと、ロシアとドイツの双方における革命によって終結した。
では、第二次大戦の性格は、どういったものであろうか。資本主義が世界大恐慌によって弱点を露呈すると、自由主義は堕落したと見做され、共産主義やファシズムが勢いづく。そこに、経済的救世主として登場したのは、ニューディール政策を掲げたルーズベルトと、国家社会主義を掲げたヒトラー。戦争の目的は、道徳的闘争や経済的闘争の領域に一層深く拡大されていく。
本書は、ソ連のアキレス腱は、第一線にあるのではなく、内部戦線にあるとしている。その統計的証拠として、ソ連国民の半数が非ロシア系の人民であることを指摘し、しかも、その多くは民族意識が強く、モスクワ支配に反抗的であると。レーニンですらこう語ったという。
「世界中で、ロシアほど多くの人民が圧政を受けているところはない。大ロシア人は全人口の 43% を占めるに過ぎない。すなわち半分以下なのである。残りの人民は他国民だとしてロシア国民としての諸権利を有していない。ロシアの人口1億7千万人の内、約1億人は圧政に虐げられ、いかなる権利も有していない。」
スターリンの圧政は、どのツァーリよりも比較にならぬほど残虐なものであった。巨大ロシアを分裂させるには、ヒトラーが解放者として国境を超え、集団農業化に終止符を打つだけでよかった。これこそがスターリンが最も恐れた戦略であろう。当初、ドイツ側に走ったソ連兵も多かったようである。ウクライナではドイツ軍を解放軍とみなし、一般人民に迎えられたという記録もある。グデーリアンは、白ロシア人が食糧を運んでくれたと回想している。
しかし、親衛隊が乗り込んでくると状況は一変。ヒトラーはスラブ民族を人間以下の存在として抹殺にかかったために、巨大ロシアを団結させてしまった。領土を拡大しても秩序が保てず、レジスタンスやゲリラを旺盛にし、内外に敵をつくることに。
「ソ連の弱点はわれわれの強みである。ソ連の強みはわれわれがその弱点について無知なことである。」
このことは、大陸進出を目指した大日本帝国陸軍にも同じことが言える。中国は蒋介石の国民党と毛沢東の共産党で対立していたが、力づくで侵略したために双方を結束させてしまった。すでに世界はイデオロギー戦争の時代へと移行していたにもかかわらず、当時の日本軍人が国際感覚に敏感であったとは考えにくい。それは、太平洋戦争末期、対米英との仲介役をソ連に打診したという外交的な感覚の鈍さに見て取れる。
とはいえ、ルーズベルトでさえイデオロギーに対して、ぼんやりとした認識しか持っていなかったと指摘している。ルーズベルトは、チャーチルは根っからの帝国主義者でスターリンは違うと見ていて、対日戦争でスターリンの力が必要だと考えていたという。原爆開発も途上でアメリカの優位性が明確でなかったために、親スターリン派を演じていただけかもしれないが。チャーチルにしてみれば、ヒトラーよりはまし、ぐらいなものだろう。地理的な位置が反対だったら、どちらと手を結んでいたことやら...

0 コメント:

コメントを投稿