2018-06-24

"快感回路 - なぜ気持ちいいのか、なぜやめられないのか" David J. Linden 著

原題に、"THE COMPASS OF PLEASURE" とある。まさに快感は、人生の羅針盤!人を導くすべての動機がここにあるのやもしれん...

「人間にとって、快感はまっとうに得られるものではない。天から貸し出されるのだ。非常な高利で。」
... ジョン・ドライデン「オイディプス」

どんな生き方にも、ダークサイドはつきもの。心の弱さが憎悪や嫉妬を呼び、欲望を旺盛にする。そして、快感のダークサイドには依存症がつきまとう。人間は、未来の不確実性に魅了される。破産リスクを承知しつつも、ギャンブルにのめりこみ、身体の有害リスクを承知しつつも、ドラッグをやめられない。アルコール、高カロリー食、買い物、オーガズム、ポルノ、SNS、オンラインゲーム... 快感となるものすべてが依存症になりうる。正義感に燃えては批判癖がつくのも、高い倫理観を求めては意地悪癖が染みつくのも、理性や道徳をストレス解消の手段とするのも... まるで依存のオンパレード。
はたまた、地位や名声に縋り、権力欲や支配欲に憑かれ、金や女体に溺れ、爽快な景色に彩られたゴルフ場でたまーにでるビッグショットに魅了されては、その一瞬の快感を味わうために、夜な夜な打ちっぱなしに励む。苦労して分厚い本を読み耽るのも、読破した時の達成感が忘れられないからだ。アバンチュールを求めては適度な冒険心にはやる。愛は障害が大きほど燃えるというが、禁断でなければ色褪せる。
これらすべて快感の裏返し。人間社会は、快感を伴う活動を厳しく規制する。金の使い方、性の在り方、飲み方など、だらしなく耽溺することを悪徳として...

「働いて得た九九ドルより道ばたで拾った一ドルのほうがうれしい。それと同じで、トランプや株で勝った金は気持ちをくすぐる。」
... マーク・トウェイン

とはいえ、人間は何かに依存しなければ生きては行けない。空間にあっては集団社会と対峙し、時間にあっては自我と向かい合い、そして、なによりも自然界の一員として存在している。自然だけを相手取るなら、それほど悩まなくて済みそうだが、空間と時間を認識してしまうと人生は修業の場と化す。慢性的な退屈病を抱えれば、いつも刺激を求めて徘徊し、慢性的な関係依存症を患えば、仮想社会を徘徊する。人はみな、暇人よ。人はみな、寂しがり屋よ。貧乏暇なし... というが、依存している暇もなければ多忙依存症か。時間をもてあそべば、何かやっていないと落ち着かない時間貧乏性か。そして、依存できるものがなくなったら、人間を破綻させてしまう...

ならば、だ!
依存する方向を選ぶしかあるまい。快感を働かせるものは、なにも悪徳や悪習だけではない。趣味のエクササイズ、瞑想や祈り、社会的評価を受けること、慈善行為からも、あるいは、苦労した末に高度な知識や技術を会得した瞬間や、困難な仕事を成し遂げた達成感からも、快感が得られる。知識依存症ってのもなかなか素敵。神経回路から見れば、美徳も悪徳もあるまい。
本書は、「快感回路」を報酬系を興奮させる神経機能としている。つまるところ見返りの原理。脳神経科学では、報酬系の機能として「内側前脳束」という用語を耳にするが、ここでは「内側前脳快感回路」と呼んでいる。
依存症は、この快感回路のニューロンやシナプスの電気的、形態的、生化学的機能の長期変化に関係するという。ハイになるのに必要量が増えていく耐性や禁断症状、あるいは再発や再犯といった恐ろしい症状の根底に、神経機能の持続的変化が伴うというのである。そして、分子レベルの分析から人間の行動パターンを解き明かそうと試みる。例えば、ドーパミンの放出が促される神経伝達において抑制系を麻痺させるプロセスや、レプチン遺伝子において肥満系に対処するプロセスなど。そして、快感回路を直接刺激する電極を埋め込んだとしたら...
もっと食べたいという欲求は、もともと遺伝子に組み込まれているのかもしれない。というのも、人類には飢えてきた歴史があり、近代のように物が溢れ、満腹状態な時代はごく稀だ。そして、快感ボタンを押し続ける遺伝子を刺激して、一度でもスィッチが入ったら...

さて、おいらの快感回路は何に乗っ取らせよう。ニコチンか?アルコールか?いや、夜の社交場に捧げる。小悪魔のやつらときたら、集団で囲んでは目でファックし、心でファックしてきやがる。酔いどれは、この非接触型の恋愛メカニズムに快感悶絶よ!M だし...
あのバイロン卿は、こう書いたという。
「人は、合理的存在として、酔わずにはいられない。酩酊こそが人生の最良の部分である。」

ところで、セックス依存症ってのは本当であろうか。それとも、火遊び好きなセレブたちが不倫を正当化するためにでっちあげた幻想であろうか。世間に依存症や症候群という用語がこれだけ溢れ、なんでも病気のせいにできれば、やはり依存症なのである。「不倫はセックス依存症の飲酒運転だ!」と言った奴がいたが、本書にもそのフレーズが。皮肉屋バーナード・ショーも、こう言ったとか。「道徳とは既婚者の組合主義にほかならない。」

人間は自分に言い訳をしながら生きている。自己満足のうちに、自己納得のうちに、時間は過ぎていく。人生とは、ある種の自慰行為の連続であったか。そして、人間の性嗜好に関するこの文章が妙に説得力を与える...
「あなたのセックスを眺めているネコは、いったいどう思っているだろう。たとえあなたがこの文化の中で性的に伝統的とされる嗜好を持っているとしても、つまり、たとえばディック・チェイニーのゴムマスクをかぶり、乳首を洗濯バサミで挟み、BGM にワーグナーの『指輪』をかけるというようなことをしていなくても、あるいはブルートゥース対応の電気ショックプローブを肛門に挿入して、インターネット経由でハンセン株価指数の激しい変動に応じてショックを味わうような真似をしていなくても、異性のパートナーを相手に自宅の寝室で二人きりで抱き合い、キスをし、撫で、舐め、普通に生殖器による性交をしているとしても、ネコはあなたを異常な奴だと考えるはずだ。そしてネコは正しい。ネコがおぞましいと感じることの一つは、人間が受胎しない時期に交尾をするという事実だ。また、一つの排卵周期のあいだに交尾の相手を一人に固定するというのも、ネコには理解しがたい。」

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