2018-07-15

"ネーデルラント旅日記" Albrecht Dürer 著

1520年夏、五十に差しかかろうとする画家は、妻を伴ってニュルンベルクから遠くネーデルラントへ長旅に出たそうな。年金支給が滞り、神聖ローマ皇帝へ請願するためだという。ちょうど新皇帝となったカルロス5世が、アーヘンで戴冠式を行うことになっていたのである。
しかしながら、アーヘンを通り過ぎてアントウェルペンまで足を伸ばし、ここを滞在拠点として文字通りネーデルラントをめぐる大旅行記を展開する。一年もの月日をかけて。
人間五十になれば、理論的になる。人の生き死にに意味を求め、屁理屈にもなる。そして、哲学は暇人の学問となる。デューラーは自分探しの旅を求めたのやもしれん...

とはいえ、とはいえ...
こいつは、ほとんど収支報告書ではないか。飛脚にいくら払ったとか、賭けでいくら負けたとか、食事代、洗濯代、入湯代、理髪代... なんとケチ臭いことを。プロテスタントらしく、借方と貸方で構成される西洋式バランスシートの源泉を見る思いである。そういえば、マックス・ヴェーバーはプロテスタンティズムの禁欲精神が資本主義を開花させたと論じたが、それに通ずるものがある。
文学作品として眺めると、嘆願状を起草してくれたデジデリウス・エラスムスの登場や、マルティン・ルターの逮捕劇が盛り込まれるものの、どうも物足らない。いや、余計なことを語らないから、文章に重みが出るのやもしれん...
尚、エラスムスは、ルターに影響を与えた人物ではあるが、論争相手としても知られる。カトリック教会批判という立場は共有するものの、中道派エラスムス、改革派ルター、急進派カルヴァンといった位置づけであろうか。
ルターが破門されると福音主義が加速し、逮捕されたことが広まれば宗教改革の機運を高めていく。ゴリアテとは、人間社会という巨大生物を言うのか。実は、この逮捕劇はルターを匿ったザクセン選帝侯フリードリッヒ賢公の書いた芝居であったが、デューラーはそれを知らない。そして、エラスムスへ哀悼文を書き、万事を放擲して蹶起するよう懇願するのである。

帳簿にして帳簿文学たらしめるものとは、なんであろう。やり残したことがあれば、人生の収支はいつも赤字。未練という名の赤字を背負い...
さすが、アルブレヒト・デューラー!馬車旅の車窓にはスケッチ風の風景画がよく合う。アントウェルペン港やアーヘン大聖堂がブランデーのごとく演出され、文字を補う静止画群が動画を十分に物語っているではないか。明暗画法が人生の明と暗を見事に物語っているではないか。年金暮らしとなれば節約を強いられ、教会や修道院、諸侯や市の要人、画家仲間から援助を受け、肖像画を描いてパンを得る。ドイツ・ルネサンスの代表的な人物ともなれば、大きな栄誉と寵遇を受けるのも自然の流れ。それは、寄付金で作られた聖道の旅であったというわけか...
そういえば、デューラーは、ガスパール・モンジュの画法幾何学にも影響を与えたという話を何かで読んだ覚えがある。偉人の産物には収集家が群がり、切り売りされる運命にある。ラファエロのものは、死後すべて散逸した。しかし、晩年の作品群で彩る旅行記として遺されれば、それを免れるのかも...

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