2018-09-23

"ビヒモス - ナチズムの構造と実際" Franz Leopold Neumann 著

さらにさらに流れ弾...
生涯で一度は読んでみたいと考え、考え、ずっと尻込みしてきた大作が数多ある中、海の怪物に手をつけたがために、陸の怪物にも看取られてしまう。そして今、トマス・ホッブズからフランツ・レオポルド・ノイマンという流れ弾まで喰らっちまった。乱読とは、自由精神の体現だ!などと言っている場合ではない。それは、単に感化されやすいってことだ...

バビロニアに起源をもつ終末論には、二つの怪物があると聞く。海を支配するリヴァイアサンと陸を支配するビヒモス。前者は雌、後者は雄とされ、こと悪魔の世界では対で存在することが収まりをよくする。黙示録によると、恐怖の支配をもたらす怪物どもは世界の終末直前に現れ、神に亡ぼされることになっている。他説では、同士討ちになるというのもあるが、いずれにせよ亡びることに。かくして正義と公明の意志の日がやってくるとさ。ところが、海と陸に住む動物たちはそれぞれに恐怖の大王を主と崇め、王国再興を祝う饗宴で双方の肉を喰っちまう。
この伝説は、ユダヤの終末論、ヨブ記、予言書、聖書外典などで言及され、実に多くの解釈を呼び、しばしば政治状態の比喩とされてきた。聖アウグスティヌスはビヒモスの肉にサタンを見たという。ホッブズは、イギリス革命で暴走する大衆の意志をリヴァイアサンと重ね、議会が迷走するアナーキーな様相をビヒモスと重ねて魅せた。そして、ノイマンは、国民社会主義をビヒモスと呼ぶに相応しいと語る...

注目したいのは、これが書かれた時期である。1942年、ロンドンで出版。1944年、「大ドイツ帝国」を加筆。既に原稿は、ドイツのソ連侵攻時には書き上げられていたという。
著者の名からユダヤ系であることは想像に易い。ノイマンは早々アメリカへ亡命する。ヒトラーが経済政策をあっさりと片付け、ドイツ民族の誇りを取り戻してくれたと大衆が熱狂している最中、彼はナチズムの本性を暴いて見せる。政治哲学なき政治、経済理論なき経済と。それは、単なる民族意識を支柱とする文化的体系で、政治、経済、軍事の方面で、これを売り物にしているというのである。不安を煽って安心を提供する手口、これがセールス心理学の鉄則だ。ゲーリングの結合企業群が雇用を支配し、ゲッペルス文学博士の巧みな言葉でプロパガンダの威力を見せつけ、ヒムラーの魔術的思想が不気味さを植え付け、大衆を受動的な生贄にする。経済政策は単なる金持ち批判に発し、政治体制は単なる共和国批判に発し、感情論を煽る。それゆえ、ここには政治哲学も、経済理論も存在しないというのである。現在でも、これほどの考察はなかなか見当たらない。やはり人生の醍醐味は、寄り道、道草、回り道、そして流れ弾の方にあったか...
ちなみに、ノイマンはソ連の諜報員でアメリカで活動していたという説もあるが、真相は知らん...

1. 国民社会主義と国家社会主義という訳語
ナチズムを語るなら「国家社会主義」とする方がよさそうな気がするが、本書はあえて「国民社会主義」という訳語をあてている。それは、アドルフ・ワグナーたちが持ち出した言葉との混同を避けるためだそうな。
また、他にも意図があるようである。ナチズムがイタリアのファシズムと一緒くたに語られるのをよく見かけるが、そのような通念から「国家社会主義」という用語が出回ったところもある。ノイマンは、イタリアの国家至上主義とは異なるナチズム観を強調している。
尚、岡本友孝、小野英祐、加藤栄一訳版(みすず書房)を手に取る。

2. 全体主義的独占資本主義
ヒトラーが利用した経済システムは、ワイマール共和国の産物だったという。独裁政権下で原動力となるカルテルやトラストなどの形態は、ワイマール共和国の下ですでに完成していたと。ドイツ人労働者は企業の巨大化を望む傾向にあるとしているが、大会社に就職したいといった意識はどこの国でも見られる。経済不安となれば尚更だ。こうした独占形態は、自由主義や民主主義とすこぶる相性が悪い。ワイマール共和国の失敗は、共和国という名を掲げながら、経済政策では逆のことをやっていたということか。これは社会主義的な政策でもなければ、共産主義的でもなく、あくまでも資本主義の暴走した形態であり、俗に言う帝国主義なのである。
さらに、資本拡張の動機に、民族主義を結びつけたところがナチズム的である。ゲルマン系民族には、逞しい身体を誇りにするという意識が伝統的にあるという。これに、北欧系の美しさと優秀さを結びつけたのがナチス式アーリアン学説である。
タキトゥスの著作「ゲルマーニア」によれば、アングロサクソンもゲルマン系。優越主義とは、劣等的な存在を定義して初めて成り立つ原理で、人間ってやつは、なにかと格付けがお好きときた。ヴェルサイユ条約以降、叩きのめされてきた民族の誇りをくすぐり、愛国心を刺激するのが大衆を煽る絶好の方法となる。
「大ドイツ帝国」とは、その根底に第一等人種を盟主とするヒエラルキー構想があり、いわば「大東亜共栄圏」とも似ている。ヒトラーの政策は、民族主義とのセット、いや民族主義そのものであって、経済政策と呼べる代物ではないということか。アウトバーン建設や大規模な公共投資は、ケインズ理論の実践と評されることもあるが、本書にはケインズの名は見当たらない。というより、超ハイパーインフレの中でやれる経済政策は、これくらいしかなかったということかもしれない。そして、資本家による独占形態を、党直属の企業を経由して国家による独占形態に変えていく。
全権委任法の成立において、出席議員の必要票数を獲得したことは事実である。だがそれは、多数の共産党や社会民主党の議員が正当な理由もなく逮捕されていた中での出来事。こと政治の世界では、合法的に見せることが合法的となる。ヒトラーはカップ一揆やミュンヘン一揆で悟る。国家権力につくには革命的な方法では不可能であることを。それは、国家機構の助けによってのみ可能せしめることを。そして、すべての権力を合法的に手中に収めたヒトラーは、ワイマール共和国の制度的な民主主義を、儀式的で魔術的な大衆主義に変えてしまう。
政治理論が通用しないとなれば、それは国家なのか?本書は、こう呼ぶことを提案している。「全体主義的独占資本主義」と。なんとも形容矛盾な用語である。「国家資本主義」なんて言葉もよく見かけるが、こと政治体制においては矛盾の方に真理があるのかも。現在でも、経済政策がうまくいけば、大衆は政治家の多少の失態に目をつぶる。逆に、経済政策で失敗すれば、どんなに優れた言葉を発信しても陳腐となる。はたして政治権力が怪物なのか。大衆が怪物なのか。いや人間がそのものが怪物なのか...

3. 反セム族主義
大ドイツ帝国を実現するための最初の課題は、民族団結のための共通の目標をつくること。共通の敵をつくって愛国心を煽るやり方は現在でも見られる政治の常套手段で、優越意識を高めるためにまず格付けをやる。ドイツ人の次は、ウクライナ人、ゴラール人、白系ロシア人で、彼らは特別待遇を受けたという。その次がポーランド人で、その次、つまり最下層がユダヤ人。強制収容所へ送られる順番は、ユダヤ人の後に、ポーランド人、チェコ人、オランダ人、フランス人、そして、反ナチのドイツ人と続く。平和主義者も、保守主義者も、社会主義者も、カトリック教徒も、新教徒も、自由思想家も、あるいは被占領民族もお構いなし。イデオロギー破壊という意味では、見事な平等主義だ。民族に格付けがなされれば、劣等人種からの略奪が合法的となり、純血を守るというスローガンを正当化させる。
労働者寄りの経済政策において最初に標的にされるのは、決まって富裕層。職が奪われていると触れ回り、資本階級で幅を利かせるユダヤ系企業が攻撃対象となる。アーリアン化による独占形態は、銀行業において特に顕著であったという。
国民社会主義の人口政策は、必要な数だけの北欧人種の繁殖を確保するために立法化される。最もうす気味悪いのは、肉体的、生物学的に好ましくないとされた人々の生殖を阻止する立法措置である。SS 隊員の結婚には特別な許可がいる。当時から、ヒムラーは露骨な人種差別論狂信者として知られていたようである。
「国民社会主義は、ユダヤ人の絶滅を唱導した最初の反セム族運動である。しかしこの目標は、『ドイツ人の血の純化』と呼ばれる、より広範な計画の一部分にすぎない。」
反セム族主義は、共通の敵をつくる点において三つの効果をあげたという。
第一に、階級闘争にとって変わる。資本階級への不満を民族闘争にすり替えたこと。
第二に、東部への領土膨張を正当化する。ドイツ人の住む領土は、すべて第一等民族としての主権があると。
第三に、キリスト教批判を抽象化する。反キリスト教の潮流には二つの立場がある。一つは、それがキリスト教的であるがゆえに拒否。二つは、十分にキリスト教的でないがゆえに拒否。
反キリスト教的イデオロギーにおいて、最も強力な感化力を持っていた人物はニーチェだという。ただ、ニーチェは反セム族主義なんぞではないし、それはノイマンも擁護している。哲学思想で都合よく利用された立場は、スコラ神学におけるアリストテレスと似ている。
「反セム族主義は、損なわれた自尊からくる腹立たしさの捌け口をつくり、また新旧中産階級と地主貴族との政治的同盟を可能した。」

4. ゲルマン的モンロー主義
モンロー主義は、アメリカ帝国主義のイデオロギー的基礎である。互いの主権を尊重して相互干渉しない... と言えば聞こえはいいが、お前のやることに口を出さないから、俺のやることにも口を出すな!... という姿勢である。
これをゲルマン風に解釈すると... ドイツ人が住む領土には、すべて第一等民族としての主権がある。さらに拡大解釈すると... ドイツ人が移住した場所はすべて「大ドイツ帝国」の領土となる。そして、世界は一つという大国家思想は、民族を階層化することにすり替えられ、人種差別をも正当化させる。現在でも、市民を多く送り込んで議会を乗っ取ろうとする動きは見られるものの、スケールが違う。地政学を民族主義で解釈すると、こうなるのか。これが「人種的モンロー主義」ってやつなのか。
ノイマンは、国民社会主義が民族のアウタルキーを目指して、外国市場を放棄するなどと信じるのは馬鹿げている、と指摘する。それは、国際法の根本原理である国家主権を人種主権に置き換えただけのこと。これを、プロレタリアート的人種帝国主義と呼ぶのでは説得力に欠ける。本書は、「大ドイツ帝国 = ゲルマン的モンロー主義」という形で論じている。
「この帝国主義的な趨勢はいかなる国際法によっても拘束されず、また、どんな正当化も必要としない。帝国が存在する。そしてその事実が、十分な正当化なのである。」

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