2018-09-30

"ユートピア" Thomas More 著

理想も、現実も、ちょいと距離を置くのがいい。どちらもすぐに暴走するのだから。自由社会の暴走の激しさときたら... いや、管理社会の暴走だって負けちゃいない。何かを犠牲にしなければ、繁栄できない世界。貪欲と競争が豊かさをもたらす世界。これが人間社会である。ユートピアとは、「どこにも無い」という意味のトマス・モアが編み出した造語で、しばしば非現実を皮肉る代名詞とされる。共産主義という言葉が登場するのは、まだずっと先のことで、彼に共産主義のレッテルを貼るのはちと酷であろう。
ルターにしても、モアにしても、良心の自由と宗教の権威とが対立し、ローマ教皇のもつ二重性に疑問を持たざるをえなかった時代を生きた。イタリアという一国家の君主が、同時に全ヨーロッパの精神的主権者であるという現実を。
そして、理性と信仰の調和を信じ、国家と宗教の和解を信じたものの、モアは斬首刑に処せられる。この事件は「法の名のもとに行われたイギリス史上最も暗黒な犯罪」と称される。本書は死の抗議書と言うべきか...
尚、平井正穂版(岩波文庫)を手に取る。
「吠える六頭女怪(スキュラ)だの、狂乱の半人半鳥女怪(セリーノ)だの、人を啖う人喰巨人(リーストリゴン)だの、こういった途方もない怪物くらい、容易に見つかるものはない。ところがこれに反して、公明正大な法律によって治められている国民となると、これくらい世にも珍しく、また見つけるのに困難なものはない...」

ここに描かれる理想郷は、理性的で、合理的な人々の集まり。住民たちの職業は、最低限の衣食住を確保するためのものと、技術によって知識を高めるものばかり。農業、毛織業、亜麻織業、石工職、鍛冶職、大工職以外にこれといったものは見当たらない。怠けることを知らず、無用な仕事や知識に手を出すこともない。わずかな時間に合理的に生産し、余暇を有意義に過ごそうと。知識伝導のための技術として印刷術と製紙術にのみ敬意を払い、人間性を高めるための意思を持続させようと。人口が溢れれば、それだけ仕事を用意しなければならないが、土地空間に適した人口制限も自然に働く。
「学問的素養に富んだユートピアの知識人たちは、生活を豊かにし幸福にするのに少しでも役に立ちそうな工夫を考え出す点においてはまさに天才的である。」

ここでは、なによりも自由精神が重んじられる。それは、自立と自律をともなう自由である。この理想郷を去りたければ、誰も引き止めはしない。だが、この理想郷を侵害する者には容赦しない。戦争で得られる名誉ほど不名誉なものはないと考える一方で、自存自衛のための防衛意識が極めて高い。俗世間の目には触れさせてはならぬシャングリ・ラを彷彿させるような...
「思うにこの国は、単に世界中で最善の国家であるばかりでなく、真に共和国(コモン・ウェルス)もしくは共栄国(パブリック・ウィール)の名に値する唯一の国家であろう。」

このような自立した世界においても、役人は必要なのであろうか。首長は必要なのであろうか。行政は、政(まつりごと)を円滑に行えるよう指導する立場。指導する立場には自ずと上下関係が生じ、権威が寄生する。権威は人を変える。命令する立場であるがゆえに。しかも、一度獲得した地位を絶対に手放そうとしないのが人間の性癖。そして官僚的腐敗を助長する。権威が存在するところには、必ず法が必要というわけか。権威に結びつく権力を制限するための...
ユートピアといえども、法律は必要らしい。では、人間社会における最低限の法律とはなんであろう。ここには私有財産という概念がない。あるのは、すべて共有財産との考え。
しかしながら、共有を崇めると... 私のモノは私のモノ。あなたのモノも私のモノ... となるのが、これまた人間の性癖。こと政治の世界では、共有の概念は官僚的腐敗とすこぶる相性がいいときた。自由と平等はしばしば対立し、下手をすると平等は人間の能力差までも否定する。
共和国、共栄圏、公共繁栄といった言葉は古くから賛美されてきた。だが、人が本当に求めているのは自己繁栄であって、公共の利益は自分が犠牲にならない程度に求めるに過ぎない。自己が他に優越し、自分の属す集団が他の集団に優越し、それで自己満足が得られるのは、いわば人間の本質である。こうした性癖を完全に放棄すれば、それは人間なのであろうか?
では、所有の概念をどう処理するか?誰のモノにするか?この世のすべては、神からの借りモノとでもするか。すると、神に起因する宗教も必要となる。神の存在を持ち出せば、神の代弁者と名乗る者が現れ、魔術や呪文の類いが蔓延る。結局、人間の解釈によって人間の支配する世界となり、神に捧げるはずのものが、強者に生贄を捧げることに。
人間社会には、パラドックスが溢れる。一人の人間の中でさえ利己主義と利他主義が共存する。最も知識に優れた政策立案者が編み出した策定が、しばしば逆効果になるのも道理である。理想郷といえでも、やはり法律は必要なものらしい...
「あらゆる種類の動物が餓鬼のように貪欲になるのは、実に欠乏に対する心配であり、特に人間においては虚栄心である。」

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