2019-03-24

"近世数学史談" 高木貞治 著

歴史は、正確な記録をもって史実となす。それは、読み物としては無味乾燥なものとなろう。しかし、だ。史論となると別だ。史論は各人各様でなければ。ましてや史談となると。そして、客観論を主体とする数学の権威が、ガウス、アーベル、ガロアらを思いっきり主観で語ると宣言すれば、見過すわけにはいかない...
「回顧は、老人の追想談になるのが普通で、それは通例不確かなものであることが世間の定評であるようであります。それは当然不確かになるべきものだと考えられます。遭遇というか閲歴というか、つまり現在の事だって本当には分らない。それは当然主観的である。しかも過去は一たび去って永久に消滅してしまう。そうしてそれを回想する主観そのものも年とともに易(かわ)って行くのであるから、まあ大して当てになるものではない。これは一般にそうだろうが、今私の場合は確かにそうなのだから、むしろ始めから、自己中心に、主観的に、過去を回顧すると、明言して置くのが安全であろう。」

なにをもって近代数学の起点とするか。その一つに、微積分法の発見をもって、という見方がある。だが、理論なんてものは、突然湧いて出るものではない。ニュートンやライプニッツといった偉大な先駆者もいれば、アルキメデスを挙げる呑気な見方もある。18世紀になると、ベルヌーイ家、オイラー、ラグランジュ、ラプラスらの時代がやってきて、微積分法を拡充させた。
しかしながら、ここではガウスに屈する。それは、正十七角形の作図法というセンセーションな発見に始まったとさ。
正多角形の中で、三角形、五角形、十五角形、あるいは、辺数を倍にしていく図形ならば、それが作図可能なことは、酔いどれ天の邪鬼でもなんとなく分かる。だが、十七角形となると、そこに芸術を見る思い。なにしろ、ガウスの円周等分論が後ろ盾になっているのだから。すなわち、xn - 1 = 0 において n =17 の時、この方程式が平方根によって解き得ることに基づいている。円周等分の理論は二千年来の快挙、いまだ人類はコンパスと定規に取り憑かれているようだ。どうやら神はフリーハンドがお嫌いと見える。いったい神は人間に何を描かせようというのか...

ところで、方程式をめぐる物語は、整数論、積分論、楕円関数論へと導かれるが、その影に解析学を感じるのは気のせいであろうか。おいらは数学屋ではない。数学屋にボトルの差し入れで計算をお願いする技術屋で、要するに数学の落ちこぼれ。数学屋を理想派とするなら技術屋は現実派、いわば実装屋である。実装屋にとって、方程式の解を丹念に正確に導くよりも、手っ取り早く近似値を得る方がずっと現実的である。特に、あの忌々しい微分方程式ってヤツは...
微分方程式を一つの抽象として捉えることはできよう。微分方程式の理論一般がそうであるように、ある設定のもとで解の存在が問われる。そこで、無限級数の総和が収束するというだけで、ささやかな光明となる。永遠に足し算をやって、なぜ発散しないのか?そこに魔術を感じずにはいられない。ゼータ関数なんて、まさにオイラーマジック。収束することを保証さえしてくれれば、上位項を適当に選ぶだけで近似値が得られ、テイラー展開やマクローリン展開といった方法論が存在感を増す。すべての現象を、たとえ近似とはいえ解析可能になれば、数学は真に偉大な学問となろう。アーベルやガロアらは、無限の数の羅列に宇宙征服の夢でも描いていたのだろうか...

1. ガウスの美学
ガウスは常に研究の成果が完成されたる芸術的作品の如き形式を具えることを努めた... と伝えられる。数学の定理に神を見ようとすれば、不完全では神に失礼だ。完成された芸術のみを発表するという美学。計算狂ガウスにして、そうならしめたのか。彼は検証を急がない。結論を急がない。この姿勢は、アーベルやヤコービとは大分違うようである。
ヤコービは、「ガウス流の厳格主義!そんな暇があるものか」と言い放ったとか。そのために、ガウスは自ら論争の種をまく。
例えば、最小二乗法の先発権をめぐってルジャンドルとの間に生じた一悶着。ガウス本人が気にかけなくても、ガウスを崇拝する弟子たちが黙っちゃいない。
また、関数論の起源をいつとするか?と問えば、1825年、コーシーの複素積分に関する論文をもって、とするのが一般的なようである。留数という語も、コーシーに発していると認識している。コーシーは、フランスのガウスとも評される人物。しかし、ガウスは既にこのアイデアを自家用として秘蔵していたという。1851年にようやく到達した関数論の基本定理とされるコーシーの積分定理が、40年前にガウスによって明確に述べられていることが書簡の中に見つかったとか。ガウスには、関数論の歴史的発見に、それほどの価値を見い出せなかったと見える。
「ガウスが進んだ道は即ち数学の進む道である。その道は帰納的である。特殊から一般へ!それが標語である。それは凡ての実質的なる学問に於て必要なる条件であらねばならない。数学が演繹的であるというが、それは既成数学の修業にのみ通用するのである。自然科学に於ても一つの学説が出来てしまえば、その学説に基づいて演繹をする。しかし論理は当たり前なのだから、演繹のみから新しい物は何も出て来ないのが当り前であろう。若しも学問が演繹のみにたよるならば、その学問は小さな環の上を永遠に週期的に廻転する外はないであろう。我々は空虚なる一般論に捉われないで、帰納の一途に精進すべきではあるまいか。」

2. Notation でなく、Notion に由って...
数学は、しばしば無味乾燥な表記法とみなされる。だが、高度な抽象論を求めれば、表記よりも概念を上位とみなすであろう。形而上学のごとく。おいらは、数学は哲学である!と考えている。微分方程式を前にして袋小路に陥る時は、だいたい記号の群れに囚われている。解が明らかになるということは、記号で明確に表記できるということ。それゆえ記号に囚われる。だから数学で落ちこぼれ、いまや数学屋に媚びを売るしかない。本書は、そんな嘆きをディリクレ小伝で励ましてくれる。
「偶然の事情に由って -- 多くは伝来上 -- 或る問題にからまっている夾雑物を洗い落として、問題の本質を直視することが、しばしば進歩の鍵である。その一例がここにもある。成るべく計算を厭うて、概念その物を議論の基礎にすることがヂリクレの長所としてたたえられる。計算は盲目で行き当たりばったりである。思想は目明きで目標を直視する。『盲目の計算の極小を以って、目明きの極大へと、問題を追いつめるのがヂリクレの流儀で、それこそ本当のヂリクレの原則(Dirichlet's Principle)と言うものであろう』とは、ミンコフスキの巧まい洒落(の拙い直訳)である。ヂリクレに限るのではない、既にオイラーであったか、ガウスであったかに関して、『Notation(記号)でなくnotion(概念)に由って』という格言を前に引いたが、これも同じ意味である。優れた数学者は決して形式屋(Formelmensch)ではない。」

3. 割りを食ったかルジャンドル?
G.(ガウス)との比較で、三人の L. が槍玉に挙げられる。既に老大家となったラグランジュ、ラプラス、ルジャンドルの中で、特に、割りを食っている感のあるルジャンドル。整数論、幾何学原理、楕円関数といった仕事のやり方で、ことごとく対照的に描かれる。とはいえ...
「このような対照に於て、我々は成心を以って L. を抑えて G. を揚げるのではない。気紛れな『歴史』が稀に見せてくれる面白い芝居が、ここに演ぜられたのである。新しい時代は新しい人物に由って興るが、ルジャンドルは恰も過ぎ行く時代を代表するような位置にいて、新旧分岐の場面を鮮かにする役をしたのである。」

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