紅葉に誘われて古本屋を散歩していると、懐古風のスケッチ群に出逢った。自然に馴染んだ街づくり... 風景に同化した都市計画... こうしたセピア画像に癒やされる。英語の文献だけど、まったく抵抗感なし。活字がちょいと控え目なのがいい。古本にしては、ちと値が張るものの、いつもながら気まぐれは頼もしい。読書の秋というが、本ってやつは、なにも読むためだけのものではあるまい...
空間認識は、人間が生きる上で重要な認識能力の一つ。カントは、空間性と時間性をア・プリオリな認識に位置づけた。建築とは、まさに空間認識の具現化であり、極めて人工的でありながら、実のところ過剰なほど自然を意識している。それは、人間が本能的に思い描く憧れのようなものであろうか...
懐古風な空間性にしても、ノスタルジックな時間性にしても、それらが調和した途端に憩いの場を提供してくれる。調和という観念には、摩訶不思議な力が秘められている。人工物と自然物という矛盾の共存ですら、そこに芸術性が生じ、心の拠り所にしちまう。
ガウディは、自ら画家、音楽家、彫刻家、家具師、金物製造師、都市計画家となって、建築をあらゆる芸術の総体として捉えた。建築家という人種は、五感を存分に解放できる空間を求め、その空間のみが五感を超越した六感なるものを生起させる、かのように考えるものらしい。真の自由は、まさに空間にあり!と言わんばかりに...
さて、ヴェンチューリ・スコット・ブラウン & アソシエイツは、20世紀を代表する建築設計事務所として知られる。創始者は、ロバート・ヴェンチューリとその妻デニス・スコット・ブラウン。
本書は、この二人の建築家の作品集で、建築計画に至るスケッチや模型が掲載され、集合住宅に大宇宙を見、個人住宅に小宇宙を見ながら、建築家が思考する空間アルゴリズムを体感させてくれる。
「住宅は内気だが、雄弁である。」
ヴェンチューリとスコット・ブラウンは、ポストモダニズムの建築家に属すらしく、本書の文面からもモダニズムへの反発が読み取れる。建築は正しく建てれば、当然の帰結として健康と幸福が宿る... といったことが叫ばれた風潮への言及や、今日の建築家の集合住宅に対する理想が、住宅市場並みに単調である... といった皮肉まじりの言及に。
「正しく建てる」とは、どういうことであろう。啓蒙主義にしても、理性主義にしても、説教じみていて、押し付けがましいものには反発したくもなる。それが、自由精神というものか。そして答えは、多様化ということになろうが、まさに現代社会が歩んでいる道である。
とはいえ、新しい形式や様式ってやつは、従来のものを批判する形で登場する。改善の余地がなければ、変わる必要もない。芸術ともなれば、鑑賞者は飽きっぽく、いつも刺激に飢えている。人間にとって、退屈病はよほど辛いと見える。それで、人間社会に批判の嵐が吹き荒れるのかは知らんが...
やはり、カントのような批判哲学を実践することは難しい。対象を正しく理解しなければ、正しく批判することができないのは当然だとしても、さらに歴史という時間の流れの中で調和を求めるとなると...
モダニズムは、20世紀初頭、近代化を背景にアヴァンギャルドな造形理念をまとって登場した。ルネサンス風の精神体現より、もっと現実的に、もっと機能的に、もっと合理的に... と。アヴァンギャルドというからには、前衛的で試行錯誤的な意味合いが強かったのかもしれない。
近代化の波は産業革命や科学技術の発達ととともに押し寄せてきたが、極度の合理性は、機械的で、工業的で、無味乾燥なイメージを与え、人間性をも見失わせる。そうした風潮は、ヴァイマル共和政時代に製作されたモノクロサイレント映画「メトロポリス」でも象徴されようし、マルクスら思想家たちが唱えた「疎外」という概念も、近代主義への警鐘と言えよう...
しかしながら、人間にとっての合理性には、精神的合理性と物質的合理性がある。この二重性は、主観性と客観性の駆け引きの中で対峙している。時には矛盾に苛み、時には協調しながら。科学の進歩が客観的な洞察を鋭利にしたのは確かだが、思考するのはあくまでも主体であり、自己である。物理的には無駄な空間も、精神的には有用なことがよくあるし、無味乾燥な芸術作品も、数学的に眺めれば違った光景が見えてくる。
また、自由精神ってやつは、抑圧との関係からいっそう輝く。ロマンティシズムの反動で写実主義や自然主義をもたらすこともあれば、ルネサンスによる古代・古典回帰から、モダニズムによる機能的・合理的造形理念を経て、再びポストモダニズムによって精神性へと引き戻される。自由と抑圧の綱引きに、主観と客観の駆け引きが絡み合って...
主観には思考の深さを牽引する役割があり、客観には感性と知性の均衡を保つ役割がある。その双方を凌駕してこそ、人間的合理性に近づくことができるのであろうし、その過程では、自己肯定も、自己否定も必要であろう。芸術家に自己破滅型を多く見かけるのも頷ける...
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