2023-04-23

"ルベーグ積分30講" 志賀浩二 著

理解へ至るプロセスには、リズムが欲しい。人生を生きる上でも...
30 ものステップで軽妙なリズムを奏でる数学 30 講シリーズ。
しかしながら、抽象数学では、リズムではどうにもならない領域がある。ユークリッド風に空間イメージができればありがたいが、逆に、幾何学的イメージを代数的に記述するやり方で挫折を喰らう。

積分ともなれば、アルキメデスの取り尽くし法のような発想で図形を長方形のタイルで埋め尽くし、これを極限に近づけるやり方で、たいていうまくいく。図形が連続関数で表記できればだけど...
では、不連続関数ではどうであろう。不連続の程度によっては、同じような空間イメージでもうまくいく方法がある。それが、リーマン積分だ。ここまでは、なんとか概形できるような有界な関数を想定すればいい。
では、空間概念をもっと一般化して、空間イメージの及ばない関数列のみで抽象化した空間を積分するには。それが、ルベーグ積分の求めるところである。伝統的に空間感覚と深淵に結びついてきた積分と微分の思考法。こいつらが空間を超越した世界へ突入しちまったら、思考イメージは何に縋ればいいというのか。哲学にでも縋るさ!
ちなみに、数学は哲学である!というのが、おいらの信条である。だから落ちこぼれたか...

おいらの解析的思考には、関数表記できる現象はなんでも、フーリエ変換やっちまえ!という感覚がある。つまり、直交成分の正弦波と余弦波で分解し、現象を三角関数で記述し直すということ。直交とは、幾何学で言うところの直角を代数学的に抽象化したもので、ノルムや内積といった演算がピュタゴラス風に意味を持つ。
こうした思考法を積分に導入すると、どうなるだろう。空間の中で単独でぽつりと存在した関数が群れを成すと、今度は関数列が空間を形成しはじめる。空間を関数の群れとして捉えれば、長方形のタイルの積み重ねが単関数列の群れと化し、集合論に看取られる...

「実数の導入によって、数が数直線上を自由に動き出したように、関数空間の導入によって、関数がこの空間の点として動きはじめた...」

さて、ルベーグ積分に至るまでのキーワードを追うと、測度、完全加法性、可測集合... といった用語が拾える。
「測度」とは、ユークリッド幾何学で中心をなす長さ、面積、体積といったパラメータを拡大解釈して、部分集合として捉えた量である。重要なのは、集合の測度の和を考える時、その集合が可算であること。
「可算」とは、自然数全体と同程度の元を持つ集合のことで、無限集合の中でも最小に位置づけられる。無限の和が最小?そして、無限を濃度でランク付けするカントール集合を相手取ることに...

「完全加法性」は、互いに素である集合の和が一致とするまではいいが、可算において論じられるところが厄介!なにしろ、零集合を抱え込むことになるのだから。零集合には形という概念がない。測度 0 という集合を、どうやって積分するというのか。
ルベーグ積分は、この測度が定義される可測集合で論じられ、対象は連続関数から可測関数へ移行し、図形概念から脱皮して測度概念へ放り込まれる。
とはいえ、積分論の根幹が極限操作にあることに変わりはない。それは、測度の完全加法性から導かれる帰結であろうか。
そして、積分空間論も有形から無形へ脱皮していくのを感じる。幽体離脱のごとく...

「ルベーグの独創性は、測度の考察の過程で、実無限と遭遇せざるを得ない点にあった。しかし 20 世紀前半の数学の流れを見ると、ルベーグの理論は、測度論のかかえた零集合のような深淵にあまり立ち入らずに、この積分論を用いて解析学の形式を整備し、展開する方向へと走っていったのである。ここに完成された美しい形式 -- 関数解析の世界 -- は、ルベーグ積分のもつ謎めいた姿を、ひとまず完全に隠してしまったようにみえる。しかし、この解析学の形式の奥から、時折りルベーグ積分のもつ不可解な姿が見え隠れするのは避けられぬようであって、それがルベーグの理論に対するある独特な気分として残るのではなかろうか...」

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