2023-04-09

"物の本質について" ルクレーティウス 著

「如何なるものも無に帰することはなく、ただ万物は分解によって、原子に還元する。」

モノの本質とは何か... と問えば、唯物論的な、原子論的な考えを巡らすことになろう。何事も実体を知りたければ、まず、そいつをバラバラにして構成要素に還元せよ!こうした思考は、自然哲学の、ひいては、科学の根源的な動機となってきた。
古代では、西洋の四元素説や中国の五行説に遡ることができ、現代では、素粒子物理学や量子力学に受け継がれる。
そして、精神や魂といった正体も物理的に説明せずにはいられない。物質の根源がどこまで微小か... 素粒子はどこまで素でありうるか... などと問えば、精神はどこまで純粋でありうるか... と問い、プラトン風のイデア論に誘われる。宇宙を根源的に構成しているものとは... 人体を根本的に形作しているものとは... それは原子の集合体で説明がつく。
となれば、精神や魂もまた原子の集合体ということになろうか。心や感情といった自由精神の活動もまた、自由電子の運動力学で説明がつくのやもしれん...

四元素説とは、「火、風、水、土」を万物の原初的要素とする考えで、エンペドクレスに始まるとされる。そして、レウキッポスやデモクリトスによって原子論が唱えられ、プラトンは四つの元素は複合体で分解できると考え、アリストテレスはそれぞれの元素の「熱、冷、湿、乾」という性質の方に着目した。
四つの元素の変化と、その柔軟性を目の当たりにすれば、根底にはもっと強固で、もっと根源的な何かが存在するのでは、と思えてくる。これらに多少の修正を加えて受け継いだのがエピクロスという流れ。
ルクレーティウスは、エピクロス哲学の原子論的宇宙観を、長編詩をもって歌い上げる。精神と魂(アニマ)の本質は有形的なものであると...
それにしても、既にこの時代に、このような形で科学啓蒙書なるものが存在していたとは、古代の叡智、恐るべし!
それは紀元前の物語であったとさ。しかしながら、このような科学的思考も、やがて出現する一神教に迫害される羽目に。無神論のレッテルを貼られて...
尚、樋口勝彦訳版(岩波文庫)を手に取る。

宇宙は、原子と空虚で構成されるという。原子とは、けして消滅せしめることのできない強固な存在。空虚とは空間のことらしいが、まぁ、真空といったところであろうか。
原子は単独で存在することもあれば結合することもあり、万物は種々の原子の結合、重量、打撃、集合、運動によって生み出されるという。
あらゆる原子は、いかようにも結合できるものではなく、種々で相性のようなものが見て取れる。配列の順序によって、様々な性質を得たり、変化したりするんだとか。原子には全く色がなく、物質が色彩を帯びるのも、結合の形態にかかわるんだとか。まさに分子説を物語っている。
そして、結合した原子に空虚がうまい具合に絡み合うことによって、四元素を変化させたり、柔軟性を持たせたりするという...

「万物は移り変わる。自然は万物を変化せしめ、移り変わることを強制する。」

さらに、「宇宙の全域は死滅すべきもの」としながらも、宇宙空間における原子の総和を一定とし、原子不滅の法則のようなものを説いている。ここに、エネルギー保存の法則に通ずるものを感じるのは、気のせいであろうか。
宇宙の無限性に思いを馳せれば、その正体を暴くために極小の実体に取り憑かれる。思考ってやつは、両極に思いを馳せながら、綱引きという物理運動においてなされるものらしい...

「自然は宇宙を維持するのに、宇宙に宇宙自身の限界をもうけ得ないようにしている。すなわち、自然は原子を空虚によって限らしめ、しかして一方空虚を原子によって限らしめ、かくの如く交互の錯列によって、宇宙を無限ならしめている...」

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