2023-04-01

堂々と冗談の言える日に、こっそりと嘘を論じてみる...

今日、四月一日...
巷では、堂々と冗談の言える日ということになっている。だが実のところ、本音が存分にぶちまけられる日のようである。
ある弁護士を名乗る奴がボヤいてやがる。保険金を惜しまず掛けてから、本音を言えばよかった... と。どうやら相手は、嫁さんらしい。彼が言うには、コミュニケーションには言葉のキャッチボールが大切だとか。それでも、すぐさま言葉のドッジボールとなり、やがて言葉のビーンボールが頭をかすめよる。
自称法律家ともなると、法律で裁ける嘘と法律で裁けない嘘の境界をよく心得ていると見える。しかも、法律で裁けない嘘が真実となるから厄介この上ない。
そこで、手っ取り早い解決策を... その弁護士が言うには、完璧な仕事料の相場は 300 万ドルだとか。
ゴルゴ13... ヤツを狙撃しろ!

冗談とは、言わば、笑い飛ばせる嘘。但し、笑えない冗談もあれば、引いてしまう冗談もある。まぁ、それは置いといて...
人間が生きてゆくには、嘘が欠かせない。この世に嘘というものがなければ、おそらく人生は退屈きわまりないものとなり、現実に絶望するほかはあるまい。もしかしたら、真実よりも大きな意味があるのやもしれん。
真実と嘘の存在感では、かつて後者の方が若干強かったが、いまや圧倒的に強くなった。マーク・トウェインは、こんなことをボヤいた。「真実が靴をはく間に、嘘は地球を半周する。」と。
まさに現代は、情報が瞬時にネットを駆け巡り、嘘がごまんと溢れている。情報の自由化は、偽情報の自由化でもある。厄介なのは、その内の何割かが真実だということだ。しかも、極めて重要な...

人間は、嘘をつく動物である...
人に嘘をつかなければやってられない人生もあれば、自分に嘘をつかなければやってられない人生もある。
現実は残酷だ。すこぶる残酷だ。現実逃避に嘘は必要不可欠!それが必要悪かは知らんが...
嘘は優しい。すこぶる優しい。嘘も方便というが、女性に嘘をつかない野郎は、女心への思いやりに欠けるわ...

人間は、表と裏のある動物である...
それは、人の目を意識しながら生きている証拠。いや、それだけなら、他人に嘘をつくだけでいいはず。自分にも嘘をつきながら生きているとすれば、むしろ、そちらの方が大きな意味を持つ。
嘘つきは泥棒の始まり... と言うが、嘘が悪の道と結びつくのも確か。しかし、人間社会は、嘘をつかないで生きていられるほど、おめでたい世界ではない。
アリストテレスは、人間を「ポリス的動物」と定義した。ポリスとは単に社会を営むだけでなく、最高善を求める共同体というような哲学的な意味も含まれているが、人間社会では大嘘が大手を振ってやがる。
となれば、嘘をどうつくか、嘘をどう利用するか、嘘とどう付き合うか、これが問われる...

そして文明人は、現実社会からの避難場所として高度な仮想化社会を編み出した。それは夢想の世界であり、言わば、嘘で固められた世界。嘘が人を救うのか、嘘が人を廃人にするのか。嘘が嘘を呼び、やがて自分の嘘に潰されていく自我。あとは、自己肯定にすがるほかはあるまい。だがそれで自我を納得させられるだろうか...

巷では、「自己肯定感」ってやつがもてはやされる。それで、自己啓発から自己陶酔へ、自己実現から自己泥酔へ、さらに、自己欺瞞に、自己肥大に... と世話ない。
巷では、「自己責任」という言葉が飛び交う。それで、自己に責任を持てる人間がどれほどいるというのか。この言葉は既に、お前が悪い!という意味で使われており、自己肯定感を他人否定で支えているのが現実である。
やはり、自己を知るには勇気がいる。やはり、自己肯定感には嘘が欠かせない...

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