2023-08-13

"ギボン自伝" Edward Gibbon 著

自伝を書くには、勇気がいる。自我を客観の天秤にかけ、冷静でいられるはずもない。見栄っ張りにもなろう。独り善がりにもなろう。人生の回想録は、自分自身への言い訳にもなる。
歴史家ともなれば真実を信条とするだけに、政治家や文芸家が書くのとは、ちと意味が違う。記憶ではなく、情報に基づいて記述すべし!と表明したところで、空想上のアダムのように自我を完璧な姿に仕立て上げる。健全な懐疑主義を保つには、自己検証を怠るわけにはいかない。エドワード・ギボンは、「ローマ帝国衰亡史」を著した大家だが、彼ほどの人物でも葛藤の中でもがく...
尚、中野好之訳版(筑摩書房)を手に取る。

「もっと本格的な歴史記述の最高の徳目である真実、ありのままの何一つ隠し立てせぬ真実こそがこの個人的な報告の唯一の取柄でなければならず、それ故に文体も素直で親しみ深くあるべきであろう。しかし文体は性格の鏡である以上、正確に書く習慣は特別な労苦もしくは企図なしにも技巧と彫琢の外観を呈するかも知れない。自分の楽しみが私の動機であり報酬である故に...」

「ローマ帝国衰亡史」が、ToDo リストに居座って、十年が過ぎた。如何せん大作!お茶を濁そうと、代表的な章を掻い摘んでくれる「ローマ帝国衰亡史 新訳」(中倉玄喜編訳、PHP研究所)を手にしてみたが、まだまだ消化不良感は否めない(前記事)。
それでも軽妙なリズムに乗せられるのは、ギボンの文体に翻訳者が乗せられるところもあろう。本書にも似たような感覚が...
生涯を賭けられるものを見つけられるということが、いかに幸せであるか。ギボンは、十八世紀の悠々たる暮らしぶりから様々な分野の書物を漁り、自己の中で解釈の統一を図りながら大ローマに至った喜びを物語ってくれる...

「現在は流れすぎる一瞬であり、過去はもはや存在せず、そして我々の将来への展望は暗く不透明である。今日という日がひょっとして私の最後の日かも知れないとはいうものの、全体としては極めて正確ながら個々の場合には極めて当てにならぬ確率の法則は、私になお十五年ほどの余命を残している。」

一つの国家を物語る時、重要な要素に信仰や宗教がある。というより、国民の精神的支柱となる何か、とすべきか。ローマ帝国の場合は、キリスト教である。歴史書としてのキリスト教のくだりでは、聖職界から猛攻撃を喰らい、改稿せざるをえなかった苦悩を露わにする。かつて新興宗教で迫害される側にあったキリスト教は、秘密主義の下で密かに勢力を拡大し、やがて公認、国教化され、自らキリスト教徒となった皇帝の下で迫害する側に回る。
ギボンは、こうした歴史背景に重ねるかのように、自らの改宗体験を告白する。プロテスタントの家で育つも、オックスフォード大学在学中、宗教論争の末にカトリックへ改宗。すると、父親から退学させられ、スイスのローザンヌの地へ送り込まれる。勉強をやり直して来い!と...

「私が今日有する才能もしくは学殖或いは習慣はその一切がローザンヌにおける産物である。彫像が大理石の塊で発見されたのは実にこの学園においてであり、私自身の宗教上の愚行と私の父親の盲目的な決断は最も考え抜かれた叡知の結果を作り出した、と言える。しかし唯一の悪影響、それも我が国民の目には取り返しのつかぬ深刻な悪影響がスイスでの私の教育の成功から生み出された。つまり私はイギリス人たることを止めてしまっていた。」

そして、哲学を学び、歴史を学び... 再びプロテスタントへ改宗。というより、哲学的論考や懐疑主義に帰着したという言うべきか。クセノフォンを読み、ヘロドトスを読み、キケロを読み、テレンティウス、ウェルギリウス、ホラティウス、タキトゥスなどを読み漁っては、解釈の突き合わせに努め...

「全実体変化の教義を否定する哲学的論証を発見した時の孤独な陶酔を今に忘れない。」

ローマ帝国衰亡史の執筆にもローザンヌを拠点とし、田園、湖水、山脈の景観を見渡すアカシア並木に身を委ね、リュケイオンを逍遥するがごとく構想を練る。完璧な準備と知識で身を固め、ハンニバルの足跡を辿ろうと。巡礼先は大ローマだ!
そして、カピトリーノの丘で着想を磨き、その昔、ロムルスが立ち、キケロが弁じ、カエサルが倒れた記憶すべき場所、フォールムの遺跡で何を思う。人間五十年... というが、ギボンは五十歳にして衰亡史の最後を、こう締め括ったという...

「昔は野蛮だった遥かな北方諸国からの新しい巡礼者の種族も今日では英雄の足跡に、そして迷信ならぬ帝国の遺物に恭しく参詣している。この種の巡礼者そして読者諸賢は、恐らくローマ帝国の衰微と滅亡の過程に関心を唆られるであろう。... 私がそれ以後二十年近く我が生涯を楽しませ拘束させる運命になったこの著述の構想を最初に抱いたのは、私がカピトリーノ神殿の廃墟に立った時であり、たとえ自己の本来の願望に照らしてどれほど不満足にせよ、今これを最終的に読者公衆の好奇と温情に委ねる。」
... ローザンヌにて、1787年6月27日

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