2007-12-26

"アート・オブ・プロジェクトマネジメント" Scott Berkun 著

書店で立ち読みしていると、ある言葉に引き寄せられる。アートという言葉は、なんとなく癒してくれる香りがする。サブタイトルに「マイクロソフトで培われた実践手法」とある。これにはちょっと引っ掛かる。そうこうしているうちに第一章を読み終わった。ちょうどその時、カウンターから鋭い視線を感じる。なかなか可愛いお姉さんだ。どうやらおいらに気があるらしい。話かけるチャンスをあげよう。「この本を頼む!」とドスの利いた声で迫る。お姉さんは決まりきった営業台詞であっさりとかわす。どうやら照れ屋さんのようだ。

MSと言えば、ソフトウェアの品質を恐ろしく低いものにし、これを社会認識として標準化したというイメージがある。ユーザを飼いならしたのだ。しかし、本書はそうした固定観念を無視すればおもしろい。アル中ハイマーにもプロジェクトマネジメントの経験があるので、この分野に多少なりと興味がある。といってもそれほど多くの経験があるわけではない。規模も5人から10人ぐらいの小規模である。おいらは、マネジメントを体系化できるものとは信じていない。プロジェクトの前提は、人員や技術レベルなど、あらゆる面で異なるからである。本書は、例題を組み込みながらも哲学を優先しているところに感銘を受ける。ただ、読めば読むほど相槌を打ちながら、本に向かって話しかけている自分が怖い。妙な仲間意識でも芽生えたのだろうか?今日は、なんとなく愚痴りたい気分である。ついグラスの氷に話しかける。「君って冷たいね!」
今から述べる物語はフィクションである。

エピソード1 「刻まれた作業」
通りがかりにおもしろいスケジュール表を見かけた。そのプロジェクトは1年近く続いており、リリースまであと1週間と迫っていた。ちょうどコーヒーを入れて席に戻ろうとした時、ふと会議室を覗くと、おいらは目を疑った。マネージャはホワイトボードに線表を書き始めた。なんと10分単位で刻まれている。それも直接ホワイトボードで管理されている。そこは殺気だっていた。つい悪戯書きの衝動にかられる。
1時間後にトイレに立った時、ちらっと会議室を覗くとホワイトボードが炎上していた。刻まれたのは時間ではなく作業の方だった。きめ細かいスケジュール表を作成することに命をかけるマネージャがいる。何事も計画どおりにはいかない。きめ細かいものが精度が高いとはいえない。ただ、このマネージャはそういうレベルではない。彼の口癖は「死守!」である。この期に及んで、明日のためのスケジュールを時間単位で練っていた。
「明日はきっーと。なにかあるー。明日はー!どっちだあ...」

エピソード2 「1分と持たない会議資料」
会議で召集されるのはいいが、事前に何をするのかはっきりしない会議は実に多い。1時間の会議をしようと思うと主催者は下準備に半日ぐらいはかかるものである。会議をするということは担当者の作業を止めるということである。だらだらとした会議は作業者のストレスを招く。だから効率良くやろうと気配りする。
ある日、突然呼び出された。何をするのかわからない。事前資料もない。とりあえず議題を提供するために、疑問点や検討内容を事前資料として送付した。さあ、会議だ!いきなり大前提が変わったと発表がある。用意した資料は1分と持たなかった。おまけに状況がかなり複雑化している。そして意見を求められた。わけがわからないので考える時間をくださいと発言して会議は即終了!アル中ハイマーは頭が悪いので事前に考える時間がないと議論に参加できない。ほとんどの場合、事前準備の要領が悪い人の説明は異常に難しい。何をするのかシミュレーションできていないのだ。会議では、お偉いさんの勉強会になることもよくある。単語の意味すら通じない。そもそも事前資料に目を通さない。会議とは議論するところである。前提を出席者に浸透させておくのも主催者の務めである。

エピソード3 「嫌がらせの納品物」
初めての取引先に、試しにモジュール設計を外注したことがある。HDLで1000行ほどのコードに、キングファイル3冊にも及ぶタイミングチャートだけの検証報告書を納品された。初めての付き合いだったから、大量のデータでアピールするつもりだったのだろうか?製本されていて見かけは美しい。ブックエンドにでもしようと思ったが分厚過ぎる。これは嫌がらせに違いない。結局、検収できないのでマネージャ自身がやり直した。これはおいらの責任なので誰かにやってくれ!とは口が裂けても言えなかった。簡単なモジュールだからと言って意思疎通を怠ってはいけないという教訓を得る。そもそも、こんなモジュールを外注したおいらが悪いのである。

エピソード4 「マネージャ力石」
かつて失敗したことがないと自負するマネージャに出会ったことがある。失敗するような仕事を任せられていないか、失敗したことに気づいていないのだろう。成功、失敗の基準は人によっても違う。お金を回収できたという意味で失敗していないのかもしれない。いや!本当にそうなのかもしれない。だって、目の前で彼の仕事が炎上しているのだ。それも見事な燃えっぷりである。完全に焼き尽くして失敗した痕跡すら残らないほどに。
「ブスブスとそこいらにある見てくれだけの不完全燃焼とはわけが違う。ほんの一瞬にせよ。まぶしいほどに真っ赤に燃え上がるんだ。そして後には灰だけが残る。燃えかすなんか残りゃしない。真っ白な灰だけだ!」

エピソード5 「政治に支配された仕様」
ある日、モジュール設計を請け負った。その要求書には目を疑った。超スーパー間接アドレッシング・ミレニアムとでも呼んでやろう。これは笑った。論理的にも物理的にもイメージできない。一つのアドレスにRAMやらレジスタやらがビット単位でバラバラに存在する。おまけに1ビットの意味合いも複雑に絡み合う見事なスパゲッティ仕様の上にスパイシーなミートソースがきいている。わざわざ仕様確認のためのスペシャル仕様書を作ったものだ。こんな複雑なことになっているとは誰一人として気づいていなかった。思想の違う過去の仕様を組み合わせたことは明白である。おまけに部署間の政治力が遺憾なく発揮されている。当然のように決定事項なので変更できないと主張している。仕様決定は早いもの勝ちという体質も手助けしている。最初から日程が遅れることを見越して、責任逃れのための言い訳を準備している。そして実際に遅れると責められるのは政治力の弱い部署である。官僚体質で硬直化した組織の課長さんには同情する。上流工程はスケジュールの精度に影響を与える。よく検討された仕様は精度を高める。この仕打ちは、プロジェクトそのものを潰したいという裏の政治力が働いているに違いない。

エピソード6 「呪われた黒箱」
流用モジュールと聞くと呪文のように聞こえる。「実績がある」という言葉は人間不信に陥れる。ある仕事で、政治的に流用するように仕向けられたモジュールがあった。見るからに異様な香りが漂う。黒箱には黒幕が潜んでいるのだ。この香りだけでメンバー全員が拒否反応を起こす。おいらは、メンバーをやる気にさせるために、どうあってもこの異様な黒箱を葬り去るしかない。と言っても対処は簡単である。政治に屈するぐらいなら仕事自体をチャラにすればいい。政治的に仕向けるからにはモジュール説明会を要求した。そしてコードの説明が始まる。if... then... もし条件が成り立てばこれこれする。そのまんまじゃん!このモジュールがどういう振る舞いをするか、使う時の注意点などを質問しても一切答えがない。更に強烈なのはこんな会議に3日間缶詰にされたことだ。拷問とはNOをYESと言わせる手段である。だいたい流用モジュールで使えるかどうかは仕様書を見れば想像がつく。断固拒否したお陰で無事リリースできた。仕事の後のブラックコーヒーは美味い!余韻に浸りながらぶらぶらしていると、あれ?会議室が炎上している。どうやら、この黒箱を流用したプロジェクトがあったらしい。政治的陰謀に陥った連中がいた。気の毒に!噂によると提供されたソースが最新版ではないというのが1年経った今になって明らかにされた。

エピソード7 「ふるせー奴ら!」
メンバーにヤクザのあねさんがいると緊張感は半端ではない。
間違っても背中を見せられない。いつタマを取られるかわからない。
ただ、スケジュール管理は簡単である。あねさんが一言。「今度の連休はオーストラリアに行くのよね!」これで連休前にプロジェクトは完了する。これはどんな政治力もおよばない。自然災害でさえ無力だ。あねさんの趣味はダイビングである。某サイトではダイブ100回記念の写真が公開されているが、いまいち本人確認ができない。面がわれるとヤバいようだ。ちなみに、とっとと鮫に喰われちゃえ!と面と向かって言ったY氏は消息不明である。本人から博多湾の埋立地にアドベンチャーな会社を起こすという知らせがあったが、そのまま埋立地に埋まっているという噂もある。詳しい話はルーマニアのgさんに聞くといい。鉄砲玉だったM氏は韓国人女性と一緒のところを雑餉隈でパクられた。彼は大阪でもパクられたが、その相棒S氏はウクライナで匿われている。一世風靡したSMコンビも今となっては懐かしい。おいらは、というと一時中国に飛ばされたが、今では頭からビールをかけられて可愛がられている。
メンバーにおかまのIちゃんがいると緊張感は半端ではない。
間違っても背中を見せられない。いつタマを取られるかわからない。
彼の席は、おいらの隣であったが無事だった。ちなみに、向う隣のO氏はやられた。その証拠に会社を辞める時、彼は内股で歩いていた。示談で済んだと聞いたが、手切れ金をいくら払ったかは定かでない。ただ、O氏はそれを資金にして中洲でおかまバーを経営している。その店でアレックスを指名するとIちゃんが登場するというから恐ろしい。ショータイムにはパンティーとYシャツ姿でメキシカンダンスを踊るという。
メンバーに16進数がわからない奴がいると緊張感がなくなる。
痛みを伴わないと理解しないだろうと、ある日、お宅の16進数で1万円とおいらの10進数で1万円を交換しようと持ちかけた。しかし、これは損な取引である。奴は16進数で数えられない上に損得勘定はできるのだ。あんまりなので、O氏の店に放り込んでやったら、翌日アレックスとできていた。

おっと!飲みすぎた。スピリタスという酒には96%の現実を仮想空間へ追いやってしまう力がある。仮想空間では、アル中ハイマーは評判が悪い。お陰様であちこちの会社で出入り禁止をくらっている。アル中ハイマー病とは現実と仮想空間をさまよう病である。

いつのまにか本題がどっかへ飛んでしまっている。本書についても付け加えておこう。仕様書の記述や作業の文書化を行うにあたって万能の作法などないと断言している。仕様書は常に最新版に維持され、メンバーから信頼されなければ機能しない。神聖な存在であると共に、いつでも最適化できる柔軟性を兼ね備えてこそ機能する。実行するのは難しいが、実行しないと破綻する。Joel Spolsky氏著の「Joel on Software」で「仕様書は生きている!」というフレーズを思い出す。
本書は、更に仕様書の位置付けをコミュニケーションの一形態として捉えている。大規模なプロジェクトであろうと仕様書の著者は一人に限定すべきであると述べられるが、果たして可能だろうか?おいらが担当するような小規模なプロジェクトではマネージャが一人で作成してメンテナンスするべきである。担当者からいつも文句を言われ、悪者になったり、アホ面をするのもマネージャの務めである。アル中ハイマーはいつも酔っ払い扱いされるので、メンバーは文句を言いやすいようだ。実は酒に弱く、わざと酔っ払った演技をしていると言っても誰も信じてくれない。ただ、その演技力はリアルである。

本書を一言で要約すると、本文中にちょうど良いのが見つかった。
「プロジェクトマネージャの実力は、チームメンバーの人間関係で評価されると言っても過言ではない。」
エンジニアの中には気難しい人も少なくない。アル中ハイマー自身が人見知りが強く、気難しい人間である。チーム内を円滑にするために、笑いネタにできる人間が一人ほしい。Mタイプである。馬鹿を演じられる人間は貴重である。実は賢いと認められた人間の成せる技である。マネージャ自身の馬鹿げた行動を暴露するのもいい。チームには常に笑いを起こせる共通のネタを仕込んでおきたい。目的はただ一つ。仕事を楽しもうとしているだけなのである。しかし、どうしても合わない人間はいる。そういう場合は一緒に組まないのが一番である。アル中ハイマーが担当してきたプロジェクトは運良くメンバーに恵まれてきた。それなりに楽しくやれてきたからである。失敗もあるが今では笑い話にできる。
マネジメントの仕事は辛い。一つとしてクビをかけずにやった仕事はない。いつも机に忍ばせていた辞表は、捺印済みで、後は日付を書き込むだけの状態にしていた。しかし、こんなものを用意しておくのは良くない。人間は衝動にかられるものである。酔っ払ってつい出ちゃったじゃん!明日から生活どーすんだよ!スピリタスでも飲んで96%忘れるしかない。以上、遠い昔の出来事である。

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