「わたしはかつて例のなかった、そして今後も模倣する者はないと思う、仕事をくわだてる。自分とおなじ人間仲間に、ひとりの人間をその自然のままの真実において見せてやりたい。そして、その人間というのは、わたしである。」
古来、著述家たちは自叙伝の類いに挑戦してきた。ローマ帝国時代には、アウレリウスの「自省録」やアウグスティヌスの「告白」、ルネサンス期には彫刻家チェッリーニの「自伝」など、枚挙に遑がない。紀元前に遡ると、司馬遷の「史記」の末尾に「太史公自序」というのが添えられるそうな。
しかしながら、自分自身を冷静に綴ることは不可能なほど難しい。人生とは、臆病を隠しながら恥の中を生きるようなもの。どんな醜態にもやはり弁明はつきもので、美化、正当化の誘惑からは逃れられない。
そこで、ルソーは「かつて例のなかった... 」と豪語する。ちと大袈裟に映るが、文学界の評価はそうでもないらしい。恥も外聞も捨て、すべてを曝け出す近代的告白では、ルソーが開祖という評価もあるようだ。ゲーテ、トルストイ、ミル、ジッドにも優れた自叙伝文学があり、これらすべてルソーの影響下にあるとか。トルストイは、こう語ったという。「ルソーと福音書はわたしの一生に、大きく有益な影響をあたえた二つのもの。」
そもそも幸福な人間に哲学書や小説など書けやしまい。ましてや自叙伝となると。自分の不幸を舐めるように愛し、絶望感に浸る自我に溺れ、仕舞いには精神を破綻させることも厭わない。自我という空間に第三者の自我が現れ、検閲官となって自己を審判にかける。自叙伝とは、ある種の人体実験ある。精神分析学にとって意義がありそうな。この偉大な人物といえども、自我の責任追及に憂鬱症を重くさせていく。それでもなお衝動に駆られるのはなぜか?真理とやらは、それほど心地良いものなのか?いや、人生の未練を断ち切れないだけのことかもしれん...
尚、桑原武夫訳版(岩波文庫)を手にとる。
ルソーは、「マルゼルブへの手紙」(前記事「エミール」に付録)で陰謀説を綴り、「告白」の執筆を決意する。ルソーが引き篭もると、ヴォルテール、ダランベール、ディドロらが彼の心境を代弁する。ルソーにはそれが悪意に映る。ディドロ、お前もか!多少の皮肉や嫉妬もあろうが、本当に陰謀と呼べるほどのものなのか?単なる被害妄想では?自意識過剰の裏返しでは?
とはいえ、「エミール」の黙殺については陰謀説を否定できない。実際、禁書にされた。「人間不平等起源論」は反響があったものの、出版を妨げるものはなかったという。フランス政府が公刊を認めた「社会契約論」の大胆な議論にしても、「エミール」の中にことごとく現れる。なのに、なぜ「エミール」だけが?狙われたのは、ルソーという人間にあったと回想している。
だからといって、この告白で名誉を回復することはできまい。なにしろ、女友達を必要とする性癖や、夫人たちと愛人関係を結ぶマダムキラーぶりを披露しているのだから。ルソー自身、気違いじみた恋をする中年の色男と称している。社交界の色事が実名で記されれば、暴露本と化すは必定。おまけに、理解の遅い子供に癇癪を起こす性癖があることを告白し、自分の子供を教育する資格すらないと弁明しながら、5人の子供をことごとく孤児院へ入れる。
また、社交界の礼儀作法に気後れすれば、取るに足らない態度で大胆に振る舞い、我流を通すことで高貴に見せることができると、羞恥心を克服するテクニックを語る。論理的な物言いで攻撃するのも、社交界で威厳を保つテクニックというわけだ。
いくら「告白」が真実を語る使命を帯びているとはいえ、男として、父として無責任ぶりをぶちまければ、道徳家たちの猛烈な攻撃を受ける。自我が刻々と変化する様、多様性や寛容性との矛盾、まるで支離滅裂な精神分裂症の描写。彼がどんな使命に駆られたかは知らん。恥を歴史とともに残すことが、著名人の使命とでも言うのか...
一方で、ルソー自身は臆病な人間と評している。なによりも束縛を嫌い、強すぎる自由への欲望が無力感にさせると。人は誰しも臆病、だからこそ精神肉体ともに強くなろうと努力する。また、自由への渇望は自然学者に必要な資質である。そして、利己心を生み出すだけの皮相的な秩序にうんざりし、「社会契約論」ならぬ「社会険悪論」を展開する。孤独を愛したところで、今度は「自己険悪論」がつきまとい、見事なほど人間臭さを滲み出す。臭すぎるほどに...
これでルソーという人物が好きになるかは別だが、ただ一つ感服できるものがある。それは、自分自身の欠点を惜しみなく曝け出し、正面から対峙する勇気だ。人間の最も醜い情念は、虚栄心、嫉妬心、羞恥心の類いであろうか。ルソーはこれらの情念と葛藤し、ひいては自尊心に全面戦争を仕掛ける。美徳や道徳を教えることは簡単だが、問題は人間の醜い部分をどうやって教えるか?有識者や有徳者どもは、けしからん!といつも憤慨し、すぐに禁止用語やタブーに逃れる。本当の教育者とは、馬鹿を曝け出し、素直に醜い部分を曝け出せる者を言うのかもしれん。やっちまったことを、なかったことにはできない。覆水盆に返らず。喰ったラーメンは胃袋の中。エントロピーは神のごとく振る舞う。... 間違えない人間はいない。大切なのは、その後どうするか。後悔なんてものは、何もしないで嘆いている奴の言い訳でしかない!... ということか。
1. 青年期
1712年、ルソーは病弱な子として生まれ、母親は産んですぐに亡くなる。父親は、卑劣な軍人との喧嘩でジュネーブから逃亡し、ルソーは叔父に後見され、ランベルシェ牧師に預けられる。彫刻師に弟子入りするが、抑圧を感じて出奔。子供の身で、郷里、親戚、生計の元をいっさい捨てて。
そして、ある夫人からトリノに改宗者のための救済院があると勧められ、一旦そこに落ち着く。教化しようという企みは滑稽なほどで、カトリック教に対する嫌悪さえ抱いたという。その様子は、「エミール」の中の「サヴォワの助任司祭の信仰告白」で語った内容とほぼ同じ。
「新教徒は一般にカトリック信者よりよく教育されている。これは多分こうだと思う。一方の教義は議論を要求し、他方のは服従を求めるから。カトリック信者はあたえられる決定を、そのまま受け入れなければならぬ。新教信者は自分で決定することをまなばねばならない。」
改宗させるためには、前の宗教よりも優れた論理的争点を見出す必要がある。そして、聖典を読み尽くす。道理の感じられないところに罰則を用いれば、嫌悪感しか持てない。したがって、論理的な宗教議論を持ち込めば、概して無宗教者を創出することになる。そこに救いの僧侶との出会い。サヴォワの助任司祭のモデルは、ゲーム師とガチエ師という二人の尊敬する僧侶を結びつけたものだという。
「ごく小さな義務をかかさず果たして行くには、英雄的な行為をするに劣らぬ力がいる。名誉や幸福をうるにも、そのほうが役に立つ。そして、ときたま世間をあっといわせるより、いつも人に敬愛されているほうがどのくらいまさっているかもしれない、そういうことを悟らせてくれた。」
社交界デビューを果たすと、空想と官能の生活、享楽と欲望、そして大人という人種を知る。
「庶民階級のあいだでは、偉大な感情などというものは時たましかあらわれないが、自然の感情が率直にものをいうことが多い。上流の身分ではそういう声はまったくおし殺され、感情の仮面の下にいつも利害か虚栄心がものを言っているだけだ。」
そういうルソー自身が、社交界の夫人たちに溺れていく。中でも、最も大きな存在はヴァランス夫人。幼い頃から、坊や!ママン!(母さん)と呼び合う仲で後に愛人となる。母親を知らないルソーは、母性愛に飢えていたのか。定住せず、放浪生活を続け、ママンの住むシャンベリを度々訪れる。ニヨンに住む父親にも会いに行くが、再婚し、親の愛情は既に冷めている。放浪と不安定な生活のうちに成人した境遇から、「エミール」という理想像を描いたのだろうか...
1731年、ようやく国王に奉仕する土地測量の事業に雇われ、ママンの家に落ち着く。1740年から一年間、リヨンのマブリ家(哲学者コンディヤックの兄の家)に滞在し、家庭教師を務める。ルソーは、生徒の呑込みが悪いと悪魔になるという。すぐに癇癪を起こし、教育者に向かないタイプであると。それでも「エミール」を書いたのは、自省録のつもりであろうか...
2. 教育論とプラトン批判
合理的な健全な教育を受けた子供が、この世にあるとしたら、それはルソー少年だと豪語している。平民出身だが、風変わりな風習を持つ家庭に生まれ、正しい品行や名誉の手本を受けたと。父親は享楽家だったが、正しい心の持ち主で信仰心は厚かったという。宗教はあまり早く教えると危険とされるが、ジャン=ジャック・ルソーのような子供がいれば、七歳で神の話をしても何の危険もないことを保証すると言っている。
しかし、父親の側に立つと態度が一変する。義務の中で最も快い親の勤めを容赦なく踏みにじる堕落した心の持ち主であると。実際、子供5人を産ませては、すぐ孤児院に入れた。泣いて拒む妻を押し切って。冷酷無情な人間が自分の子を育てるよりも、教育を社会福祉に託す方がまっとうな人間になれると信じていた。だから、国家の一員として育てる道を選んだというのである。その弁明にプラトン批判を展開している。確かに、プラトン著「国家」には、子供は国家のために存在するといった文面を見つけることができ、国家教育の重要性を唱えている。現在でも、子供は社会で育てるべきだと主張する有識者たちがいる。だからといって、親が子供を育てる義務を放棄していいということにはならない。生活苦であったわけでもない。
「約束したのは告白であって、自己正当化ではない。だからこの話はこのへんで止める。わたしはただ真実をのべるべきであって、公平であるべきは読者のほうなのだ。それ以上のことを読者にもとめまい。」
3. 女道と独学道
父親失格の一方で、学問への情熱を語っている。
「かりそめにも学問が本当にすきな人であれば、それと取り組んでまず感じるのは、多くの学問がたがいにひきつけあい、助けあい、照らしあい、そして一つの学問は他の学問なしではすまされぬ、という相互の関連性である。もちろん、人間の精神はあらゆる学問をきわめることはできず、つねになにか一つを専門に選ばなければならないが、他の学問についてもなんらかの理解がなければ、往々にして専門の分野にも暗くなる。」
やはり独学は楽しい。自分のペースで好きなように寄り道できる。愛人と学べるなら最高!目的はただ一つ、自由を謳歌することだ。ましてや知性や理性を会得しようなどという野心はない。馬鹿は死んでも治らんよ。この道が天国行きか、地獄行きかも知らん。そして、世間知らずで終わるだろう。知りたくもないが。独学の苦労は、ルソーの時代とは比べ物にならないだろう。情報化社会では、食欲旺盛なだけ知識が手軽に入手できる。快楽人として、享楽人として、欲情と好奇心を存分に解放できる道はますます開けている。もちろん女性への欲情も修行のうちだ。
... などと綴れば、人道にも劣るというルソー批判は、おいら自身に向けられる。そういえば、恋愛すると頭が悪くなる、と夜の社交場のお嬢がもらしていた...
4. 音楽論
1742年、パリで音楽を学び、新たな記譜法を提案している。最大の長所は、移調と音部記号をやめてしまうことだという。曲のはじめにある頭文字の一つを変えさえすれば、同じ楽譜を何調にでも記譜できるという発想である。この方法論に批判的な連中を「パリのヘボな音楽家たち」と呼び、アカデミーに「現代音楽論」という著作で考えを世に問うた。この抽象化の発想は、数学的、プログラミング的ですらある。しかし、ラモーが明確な弱点を指摘した。これには反論の余地がないという。
「あなたの記号は、音の長短を簡単明快に決定していること、また音程を明瞭にあらわして、単音程をいつも複音程の中で示していることなど、すべて普通の音符ではできない点で、大変すぐれています。しかしこの記号は、頭の働きを要求する点がいけない。頭はいつも演奏の速度についてゆけるとはかぎりませんから。」
数字を拾い読みしなければならない記譜法は、ちらっと見るだけでは役に立たないというわけか。楽譜というものは、感覚的に相対的に眺めるところがある。
5. 逃亡生活
「沈黙と忍耐の二年後に、わたしは決心をひるがえして、ふたたびペンをとる。読者よ、わたしをしてやむなくそこにいたらしめた理由について、批判はひかえていただきたい。読んだあとでこそ批判はゆるされる。」
知人はかなりたくさんいるが、特別な友人はディドロとグリムの二人だけという。社交界で活躍する二人への嫉妬が、被害妄想を膨らませたのか?それとも、疑心暗鬼か?あるいは、病がそうさせたのか?
「不幸な者が勇気を出すと、卑屈な人間はおこるが、高潔な人は喜ぶものである。」
病で苦しんでいる時は、不機嫌になりやすい。ルソーほどの人物とて例外ではない。40歳を過ぎて持病の尿閉症が激しくなり、早死を覚悟した様子が語られる。それでも、66歳まで生きているが...
1762年、フランスへの愛着を持ちながら、この地を去らねばならない。不平等論がジュネーブ議会で反感を買い、エミールがパリの神学界で猛烈に批判を受ける。平穏に暮らすことを許されないという点では、フランスもジュネーブも同じ。不信心者、無神論者、気違い、過激派と呼ばれ、逮捕状は全ヨーロッパへ及ぶ。プロイセンに行けば、少なくとも宗教的に迫害されることはないが、フリードリヒが嫌いらしい。もともとカルヴァン派であったが、カトリックへ改宗したという事実もある。それでも心変わりしてフリードリヒ大王に敬意を払い、プロイセンへ。しかし、プロテスタントの僧侶たちは、支配欲のために宗教改革の全原則を忘却しきっている、と非難する。
当時、パリにいたデイヴィッド・ヒュームはイギリスに来るのがよいと勧める。だが、ルソーは生まれつきイギリス嫌いだという。やはり偏見が多いのはルソーの方では...
6. 自己評論
ルソー自身を、隠遁と田舎暮らしに向いた人間だとしている。そして、トゥーレーヌ州のことを思い浮かべ、美しい詩を紹介してくれる。
"La terra molle lieta e dilettosa. Simile a se l'habitator produce."
(土地は愛すべく、こころよく、ゆたかで、住民はその土地に似せてつくられている)
トルクァート・タッソの「解放されたエルサレム」の中にある詩句で、実際トゥーレーヌ州のことを歌ったものだそうな。本書には、このような素晴らしい文学的要素が存分に鏤められている。一方で、よくも照れずに、こんな自己評論が書けるものだ。読まされる側が照れる。
「わたしの過失や弱点にもかかわらず、またどんな束縛にも耐えられぬ性質にもかかわらず、そのかなたに、正しく善良で、悪意も憎しみも嫉妬心もなく、みずからのあやまちをみとめるにやぶさかでないばかりか、他人のあやまちもすぐに忘れる一人の人間を、ひとはいつでも見出すだろうと確信する。自分の幸福のすべてをひとを愛するやさしい信念のうちに求め、万事誠実をむねとする一人の人間がここにいる。この誠実は、軽はずみであきれるほど無私無欲なのだ。」
ヒュームは、百科全書派のルソーに対する非難を鵜呑みにしたわけではあるまい。だから、イギリスへ迎えようとしたのだろう。真偽を確かめようとしたのかもしれないが。ルソーが、こうしたヒュームの態度を怪しげに思ったのは確かなようである。というより、近づいてくる者すべてが怪しく見えたのかもしれない。
「頭の上の天井には眼があり、まわりの壁には耳がある。いじわるで油断もスキもないスパイや見張りにかこまれている。」
やがて、ヒュームもまた敵の一派と見なし、裏切り者と呼ぶ。そして、死期を悟り、偽名でフランスへ戻る。なんだかんだ言って、やはりフランス贔屓か。イギリス滞在中でもそうだが、召使とのトラブルが絶えなかったようだ。門番が病死した時、毒殺の容疑をかけられるのを恐れて、解剖を要求したという逸話もあるとか。友人が大病になった時、毒を盛られたと疑われるのを極端に恐れていたという逸話もあるとか。
本書には、かなり精神がまいっていた文面が読み取れる。同時に「告白」の完成に異様な執念を感じる。執筆だけでは不十分で、朗読会を開催している。出版できないかもしれないので。だが、圧迫を招いて墓穴を掘ったという。この言葉が、愛に飢えた老男の遠吠えのように聞こえる...
「真理のために受難するということほど偉大で美しいことを知らない。わたしは、殉教者の栄光がうらやましい。」
2015-06-21
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