なんとも煮え切らない、朦朧たる作品の群れ。ミステリーらしくないミステリーとは、こういうものを言うのであろうか。それでいて、どこか不気味で、心理描写はまさにミステリー!
フェルディナント・フォン・シーラッハは、ドイツでは高名な刑事事件弁護士だそうな。彼は現実の事件に材を得て、異質な罪を犯す人間の哀愁を物語る。刑罰とは何か。なぜ罰を科すのか。最終弁論でそれを見出そうとするところは論理的で哲学的。これがドイツ流か...
理論は山ほどある。刑罰が威嚇し、再犯をためらわせ、社会に秩序をもたらし... 等々。だが、ここに紹介される刑事事件は、いずれの理論でも解決しえない。そして、陪審員の裁量に委ねられることに...
ちなみに、ドイツの裁判では、参審制が採用されているという。参審制とは、一般市民から選ばれた参審員が職業裁判官とともに裁判を行う制度で、日本の裁判員制度もこの制度を参考にしているらしい。ただ違うのは、参審員は、裁判ごとに選出されるのではなく任期制になっているとか。彼らにはある程度の目利きがあり、感情に流されることも滅多にないとさ...
「まちがった物言い、感情の吐露、まわりくどい言いまわしなどはマイナスに働く。大げさな最終弁論などは、前世紀のものだ。ドイツ人はもはやパトス(情念)を好まない。これまでうんざりするほど大量に生みだされてきたからだ。」
尚、本書には、「フェーナー氏」、「タナタ氏の茶盌」、「チェロ」、「ハリネズミ」、「幸運」、「サマータイム」、「正当防衛」、「緑」、「棘」、「愛情」、「エチオピアの男」の十一作品が収録され、酒寄進一訳版(東京創元社)を手に取る。
ところで、この世に、嘘をつかない人間がいるだろうか...
人に嘘をつかなければやって行けない生き方もあれば、自分に嘘をつかなければやってられない生き方もある。現実逃避に、嘘は欠かせない。なにしろ、現実ってやつは残酷だ。実に残酷だ。対して、嘘ってやつは優しい。すこぶる優しい。女に嘘をつこうとしない野郎は、女心に対する思いやりに欠けるというものよ。
現代社会は仮想化社会と呼ばれるが、それは仮定の世界であり、夢想の世界であり、いわば、嘘で固められた世界。嘘が人間を廃人にするのか。嘘が嘘を呼び、やがて自分の嘘に潰されていく自我。それでも、嘘はやめられない。おそらく、嘘ってやつがなければ、人生は退屈きわまりないものとなり、現実に絶望するほかはあるまい...
では、裁判が真実を行使する場というのは、本当だろうか...
少なくとも、建前ではそういうことになっている。真実を語ることは馬鹿でもできるが、うまく嘘をつくにはかなりの頭がいる。相手が法なら尚更。証人は嘘をつくし、自供もあてにならない。真実を知る者は当事者だけ。いや、当事者だって、事実関係が分からないこともある。自分が殺人者の汚名を負ってでも隠し通したいってこともあれば、第三者であるはずの証人が注目されたいがために大袈裟に語ることも。真実と嘘の区別がつかなければ、嘘発見器もあてにならない。そもそも、人間の認識とはそうしたものだろう。意識は朦朧とし、記憶なんてものも曖昧きわまりない。いまや、指紋まで偽装できる時代、やがて DNA だって。海外ドラマ NCIS のように、ドラマチックな科学捜査を期待するわけにはいかんよ。
結局、裁判は、物的証拠、動機や背景、自供などを頼りに判断するしかなさそうだ。となれば、冤罪はある確率で生じることになる。それは、不確定性原理に看取られた生死確率を論じるようなもの。ネコは殺されたのか、あるいは、どこかで生きているのか、と。そして、嘘が現実に...
「私たちが物語ることができる現実は、現実そのものではない。」
... ヴェルナー・K・ハイゼンベルク
1. フェーナー氏
生涯愛し続けるという誓いに縛られ、離婚もできず、日々の罵声に耐えながらも、ついに殺っちまった老医師。誰よりも献身的で律儀であるがゆえに。それでも、愛は不滅だそうな...
2. タナタ氏の茶盌
大金持ちの邸宅から、骨董品の茶盌と高級腕時計と金を盗んだ若造たちは、茶盌と腕時計と金の五割を格上にせしめられる。これが裏社会の掟。しかし、被害届は茶盌と腕時計だけ。しかも、これをせしめた連中は亡き者にされ、若造たちは命拾い。公にできない金か。どっちが裏社会の人間やら...
3. チェロ
記憶を失いつつある弟は、姉がチェロを弾く時だけ昔の暮らしが感じられる。やがて言語機能も失うと診断され、絶望の淵に。腕に包まれながら、浴槽で静かに溺死。介護疲れの一端を見るような...
「さあ、櫂を漕いで流れに逆らおう。だけどそれでもじわじわ押し流される。過去の方へと...」
4. ハリネズミ
何世代も前から、いとこ同士、甥姪のあいだで結婚しあう犯罪者一家。その中で一人、独学で推測統計学と積分法と解析幾何学を会得した弟は、殺人容疑のかかった兄を助けるため、瓜二つの別の兄がやったと証言する。しかも、その論理展開が複雑怪奇。兄は八人もいて、みな前科者とくれば、故郷のレバノンへ入れ替わりで出かけるときた。馬鹿馬鹿しいほど複雑で、立証は不可能とくれば、推定無罪が機能する。
ちなみに、古代ギリシアの詩人アルキロコスの寓話に、狐とハリネズミについての物語があるそうな。
「狐は多くを理解するが、ハリネズミはただひとつの必勝の技がある。」
多角的な観点に立つか、一つの強みに絞るか、生き方の問題ではあるが、裁判がそんなものに左右されては、かなわんよ...
5. 幸運
戦争、そして、廃墟となった戦後を女の身ひとつで生きていくには、相当な覚悟がいる。ある男と出会い、二十五年に渡って政界で活躍した女性の自慢話が始まる。ある日、公園でバラバラ死体が発見された。デブが腹上死?監察医は、死因を心筋梗塞と断定し、切断されたのは死後ということで、殺人ではないことが実証された。彼女の証言によると、愛ゆえの遺体損傷だとさ。美女ゆえにパトロンがついて幸運。不要になったら死んでくれて幸運。そして、こんな助言をくれる人がいるのも幸運ってか...
「これからは生き方を変えなくっちゃ。」
6. サマータイム
ホテルのスイートルームで女子大生が、頭を殴られて殺害された。鉄製のスタンドが顔に突き刺さって。容疑者となった紳士は、とても乱暴するような人間ではないが、残された体液が DNA 鑑定で一致。駐車場の警備カメラに写った時間も一致。証拠は十分すぎるほどに十分。
一方で、被害者が貢いでいた男は、嫉妬深く、ホテルの前まで後をつけたことは認めている。動機は十分すぎるほどに十分。
しかし、動機は決定打にはならない。そこで弁護士は、証拠の穴探しに没頭し、ついに見つけた。カメラの時間設定は、夏時間に補正されていなかったとさ。紳士は無罪放免にはなったが、離婚は避けられない...
「血のついたナイフを持って死体にかがみ込んでいれば、その人物が犯人扱いされる。たまたま通りかかり、助けようとしてナイフを抜いたなどという言い分を信じる警官はひとりもいない。事件の真相は簡単なものだという刑事事件の鉄則は刑事ドラマの脚本家の発想でしかない。実際はその反対だ。自明と思えることも推測の域を出ない。大抵の場合がそうなのだ。」
7. 正当防衛
傷害事件や暴力沙汰を繰り返す二人の男は、人が恐れるのを笑って楽しむ。女をからかい、真面目な会社員をカモにし。経理係風の紳士は、彼らに目もくれずにいる。この態度にムカついてナイフを振り回すと、逆襲を喰らい心臓を一突き。もう一人の男が金属バットを振り上げると、急所の頸動脈洞を一突き。正確無比は、まさにプロの技。これは、正当防衛か、過剰防衛か。紳士は、メガネをかけ直し、足を組むと、タバコに火をつけ、逮捕されるのを待った。ただ、別の場所では、まったく同じ手口の殺人事件が発生していたとさ...
8. 緑
羊の死骸が、またもや運ばれてきた。目玉がくり抜かれ、18箇所の刺し傷。この数字に意味があるのか。伯爵家の御曹司は、人間や動物が数字に見えるという。牛は 36、カモメは 22、裁判官は 51、検察官は 23... 18 は悪魔の数字だとか。6 が 3 回で 18。666 はヨハネの黙示録に出てくる数字。
「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」
...ヨハネの黙示録、13章18節
御曹司は、羊の目を恐れていたという。そんな時、彼と親しくしていた娘が行方不明。巷では、殺害が噂される。倒錯はすぐにエスカレートする。これまで犠牲になったのは羊だけだが、いつ人間に変わっても... と世間は考える。そして、君の数字はなんだい?との質問には、「緑」と答えた。数字じゃないんかい!?
うん~... こんなオチじゃ、眠れそうにない。ちょいとググってみると、ドイツ語の慣用句にこんなものを見つけた。
"Ach, du grüne Neune!"
驚いた時やびっくりした時に使うフレーズだとか。英語で言うところの、Oh my God! のような感じであろうか。トランプで縁起の悪いカードがスペードの 9 とされ、"grün neun" と言うらしい。つまり、自分を悪魔と言ったのか。緑の九ちゃん!
9. 棘
彫像「棘を抜く少年」は、裸の少年が岩に腰掛け、前かがみになって左足を右膝にのせ、右手で足裏に刺さった棘を抜いている。古代ギリシアの彫刻をローマ時代に模したもので、特に価値あるものではなく、複製品が無数にある。博物館警備員は、この彫刻の棘を探すが、どうも見つからない。ルーペを忍ばせ、くまなく調べるも。些細なことってやつは、気になり始めると、収まりがつかなくなる。この苛立ちを、悪戯で満たそうとは...
靴屋で靴底に画鋲を忍ばせると、試しに履いた客たちは悲鳴を上げる。棘を抜く少年にあやかって、画鋲を抜くなんとやら。人の不幸を見て幸福に浸ろうとは。やがて、気が狂ったように彫像を破壊した。異常な精神状態も、彫像が砕けて治癒したとさ。
こんなもの、最初からなけりゃよかったのに... と思うことはよくある。あの時なぜ、こんなつまらないことにこだわったのか... と思うことも。しかし、人間の意欲なんてものは、そんなことの積み重ねかもしれん。そして今、何にこだわって生きているだろうか...
10. 愛情
彼女を膝枕して、詩を朗読していた。そして、リンゴの皮を剥こうとナイフ取ると、背中に激痛が。彼女は、飛び上がって逃げた。あれは事故だ!弁明したくても、連絡がつかない。彼女の背中を見ればわかる。肩胛骨がくっきりと浮かび、肌は白くツルツルで、金色の産毛。バカンスで、海辺に寝そべった時、つい強く噛んでしまったこともある。
ちなみに、カニバリズムにも、いろいろな動機があるらしい。飢えを満たすため、儀式のため、だが、多くは性的衝動ゆえの人格障害だという。ハンニバル・レクターのような人物はハリウッドの産物などではなく、人類史はじまって以来、ずっと存在するという。
「十八世紀に、パウル・ライジンガーはシュタイアーマルクで、"処女の痙攣する心臓"を六つ食べた。彼は九つ食べると透明人間になれると信じていた。ペーター・キュルテンは犠牲者の血を飲み、ヨアヒム・クロルは一九七0年代に少なくとも八人を殺して食べた。それから一九四八年に自分の妹を食べたベルンハルト・エーメという人物もいる。」
そして、彼はウェイトレスを殺しちまったが、その動機はまるで分かっていないとさ...
11. エチオピアの男
男の人生は、残酷なメルヘンそのもの。捨て子で、孤児院、養子縁組、図体はでかく、顔は醜い。子供の頃からからかわれ、二度落第。工場のロッカーで窃盗事件が発生すると、無実なのに解雇される。底辺を生きる人々には、いつも苦難がつきまとう。これが人間社会というもの。銀行強盗をやって、エチオピアへ逃れるが、この地にも、人生に破れた人々がたむろする。売春、軽犯罪、貧困、物乞い、道端で憐れみを乞う手足のない障害者、ストリートチルドレン... この世は、ゴミの山だ!
そして、コーヒー農園で敗者復活を賭ける。売買ルートの立て直し、村の子供たちの識字率を上げ、結婚のおかげで心も穏やかに... 村は豊かになったとさ。
しかし、銀行強盗で当局に目をつけられ、強制送還。彼を弁護するため、エチオピアの村からビデオが送られ、彼の名を連呼する子供たちの笑顔が映し出される。裁判では、なかなか見られない光景だ。だからといって、参審員たちの心が刑罰を逃れさせるはずもない。そして、刑期を半分終えて仮釈放となり、再びエチオピアへ。現地の国籍を取得して、今は幸せだとさ。逃げる場所があるということが、いかに救われるか...
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