2024-06-23

"百年の孤独" Gabriel Márquez 著

この手の書は、独り言を加速させやがる。シガー香る焼酎をチビチビやりながらでは、しゃあない。銘柄はもちろん、百年の孤独!心の中で自己陶酔に溺れ、肉体をも酔い潰す。孤独死の予兆か... オーメン!

巷では孤独を悪のように触れ回り、孤独死を悲惨な結末として忌み嫌う。しかし、それは本当だろうか。偉大な思想や創造力は孤独から生まれた。寂しさを知らねば、詩人にもなれない。芸術家たちは自我との対立から偉大な創造物に辿り着き、真理の探求者たちは自問することによって学問の道を切り開く。そのために命を擦り減らし、自ら抹殺にかかることも。自己否定に陥ってもなお愉快でいられるなら、それこそ真の自己肯定というものか...

一方で、孫たちに囲まれて賑やかに死んでいくことを願ったり、盛大な葬式を願ってはビデオレターで演出したり、生前葬をやっては生への未練を断ち切れないでいる。自己を慰める術(すべ)を知らねば、他人の同情を引くしかあるまい。
孤独は自己の中にあり、自己を知ればこそ謳歌できる。孤独感は集団の中にあり、人に振り回されるからこそ不安を募らせる。
とはいえ、人間は人との関係においてのみ自己を知ることができる。それは、相対的な認識能力しか持ち得ない知的生命体の宿命だ。呪われているのは孤独か。いや、呪われているのは人間だ。
もはや自由への熱狂は冷め、沈黙の恐怖に見舞われる。おまけに、高度化した情報社会のおかげで距離の概念はぶっ飛んだ。家から一歩も出ずに世界中の出来事に触れることができ、世界一周旅行だって疑似体験できる時代だ。その分、人との関係で距離を求めてりゃ、世話ない。ならば、引き籠もって生きる方が合理的やもしれん。理想的な死は、むしろ孤独死の方にあるやもしれん...

さて、独り言はこのぐらいにして...
本書は、村の開拓者一族が辿った創生から隆盛、そして衰退から廃墟へ至る百年の物語。一族にまとわりつく孤独の深淵とは。ずっと昔から血を交えてきた両家。血が濃すぎると奇形児も生まれる。近親相姦に、強大な睾丸に、貪欲な下腹に、血に飢えた男どもとくりゃ... 親がおかしけりゃ、子もそうなるさ。
「わしにはまだ六人も娘がいる。よりどりみどりだよ。」

どこへ行ってもよそ者。本当の身内なんていやしない。血のつながりすら当てにはならない。ただ無関心があるのみ。自尊心を捨て、悪意さえも犬に喰わせちまった。
神が人を救ってくれるのか。聖書が信じられリャ、誰だって信じられる。
愛が人を救ってくれるのか。神の前で誓った愛ですら心もとない。
知識が人を救ってくれるのか。盲人に読ませる本はねぇ。いや、盲人の方がはるかに物事が見えてらぁ...
「この世も終わりだよ。人間が一等車に乗り、書物が貨車にのせられるようになったら!」

奇形児の誕生を恐れ、豚の尻尾を持った坊やが生まれないように... と願いつつも百年後には、それが現実に。一族の最後を運命づけらた末裔に何を見る...
「この百年、愛によって生を授かったのはこれが初めて...」

あれっ?こいつは、虚無の物語ではなかったのか。まさか、愛の物語だったとは。いや、愛だって虚無の類い。独り言がうるさけりゃ、本筋が見えなくなる。まったく物事が見えてねぇ奴に読ませる本はねぇぜ...
尚、鼓直訳版(新潮社)を手に取る。

2024-06-16

"作品は「作者」を語る" ソーントン不破直子, 内山加奈枝 編著

作品は誰のものか...
人間の本能は、とかく所有の概念に敏感ときた。私のものは私のもの、あなたのものも私のもの。その対象は、物ばかりか人にまで及ぶ。ぼくの彼女に、あたいの彼氏に、はたまた、お前がこの場にいるのは俺のおかげだ!などと...
その領域を侵そうものなら、恨み妬みの類いが襲いかかる。作品を購入すれば、所有権は購入者へ移り、その作品をどう解釈するかなんて、持ち主の勝手次第。作者が過去の人なら死人に口無しよ。だからといって、作者の亡霊からは逃れられない。作品を評するのに、作者の存在はなかなか無視できない。そして、作者の意図を解し、作者が生きた時代背景を汲み取る。そうでないと、作品を味わうことも難しい。作者は、単なる作品の制作者にとどまらない。名作ともなると権威をまとい、時には道徳論と結びつき、時には教育論で存在感を示し、時にはイデオロギー装置の引き金となって永遠の存在となる。

では、作者不明の作品はどうであろう...
例えば、原作不明で知られる「千夜一夜物語」、別名「アラビアン・ナイト」は世界各国で翻訳され、子供たちにも親しまれる。作者が定まらなければ、原型も定まらず、後に加筆され、様々なバリエーションが共存する。
しかしながら、作者不明と作者不在とでは、ちと意味が違う。たった一人の原作者の権威に縛られず、あちこちから作者が加わり、作品自体が独り歩きを始める。未完成とは、自由の代名詞か。とはいえ、寄り集まりの作者たちが生きてきた時代に翻弄されてりゃ、世話ない...

「読者の誕生は、作者の死によってあがなわれなければならない。」
... ロラン・バルト

作品の解釈をめぐっては、作者の意図を優先すべか、受け手の自由な解釈に委ねるべきか...
解釈する側の単純化する性癖はいかんともしがたい。一貫性を求めたところで、作者の自己矛盾ばかりか、受け手自身の自己矛盾に翻弄される。ならば、その双方にとどまらず、中庸な立場で眺めるのも悪くない。想定できるすべての立場を渡り歩くのも面白そうだし、それこそが作者が意図することかもしれん。
例えば、ヘミングウェイは、何も起こらない物語を書いたという。原題 "Big Two-Hearted River"、これの邦題が「二つの心臓の大きな川」では直訳すぎる感も... まぁ、それは置いといて。戦争帰還兵の物語が、戦争には一度も触れていないとは、これいかに。戦場とは対照的な静寂な光景に浸るという、なんとも思わせぶり。ヘミングウェイ自身がロストジェネレーションでもあり、そうした空虚な精神状態を物語ったのであろうか。作者の生きた背景を知らなければ、味わうのが難しい作品である。
しかし、それも読者の勝手な解釈かも。戦争とはまったく関係なく、単に癒やされた感覚を素直に綴っただけかも。読者の側も、読了した労力の報酬を受取りたいし、読書時間に対する見返りが欲しい。どんな言葉も、どんな表現も、深読みすることによって読者は救われる。批評家であれば、尚更であろう。
おまけに、作品に自己同一性を求め、教訓的な何かを期待する。作品の主体に責任を押し付けるのは、読者の責任逃れか。作者に人類を救え!などと吹っ掛ける気にはなれんよ...

「余は心理的に文学は如何なる必要あって、この世に生れ、発達し、頽廃するかを極めんと誓へり」
... 夏目漱石

文学は、言葉の力を魅せつける。言葉は語られることによって生を受ける。しかし、誰が語るかが問題だ。この世には、名言とやらが溢れている。本来、誰が何を言ったかなんて関係ないはずだが、語り手の名声が威光を放つ。この天の邪鬼ごときが孔子の言葉を熱く語ったところで、所詮、酔っぱらいのたわごとよ。
そもそも文学とはなんであろう。その定義となると、「言語表現によって創作された虚構」とするのが一般的なのかは知らんが、文学作品は人間の本質を暴き、その虚構の場に読者は現実を重ねる。マクベスが権力欲を露わにし、クレオパトラが情欲を剥き出しにし、ロミオが愛の苦しみを暴き、シェイクスピアの虚構が人間の現実を物語る。作者の体験からくる発想が膨らんでフィクションとなり、フィクションがフィクションでは終わらず、さらに上位のメタフィクションで語り継がれ、もうメタメタよ!

「読書という行為によって生命の息を吹き込まれて生かされていく限り、文学作品は、そのときの読者の生命を一時停止させることによって、ある種の人間になるのである。」
... ジョルジュ・プーレ

古典は、時代に揉まれて名作となる。本体のニュアンスを微妙に変化させながら、時代に同化していく。まるでカメレオン!
作品は作者の鏡、自己投影の場、心で感じたものが露わになる場。そうした作者たちの独創性はどこからくるのだろう。社会に馴染めない性癖が、虚構の世界に走らせるのか。持って生まれた才能が、そうさせるのか。
いや、人に影響されずに生きてゆける人間は、そうはいない。独創性の源泉には、なんらかの模倣が含まれているはず。ゲーテは、死の一ヶ月余り前に、こんなことを呟いたという...

「われわれはどう振舞ってみても、結局みんな集合体なのだ。純粋な意味でわれわれ自身のものと呼べるものは、どんなにわずかなことだろう!われわれは先人や同時代人からすべてを受け入れ学ばなければならない。... 私は他人がまいてくれたものを取り入れさえすれば、よかったのだ。」

2024-06-09

"歴史を変えた 6 つの飲物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラが語るもうひとつの世界史" Tom Standage 著

トム・スタンデージという人は、ちょいと風変わりな視点から歴史を物語ってくれる。それは、喉の乾きの物語。人体の三分の二は水からできており、水分の補給はそのまま死活問題となる。
しかし人類は、文明の歩みとともに水以外の飲み物を発明してきた。文化の尺度に水質が挙げられるが、水以外の飲み物にも文化の成熟度が見て取れる。
ここで注目する飲み物は、三つがアルコール、三つがカフェイン。ぞれぞれの出現に、農耕の始まり、王朝や貴族のステータス、裏社会との結びつき、大量生産と大消費主義の動機づけなど、人類の一万年の歩みを概観させてくれる。ただ、良き水がなければ、良き飲み物も叶わない。
結局、原点回帰へ導かれ、老子の言葉を引く... 上善、水の如し!
尚、新井崇嗣訳版(インターシフト)を手に取る。

水以外の飲み物では、まず醸造物がある。それは、神からの賜物か...
農耕をやれば、農作物の自然発酵を観て、醤油や味噌、そして酒の作り方を学習する。主だった醸造酒では、ビールは麦芽を発酵させ、ワインはブドウの果汁を発酵させ、日本酒は米を発酵させて造る。発酵とは、言わば、うまいこと腐らせること。文化の尺度に腐らせ方の技術を見る。人間も、腐らせ方が問題か。うまく腐らせれば、熟成する。

「銃器および伝染病と並び、蒸留酒は旧世界の人々が新世界の支配者になる手助けをすることで、近代世界の形成に寄与した。蒸留酒は、数百万の人々の奴隷化および強制的移動、新しい国家の建国、土着文化の征服の一翼を担ったのである。」

社交場におけるビールの役割は、メソポタミア文明やエジプト文明にも記述が見つかるそうな。ワインともなると、古代ギリシア・ローマ時代に、その飲み方で人間性が格付けされたとか。大航海時代になると、長い船旅で保存性を求め、醸造酒を蒸留してウィスキーに価値を見い出す。世界各地の植民地では、その地域に適した蒸留酒が生産された。そして、アメリカ建国にラム酒が一役買ったのだった。蒸留酒の流通は、グローバル経済の幕開けを予感させる...

「ニューイングランドは、その富の主な源であるラム酒をフランス領の島々の安価な糖蜜で作った。彼らはラム酒で奴隷を買い、メリーランドとカロライナで働かせ、イギリスの商人たちへの負債を支払ったのである。」
... 合衆国大統領ウッドロー・ウィルソン

酒宴の場は、あらゆる論議を活性化させてきた。プラトンの「饗宴」に浸れば、哲学論議もお盛ん...
しかし、酒は強い人と弱い人、飲める人と飲めない人がいて、とても平等とは言えない。悪酔いすれば、頭痛が...
頭をスッキリさせたければ、カフェインか。そこで、コーヒーハウスの出現。男女を問わず、階級を問わず、粋な男に、コケティッシュな女に、聖職者に、ジャーナリストに、作家に、詐欺師など、あらゆる人種が集まり、政治、経済、哲学、技術などあらゆる分野で談話の場となる。本格的な情報社会の到来か...

コーヒーが情報社会を発展させたとすれば、世界征服を覚醒させたのは、お茶ってか。大英帝国に発する帝国主義の野望は、イギリスへ茶を供給する東インド会社の独壇場に発するという。その税収によって、政治的影響力を増大させていく。多国籍企業の先駆けか。茶の栽培からケシの栽培まで、その供給ルートを独占すれば、アヘン戦争へ導かれる。茶の物語は、産業革命から帝国主義へ至る物語というわけか。
イギリスでは紅茶がもてはやされ、これに高級志向が絡むと、差別意識を助長させる。紅茶のまろやかさに浸れば、誰もが王族気取り。その感覚は、スコッチやブランデーにもお見受けする。こうした文化の優越感が、民族主義や国粋主義を覚醒させていったとさ...

そして、大量生産や大消費主義を象徴するのが、コーラというわけである。カフェインにコカインとくれば、コカ・コーラに資本主義のエッセンスを見る。21世紀の現在でも、超エリートの政策立案者たちは、消費を煽る経済政策しか打ち出せないでいる。
水の浄化技術が貧弱な時代には、水以外の飲み物が求められた。水質汚染に正面から立ち向かうことのできる技術革新の時代となれば、問われるのは、まさに水の質ということに...

2024-06-02

"世界を変えた「海賊」の物語 - 海賊王ヘンリー・エヴリーとグローバル資本主義の誕生" Steven Johnson 著

海賊といえば、海上を荒らし回る無法者ども。彼らには陸地が、よほど居心地が悪いと見える。海賊にとって陸地とは、政治権力がのさばる呪われた地、あるいは、同調圧力のはびこる隷属社会といったところであろうか...
海は地球の表面の 70% 以上を占め、陸よりも広く、なによりも自由が広大。例えば、平将門の乱と時を同じくして、藤原純友は海賊討伐の宣旨を受け瀬戸内へ向かったが、逆に海賊の頭領となって朝廷に反旗を翻した。ミイラ取りがミイラに... 精神力学における自由引力は思いのほか強い...

本書は、そうした無法者の徒党から自然法なるものが生じる様子を物語ってくれる。互いに社会に馴染めない者同士が集まれば、逃れた先でも集団生活を営むことになり、社会的なルールが生じる。集団で襲撃するにしても、戦略や戦術を用いる合理的な組織となり、上下関係や階級が生じる。権力分立が定められ、公平な報酬体系が導入され、病人の補償制度までも整備されていくとなれば、まさに海上民主国家!
そして、頭領が最も恐れるものは、部下たちの飢えであったとさ...
尚、山岡由美訳版(朝日新聞出版)を手に取る。

「海賊は、世界の秩序を変える火種をつくった。権力分立が明記されたミニ憲法、掠奪品を公平に分配する報酬体系、労働者協同組合、事故や怪我の重傷者への保険制度... そして海賊たちは友情を育み、恋もした。すべて、生きていくためだ。」

著者スティーブン・ジョンソンは、ちょいと風変わりな視点を与えてくれる。なにしろ、センセーショナルな犯罪物語を通じて、民主主義や資本主義の源泉を辿ろうというのだから。こうした見方は天の邪鬼にはたまらん。いや、こちらの方が本筋か。裏社会にも掟があるってことだ。いや、裏社会だからこそ。いやいや、どっちが表だか...

さて、海賊の黄金時代を先駆けたヘンリー・エヴリー。この海上ユートピアの主人公は、文字通りの奸賊か、それとも伝説通りの英雄か。
世界通商の破壊を恐れる政府に対して、英雄伝を捲し立てる売文家たち。この対立構図を大衆メディアが煽り、まるで現代社会の縮図!海賊の掠奪は、国家の搾取や企業の横暴と何が違うのか。それは程度の違いか。国家だって愛国心を後ろ盾に他国を侵略するし、宗教だって、違う神を信じるだけで平然と迫害する。
海賊だって、仲間内では絶対的な掟も、部外者にはまったく効力を持たない。排他主義に、同じ穴のムジナとくれば、これはもう人間の本性とするほかはない。
しかし、いくら喰うためとはいえ、レイプや人身売買までも正当化すれば、人間の誇りまでも失う。殺害を正当化する時の決まり文句は、死人に口無し!

「アレクサンドロス大王に捕えられたある海賊は、大王に対して優雅にかつ真実に、次のように答えたのである。すなわち、王がこの男に向かって、どういう了見でお前は海を荒らし回っているのかと尋ねたところ、その男は何らはばかることなく豪語した。『あなたが全世界を荒らし回っているのと同じ了見です。わたしはそれをちっぽけな船舶でしているから海賊と呼ばれているのですが、あなたは大艦隊でやっているから、皇帝と呼ばれているのです。』と。」
... アウグスティヌス「神の国」より