2024-12-29

"近代人の誕生 - フランス民衆社会と習俗の文明化" Robert Muchembled 著

近代人とは何者か。それは、ひとつの理想像か。それとも、時代の人間像を映し出した表語に過ぎないのか。
大酒を喰らって淫蕩に耽り、暴力と不潔の代名詞とされてきた民衆が、十五世紀から十八世紀の約四百年に渡って近代文明とやらを育んできた。歴史学者ロベール・ミュシャンブレッドは、人類の近代化に至る生い立ちを、フランスの民衆社会から紐解く...
尚、石井洋二郎訳版(筑摩書房)を手に取る。

「充分に意識していようといまいと、人間の個人的人格というのはいくつもの異なる時代から受け継がれた多様な集合的寄与物の組み合わせである。」

近代文明とは、大衆文化をいうのであろうか。「大衆」という語がいつごろ生まれたかは知らんが、ひとつの人間像として、自由の象徴とされるフランス革命あたりに見ることはできそうか。かくして、エリートが大衆化していくのか、大衆がエリート化していくのか...

「私たちは何者なのか?... 執拗に、また時には人知れずこっそりと、歴史家は自分自身にきわめて密接に関わるこの一般的な問いかけを発してはくりかえす。」

「近代」という語も、定義が難しい。封建的な価値観が崩壊し、個人主義に彩られた合理的、科学的思考を覚醒させた時代といったイメージであろうか。
一つの見方として、市民革命や国民国家といったものを挙げることができよう。王権が衰退し、いよいよ主権国家の成立を見る時代。それを内面的に辿ると、王宮のマナーモデルがまずは都市部へ伝搬し、やがて農村部へ徐々に浸透し、社会全体がお行儀よくなっていく。
モンテスキューの三権分立論、ヴォルテールの寛容論、ルソーの社会契約説といった啓蒙思想と重なり、道徳や正義の観念が強調され、自己抑制の意識を強めていく。それは、民衆が知性を獲得していった時代であろうか。
仮に、近代人が内面的に大きく進歩した人類の姿であるとするなら、やがて出現する国粋主義や帝国主義、さらには過去に類を見ない大量殺戮といった現象をどう説明できるだろう...

「習俗の文明化は差異化をめざすものでり、均質化をめざすものではない。その本質的な機能は、絶対主義をあいだにはさんで経済から宗教にいたるまで、他のさまざまな力が十七・十八世紀にますます厳密に画定しつつあった社会階層秩序を有効化することであった。」

上流への強い憧れは、下流への劣等感を掻き立てる。自由競争社会ともなれば、経済的に、学識的に優越主義を旺盛にさせる。階級のない社会を目指しておきながら、新たな階級を編み出しては再編成されるという寸法よ。近代の経済発展が、こうした競争原理に支えられてきたのも事実。

では、近代人を受け継いだ現代人は、どうであろう。情報社会が高度化していくと、知識は誰にでも入手できるようになる。意欲のある者はますます知識を獲得し、意欲のない者はますます取り残され、意識格差を助長させる。おまけに、現代の大衆はメディアとの結びつきが強く、ネット上には理性の検閲官に溢れ、誹謗中傷の嵐が吹き荒れる。周りの意識が高まれば、周りの目が気になってしょうがない。自由意志の尊重が、逆に自由精神を圧迫しようとは。人類の進化の過程は、単純な右肩上がりではなさそうだ。「近代人」という語が、過去を懐かしむための語とならぬよう...

2024-12-22

"空白との契約" Stanley Ellin 著

ミステリーっぽくないミステリーで魅了する推理作家というのも珍しい。人間模様こそミステリーと言わんばかりに...
しかし、ここでは一変して、ミステリーっぽいミステリーにしてやられる。スタンリイ・エリンという人は、やはり推理作家であったか...

ある日、一人の男が自動車事故で死んだ。十万ドルの生命保険契約直後に。事故死であれば倍の二十万ドルが遺族に入る。これを自殺と見た私立探偵は、無名女優と夫婦役を演じて現地に乗り込む。男は裕福で地位もあり、社会貢献も献身的で人望を集め、非の打ち所のない人物。
だが、過去の経歴となるとあまりに不明点が多い。しかも、巨額の金を恐喝されていた。この男はどこから来たのか?その正体は?
尚、皆藤幸蔵訳版(ハヤカワ・ミステリ文庫)を手に取る。

原題 "The Man from Nowhere"... これに「空白との契約」という邦題を与えたセンスもなかなか...
ミステリーとしては事故死した男の正体も気になるところだが、物語性としては調査員がフリーランスであることが重要な要素となっている。フリーの調査は、怪しい点を暴き、それを証明できれば謝礼金がもらえる。誰にも雇われておらず、調査費はすべて自前。自殺だと確信したところで、それが証明できなければ、すべてが無意味となる。存在するかしないか、まったく空白のような契約の中で葛藤する私立探偵の人間模様が、このミステリーを成り立たせている。

契約とは、冷徹なもの。明文化した仔細どおりに動くだけ。無名女優との契約もその一つ。冷たい契約関係でのみ生きてきた人間は、そこに契約以上のもの、人間味ある暖かさのようなものが入り込んできた時、どうなっていくか。契約という拠り所を失い、人格までも崩壊させていくのか。
したがって、契約書には契約が破綻した時までもきちんと文書化し、あらゆる状況を網羅しておきましょう... ってかぁ。なるほど、アメリカは契約社会だ!

ここで男の正体について、キーワードを拾っておこう...
事故については... 路面にブレーキ痕なし。解剖で麻薬やアルコールの検出なし。自動車に機械的な欠陥なし。運転中に失神したか、居眠りしたか。過去に失神した経歴はなく、精神病患者でもない。居眠りは証明が難しい。あとは、自殺する確固たる理由は...
男の過去については... 殺人犯か、カストロの自由戦士か、潜水艦で派遣されたナチの破壊工作員か...
うん~... こうした要素だけでは、平凡なミステリーで終わっていたであろう...

2024-12-15

"闇に踊れ!" Stanley Ellin 著

原題 "The Dark Fantastic"... これを「闇に踊れ!」とする翻訳センスはなかなか。人間なんてものは、誰もが社会という名の闇で踊らされる、そんな存在やもしれん。
スタンリイ・エリンといえば、短編「特別料理」の薄気味悪い後味が残ったまま。ここでも、死神に取り憑かれた不気味さを醸し出す。それにしても、これは本当に推理小説であろうか。うん~... 人間模様は、まさにサスペンス!
尚、安倍昭至訳版(創元推理文庫)を手に取る。

「わたしの名はカーワン、六十八歳。白人、男性、引退した歴史学準教授。今、テープレコーダーに向かって語りかけている。わたしは末期的な肺癌患者、余命は数ヶ月。だが、その数ヶ月を約三週間に縮めようとしている。少なくとも六十人の命を道連れに...」

本書には、二つの物語が交錯する。
一つは、ニューヨークに住む年老いた男の独白。親から授かった格式高い屋敷に一人暮らし。隣には親父が建てた古いアパート。住人はユダヤ人夫婦以外はみな黒人。快く思っていない住人どもへの嫌みのオンパレードとくれば、自分と共にアパートを木っ端微塵にする計画を立てる。その仔細をテープレコーダーに録音中!
二つは、私立探偵のイタリア系白人のエピソード。盗難された絵画を取り戻すよう依頼を受け、画廊に接近する。その画廊で働く美人黒人が、一つ目の物語のアパートにかつて住んでいたとさ...

「迫りくる死を告げられたときに人間が示す最初の反応がいかなるものであろうとも、やがてその死の告知は完全に自由な人間にすることを、わたしは知ったからである。奇跡的な状態。そしてわたしはその奇跡の生き証人なのだ。最初はショックと恐怖、次に苦い悔恨。それから、信じられないことに、自由の実感。自由を味わえる喜び...」

この作品は当初、出版拒否されたそうな。なるほど、差別的な表現がえげつない。爆破計画にしても、犯罪の手本になりそうな。おまけに、自爆テロときた!
30% のニトログリセリンに、50% の硝酸ナトリウムに、炭素燃料からなるダイナマイト 72 本とくれば、雷管は市販の雷酸水銀。起爆装置は把手式の電気スパーク。緻密な計算によれば、建物の壁はすべて内側に崩れ落ちるとさ...

「二十人までは通らせよ、二十一人目に石を投げよ。愛でなく、憎しみでなく、ただの運命なり...」

この叙述の奇妙な現実感は、なんであろう。断じて復讐などではない。
では、なんなんだ?社会への苦言か。未来への警告か。それとも、破滅型人間のなせる業か。いや、新時代を画策する歴史的大事業だとさ。
イタリア系にも、ユダヤ系にも、シシリーの末裔にも、ゲットーの末裔にも憎悪を抱く。社会には貪欲なブローカーどもが暗躍し、偽善家センチメンタリストが打ち立てた法律なんぞになんの意味が。内心では外を歩くのさえ怖がっているのに、汝の隣人を愛せよ!とは片腹痛い。臆病と日和見主義に毒された者ども、みな自分ともども死刑だ!最後の審判が下る前に...

「ソクラテス的様態。親愛なる故ソクラテスに一言。汝は堕落の代理人なり。親愛なる独善的リベラリストの愚者と、ブランガの栄光のため社会改良制度にひたむきに貢献した愚者にも一言。われわれを取り巻く荒廃はすべて汝らがもたらした荒廃である。わたしの大事業もまた荒廃を一つ残すだろう...」

歪んだ正義感、独り善がりな使命感とやらは、ある種のイデオロギー、価値観、倫理観、世界観から生じる。そして、狂った世を道連れにせずにはいられない。表現主義に覆われた社会では、正義をまとった誹謗中傷の嵐が荒れ狂う。論理主義が言い訳を巧みにし、支離滅裂な言葉を浴びせかければ、まさに言葉遊び。そもそも、小説を書くことが言葉遊び。
しかしながら、どんな言葉遊びも、最期の叙述となると神聖なものとなる。臨終の言葉とは、そうしたもの。だから人は最期に告白文を書きたがるのか。狂人の書いた名文なんぞ、ポイ!

「これからの叙述は完全なる理性的精神の証拠に... 最も頭の鈍い精神科の藪医者でさえその頭に詰め込む必要のある証拠に... いかなる法定にも、この大事業を常軌を逸した行為と断じさせないだけの証拠に... 証拠???

2024-12-08

"背徳者" André Gide 著

福音書に愛想を尽かされた人間の物語とは、こういうのを言うのであろうか...
「狭き門より入れ!(前記事)」の訓示に逆らい、異常な情熱をもって学術研究に消磨してきた青年学者。彼が肺結核を患い、死の淵から蘇って見えてきたものとは...
尚、川口篤訳版(岩波文庫)を手に取る。

生きるということを、どう解釈するか。その答えを神学者に求めたところで、死後の世界を提示するだけ。天国に行きたければ... と。哲学者に求めても... 理論哲学者は面倒な現実から目を背け、数理哲学者は自己存在に関わる様々な量の計算に耽り、あとはニーチェ風に生き様を冷笑するか、パスカル風に死に様を見下すか。学者馬鹿ってやつは、平凡な馬鹿よりもタチが悪いと見える。それで背徳者に成り下がってりゃ、世話ない...

「僕は... 僕はただ話したいのだ。自由を得る道などは問題ではない。困難なのは自由に処する道だ。」

死にかけた父に促され、愛してもいない女性と結婚するも、その妻には看病の重荷を背負わせる。病気が回復に向かうや生の喜びに浸り、幼き頃から叩き込まれてきたキリスト教の訓示に背いて享楽に走る。すると今度は、その生活ぶりが妻に負担をかけ、とうとう瀕死の状態に。男は看病の末に、妻の死という重荷を背負う。

人間は自由を求めてやまない。境遇が過酷であれば尚更...
しかし、自由とはなんであろう。贅沢三昧な生活が自己を破滅にかかる。宗教に縋ったところで、現実逃避に救いを求めるばかり。哲学に目覚めたところで、自己破滅型人間を助長させるばかり。それで何が会得できるというのか。雄弁に、抗弁に、詭弁に、論弁に、屁理屈弁に... 言い訳の技術を磨いていくばかり。人生とは、自己に何か言い聞かせながら生きていく、ただそれだけのことやもしれん...

「死ぬほどの病苦に悩んだものにとって、遅々たる回復ほどみじめなものはない。一度死の翼に触れられたあとは、かつて重要に思われたものも、もう重要ではなくなる。重要らしく見えなかったもの、あるいは存在さえ知らなかったものが、かえって重要になって来る。われわれの頭に積み重ねた既得の知識は、白粉のように剥げ落ちて、ところどころに生地、つまり隠れていた正体がむき出しに見えて来る。」

幸福なんてものは、平穏で淡々としたもの。これについて語ることは難しい。人間の語るに足る所業は苦痛しかないのか。無論、幸福な人間には語れまい。自分の不幸を愛し、舐めるように語る。そこに第三者として自我が介入し、自己を審判にかける。病的な性癖を自ら語るのは難しい。自由な語りには、これを統制し、調和する知的努力が欠かせない。だが、その努力も強い野望をともなわなければ...

「私は、この書を告訴状とも弁護論ともしようとしたのではない。... (中略)... 勝利も敗北も明白に提示していない。... (中略)... 要するに、私は何物も証明しようとしたのではない。よく描き、描き上げたものをよく照らし出そうとしたのである。」

2024-12-01

"狭き門" André Gide 著

ルカ伝第十三章二十四節、及び、マタイ伝第七章十三節に曰く...
「力を尽くして狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし。」

父を早く亡くし、母の悲劇にも触れ、感受性を強めていく少年ジェローム。彼は叔母の家に身を寄せ、従姉妹アリサとジュリエットと一緒に過ごすことに。やがて年上のアリサに恋心を抱く。アリサもジェロームに好意的だが、妹ジュリエットもジェロームに恋する。キリスト教が理想とする禁欲的な世界に憧れるアリサは、妹への遠慮もあって結婚を拒み続ける。ジュリエットが身を引いても気持ちは変わらず。アリサは地上の幸福を放棄し、天上の幸福を夢見て命を落とす。ジェロームは、アリサの遺した日記の思いを背負って生きていくことに...
尚、山内義雄訳版(新潮文庫)を手に取る。

「今の曲をもう一度!滅入っていくような調べだった。まるで菫の咲いている土手を、その花の香をとったりやったりして、吹き通っている懐かしい南風のように、わしの耳には聞こえた。もうたくさん...。よしてくれ。もうさっきほどに懐かしくない。」
... シェイクスピア

幸福の感じ方は人それぞれ。自分の辛苦に対する対価として味わう者もいれば、幸せを演じ、それを人に見せつけることによって味わう者もいる。
幸福とは、滅びへの序章か。自己嫌悪も、自己憐憫も、自己愛の類い。愛とは、滅びへの道しるべか。
恋ってやつは、成就した途端に幻滅する。ならば、あえて成就させず、美しいままにしておく方がいい。いや、幻滅して現実を知る方がましか。不幸を知らずして、幸福を知ることも叶うまい...

「自ら進んで引かれるままになっているときには、人は束縛を感じません。しかし、それにあらがい、遠ざかろうとするとき、はじめて激しい苦しみを感じます。」

狭き門とは、自己犠牲の徳を言うのであろうか。アリサは、殉教者か、解脱者か。
自虐によって、自己を正当化することもできよう。自己を不幸のヒロインに仕立て、純粋なままに死んでいくのもよかろう。そして、その生き様を、その死に様を、ニーチェ風に忌まわしく眺めるもよし、パスカル風に皮肉交じりに見下すもよし。いずれにせよ、人の生き方なんて、いかようにも解釈できる。ジャック・リヴィエールは、この本をこう評したそうな...

「これについては語りたくないほどな書物、読んだことさえ人に話したくないほどな書物、あまりに純粋であり、なめらかなるがゆえに、どう語っていいかわからないほどな作品。これこそまさに一息に読まれることを必要とする作品。愛をもって、涙をもって、ちょうどアリサがある美しい日に、ぐったりと椅子に腰をおろして読むように...」