2013-02-17

"戦略「脳」を鍛える" 御立尚資 著

軍事戦略では、まず孫子やクラウゼヴィッツを学ぶことになろう。しかし、相互に高度な戦略論を身につけていたとしたら、どうやって相手を出し抜けばいいだろうか?ここに矛盾の原理がある。教科書を学ぶだけでは、けして必勝の法則を見出すことはできないということだ。定石とは後解釈によって定式化されたものであり、戦略論のほとんどは過去の成功や反省に基づいている。だからといって、戦略論自体の意義を否定するわけにはいかない。実際、マイケル・ポーターに代表されるようなアカデミックな戦略論は、ミクロ経済学の視点で定量的に分析し、何らかの枠組みを提示してくれるという。
では、どこに差別化を求めるのか?本書は、「インサイト(insight)」という言葉を持ち出す。直訳すれば、直観力や洞察力といったところか。BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)流に訳すと、こんな感じになるそうな。
「勝てる戦略の構築に必要な "頭の使い方"、ならびにその結果として得られる "ユニークな視座"」
定石そのものの知識よりも定石に至るまでの考え方を重視し、それを知った上でプラスαの思考や能力を身につけるということである。
「定石を超えた戦い方のイノベーションこそが、戦略の本質である。」

歴史を振り返れば、異端児たちがイノベーションの原動力となってきた。だが、日本の組織文化には異端児を嫌う風潮がある。企業の人事屋は、建て前では独創的で自立した人材を求めながら、実はそこを見ている。服従者となりうるかを。自立性は極めて自由と相性がよく、組織依存度を極力小さくしようとする意思の表れである。こうした性質は、同質人で構成される組織では、しばしば迷惑な存在とされる。組織の欠点をよく観察し、ズバリ言い当てるような人は、本音では和を乱す害虫のように見られる。そして、村社会では、自立性は孤立性へと追いやられる。
本書は、日本企業に往々にして見られるのが、エリートコースという名の「同質人材育成装置」だと指摘している。同じような大学出身で、似たようなタイプの人材を大量採用する傾向は、いまだ色濃くある。同様な経歴で同様な思考の持ち主の集団からは、偏重した相乗効果が働き、あまりイノベーションは期待できないだろう。今日、社会全体に閉塞感を漂わせているのは、こうした組織文化が根幹にあるからではないだろうか。
実は、社会がそうした閉塞感に見まわれるという予測は、10年以上前から指摘されてきた。本書も、その系統に位置づけていいだろう。些細な改革気運を徹底的に潰してきた組織ほど、今、大胆な改革が求められる。なんと皮肉であろう。イノベーションを機能させるには、日々の革新的思考の積み重ねにかかっている...はずなのに。

経営構造がまったく同じ組織というものは、ありえない。よって、経営コンサルタントの意見は、助言にしかならないだろう。確かに、彼らは専門家であり、様々な分析法を心得ている。だが、経営陣がそれを命令と受け取り、そのまま実行するのであれば、思考までもアウトソーシングしていることになる。すると、経営陣の仕事は何か?コンサルの接待係か?こうした危険を犯している組織は意外と多いようだ。部下に解決策を求め、まともなアイデアが打ち出せないと、社員に個性がないと嘆くオヤジたちがいる。自ら思考を放棄した者ほど、ないものねだりをするものであろうか?なんと驚くことに、採用試験の面接官を外部に依頼するところもある。こうなると、組織の存在意義を疑わなければなるまい。
問題の本質を一番理解しているのは誰か?それは、問題に直面した現場である。なのに、コンサルの打ち出す結論を鵜呑みにし、うまくいかなければ、戦略論そのものに懐疑心をもつ。そこに政治的な思惑が入り込むと最悪だ。重要なのは結論ではなく、結論に到達した思考法にあるはず。そして、コンサルタントたちの思考法を応用すれば、かなりの部分で解決策を具体化できるだろうに。実のところ、最適な解決法なんてものは、人の数だけ、場面の数だけ存在しうるものなのかもしれない。
どこの組織でも、斬新的なアイデアには予算がつきにくい。だが、挑戦しなければジリ貧に陥る。目先の売上に固執して将来の展望がなければ、どちらがリスクが大きいのやら?ちなみに、コンサルとは、混乱させる猿!と誰が言ったかは知らん。いや、(自ら)混乱する猿!だったか?

1. BCG流戦略論の公式
戦略とは、競争相手に対して優位性を築くことにほかならない。そのカギはユニークさにあるという。

  ユニークな戦略 = 定石(戦略のエッセンス) + インサイト
  インサイト = スピード + レンズ

スピードとは、定石を加工し、応用し、素早く仮説を立て、思考の進化をどんどん加速させること。そして、仮説そのものの有効性を厳しく検証する。これを競争相手よりも素早く実行できれば、勝てるという寸法よ。
レンズとは、ユニークな仮説を作り出すためのモノの見方。定石を加工し応用する上で、どこかで自分の思考を非連続的に飛躍させることができれば、その思考は際立つ。思考プロセスをワープさせるような、ある種の突然変異とも言うべき思考は、日々の思考の積み重ねから生じるものであろう。一度立ち止まって、自分の頭の使い方や癖を分析してみるのもいい。思考が混乱状態にあっても、我武者羅にやっているうちに余計な雑念が消え、突然開けた光景に出会うこともあろう。これを開眼と言うかは知らん。
インサイトは、体得するものだという。常に試行錯誤する癖とひたすら実践してみること、これしかないようだ。

2. 思考をスピードアップさせる三つの要素

  スピード = (パターン認識 + グラフ発想) x シャドウボクシング

優秀なコンサルタントは、いくつかのパターンを組み合わせ、状況を端的に把握することができ、素早く適した戦略の仮説を立てることができるという。そのために、物事を局面ごとに、パターン化する癖をつけ、それを記憶する訓練が有効だという。論理をゼロから積み上げるには、あまりにも効率が悪い。そこで、過去のデータや定石をパターン化して記憶しておくことがカギとなる。ユークリッド原論のように、公準や公理がパターン認識されていると、思考効率を高めるだろう。独創性とは、パターン認識を進化させた思いつきや気まぐれから生じるものであろうか。
グラフ発想では、事象を視覚的に捉える。だが、図で考えるだけでは不十分だという。シミュレーションできるほどの具体性、すなわち数学的に記述できるレベルまで掘り下げる。変数やパラメータが定義できれば、様々な仮説を想定することができる。粗くても、数値のイメージが持てることが大切だという。ただし、グラフ化には落とし穴がある。統計データにも同じことが言えるが、平均値を崇める傾向がある。イノベーションってやつは、平均値から乖離したところにヒントがある場合が多い。
シャドウボクシングでは、仮想敵を想定しながら、パンチを避け、パンチを繰り出す訓練をする。その基本的な思考は、批判的な視点で仮説をあらゆる方向から攻撃してみることだという。自分の思考を疑ってみることは、あらゆる知的作業において基本であろう。考えだした手法を、論理的にチェックし、仮説と検証を繰り返す。ここでは、幽体離脱するような感覚を持つことを奨励している。言うなれば、自己の中に第三者の目を養う訓練である。

3. 発想力のための三種類のレンズ

  レンズ = 拡散レンズ + フォーカスレンズ + ヒネリレンズ

拡散レンズでは、視野を拡げることを心掛け、ホワイトスペースを活用したり、市場だと思っていないところまでも観察する。あるいは、バリューチェーンを拡げてみるのもいいだろう。自動車会社が、支払いローンのためにフィナンス会社を作るとか。進化論的に観察することも重要だという。マーケティングは、進化論のS字カーブと同じような傾向を示すという。急増期から、やがて停滞期へと。
フォーカスレンズでは、狭く深く見ることを心掛け、購買行動の全体像と詳細の双方を把握する。詳細に把握するには、やはりユーザになりきることか。アンケートやインタービューで統計情報を集めるだけでは不十分。その視点では、消費者の妥協点を探ることが重要だという。不満なんだけど、当たり前と諦めているサービスは実に多い。また、有名人のカリスマ的行動による波及効果や相乗効果にも注目している。
消費者のタイプには大きく分けて、自己判断派となんでも相談派がある。ただ、いくら自己判断に自信を持っていても完璧な裏付けによるものではないし、誰でもちょっと不安に駆られれば判断が鈍る。したがって、誘導されやすいタイプをターゲットにする方がマーケティング戦略は練りやすいだろう。そして、サービスが相談役になると有効な場合があるという。
ヒネリレンズでは、逆バリをするという。株式市場では、相場の逆バリが有効な手段となる。デフレで積極的にM&Aを行うのも、逆バリの例。全体的に景気が悪い時に、弱っている競争相手を積極的に買収してしまう。すると、景気が回復した時に圧倒的に優位に立てる。
また、ネット社会では、集団の意識や行動が一斉に流されやすい。そこで、新しい商品やビジネスモデルのヒントを得るのに有効なのが、特異点を探ることだという。通常のデータからかけ離れたものをあえて探してみる。商品開発の場合、普通ではない特異な使い方をする特異なユーザを探す。地域別の営業戦略の立案ならば、全く売れない地域や、反対によく売れる地域を観察してみる。そんな特異点にこそ、イノベーションのヒントが隠されているとわけか。天邪鬼精神にこそイノベーションが潜んでいるかもしれない。
また、アナロジーを考えるという。そのために、表面だけでなく、構造的メカニズムや本質を捉えることがカギとなる。

4. コンセプトワード
人間がすべての事象を詳しく記憶することは不可能であろう。そこで、戦略のエッセンスをコンセプトワードとして覚えると、何かと幸せになれそうだ。人の言葉を名言集として蓄えることは意味があると思っている。事象に対して本質的で哲学的な分析をする癖をつける上でも。ここでは、コンセプトワードを、コスト系、顧客系、構造系、競争パターン系、組織能力系の観点から紹介してくれる。

コスト系
  • スケールカーブ... 生産規模や市場規模との関係から考察、あるいは合併統合の有効性など。
  • エクスペリエンスカーブ(経験曲線)... 同種の生産を繰り返せばコストは低下する。特に、歩留まりが重要な場合はそれが顕著だという。
  • コストビヘイビア... 規模によるスケールメリットをどこに見出すか。事業や商品を複数もつことで、スコープメリットをどこに見出すか。コスト構造をダイナミックに見ることが大切だという。

顧客系
  • セグメンテーション... どのセグメントをターゲットにするかの選択は、最も重要な意思決定になるという。顧客だけでなく、自社の営業改革、製品に至るまで、セグメント化して拡大するか撤退するかを分析する。
  • スイッチングコスト、ロイヤリティ、ブランド... 顧客が、他社の商品やサービスに切り替える、つまりスイッチングによるコストを高めることで、顧客のロイヤリティが高まる。ブランド構築はロイヤリティを高める典型的な手法。ロイヤリティの高い長期的な顧客の獲得。金銭的なスイッチングコストではなく、心理的なスイッチングコストを高めることは、新規ユーザを獲得するよりも効率的かもしれない。

構造系
  • V字カーブ... この収益性の法則には誰もがあやかりたいであろう。
  • アドバンテージマトリクス... 競争パターンの分析ツールで、縦軸に競争上の戦略変数を、横軸に優位性構築の可能性をとって視覚化する。すると、事業ごとに、規模型事業、特化型事業、分散型事業、手詰まり型事業とに分類できる。大会社がグループ会社のマネジメントで陥りやすい間違いが、子会社の属する事業の特性をきちんと把握しないことだという。
  • デコンストラクション... 既存構造を別の視点から捉える。新たな視点から事業構造を見直し、新たな事業展開とする。

競争パターン系
  • ファースト・ムーバー・アドバンテージ(先行利得)... 競争相手よりも先に行動して優位に立つ。
  • プリエンプティブ・アタック(先制攻撃)... 競争相手が予想していないタイミングで攻撃をしかけ、反撃の暇を与えない。大々的なキャンペーンなどがこれに属す。だが、いつも出血サービスに半額セールでは懐疑心を持つだけ。

組織能力系
  • タイムベース競争... 付加価値を産まない時間を取り除く。リードタイムを短縮。効率性と柔軟性。
  • 組織学習、ナレッジ・マネジメント... 結果を出す人材の秘訣を、誰もが理解できる形に言語化し、組織全体の能力とする。組織学習の根幹を、システマチックに実行できるように仕立てあげることが、ナレッジ・マネジメントだという。

2013-02-10

ISP 40M から 160M...ウルトラ工事屋さん!

J:COMさんから「お得プラン」ならぬ、九州限定「もっとお得プラン」なるものの案内がきた。「ウルトラ160M」とやらで、WiFi付。しかも、40Mコースより安い。「戸建限定3年割」とあるので、3年後の料金は元に戻るのかと思いきや、3年ごとに自動更新されるそうな。サイトには 40M は集合住宅限定となっているから、一戸建ては 160M に集約させたいのかもしれない。
参考までに、セット料金は...

  前回: CATV + 固定電話 + 40M(上り2M) = ¥8,800(税込)
  今回: CATV + 固定電話 + 160M(上り10M) + WiFi = ¥8,450(税込)

サイトには、TV75ch以上と表記されるが、そんなにあるか?確かに、どうでもええのが腐るほどある。不景気のせいもあろうが、大袈裟な宣伝文句が世間を賑わすと、却ってうんざりさせられる。そして、ウルトラ???
それはさておき、この解約条件のややこしさは、なんだ?

  1年以内に解約すると、¥35,000 の契約解除料金が発生。
  2年以内に解約すると、¥25,000 の契約解除料金が発生。
  3年以内に解約すると、¥15,000 の契約解除料金が発生。
  3年後の契約変更した月とその前月は、解約料金が発生しない。
  ...これが自動更新される。

要するに解約するなら、3年おきがお得ということらしい。仕事用のアドレスを変えたくないので、当分解約する予定はないけど...

1. マニュアルトークの工事屋さん
どんなモデムがくるのかと思ったら、NETGEAR(CG3000D)のルータがきた。うちのルータの設定で大丈夫か?ちと不安になったので、作業中にあれこれと聞いてみると、なんとなく強烈!

おいら: IPv4だと思いますが、NAPT経由でプライベート空間のアドレスをもらっても、うちのルータはフィルタかけてます。念の為に dhcp の取得情報を見せてもらえますか?
工事屋: すいません!専門的な事は分かりません。
おいら: 取得情報は Windows だと ipconfig で見れますよ。コマンドプロンプトを開いてくれますか?
工事屋: コマンドプロンプトってなんですか?
おいら: えーっと、アクセサリから...
工事屋: アクセサリってなんですか?
おいら: えっ?どうやって接続を確認するんですか?
工事屋: (持参した)ノートパソコンでサイトが見れれば ok! です。

とても丁寧な言葉使いで申し訳なさそうにするので、気の毒でこれ以上は聞けなかった。事前説明がしっかりしていて...周りに貴重品はありませんね!...工事中は立ち会って下さい!...と奇妙なチェックリストを読み上げる。そういう確認も必要だろうけど。
工事屋さんに会う機会なんて滅多にないから、技術動向や営業展開などいろいろと聞きたいことがある。前回、工事屋さんと技術話で盛り上がった。ルータの相性やら、お好みの機器など。技術的な会話がプロバイダへの信頼となり、今後のサービスに安心感を与える。アナログ契約からデジタル契約に切り替えた時は、屋根裏まで上がって信号レベルまで計測していった。だから脚立まで用意していたのに...
今回、マクドナルド級のマニュアルトークを見せつけ、逃げるように帰っていった。ウルトラ!なんて謳うなら証拠ぐらい見せつけれて行けばいいものを...J:COMさん大丈夫?いや、うまい営業術かもしれない。

2. NETGEAR CG3000D ワイヤレスケーブルモデム
NETGEARのルータが、なぜ我が家のルータとすんなり繋がったかと言うと、ブリッジモードで動いている。やはりそうか...
とりあえず、何かの拍子で工場出荷時の状態になったら、自力で戻せるようにしておきたい。基本はルータモードのようだが、マニュアルには出荷仕様によってはブリッジモードになっている場合もあると記載される。J:COMさんが用意してくれた簡易ガイドには、モデムを設定するには 192.168.0.1 にアクセスすると書いてあるが、マニュアルには、「192.168.0.1(ルータモード)。出荷仕様によりブリッジモードとなっている場合は、192.168.100.1 となっております。」とある。実際にアクセスできるのは、192.168.100.1 の方であった。
そういえば、申し込む時、接続するパソコンは何か?と聞かれたのでルータと答えた。それで、ブリッジモードに設定して持ってきたのか?まさかなぁ!
わざわざ出荷状態を試す元気はないが、難しそうな設定がないので安心。
尚、WiFiのアクセスポイントは、有効/無効が選択可。無線の出力レベルは、12.5% から 100% まで調整可。セキュリティオプションは...無効, WEP/WPA2-PSK[AES], WPA-PSK/WPA2-PSK Mixed, WPA/WPA2 Enterprise...てな具合に揃っている。
さて、WiFiを我が家のルータにどう通すか?研究課題か!当分眠れそうにない。

3. 速度計測
体感スピードは若干上がったようで、数値は 80M 程度。尚、40Mコースでは 30M 程度だった。ネットサーフィンぐらいしかやらないライトユーザなので、これで十分なのだが、ウルトラ160M!に期待するやんけ。計測サーバとの相性が悪いのか?いや、陰謀か?いや、推理小説の読み過ぎよ!
さて、我が家のルータは、Yamaha RT107e、カタログ値ではスループット 200Mbps となっている。ケーブルを接続すると NETGEAR のリンクランプは、パソコンでは青(1000BASE-T)、RT107eでは緑(100BASE-T)が点灯する。この時点で、ルータ越えで 100M 以上は期待できそうにない。ここまでは想定内。尚、LANケーブルは、CAT5e を使用。
ところが、ルータなしでもほぼ同じ。これじゃ、ルータに投資する気になれない。

それはさておき、Win7(64bit) でスピードが出ない。我が家で一番性能のいいマシンが一番遅いとはどういうわけか?RWin をレジストリレベルで設定しても反映されないようだ。噂通り自動か。
SNP(Scalable Networking Pack)を無効にしてみても、あまり改善されない。

  $ netsh int tcp set global rss=disabled
  $ netsh int tcp set global chimney=disabled
  $ netsh int tcp set global netdma=disabled

更に、Window自動チューニングレベルと Compound TCP を設定してみると、50M まで上がったものの。

  $ netsh interface tcp set global autotuninglevel=highlyrestricted
  $ netsh interface tcp set global congestionprovider=ctcp

ん~...このあたりが比較的ましのようだ。

  $ netsh interface tcp show global

  TCP グローバル パラメーター
  ----------------------------------------------
  Receive-Side Scaling 状態              : enabled
  Chimney オフロード状態                 : automatic
  NetDMA 状態                            : enabled
  Direct Cache Acess (DCA)               : disabled
  受信ウィンドウ自動チューニング レベル  : highlyrestricted
  アドオン輻輳制御プロバイダー           : ctcp
  ECN 機能                               : disabled
  RFC 1323 タイムスタンプ                : enabled

急遽、古い部品をかき集めて Win2Kマシンを組み立てて試すと、それでも 80M 程度(RWIN = 524280)は出る。やはり細かく設定できる方が良さそうか。Fedoraは、default のままでも速度が出るけど。サーバや測定器といった用途では、パラメータをふったり、わざと性能を落とすような実験もするだろうに、Win7 はそんな用途に向かないということか?痒いところに手を届かせるには...分っかりまへん???

以下、参考まで...
測定経路: ルータなしでもルータ越えでも同等レベル、80M 前後。
使用ブラウザ: Firefox 18.0.1, Chrome 24.0.1312.57 m
計測サイト:
  ブロードバンドスピードテスト: http://www.bspeedtest.jp/
  Radish Network Speed Testing: http://netspeed.studio-radish.com/
  BNRスピードテスト: http://www.musen-lan.com/speed/
  # どの計測サイトでも似たような値を示す。

  ==== Fedora17(ルータなし) ====
# MTU/MSS = 1500/1460, RWIN = 131071

ブロードバンドスピードテスト 通信速度測定結果
http://www.bspeedtest.jp/ v3.0.3
測定時刻 2013/02/04 04:02:13
回線種類/線路長/OS:CATV/-/Linux/福岡県
サービス/ISP:-/J-COM 160Mコース
サーバ1[NTTPC(WebArena)] 69.0Mbps
サーバ2[ さくらインターネット] 79.2Mbps
下り受信速度: 79Mbps(79.2Mbps,9.90MByte/s)
上り送信速度: 6.9Mbps(6.98Mbps,873kByte/s)
診断コメント: J-COM 160Mコースの下り平均速度は47Mbpsなので、あなたの速度はかなり速い方です!(下位から90%tile)

  ==== Windows7(ルータなし) =====
ブロードバンドスピードテスト 通信速度測定結果
http://www.bspeedtest.jp/ v3.0.3
測定時刻 2013/02/04 04:04:51
回線種類/線路長/OS:CATV/-/Windows 7/福岡県
サービス/ISP:-/J-COM 160Mコース
サーバ1[NTTPC(WebArena)] 51.7Mbps
サーバ2[ さくらインターネット] 48.6Mbps
下り受信速度: 51Mbps(51.7Mbps,6.46MByte/s)
上り送信速度: 7.1Mbps(7.12Mbps,890kByte/s)
診断コメント: J-COM 160Mコースの下り平均速度は47Mbpsなので、あなたの速度は標準的な速度です。(下位から60%tile)

2013-02-03

フェドーラ(Fedora18)の三悪人に呪われる!

フェドーラ... カタカナで書くと、なにやら怪物の名に見えてくる。ハーデースの門番でもしていそうな。その位置づけからして、多少の不具合は仕方があるまい。勉強にもなる。とはいえ、こりゃ心臓に悪い!リリースが再延期されたぐらい、アップデートは時期尚早であったか?嫌な予感ってやつは確実に当たりやがる。おまけに、grub2, kernel3.7.x, gnome3 が揃って夢に出てきやがる。記事でも書いて厄祓いをせねば...

1. Fedora17 から 18 へ... 画面表示がぐちゃぐちゃ!
yum 経由のアップデートは無事終了!だが、パッケージ群を最新版にアップした途端に画面表示がぐちゃぐちゃ!ディスプレイが周波数エラーを吐く。fedup でも同じ現象。
更に、クリーンインストールを試すと、最初からぐちゃぐちゃ!おっと!いきなり ssh ができる。しかも、root から!おかげで、いろいろと実験ができるのだけど...
さて、まともじゃないのは、GUI環境だけのようだ。xrandr で無理やり解像度を落としてみると、ログイン画面はそれらしい雰囲気がある。だが、入力する箇所がなんとなく分かるレベルで、とても使い物にはならん。ほとんどリモートで使っているから、ええと言えばええのだが、気持ちが悪すぎる!

問題は、nVidiaのドライバが対応していないようだ。
ちなみに、ビデオカードは GeForce4 Ti4600...ちょうど十年ぐらい前のヤツ、ついに見捨てれられたのか?少々古いハードウェアでも動くのが、Linux のメリットでもあるが、そんな感覚は時代遅れなのかもしれん。

このサイトによると...

http://us.download.nvidia.com/XFree86/Linux-x86/190.42/README/appendix-a.html

該当するドライバは下記の群にある。

"The 96.43.xx driver supports the following set of GPUs:"

んー... 173xx はあるが、96xx が見当たらない。遅れているだけ?と祈ろう。いや、呪おう。

以下、参考まで...
### これを試してみると、nvidiaドライバのloadで停止。尚、ssh はできる。
$ rpm -Uvh http://download1.rpmfusion.org/free/fedora/rpmfusion-free-release-stable.noarch.rpm
$ rpm -Uvh http://download1.rpmfusion.org/nonfree/fedora/rpmfusion-nonfree-release-stable.noarch.rpm
$ yum install akmod-nvidia
$ yum install kmod-nvidia

[  28.658] (EE) NVIDIA: Failed to load the NVIDIA kernel module. Please check your
[  28.658] (EE) NVIDIA:   system's kernel log for additional error messages.
[  28.658] (II) UnloadModule: "nvidia"
[  28.658] (II) Unloading nvidia
[  28.659] (EE) Failed to load module "nvidia" (module-specific error, 0)
[  28.659] (EE) No drivers available.

### ちなみに、エントリされたパッケージ群は...
$ yum list | grep -i nvidia
akmod-nvidia.i686                    1:304.64-2.fc18    rpmfusion-nonfree
akmod-nvidia-173xx.i686              173.14.36-2.fc18   rpmfusion-nonfree
kmod-nvidia.i686                     1:304.64-2.fc18.4  rpmfusion-nonfree-updates
kmod-nvidia-173xx.i686               173.14.36-2.fc18.4 rpmfusion-nonfree-updates
...
kmod-nvidia-173xx-3.7.4-204.fc18.i686.i686
kmod-nvidia-173xx-3.7.4-204.fc18.i686.PAE.i686
kmod-nvidia-173xx-PAE.i686           173.14.36-2.fc18.4 rpmfusion-nonfree-updates
...
kmod-nvidia-3.7.4-204.fc18.i686.i686 1:304.64-2.fc18.4  rpmfusion-nonfree-updates
kmod-nvidia-3.7.4-204.fc18.i686.PAE.i686
kmod-nvidia-PAE.i686                 1:304.64-2.fc18.4  rpmfusion-nonfree-updates
...
xorg-x11-drv-nvidia.i686             1:304.64-5.fc18    rpmfusion-nonfree-updates
xorg-x11-drv-nvidia-173xx.i686       173.14.36-1.fc18   rpmfusion-nonfree
xorg-x11-drv-nvidia-173xx-devel.i686 173.14.36-1.fc18   rpmfusion-nonfree
xorg-x11-drv-nvidia-173xx-libs.i686  173.14.36-1.fc18   rpmfusion-nonfree
xorg-x11-drv-nvidia-devel.i686       1:304.64-5.fc18    rpmfusion-nonfree-updates
xorg-x11-drv-nvidia-libs.i686        1:304.64-5.fc18    rpmfusion-nonfree-updates

2. Fedora17 の kernel 3.7.x でも同じ症状が!
kernel を 3.6.11-5.fc17 から 3.7.3-101.fc17 にアップした途端に画面表示がぐちゃぐちゃ!xrandr で無理やり解像度を落としてみると、こちらはログイン画面が見える。パッケージ群にも、96xx がある。そして、"akmod-nvidia-96xx" を試すと、画面表示は正常になった。しかし、異常に不安定で、以下のメッセージを吐く。

「問題が発生して、システムの復帰ができません。念のため、すべての拡張を無効にしました。」

拡張機能と相性が悪そうだが、それだけか?無効にしても不安定!てなわけで、古い Kernel を使っている。拡張機能も捨てがたいし。

以下、参考まで...
### これを試してみると、同じ現象。
$ yum install akmod-nvidia
$ yum install kmod-nvidia

### 次に、96xx を試してみると、まともに起動するが異常に不安定!
### 尚、インストール時に xorg-x11-drv-nvidia がぶつかるので削除。
$ yum remove xorg-x11-drv-nvidia
$ yum install akmod-nvidia-96xx  ### こちらだけでも同じかもしれない。
$ yum install kmod-nvidia-96xx   ### こちらは低水準らしい。

### 結局、元に戻して、古い kernel を使う。
$ yum remove akmod-nvidia-96xx
$ yum remove kmod-nvidia-96xx
$ yum remove xorg-x11-drv-nvidia-96xx  ### これが残るから忘れないように。

### ちなみに、エントリされたパッケージ群は...
$ yum list | grep -i nvidia
akmod-nvidia.i686            1:304.64-1.fc17    rpmfusion-nonfree-updates
akmod-nvidia-173xx.i686      173.14.35-2.fc17   rpmfusion-nonfree-updates
akmod-nvidia-96xx.i686       96.43.23-2.fc17.1  rpmfusion-nonfree-updates
kmod-nvidia.i686             1:304.64-2.fc17.1  rpmfusion-nonfree-updates
kmod-nvidia-173xx.i686       173.14.36-1.fc17.1 rpmfusion-nonfree-updates
...
kmod-nvidia-173xx-3.7.3-101.fc17.i686.i686 173.14.36-1.fc17.1 rpmfusion-nonfree-updates
kmod-nvidia-173xx-3.7.3-101.fc17.i686.PAE.i686
kmod-nvidia-173xx-PAE.i686   173.14.36-1.fc17.1 rpmfusion-nonfree-updates
...
kmod-nvidia-96xx.i686        96.43.23-2.fc17.1  rpmfusion-nonfree-updates
...
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...
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xorg-x11-drv-nvidia-96xx-libs.i686   96.43.23-1.fc17  rpmfusion-nonfree-updates
xorg-x11-drv-nvidia-devel.i686       1:304.64-3.fc17  rpmfusion-nonfree-updates
xorg-x11-drv-nvidia-libs.i686        1:304.64-3.fc17  rpmfusion-nonfree-updates

3. Fedora17 にも不安定な部分が、ちらほら見え始める! 
Fedora17 でも GUI環境が不安定に感じ始めたのは、kernel 3.6.11... あたりからであろうか?3.7.x からか? ちょうど、Fedora18 の Kernelバージョンと重なりそうなあたりか? なんとなく、18 の病気が 17 にも伝染しているように映るのは気のせいか?

拡張機能をインストールし、[高度な設定]で右クリックメニューを表示しているが、 gnome-terminal 内の右クリックメニューとぶつかるようで、システムがダウンしやがる。
よって、拡張機能側の右クリックメニューを停止。 
ついでに、右クリックメニューに[端末を開く]が追加されるパッケージを削除(関係ないと思うが)。
  yum remove nautilus-open-terminal
これで安定した模様。

2013-01-27

コモディティ化の奴隷

あらゆる業界において、企業がユーザの囲い込みに躍起になり、誇大広告が氾濫するのも、ますますサバイバルの様相を強めている証しであろう。囲い込み経済は、ロビンソン物語から受け継がれる資本主義の象徴的手法というわけか。しかし、利便性の誘惑に惹かれ、均一化、あるいは均質化された環境に依存することが、合理的と言えるのだろうか?おまけに、一つの統合環境に依存すれば、リスクを拡大させる。いつサイトやサービスが閉鎖され、一瞬のうちに大企業が消えても不思議ではない時代、それどころか産業ごと頓死することもありうる。利便性はそのままリスクとなることを覚悟しておくべきであろう。ネット障害や機械の故障などのリスクはどこにでも転がっており、安全性なんてものは確率論で語られているに過ぎない。
人間には、実体のないものを恐れる習性がある。だが、利便性を追求した挙句、無理やりにでも仮想化を煽らないと経済循環が成り立たないところまできている。その象徴といえば、貨幣であろう。人々は、いつ紙くずになるか分からないものを、底なしに集めようとする。電子化してまで。そして、情報が溢れれば、多数派を拠り所にする傾向をますます強める。だが、それで安住できるかなど誰にも分からない。実体が見えないだけに不安でしょうがない。やがて真の価値が明るみになった時、初めてリスクの大きさに気づき、危機が現実なものとなる。群衆エネルギーは、そのままリスクエネルギーとして増幅されるわけだ。ちなみに、クラウド化とは、データが雲のように一瞬のうちに消えてしまう状況を言うらしい。たとえそうだとしても、依存できるものがあるということが、どれだけ幸せでいられよう...

1. コモディティ化
現代社会では、豊富過ぎるほどの情報があり、生活様式が多様化していく。にもかかわらず、あらゆる製品やサービスが、コモディティ化していくのはどういうわけか?機能や品質の差が不明瞭となり、ますます差別化が難しくなる。情報共有の場が多数派を煽り、要求を集中させるのか?ソフトウェア業界は、相変わらず強烈な不具合の発生を当たり前としているようだし、オンライン化、電子書籍、ITインフラにしても、差別化で喘いでいるように映る。となると、どこで競争するのか?
サービスの移転にはリスクをともなうが、単なる代替ならば、それほどリスクを負うこともない。コモディティ化とは、リスク分散という人間の防衛本能から生じる現象なのだろうか?あるいは、マンマシンインターフェースとして成熟しつつあるということであろうか?選択肢を失うことが、人間の思考を麻痺させるという見方もできそうだが。いずれにせよ、ユーザがサービスの奴隷であることに変わりはない。
ただ、これだけコモディティ化が進むと、公共料金の原理が働きそうだ。様々なブラウザが乱立する中、使い勝手の面から目くじらを立てるほとの違いを感じない。OSにしても、LinuxとWindowsは限りなく近づいているように映る。品質の面でも近づいているような...
相変わらず、技術の模倣合戦や特許紛争が盛んだが、いまや真の開発元がどこにあるのかも分からない。設計者自身が模倣しているかどうかすら気づいていない。そして、権利の主張だけが発達していく。これが民主主義の成熟した姿というわけか...

2. 文明と依存性
昔々、狩猟物の恵みや農作物の実り具合で、裕福さを測る時代があった。生活はひたすら獲物や天候との出会いに依存し、まさに自然は神の存在であった。だが、人類は安定性に焦がれるが故に、思うようにならない自然の仕打ちに苛立ってきた。文明社会とは、肝心な時にいつもお留守をなさる神への依存性を弱めようと努力してきた結果である。
やがて所有の概念が生まれると、地主と小作人で種別された。地主は小作人の労働力に依存し、小作人は土地に依存する。そこで、農作物や土地にも依存しないものを求めるうちに、交換の原理が生じた。そして今、あらゆる価値が貨幣換算される。土地や労働力ばかりでなく、人の命まで。貨幣の力はますます増大し、人は皆キャッシュに依存しなければ生きられなくなった。いまや経済活動はキャッシュフロー抜きには語れない。そして、金融屋があらゆる取引に介入し、経済循環の根本を牛耳る。心臓の弁をちょいと支配するだけで、人体のすべてを征服できるという寸法よ。むかーしから、毟り取る仕組みをこしらえるのが得意な連中がいる。だが、いくらキャッシュが主役になろうとも、それ自体から何も生産することはできない。
さて、依存性の観点からすると、現代人と古代人では、どちらが自立しているのだろうか?人口が自然抑制された時代では、子供がそのまま労働力とされ、学校なんか行かずに働け!と説教された。高い税率を抜きにすれば、自分で作った農作物で家族を養うことができた。政治がお邪魔虫という議論は、ここではやめておくとして。だが、自立するためには知識が必要であり、洗脳性の強い社会でもあった。
一方、現代社会では、ほとんどの人が企業や役所からもらう給与で生活する。経営陣ですらサラリーマン社長で溢れている。そして、企業が潰れたら家族は路頭に迷うことになる。依存性を高めれば、自立性を失うことにもなろう。文明社会は、自立性を失わせようとしているのか?仮想化とは、自立性を欺瞞するための道具なのか?仮想化が利便性を煽り、利便性が犯罪を巧妙化させる。人類は、人工物への依存性を高めることによって自滅するのか?自然に依存するのと人工物に依存するのとでは、どちらがまともなのか?俗世間の酔っ払いには、とんと分からん。
アリストテレスは「生まれつき奴隷」とやらを提唱した。自分で思考するのが面倒であれば、主人に従う方が楽であろう。自立性を放棄することが幸せと信じることもできそうか。なるほど、幸せが幻想というのは、本当なのかもしれん...

2013-01-20

グローバル人という不思議な人種

グローバリズムが広まると、ナショナリズムが盛り上がるという奇妙な現象がある。それは、グローバリズムの流れに乗り遅れた人々の妬みからくるのだろうか?あるいは、帰属意識や自己存在の確認、アイデンティティの再確認といった意識からくるのだろうか?結局、人は皆、国家に縋って生きるしかないということであろうか?
人間社会には、生まれたら強制的にどこかの国に所属させられるという奇跡的なシステムがある。人は、生まれる地や生まれる国を自由に選べない。生まれる場所すら与えられない人もいる。つまり、人はまず不自由を体験することになる。だから自由への憧れが強いのか?だから枠組みへの反発を強めるのか?世界には様々な枠組みが溢れている。国の枠組み、民族の枠組み、文化の枠組み、言語の枠組み、組織の枠組み...
だが、そんな枠組みを物ともしない人々がいる。グローバル人とは、自然に自由を謳歌できるような人を言うのであろうか。

一方で、愛国心が足らないと憤慨する人々がいる。そして、海外で活躍するスポーツ選手、芸術家、科学者たちが、理不尽な批判に曝される。だが、彼らが純粋に能力を発揮するだけで、どれだけ民衆を励ましていることか。中には、政治の思惑に乗せられて招待される人もいるようだけど。
環境が違うだけで思うように能力を発揮することが難しいというのに、彼らはどこででも仕事ができる。度胸が座っているのは、才能の裏付けがあるからか?しかも、外国語が流暢でない人も珍しくない。言語は便利なツールだが、コミュニケーションの本質ではないということであろうか。彼らには、人物や文化をステレオタイプに嵌めるような感覚はないようだ。分野に関係なく何かを極めようとすれば、国や言葉の隔たりなんて関係ないのかもしれない。その意味で、彼らを真理を探求する人とでもしておこうか。
枠組みにこだわらないことが、視野を広げ、様々な思考を試す機会を得ることになる。こだわりがあるとすれば、生き方というやつであろうか。依存性を低くし自立性を高めるという意味では、リスクを分散させるという見方もできるかもしれない。経済力や政治力の勢いばかりに目を奪われ、特定の国に依存しようとする動きこそ、リスクを高めることになろう。国境なき記者団、国境なき医師団、非政府組織といったものが、どれだけ社会のリスクを分散していることか。そうした広範な活動をしている人々にだって愛国心はあるだろう。誰にでも、地元愛、郷土愛、家族愛なんてものが自然に発するものであろう。出身地や出身校が同じというだけで共感したりする。大震災時の結束力を見れば、愛国心のない国民とは言えないはずだ。なのに、愛国心を煽る連中ときたら、奇妙な信仰に憑かれているかのように、団結心を煽って暴徒化し、寄ってたかって他国の国旗を焼くことを象徴とし、自ら国家の危機を脅かす。わざわざ愛国心教育なんてやれば、団結するために無理やり敵国をでっちあげるのがオチよ。愛ほど暴走しやすい。盲目と言われる所以だ。
グローバリズムと愛国心は対立的な立場として捉えがちだが、どちらも生きるのに必死であることに変わりはない。どちらも自分の居場所を求めるための精神活動であり、防衛本能が働いているだけのことであろう。その違いといえば、多様化を認めるか認めないか、ぐらいなものであろうか。ちっぽけな違いで結果が随分と違うことはよくある。したがって、グローバル人とは、真理とリスクの観点から、あらゆる枠組みを物ともしない人ということにしておこうか。さて、どれだけ文化や発言の違いに寛容でいられるだろうか?いくら想像してみたところで、俗世間の酔っ払いには生涯到達し得ない領域であることは間違いない。

1. Broken English のすゝめ
世界人口における公用語の分布を眺めれば、英語という一つの言語にこだわる時点で、グローバル人とは縁が遠いのかもしれない。だが、企業では英語を公用語にする動きが見られる。その結果、英語力を優先した雇用に走り、技術力が疎かになったエンジニア会社も珍しくない。そして、英語屋は伝言係となる。言語的な翻訳よりも、文化的な翻訳の方がはるかに貴重であるはず。それは経験に裏付けられるものである。科学力や技術力を差し置いてまで英語に走ることもあるまい。ついでに、数学も言語の一種であることを付け加えておこう。
技術屋さんの議論では、日常英語があまり通用しない。重要なやりとりは文書ベースになりがちで手間がかかる。だから、俗世間の酔っ払いは、流暢に喋りたいと思う。それでも、軌道に乗り始めると、相手も片言日本語を喋り、互いの片言言語の応酬は、なかなか楽しい。向上心とは、恥をかくことと見つけたり!
実際、ポンコツ英語を自負する企業家たちがいる。長く付き合うなら、Broken English がお勧めだとか。流暢でも中身がないよりは、はるかに歓迎されると。最初は誤解を招くことも多いが、誤解が解けると逆に信頼が厚くなると。恋愛でもギャップに惚れるというケースがあるが、まさにそれか。しかし、こうした助言は、慰めにしか聞こえんよ...
コミュニケーションの方法を誤れば、流暢な分、却って反感が増幅される。英会話がどんなに上手くても、議論ができなければ意味がない。日本語ですら内容のないことしか話せない人が、英語でいったい何を話すというのか?ネイティブとは、どういうことか?英語圏の方言も多様で、日本人は英語という枠組みで一括りに捉え過ぎる傾向があるようだ。方言や訛りがあるということは、地方文化を知り尽くしているとも言えそうか。日本人は、首都圏に行くと方言を封印しがちである。田舎者と馬鹿にされるのを嫌うからだ。アメリカでも同じ傾向はあるらしいが、あれだけ多種多様な人々が集まると、そんな感覚は簡単に吹っ飛んでしまうらしい。そもそも、アメリカは土地が広く、方言が酷く、ポンコツ英語を喋る人も多いと聞く。
ある外国人から、日本人は言葉を完璧に喋ろうと意識し過ぎると指摘されたことがある。完璧な人間なんていないんだから、間違ったことを喋ってもいいのではないかと。とりあえず、口にすることが大切だと。しかし、欧米人の誰もが主張したがるわけでもあるまい。ダーティハリーがお喋りではしまらない。日本には、空気を読む...無言で通じ合う...といった文化がある。それはそれで感心される。極意を教えろ!と聞かれても知らんがねぇ... とりあえず、やかましい!

2. 文化の壁と自立性
言葉の壁よりも、はるかに手強いものがある。国内企業への転職でさえ、組織文化に馴染めず辞める人はわんさといる。実際、日本企業の人事屋は、優秀な人材がほしいと言いながら、そこを見ている。つまり、服従者になりうるかを。建て前では、外国語能力や異文化を受け入れる感覚、そして自立性といったものが要求される。確かに、自立性を強調するお偉いさんをよく見かける。そういう人は決まって社員の自立性のなさを嘆く。自立性とは、組織への依存度を極力小さくしようとする意思の表れであろう。優秀な人材にはどこか異端的なところがある。革新的なパワーはそういうところに秘めらることが多い。しかし、組織の欠点をよく観察し、ズバリ言い当てるような人材を煙たがり、本音では和を乱す害虫のように見ている。村社会では、自立性は孤立性へと追いやられるわけよ。異文化を受け入れる度量のない組織ほど、自立性などと掲げているように見えるのは気のせいか?そして、自立性のない面接合格者に、君には自立性があるよ!と洗脳しているのかは知らん。
自分の価値観から大きくはみ出した人を避けたいと考えるのも自然であろう。自己存在の防衛本能でもあるから。自立性に富んだ集団は、個性も自然に溢れているから鬱陶しいところがある。だが、こういう連中を相手にすると楽しい。相互に論理的に議論できるならば、想像もつかない世界に生きている連中は、それほど邪魔な存在にならない。周りからは、まったく協調性がない集団のように映るらしいが、実はそうでもない。チームに技術的な問題が発生すると、自主的に結束し、猛然と徹夜を始めたりする。普段は勝手気ままな奴らだけど。論理的に説明すれば、だいたい納得してくれるし、説得できない時は、だいたいこちらの論理性に隙があるから分かりやすい。
一方で、管理職の側が論理性の未熟さを棚に上げて、協調性がないというレッテルを貼るケースが実に多い。したがって、チームに哲学的な共通意識さえ根付いていれば、自立性などというものはあまり心配には及ばないと思っている。やはり仕事は楽しくなくちゃ!共通の価値観とは、これだけよ!

3. 人材流出
日本社会は、技術者に冷たいところがある。リストラで居場所を奪っておきながら、海を渡った人材を一括りに売国奴であるかのように攻撃されることもある。中には、そういう人もいるだろうけど。希望退職を募れば、そりゃ優秀な人から辞めていくさ。ならば逆に、もっと優秀な人材を海外から受け入れればいいのだが、そんな度量もない。人の価値とは、去った時にはじめて気づくものである。そもそも、企業体質がグローバリズムとは程遠いのに、求める人材がグローバルな人とは、これいかに?グローバリズムを手段としてしか見ていない証拠である。ちなみに、おいらも海を渡りたいといつも思っているが、秀でたものが何もない。向こうから渡ってくる人もいるから、それでよしとするか...

2013-01-13

民主主義の象徴ども

民主主義の象徴とされる選挙や代議制、デモや対話。これらは、本当に民主主義と相性がいいのだろうか?政治がまともに機能するならば、どんな形でも構わない。君主制だろうが、貴族制だろうが、民主制だろうが...
アリストテレスは、最善なのは君主制で最悪なのは民主制であるとした。ただし、僭主は君主の逸脱形態としながら。だが、歴史を紐解けば、君主と称した人物は例外なく僭主であった。貴族によるパワーバランスを試みたところで、官僚化は防げず、様々な癒着が生じた。そして今、民主制が最後の砦とされる。ただ、誰よりも学問に励み、それを自認した者が民衆を導こうとする構図は、ソフィストの時代から何ら変わっていない。学問とは、本来真理の探求であるはずだが、古代から民衆を扇動する方法論を学ぶことがもてはやされてきた。
一方、プラトンは、愛智者を無知を自覚する者とした。また、社会人類学者レヴィ=ストロースは、原住民の生態系の研究から首長の存在意義に疑問を投げかけた。「首長の政治力は、共同体の必要から生まれたものではないように思われる。」と。
近代では、政治の存在意義までも疑問視される。政治とは、真理と相性が悪いものなのか?人間とは、誰よりも優位な立場に居たいというだけの存在でしかないということか?政治とは、その欲望を体現する場でしかないということか?そうかもしれん。結局のところ、国家の形態とは、社会形態の試行実験に過ぎない。政治屋が社会制度を崩壊させ、金融屋が国際規模の経済危機に陥れ、教育屋が教養を偏重させ、愛国者が敵国をでっち上げ、平和主義者が戦争を招き入れ、友愛者が愛を安っぽくさせる。いずれも自己存在を必要以上に強調し、価値観を押し売りした結果であろう。思惑が思惑を呼び、虚実の理からますます遠ざかり、いまや、国家の枠組みを超えた領域でリスク管理が求められる。これがグローバリズムというやつか?リスク社会における政治の安定は、問題を直視しないことによって成り立つとさえ言える。
経済学者シュンペーターは、資本主義はその成功によって崩壊すると語った。21世紀は、民主主義の成功と、それを崇める人々によって、最後の砦までも崩壊させるのであろうか?
しかし、そう悲観することもあるまい。いつの時代でも人間は幻想を描くことを得意としてきた。その証拠に、仮想化へ邁進する様相は一向に衰えを見せない。これが希望とやらの正体かは知らんが...

1. 選挙と占拠
国家は誰のものか?ずっと昔から、政治を民衆の手に取り戻せ!と叫ばれてきた。では、国家は民衆のものなのか?それも疑わしい。国民は気移りが激しく、意思決定に一貫性を見出すことは難しい。おまけに、報道屋が世論を偏重させる。そして、一部のエリートの面子と名誉欲によって決定されるならば、国家は誰のものでもない!とする方がよかろう。人間社会では、所有の概念が絡むと、何かと奇妙なことが起こるようである。
責任の観点から眺めると、君主制は君主に責任があり、貴族制は代表者である貴族に責任があることは疑いようがない。そして、民主制は民衆に責任があるということになる。ただ、責任のないところに権利は生じないはず。政府を監視する役割に司法や議会があるが、いまや三権分立が機能していると考える人は少数派であろう。そこで、情報の透明性と国民の意識が鍵となる。
国民の意思は投票を通して反映されるのだから、選挙は民主主義の象徴と崇めている人が多数派であろう。実際、政治家は、多数決こそが民主主義だと発言し、チルドレン戦略に余念がない。扇動者にとって、思考しない者が思考しているつもりになって同調している状態ほど、都合の良いものはない。陶酔することのみを奨励すれば、アル中ハイマー病患者は絶好の餌食となる。
しかし、選挙は民主主義の産物ではない。代議制は貴族制の時代からあり、君主制でさえ後継者選びが実施された。
政治屋どもは、国民のため!国益のため!と連呼する。確かに、後援会や政治団体の構成員も国民だし、なによりも政治家自身が国民である。そして、政治屋の利益供与に一部の国民がたかり、それを票田とする構図は変わりそうもない。選挙制度が偏重していれば、政治も偏重するだろう。選挙が民主主義の根幹だと言うのなら、その用い方は慎重に検討すべきものであるはず。なのに、政党間の主張は盛んでも、選挙制度の正当性に関する議論がなされないのはどういうわけか?国家元首を国民が直接選べないことが、民主主義を機能させないという意見も耳にする。それも一理あるだろう。もし、国民投票によって首相が選ばれる制度下では絶対にありえない人が、現実に首相になっているとしたら、それは民主国家と言えるだろうか?ちっぽけな選挙区で地元と癒着した者ほど、支持母体を強固なものとし、当選を繰り返す。当選回数の多い者が政党内で発言力を増し、主要ポストに就く。首相は一部の国民によって選ばれているようなものか。意思を放棄した者をいかに集めるか、これに政治屋は執着する。よって、選挙とは、一部の国民どもが占拠した状態を言う。

2. ディベートなき民主主義
昨年、米大統領選の前哨戦として、数回に渡ってディベートが行われた。四年に一度、マスコミ、識者、政治家、聴衆が一体感を持ち、国の行く末を託す人物は誰か?を議論する様は、民主主義国家としての成熟度の違いを見せる。CNNなどの分析を見ても、数の勢力図報道を繰り返す連中とは次元が違うようだ。ちょうどその頃、我が国では、首相降ろしや政治スキャンダルの報道で盛り上がっていたのだから。
しかしながら、ディベートにも欠点がある。洗脳と結びついてきた歴史があり、なによりもカネと手間がかかる。選挙戦が一年以上も続けば、大陸横断鉄道が開通した西部開拓時代を思わせ、情報化社会ではいかにも長く感じる。しかも、任期の残りはほぼ政治が停滞することになる。今回の特徴では、ヒスパニック系や黒人系の票で明暗を分け人種対立を一層強く印象づけた、と報じられた。民主党は、社会的弱者の支持層が強いだけに歳出削減が難しく、また、下院は共和党が過半数を占めたままで、相変わらず意思決定が難しい状況にある。そして、大統領選以後しばらく市場は停滞感を見せた。最多得票数を得た候補者が、その州の選挙人票をすべて獲得できる選挙人団という制度にも問題がありそうだ。民主主義先進国にしてこれだから、我が国の選挙制度も老朽化していると見るべきであろう。
一方、日本にも党首討論会があるにはある。だが、なぜか機能しない。論理的に説得しようとする意識が薄いために、誰が政権を握るかばかりに注目が集まる。日本の文化では、質問すると挑戦的で不快感を与えるという意識が働く。だから、説明責任という慣習が根付かないのだろうか?
欧米人の印象として、子供のようになんでも Why? と聞いてくるので、鬱陶しいところがある。対して、日本人は、How? を好む傾向があるように映る。知識を論理的に組み立てるというより、知識は教えてもらうものという意識が強いのかもしれない。教育の弊害であろうか。思考を省略したいから、ハツツウものに飛びつくのかもしれない。質問力というものは、論理性から組み立てられるところがある。価値観の多様性を認めるならば、共通意識は論理性に求める方が良さそうである。論理に完璧さは求められないにせよ、感情を補完する道具にはなるはずだ。増税にしても論理的に説明すれば納得できると思うが、日本国民はそれすらできないと馬鹿にされているのか?国民から反感を買いそうな重要法案を通す時、政治生命をかけるという主張が理解できない。正しいと思うなら、その根拠を示せばいいだけのことではないのか?納得できずに財政破綻するならば、それは国民が選んだ道となるだけのこと。だが、国債発行額の見通しで論理的に説明した例は見たことがない。無党派層を説得するには論理的に説明するしかないだろう。政治屋どもはそれすら気づかないのか?いや、地元の選挙民に働きかけた方が確実だということを、彼らは熟知している。つまり、我が国の選挙制度は、老朽化以前に民主主義とは程遠いシステムだということかもしれん。

3. デモと集団性の悪魔
選挙の実態を見れば、政党政治に失望する人も少なくないだろう。では、デモは政治参加の新たな手段となりうるだろうか?そして、選挙しか頭になく、ひたすら数合わせに奔走する政治屋どもを排除することができるだろうか?
かつて、学生運動や社会運動に参加しなければ、愛国心が足らないと言われた時代があった。愛国心を煽るあまり奇妙な使命感に憑かれ、自己を見失い暴徒化する。脱原発機運が高まる今日、少しでも原発は必要だと発言すれば非国民のような言われよう。太平洋戦争時代にも、講和を主張すれば非国民と罵られた。デモの参加者たちは、地方役場の一郭を占拠したり、傍聴席からヤジを飛ばし議会を中断させたりと、とても子供には見せられない醜態を見せる。おまけに、都心から有名人までも乗り込んできて役場を占拠する。確かに、原発推進派がその隠蔽体質から強引に政策を進めてきた。事故後の炉心溶融を関係者が語れず、大手マスコミも知りながらメルトダウンという言葉を使わない。軍部の暴走に大本営式報道の時代と、何が違うのか?だからといって、脱原発派が彼らと同じレベルで活動すれば、却って説得力を失う。それに、代替案が火力発電のフル稼働でいいのか?ちょっと前まで叫ばれていた環境問題はどこへいった?原発廃棄物の処理は?新エネルギーの開発にしても、軌道に乗るまでにはまだまだ時間がかかるだろう。ここでは、エネルギー政策はリスク分散に目を向ける必要があるとだけ言っておこう。
さて、デモが暴徒化するのであれば、それは民主主義の危機と見るべきかもしれない。ところが最近、都市部の市民運動は多少なりと変化を見せていると聞く。主催者は、参加者の安全に配慮したり、運動後のゴミ処理を活動の一環としたりと、紳士的な振る舞いが目立つとか。しかも、若年層だけでなく、老若男女、障害者や外国人までも集まってくるという。なるほど、かつての労働運動や学生運動などとは違うようだ。ガンジー思想の非暴力抵抗が開花しつつあるのだろうか?いまや、優れた見識はネット上に溢れ、有識者どもに誘導される時代でもあるまい。デモが論理的な活動となれば、共感する人も増えるだろう。情報の共有は、昔よりもはるかにやりやすい。
とはいえ、ネット上の炎上騒ぎは相変わらず、いじめでは被害者側が退場させられる始末。徹底的に叩くという歪んだ正義感が、ストレス解消の場とされる。まるで娯楽感覚、戦争と同じくらい狂った社会。大概の組織や集団というやつは、結束当初は素晴らしい志を共有して結びつくものである。少数精鋭による自由意思の結集として。ネット社会でも、少数派として結びつく段階がある。しかし、集団の規模が大きくなるにつれ、時間が経つにつれ、思考が硬直化していき、過激な不心得者が紛れ込んでくる。集団の構成員は、信仰化していることにも気づかない。あらゆる選挙運動や社会運動は、この呪縛に嵌っていく。これが官僚化の法則だ。
最近の市民運動が、新たな民主主義の兆候となるのかは分からない。ただ、いつの時代でも、社会は新たな風潮に過大な期待をかけてきた。集団性の悪魔ってやつは、人間社会の本質であることを、心に留めておいた方がよさそうである。

4. 対話から政治不要説?いや、政治家不要説!
あらゆる社会問題は対話で解決できると主張する有識者や有徳者たちがいる。だが、それも疑わしい。所詮、人間は感情の動物、どんなに意見が一致しようとも、相手に対して好き嫌いが生じる。対話という語は、平和的でなんとなく癒してくれる。だが、だいたい癒し系の言葉には、危険性が潜んでいるとしたものである。
対話を機能させるためには必要条件がある。哲学的な共通観念、互いに近づきたいという共通意識、そして、論理的な指針など。その前提がなければ、対話はむしろ敵対心を煽ることになろう。文化や教義を強制すれば反発心が生じる。猛烈な愛によって結ばれた時でさえ離婚争議は絶えない。神の前で誓っても、都合良く無神論者に鞍替えよ。互いに触れられたくない事柄もある。欠点をつつき合えば、憎悪しか生じない。そして、顔を合わせないことによってのみ、互いの存在を認め合うことになる。互いの存在ですら認められないとなれば、血を見ることになる。結婚(けっこん)と血痕(けっこん)が同じ音律なのは、偶然ではないらしい。運命の糸が血の色というのも道理か...
これが国家間であれば戦争となる。過去の平和主義者を自称する政治家たちがそうであった。歴史を振り返れば、偏重した愛国心教育が国民性を暴走させてきた。外交戦略のない政府は、面子ばかりの主張を繰り返す。人間ってやつは、老いていくと、存在感が薄れるのを感じ、さもしくなるものらしい。おまけに、冷静さを失えば、悲劇は現実のものとなる。政治の戦略のなさに官僚の発想力のなさが加われば、ますます閉塞感を募らせ、国民は偏重したナショナリズムでエネルギーを発散させることになろう。
しかーし、そんな悲観的な状況にあっても、対話に限界があることを認識した上での対話ならば、功を奏すかもしれない。関係を持つということは、距離を計ることを意味する。近づきすぎず、遠ざかり過ぎず。いまや一国だけで成り立たない時代、自然に経済交流や文化交流が生じる。だが、国家が余計な口出しをした途端に混乱させる。国家の存在意義とは何か?本来、主権と基本的人権を保障することにあるはず。つまり、存在の権利だ。換言すれば、それ以上の権利を保障する必要はない。しかし、基本的な権利を差し置いて、余計な権利に凝り固まった平等主義が蔓延る。
無政府状態と言えば、社会秩序が保たれていない状態をイメージしがちだが、政治不要説は古くからあった。おまけに、そういう風潮が広まるほど、政治屋どもは自分の存在アピールに躍起になり、癒し系政策で大盤振舞!そして、政治不要説は新たな局面に達し、政治家不要説となるのであった。

2013-01-06

ふしめ

2013年は巳年ということで、蛇道(邪道)で参りとうござる... なぁーに、いつものことよ。

昨年は、いろんな意味で節目の年であった。
まず、独立10周年でささやかなパーティを催した...お集まり頂いた方々御礼申し上げます。尚、久しぶりの「朝までフルコース」は辛い。おまけに、その晩も某所から呼び出しを喰らう。
また、ちょうど30歳になった。尚、年齢表記は慣例に従い16進数を用いている。
そして、恐ろしい大台が見えてくる...

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、ひとたび生を得て、滅せぬ者の有るべきか...

人間50年も生きれば、それなりにケジメがつくものであろうか?寿命が延びれば、未練も先送りされる。考え方も学生時代からあまり変わっていないような気がする。いや、精神面では幼年化しているかもしれない。その証拠に、夜の社交場では...マダムにお子ちゃまと呼ばれ... 平成生まれのお嬢に恋愛論を説かれ... その横で、勉強になります!と畏まる始末。ちなみに、先日、献血に行くと、動機についてアンケートがなされ、耳にピアスをした二十歳ぐらいのガキが、「社会に少しでも役立ちたい!」と堂々と語っているのに見入ってしまう。そして、いざ自分に質問が向けられると、「若い看護婦さんに血を抜いてもらいたい!」と心の中でつぶやきつつ、「いやぁ...そのぉ...なんとなくぅ...」と慌てて答えてしまった。どっちがガキなんだか...
それになりに生きれば、多少の知識も増えよう。だが、忘れた知識も多く、消化と排泄によるエネルギー保存則は健在!元々頭の回転が鈍く、記憶力も弱いとなれば、衰えを感じなくて済む。これも、ささやかな幸せというものよ。
一方で、死を宣告された末期患者が、突然人生に目覚め、超人的な能力を発揮することがある。死と隣合わせだからこそ、研ぎ澄まされる感覚というものがあるのかもしれん。死を身近に感じていなければ、生きることの意義さえ考えることもないのかもしれん。

技術チームで仕事をしていると、歳をとる気があまりしない。マネージャとメンバーという立場の違いがあるにせよ、年齢に関係なく対等の意識が働く。だが、向こうはそうは思っていないようだ。そういえば、おいらが20代の頃、40代の人を大先輩という目で見ていた。同じように見られているのだろうか?いや、それはありえない。事実、アル中ハイマーなどと呼ばれバカにされている。
技術屋さんと付き合うのは気楽なもんだ。論理的に説明すればだいたい納得してくれるし、説得できない時はだいたいこちらの論理に隙がある。哲学的な共通意識さえチームに植えつけておけば、互いの意思が分かりやすい。
ただし、優秀なエンジニアと仕事をするとかなり辛い。こっちは、いつも全力疾走しなければならない。ちょっと休んでくれ!と弱音を吐くと、実は互いに見栄っ張りで、余裕を演じていただけというオチも、たまにはあるけど。最近、教育の依頼を受けることがある。教えられるものなんて何もない。そうか、引退勧告であったか...
そして、シニアという言葉がちらつく。シニアとは、何歳ぐらいからを言うのであろうか?ゴルフのシニアツアーは50歳以上と聞く... スポーツ選手の引退年齢は40代ぐらいであろうか... 将棋の達人戦は40歳から... フィールズ賞は40歳まで... プログラマに至っては35歳定年説なんてものもある... 職業寿命なんてものは意外と短いものかもしれん。
そういえば、健康診断では35歳以上になると検便用の小道具が手渡された。形状からして、初体験のおいらは直接突っ込むものかと勘違いした。すると、大先輩のSさんが嬉しそうに実演していた。次は大道具の出番であろうか?癖になりそうで恐い。

なんにせよ、年齢的な限界が訪れるのは生命の宿命。歳とともに気力が失せることもあろう。かつて自信を持っていた知識も、知れば知るほど分からなくなる。ただ、分からないことが増えると、なぜか心地よい。ある種の諦めであろうか?いや、人間の性質は、M系に走るものかもしれん。人生楽しまなきゃ損というわけか。何かを悟るのに、一人の人生ではあまりにも短い。それどころか、目指すものすら未だ見えてこない。ならば、技術を磨くのに年齢は関係ないとするしかあるまい。
そして目指すものは... 夜のテクニシャン!... ということにしておこうか。

2012-12-30

"アンティキテラ古代ギリシアのコンピュータ" Jo Marchant 著

1901年、マレア岬からクレタ島の間に位置するアンティキテラ島沖の沈没船から、奇妙な機械の破片が引き揚げられたそうな。調査が進むにつれ、少なくとも30個の歯車を組み込む洗練された技術の凝縮であることが見えてくる。沈没船の方はというと、地中海でローマ支配が強まる紀元前1世紀頃、戦利品を運ぶ途中に沈んだと推定されるという。そうなると、歴史の矛盾にぶつかる。なにしろ、ルネサンス期の天文時計まで待たないと出現しないような代物なのだから。千年もの歴史の空白の謎は21世紀になった今、ようやく正体を見せつつある。
ところで、古代技術に信じらないほどの水準を魅せつけられると、必ず登場するのが異星人の仕業とする説である。アンティキテラの機械もその例に漏れない。しかし、太陽暦や太陰暦は地球の住人にしか意味をなさないはず。異星人がしばらく地球に滞在する必要があって、そのためにこしらえたというのか?そうかもしれん。あるいは、歴史の空白があまりにも長ければ、古代人はもはや異星人のような存在と言っていいのかもしれん。そして、現代人が新発明と騒いでいるあらゆる技術は、古代人から学んでいることに気づかず、踊らされているだけのことかもしれん。

「神よ、時を知る方法を最初に見つけた人間を呪いたまえ!この地上に日時計をもたらし、わが日々を無残に細かく切り刻んだ者をも呪いたまえ!」...マッキウス・プラウトゥス

人類は、時を刻む方法を天文に求めてきた。ヘシオドスの著書「仕事と日」には、農夫たちが星座を眺めて作業の拠り所にしたことが記される。年周期は黄道十二宮をもとに12等分され、やがて太陽や月の軌道周期が基準とされる。間接的には、潮の満ち干きやナイル川の氾濫などに現われる周期性がこれに従う。時間についての知識はこれほど古いにもかかわらず、機械仕掛けの時計が登場したのは、ずっと後の中世ヨーロッパとされる。そして、周期的な機械構造は、歯車を要としてきた。
では、歯車の物理的、数学的な意味とは何か?差動歯車は、二つの歯車の回転数の差ないし和に相当する速度で回転する。二つの入力歯車が同じ方向に回転すれば足し算となり、逆方向に回転すれば引き算となる。差動歯車の発明によって、手で紡ぐよりも上質な綿糸がより速く安価に大量生産され、自動車の動力伝達装置にデファレンシャルギアが用いられてきた。エニグマ暗号機は、複数のローター連結で構成される。つまり、歯車式の機械構造は、演算器、角速度変換、あるいはエネルギー変換として機能させることができる。そして、蒸気機関や製粉機や機織り機の道を開き、産業革命の引き金となった。
そこにある最も基本的な抽象概念は、周期性である。時を刻む方法は、振り子時計、水晶振動子を用いたクォーツ、電磁波の周波数スペクトルを用いた原子時計へと進化させてきた。今日のデジタル機器も、振動子や発振器がなければ駆動できない。何かを数えるという単純な作業でさえ、ある自然数を底にした記数法が用いられるが、これも一種の巡回群である。
人間ってやつは、時を過ごすにしても、数を数えるにしても、周期性を好み、それを等分に刻まずにはいられない。生理的には心臓の鼓動に現われる不整脈を嫌い、心理的には無理やりにでも規則を設けて時間厳守という日々の義務を課す。何の意味があって周期性とやらに縋るのか?確かに、電磁波は無限の安定直進性を示す。周期性に囚われると不老不死に近づけるとでもいうのか?あるいはニーチェの言う永劫回帰を求めているのか?ただ、赤い顔をした鏡の向こうの住人は、行付けの店でいつものお姉さんを前にしながら、チェンジ!チェンジ!...と小声で繰り返している。おいらには、この専門用語の意味が分からない。

1. どこで作られ、どこへ運ばれていたのか?
アンティキテラの機械を載せた船は、紀元前70年から紀元前60年頃にローマを目指して小アジアのペルガモンを出航し、おそらくアレクサンドリアに寄港し、確実にロードス島に立ち寄ったと見られているそうな。ヘレニズム時代、アレキサンダー大王の東方遠征にともない、ギリシア文明はアレクサンドリアやアンティオキアといった東の都市で融合し開花した。一方で、後にローマの支配下となるギリシア本土では、知識が停滞したと考えられているという。
紀元前86年、ローマの将軍コルネリウス・スッラがアテネを侵略した。スッラにも増して強欲だったのがポンペイウスで、紀元前61年に凱旋パレードを行い、戦利品を港に運んだ船は700隻、行進に2日もかかったという。ポンペイウスがローマに帰還した頃、ユリウス・カエサルが台頭しつつあった。こうした背景から、アンティキテラの機械はローマの戦利品だったと推測している。
ローマに対して友好的に振る舞った都市の一つにロードス島があり、ギリシアの学者がさほど妨害されずに仕事ができたという。ロードス島には、古代最高の天文学者に数えられるヒッパルコスとポセイドニオスがいる。アレクサンドリアには、機械仕掛けの名人、ヘロンの公式で知られるヘロンがいる。さらに、キケロは、アルキメデスが天体を表す道具を作ったと伝えている。アンティキテラの機械に記される月名を調べると、その呼び名を使っていた都市が見つかっているという。それはロードス島のものではなく、都市国家コリントスの植民地で使われていたと。コリントスの本土でどのような暦が使われていたかは不明だが、ギリシア西北部のイリュリア、エペイロス、コルフ島、そして、もう一つ重要な植民地にアルキメデスの住むシチリア島のシラクサがある。コリントスとエペイロスは紀元前2世紀のローマの侵攻によって壊滅状態になっていたが、シラクサは紀元前212年ローマの将軍マルケッルスに征服された後、紀元前1世紀になってもなおギリシア語を使い、かなり繁栄していたという。重税を課せられるものの友好的に振る舞ったとか。作られたのがシラクサかロードス島か、あるいはその双方かは知らんが、本書はシラクサ説を推している。技術そのものは、イスラム世界で受け継がれ、水や水銀で動く時計について書き残され、アルキメデスの時計と記されるものもあるとか。とはいえ疑問は残る。なぜ2号機、3号機が作られなかったのか?

2. 歯車の起源とアストロラーベ
歯車に関する最古の文献は、紀元前330年頃のアリストテレスの論文だと言われているそうな。噛み合う2つの車が反対方向に回転しながら、互いに押し合う仕組みについて。ただ、歯に関する記述はないらしい。アリストテレスはアレキサンダー大王の家庭教師であり、東方遠征によってバビロニア数学の影響を受けたことが推測できる。
道具として実践した最初のギリシア人は、紀元前3世紀の発明家クテシビオスとアルキメデスだという。クテシビオスは、アレクサンドリア博物館の初代館長とも言われる。彼自身は記述を残していないが、後のローマの建築家ヴィトルヴィウスによると水時計を作ったと記されるそうな。あのネジが無限に回転する仕掛け、アルキメデスのスクリューは有名だ。アルキメデスがクテシビオスの元で仕事をしていたのは、ほぼ間違いないという。ヘロンも、大きさの違う二つの歯車によって仕事量を変換できるアルキメデスの原則について記しているという。彼もまたクテシビオスの弟子だそうな。ヘロンが図解つきで説明するバルールコスは、順番が大きくなっていく歯車を連動させて、小さい力で重い物が持ち上げられる機械だという。ただ、これが実現できるほどの強靭な歯車は、当時作れなかっただろうとする学者も少なくない。ヘロンの機械に、ディオプトラという照準儀もある。
また、古くから「星をとらえる物」という意味の道具「アストロラーベ」がある。一つの円盤がもう一つの円盤の上で回転する仕組みで、地球から見える天空が二次元に表される。アストロラーベに関する最古の文献は6世紀のものだという。実物は9世紀以降のものしか残っていないとか。ただ、2世紀、プトレマイオスがアストロラーベらしき物を作るための数学を記述し、その道具で観測結果を残しているという。一方で、アストロラーベの発明者は紀元前2世紀のヒッパルコスとも言われる。プトレマイオスの著書「アルマゲスト」には、ヒッパルコスの天体観測の結果や理論が数多く引用されるという。

3. 黄道十二宮とメトン周期... デレク・デ・ソーラ・プライスの研究成果
天文時計の誕生は、中国では11世紀頃、ヨーロッパでは13世紀頃と言われる。だが、イギリスの野心的な学者プライスは、時計誕生の定説を覆したという。
アンティキテラの機械の文字盤の縁には二重円で目盛が刻まれる。内側の目盛は12等分され、更に30に刻まれ、合計360。縁には十二の星座が時計回りで並び、黄道十二宮を刻みながら天空を駆ける太陽の年周期を示しているのだとか。外側の目盛は365に刻まれる。一月を30日とし12ヶ月に分かれていて、そこに微調整のごとく5日追加され一年が365日になる構成。古代ギリシア・エジプト暦には閏年がなく一年が365日で一定だそうな。ヘレニズム期に愛用されたという。だが、実際は短めで不便なので、使い手が外側の円盤を回して、4年に一度調整したのだろうと推測している。
さらに、X線撮影によって8層もの未知の歯車が浮かび上がる。歯の並びは不規則だったり、中心点がばらばらだったり。箱の外のハンドルを回すと、冠歯車が回転して他の歯車の動力源になっていることで、これを「動力歯車」と名付けている。動力歯車の表側には黄道十二宮が刻まれ、裏側には月の運行とメトン周期が刻まれているという。太陽の位置から月の位置を算出するのは、すぐに運行時間が同期しなくなるので簡単ではない。月が地球を回る周期は恒星月と呼ばれ、約27.3日。満月から満月までの周期は朔望月と呼ばれ、約29.5日。古代ギリシア人は、19年に一度、月と太陽がまったく同じ位置になることを知っていたという。19年は朔望月で約235ヶ月、この間に月は空を254回めぐる。これが、メトン周期。紀元前433年、メトンはこの現象を理解した最初のギリシア人だが、彼がバビロニア人から知識を得たことはほぼ確実だという。メトン周期で一年は、254/19 恒星月。6つの歯車の歯数は、順に65(64か66の可能性あり)、38、48、24、128、32 あるという。その回転比率を数式で表すと、かなり誤差がある。

  65/38 x 48/24 x 128/32 = 260/19

無理やり1枚目を64、5枚目を127とすると、こうなるけど。

  64/38 x 48/24 x 127/32 = 254/19

月の位相、すなわち満ち欠けの計算は基本的に朔望月と同じで、満月を基準にするか新月を基準にするかの違いはあるにせよ、235 と 254 の差を埋める差動歯車として機能したと推測している。これで太陽と月の運行を同期できるというわけか。

4. プラネタリウムとカリポス周期... マイケル・ライトの研究成果
ロンドンの科学博物館で工学を担当するライトの研究室に、オーストラリアのコンピュータ科学者アラン・ジョージ・ブロムリーが訪れたという。ブロムリーは、コンピュータの祖父と言われるチャールズ・バベッジの生誕二百周年にあたる1991年に1台制作してみようと持ちかける。いわゆる、階差機関と呼ばれるやつだ。そして、アンティキテラの機械で意気投合し、二人の共同研究が始まる。結局、ブロムリーは研究成果を一人で発表したために、ライトと険悪になるのだけど...
さて、X線撮影が最初からやり直され、映像の質もかなり改善され、プライスが見落としていた歯車が発見される。そして、プライスが差動歯車としていたものには入力が一つしかなく、差動ではなく惑星の運行を示すものと考えたという。かつては沢山の歯車があって、1個の土台となる太陽の円盤の上を惑星の歯車が回る、ある種のプラネタリウムというわけだ。内惑星と外惑星は、速度を変えたり、停止したり、蛇行したりと、規則正しい軌道にはならない。そのため、惑星の語源であるギリシア語のプラネテスには、「さすらい人」や「放浪者」という意味があるそうな。そこで、ターンテーブル上で再現する各惑星の運行は、遊星歯車で構成される。
地球中心の宇宙観が全盛の時代、天動説にもいろいろあるが、二つの体系に大別できる。一つは、エウドクソスの同心天球モデルで、アリストテレスの哲学体系に組み込まれる。もう一つは、アポロニウスの周転円モデルで、それを進化させたプトレマイオスの体系がある。時代的には、アポロニウスの周転円と重なる。周転円 = 遊星歯車というわけか。
また、機械の裏側に螺旋の文字盤を発見したという。同心の多重円ではなく一つの螺旋を描いていて、5回まわりきると235になるように目盛が付いている。メトン周期の朔望月だ。この文字盤のすぐ脇についている小さな歯車は、4つに区切られているという。古代ギリシア人は、メトン周期の他にカリポス周期という暦も使っていたそうな。カリポス周期は、4メトン周期(19年 x 4 = 76年)に相当する。となると、エジプトの太陽暦を、何種類もの太陰暦に置き換えることができる機械ということか。
しかし、歯車の歯数を書きだしてみても、遊星歯車が何を計算しようとしたものかが分からない。ターンテーブルには、他の歯車と噛み合わない223の歯がついているという奇妙な点があるという。さらに、二つの歯車の中心がわずかにずれていて、ピンが穴の中を上下して中心に近づいたり離れたりする仕掛けがあるという。この時代に楕円軌道という概念があったのか?ヒッパルコスは、太陽と月の軌道を説明する方程式で、ゆらぎの考えを取り入れていたという。その研究成果では、裏側下部の文字盤が交点月(約27.2日)の4ヶ月を表し、半日単位で218の目盛が刻まれているとしている。交点月とは、地球から見た太陽の軌道と月の軌道が交わった時から、次に同じ交点に戻るまでを1ヶ月と数える暦である。
なるほど、日食を予測するのに便利か。ただ、半日単位で刻まれる意図が分からない。そして、破片やX線写真から歯数を読み取るだけでも大変だというのに、せっかく223と読み取りながら218としたのは、結果的に強引だったことになる。

5. サロス周期とエクセリグモス周期... トニー・フリース率いる最強の布陣
映画製作者フリースは、名だたる研究者、CT撮影、最新のCG技術ともタッグを組んでいたという。カーディフ大学の天文学者マイク・エドマンズに、アテネ国立考古学博物館とテサロニキ大学が祖国の遺産のために協力。カリフォルニアの優秀なCGクリエーターは、ヒューレット・パッカード研究所。X-テク社のCT技術は鮮明なX線画像を見せる。機械の裏側に操作説明らしき長いリストがあることは以前から分かっていたが、その二万語近くあるものから二千語の文字が解読される。
さて、ライトの結論で、半日単位で218の目盛というのはいささか不自然。正確に読み取ると、やはり223だったという。食を予測する時の周期にサロス周期がある。1サロス周期は約18年、すなわち223朔望月。月の通る道(白道)は太陽の通る道(黄道)に対して約5度傾いているため、食は白道が黄道と交差する新月か満月の時に起こる。食の周期は、朔望月(約29.53日)の周期と、交点月(約27.21日)の周期の最小公倍数で一巡する。その周期は、朔望月で223ヶ月、交点月で242ヶ月に相当する。
他にも、サロス周期の利点があるという。月の軌道は楕円で、月の大きさと速度は一定には見えない。近地点(約27.5日)は一周ごとに約3度動き、約9年で地球を一周する。1サロス周期は、239近点月に相当する。ピンが穴を上下する仕掛けは、月の楕円軌道を表しているというわけか。ただ、サロス周期には問題がある。1周期の日数が整数にならず、6585 + 1/3日になってしまう。日食の見える場所が、西へ120度(360度 x 1/3)ずつずれる。そこで、古代ギリシア人は3サロス周期、すなわち54年を1周期とすることを考えたという。これを、ギリシア語で回転を意味するエクセリグモス周期と呼ぶそうな。669朔望月に相当。
ライトの218の歯数を持つ歯車の謎に対して、フリースは歯数を223とし、そのすぐ脇に別の歯車を据えて一気に解決した。孤独に戦うライトはフリース率いる最強の布陣によって負かされたことになり、ライトとフリースはいがみ合う。いくら争ったところで、最大の功労者が古代ギリシア人であることに変わりはないのだけど。古代人の知識を奪い合うことが現代人の姿だとすれば、人類は進化しているのだろうか?

2012-12-23

"マーミン 量子コンピュータ科学の基礎" N. David Mermin 著

量子コンピュータといえば、ハードウェアの実現性の難しさを想像してしまう。だが、本書はハードウェアの書ではない。まず、物理的に実現できることを前提とし、可能となる数々の事実を数学的に明らかにしたソフトウェアの書であることが宣言される。実現性の制約から思考を解放すれば、哲学的に新たな発見があるかもしれないし、古典コンピュータの本質を見直す機会にもなろう。この書には、そうした思惑が隠されているのかもしれない。
マーミンは、2000年から2006年にかけて6回、コーネル大学で量子計算に関する講義を行ったという。本書は、その講義ノートを進化させたものだそうな。とはいえ、物理的構造を想像せずにはいられない。実現不可能なものをいくら理論武装しても、技術屋にしてみればやはり興味を欠く。おまけに、本書には物理的構造を巧みに匂わせているところがある。尚、断っておくが、この記事はハードウェア構造をいい加減に想像しながら書いているので、注意されたし!

読者に求められる前提は、複素数体上の有限次元線形空間(複素ベクトル空間)に精通していることだという。こんな宣言をされると、数学の落ちこぼれには辛いが、あまり心配はいらない。付録には、ベクトル空間の性質とディラックの表記法などが解説される。基本となる演算系は、アダマール変換とユニタリ変換であって、それに cNOT演算子、NOT演算子、スワップ演算子、Z演算子、射影演算子を作用させるぐらいなもの。古典的なビット演算子で言えば、AND、OR、NOT、NAND、XORのような位置づけといったところか。古典コンピュータでは、NANDゲートだけですべての演算を実装できるが、量子コンピュータでは、ユニタリゲートとcNOTゲートがあれば最も単純な量子ゲートが構成できそうだ。
ただ、従来の論理回路では、FF(フリップフロップ)素子が重要な役割を果たす。すなわち、一時的に状態を保持できる仕掛けがなければ、多段演算を形成することができない。というより、FFには初期状態を与えるという重要な役割を同時に持っており、これがなければ回路検証はほぼ不可能である。量子コンピュータにおいて、その役割を担うのが量子レジスタということになろうか。だが、量子ビットが重ね合わせ状態として存在すれば、測定不可能となるから頭が痛い。
また、なんといっても数学的に最も重要な概念は、正規直交系である。これに演算子を合わせて眺めれば、対称性に射影的な幾何学操作でほとんど事足りることが見えてくる。複素空間で言えば、複素共役の性質、すなわちエルミート行列を検討することになる。そして、量子力学の角運動量との絡みをイメージさせてくれる。
さらに、量子の重ね合わせ状態を一気に平面空間に展開される様は、いかに行列式が並列演算と相性がいいかを味あわせてくれる。そして、数式を眺めているうちに、Σ や Π といった演算記号が量子の重ね合わせに見えてくる。
なるほど、線形代数学の参考書としてもなかなかだ。とはいえ、量子コンピュータはやはり手強い!

さて、量子コンピュータとは何か?それは、量子の重ね合わせ状態をとる量子ビットを利用することで、超並列演算を可能にするアイデアとでも言っておこうか。だが、量子の振る舞いは尋常ではない。量子状態に観測系が関与すると、たちまちデコヒーレンスに陥り状態自体を破壊してしまう。おまけに、複製不可能定理がつきまとい、光子の偏光状態を複製することすらできない。量子状態が測定不可能となれば、それを実現する量子ゲートを、どうやって検証できるというのか?測定という概念そのものを考え直す必要がありそうだ。不確定性原理とは、自己矛盾の法則であったか。
だからといって、そんなに悲観することもないのかもしれない。現在、ほとんどの機器が電子制御されるが、その根幹にあるトランジスタが電子の流れを完璧に制御できているわけではない。あるエネルギー準位において統計的に多数決の原理が確実に働けば、ON/OFFスィッチとして作用できるというだけのこと。しかも、半導体の歩留まりは、通常の製造ラインの感覚からすると信じられないほど低い。歩留まり60%なんて当たり前だが、自動車の製造ラインで40%が欠陥車となれば大騒ぎになるだろう。自動車のブレーキシステムが半導体制御となれば、こんなものに命を預けている。おまけに、集積設計の自動化が進めば、技術者はトランジスタが何であるかなど漠然としか知らなくていい。したがって、本書が量子力学の知識において極度にソフトウェアに重点を絞ってくれるのは、理に適っているのかもしれない。
その感覚は、実現性では一歩先を行く量子暗号技術に垣間見ることができる。量子暗号では、光子の直線偏光を利用して符号化される。垂直偏光、水平偏光、あるいは対角に±45度の偏光を量子状態に対応させるといった具合に。4つの偏光状態を識別できるだけでも、量子ビットの多様性、いや多次元性と言った方がいいかもしれないが、はるかに従来のビット構造の情報量を凌ぐ。本書は、最低限の回路構造であっても、強力な暗号システムが構築できることを教えてくれる。実験レベルでも、かなりの成果を上げているらしい。量子暗号が実用化されれば、RSA暗号をはじめ従来の暗号システムはことごとく危険に曝されるだろう。素因数分解が簡単に解けるとなれば、素数の正体までも明らかになるのだろうか?素数分布と深く関わるとされるリーマン予想までも?さらに、真のランダム性の正体までも?そして、計算の概念までも変革されるのかもしれん。量子暗号技術だけが実用化され、量子コンピュータが実用化されないとなると、それは幸か不幸かは知らんが...

1. ディラックの表記法と基本的な思考
本書は、古典的なビットをCビット(Classical)と呼び、量子ビットをQビット(Quantum)と呼んでいる。ちなみに、qubit という用語が幅を利かせているそうだが、著者はこの呼名を嫌っている。
ポール・ディラックは、ベクトルをケット(ket)と呼び、ボックス "| >" で表記した。ベクトル表記するものなら、なんでもボックスに入れられるという。
例えば、|5cm 北西に水平な方向> などと書いてもいいと。
数学のベクトル表記では、記号の頭に矢印を書き、記号の添字が次元的な意味を持つ。物理学では次元的な意味が重要であり、φ7798 と書くよりも、|7798> と書く方が合理的というわけか。数学者の中には、こうした記法をよく思わない人も少なくない。おいらも毛嫌いしてきたが、本書のお陰で抵抗感が薄れた。垂直棒と折れ線で囲むのが、三次元の物理空間をイメージさせるんだとか、んー?そうは見えんが...
また、元の空間ベクトルをケットベクトルと呼び、双対空間のベクトルをブラベクトルと呼んで区別している。<φ|ψ> と表記すれば、左半分がブラベクトルで右半分がケットベクトル。要するに内積を表している。
さて、重ね合わせの状態を持つQビットの最も単純な形は、Cビットの二つの直交関係として列ベクトルで表される。

  |0> = [1; 0], |1> = [0; 1]

尚、octave風に行列を [ ]、行の区切りを ; を用いて表記している。
2次元空間の2つの直交ベクトル |0> と |1> を4次元に拡張すると、

  |00>, |01>, |10>, |11>

ベクトル同士のテンソル積として、より厳密に記述すると、

  |0> ⊗ |0>, |0> ⊗ |1>, |1> ⊗ |0>, |1> ⊗ |1>

基本的な思考は、2-Qビットエンタングル状態(量子のもつれ)に見ることができる。アダマール(Hadamard)を作用してから、cNOTを作用するといった具合に。

  |ψ00> = (1/√2)(|00> + |11>) = C10H1|00>

一般化すると、

  |ψxy> = C10H1|xy>

4つの状態 |xy> は正規直交系で、アダマールとcNOTはユニタリ。4つのエンタングル状態 |ψxy> も正規直交系。これを、ベル基底と呼ぶそうな。量子の重ね合わせ状態には、とりあえずアダマールを施してから考えようといったところか。

2. 測定ゲートとボルンの規則
量子の重ね合わせ状態を測定しようとすれば、状態そのものを破壊してしまう。おまけに、ユニタリ変換などとは違い、測定ゲートの作用を元に戻すことができない。測定の不可逆性に対して観測者ができることと言えば、確率を決定するぐらいであろうか。量子状態から情報を抽出する規則は、マックス・ボルンによって述べられたという。
n-Qビット状態 |Ψ> を 2n 個の基底状態で展開した場合、

   |Ψ>n = Σ αx|x>n , (0 ≦ x < 2n)

この状態において、全Qビットの測定から得られる 0 と 1 の列が x となる確率 p(x) が与えられる。

  p(x) = |αx|2

この式によると、振幅の持つ役割は特定の出力に対して確率を決定することになる。
「量子計算の芸術的な能力は、巧みに構成されるユニタリー変換を通じて、ほとんどの振幅 αx をゼロまたはきわめてゼロに近くすることで、有用な情報をもつどれかの x が測定で表示されるように十分大きな確率をもつような重ね合わせ状態にすることにある。」
確率を 0 か 1 に十分に偏らせる仕掛けこそが、量子コンピュータの実現の鍵というわけか。
ところで、一般的な計算過程では、入力値 x に対して、出力値 f(x) を計算することになる。古典的な計算では、その精度は 2k で規定される。対して、量子コンピュータでは、k個のQビットに対応する計算基底状態で表現されるという。そして、nビットの値 x と、mビットの値 f(x) を扱うために、入出力の双方でレジスタを装備する必要があるという。その理由は、逆変換できるように考慮されている。実は、n + m よりも多くのQビットレジスタを必要とするのだけど。
さて、アダマール変換は、Qビット状態のどちらが標的になるかを交代する効果があるという。そして、初期状態 |0>n にある入力レジスタの全Qビットにアダマール変換を作用させるだけで、関数 f(x) の 2n 個の評価ができるという。このような巨大スケールで瞬時に保存できるのは、量子並列性によって実現されるというわけだが、いきなりそう言われても狐につままれた気分になる。まぁ、物理構造には目をつぶるという前提だから...

3. トフォリゲート
Qビットゲートは、ユニタリ変換のみが、物理的に実現可能な制約であるという。とはいえ、現状では、1-Qビットや2-Qビットでも難しく、3-Qビットともなると、その実現は絶望的なようだ。
可逆演算のできる古典的な論理ゲートの最小構成は、3-Cビットゲートである。要するに、3入出力回路。演算するからには2入力は必要だし、桁上りにも対処したりと、そうした万能性を踏まえて可逆性を考慮すれば、最低限の論理ゲートはそんな構成になるだろう。量子計算で、これに対応する一例として、トフォリゲートというものを紹介してくれる。これは、制御-制御 NOTゲート(ccNOTゲート)とも言われる。なんと、トフォリゲートのQビットへの線形拡張は、2-QビットcNOT ゲートと、1-Qビットのユニタリゲートの組み合わせで構成できるという。

  T|x>|y>|z> = |x>|y>|z ⊕ xy>

4. ショアの周期発見アルゴリズム
周期関数 f(x) = ax (mod N) の周期を高速に計算する方法は、RSA暗号の解読を可能にする。ただし、N = pq で、p, q は十分大きな素数で構成される。この関数は、s が周期の倍数の時のみ、 f(x + s) = f(x) が成り立つという単純な性質がある。ただ、データ群が正弦波や余弦波のような連続関数であれば、周期性を見出すことはそれほど難しくない。実際、フーリエ変換が連続性に対して強力な道具となる。だが、暗号で扱うデータ列は極めてランダム的な離散群であり、ここから周期性を見出そうとすれば、半端なサンプル数では済まない。そして、ランダムに与えられる x に対して、f(x)を計算しながら、再び f(x) に等しくなるまで評価を続けるというようなことを繰り返す羽目になる。しかも、ビット数 n が増えれば指数関数的に演算量が増大する。
ところが、1994年、ピーター・ショアは、量子計算を用いると n3 よりもほんの少しだけ増大する時間で周期が求まることを発見したという。周期を求めるアルゴリズム自体は古くからある。そぅ、フェルマーの小定理から起因する問題として知られるやつだ。
それは、xr を N で割った時、余りが 1 となる最小値 r を求めるという考え方である。

  xr ≡ 1 (mod N), (x < N)

x を適当に決めながら、r が偶数であれば、因数分解できるのは明らか。

  xr - 1 = (xr/2 + 1)(xr/2 - 1)

よって、xr/2 ± 1 と N の最大公約数は、ユークリッド互除法で求まる。ユークリッド互除法自体は単純で、大きい方を小さい方の数で割り、余りでさっきの除数を割るという繰り返し。余りがゼロになった時点で終わる。
しかし、r を高速に求める方法が見つかっていなかった。フーリエ変換ではかなり手間がかかり、FFTでも n ビットに対して、だいたい 2n 回の演算が必要である。ヘタすると、しらみ潰しに余りが 1 になる r を求める方が早い。

さて、ショアのアルゴリズムの核心部分はここから...
両辺に xm を掛けて拡張すると、

  xrxm = xr + m =  ≡ xm (mod N)

これは、x の累乗を N で割った余りにおいて周期性が現われることを示している。除算の余りとは、除数に対する巡回演算でもあるのだから当たり前だけど。
ショアのアルゴリズムとは、多重周期性を確率的に多項式によって一気に計算してしまおうという考え方のようだ。その中核には超高速な量子フーリエ変換が関与する。それは、単純に全Qビットに対してアダマールを作用させるだけ。

  UFT |x>n = (1/2n/2)Σexp(2πixy/2n) |y>n , (0 ≦ y ≦ 2n - 1)

まず驚かされるのは、ユニタリ変換で定義されることである。ちょっと考えれば、驚くほどでもないけど。言うまでもないが、フーリエ変換が三角関数を基底にするのに対して、アダマール変換は矩形波を基底にする。なるほど、位相 exp(πi/2n) を多段シフトするようなゲート回路を考えればよさそうだ。量子計算は、周期性を多重化するような演算には、とびっきり強いということは言えそうか。とはいえ、振幅の確率分布でしかない。まぁ、奇妙な量子の振る舞いを振幅の確率分布で示せるというだけでも感動ものか。しかも、アダマールとユニタリだけで。
また、量子フーリエ変換は、n重アダマール変換と類似しているという。参考までに、n重アダマール変換も記しておく。

  H ⊗ n |x>n = (1/2n/2)Σexp(πix・y/2n) |y>n , (0 ≦ y ≦ 2n - 1)
  ただし、H ⊗ n = H ⊗ ... ⊗ H (n回)

原理的な違いは、n重アダマール変換でビットごとのx・y の内積の部分が、量子フーリエ変換では xy の通常の積になっている。

5. グローバーの探索アルゴリズム
データ検索に思いっきり時間がかかるのは古くからある問題で、ヘタすると比較一致処理を全データに施すことになる。
ところが、量子コンピュータでは (π/4)√n 回程度で、1 に非常に近い確率で検索できるという。ランダム検索よりも因子 1/√N だけ効率よく探索できるというのがミソ。そのアルゴリズムは、ロブ・グローバーによって発見されたという。
さて、n ビット整数 x が、目的の a かどうかを伝える量子探索サブルーチンが利用できると仮定すると、その値は f(x) で与えられる。

  f(x) = 0, (x ≠ a); f(x) = 1, (x = a)

そして、1-Qビット出力レジスタに作用するユニタリ変換 Uf を利用するという。

  Uf(|x>n |y>1) = |x>n |y ⊕ f(x)>1

まず、Uf を適用する前に、1-Qビット出力レジスタにアダマールを作用させておく。

  H|1> = (1/√2)(|0> - |1>)

Uf の作用は、x = a の時だけ、-1 を掛けることになる。

  Uf(|x> ⊗ H|1>) = (-1)f(x) |x> ⊗ H|1>

すると、n-Qビット入力レジスタ上の計算基底状態の作用が、次のユニタリ変換 V の作用と同じ効果を得るという。

  V|x> = (-1)f(x) |x> = { |x> (x ≠ a の時) , -|a> (x = a の時) }

まず動作に入る前に、n-Qビットの初期状態を、起こりうる全状態の一様な重ね合わせとしておく。

  |φ> =  H ⊗ n |0>n = (1/2n/2)Σ|x>n , (0 ≦ x ≦ 2n - 1)

さらに、ユニタリ変換 W を加えて、V と W を次のように与えている。

  V = 1 - 2|a><a|
  W = 2|φ><φ| - 1

尚、|a><a| と |φ><φ| は射影演算子。
ここまでは非常に複雑なプロセスである。ところが、ユニタリ変換 V と W を仮定した途端に思いっきり単純になるから、これまた狐につままれた気分になる。初期状態 |φ> にある入力レジスタに、積 WV を何度も適用させるだけという仕掛けに変貌するのだから。V と W は一見関係ないようにも見えるが、|a> と |φ> がほとんど直交していることがミソのようだ。そのなす角度をγとすると、

  cos γ = <a|φ> = 2-n/2 = 1/√N

さらに、|φ> と θ = 2π - γ をなすような、|φ> と |a> の実線形結合による規格化されたベクトル |a⊥> を用いると便利だという。

  sin θ = cos γ = 2-n/2 = 1/√N

そして、√N が大きい時、θはほとんど正確に次のように与えられるという。

  θ ≈ 2-n/2

平面上で角運動を繰り返せば無限になる。そこで、最終的には、

  (π/4)2n/2

に近い回数を適用すればいいとしている。積 WV を適用する回数で、θの整数倍になるという仕掛け。グローバーのアルゴリズムとは、角運動的な作用のループで構成できるというわけか。

6. 量子誤り訂正
本書で紹介される単純化した例はイメージしやすい。1-Qビット状態に対して、3-Qビット符号を適用している。


この図は、単一ビットのフリップエラーが生じると仮定した場合の量子誤り訂正回路の一例を示している。
まず、α|0> + β|1> を α|000> + β|111> へ拡張する。破損していない状態は、|000> と |111> だけ。Qビット状態は、ボルンの規則により |α|2 の確率で、|000> に、|β|2 の確率で |111> になる。さらに、巧妙な手段として、初期状態 |0> にある二つの補助Qビット |x> と |y> を付加する。図のMは測定ゲートを示している。つまり、補助Qビット経由で間接的に測定すれば、出力 α|000> + β|111> に影響を与えないという仕掛けだ。|x> と |y> で構成される4つの状態で、符号語のどのビットがフリップされたかに対応させている。
Qビット同士の相互関係のみを抽出することで、重ね合わせは維持されるということだが、補助Qビットだって測定した瞬間に破壊されるのではないか?どう転んでも測定が関与する限り、自己矛盾に陥るのではないか?確率的に定められる何らかの方策があるのか?Qビット状態とCビット状態を変換するような仕掛けがあれば、ありがたいのだか。あるいは、光子の直線偏光の位相差で、ほぼ確実に定められる方法があるのか?そのあたりを量子暗号の説明で匂わせてくれる。

7. 量子暗号
どんなに強力な暗号システムを構築しても、理論的には解読の危険性が常につきまとう。ランダム列を用いるバーナム暗号は、完全に解読不能とされる。使い捨て暗号方式(One-time Pad)とも呼ばれるやつだ。それでも、遠隔地へ暗号鍵の配送が必要で、暗号通信において重要なのは、いかに鍵を秘密裏に送れるかにかかっている。
では、通信経路が量子システムで構築されていたらどうだろうか?盗聴するということは測定することなので、必然的にデコヒーレンスに陥り、データは破壊される。となれば、受信者は伝送路で介在している奴がいることに気づくかもしれない。
こっそり測定装置を設置したところで意味がないとなれば、堂々と伝送路をジャックしてしまえばどうだろうか?盗聴者は伝送路に細工することができても、受信者の装置を遠隔操作したり、送信者になりすましたりするのは難しい。送受信者の間では、通信プロトコルによってソフトウェア的に経路が確立されるはずで、テレビ放送のように一方的な受信とはならないだろう。
さて、量子暗号は最も実用化に近いテクノロジーだそうな。それは、Qビット1個ずつで機能し、1-Qビットゲートだけで済むからだという。少なくとも最も簡単なプロトコルでは、cNOTゲートなど必要としないらしい。物理系は非常に単純で、単一光子による直線偏光で、Qビットの状態を担う。1984年 BB84 として知られるアイデアはチャーチル・ベネットとジル・ブラサールによって発明された。
ここでは、暗号鍵の受け渡しに絞って記述してみる。
|0> および |1> を垂直偏光と水平偏光に対応させ、これをタイプ1としよう。
状態 H|0> = (1/√2)(|0> + |1>) と H|1> = (1/√2)(|0> - |1>) を±45度の対角に偏光させ、これをタイプHとしよう。
受信者は、Qビットを受け取ると、アダマールを作用させるかどうかをランダムに決める。受信が終了した時点で、送信者は Qビットがタイプ1かタイプHかを伝える。
だが、タイプ1が |0> と |1> で、タイプHが、H|0> と H|1> だということはまだ伝えない。送信側で、タイプ1とタイプHがランダムに切り替えられるならば、受信側で当てすっぽに選んでも、ほぼ半分の確率で情報は読めるだろう。
次に、受信者は、どのQビットから等しいランダムビットを共有できるのかを送信者に問い合わせる。そして、受信者と送信者でタイプが異なる約半分のデータを捨てる。共有した等しいランダム列から使い捨て鍵を作るわけだ。
確かに、Qビットが保存できるならば、理に適っていそうだ。しかしながら、光子の偏光状態を保持することは無理だと、散々聞かされてきた。位相が90度もずれれば確率的になんとか識別できるということか?いや、わざと二つのタイプに分けることにミソがあるのか。

2012-12-16

"自己組織化と進化の論理" Stuart Kauffman 著

ダーウィン以来ほぼ1世紀、生物の進化は自然淘汰と突然変異の二つの骨格で組み立てられてきた。だが、約5億年前のカンブリア紀に見られる生物種の爆発的出現は、これらの法則だけでは説明できそうにない。今日の生命の秩序を構築するには、あまりにも薄い偶然性に頼らなければならないからだ。そこで、ジョンジョー・マクファデン著「量子進化」では、量子力学の重ね合わせの原理を持ちだして多宇宙論で補完しようとした。その突飛的な洞察力に、頭は既に Kernel Panic!
対してスチュアート・カウフマンは、量子力学に頼らなくても、数学の最適化の原理で説明がつくという。その数学モデルは極めて単純で、ブール代数で構成されるネットワーク。それは「NKモデル」と呼ばれる。大雑把に言えば、システムの構成要素が手に負えないほど複雑な場合においても、入力状態と出力状態に制限を与えるような最適化が生じれば、適当に変化可能な柔軟性と崩壊に陥らない程度の恒常性を兼ね備えた自発的なシステムへ向かう性質があるというのである。尚、入力状態と出力状態を関連付けるブール関数はランダムに生成される。
では、最適化のための外部入力は誰が与えるのか?そこは偶然性でも構わないようだ。「カオスの縁」と呼ばれる秩序とカオスの狭間で、ほんのわずか秩序側に振れれば、たちまち法則性に向かうという。カウフマンは、生命組織が秩序を獲得する過程で、「自己組織化」という補助的機構があるのではないかと提案する。そして、集団的な自発性の法則を「創発理論」と名付け、遺伝分子の巨大ネットーワークが個体発生に必要な秩序をもたらしたと主張する。おそらく、自発的複製に対して触媒能力を持つ化学物質の系こそが、生物の核心にあるのだろう。
しかし、だ。自己触媒系がそんなに単純な数学モデルで説明がつくならば、実験室でゼロから生命が作れてもよさそうなもの。近代科学が酵素なしで自己複製できる分子が作れないのはなぜか?あえて倫理的に拒んでいるのか?それとも、カンブリア紀のような億年単位の時間スケールが必要なのか?もし、人間がまったくの新種をこしらえることができれば、しかも、その細胞が人間組織を成す細胞よりも優れていたら、人類は人工物によって滅ぼされるのかもしれん。これが自然淘汰というものか。
ここに提示される法則はにわかに信じがたい。だが、生物学の入門書としてはなかなか。また一歩、ダーウィンに近づけそうな気がする。

確かに、カオス理論にはアトラクターという現象がある。ランダム状態にあるはずのシステムが、時間の経過とともに周期性やいくつかの安定状態に落ち込み、ある種の不動点に収束することがある。宇宙空間で言えば、ブラックホールに吸い込まれるような。ブール代数で設計される電子回路やプログラムにおいても、想定外の入力信号によって抜けられない状態に陥ることがある。ギガスケールのゲート素子で構成すれば、ほとんど無限に近い多段トランジスタ回路を形成するため、想定外の外部要因に対して、とんでもないエネルギーが蓄積され暴発することもある。よって、設計者は、主論理の間違えよりも例外処理による思いがけない振る舞いの方が、はるかに怖いことを知っている。
また、社会学や経済学においても、人間社会の集団性はべき乗則に従うと言われる。小集団による些細な動機づけから始まったものでも、数量的にある閾値を超えた途端に、バタフライ効果のごとく巨大エネルギーの波となって民衆運動を引き起こすことがある。こうした方向性には、集団の意思のようなものを感じる。
しかし、個人には意思があり、人工物には人間の思惑が仕込まれるが、原子レベルではどうだろうか?意思のない集団であっても、方向性なるものが見出せるのだろうか?そもそも、原子はなぜ分子構造をとろうとするのだろうか?原子核と電子軌道は、引力と斥力の安定エネルギーで維持される。だが、それ以上のエネルギーが周辺に余っていれば、それに反応せずにはいられない。その反応は閾値超えという極めて離散的であり、原子と原子が電子軌道を共有しながら強力な分子構造を形成していく。さらに、異物同士の分子が集まって、物質代謝でエネルギーを燃焼しながら細胞なんてものに成長していく。エントロピーの法則に従うならば、ある程度結合できたとしても、次には分離し、そのサイクルを繰り返すであろう。結合と分離だけに支配された世界、ここにどんな方向性があるというのか?なぜ、分子は自己形状を維持しようとするのか?なぜ、生命は不可逆性のリスクを冒してまで進化しようとするのか?
非平衡状態における細胞は、体積が増えると自発的に分裂する傾向があるという。細胞分裂は自己複製のために必要不可欠。だが興味深いのは、精子と卵子が作られる過程で生じる減数分裂の方である。父方と母方の細胞のどちらかが選択されるという仕組みは、より優れた細胞を選ぶことを可能にし、進化の可能性を与える。同時に組み換えミスのリスクを背負い、天才や障害を生む可能性も生じる。どうやら物質というやつは、単独でいるのを嫌う性質があるらしい。それは自己にエネルギーを持つからであろうか?エネルギーのあるものは、互いに影響し合わないと気が済まないものらしい。結合するからには相手が必要だし、分離するからにはこれまた相手が必要だ。なるほど、原子の集合体である人間どもが、群れたがるのも道理というものか。物質はみな、さみしがり屋よ!ちなみに、結婚エネルギーよりも離婚エネルギーの方がはるかに大きいと聞く。ここにエネルギー保存則が成り立たないのは、至る所に暗黒物質なるものが潜んでいるからに違いない。その時、暗黒エネルギーは慰謝料という形で精算されるらしい。結合には、常にリスクをともなう。精神が知識や認識と結合するのにも、学問や学習というエネルギーを放出する。いつも退屈しないほどの刺激で向上することを望み、同時にこれ以上酷くならないほどの生活の安定を求める。この範疇でならエネルギーのやりとりを惜しまない。一旦、自己触媒と自己複製の技を習得しちまえば、それを頑なに守ることに執心する。
おそらく、結合と分離から自己組織を維持するための必要最小限の複雑さや規模というものがあるのだろう。その結合エネルギーは、地球の重力に対して算出できそうか。エドガー・アラン・ポーは、著書「ユリイカ」で、物体の本質を引力と斥力の二つの要素だけで情熱的に語った。実は、分子レベルの結合と分離という単純な反応こそが、自己存在という意識の源泉なのかもしれない。

1. 非平衡状態と創発理論
一般的に物理学が扱うのは、平衡状態である。物体は、重力作用によって高い所から低い所へ運動する性質があり、やがて位置エネルギーの最小点で停止する。ウィルスが形成される過程にも、似たような現象が見られる。水に富んだ適当な環境下では、DNAやRNAの分子と構成要素のタンパク質が、最もエネルギーの低い状態を探して集まることによってウィルス粒子が作られるという。一旦、低エネルギー状態に落ち着けば、外部からのエネルギーが関与しない限り安定状態を維持する。つまり、この平衡状態は閉じた系ということができ、ある種の秩序が保たれる。しかし、外部からエネルギーが供給されると、たちまち平衡状態が崩れる。生命を形成する細胞はそのような状態にある。
では、非平衡状態における秩序は、どのようにして形成されるのか?それは、物質とエネルギーが継続的に散逸することによって維持されるという。木星の大赤斑のように、巨大な暴風システムが維持される仕組みと同じであると。人体で言えば、食べて排泄することを死ぬまで繰り返すといったことか。開いた系において秩序を保つには、外部要因の継続性が欠かせないというわけか。面白いことに、細胞の中には物質代謝しない非活動状態のものもあるという。だが、ほとんどの細胞にとって平衡状態は死を意味する。
本書は、化学物質の混合物が十分に複雑化すれば、自発的に結晶化して、自身を合成する化学反応のネットワークを形成し、集団的に触媒できる可能性があるという。分子の多様性が増加しながら複雑さがある閾値を超えた時に生命現象が創発すると。これが、創発理論というものらしい。
例えば、コンピュータは数学的計算アルゴリズムに支配され、その基本論理は平衡状態から生じる。だが、ネットワークノードが無数となった途端に単純な通信システムは、非平衡状態へと生産性をアップさせる。十分に複雑化した集団では、自己触媒系を形成し、自分たち自身を維持し複製する能力を持つようになり、まさにこれが、生物の物質代謝と呼ぶものに他ならないという。

2. 生命の最小限とプロイロモナ
自由生活を営む生物のうち、最も単純なものは「プロイロモナ」と呼ばれるものだという。非常に単純な細胞だが、細胞膜、遺伝子、RNA、タンパク質、そしてタンパク質構成機構など標準的な要素をすべて持つらしい。プロイロモナの遺伝子の数は、およそ数百から千と見積もられている。ちなみに、大腸菌は三千と見積もられているそうな。プロイロモナよりもはるかに単純なウィルスは、実は自由生活を営んでいないという。ウィルスはあくまでも寄生者であって、宿主の細胞を侵略し、細胞の物質代謝を利用した上で細胞から抜け出し、さらに他の細胞を侵略する。自由生活を営む細胞は、少なくともプロイロモナに具わる分子の最小限の多様性を持つという。これを生命というのかは知らんが、生命を形成する下限というものがありそうだ。

3. NKモデル
本書は、著者のグループの30年間の研究成果を披露してくれる。NKモデルなんて大層なネーミングだが、K個の入力信号とN個の電球をブール代数で接続するというオモチャじみた回路モデル。要するに、ランダムな論理式で構成される巨大ネットワークが、深遠なカオスを説明しうるというのだ。生命構造が分子の結合と分解という単純な化学反応で形成されるなら、単純なモデルで説明できても不思議はないのかもしれない。
Kの値は、1 で状態が凍結するだけ、2 で周期的な現象が生じ、4 か 5 でもカオス的な振る舞いをするという。ここまでは面白いところは何もない。だが、K = 2, N = 100,000 とすると、かなり滅茶苦茶な配線が予測されるが、しばらくすると状態が落ち着き、√100,000 ≒ 317 個の状態を循環するという。ここではヒトゲノムは約10万個のタンパク質を暗号化していると言っているが、現在では2万とも3万とも言われる。N = 100,000 という値はそれなりに説明がつきそうだが、K = 2 は小さい値でそれほど説得力があるようには思えない。
そこで、さらに出力状態、すなわち電球が点灯するパターンの偏りを示すパラメータ P を導入する。Pは電球が点灯する数の割合を示し、0.5 近辺であれば点灯する電球に偏りが少なくカオス的となり、1.0 に近づけば偏りが大きく規則的となる。シャノン流に言えば、情報量を表している。Kの値が大きくても、Pの調整で周期性が得られるという仕組みだ。
では、出力状態の偏りはどうやって生じるのか?臨界的なPの値が、カオスの縁にあるにはどうすればいいのか?NKモデルでは、秩序が様々な形で顔を出すそうな。近くの状態同士は状態空間の中で互いに近づき合い、類似した初期パターンは同じ引き込み領域の中にいる可能性が高いという。複雑度が増すと、系はいくつかのアトラクターに落ち込む確率が高くなるということらしい。それは、宇宙の複雑度が増すと、ブラックホールの数が増えて、そこに吸い込まれる確率が高くなるようなものか?宇宙法則では、カオスがますます複雑度を増し、ある閾値を超えると、ランダム性から解放されるというのか?宇宙のクラスタ化を説明しているようにも感じる。
また、K = N においては、極端なバタフライ効果を得るという。そして、状態数が平方根に落ち着くものらしい。とはいえ、100アミノ酸しかないような比較的小さいタンパク質でも、20種類のアミノ酸に対して20100となる。K = 20 だとしても、Pの調整だけではかなりの時間を要するだろう。結局、時間スケールに頼るのは変わらないような気がする。それでも、億年スケールなら説明がつくのだろうか?

4. 驚異的な遺伝回路
個体発生、すなわち卵から成体への成長は、一つの細胞である接合子(受精卵)から始まる。接合子は、およそ50回の細胞分裂を繰り返し、250 ≒ 1000兆個の細胞を作るという。さらに、接合子では細胞の型は一つだったのに、成体になると約256種の細胞の型へと分化するという。肝臓の腺細胞、神経細胞、赤血球、筋細胞などである。成長を制御する遺伝的な指令は、細胞核にあるDNAに書かれる。すべての型の細胞で遺伝子の組はほぼ完全に同じ。各々の細胞が異なるのは、活性化される遺伝子の組が異なり、様々な酵素やその他のタンパク質が作られるためである。遺伝子、RNA、タンパク質による複雑なネットワークは、互いにスイッチを入れたり切ったりして活性化部分を変えながら個体を発生させる。ブール代数で言えば排他論理で形成される仕組み。赤血球にはヘモグロビンのコードが現れ、免疫系には抗体分子のコードが現れ、骨筋細胞には筋繊維を形成するアクチンとミオシン分子のコードが現れ、神経細胞には細胞膜内に特定のイオン伝導チャンネルを形成するタンパク質のコードが現れ、消化管の細胞には塩酸の合成と分泌を導く酵素のコードが現れ...といった具合に。まるでプログラマブルデバイスの回路モデル!一つの論理セルが多数集積され、セル内では必要に応じて配線をつないだり切ったりしてカスタマイズし、全体回路を構成するのに似ている。あるいは、オブジェクト指向プログラムで、活性化する部分だけをインスタンスとして生成するのにも似ている。
しかし驚くべきは、すべての細胞が接合子の持つ完全な遺伝情報を持つだけでなく、多少の修正の余地を持つことだ。例えば、免疫系の細胞では染色体を再配列し、侵入者を退治するための抗体を作るために、わずかに修正を受ける。そこには、自己複製だけでなく、自己組織化の仕組みがある。
では、遺伝子を活性化するスィッチを、誰が制御しているのか?タンパク質の合成には、それを暗号化した遺伝情報をDNAからRNAに転写される。そして、遺伝暗号に対応したmRNA(メッセンジャーRNA)が、タンパク質に翻訳される。大腸菌とラクトース(乳糖)の反応実験では、遺伝子のスィッチはmRNAに転写する段階で行われることが観測されたという。ラクトースを分解する酵素βガラクトシダーゼは、大腸菌の細胞に十分な濃度がない。ところが、ラクトースを加えて数分後に、大腸菌はβガラクトシダーゼを合成しはじめ、細胞の成長と分裂のためにラクトースを使いはじめるという。DNAの中にタンパク質が結合する短いヌクレオチド鎖というのがあって、オペレーター・タンパク質(作動遺伝子)と呼ばれる。オペレーターに結びつくタンパク質は、リプレッサー・タンパク質(抑圧子)と呼ばれる。フランソワ・ジャコブとジャック・モノーは、リプレッサーがオペレーターに結合していれば、βガラクトシダーゼの遺伝子の転写が抑制されることを発見したという。リプレッサーは、遺伝子転写の抑制フラグのような役割をするのか。
さらに、ここからが魔術... ラクトースが大腸菌の細胞に入ると、リプレッサーと結合するという。厳密には、ラクトース分子とではなく、アロラクトースと呼ばれるラクトースの物質代謝による誘導体と結合するそうな。リプレッサーは形を変えるために、もはやオペレーターとは結合できない。これで、オペレーターが自由になり、隣接するβガラクトシダーゼの遺伝子の転写が始まり、すぐにβガラクトシダーゼ酵素が生成されるという。なるほど、ラクトースが大腸菌の遺伝特性を変質させるわけか。そうなると、たまたま生成に対する抑制機能を阻止する細胞が入り込むと、遺伝情報を変質させる可能性がある。これを遺伝の自由度としている。

5. 遺伝回路のNKモデルへの適応
ジャコブ - モノー型の遺伝回路におけるフラグ制御は、電球回路のオンオフ制御と同じイメージで構成される。リプレッサー・タンパク質をオペレーターへの分子調節入力とし、オペレーターをβガラクトシダーゼ遺伝子の活性化のために調節入力とし、オペレーターはリプレッサーとアロラクトースの両方によって制御される。アロラクトースがリプレッサーに結合してリプレッサーをオペレーターから切り離さない限り、リプレッサーとオペレーターは結合したまま。よって、オペレーターはブール関数の not if で制御される。βガラクトシダーゼを生成する遺伝子は、アロラクトースが存在しなければ不活性のまま...といった具合に。
そして、このモデルから大規模な秩序が発見されたという。ネットワークのあらゆる状態は、状態循環アトラクターに引き寄せられるというのだ。アトラクターの数、安定する場所が多いほど複雑な生物ということか。そうなると、チューリングマシンでも生命になりうるということか?ちなみに、チューリングマシンには停止問題という本質的な問題を抱えている。対角線論法で自己停止できるマシンは存在しないことが証明されたが、ある種の不完全性定理と解することもできよう。停止問題は、細胞が物質代謝を自己停止すると、平衡状態になり死を招くことを意味しているのかもしれない、というのは解釈しすぎか?
さて、生命誕生の問題が複雑さと時間スケールにあるとすれば、分子の多様性を爆発させるような超臨界スープが作れるだろうか?量子力学と化学の法則によって引き起こされる化学反応は、どの時点で臨界点を超えるのだろうか?それを統計的に見積もることは可能であろうか?それは、多くの種類の有機分子と抗体分子を混ぜたスープを作ることになる。触媒抗体のことをアブサイムと呼ぶそうだが、アブサイムのデータによると、ランダムに選んだ抗体分子がランダムに選んだ反応を促進する確率は、ほぼ100万分の1 だという。
そこで、有機分子の多様性と抗体分子の多様性の関係における臨界曲線を示してくれる。例えば、1万種の有機分子と100万種の抗体分子があるとすると、1対1で反応するとすれば、反応数は 1万 x 1万 となる。これに触媒となりうる抗体100万種を掛け、反応を促進する確率を10億分の1 とすると、臨界点の期待値は、10万になるという。有機分子の種類数を1000と少なく見積もっても、有機分子の種類の数を増やせば臨界点を超えるのはそれほど難しくないようだ。この臨界点の仮説が正しければ、生態系は手に負えない大爆発ではなく、分子の多様性が制御された形で増殖されることになる。つまり、ランダム的な爆発ではなく、秩序を保ったままの増殖ということらしい。へー...