もしものコーナー...
もしも、アル中ハイマーな歴史学者がいたら...だめだこりゃ!
人類の歴史とは、「人間」という身分をめぐっての抽象化の歴史である。だが、どんなに抽象レベルが上がろうとも、人間は解釈することができても、永遠に理解することはできないであろう。
1. 歴史の法則
二千年以上前に比べれば、随分と抽象レベルも上がったのだろう。だが、人間の価値観はあまり進歩していないように映る。だから、未だにプラトン時代の哲学が通用するのだろう。トゥキュディデスの叙述を読めば、二千年以上も前の政治家たちの演説を通して、論理的思考や哲学的思考に優れていた様子がうかがえる。こういうのを見せつけられると、人類の歴史はむしろ退化してはいないか?と思わされるほどだ。
「歴史は繰り返す」とは、よく聞かされる。だが、歴史が繰り返されることはありえない。歴史を学んだからといって成功するとは限らない。だが、歴史を学ばなければ同じ失敗を繰り返す。これが、「歴史の法則」というものである。人口が増加し、社会構造が複雑系へと向かう中で、個人の生活様式や価値観も多様化し、もはや同じ現象を再現することは不可能と言っていい。したがって、歴史の評価を簡単に結論づけることはできない。にもかかわらず、安易に結論づける政治家や評論家は多い。おまけに、自らの政治行動を英雄伝説と結びつけながら自慢するという滑稽な姿まで曝け出す。政治家たちは、たまたま景気が回復すると自らの政治判断を絶賛して手柄話を捲くし立てるが、景気が悪化すると前代の政策を思いっきり批難する。いつもふんぞり返りながら、いざ選挙となると土下座までする輩だから、節操がないのも仕方があるまい。いずれにせよ、日本の政治家の判断だけで容易に方向性が示せるほど、人間社会は簡単な構造ではない。
あらゆる歴史事象は、多くの条件が絡み合う中で、いわば偶然的に発生する。人間社会は極めて神秘的な世界であって、単純な法則では説明できないほどの複雑系宇宙にある。だから、その瞬間を大切に生きたいものである。あらゆる成功例は、実に多くの成功要因によって構成される。よって、すべての要因を解明することは困難であり、ここに成功例から学ぶことの難しさがある。
一方、失敗例は、多くの要因の中の一つでも満たさなければ失敗するので、その要因も顕になりやすい。よって、失敗例から学ぶものの方が多いはずである。となれば、聖人から学ぶよりも、愚人を反面教師とする方が学びやすいのかもしれない。成功者の判断力は天性のセンスがあって、真似してもうまくいかない。判断力は自ら磨くしかあるまい。
「軍学とは、好機を計算し、次に偶然を数学的に考慮することにある。しかし、こうした科学と精神の働きを一緒に持っているのは天才だけである。創造のあるところには、常に科学と精神の働きが必要である。偶然を評価できる人物が優れた指揮官である。」
...「ナポレオン言行録」より...
2. 真実と真理
歴史の考察では、主観をいかに排除するかを問題にすることが多い。だが、この考えに少々疑問がある。人間の思考は、主観性が強い分、客観性に固執するぐらいで均衡がとれるのかもしれないが。
そもそも、客観的に語ると宣言して、そうだったためしがない。真の客観性を求めるならば、数学の公理のような表現しかできないはず。一般的に語られる客観性とは、業界の慣習や主観の多数決に従っているに過ぎない。それに、完全に主観を排除すれば、歴史学者の思考を放棄したことになりはしないか?単なる現象の羅列からは、せいぜい最寄の事象の関連付けぐらいしかできないのだから。歴史事象の原因性は、深い思考の試みがなければ解釈できない。一方、客観性に支配されると言われる科学の分野では、科学者が完全に主観を排除して思考しているわけではない。科学の進歩は天才たちの直観に頼ってきたところが大きい。直観は極めて主観に近い領域にある。したがって、主観と客観の按配こそ、歴史学者の腕の見せ所と言えよう。
歴史事象は社会現象の一つであって、その本質を解明することは難しい。現象は、偶然性に左右され、そこにはノイズが紛れ込む。ノイズを拾って結論付ければ誤謬が生じる。おまけに、時代に生きる権力者たちの都合で、その解釈も政治的に改竄されてきた。また、歴史事象の善悪にも複雑な事情がある。人間精神の表象は単なる認識現象であって、善悪は個人の感情に支配される。古来、善悪の規準は多数決によって運営されてきた。そして、善悪の規準は時代とともに変化してきた。つまり、絶対的な善悪の規準は不明のままだ。人間精神は、それが真であるという理由だけで、いかなる感情も抑制できるものではない。感情を抑制できるものは、個人の持つ理念や理性のみである。そこで、歴史には、現実的な手段としての先人たちの経験が蓄えられる。したがって、あらゆる学問は、歴史を無視しては成り立たないはず。もし、経験によって人類が成長するならば、時代によって歴史解釈が変化するのも道理というものである。
真実は一つ!、真理は一つ!とはよく聞く台詞である。しかし、それは本当だろうか?人類は、いまだ絶対的な認識能力を獲得できないでいる。いまだ絶対的な価値観に到達できないでいる。真実や真理が存在するとしても、相対的な認識から、絶対的な価値観とも言えるものに迫ることなどできるのか?真実や真理が認識できなければ、人間にとって意味がないのではないのか?ならば、様々な方法で歴史解釈がなされるのも仕方があるまい。にもかかわらず、教育者たちは歴史認識を強制しやがる。誰よりも認識能力が高いと自慢するかのように。そもそも、そこに、真実なんてものは、真理なんてものは、存在しないのかもしれない。
3. 批判的な態度の有効性
クラウゼヴィッツは、その著書「戦争論」の中で、批判的考察の有効性を説いている。単なる事象の指摘よりは、批判的な立場をとることで、もう一歩踏み込んだ思考に達するということであろう。確かに、批判的叙述には知的活動が現れる。ここで言う批判には、賞讃と批難の両面を含みたい。批判的考察では、実際に採用された手段ばかりか、採用されなかった手段も検討することになる。反対するだけでは思考停止状態となるが、代替案を提示することを前提としたい。
歴史事象は事実であるが、それが単なる現象なのか原因性を内包しているのかを判別することは難しい。例えば、ローマ帝国の衰亡をどこに求めるかは見解の分かれるところであろう。歴史教育では、異民族の侵入、特にゲルマン民族の移動が原因であると教える。しかし、タキトゥスの批判的叙述を読めば、既に元老院が機能しなくなり、ローマ帝国の腐敗が共和制の崩壊とともに、既に毒されていたことが想像できる。つまり、異民族の侵入は現象であって、その根底の原因はローマ帝国の内政問題と捉えることもできるわけだ。
はたまた、真珠湾攻撃に目を向けると、文化人類学者ルース・ベネディクトの分析はおもしろい。日本人が日露戦争で見せた態度には、ロシア軍人と互いに勇敢さを称える武士道精神があるが、太平洋戦争では、鬼畜米英という強烈な反米思想によって奇襲攻撃という卑劣な行為に至ったと。これは「汚名をそそぐ」ためならばなんでもありという日本式倫理観からくるもので、忠臣蔵と重ねながら、ポーツマス条約と海軍軍縮条約に果たしたアメリカの役割に対する恨みと分析している。しかし、民主国家では戦争を仕掛ける時は繊細な神経を使う。名目がない、正義がない戦争は世論が許さない。となれば、先に叩かせるのが手っ取り早い。なるほど、立場が違えば、様々な解釈ができるというわけか。
いずれにせよ、歴史解釈は難しいわけだが、一般的な解釈に対して、自らの解釈を持つように心掛けたい。とはいっても、酔っ払った天の邪鬼は、捻くれた解釈しかできないわけだが。
4. 天皇と系譜
時々、天皇の系譜で政治家たちが論争するのを見かけるが、これがよく分からん!どうせ、ひいきにしている専門家の入れ知恵、あるいは支持母体の圧力的解釈であろうが。
遡ること南北朝時代。建武の新政で失敗した後醍醐天皇を吉野へ追いやり、足利家は光明天皇を即位させた。これで皇位継承争いは、吉野の南朝と京都の北朝で分裂する。この時、北朝方が示した「三種の神器」は偽物だっとかいう噂もある。
ところで、よく分からんのが明治天皇の即位をめぐる議論である。明治時代、南北朝正閏論を収拾するために、系譜から南北朝時代の北朝方の天皇を外し、南朝方の天皇を認めた。南朝を復権させたということは、南朝こそ正統な継承者ということになりそうだ。だが、明治天皇は北朝の末裔だったという論調もある。建前は南朝なのか?南朝方が正統となれば、北朝方を即位させた足利氏は逆賊ということになる。こうした議論も、水戸藩が示した「大日本史」の影響があるようだ。徳川家からすると、足利家を逆賊扱いする方が、都合が良いのかもしれない。民衆が徳川幕府への不満を洩らす時に、足利家を代役にして皮肉るといった世評も現れるわけだ。そういう家康は、官職を得るために、藤原氏を名乗ったり、源氏を名乗ったりと忙しいことよ。征夷大将軍の地位を得るには源氏を名乗らなければならないわけだが、どっちが源氏の嫡流なのやら。主流派も反主流派も時勢によって、どうにでも解釈できるというわけか。秀吉が関白職を得るために藤原氏を名乗るなど、権力者の系譜はなんでもありか。なるほど、系譜を人類の発祥まで遡れば、どのように名乗ろうが大して不都合はないという証左である。
将軍家と天皇家の系譜を同列に扱うことはできないだろうが、実権を握る当人にせよ、それを利用する者にせよ、権力者の系譜というものは、政治利用されてきた歴史があるから当てにはできない。
2009-12-20
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