この手の本はだいたい立ち読みで済ますのだが、そうだろう!そうだろう!と相槌を打ちながら買ってしまった。なにしろ、むかーしの愚痴を代弁してくれるのだから...
生命保険と縁を切ったのは15年ぐらい前であろうか。初めて生命保険に加入したのは、1980年代の新入社員の頃、バブル時代の前である。生保レディたちが、昼休みに職場に居座り、飴玉やお菓子をばらまいて回る勧誘手法は今もあまり変わらない。当時は、誰もが生命保険ぐらい加入するものだ!という風潮があった。まだ高度成長時代の余韻が残り、給料も右肩上がりで将来設計のしやすい時代である。どこの生命保険会社を選んでも大した違いはないので、営業員の人柄で商品を選ぶのもそれなりに合理性はあった。だが、営業員の入れ替わりが激しい業界である。そのくせ「私どもに将来設計をお任せください!」などと自信満々に語るのが不思議でならなかった。所属会社とのつながりで某大手保険会社と契約したが、真っ先に経営破綻になろうとは...とっとと解約しといて良かったと胸を撫で下ろしたものだ。
当時、月々1万円ほどで「積み立て」付きの終身型保険に加入した。利回りが保障され、貯蓄できない人間にはうってつけの商品である。これを定年まで眠らせるつもりでいた。
ところが、だ!5年ぐらい経つと、「今ならガン保険が月々500円で追加できてお得です!」なんて言われたもんだから手続きしてみると、なんと!一旦解約させられて、新規契約の扱いになっているではないか。保障された利回りはチャラにされた。保険会社も生き残るために、契約条件を社会状況に追従させるのも分かる。だから、利回り保障を優先させたのに。以来、生命保険会社は信用できないという結論に達した。本書のカラクリを読めば、当時の判断が間違いではなかったことに気づかされる。愉快々々!
ちょっと前までは、「生命保険にも入ってないの?」と馬鹿にされることもあったが、さすがに今時そんなことを言う奴は滅多に見かけない。いまや保険業界の評判は「不払い問題」で地に落ちた。どっちが馬鹿にされるか、時代も変われば変わるものである。ここ数年、ボランティアで介護にかかわるようになってから、ますます生命保険会社への疑いが増した。
一日の通院費や入院費といった高々5千円ほどの給付金のために、高い保険料を払い続けるぐらいなら、自分で貯めた方が効率がいい。ガン保険などの特約なんて「高額療養費制度」の存在を知れば、わざわざ医療保険を民間会社に頼る必要のないことに気づくだろう。本書は、国の医療制度がそこそこ充実していることと、それが一般的に認知されていない状況があることを教えてくれる。ただし、今後の医療制度がどうなるかは知らん!民間の保険会社に比べればましかもしれないが...
生命保険会社は、国の社会保障制度をまったく説明せずに不安を煽りながら、必要のない「おまけ付商品」を複雑に絡める。考えてみれば、金融のプロでさえ説明できない複雑な保険商品に、生涯をかけて1千万円近く投資するのだから、なんと恐ろしいことか!何を根拠にそこまで信用できるのか?そうは言っても、若い頃はどうしても備えが追いつかないので、緊急時の保障が必要である。ただ、10年もすればそこそこ貯蓄ができて、その必要性も薄らぐであろう。あとは、死亡時の遺族保障と失業時の所得保障が気になるぐらいか。つまり、保障とは、「時間を買うもの」という解釈が成り立つ。一方で、貯蓄を、わざわざ怪しい保険会社に運用を任せるまでもない。他にいくらだって方法はあるのだから。
利回りの良い時代では、保険会社の安定利率や配当金にも魅力があった。だが、現在の超低金利時代では、配当金なんてものは、支払う保険料にあらかじめ上乗せされているか、あるいは、とんでもないリスク運営をしているか、でもないと説明がつかない。そもそも、保障と貯蓄では性格がまったく異う。保障は不慮の事故などの近い将来への備えであり、貯蓄は老後などの遠い将来への備えである。本書は、保険会社側から見ても、「保障はリスクの引き受け」であって、「貯蓄は運用資産の預かり」であるという。にもかかわらず、多種多様な保障と特約が一つのパッケージになっているところに胡散臭さがある。契約内容が完璧に把握できなければ、いざ支払われる時の請求にも困るだろう。となれば、不払い問題は必然的に生じることになる。結局、保険会社の言いなりになって、泣き寝入りするしかあるまい。契約時に、支払う保険料の内訳で、保障の部分と貯蓄の部分がどのように振り分けられるのか、などの仕掛けを聞いてもまったく教えてくれない。営業員は、ひたすら手作り資料で感情論に訴えるだけだ。これはリスクを隠蔽するための偽装か?資金運用という重要な商品を扱っているにもかかわらず、これほど情報を開示しない業界も珍しい。したがって、「貯蓄」と「医療保険」と「保障」は完全に分離して考えるようになった。おいらにとって保険とは、「保障」の部分、つまりは「かけ捨て」にしか興味がない。
そもそも保険業とは、「みんなで不幸に遭遇した人を助け合う」といった主旨から成り立つものであろう。つまり、保障が主な業務であって、「かけ捨て」が基本となる。みんなが支払う保険料の総額は、契約者に還元される総保険金の額と保険会社の手数料の額である程度は決まるはず。だが、貯蓄や配当金などの資産運用の業務が絡むと極端に複雑化する。資産運用ともなれば、公社債や株式、企業への貸し付け、不動産投資などの運用内訳も情報開示する義務が発生する。そして、保険会社の良心度は、すべての業務の手数料率によって、ある程度判定できるだろう。手数料率は、生命保険会社を選ぶ時の指標にもできる。
保険業界では、運用経費などに充てられる手数料を「付加保険料」と呼ぶらしい。そして、わが国の保険業界は、付加保険料の開示をタブー化してきたという。こうした情報開示は欧米の保険会社では当り前のようだ。売り手と買い手で大きな情報格差を抱えた業界が、長続きするはずがない。ちなみに、定期保険の付加保険料は3割から6割もあるという。
「株式投資に関するベストセラーを書いたある評論家は、テラ銭はパチンコ屋で2割、競馬で2割5分、宝くじで5割強、生命保険は、それらよりも悲惨なギャンブルだと評した。(山口揚平の時事日想)」
日本版金融ビックバン以降、続々と外資系が参入し、安価な保険商品を見かけるようになった。それは、従来の保険商品があまりにも高すぎたことを物語っているのだろうか?規制緩和したところで、大手生保系が自由競争に耐えうるだけの企業戦略があるとは思えない。
本書は、わが国の大手生保会社が抱える問題の本質は、情報開示を拒む体質と、高コスト体質にあると指摘している。あれ?そうなると奇妙なことになる。手数料率が開示されないとなると、純利益も分からないではないか。公開される貸借対照表も怪しいことにならないか?本書は、保険業界のPERのような指標はまったく当てにできないと言っている。業種別で情報格差があるということか?東証の上場基準も機能していないことになりそうだが...なるほど、上場企業の経営破綻が突然発覚するのも道理というわけか。
1. 日本人は生命保険がお好き!
日本人の生命保険加入率と一人当たりの保険金額は、他の先進国に比べても群を抜いているという。個人保険の世帯加入率は、日本の90%に対して、アメリカ50%、イギリス36%、ドイツ40%、フランス59%だそうな(2009年)。日本のGDP550兆円に対して、年間生命保険料40兆円は、7、8%の高い水準にある。公的な社会保険制度が不備だらけのアメリカならいざ知らず、なぜ?日本人はこれほど生命保険に執念を燃やすのか?日本人の安定志向は、貯蓄率にも現れる。なにも保険金で今より贅沢な生活を求めることもなかろうに...
日本人の論理的思考の欠如は方々で指摘されるところではあるが、一般的に「かけ捨て」は損という感覚がある。おまけに、ボーナス的にもらえる給付金や返戻金、更新時にもらえる配当金などが心を惑わす。
生命保険文化センターの調査によると、一世帯あたりの平均で年間45万円も支払っているという。20年間で1千万円近く支払う計算だ。人生で二番目に大きな買い物と言われるわけだ。本来、生命保険料は年齢とともに高くなるはずだが、一般的には払いやすさを考慮して、長期に渡って保険料を一律にする「平準保険料方式」を採用するという。そうなると、途中解約すると損した気分にもなろう。また、消費者は「キャッシュバック」という言葉に弱い。無事故だったら健康ボーナスがもらえる商品があると、なんとなく嬉しい。だが、こうしたものは、あらかじめ余分に保険料として組み込まれていなければ、経営が成り立たない。
日本では「一生涯保障!」や「割安な保険料!」などのキャッチコピーが出回るが、欧米ではそんな広告は見られないという。「一生涯保障!」とは、その分保険料を多く払うことを意味し、「割安な保険料!」とは、その分保障範囲が狭まることを意味するだけなのに...
2. 護送船団行政と高コスト体質
日本の生命保険料は、商品によっては欧米の2、3倍だという。その原因は、欧米市場が自由参入を原則としているのに対して、日本では旧大蔵省が護送船団行政によって、厳しい規制を敷いてきたからだと指摘している。
2006年に保険業法施行規則が改正され、外資系や新興勢力が押し寄せてきた。ちなみに、著者が副社長を務める「ライフネット生命」は、74年ぶりに誕生した独立系生保なのだそうな。アメリカでは、生命保険業界が、早くから銀行、証券、投資信託などの厳しい競争に曝されたために、生命保険が十分なシェアを獲得できなかったという。日本では、銀行、証券、保険の相互参入を認めなかったために、業界別の縦割り行政で保護されてきた。生命保険料は税優遇もされる。
生命保険協会内には、加盟各社が集まって設けられる各種の委員会なるものがあるという。それは、社外秘級の情報を交換する慣れ合いの仕組みだそうな。そもそも民間企業という概念すらないのかもしれない。
3. 生保商品の流れ
欧米では貯蓄志向が強いのに対して、日本では死亡保障のニーズが高いという。アメリカでは女性の社会進出が進み、死亡保険よりも個人年金のニーズが高いそうな。日本では、女性の社会進出が遅れているため、遺族のための死亡保障のニーズはいまだに高い。それでも、1970年代までは保障市場は、日本も欧米並だったという。
従来の主力商品は、満期保険金と死亡保険金が等しい貯蓄タイプの「養老保険」だったという。30歳の時に60歳満期の保険金500万円の養老保険に加入すると、30年間保険料を支払うことで途中の死亡に備えることができる。そして、ほとんどの場合、満期に500万円を受け取る。つまり、貯蓄の性格が強い。
しかし、80年代頃から、貯蓄部分を薄くして死亡保険金が満期保険金の10倍や20倍といった高倍率の保障商品が数多く販売されたという。こうした死亡保障の大型化が進んだ理由は、核家族化で世帯の稼ぎ手が一人となり、遺族保障のニーズが高まったと説明されることが多いらしいが、実は、保険会社側の事情にあると指摘している。
80年代には、死亡保障に依存する商品は限界に近づき、新規契約の伸びも頭打ちとなっていたという。高齢化社会ともなれば、医療保障や年金保険へのシフトが考えられるが、医療保険は保険料単価が低いために、主力商品に据えるには物足りない。そこで、「定期付終身保険」が登場したという。
4. 「逆ざや」と「転換セールス」
保険業界の利益率は、日本の9%に対して、ドイツ3%、アメリカ2%、フランスとイギリス2%弱だという。この収益性を見れば、日本はおいしい市場だ。最近では、外資系生保の国内シェアが高まり、保険料収入の3割近くが外資系で占められるという。他の金融分野でも、これほど外資系がシェアを奪う例も珍しい。当時の事情を知る関係者は、「銀行、証券への米国勢の参入を防ぐために、生保が差し出された」と語ったという。
1997年、日産生命が経営破綻。続いて中堅生保7社が相次いで破綻。バブル崩壊後、金融緩和政策でほとんどゼロ金利となり、「逆ざや」が財務基盤に大きなダメージを与えた。当時、「逆ざや」問題の解消で「転換セールス」が展開されたという。過去に加入した商品で積み立てた保険料を振り替えて新しい保険に加入することで、一見保険料が安くなるように見せかけ、実は利回りの高い商品を解約させ、利回りの低い商品へ転換させるというやり方だ。昔、頭にきたのは、まさしくこれだ!当時、大蔵省は、転換セールスに問題有りとして、改善指導したという。
当時の生保営業員の言葉が紹介される。
「罪深いと思いつつ、給料のため転換を勧めている」
「転換しないと会社が苦しいからと朝礼で言われる。葛藤の毎日です。」
現場に罪意識があるような業界が続くはずもない。「逆ざや」が残した禍根は、2008年の金融危機で更に拡大させた。ちなみに、生保会社が契約者に対して保証し、保険料を計算する際に前提とする利回りを「予定利率」といい、運用実績が予定利率を下回ることを「逆ざや」という。
予定利率を高く設定すると、超低金利時代では、市場の長期金利より低いために利回りも低くなる。例えば、1985年に終身保険に加入した人は、生涯に渡って5.5%の利回りが保証された。だから、加入したのだ!それが、90年代になると予定利率が3%ぐらいになる。市場の長期金利国債でも1.5%程度。つまり、3%でお金を借りて1.5%前後の利回りでしか運用できない。90年代からの超低金利政策は、巨額な「逆ざや」で苦しめてきたことになる。80年代には死亡保険の市場が成熟し新規契約が伸び悩む。そのテコ入れで、予定利率の引き上げを推進したことに問題があると指摘している。素人にでも分かりそうな論理だが...
そして、高利回りの一時払いの養老保険や個人年金を拡販し、総資産を10年間で4倍以上に膨張させたという。それまでの生保は、低い予定利率で資金を調達し、高金利で安定した大企業向けの貸付で運用していたという。80年代に高利回りを約束した貯蓄性商品が爆発的に売れたこともあり、それに対応するためにリスクの高い資産運用へシフトせざるを得なくなった。まさしく自爆である。金融業界の破綻は、すべてこのパターンに陥るから不思議だ。巨額な資金は、人間を盲目にするらしい。
短期商品であれば、一時的な高利回りを約束してもリスクは限られるかもしれない。だが、20年を超える長期商品となると高利率を保証することの危険性は計り知れない。
では、その失敗のコストは誰が負担しているのか?それは、その後の新規加入者だという。生保各社は、「逆ざや」による大きな損を、死亡率が高めに設定される「死差益」で穴埋めしてきたという。「死差益」とは、保険料を決定する際に織り込まれる死亡や入院などの発生確率に比べて、実際の保険金の支払いが低かったことによって得られる利益である。本来、死差益は配当として契約者に還元されるはずだが...
19世紀の米国生保行政の礎を築いた立役者の一人、エリザー・ライトの言葉を紹介してくれる。
「生命保険は、文明がこれまでにもたらしたものの中で、悪党がもっとも利用しやすい、便利で永久的な巣窟であると信じるようになった」
5. 高額療養費制度
この制度が思いっきり認知度が低いのは問題であろう。おいらは、数年前から介護にかかわる機会があって知った。自己負担額に上限が設けられる制度で、標準的な所得層で一月当たり上限は10万円弱だという。例えば、ガンで入院して、治療に300万円かかったとすると、現状の健康保険では3割負担だから90万円となる。この場合でも、一月あたりの負担額は、10万円 + αが上限になるという。
ちなみに、「国保のてびき(平成22年度版)」には、医療費が100万円かかった場合の計算例が記載されている。自己負担額は3割負担なので30万円だが、自己負担限度額は80,100円 + 267,000円を超えた分の1%を負担。つまり、80,100円 + (100万円 - 267,000円) x 1% = 87,430円 。
こういうものを利用すれば、民間の医療保険に入る必要性をほとんど感じない。
一方で、アメリカでは、医療保険に加入できない人が多くて、社会問題になっているという話を聞く。オバマ政権の医療改革も、結局は業界に押し切られた形で中途半端に終わったようだ。そもそも、業界が巨額な選挙資金を提供しているのだから、業界の言いなりになるのも当然のように思えるが...
6. 保険数理と死差益
保険料を計算するための保険数理という数学がある。保険業界には、日本アクチュアリー会という保険数理の専門家集団が作成している「標準生命表」というのがあるらしい。ちなみに、アクチュアリー資格試験というのは、司法試験よりも難しい国家試験なのだそうな。しかも、プロの高い倫理観を持った集団だという。
どんなに倫理的な数値を算出したところで、利用する側が改竄すれば意味がない。保険会社は、健康な人たちを選びだして保険に加入させる。となれば、国民全体の死亡率よりも低くなる。日本の生保各社で用いる生保標準生命表の死亡率は、実際よりも20%以上高いという指摘もあるという。異常に高い死差益率に経済評論家が、気づくのも時間の問題であろうが...
7. 保険料のフローと責任準備金
基本的には、「受け取る保険料 = 支払う保険金 + 発生する費用」で運営される仕組みがある。つまり、資本コストゼロの投資というわけか。生命保険の資金は、7割が責任準備金だという。責任準備金とは、保険金積立金であり将来契約者に支払うべき負債性のものである。ちなみに、戦後、安定運用されるために、長期の設備投資や住宅建設資金の供給者として、政策的に活用されたそうな。
資金運用の内訳は、従来は企業への長期貸付が中心で、1980年頃は、貸付金6割、有価証券3割であったが、2000年前後には逆転して、有価証券が6割、貸付金が3割になったという。企業への貸付が大幅に減少した理由は、高度成長期の終焉にともない、企業の長期資金需要が低下したことや、金融の発展や国際化にともなう資金調達手段の多様化などがあげられる。わざわざ生保から資金を借りなくても、資本市場で増資や社債が発行できるようにもなった。
しかし、いまだに生保は、日本最大の株式投資家だという。その運用では、国内株式が一般勘定の30%以内、外貨建て資産が30%以内、不動産が20%以内という規制があるという。責任準備金は、本来、公社債を中心とした低リスクで運用されるものである。その運用実績は、金利状況に大きく左右され、そのまま保険料に影響を与える。長期金利が2%前後の状況では、国債中心の運用では利回りは期待できない。そこで、リスクの高い株式、外国証券などに資産の3割が占められるという。ますますギャンブル性が高くなっているわけか。
2010-09-05
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