2022-05-08

"ケインとアベル(上/下)" Jeffrey H. Archer 著

この作品に出会ったのは学生時代、三十年以上前のこと...
海外ドラマのシリーズ物として放送され、VHS に録画し、小説版を買いに走った記憶がかすかに蘇る。二十代は引っ越し貧乏で、その都度、書籍の群れを古本屋へ持ち込んだものである。ただ、こいつだけは蔵置したままと思っていたが、本棚に見当たらない。どさくさに紛れて処分しちまったか。ジェフリー・アーチャーの他の作品は何冊か残っているのだけど...
そして今、もう一度読み返したく、古本屋へ走る。なんと不合理な人生か。そもそも、推理モノを再読するという行為はどうであろう。一度読んだものを読み返すなんてことは、専門書でもない限り、滅多にやらないというのに...
同じ本を数年後にまた買って、あとで気づいて自分の馬鹿さ加減にうんざりするってことはよくある。いや、人間ってやつは時間とともに変わっていくし、同じ物でも違った光景が見えるかもしれない。ストーリーは分かっている。結末も分かっている。それでも衝動を抑えられずにいる。まったく天の邪鬼な性分ってやつは...
尚、永井淳訳版(新潮文庫)を手に取る。

ドラマを観るのと小説を読むのとでは、たいてい印象が違う。映像は分かりやすく、展開もコンパクト、一方、活字は思わせぶりが強く、周りくどい。それはメディアの性格によるもので、好みの問題もあろう。映像が原作を壊すってことはよくある。特に、推理モノの場合。しかし、この作品に関しては、うまく映像化されているように思う。互いに補完しあっているような。そして、活字を追いながら、バックグランドで映像を流すのも、なかなかの趣向(酒肴)。それで新たな発見が得られたかは知らんが...

「ケインとアベル」という名は、旧約聖書「創世記」の兄弟物語「カインとアベル」に因んで題されたと聞く。しかし、兄カインが嫉妬のあまり弟アベルを殺すあたりの展開は重なるものの、二人の相克な関係となると、かなり違って映る。
まず、時代背景を巧みに利用し、読者の想像力を掻き立てる点を指摘しておこう。二つの大戦という激動の時代に、タイタニック号に象徴されるヨーロッパ移民とアメリカン・ドリームを重ね、資本主義とマルクス主義の対立の中で、自由主義社会から見たイデオロギー的思想の勃興を物語ってくれる。
さらに、世界恐慌の震源地となったウォール街を背景に、貸し渋るだけでなく、保身のため資金回収に走る銀行家たちと、次々にビルから飛び降りる企業家たち。こうした背景だけでも、憎悪と嫉妬の渦巻く構図が見て取れる。そこに、ボストンの名門エリートと無一文でホテルの給仕から財を築くポーランド移民を対決させるという寸法よ。
アメリカは、二つの大戦と地政学的に距離を置いて戦禍を免れ、経済力を後ろ盾に超大国へのしあがっていく。
一方、ポーランドはドイツとソ連に分割統治され、おまけにヒトラーの侵攻とくれば、対立構図を煽る作品という意味でも、やはり大作と言えよう...

それで、どちらの肩を持つか、と言えば、嫉妬深い天の邪鬼だから、アベルということになる。男爵を笠に着せ、ホテル・バロンを名乗るあたりは、ちとえげつないにしても...
尚、バロンとは、男爵の意味。
しかしながら、読破した瞬間にケインに寝返ってしまうのも、天の邪鬼だから。悔やんでも悔やみきれぬ人生を物語れば、現実に引き戻される思い。この、してやられた感は、M にはたまらん。それも、脂ぎった社会を生きてきたということであろうか...

結末を予測するとなると、映像の方からは読み取りづらいが、活字の方はあちこちに布石を打っているのが見て取れる。
例えば、友人のホテルグループが、期日までに二百万ドルの返済が見込めず、抵当権が執行されようとしている時、突然、匿名で出資者が現れる場面。アベルがケインに喧嘩腰で電話をし、友人が自殺した事へ復讐する旨を伝える... という展開は同じにしても、その威勢をケインは不愉快に思うどころか、むしろ自信満々のポーランド人を逞しく見ている。
アベルの方も、ケインの経営する銀行株 6% を所有しながら、なかなか止めを刺そうとしない。尚、8% 所有すれば、役員の座を要求でき、ケインを辞任に追い込むことができる。残りの 2% も算段がついているというのに。
逆に、不安に思ったケインが先に動いて墓穴を掘ることに。しかも、らしくないやり方で。アベルと裏取引をしている議員との汚職の証拠を、匿名で司法当局へ送りつけたのである。人間とは奇妙なもので、普段沈着冷静な判断力の持ち主でも、自分の問題となると途端に鈍ってしまう。ケインは、いささか後ろめたさを感じ、アベルが刑務所に入らなかったことを安堵している自分を意外に思っている。
そして、とうとうアベルが残りの銀行株を取得するという切り札を出し、ケインは銀行を追い出されることに。
アベルもまた、最終的な勝利の満足感があまりに小さいことを知って意外に思っている。
ケインは根っからの銀行家であり、アベルもまた叩き上げのホテル王であったとさ...

ただ、これほどの泥仕合ともなれば、やはり、どちらかが死なないと終幕できないと見える。どんでん返しの展開なんてものは、最初の感動に過ぎず、もはやどうでもいい。本当の感動は、そこに至るプロセスに求めたい。二人を辛うじて救ったのは、互いの息子と娘が結ばれ、孫に後を託すことができたことであろうか。それで、映像と活字のどちらが好みか、といえば、やや活字の方か。おいらは、前戯好きだし...

2022-05-01

"ゴッホは欺く(上/下)" Jeffrey H. Archer 著

名画にまつわるミステリーは、枚挙にいとまがない。ダ・ヴィンチ、ピカソ、フェルメール... そして、ゴッホ。
原題 "False Impression"... これに「ゴッホは欺く」との邦題を与えた翻訳センスはなかなか...
さて、誰を欺いたのか?名画には贋作がつきまとう。高値がつけば尚更。
しかしながら、偽物も侮れない。少なくとも、優れた画家の手によらなえれば成立し得ない。技術はオリジナルと互角か、それ以上か...
とはいえ、偽物がオリジナルを超えることはできない。少なくとも、経済的価値や政治的価値においては。オリジナルには、人を狂わす何かがあるらしい...
尚、永井淳訳版(新潮文庫)を手に取る。


大富豪や権力者たちに、美術品コレクタをよく見かける。純粋に芸術に親しもうとする人、えげつなく漁りまくる人、戦利品とされた時代もある。広く知られる話では、ナチスの高官たちが名画を漁りまくったという事実がある。ウィーンへの復讐か、イデオロギーの後ろ盾か、それとも資金作りか、脂ぎった動機はいくらでも拾い上げられる。
本物語では東京が一舞台を担っているが、バブル全盛期には、日本人が国宝級の西洋美術品を落札する様子がしばしば報道された。棺桶まで持っていくと豪語し、人類の遺産を私物化していると非難される輩まで飛び出す始末。
優れた美術品には、それを蒐集するだけで征服感を満足させるものがあると見える。確かに、偉大な芸術作品には、作者の意図を超越した社会を代弁する力がある。
ただ、盗んだ名画を金に替えることは、古くから難しいとされる。それが本物であるだけでは足りない。正当な所有者であることも合わせて証明する必要がある。むしろ、証明書の方が貴重だったりして...


本物語の主役は、「耳を切った自画像」。ファン・ゴッホの熱狂的な愛好家たちにとって究極の高み。
英貴族の女主人は破産寸前で、ファイナンス会社に名画を売りに出すことを持ちかけられる。ある晩、女殺し屋が侵入して女主人は命を落とす。殺し屋は左耳を切り取って、雇い主にメッセージとして送ったとさ。名画だけでなく、遺産もろとも略奪しようという魂胆か...
「この世に買収できない人間はいない!」
ファイナンス会社の美術品コンサルタントを勤める女性は、雇い主のあくどいやり方に我慢できず、殺された女主人の方につき、純粋な買い手を第三国に求める。ファイナンスへの負債を返済し、家の資産を債権者たちから守り、なおかつ税金を納めるのに充分な金額で売却できる相手を求め、舞台は東京へ。
「日本人は駆引きを弄する相手には我慢がならない国民性だった。」
一方、ファイナンス会社の会長は、ファン・ゴッホを手に入れてご満悦ときた。しかし...
「ファン・ゴッホが左の耳を切り落としたことは小学生でも知っているぞ!... しかし、彼が鏡を見ながら自画像を描いたこと、そのせいで右耳が繃帯で覆われていることは、知らない小学生だっていますよ。」


展開にせよ、文体にせよ、軽快なリズムに乗せられて、つい一気読み!
大体、ジェフリー・アーチャーという作家は、全体の設計図をきちんと完成させてから書き始めるのではなく、あるアイデアが浮かぶと筆の勢いに任せて一気に書きあげるタイプだそうな。読者同様、先が見えないままスリルを味わいながら書き進めるんだとか。いささか強引ではあるが、酔いどれ天の邪鬼は暗示にかかりやすい。
そして、学生時代にハマった「ケインとアベル」を読み返したくなる今日このごろであった...

2022-04-24

"大渦巻への落下・灯台" Edgar Allan Poe 著

副題に、「SF & ファンタジー編」とある。
ポーといえば、ミステリーやゴシック小説といったイメージだが、ヴァレリーにも称賛された宇宙論「ユリイカ」の感動には代えがたい。
しかし、この短編集が、SF?ファンタジー?
幻想的で、超科学的で、超自然的といえばそうなのだが、ポーの場合、ジャンルの概念すら意味をなさないような...

尚、本書には、「大渦巻への落下」、「使い切った男」、「タール博士とフェザー教授の療」、「メルツェルのチェス・プレイヤー」、「メロンタ・タウタ」、「アルンハイムの地所」、そして未完成作品「灯台」の七編が収録され、巽孝之訳版(新潮文庫)を手に取る。

「天においても自然においても、神のふるまいは人間のおよぶところではない。神の壮大にして深遠、かつ理解不能な御業(みわざ)に見合う模型も、人間の手で制作できるものではない。というのも、神の御業はデモクリトスの井戸より深いのだから。」
... ジョゼフ・グランヴィル

地球空洞説を時代背景に、ダンテ風の地獄、煉獄、天国を同心円状に連らねた大渦巻の中に、読者を放り込むかと思えば、立派な体格を自慢しながらインディアン戦争でボロボロになり、黒人従者に、脚をもってきてくれ... 手を... 歯を... 眼を... と、パーツで組み立てられるサイボーグ野郎の愚痴を聞かされる。

「そう、名誉進級の准将ジョン・A・B・C・スミスとは、どんな人物かと言えば... 彼こそは使い切った男だったのだ。」

精神病院を患者たちに乗っ取られ、正常者たちの方がたっぷりとタールを塗られ、じっくりとフェザー(羽毛)をまぶされ、独房に閉じ込められるフーコーばりの狂気を物語れば、こいつはどっちの側のセリフやら...

「精神障害者の脆弱な理性を背理法と見る議論は存在しません。たとえばここには、自分をニワトリだという妄想に駆られている男たちがいます。それを治療するには、まさにそれが妄想ではなく事実なのだと強調すること。むしろそれが事実なのをじゅうぶんに認識していないのがいかに愚かなことかと患者を非難すること。そして一週間のあいだ、ニワトリにふさわしい食事以外はいっさい与えないこと、精神障害なる用語は使わないこと。肝心なのは、すべての精神障害者に他人の行動を監視するよう仕向けること。精神障害者の悟性や分別を信用してやることは、患者に肉体と精神を与えることにつながります。このようにして、当院では精神障害者の付添人たちを雇う経費を浮かせているのです。」

AI 顔負けの自動人形の正体を見事に証明して魅せれば、興行主の思惑に見事にしてやられ、千年後の未来を夢見ては、大空をゆったりと飛行する大気球から人間社会を見くだす。
「貴兄はごぞんじかね、形而上学者たちが、真理へ到達する道はふたつしかありえないという奇妙な幻想から大衆を解放してから、まだ一千年しか経っていないことを...」
二つの道とは、演繹法と帰納法、あるいは、先験的方法と後天的方法のことらしい。

造園家の偉大な芸術精神を持ち上げてシャングリ・ラ並みの理想郷を造らせれば、幸福の正体である盲目の原理を暴かずにはいられない。
「人間の本性には何らかの隠れた原理が、すなわち至福の対極が潜んでいるという前提をことごとく覆していくのを見てしまった気がする。」

終いには、たった四ページの未完成作品で、灯台守の孤独感に未完成な思わせぶりで余韻に浸らせようとは...

時間は、善意にも、悪意にもなる。たった一分でも地獄のように長く感じるかと思えば、一年を与えられても天にも昇る気分のうちに一瞬で過ぎ去る。昨日はもう来ない。明日は来るかも分からない。現在に絶望すれば、未来に根拠のない希望を抱く。一方で、過去は片時も休まず未来を抹殺し続け、希望はすぐさま絶望で上書きされる。すべては幻想か。すべては意識の産物か。理想郷を夢見ようが、暗黒世界に身を委ねようが、結局は同じことかもしれん。まさに人生、未完なり...

2022-04-17

"ゼロから作る Deep Learning 2 - 自然言語処理編" 斎藤康毅 著

「ゼロから作る Deep Learning」第二弾...
ここでは、自然言語や時系列データに焦点を当てる。人間の行為をコンピュータに肩代わりさせるなら、まず人間とやらを知ること。そのアプローチの一つに、人間の表現力、すなわち、人間が操る言語に着目してみるのも悪くない。
しかしながら、人の話す言葉をコンピュータに理解させるには、一筋縄ではいかない。ウェブ検索、音声認識、機械翻訳など自然言語にまつわる技術には、その裏でディープラーニングとやらが暗躍し、何かを推論し、何かを学習してやがる。それは、自発的なものなのか...

ディープラーニングとは、層を深くしたディープなニューラルネットワークを言うらしい。それは、単純な伝達関数を複雑に結合した数理モデルで、その特徴はデータから学習するところにある。この分野は加速度的に進化しているだけに、慌ててライブラリやフレームワークに飛びつこうとする。ネアンデルタール人は、理解できていないものを、ただ使い方を学んで利用するのでは自分の意志で生きている気がしない。のんびりと精一杯やるさ...

「作れないものは、理解できない。」... リチャード・ファインマン

第一弾では特に、損失関数に数値微分を与える視点から、誤差逆伝播法という考え方に注目した。結果に評価を与え、それを後方に伝播させながらデータの重みを調整するというやり方は、まさに人間がやっている学習法だ。成功より失敗から多くを学ぶのは、コンピュータとて同じと見える。
では、自然言語を合理的に理解するには、どうすればいいだろう。まず、単語レベルで意味を理解するということがある。辞書や類義語などを集めたシソーラス、あるいは、Wikipedia のような大量のテキストをデータベース化するといったことも考えられる。
しかし、人工知能的なやり方といえば、やはり推論であろう。人間には、知らない単語でも、文脈からなんとなく汲み取れる感覚がある。文法に則って言葉を羅列するのではなく、どんなふうに言うか、その言い方や言い回しを経験の中から探りながら喋っている。口癖ってやつは試行錯誤のうちに身につき、無意識に発声することもしばしば。無意識な領域までコンピュータに任せるとなれば、そりゃ手ごわい!分からんことは、ワトソン君にでも聞くさ...

本書は、推論ベースの方法を話題の中心に据え、Python で記述して実装イメージを与えてくれる。推論というからには、使用頻度や確率分布といった統計学的なサンプリング手法を用いる。

まず、単語を数学的にマッピングする word2vec が紹介される。名前からして、単語をベクトル空間にマッピングするイメージがわき、行列式との相性を予感させる。
ここで使われる「分布仮説」という概念は興味深い。単語の意味は、単語そのものより周囲の言葉との連結によって解釈しているところがある。
実装では、コンテキストから単語の出現を推測する CBOW(continuous bag-of-words)と、逆に単語からコンテキストを推測する skip-gram の二つのモデルが紹介される。人間の会話では、出現した単語から相手が何を言いたいかを予測しながら聞いているところがあるので、人間感覚には後者の方が近そうか...
また、word2vec の高速化手法として、Negative Sampling というものが紹介され、確率分布の各要素に 0.75 を累乗するという考え方は興味深い。つまり、確率の低い単語に少しばかり重みをつけるという考え方である。相対的にバイアスをかければ、人間主観より語彙が広がりそうか...

次に、フィードバック経路を持つ RNN(Recurrent neural network) が紹介される。線形性を保った物理現象は、時系列的に予測可能である。あまり遠くの時間でなければ。フィードバックとは、過去の状態を参照することであり、いわば経験値である。言葉の精度には、やはり経験がモノを言いそうである。
実装では、時系列データを扱うために改良された二つのゲート付き RNN が紹介される。LSTM(Long Short Term Memory)をメインで解説し、GRU((Gated Recurrent Unit)を付録に。
LSTM は、その名の通り、長期と短期の記憶を元にデザインされた仕掛け。注目したいのは、forget ゲートを配置するところである。忘却によって合理性を保つのは、精神を患う人間だけではなさそうだ。人間だったら、苦労して獲得した知識ほど重宝しがち。見返りの原理ってやつだ。実は、記憶ってやつは、忘却することの方が難しいのかもしれん。しかも、合理的に...

さらに、機械翻訳をそのままイメージできる seq2seq が紹介される。RNN を連結して、ある時系列データを別の時系列データに変換するイメージで、Encode-Decode モデルとも呼ばれるらしい。
そして、Attention という技術で締めくくられる。それは、人間と同じように、ある情報に注意を向けさせる仕掛けで、必要な情報を抽出して、seq2seq にかけるイメージだが、結局、情報の重みの評価に引き戻された感がある。
人間の認識能力なんてものは、たいてい注意で説明がつくってか。人生は短い。注意すべきこと以外のことに関わっている暇はない。これが合理的に生きるということであろうか。
しかしながら、人間ってやつは、注意すべきことより、どうでもいいことに注意を払う傾向がある。例えば、機内で発せられる台詞にゾクゾクしたり... Attention Please!

2022-04-10

"ゼロから作る Deep Learning - Python で学ぶディープラーニングの理論と実装" 斎藤康毅 著

近年、ディープラーニングに関するライブラリやフレームワークに、よく出くわす。今更、ゼロからやらんでも。いや、ディープに知りたければそれも悪くない。
ライブラリやフレームワークは、あくまでも道具。道具ってやつは、どうなに便利なヤツでも、仕組みや背景を理解した上で使わなければ振り回されるのがオチ。自分が作っているという意識は薄れ、誰かに作らされているという意識が膨れ上がる。自由意志の獲得に平坦な道のりはない。でも、その試行錯誤のプロセスは楽しい...

人工知能ってヤツは、人間の行為を卒なくやってのけるだけでなく、人間までも凌駕しようとする。人間社会を機能させるのに、なにも人間自身が主役である必要はない。皆が皆、機械の奴隷と化せば、夢にまで見た真の平等社会が実現されるではないか。人間が合理的に生きるなんて、らしくない。実に、らしくない。滑稽に生きるからこそ人間味あふれる。それを、人工知能が教えてくれる...

さて、本書は、データサイエンスの分野で幅広く用いられる Python を題材に、実装の観点からディープラーニングを紹介してくれる。数値演算ライブラリ NumPy や SciPy、あるいは、描画ライブラリ Matplotlib の導入など Python 入門に始まるが、そこまでやらんでも。なるほど、ゼロから...
逆に、Caffe,TensorFlow, Chainer,Theano といったフレームワークは意図的に避けている。なるほど、ゼロから...

ここでは、パーセプトロンという根源的なアルゴリズムや、ノードに用いられる単純な活性化関数などの紹介に始まり、これらの要素が層を深めながら学習モデルを構築していく様子を物語ってくれる。
ちなみに、活性化関数は、個人的には伝達関数と呼ぶ方がしっくりくる。シナプスがイメージできるから...
活性化関数では、ステップ関数、シグモイド関数、ReLU 関数、ソフトマックス関数といったものが紹介され、いずれも、ある閾値で状態が変化するような非線形関数を基本としている。非線形というからにはデジタル的であり、シャノンが提示した情報理論にも通ずるものがある。それは、2 を底とする対数に看取られた世界... 2 の冪乗に看取られた世界...
そして、これら単純な要素が複雑に関係を持ちながらネットワークを形成していくわけだが、局所的には非線形でも、層を深くして各々が関係を持ち始めると、全体としては線形的な振る舞いを始める。偏微分方程式の振る舞いを繋ぎ合わせてモデリングするようなイメージとでも言おうか。線形的な振る舞いとは、意志のようなものであろうか...

「パーセプトロンは、線形分離可能な問題であれば、データから自動で学習することは可能です。有限回の学習によって、線形分離可能な問題が解けることは『パーセプトロンの収束定理』として知られています。しかし、非線形分離問題は自動で学習することができません。」

そもそも、ディープラーニングとは何であろう。それは、層を深くしたディープなニューラルネットワークを言うらしい。
では、ニューラルネットワークとは何であろう。脳内で神経系を形成するニューロンと対比して論じられるのをよく見かけるが、その特徴はデータから学習するところにある。データから学習するとは、パラメータの重みをデータから自動で決定できるということ。
では、学習とは何であろう。それは、獲得した知識をフィードバックして次の行動に活かすこと、とでもしておこうか。
そこで、合理性の観点から重要となるのが、知識に対する重みの付け方と初期値の与え方である。まず、すべての知識を同列に扱うわけにはいかない。場面によっては意味をなさない知識もあれば、却って邪魔をする知識もある。ましてや、情報の溢れる現代社会では。
したがって、数多くの入力データに重みをつけながら、不要なものはあっさりと排除していく。そうでなければ、合理的にインテリジェンスな出力を得ることはできまい。
しかしながら、人間ってやつは苦労して獲得した知識ほど重宝しがち。見返りを求めてやまない性癖は、なかなか手ごわい。
また、初めて何かを学ぼうとする時、最初に出会う手本となるものが、後の学び方に大きな影響を与える。例えば、入門書や教師と崇める人物の影響力は絶大だ。
人間の場合、運にも恵まれなければならないが、ニューラルネットワークの場合、初期値を数学的に与えることができる。統計学的な標準偏差を与えたり、ガウス分布で初期化したり... と。
初期値は、なにも個人の経験から与えられるだけではない。あらゆる方面から蓄積されたデータが活用できる。記憶とは恐ろしいものだ。記憶領域に知識を大量にダウンロードするだけで賢くなれる。人格を変えることも。処理能力さえ付いていければ、だけど...

機械学習の主役は、やはりデータか!
こいつをいかに合理的に扱うか。シンプルな最適化をディープにやってのける戦略がいる。
注目したいのは、「損失関数」という考え方である。ニューラルネットワークでは、重要度よりも損失の方を注視するという。それは、自己主張を強める人間の思考とは真逆の視点である。重さを評価するのも、軽さを評価するのも、相対的には同じはず。
しかし、人間ってヤツには、重要な情報、少なくともそう思った情報に飛びつく性癖がある。昆虫の光に集まる習性のように。
実は、物事の重要度を評価することは意外と難しい。重要なのは分かるんだけど、どれほど重要なのかとなると、なかなか手ごわい。重要な要素間で優先順位をつけることも。初期値を人間が与えることで弊害になることもある。想定外の結果が得られる場合は、ランダム値を与えた方がずっと合理的なことも多い。
そして、エラーの方を活用する方が合理的という考え方も浮かんでこよう...

本書は、損失関数の勾配を与える数値微分を効率的に計算する「誤差逆伝播法」を紹介してくれる。結果に評価を与えて、それを後方に伝播しながら各部の重みを調整するという考え方は、まさに人間がやっている学習法だ。
また、機械学習でよく問題となる「過学習」にも触れ、これを抑制するために、損失関数の重みとして L2 ノルムを加算する "Weight decay" という方法や、ノードをランダムに消去しながら学習する "Dropout" という方法を紹介してくれる。
さらに、初期値にあまり依存せず、過学習の抑制もあまり必要としない "Batch Normalization" という方法も...
うん~... 関数の損失勾配を人間の行為として眺めると、失敗の度合いと解釈できそうな気がしてくる。なるほど、失敗から学ぶ戦略かぁ。
人間どもには、成功事例から学ぼうとハウツー本に群がる習性があるが、失敗事例から学ぶ方がよほど合理的に映る、今日このごろであった...

2022-04-01

心を握ります!気色わるぅ~

心を握ります!... 行付けの寿司屋の大将の台詞である。おぇっ...

そもそも、心ってなんだぁ???その実体はどこに??
物理的には、脳の中に位置づけられると思われる。おそらくそうだろう。そうに違いない。
しかし、人が「心」と言うと、胸を押さえる。つまりは、ハートを。つまりは、心臓を...
心のサイズは分からなくても、心臓のサイズなら分かる。重さも分かる。画像診断もできる。なによりも鼓動が、その存在を実感させる。これを握ります!ってか。気色わるぅ~
そして、トロを握られ、鯛を握られ、穴子を握られ... これが、あなたの心です!なんて、えげつなく言われた日にゃ、かっぱ巻きにしてよ...

さて、今日は四月一日。陽気な春風に誘われて、心の存在証明でもやってみるかぁ...
そもそも、そんな証明は可能であろうか。人間ってやつは、心の正体を知らなくても、それがあるかのように振る舞うことができる。考えてみれば、凄い芸当だ!
それは、心というものを、おぼろげにでも定義できるからである。ならば、定義できるものすべてが存在するってことか。ユニコーンは定義できる。ゴジラも定義できる。そんなものが本当に存在するというのか?いや、存在する。少なくとも、ぬいぐるみもどきが。心なんてものは、ぬいぐるみのようなものであろうか...

人間ってやつは不思議なことに、人間と同じように振る舞う物体を見れば、そいつに親しみを感じ、仲間意識を持つことができる。考えてみれば、凄い芸当だ!
オートマタにも、ホムンクルスにも、向こうがどう思っていようが...
犬型ロボット AIBO は子供たちの人気者。ちょいと故障して足を付け替えようものなら、子供は虐待しているかと思い、大人を白い眼で睨みつける。だが、こいつはロボットだ。
映画「ターミネーター」では、シュワルツェネッガーの腕を切るシーンに目を覆う。だが、こいつもロボットだ。いや!シュワちゃんの腕だから気色わるぅ~

では逆に、人間であれば、心を持っていると断言できるだろうか。世間には、心無い人間がわんさといる。自分自身に、お前は心を持っているのか?なんて問い詰めたところで、確証が持てない。結局は、人間らしく振る舞っているだけのことか。これを、本当に「人間」と言えるのだろうか...

その帰結は...
心の存在証明とは、心を定義すること。心を定義するということは、人間を定義すること。そして、定義した通りに振る舞えば、そこに存在することにできる。考えてみれば、凄い芸当だ!
... Q.E.D.

2022-03-27

"ベクトル解析30講" 志賀浩二 著

軽快なステップを刻む、数学 30 講シリーズ!
なにごとも理解へのプロセスにはリズムが欲しい。なによりも人生にはリズムが重要だ。おいらは数学の落ちこぼれ。でも楽しい...


抽象数学の空間概念は、加法とスカラー積の定義の仕方で、大方説明がつくであろう。その代表がベクトル空間ってやつで、解析学では避けては通れない。
ちなみに、おいらは解析学を近似法を提案してれる分野と解している。複雑な実社会では、明確な解をじっくりと求めるよりも、手っ取り早く近似した方が実用的なことが多い。実際、現象を記述する微分方程式のほとんどが解けないときた。そして、数学屋さんをハーフボトルで釣って便利屋さんに... 毎度申し訳ないっす!


ここでは、冒頭から微分形式の入門という立場が置かれ、いきなり微分形式アレルギーが疼く...
微分形式といえば、複雑な曲面に対して、各点に局所座標を与えたベクトル空間の集合体のようなもの。もっといえば、ベクトル空間を抽象化したテンソル場を貼り合わせたようなもの、などと勝手にイメージしている。そして、必然的に多様体を相手取ることになると...
実際、複雑系を相手取るには、部分をかき集め、それらを貼り合わせて近似する方が実用的に思える。
ベクトル自体は、極めて単純な概念である。異なる二点と一つの方向が一つのベクトルを決め、異なる二つのベクトルが一つの交点を決める。少なくともユークリッド空間では。
ベクトル単体の関係では直角をなすかどうかが問われ、これを空間レベル、すなわち、ベクトルの集合体で眺めると、双対性や直交性が問われる。こうした性質が、データ圧縮や情報処理の効率性、あるいは演算合理性の布石となるから、ベクトル恐るべし!
そして、外積や内積を導入して空間演算の抽象度を上げていき、お馴染みの多項式代数をテンソル代数から外積代数へ導くという筋書きである。


まず、ベクトル空間の任意の元を、テンソル積によって自由に掛け算ができるような空間全体の系を考える。つまりは、テンソル代数 T(V) の導入であるが、この中に適当なイデアル I を見い出し、商代数 T(V)/I を考えながら、外積代数 E(V) を定義するといった具合に...


  E(V) = T(V)/I


代数といっても、いろいろな代数がある。一つの代数系は、ある演算ルールで定義された枠組みを作る。ただそれだけのこと。次元が違えば代数演算の柔軟性も変わり、可換の代数もあれば非可換の代数もある。
例えば、三次元空間の外積ともなると、X x Y = -Y x X のような奇妙なことが起こる。
代数が次元とともに抽象度を上げていく様相は、ユークリッド空間から非ユークリッド空間への飛躍と重なる。ならば、次元に適した代数が求められ、多様体に適した代数が導入されるのも道理である。


また、内積に計量という概念が結びつけられる。ベクトルを空間レベルで論じるには、加法とスカラー積だけでなく、二つのベクトルがなす角、すなわち位相が重要な意味を持つ。内積はまさに位相を規定し、内積が与えられたベクトル空間は、計量をもつことを意味するらしい。
幾何学的な性質では直交性が重要な役割を持ち、演算をすこぶる単純化してくれるが、ベクトル空間では、演算の単純化と同時に計量の合理性が問われることになる。
そして、内積によって基底と双対性の最も整合性のとれた正規直交基底なるものが論じられる。おまけに、リーマン計量が与えられる条件まで言及され...


複雑な空間を、微分可能なベクトル空間の貼り合わせという視点から眺めると、微分可能回数で定義される C1-級, C2-級, ... , C-級へと抽象度を上げていく。おいらが実際に扱うヤツは、ベキ級数展開ができたり、テイラー展開のできるクラスで十分だけど...
そして、このあたりは、やはり外せないと見える。グリーンの公式に、コーシーの積分定理に、ガウスの定理に、ストークスの定理に... そう、電磁気学でおいらを赤点に貶めた奴らだ!


グリーンの公式を一つ眺めると...
閉領域 D において、2変数関数 P(x,y), Q(x,y) を C1-級と仮定する。
それは、∂P/∂x, ∂P/∂y, ∂Q/∂x, ∂Q/∂y がすべて連続であることを意味し、境界曲線 C との間に以下の関係が成り立つ。


D (   ∂Q
∂x
 -  ∂P
∂y
) dxdy =  C  (Pdx + Qdy)

これは、面積 D の積分が、周 C の積分と等価であることを示している。
例えば、湖の面積を求めるには、湖の周囲に沿って積分すれば、おおよその値が得られるという寸法よ。
注目したいのは、変数をそれぞれ偏微分して、それを足し合わせるというシンプルな形をしていることである。それは、C-級の関数を仮定したとしても、偏微分する順番に関係なく表されることを予感させる。
となれば、現象を解析する上で、まず、いかに適確な変数を抽出することができるかが鍵となる。変数が抽出できたからといって、微分方程式が解けるわけではないけど...
そして、こうした考えの抽象度を上げていけば、コーシーの積分定理、ガウスの定理、ストークスの定理が見えてくる。つまり、ずっと忌み嫌ってきた奴らは、貼り合わせの積分法であり、現実的な近似法を与えてくれるような風景が...
単純な見方といえばそうなのだが、学生時代には見えなかった風景である。おいらにとっては、微分可能かということより、局所座標を貼り合わせていかに近似するかの方に興味があるが、結局は同じ事というわけか。講義のリズムのおかげで、微分形式アレルギーも少し弱まりつつある今日このごろであった...

2022-03-20

"複素数30講" 志賀浩二 著

何事も、理解へのプロセスにはリズムが肝要である。対象が難解であれば、尚更。この数学 30 講シリーズは、30 ものステップで軽快なリズムを奏でる。おいらの物事を理解したかどうかの基準に、脳内の思考空間にマッピングできるか... といった感覚があるが、まさに本書は、複素数という複雑な演算体系が幾何学的なイメージで、すっと頭の中に入ってくる。そして、アカデメイアの門に刻まれた文句を想い起こす。幾何学を知らぬ者、くぐるべからず!
ちなみに、おいらは数学屋ではない。単なる数学の落ちこぼれだ。応用数学は、しっかり赤点とったし...


さて複素数とは、なんぞや。それは、実数と虚数が混在する世界。実数とは、いわば実世界の数。
では虚数とは、なんぞや。imaginary number というぐらいだから、単なる想像物か。実存を正確に記述するには、このような仮想的なものに頼らざるを得ないのか...
これと似たような立場に、マイナスの数がある。今日、当たり前のように使われるが、財産がマイナスってどんな状態?実存がマイナス?それは、貨幣のような仮想的な交換価値を前提して、初めて成り立つ概念と言えよう。借金、売掛、債権... こうしたものが財産権のもとで機能するのも、価値換算できる基軸があるからだ。家計の赤字で悩むのも、マイナス換算できるお金という代替価値がなければ説明できないだろう。
マイナスという数が登場した時代、庶民にはなかなか受け入れられなかったであろう。物々交換の時代に、マイナスという数はイメージしずらい。人類は、窮屈な人間社会を生きやすくするために、負債をいくらでも抱えられる仮想的な仕組みを作り上げてきたというわけだ。投資に支えられる経済循環とは、まさにそれであり、資本主義が成り立つのも、まさにそれだ。


そして、虚数である。こいつが庶民に受け入れられるには相当な時間を要するであろう。虚数との出会いは、-1 の平方根に見る。平方根とは、二乗すると元の値に等しくなる数。マイナスの平方根はマイナスと出会えば互いに打ち消し合って実世界に姿を現すが、出会えなければ虚世界に幽閉されたまま。虚数の単位は、i = √-1 で表記され、こんなものは算術のご都合主義から編み出された裏技にも映る。


ところが、だ!
この空想的な数の体系が、一旦、実世界と関係をもつと、たちまち強力な道具となる。カオス世界で生じる複雑な現象を記述するには、「微分方程式 + 複素数」という組み合わせが実に都合よく、電子工学や電磁気学、あるいは量子力学では絶対に欠かせない。
但し、複素数を単純な現象に用いれば、却って厄介になるので要注意!単純な現象とは、一回きりしか微分できない関数で記述できるような...


1. 幾何学操作で演算を単純化
演算を単純化する裏技では、例えば、指数関数的に増大する現象を乗法や加法に引き戻してくれる「対数」ってヤツがある。複素数を用いるメリットもまた、演算を単純化してくれることにある。
実数を、数直線上にマッピングされる一次元空間とするなら、虚数軸を付加して二次元空間にマッピングしたのが複素平面、いわゆるガウス平面である。この二次元空間が、幾何学的な演算作用をもたらしてくれるから、摩訶不思議!
例えば、i を掛けるという演算は、原点を中心に 90 度回転させることを意味し、i2 = -1 は 180°の回転、すなわち逆位相となる。i(愛)ってやつは、二重に掛けると裏目に出るという寸法よ。
ちなみに、巷では、これを「二股かける」という。それで、一筋の愛を貫くのは夢想家で、二股をかけるのが現実主義者ということになるらしい。
ここで重要視される物理量が「位相」ってやつで、演算を単位円内に幽閉するという見方もできよう。ベクトルやノルムに看取られた幾何学演算とでも言おうか、電子スピンや角運動量といった力学現象との相性を感じさせる。複素指数関数と三角関数との関係を記述したオイラーの公式は、まさにそれだ。


「複素数は、平面の回転や相似写像と密接に結びついており微分可能な関数 -- 正則関数 -- は、このような幾何学的な働きの中に、ある平均的な挙動と微細な内在的性質との関連を示してくる。ここにみえる複素数の世界は、ただ単にイデアの世界に漂っているわけではなく、確かに現実の相の1つを実現している。」


2. リーマン球面へのマッピング
複素平面は、原点を中心に回転しても、まったく均質的な様相を保つ。となれば、平面よりも球面の方が相性がよさそうだ。そこで、リーマン球面をガウス平面に絡めて考察してくれる。しかも、一次関数のみで対応づけるというやり方で。
但し、北極点だけは対応する複素数がなく、無限遠点となる。
なるほど、リーマン球面は、ガウス平面の拡張版という見方もできそうだ。となると、平面にこだわらず、立体、いや、多次元ではどうであろう。数学ってやつは、仮想的に次元を増やしていくのが、お得意ときた。
しかしながら、次元を増やしても、四則演算が自由に行えるか、また、回転や相似写像などの幾何学操作も自由に行えるか、と問えば、本書は否定的である。
そういえば、複素数を拡張した体系に、「四元数」ってやつがあるが、乗法の可換則が成り立たない。人間の認識能力では、二次元空間までが最も適しているということか。いや、まだまだ研究途上なのかも...


3. 微分可能という概念の幾何学的見方
物理現象を解析する上で、重要な概念の一つに「線型性」ってやつがある。微分可能と密接に関わる概念だ。本書では、ガウス平面の視点から微分可能かどうかについて考察してくれる。正則関数の平面的展開とでも言おうか...
微分可能かという問い掛けは、解析学では重要な問題であり、おいらが最も関わりを持つのが近似の考え方である。複雑な現象に対して、まず、適合する冪級数を探り、テイラー展開などで近似するという思考プロセスを繰り返し、その先に、あの美しいオイラーの等式に思いを馳せる... といった具合に。
実数の世界での微分は、直線による近づき方が問題となるが、複素数の世界では、平面においてあらゆる方向からの近づき方が問題となり、とても一回きりの微分では収束しそうにない。
そこで、二次元空間の各点でテイラー展開ができるような関数を想定することに。テイラー展開の幾何学的マッピングとでも言おうか。複素解析の思考イメージは、こんな感じ...


「複素数の意味で微分可能ということは、関数が1点の近くで、水が広がっていくような状況になっていることだ。」

2022-03-13

"E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」" David Bodanis 著

E=mc2...
歌姫マライア・キャリーは、この方程式の名を掲げたアルバムをリリースした。彼女のイニシャル "MC" に因んで...


これほど、世間に知れ渡った物理方程式は他にあるまい。だが、その真の意味を知る者は少ない。そもそも、方程式ってやつは、自然法則を記述するだけの無味乾燥な存在。それが一旦、様々な物理現象や社会現象に関係するとなれば、多くの解釈を呼ぶ。人間ってやつは、なにごとにも意味を与えないと落ち着かないと見える。やがて、発見者の思惟とはまったく関係のない領域で、方程式自体が独り歩きを始める。有機体のごとく...


これは、アルベルト・アインシュタインという人物の伝記物語ではない。方程式の伝記物語である。GPS やテレビなどの情報機器、腫瘍の検知に用いられる PET スキャナなどの医療機器、あるいは、原爆開発競争を巡る戦争秘話を通して、世界一有名な方程式に込められた尽きぬ意味を探る。ファラデー、ポアンカレ、ラザフォード、フェルミ、ハイゼンベルク、オッペンハイマーらの人間模様を交えて...
尚、伊藤文英, 高橋知子, 吉田三知世訳版(ハヤカワ文庫)を手に取る。


この方程式は、極めて単純なことを告げている。エネルギーと質量は等価であると...
物質は、自らの運動のしやすさを決定づける性質を持っている。質量と呼ばれるやつが、それだ。
では、エネルギーとは何であろう。ニュートンの運動方程式は、「力」という概念を質量と加速度の積で記述される。エネルギーが質量と関係するからには、力との結びつきを感じずにはいられない。
だが、アリストテレスの運動論以来、力の作用をめぐる議論は迷走を続け、インペトゥス、モーメント、トルク、フォースなどの様々な用語が乱立してきた。
21世紀の今、天動説という発想に感動すれば馬鹿にもされようが、そんなことよりも古代人の発想力への敬服は、広大な地面が球体であることを受け入れたことである。それは、球面上に存在する物体の位置関係では上下の感覚がぶっ飛ぶことを意味し、中心点に引きつける重力の概念を考えざるを得ない。重力とは、まさに重さの力。自己主張の強い人間社会において、存在の重さを計る最も重要な物理量だ。体重計の前では存在の軽さを演じたりしてるけど...
そして、20世紀初頭、この得体の知れない力の概念は、エネルギーというの名のもとで具体的に質量で記述されたとさ。しかも、光速の 2 乗との積で...


c2 という巨大な数が掛けられた贅沢なエネルギーの正体とは...
相対性理論によると、光は天空までも曲げてしまう力が秘められているらしい。光には奇妙な性質がある。常に物質の運動を先んじ、本体から逃げるように放出し続ける。ニュートン力学でも、物体の運動エネルギーは質量と速度の 2 乗の積で記述され、何か運動する要素を 2 乗すれば、なんらかの力が得られそうな予感が...
たった一粒の原子核ですら、光速の 2 乗という途轍もない数値を掛ければ、核分裂を引き起こすような衝撃が。例えば、ウラン 235 に中性子を衝突させたり、プルトニウム 240 を放射性崩壊させたり...
となれば、科学者たちの興味そっちのけで、政治屋どもが群がる。宇宙を支配する法則よりも、人間社会を支配する道具に...
物質を解明するとは、内包されたエネルギーの解放を意味するのか。善悪はそれを用いる者の心の中にある!とはよく耳にする科学者の弁明だが、それは詭弁であろうか。すべては、アインシュタインが悪い?いや、いずれ誰かが導いたであろう。
方程式という言葉の響きは、よほど心地よいと見える。権威ある学者が太鼓判を押せば、そこに人々が群がり、こいつに無限の期待をかけ、自己を暗示にかけちまう。だがそれは、迷信と何が違うのだろう...


本書の逸話では、ナチスの原爆研究で水が大きな役割を果たしたことは興味深い。
水とは、H2O のこと。中性子線を原子核に衝突させようとすると、たいていはかすりもせず、向こうへ飛んでいってしまう。中性子線の速度が速すぎるために。そこで、水をぶつけることによって減速させる裏技を、フェルミが発見したという。厳密に言えば、水素である。水素は重い方がいい。高速の中性子線を減速させるには、重水がうってつけというわけだ。ナチスの重水工場は、ノルウェーのオスロから曲がりくねった 90 マイルほど行った所、ヴェモルクの山奥の峡谷にあったという。その妨害工作は映画にもなり、レジスタンスと科学者の葛藤が思い浮かぶ。
アインシュタインは、ナチスの研究成果を察知して、ルーズベルト大統領に進言したという。ロスアラモスの地が妨害工作の餌食になることはなかった。地勢的な優位もあったが、いずれにせよ科学者は倫理にもとる選択を迫られる。物理学の新たな発見が、最初に軍事利用される運命にあるとは。これが、人間の編み出した政治というものか。
愛国心を掲げる政治屋は多い。が、祖国への忠誠と権力者への服従とでは、まるで意味が違う。自己を支配できない者が他人を支配しようとする。これが人間というものか。だとすれば、政治の力学とは、毒を以て毒を制すしかない、ということか...

2022-03-06

"量子が変える情報の宇宙" Hans Christian von Baeyer 著

原題 "INFORMATION : The New Language of Science..."


かつて人類は、宇宙観を力で語り、エネルギーで語り、そして今、情報で語ろうとしている。物理量では、重力を通して質量ってやつが幅を利かせ、これほど自己存在を強烈に意識させるパラメータはあるまい。
自己主張の旺盛な現代社会において、存在感の可視化はそのまま精神上の問題となる。体重計の上でいくら軽い存在を演じようとも、存在感では重みを求めてやまない。そして今、情報媒体における露出量が存在感に重みを与える。
一方で、騒々しい集団に埋もれながらも、存在の自由を静かに謳歌できる人たちがいる。情報の本質に希少性というものがあるが、彼らこそ密かに希少価値を高めるのやもしれん...


Big Question !
これは、科学界に古くからある神託めいた問い掛けである。宇宙はいかにして誕生したか?人類とは何者か?そして、どこから来、どこへ行くのか?... といった類いの。それは、存在の意味を求めてきた旅と言おうか。いや、解釈をめぐる旅と言おうか...
物理学の研究対象は、天文学から、運動力学、電磁気学、量子力学へと巨大な空間から微小な空間へ迫り、宇宙を構成する物質の根源を探求してやまない。
理解できなければ、それをバラバラにして構成要素へ還元せよ!
人間の理解力には、還元主義的な思考が備わっており、しかもそれは、認識能力との折り合いにおいてなされる。
認識できるものすべてに意味を与えようとは、人間の性癖にも困ったものである。それは、自己存在に意味を与えるための布石か。そもそも、科学者や哲学者が追い求めてきた実在なんてものは、人間認識の産物に過ぎないのやもしれん...
尚、水谷淳訳版(日経BP出版センター)を手に取る。


「物理だけを扱う物理理論は、物理さえも説明できない。私が信じるに、宇宙を理解しようとすれば、同時に人間も理解しなければならない。物理世界は深い意味で人間と結びついている。」
... ジョン・アーチボルト・ウィーラー


情報ってやつは、意味を与えて価値が生まれる。では、何が意味を与えるのか?
人間が、意味ある生き方をするのは難しい。ましてや自分自身で自己に意味を与えるとなると、自己満足から自己陶酔へ、自己肥大から自己欺瞞へ導きかねない。
そもそも、何事も意味を与えないと理解できないものであろうか。情報理論の父クロード・シャノンは、情報という用語の意味を問わず、ひたすら情報の量に着目して、これを定量化する数式を編み出した。対数の底が 2 であることは、Yes か No か、表か裏か... といった二択配列と関係することを暗示し、情報の基本構造がデジタル的であることを示している。
情報量と 2 の冪乗数は、すこぶる相性がいい。0 が認識できるということは、1 をも認識できることを意味する。善を認識すれば、悪をも認識せざるをえない。すべての認識は二項対立の関係から同時に生じ、こうした特性は、相対的な認識能力しか発揮できない知的生命体の限界であろう。
エントロピーを定式化したボツルマンにしても、合理的な通信符号を発明したモールスにしても、情報自体の意味は問わなかった。ただ、統計学を変革したベイズのような実用的な感性が、情報の事象に対して主観確率なる視点を与えている。
情報は扱い手によって、意味を与える。それが人間であろうが、機械であろうが。実際、情報はただ右から左に流れていくだけにもかかわらず、ある種の有機体のように振る舞い、人々に多大な影響を与える。


情報の意味を問わず、情報の量を問う。これは、人間にとって何を意味するのだろうか?Big Question に加えたい問い掛けである。
そして、それは(IT)、BIT からなるのか?いや、QUBIT からなるのか?量子への問い掛けが、宇宙解明への道となるのか?と。人間ごときが、生と死を同時に体現する量子の多重人格症に問い掛けたところで、精神分裂症を患うのが関の山であろうけど...


「情報という概念が過去数百年をかけて徐々に姿を現してきた様子は、同時に抽象的な量であるエネルギーが十九世紀半ばに誕生した様子とは、著しく異なっている。エネルギーは、二十年という短い期間に、考案され、定義が与えられ、物理学の基礎として確立し、そしてあらゆる科学の礎となった。我々は、情報が何ものかを知らないのと同様に、エネルギーが何ものであるかも知らないが、それでもそれを、新しい厳密な科学的概念として正確な数学的用語で記述し、また商品として測定し、売買し、規制し、課税することができる。情報もまた売買や規制の対象になりつつあるが、それ自体はエネルギーとは大きく異なり、また主観性の趣を呈しているがゆえに、定義するのもエネルギーよりはるかに難しい。」