2024-09-22

"五輪書" 宮本武蔵 著

どんな場面でも、なにかに対する時、観察力が問われる。兵法とは、それを体現する場。敵を知り己を知れば百戦危うからず!
だが、兵法を学んでも、それを役立てるかどうかはその人次第。それは、すべての知識について言えること。自然科学もまた、観察哲学を体現する場と言えよう。

さて、無の境地に達した剣聖の書とは、いかなるものか。一旦、刀を抜けば、相手を殺すしかない。それが剣術の道。「五輪書」とは、あまりに殺伐とした世界を純真に捉えた故に、あまりに馬鹿正直に生きた故に、生まれ落ちた書やもしれん。
戦いには間合いと拍子があるという。間合いを計り、拍子を知り、これに即した勝つ理を捉え、それを体現する技芸。これが兵法というものだそうな。
それは、人生とて同じ。組織や人との距離を計り、あらゆる行為のリズムを知り、これに即した理を捉えるのが人の生きる道というものか。
六十余度にわたる生死をかけた真剣勝負で会得した「二天一流」と称す奥義とは...

尚、本書には、原文と訳文に加え「兵法三十五か条の書」と「独行道」が併録され、佐藤正英校注・訳版(ちくま学芸文庫)を手に取る。

「われ三十を越えて跡を思ひみるに、兵法至極して勝つにはあらず。おのづから道の器用ありて天理を離れざる故か。または他流の兵法不足なるところにや。その後、なほも深き道理を得むと朝鍛夕錬してみれば、おのづから兵法の道に合ふこと、われ五十歳の頃なり。それより以来(このかた)は、尋ね入るべき道なくして、光陰を送る。兵法の利に任せて諸芸・諸能の道となせば、万事においてわれに師匠なし。」

五輪書は、地(ち)、水(すい)、火(くわ)、風(ふう)、空(くう)の五巻より構成される。
地の巻では、兵法の道を説き、大きなるところより小さきを知り、浅きところより深きに至る。能芸や管弦に拍子があるように武芸にも拍子があり、鉄砲や乗馬にも拍子があるという...

「拍子の間(あひ)を知ること... これ、無念無想なり。」
...「兵法三十五か条の書」より

水の巻では、水を手本とし心を水となし、「有構無構」の教えを説く。心の内を邪念で濁さず、心を広く持ち、広いところに智恵を置くべし。構えありて構えなし!とは、水の流れのごとく...
ちなみに、子連れ狼こと拝一刀の水鴎流とは関係なさそうだ。

火の巻では、「二天一流」の戦い様を火になぞらえ、勝つ理を説く。

風の巻では、我が道を一流とせず、様々な兵法の流れを見渡す。昔の風、今の風、家々の風、世の風など様々な流儀を。他流を知らずして、一流の道に達し得ない。その奥に善悪を知り、是非を知る。何事にも長所と短所があるというわけか...

空の巻では、何が兵法の奥義か、何が表か、何が基本かなど言い当てるまでもない。空(くう)の心で、道理を得ては道理を離れ、己の能力を体得し、自然体で拍子を捉えては剣術を自由自在に謳歌する。思うがままに打ち込むべし!これぞ無の境地か...

「空といふ心は、もの毎のなきところ、知れざることを空と見立つるなり。もちろん空はなきなり。あることろを知りて、なきところを知る。これすなはち空なり。
  -- <略> --
心(しん)・意(い)二つのこころを磨き、観(くわん)・見(けん)二つの眼を研ぎ、少しも曇りなく迷ひの雲の晴れたるところこそ、実(まこと)の空と知るべきなり。」

また、兵法の道は、武士に限ったものではないという。世に士農工商があれば、農耕の道、職人の道、商いの道がそれぞれあり、出家であれ、女人であれ、下賤の身であれ、義理を知り、恥を知り、死を潔くする者は実に多い。むしろ武士の方に心得なき者が多いと嘆く。
そういえば、新渡戸稲造は、「武士道」という書で日本人の心を海外に紹介した。西洋式に宗教に頼らずとも、道徳観や倫理観が育まれることを。本書にも、武士道精神が庶民にまで浸透していた様子が見て取れる。

「道において、儒者・仏者・数奇者・しつけ者・乱舞者、これらのことは武士の道にてはなし。その道にあらざるといふとも、道を広く知れば、もの毎に出合(いであ)ふことなり。いづれも、人間においてわが道々をよく磨くこと肝要なり。」

戦国時代から江戸初期にかけて、数多くの剣術の流派が百花繚乱を競う。大まかには、一刀流、神道流、陰流の三系統に区分されるとか。柳生石舟斎宗厳の柳生新陰流もその一派。武蔵の「二天一流」がどの流れを汲むかは不明のようだが、「五輪書」に先立つ十一年、柳生宗矩が書した「兵法家伝書」と同じ境地に達しているらしい。
兵法を上中下で格付けすると、「身や太刀の強さ・速さや構えの多さをひけらかすのは下位の兵法、細密な技や拍子のよさを衒い、きらびやかで見事なのは中位の兵法、強くも弱くもなく、人目を惹く見事なところもなく、大きく、真直ぐで、静かなのが上位の兵法」と武蔵は説く...

2024-09-15

"福翁百話" 福澤諭吉 著

自伝もいいが、随筆はさらにいい。達人が書けば尚更。自由奔放に筆を振るうだけに、自分自身に言い聞かせている所もあろう。自省心がなければ、為せない技か。自伝は生きた時間の流れに乗り、随筆は気分の流れに乗る。独立自尊を謳歌するように...
尚、服部禮次郎編集版(慶應義塾大学出版会)を手に取る。

「自由は不自由の間に在りと云う。凡そ人生には自主自由の権あり、上は王公貴人、富豪大家より下は匹夫匹婦の貧賤に至るまで、智愚強弱、幸不幸の別はあれども、名誉生命私有の権利は正(まさ)しく同一様にして、富貴巨万の財産も乞食の囊中にある一文の銭も、共にその人に属する私有にして之を犯すべからず。生命も斯くの如し、名誉も斯くの如し。」

「学問のすゝめ」(前々記事)に至った動機を伺いつつ、「福翁自伝」(前記事)を経て、「福翁百話」+「福翁百余話」に至る。
自伝では、ユーモアと愚痴を交えた改革精神に魅せられた。
百話では、宇宙を語り、万物を語り、無始無終の変化を語り、自然の無常を語り、道徳を語り、政治を語り、その先に自得自省、独立自尊の道を説いて魅せる。そして、思想の中庸を唱え、智徳の独立を説き、無学の不幸を知るべし!と励ましてくれる。

「人間世界の有形無形、一切万般を物理学中に包羅して、光明遍照、一目瞭然、恰も今世の暗黒を変じて白昼に逢うのを観あるや疑うべからず。故に今日の物理学の不完全なるもその研究は正(まさ)しく人間絶対の美に進むの順路なれば、学者一日の勉強一物の発明も我輩は絶対に賛成して他念なき者なり。」

独立精神を育むのは、結局は自分次第なのであろう。誹謗中傷の嵐が荒れ狂う社会にあって、他人を貶めて自己を安泰ならしめるなら、独立自尊なんぞ程遠い。不徳というより無知というべきか。
しかしながら、無知でいることが、いかに幸せであるか。集団社会では尚更。であるなら、自分の無知を承知して、無知者らしく無知を謳歌したいものである...

「人生は至極些細なるものにして蛆虫に等しと云うは、他人の沙汰に非ず、斯く云う我身も諸共に蛆虫にして、他の蛆虫と雑居し以て社会を成すことなれば、蛆虫なりとて決して自から軽んずべからず。」

2024-09-08

"福翁自伝" 福澤諭吉 著

自叙伝ってやつは、その人の生き様を容赦なく炙り出す。笑いを誘うような愚痴のオンパレードに、その人の人となりが露わとなり、革命家魂を垣間見る思い。「学問のすゝめ」に至った動機も十分に味わえる。
尚、土橋俊一校訂・校注版(講談社学術文庫)を手に取る。

動乱期を生きた人物の叙述にしては、どこか余裕を感じる。これが人間の度量というものか。例えば、維新前夜は辻斬りが横行し、武士だけでなく、町人や百姓までも怯えた様子が克明と伝わる。こうした世情では隙を見せられず、堂々と歩いているふりをして、すれ違い様にとんずらするのが良策だとさ。そして、当時の様子を、こう笑い飛ばす...

「こっちも怖かったが、あっちもさぞさぞ怖かったろうと思う。今その人はどこにいるやら、三十何年前若い男だから、まだ生きておられる年だが、生きているなら逢うてみたい。その時の怖さ加減を互いに話したら面白い事でしょう。」

また、渡米時の感想では、こうもらす。
大統領が四年交代ということは知っていたが、ワシントンの子孫となると大層な扱いだろうと思っていたら、市民は知らないどころか、興味すら持っていないことに拍子抜け。日本でいえば、源頼朝や徳川家康の子孫となると、それだけで大層な権威を持つものだが、これが民主主義ってやつか...

ただ、「学問のすゝめ」では、ちと違和感のある二つの極端論があった(前記事)。
それは、「赤穂不義士論」と「楠公権助論」で、日本古来、義人として認められるのは、佐倉宗五郎ただ一人としている。赤穂浪士と楠木正成公の否定論は、やや勇み足の感は否めない。庶民感覚としての権威主義への反発から、二つの物語を讃美しすぎると考えるのも分からなくはない...
本書では、封建社会における価値観には、ほどほど呆れた様子。過去のすべてを否定するかのような勢い。そして、伝統に対する世俗のあまりの盲目ぶりに物申す。
矛先は、当時の論調を代表する「門閥圧政鎖国主義」と「勤王佐幕」の二派。前者は、封建制度が後ろ盾になった旧来の価値観。後者は、勤王は尊王に類似した用語で、佐幕は倒幕の対抗馬。封建門閥精度には親の仇のごとく捲し立て、そればかりか改革派も開国論者ですら攘夷論の張本と切り捨てる。こんな勢いで二つの極端論を口走ってしまったか、と思わせるほどのブチ切れよう。人間は社会の虫なり!とまで言い放つ...

この時代にひときわ目立つように西洋文明を吹き込み、開国論を主張すれば、あらゆる論者を敵に回すは必定。幕末には、非国民、売国奴、西洋がぶれなどとレッテルを貼られ、維新の流れに転じれば、開国論者の第一人者として一目置かれる。政治のご都合主義にはほどほど呆れた様子。
「一身の独立なくして一国の独立なし!」とは、彼の名言の一つだが、明治政府からの誘いを拒み、身をもって独立自尊に徹した啓蒙家であったとさ...

「私の生涯のうちに出来(でか)してみたいと思うところは、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に愧ずかしくないようにする事と、仏法にても耶蘇教にてもいずれにてもよろしい、これを引き立てて多数の民心を和らげるようにする事と、大いに金を投じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにする事と、およそこの三か条です。」

2024-09-01

"学問のすゝめ" 福澤諭吉 著

時は幕末... 西洋列強国にことごとく不平等条約を結ばされ、自国で裁判する権利すら持ちえない。このままだと大陸同様、アジア全土が呑み込まれてしまう... そんな危機感から日本を真の独立国たらしめ、国民の精神改革を行おうと、その基礎に置いたのが天賦人権思想であったとさ。
尚、伊藤正雄校注版(講談社学術文庫)を手に取る。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず... といへり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心の働きをもつて、天地の間にあるよろづの物を資(と)り、もつて衣食住の用を達し、自由自在、互ひに人の妨げをなさずして、おのおの安楽にこの世を渡らしめたまふの趣意なり。」

西洋思想を学ぶべきだ!と主張すれば、非国民・売国奴のレッテルを貼られ、アメリカ独立宣言を思わせるフレーズを掲げれば、西洋の猿真似と酷評され、独立自尊主義を掲げれば、単なる理想主義と蔑まれる。そんな風潮も、維新の流れに転じれば、開国論者の第一人者として英雄視される。世論のご都合主義にも呆れた様子。
そして、学者連と一線を画し、位階も、勲等も、爵位も、学位も一切身に付けず、明治政府からの登用も拒み、身をもって独立自尊に徹した。ひたすら啓蒙家として生き抜いた一匹狼魂は、誹謗中傷の嵐が吹き荒れ、空気を読む忖度文化に縛られた今の時代だからこそ、輝きを増すのやもしれん...

「独立の気力なき者は、必ず人に依頼す。人に依頼する者は、必ず人を恐る。人を恐るる者は、必ず人に諛うものなり。常に人を恐れ人に諛ふ者は、次第にこれに慣れ、その面の皮鉄のごとくなりて、恥づべきを恥ぢず、論ずべきを論ぜす、人をさへ見れば、ただ腰を屈するのみ。」

それにしても、諭吉のリズムカルな文体は、名言にも格言にもできそうなフレーズに溢れている。ちょいと気に入ったところを拾ってみると...

「学問の要は活用にあるのみ。活用なき学問は無学に等し。」

「国法の貴きを知らざる者は、ただ政府の役人を恐れ、役人の前を程よくして、表向きに犯罪の名あらざれば、内実の罪を犯すも、これを恥とせず。」

「されば一国の暴政は、必ずしも暴君暴吏の所為のみにあらず。その実は人民の無智をもつて、自ら招く禍なり。」

「信の世界に偽詐多く、疑ひの世界に真理多し。」

校注者も乗せられて、こう綴る。

「適切な言葉があって、はじめて真理は人々の心に生かされる。」
... 伊藤正雄

現代にも通ずるフレーズに、崇高な普遍性を感じずにはいられない。
しかしながら、反論したくなる点もある。「赤穂不義士論」と「楠公権助論」が、それである。言うなれば、日本人の帰属意識までも否定していそうな。何事もアイデンティティと結びつくと、讃美しすぎる傾向があるのは確かだけど...
前者は、赤穂浪士は法を犯した罪人で、真の義士ではないという主張は世間を騒がせたであろう。だが、より大騒ぎになったのは後者の方だそうな。楠公とは楠木正成、彼の死ですら権助(下男)の死と同一視し、さすがに諭吉も弁明文を発表したらしい。
そして、日本古来、諭吉が義人として認めたのは、佐倉宗五郎ただ一人としている。あくまでも国法が最高権力というわけである。とはいえ、封建時代の法は幕府が押し付けたものであり、自然法には程遠い。西洋思想にだって欠点はあるし、そこまで持ち上げなくても。ジョン・ロックに触れれば、そこまでの極端論にはならないような気もするが...

2024-08-25

"興奮" Dick Francis 著

ディック・フランシスには、あまりサスペンスぽくないサスペンスにしてやられた(前記事「証拠」)。ここでは、これぞサスペンスというサスペンスにしてやられる。推理モノは危険だ!ハマると、つい一気読み。翌日はまず仕事にならない。まるで薬物!まさに興奮剤!
本書は、興奮に薬を結びつけるドタバタ劇、まさに劇薬だ!と思ったら、薬とはまったく関係ない仕掛けが待ち受けていた...
尚、菊池光訳版(ハヤカワ・ミステリ文庫)を手に取る。

物語は、イギリスの障害レースで思いがけない大穴が続くことに始まる。大番狂わせを演じた馬は異常なほど興奮していたが、いくら検査をしても薬物は検出されない。騎手、厩務員、調教師、馬主といった関係者にも、怪しいところが見当たらない。しかし、不正が行われているのは間違いない。
主人公は、オーストラリアの種馬牧場の経営者。裏事情に詳しい彼は、競馬協会理事に真相究明の依頼を受ける。そして、厩務員に化け潜入捜査をしていくうちに、イギリス最悪の牧場にたどり着く。厩務員たちは、奴隷のごとく酷使されている様子。人間は薬物で調教、トランキライザー!馬はパブロフの犬のごとく調教!この対照的な構図がなかなかの皮肉ぶり。サスペンスは、こうでなくっちゃ!

ついでに明かすと、馬に使う道具は犬笛。仕掛けはこうだ..
まず調教で、犬笛を吹くと、火焔放射器で恐怖心を誘発させる。犬笛の音は人間の耳にはかすかにしか聞こえない高音程で、馬にはやよく聞こえる。レースでは障害物を飛び越えるタイミングで犬笛を吹く。すると、馬は狂ったように怯え、全力で逃げ出そうとする。
実に単純な仕掛けだ!薬剤も装置を使わす、馬主、調教師、厩務員などの協力者も必要としない。実に完璧な計画だ!

2024-08-18

"証拠" Dick Francis 著

同じミステリー作家では、スタンリイ・エリンが、人の心に潜む悪意やいたずらを非情なまでの皮肉ぶりで暴いて魅せた。まさに、人間の存在そのものがミステリーであることを...
ディック・フランシスは、人が背負ってきたしがらみや生き様を、サスペンスに重ねて魅せる。ちと強引だけど... この強引さが、M にはたまらん!
それにしても、こいつは本当にミステリーか?
おまけに、酒が題材とくれば、やらずにはいられない。そして、一つの疑問が湧く。今、チビチビやってる虎の子のフィーヌ・ド・ブルゴーニュは本物だろうか?と。サスペンスってやつは、人を疑り深くさせる...
尚、菊池光訳版(ハヤカワ・ミステリ文庫)を手に取る。

親に失望され、見放されて生きてきた酒屋の御主人。戦争での父の勇敢さに劣等感を覚え。そんな彼を救ったのは妻。妻といる時だけが生きる喜び。そんな妻が急病で世を去ると、半ば死んだように生きている有り様。
次に、生きる気力を取り戻してくれるのは、やはり酒か。酒といっても、溺れるように飲むという意味ではない。自分の得意分野である酒の知識が生かされる場を求めて...

物語は、ワイン輸送車が急襲されたことに始まる。レストランでラベルと中身の違うボトルが見つかる。真の目的は高級銘柄のラベルか。偽物はどこに出回る?
偽物と気づかれない場所ならどこでも... 偽酒が大量に出回っている節があり、警察が動き出す。利き酒の能力と知識を買われ、捜査に協力しているうちに、陰謀の渦に巻き込まれていく。妻の急病に気づけなかった罪悪感の渦にも巻き込まれつつ... なんだ、この不釣り合い感は!
陰謀サスペンスの中で、自虐的な罪悪感や孤独な人生観を両立させているところが、この書き手の凄みであろうか。そういえば、題目は「証拠」であった。犯人は誰か?まぁ、それはおいといて...

人生には皮肉なことが多い。この方面でマーフィーの法則はことのほか冷徹だ。スコッチの熟成に劣らぬ文章の熟成ぶり... 作家が凄いのか、翻訳家が凄いのか。最後の独白にイチコロよ!

「エマ... エマ... エマ... と叫びながら家の中を通って行った。声が壁にぶつかって反響している。彼女を求めて叫んでいるのではなく、彼女に告げたくて叫んでいた... 彼女に聞いてもらいたかった... 自分が初めてなすべき事をした。いつまでも臆病者でいたわけではない事、私に関する彼女の記憶を裏切らなかった事... あるいは自分自身を裏切らなかった事... 自分のあるべき姿を具現した事... 彼女に慰められ、充実感を味わい、あくまで彼女と一体なのだと感じている事、かりに今後彼女のために泣く事があっても、それは彼女が人生の楽しみを最後まで味わえなかった事... 生まれなかった子供... に対する歎きであって... 自分が大切な物を失ったため、寂しいため... 罪の意識のために泣いているのではない事を知らせたかった。」

2024-08-11

"単位と比 - わけのわかる算数のはなし" 芹沢正三 著

これは、児童向けの書である。童心に返るのは難しい。ましてや脂ぎった大人には難しすぎる。唯一の頼みは、気まぐれってやつ。気まぐれは偉大だ。何一つ馬鹿にすることなく、まったく抵抗感なく、手に取ることができるのだから...

なにゆえ人間は、モノを測ったり、数えたりするのか。それは性癖か、退屈病がそうさせるのか。この単純行為は、なにやら心を落ち着かせてくれる。精神病患者や知的障害者は、数を数えることによって気持ちを整える。ある種の儀式のように。サヴァン症候群のような突飛な能力の持ち主ともなると、数字が風景に見えるらしい。おいらも、デスクトップ上のスキャンカウンタをなんとなく見入ってしまう。

日常、人は何かを測定したり、計算したりする時、「単位」ってやつを使う。
3 + 5 という単なる足し算も、3 万円 + 5 万円となった途端に目の色が変わる。
3 メートルと 5 グラムを比べても意味はないが、3 メートルと 5 メートルを比べれば、長さの違いが見えてくる。太閤検地なんぞで田畑の面積を画一的に測量された日にゃ、土地の隅々まで年貢の対象とされ、根こそぎよ。持ってけ泥棒!
単位は、それが比較の対象で同じであれば、数字を同じ土俵に立たせることができる。となると、単位はある種の性質や属性を表していることに。科学界が SI 単位系などと称して国際標準化に奔走するのも無理はない。

物理量には、二つの量がある...
数字で数えられる離散量と、数字で数えられない連続量とが。リンゴは、1個、2個と数えられるが、水はどうやって数えるの?コップで、1杯、2杯としたところで、コップの容量が違えば...

重さを測れば、奇妙なことに...
万有引力の法則によると、地球の重力はすべての物体に対して平等に働くことになっている。だが、地球は完全な球形ではない。おまけに地形も様々で、場所によって重力に誤差が生じる。すべての物体の重さが地球の重力で決まるとすれば、地球の重さは?すでに自己矛盾に陥っている。
そこで、質量という概念が編み出された。物体の重さが地球という外部要因で決まるなら、質量はその物体自体に具わった量ということに。その方が、得たいの知れない潜在的なポテンシャルエネルギーってやつも受け入れやすい。
ちなみに、キログラムは、白金イリジウム合金でできた国際キログラム原器が基準であったが、現在ではプランク定数で定義される。やはり、単位は人工物の関与を避けたい。人間ってやつは傲慢だから。命の重さは地球よりも重いって本当?体重計の上では軽さを演じておきながら、存在の重さとなると目くじらを立てる。

単位によっては、足し算ができたり、できなかったり...
長さや重さは足し算ができるのに、温度は足し算ができない。だが、熱量なら足せる。やはり熱エネルギーは手ごわい。エントロピーに看取られているだけに。しかも、この宇宙空間には、絶対零度ってやつが存在すると聞く。それを人類が知っているというのも疑わしいが...

足し算の限界値では、循環論に陥ることも...
角度では、360度までなら足し算ができるのに、それを超えた途端に循環論に陥る。この循環性から位相という概念が編み出された。自然界には、振動という現象が多い。実に多い。いや、量子の世界まで突き詰めれば、すべての物理現象は振動で説明できそうな。
そして、モジュロ演算の抽象度に感服せずにはいられない。モジュロ演算では割り算とその余りが主役となり、比の解釈を拡大させてくれる。

古来、人類は時間と暦の計算に悩まされてきた...
太陽を基準に、ユリウス暦に、グレゴリオ暦に、改良に改良を重ね、閏年で調整しても足らぬ。二千年問題ではコンピュータ業界を震撼させたが、それは千年紀の問題であろうか...
時間ともなると、12 進数と 60 進数が混在しやがる。おまけに、時刻と時間で使い分けられ、時計は時刻を知らせ、ストップウォッチは時間を刻む。正確さを求めれば、地球の運動だけでは足りず、セシウム原子に縋る。

古典力学では、時間と組み合わせた単位が幅を利かす...
速度 m/s に、加速度 m/s2 に、角速度 rad/s に... 物理現象を時間の変化として捉えれば、そうなる。さらに、時間以外の単位を組み合わせて、線密度、面密度、濃度、人口密度なんて量を次々と編み出し、正比例や反比例としただけで、その現象が理解できた気になれる。
相対的な認識能力しか持ち合わせていない知的生命体にとって、「比」ってやつは、すこぼる重要な概念だ。

ところで、時間は絶対であろうか。相対性理論は告げる。光速に近い速度で運動すれば、時間はゆっくりと進むと。オチオチ静止している場合ではなさそうだ...

2024-08-04

"アジャイルサムライ - 達人開発者への道" Jonathan Rasmusson 著

アジャイルサムライとは、なんとも日本風のタイトル...
執筆当初は、"The Way of the Agile Warrior." であったとか。ジョナサン・ラスマセンは、技術屋魂に武士道精神を見たのか...
尚、西村直人・角谷信太郎監訳、近藤修平・角掛拓未訳版(オーム社)を手に取る。

「アジャイルサムライ... それはソフトウェアを顧客に届ける猛々しいプロフェッショナルだ。たとえプロジェクトがきわめて過酷な状況にあろうと、かつてなく手ごわい期日であろうと、成果をあげる力量を備え、しかも品格と平静さを失うことがないのだ。」

アジャイルチームには、三つの特徴があるという。
まず、役割分担がない。人はみな自分の得意分野にこだわる傾向があるので、定義する必要もないと。
次に、分析、設計、実践、テストといった工程はいずれも、途切れることなく続く連続的な取り組みで、日々連携であると。
そして、チーム一丸となって成果責任を果たし、自分の担当に固着しないと。
こうしたチームには、哲学的な共通意識やメンバーが互いに高め合おうとする風土を感じる。アジャイルは、ソフトウェアの開発手法として知られるが、なにも分野にこだわることもあるまい。時にはフレームワークであったり、時には職場環境であったり、あるいは、エンジニアリングであったり、マネジメントであったり、はたまた、心構えであったり、哲学であったり、はたまた、人生そのものであったりと様々な捉え方ができよう... 

「君が質の高いソフトウェアを届けることは誰にも止められない。君が職場に立って、お客さんに向けてプロジェクトの状況と、プロジェクトに必要なことを誠実に伝えるのも誰にも止められないんだ。でも勘違いしないでほしい。これは簡単なことじゃない。私たちの業界には何十年もの歴史がある。時の流れと共に積み重なってきた数々の問題が、私たちの行く手を邪魔することだってあるだろう。とはいえ、結局のところ君の働き方や仕事の質を選んでいるのは他の誰でもない、君自身なんだ。そのことだけはしっかりと受け止めてもらいたい。それから、誰かにアジャイル開発を押しつけるのはだめだ!」

優れたプロジェクトマネージャは、チームに何をすべきかなんて指示しないという。そんなことは必要もないと。プロマネが手助けすることはただ一つ、環境を整えること。そのためにも自己組織化を要請している。
スタートを切る前から駄目になってしまうプロジェクトは多い。その主な理由を二つ挙げている。一つは、答えるべき問いに答えられない。二つは、手ごわい質問をする勇気が持てない。まさに忖度体質か!
そこで、マネジメントツールとしてインセプションデッキを提示している。インセプションデッキとは、プロジェクトの目的や問題点などを全体像として把握し、チームの進むべき道を示したある種のドキュメント。それは、10 の手ごわい質問と課題で構成される。我々はなぜここにいるのか?との問いに始まり、エレベーターピッチの作成を求めたり、顧客を積極的にメンバーに引き入れたり、解決案を図式化したり、期間の見極めや何を諦めるかを明確にしたり...
要するに、哲学的な意識や価値観をメンバーで共有し、個人とチームの強みをしっかりと自覚すること。
尚、やるべきことは、どうも加算されていく傾向にあるので、諦めることを明確にする方が合理的なようである。それでも、プロジェクトをやるのか?と自問すれば、プロジェクトの核心に迫り、インセプションデッキの背後にある意思が見えてくる。適切な質問こそが、自己を導き、チームを導くであろうことを。そして何よりも、仕事ってやつは楽しまなくっちゃ!

但し、言葉に翻弄されては本末転倒。オブジェクト指向にしても、ドメイン駆動設計(DDD)にしても、テスト駆動開発(TDD)にしても、真新しい方法論が登場してはセミナーが乱立し、そこに人は群がる。おそらく、アジャイルを実践している人は、それがアジャイルかなんて意識はないだろう。ごく自然に受け入れているのでは...
本書で紹介されるアジャイルの原則にしても、すでに実践しているものが多い。特定の方法論に固執しないのも、一つの方法論としておこうか...
とはいえ、あまりに情報を共有するがために、すべてがメンバー全員に筒抜けでは弊害もある。リリースの遅れにしても隠しようがない。上を誤魔化し、結果で帳尻を合わしてきたプロマネにとっては...

「マーフィの法則は、事前によく練られた計画を台無しにしてしまうことについては、とりわけ情けも容赦もない。変化と向き合うための戦略がなければ、君の暮らしは荒れ狂うプロジェクトに翻弄されるがままになってしまうだろう。」

ちなみに、身近な介護チームにも、アジャイルを見かける。福祉サービスや通所介護に病院が加わり、ケアマネージャさんをはじめ、介護士さん、福祉用具屋さん、看護師さん、栄養士さん、理学療法士さん、お医者さん、ついでに食堂や売店のおばさんたちの連携が素晴らしい。医療現場といえば、たいてい医師が主導する立場にあろうが、担当の垣根を超えて介護士さんや看護師さんたちが率先し、お医者さんは後ろから支えているような位置づけ。臨機応変に対応せざるを得ない現場だけに、まさにジェネラリストの集まり。実に、自由主義的で、民主主義的なチームだ。
本書にも、アジャイルチームは担当役割が曖昧とあるが、曖昧というより自由と表現する方がいい。役割分担を明確に与えなければ、仕事が進まない大企業体質とは明らかに違う。命令を待たなければ何もできない官僚体質とも根本的に違う。なによりも仕事をしている人たちが楽しそうで、顧客の方も乗せられちまう。介護地獄が楽しいわけがないのだけど...
本書も、アジャイルメンバーに顧客を引き込み、積極的に要求を引き出すことを奨励している。実は、顧客というのは、自分の要求が分かっていないことが多い。なので、実用的な成果を短いスパンで定期的に公開し、顧客自身の意志を明確にさせることが重要となろう...

2024-07-28

"集合知プログラミング" Toby Segaran 著

原題 "Programming Collective Intelligence"
"Collective Intelligence" を機械翻訳にかけると「集合知」と出る。なにやら宝の山を思わせるような...
しかし、情報をただ集めるだけでは、大衆の叡智に体臭がたちこめ、情報過多シンドロームを患う。集合知の元になるのは確かにデータだが、きわめて流動的で、こいつを活用するのは至難の業。それには知を高めてこそ...

本書は、統計情報に機械学習のアルゴリズムが絡んでいく物語である。データの収集やパースのやり方、効率的なデータ構造の持ち方、あるいは、ネット上に公開される API の利用など、いわば機械学習の入門書といったところ。
サンプルコードでは Python が採用され、プリミティブ型では List と Dictionary が多用され、可読性もいい。そして、データ収集、分析のためのライブラリ群を紹介してくれる。
尚、當山仁健、鴨澤眞夫訳版(オライリー・ジャパン)を手に取る。

登場するアルゴリズムは、大きく分けて「教師あり学習」「教師なし学習」の二つ。
教師あり学習では、ベイジアンフィルタ、決定木、K 近傍法、ニューラルネットワーク、サポートベクトルマシン(SVM)が...
教師なし学習では、クラスタリング、多次元尺度構成法、非負値行列因子分解、最適化が...
これらのアルゴリズムに、ユークリッド距離、ピアソン相関係数、Tanimoto 係数、ドット積(内積)、条件付き確率、エントロピー、ガウス関数といった数学が絡んでいく。
要するに主に問われている事は、データの関連性とその距離や確率、そして、これらの次元的マッピングや可視化である。こうした図式化は、人口分布、流行予測、株式市場の動向といった現象と重なり、行動経済学的ですらある。

具体的な事例は、購入やレンタルした商品の情報からユーザに推奨する方法、膨大なデータから類似したアイテムを発見してクラスタリングする方法、数多くの解決策の中から最適なものを選ぶ方法、オークションの最終価格を予測する方法、カップルになりそうなペアを探す方法など。
例えば、Amazon で本しか買っていなくても、類似のユーザに関連づければ、映画のオススメもできるといった具合。どんな些細な個人情報も、集団化して分類器にかければ、金になるってことだ。年齢、性別、家族構成、住まい、保険契約、プロバイダ契約から、お酒の嗜好や音楽の好みまで、データの集合体として組み立てれば、なんでもあり。
そして、ほんの些細な情報漏洩も... 情報収集社会から行動モニタリング社会へ、まったく油断も隙もならぬ時代を実感させられる。
さらに、遺伝的プログラミングに触れ、アルゴリズム自体を自動生成するアルゴリズムまでも登場。もはや人間様は不要ってか。いや、カモは必要だ!

おまけで付録には、日本語テキストを処理するためのサンプルコードが紹介される。英語のように単語と単語の間に空白があるような言語システムでは、デリミタで悩むことがなく、そのまま正規表現にかけたりできるが、日本語の場合そうはいかない。文章解析では、昔から悩ましいところ。こいつに、g さんの PageRank アルゴリズムを喰わせた日にゃ...

2024-07-21

"Beautiful Testing" Tim Riley & Adam Goucher 編

テストにビューティフルとは、なんとも馴染みにくい形容である。開発工程において、最も泥臭く地道で根気のいる仕事。テストケース、おいらの周りでは検証リストと呼んでいるが、この膨大なリストと睨めっこしながら、実際にテストを実行していくのは思いっきり辛い!ちまちました項目を挙げていく眼力は、まるで姑チェック!おまけに、それで完全に網羅できたなんて、どこにも保証がないときた。
とはいえ、テスト環境、おいらの周りでは検証環境と呼んでいるが、これを構築するのは結構楽しい。プログラミング言語、ハードウェア記述言語、数値演算言語、グラフィックツール、画像フォーマットなどを組み合わせ、スクリプト言語で全体を制御する。こうした統合環境を構築していると、システムを支配した気分になる。自動化して手懐けちまえば、ちょっぴり美しくも見え、何よりも愛着がわく。手のかかる子ほど可愛い... と言うが、その類い。
ならば、自動化に至る作業までも自動化してくれなくっちゃ... AI 君、よろしく!人間よりも人間臭い AI の出現を願いつつ...
尚、大西建児監訳、児島修訳版(オライリー・ジャパン)を手に取る。

「ソフトウェアテスティングは常に挑戦です。どれほど真剣に取り組んだとしても、プログラムが完全に安全で、バグフリーであることを証明できません。アルゴリズムの完璧さを証明出来たとしても、その確信が正しいかどうかは、現実世界によって検証されるのです。」

美しい... というのは、あくまでも主観的な審美眼。美しさが何であるかを完璧に知る者は、いないだろう。芸術家ですら、美的感覚は個性によるもの。それでも、美しさ、単純さ、真理といったものには、なにがしら関連性がありそうだ。
自然界には数学に看取られた美がある。例えば、黄金比がそれだ。構造化プログラミングにも、オブジェクト指向にも、設計手法にも、そのような感覚を覚えることがある。
では、テストはどうであろう。自動化や効率性といったものに、それを見い出すことはできそうか...

「何かを指して『美しい、素晴らしい』と言うとき、そこには大きな『喜び』か『満足』のどちらかが存在します。」

本書は、テスター、プロセス、ツールという三部で構成され、23 もの体験談が掲載される。ビューティフルテスティングとは、「ビューティフルなテスターによる、ビューティフルなプロセスのための、ビューティフルなツールの活用」であると。
テスターの心理やオープンソースに見るコミュニティから、ファジングやテスト駆動型開発(TDD)といった技法、あるいは、ミューテーションテストや Web オートメーションなど、門外漢でも興味を引く。

テスティングは、リリースの合否を判定する最後の砦。
ちなみに、極度に困難でストレスに満ち、重苦しい雰囲気の中で仕事をしている医療スタッフは、少々ブラックで、ゾッとするようなユーモアのセンスを身につけてしまうそうな。それは必要なことなのだろう。あまりに真面目で、緊張し過ぎの医者による手術は、勘弁願いたい。
テスターにも似たようなところがあるらしい。彼らは問題を発見し、それを報告し、リスクの存在を知らしめる。深刻なエラーもあれば、リリース後のアップデートでカバーできるバグもある。システムがますます複雑化していく昨今、完全にバグを消し去るなんて不可能だ。
本書は、テストの観点から少しばかり肩の力を抜いてくれる。アダム・グーチャーは、「楽しさ、やりがい、魅力、経験を積んでいるという実感、知的さ、意義」これらを言い換えると、すべて美しいことだという...

ところで、テスターとは、どんな人種であろう。どんな人が向いているのであろう。
テスターは質問魔!設計者にインタビューし、設計思想や設計構造を聞き出しては実質的な設計を理解し、テストすべき要所を見抜く。適切な質問で言葉の行間を読み、現象の背後にあるものを推測する。好奇心旺盛で実験好き、分析的で、新たな知識をすばやく吸収。バグを見つけるのは、まるで宝探し。その姑チェックぶりは、なかなか手ごわい。
一方で、政治的な振る舞いには無関心で、目上の人間にもお構いなし。開発部と品質管理部はよく衝突するものだが、適度な緊張感は必要だ。中には開発メンバーを教育してやろうと考える人もいるが、人の欠点ばかり探してるってのもどうだろう。
優れたプロジェクトチームは、テストチームの知識と直感をうまく活用するという。テスターとの距離感と、そこに信頼関係を築くのも、プロマネの本領というわけか...

「言ってみれば、僕は現実の境界線をテストしていたんだ。ただ、何が起こるのか見てみたかった。好奇心... それだけさ。」
... ジム・モリソン