2025-02-02

"信頼性の高い推論 - 帰納と統計的学習理論" Gilbert Harman & Sanjeev Kulkarni 著

どの学問分野に分類すべきか、時折、そんな悩ましい書に出くわす。いや、分野に縛られない自由さこそ学問というものか。
本書の由来は「学習理論と認識論」と題した講義にあるという。哲学、人文学、情報工学、統計学、認知科学などの学生を対象に。著者には、哲学研究の専門家ギルバート・ハーマンと情報科学の専門家サンジェーヴ・クルカルニの名が連なる。知的活動に文系も理系もあるまいが、あまりに学際的。認識論的な思考過程として演繹法と帰納法の意味を探ることに始まり、機械学習的な思考過程としてニューラルネットワークやサポートベクターマシンを論じ、さらにトランスダクションにも触れる。そこには、確率論的な数式やベイズルールが散りばめられ、VC 次元のお出ましとくれば、とりあえず数学に分類しておこう。
ちなみに、数学は哲学である... というのが、おいらの持論である。
尚、蟹池陽一訳版(勁草書房 - ジャン・ニコ講義セレクション)を手の取る。

本書の記述が数学的な側面が強いとはいえ、やはり認識論の領域であろう。あらゆる学問が、人間の認識能力に発するのも確か。この宇宙に存在する一切の事物、あらゆる現象に、意味や意義なんてものはあるまい。おそらく。
だが、人間ってやつは、何事にも意味を与えずにはいられない。精神や魂といった概念を編み出しては、これに縋り、自分の人生に意味を与えずにはいられない。
それはきっと、認識能力を獲得したせいであろう。すべてを神のせいにして楽になれるなら、神の存在意義も絶大となる。結局、どう認識するか、どう解釈するか、ということに帰着する...

人間の認知能力が、あらゆる知識、事象、現象を分類したり、抽象化したりする。それは、機械学習のアルゴリズムが、ラベル付けされたデータから規則性を見つけ、定義し、分類する振る舞いと似ている。ニューラルネットワークやサポートベクターマシンは、ラベル付けされたデータ、分類化されたデータを用いる。つまり、扱うデータは、経験値がきちんと記述できる形になっているわけだ。
しかし、人間の認知能力は、記述できない、言葉にできない領域にまで広がる。そこで、トランスダクションという概念は、そうした領域にまで手を広げるものとして紹介される。
人間の推論メカニズムは、きわめて線形的で、連続的ではあるが、時には、分類の困難な、非線形な、矛盾や不合理までも相手取る。気まぐれってやつも、その類いであろうか...

物質に素粒子という素があるように、認識にも素となる命題めいたものがある。
例えば、ユークリッド原論の公準がそれだ。それは、これ以上証明のやりようのない純粋な要請であり、論理学の限界を示している。第五公準はおいといて。幾何学は、この公準を基点として組み立てられてきた。
その際、証明手順に演繹法と帰納法とがある。前者はきわめて純粋で、証明の王道といえば、おそらくこちらであろう。だが、現実は後者の方が有用なことが多い。誰もが疑いようのない明確な論理的過程よりも、経験を蓄積し、分析し、学習し、知識の精度を上げていく過程の方が実践的でもある。

ここでの関心事は、帰納法的学習の信頼性である。推定の難しさ、複雑さとして、VC 次元を持ち出し、その意味は「粉砕」によって説明される。
「粉砕」ってなんだ?大数の法則のようなものか?うん~... エントロピーに埋没しちまいそうな。推定の難しさは、簡単に言えばコンピュータの計算量ということにもなろうか。
「反省的均衡」という用語にも注目したい。それは、積分的な思考とでも言おうか。帰納法の目的が、これだ!と言ってもいい。帰納的な思考過程では、信念バイアスがかかることも留意しておこう。
そして、枚挙したデータ群から誤差を最小化する思惑、反証可能性の程度、単純な仮説の想定、正弦則による予測、カーブフィッティングを用いた実数値の推定など、基本的には線形性を想定した確率論的な推論を軸に検討が進み、やがて非線形や離散的なデータをも取り込む。トランスダクション・モデルに至っては、道徳的個人主義にも適応できるとさ...
いま、アラン・チューリングの問いかけを想起せずにはいられない。機械は意思を持ちうるか、と...

「統計的学習理論の最も偉大な発見の一つ、規則集合のヴァプニク - チェルヴォーネンキス次元、すなわち、VC 次元の重要性の発見。規則集合の豊かさの測度。反証可能性の度合いに反比例。VC 次元を持つ時、背景にある統計的確率分布が何であろうと、十分な証拠を条件付きとしてうまく得られる。」

2025-01-26

"フーコーの振り子" Amir D. Aczel 著

どんな数学的証明よりも、どんな科学的論証よりも、説得力のある実験がある。まさに、見たまんま!それは、振り子の振動面がゆっくりと回転していく正弦則にあったとさ...
尚、水谷淳訳版(早川書房)を手に取る。

いまや地球が自転しているなんて常識中の常識。
だが、これを証明するとなると、コペルニクス、ケプラー、デカルト、ガリレオ、ニュートンらを悩ませてきた。自己中心説から人間中心説、そして地球中心説を覆そうものなら、まさに命がけ。誰もが納得する証拠を叩きつけられなければ、宗教裁判の餌食よ。
レオン・フーコーとて、当初、権威ある学者連に馬鹿にされたという。アマチュア科学家が、居丈高な専門家どもに理論の後づけを強いる物語は、まさに痛快!

科学界のアウトローは、ひたすら興味本位で実験を繰り返す。その後ろ盾となったのは、ルイ・ナポレオン。伯父ナポレオンの失脚後、亡命と獄中生活を送るも、革命によって返り咲く。皇帝ナポレオン三世となった彼は、自分の不遇な人生をフーコーに重ねたのか、排他的なパリ科学界に一石を投じる。
しかし、皇帝の失脚とともに、フーコーの運命も.... 振り子が触れるがごとく。

振り子が揺れるのはいい。それは重力がある証拠。そりゃ、リンゴだって落ちるさ。
では、その振動面がゆっくりと回転する現象をどう説明するか。縦だけでなく、横にも G が働いている。横に G が働くとはどういうことか。振り子は天球の日周運動の方向に移動する。球面上において、移動方向に垂直に作用する奇妙な力の正体とは...

地球が自転しているという前提知識の上では、三角関数を用いた数学的な説明もできれば、円錐形を用いた幾何学的な説明もできるし、コリオリの力による物理学的な説明だってできる。証明の王道といえば演繹法だが、人間のほとんどの知識は経験の積み重ねで、帰納法とすこぶる相性がいい。科学的知識ってやつは、時間とともに後出しジャンケンのような状況にある。それで現代人が賢いとは、笑止!

自転する物体が織りなす空間は、独立した一つの小宇宙をつくる。それは、外部からの視点と内部からの視点という二つの観測課程の距離感として現れ、相対性の概念を呼び起こす。物理学において重要な思考法の一つに、様々な現象に座標系を仮定するというやり方がある。ある座標系から観察した物理運動は、別の座標系から観測したものとは違って見え、こうした視点が相対性理論と結びついた。
人間の発明では、ジャイロスコープに一つの小宇宙を見る。スピンを持つ素粒子にも、そこに一つの小宇宙があるのやもしれん。

フーコーの振り子は世界各地の博物館や教育機関などに設置され、観光の名所ともなっている。高い天上から吊り下げられ、永遠に揺れ動く様子を眺めていると、なんとなく崇高な気分になれる。小宇宙の中でぽつりと埋没する自我を感じながら...

2025-01-19

"古い医術について 他八篇" Hippocrates 著

紺屋の白袴... という言葉がある。医学に従事する人とは、そうした人たちなのであろう。お医者さんだけではない。看護師さん、介護士さん、理学療法士さん、栄養士さん... そして、つくづく思う。人間ってやつは、単なる熱機関か、喰って排泄するだけの存在か、と。どんなに偉かろうが、どんなに賢かろうが...
苦しみでもがき、今にも死にそうな人間に肉迫しなければ、人間というものを真に理解することは難しい。そのように肉迫できる人間だけが、医療従事者になれるのやもしれん。その原点を、ヒポクラテスの誓いに見る思い。人の命は短く、術の道は長く...

尚、本書には、「空気、水、場所について」、「神聖病について」、「古い医術について」、「技術について」、「人間の自然性について」、「流行病 第一巻」、「流行病 第三巻」、「医師の心得」、「誓い」の九編が収録され、小川政恭訳版(岩波文庫)を手に取る。

「益を与えよ、さもなくば無害であれ。医の技術には三つの要素がある。すなわち病気、病人、および医者。医者は技術の助手である。病人は医者と協力して病気に抵抗すべきである。」

医術が呪術とされた時代、医学を経験科学の座に据えた最初の人。それがヒポクラテスである。彼の流行り病における数多の症例と、これに施した治療の詳細、そして死に至る描写は、21 世紀のコロナ禍を物語っているような。当時、神聖病と呼ばれた癲癇についても、けして神業ではないと、その根拠を示す。医術を技術とする観察哲学や科学的考察。医術の心得は、二千年を経た今でも衰えぬと見える...

「人間の身体はその中に血液、粘液、黄および黒の胆汁をもっている。これらが人間の身体の自然性であり、これらによって病苦を病みもし健康を得もする。いちばん健康を得るのは、これらの相互の混合の割合と性能と量が調和を得、混合が十分であるばあいである。病苦を病むのは、これらのどれかが過少か過多であったり、身体内に遊離して全体と混合していなかったりするばあいである。」

妖術師、祈祷師、托鉢僧、野師といった連中が神聖視された時代、ヒポクラテスは、医者の地位を技術の助手とし、患者や他の従事者と協力して病に当たるべし... と説く。
そして、季節の影響を考慮すべし、特に季節の変わり目に... 暖や寒の風、あるいは風土を考慮すべし... 水の味や重さ、あるいは硬水や軟水といった性質を考慮すべし... 北方か南方か、湿地か乾地かといった土地柄を考慮すべし... 労働を嫌うか、体育を好み労働を愛すか、あるいは多食か、多飲か、といった生活習慣を考慮すべし... と。
どんな分野にも、難しい専門用語を使うことが専門家だと思っている人たちがいる。しかし、人間であるからには誰でも病気になるし、生きているからにはいつか死ぬ。この分野で専門も素人もあるまい。
確かに、専門的な検査を受ければ、病状を知り、病名を知ることができる。そこで、インフォームド・コンセントといった発想が必要になるわけだが、すでにヒポクラテスの記述に、原因と病状の関係を合理的に説明する態度が伺える。

「充満が生む疾病は空虚が癒し、空虚からおこる疾病は充満が癒し、激しい労働から生じる疾病は休息が癒し、怠惰から生まれる疾病は激しい労働が癒す。」

ところで、不幸な出来事を神のせいにすれば、それで救われるであろうか。重い病を神のせいにするのと運命論で片付けるのとでは、どちらが楽になれるであろうか。
一方で、幸運な出来事には、誰はばかることなく自分の力だと断言しちまう。人間とは、なんとおめでたい存在であろう。しかし、そうでも考えないと、生きてゆくのも難しい。やはり神は、人間にとって必要な存在のようだ。しかも沈黙してくれた方が都合がいい。神の声が聞こえると主張する者にとっては... 神の存在を信じない者にとっても...
医師だって魔術師のようなもの。18世紀頃まで名医たちは瀉血を信仰し、血を抜き、知を抜いた。水銀を与えては下痢をさせ、嘔吐させたうえに皮膚を熱して水膨れをつくり... そして、ジョージ・ワシントンは死んだ。
いつの時代も、科学や技術は信仰化するところがある。ヒポクラテスの時代、病気になれば祈祷師や妖術師のところへ行った。今の時代、病気になれば医者のところへ行く。これも、ある種の信仰やもしれん...

「神殿で、実在的にせよ想像的にせよおよそ超自然的な邪魔物を遵奉することによっては、技術は学べない。技術は、ヒポクラテス集典の著作者たちがわれわれに告げているように、経験によって学ばれ、また人間と事物の自然的本性に理論を適用することによって学ばれる。」
... ウィシントンの所説より

2025-01-12

スタートページを独自に...

ポータルサイトの乗り換えで、惚れっぽいおいらの移り気は激しい。
iGoogle, My Yahoo!, Netvibes, iChrome... そして、chrome 拡張 ProductivityTab を愛用してきた。カスタム css で彩りながら。
今、愛ある G さんや、M な Ya さんが懐かしい...

さて最近、chrome の拡張機能にこんなメッセージが...

 "これらの拡張機能はまもなくサポートされなくなる可能性があります
  削除するか、Chrome ウェブストアにある同様の拡張機能に置き換えてください。
  ・ProductivityTab — Custom Homepage Dashboard"

ここで、ず~っと保留してきた課題が浮かび上がる。どこぞのポータルサイトに乗り換え、それを解析してカスタマイズするのと、独自にスタートページを作成するのとでは、どちらが手間であろうか...と。少なくとも後者は、かゆいところに手が届く。
自由とは、独学で知識を得、自分でなんでもやるってこと。そして、これが最も肝心なことだが、それを楽しむってこと。
てなわけで、独自のスタートページを作成することに...

これが、従来の拡張機能 "ProductivityTab" のスタート画面...




そしてこれが、新規に作成したスタートページ...




大雑把な指針は、大まかな要素を flexbox で配置し、子要素に iframe や object タグを用いる。ページの切り替えは、従来は左右の矢印ボタンでページを捲るイメージであったが、新規では右上にタブを配置し、ダイレクトで飛べるようにする。
また、拡張機能では列の幅は同一であったが、自作なら自由自在!
おかげで、目障りな広告も入らず、chrome 依存から解放された。

ちなみに、iframe と object タグのスクロールバーが、chrome ではイマイチ。このあたりのオプションで誤魔化す。

  "chrome://flags"
  #    "Fluent Overlay scrollbars"
  # or "Fluent scrollbars"

2025-01-05

七年間の介護生活が終幕!ヤリ遂げた感とヤリ残した感が錯綜する中で...

関係者の方々へ感謝を込め、ここに記憶を刻む...
介護地獄という形容がある。まさに地獄!とはいえ喜びも多々あり、そう捨てたもんじゃない。こうして仕事と両立しながらやって来れたのも、みなさんのおかげです!

介護を論じれば、独り善がりな奮戦記となるは必定。
介護とは、ひと言で言えば、日々気が狂いそうになる自分との闘い!いや、もう狂っちまったか。だから、こんなものを書いているのやもしれん。
苦しかった七年間のはずが、なぜか懐かしい光景ばかり残る、今日このごろであった...

「幸福になる必要なんかないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、幸福が僕の中に棲みはじめた。」
... アンドレ・ジッド

婆ヤが逝った一年後、追うように爺ヤが逝った。これで七年間続いた介護生活も終幕!最期の最期は二人とも笑顔を見せ、爽やかに逝ってくれた。笑顔の残像がいつまでも残る。
婆ヤは元々穏やかな人だったが、爺ヤはやや怒りっぽい人。ボケると感情が激しくなると聞くが、逆に穏やかになっていった。大画面プロジェクタでリラクゼーションフィルムを見せたり、いろいろな気分転換を図ることで、可愛く面白くボケてくれて、笑顔に満ちた日々を送ることができた。人間は子供から大人になり、老いて子供に返ると言うが、二人とも妙に可愛く見えたものである。
今、ヤリ遂げた感とヤリ残した感が錯綜する中、やや前者が優勢であろうか。今でも涙は出るが、それは悲しい涙ではない。辛い涙でもない。むしろ心地よい涙、いつまでも流していたい涙。この七年間、少しばかり人間というものを学ぶことができ、これから生きていく上で心強い糧となりそう... 婆ヤ爺ヤに感謝!

1. 所詮、人間は単なる熱機関か...
婆ヤの要介護 4 に始まり、爺ヤは要介護 5 まで昇り詰めた。婆ヤは、いきなり腰の圧迫骨折!やがてパーキンソン病で難病指定を受ける。爺ヤはアルツハイマー型認知症にパーキンソン病が加わる。御老体は自分で排便する力も衰え、便秘になりがちだから摘便もやる。
尚、摘便は立派な医療行為で大腸を痛めるから、あまり素人がやらない方がいいと言われたが、そうはいっても...
最期に近くなると、訪問看護師さんが座薬との組み合わせで見事に時間管理してくれた。さすがプロ!他人にはさせられないと思いつつも、看護師さんに任せると、粘土遊びでもやっているかのように徹底的に出してくれて、これには随分助けられた。
考えてみれば排泄処理さえ克服できれば、なんとかなる。やはり、人間なんてものは単なる熱機関か。喰って排泄するだけの存在か...

2. 二人の最期...
婆ヤの場合、肺雑が酷いというので入院を促されたが、本人はいつものことだからと強く拒否!すると、「息子さんを少し休ませてあげましょうよ!」との医師の説得でニコッとして OK! その二日後亡くなる。
爺ヤの場合、同じく肺雑が酷いというので入院。そして、自宅で 24 時間のお看取り体制を整え、訪問看護師さんのチームと訪問理学療法士さんのチームに、訪問診療のお医者さんと旗揚げをしていたところ。婆ヤにやってやれなかったことを爺ヤにやってやろうと、おいらの我儘に周りを巻き込みつつも、担当看護師さんには「こういうケースは滅多に経験できるものではないので、是非やらせて下さい!」と言うてくれた。
「明後日連れて帰るよ!」と声をかけると爺ヤがニコッ!その翌朝亡くなる。結局、間に合わなんだ!自宅で看取ることができなかったことが心残りといえば、贅沢な心残り。
二人とも苦しんだ様子を一切見せず、おいらの眼にはごく自然な老衰に映った。ある意味、理想的な死を遂げたのではないだろうか。勝手な解釈ではあるが...

3. 介護力が問われる時代...
介護をやっているというだけで、頭ごなしに不幸のレッテルを貼る輩がいる。しかも、こうした方がいい!こうすべきだ!などと安直な言葉を放ち、大きな悩みに直面している人を追い込む。それで助言した気分になってりゃ、世話ない。そういう御仁は視界から抹殺!やたらと絆を強いる社会では、孤独に救われることが多い。一般論なんぞクソ食らえ!そして、こっちがクソ食らう。
チーフ看護師さんには、お宅は介護施設なみの介護ルームに、プロの介護士以上に介護士さんやってますねぇ!と冗談まじりに励まされたものである。
福祉施設が乱立しても、まともな介護士や看護師が雇えなければ機能しない。実際、機能していない施設をちらほら見かける。どの業界も優秀な人の負担は増えるばかり。それで、丸投げ家族の苦情に晒されては、なり手もいなくなる。人口の膨れ上がった社会では、ある程度、自前でやってゆかねばなるまい。

4. 介護と仕事の両立は難しい...
しょんべんまみれで御飯を作り、ウンコまみれでキーボードを叩く。このマルチタスクは、なかなか手ごわい。何度手を洗っても臭いが残った感じ。潔癖症になりそう...
介護マネジメントは、プロジェクトマネジメントの要領に似ている。おいらの場合、個人事業主で仕事仲間の理解もあり、介護環境に恵まれた。介護保険適用の住宅改修を利用し、玄関や風呂場やトイレに手すりを設置。福祉用具は、介護ベッド、車いす、シャワーチェア、トイレとベッドに補助手すり、あちこちに突っ張り棒など、ジャングルジム状態!あとは、ナースコール、介護カメラ、音声感知、人体検知など、24 時間稼働!
介護自体は大変だが、介護システムの構築は結構楽しい。おかげで、福祉関係者の見学コースに...

5. デイサービスにショートステイを絡めて乗り切る日々...
通所介護や病院など同系列の医療法人を利用し、ケアマネージャさんをはじめ、訪問介護士さんのチーム、訪問理学療法士さんのチーム、訪問診療のお医者さん、訪問歯医者さん、福祉用具屋さん、訪問美容師さん... と毎日誰かが訪れ賑やかに過ごす。最期に近くなると、浴槽ごと持参してくれる訪問入浴屋さんにも参加いただいた。大画面プロジェクタの前で温泉気分を!本人は、イイ湯だなぁ... ってな感じ。
医療現場といえば、たいてい医師が主導するのであろうが、逆に現場が率先してくれて、医師は後ろから支えている感じ。こうした組織構造は、実に民主主義的で、上の命令がなければ動けない大企業や官僚組織とは違う。彼らこそ日本の組織の在り方を問うているような。延命医療はいらない。一流医療もいらない。いかに穏やかに人生を完結させられるか...

6. おまけ... 後出しジャンケン!
看護学校の学生さんが研修で来た時、後出しジャンケンというアイデアを持ってきてくれた。「私に勝って下さい!ジャンケンポン...」と学生さんがボケ爺さんの手のひらを広げさせようと、グーを出すと、爺ヤもつられてグーを出す。「では、私が負けましょう!」と、学生さんがチョキを出す。すると、「ジャンケンって難しいなぁ...」と言って爺ヤが大笑い!こんな風に笑顔に満ちた日々を過ごしたものである。
介護生活三年目ぐらいであろうか。おいらが怒り狂い、自宅の壁に拳で穴を開けた。それをあえて修繕せずに残している。この壁の穴を見ていると、なにやら懐かしい風のようなものを感じ、どんな怒りも鎮められそうな気がする。ある種の精神安定剤といったところであろうか...

2024-12-29

"近代人の誕生 - フランス民衆社会と習俗の文明化" Robert Muchembled 著

近代人とは何者か。それは、ひとつの理想像か。それとも、時代の人間像を映し出した表語に過ぎないのか。
大酒を喰らって淫蕩に耽り、暴力と不潔の代名詞とされてきた民衆が、十五世紀から十八世紀の約四百年に渡って近代文明とやらを育んできた。歴史学者ロベール・ミュシャンブレッドは、人類の近代化に至る生い立ちを、フランスの民衆社会から紐解く...
尚、石井洋二郎訳版(筑摩書房)を手に取る。

「充分に意識していようといまいと、人間の個人的人格というのはいくつもの異なる時代から受け継がれた多様な集合的寄与物の組み合わせである。」

近代文明とは、大衆文化をいうのであろうか。「大衆」という語がいつごろ生まれたかは知らんが、ひとつの人間像として、自由の象徴とされるフランス革命あたりに見ることはできそうか。かくして、エリートが大衆化していくのか、大衆がエリート化していくのか...

「私たちは何者なのか?... 執拗に、また時には人知れずこっそりと、歴史家は自分自身にきわめて密接に関わるこの一般的な問いかけを発してはくりかえす。」

「近代」という語も、定義が難しい。封建的な価値観が崩壊し、個人主義に彩られた合理的、科学的思考を覚醒させた時代といったイメージであろうか。
一つの見方として、市民革命や国民国家といったものを挙げることができよう。王権が衰退し、いよいよ主権国家の成立を見る時代。それを内面的に辿ると、王宮のマナーモデルがまずは都市部へ伝搬し、やがて農村部へ徐々に浸透し、社会全体がお行儀よくなっていく。
モンテスキューの三権分立論、ヴォルテールの寛容論、ルソーの社会契約説といった啓蒙思想と重なり、道徳や正義の観念が強調され、自己抑制の意識を強めていく。それは、民衆が知性を獲得していった時代であろうか。
仮に、近代人が内面的に大きく進歩した人類の姿であるとするなら、やがて出現する国粋主義や帝国主義、さらには過去に類を見ない大量殺戮といった現象をどう説明できるだろう...

「習俗の文明化は差異化をめざすものでり、均質化をめざすものではない。その本質的な機能は、絶対主義をあいだにはさんで経済から宗教にいたるまで、他のさまざまな力が十七・十八世紀にますます厳密に画定しつつあった社会階層秩序を有効化することであった。」

上流への強い憧れは、下流への劣等感を掻き立てる。自由競争社会ともなれば、経済的に、学識的に優越主義を旺盛にさせる。階級のない社会を目指しておきながら、新たな階級を編み出しては再編成されるという寸法よ。近代の経済発展が、こうした競争原理に支えられてきたのも事実。

では、近代人を受け継いだ現代人は、どうであろう。情報社会が高度化していくと、知識は誰にでも入手できるようになる。意欲のある者はますます知識を獲得し、意欲のない者はますます取り残され、意識格差を助長させる。おまけに、現代の大衆はメディアとの結びつきが強く、ネット上には理性の検閲官に溢れ、誹謗中傷の嵐が吹き荒れる。周りの意識が高まれば、周りの目が気になってしょうがない。自由意志の尊重が、逆に自由精神を圧迫しようとは。人類の進化の過程は、単純な右肩上がりではなさそうだ。「近代人」という語が、過去を懐かしむための語とならぬよう...

2024-12-22

"空白との契約" Stanley Ellin 著

ミステリーっぽくないミステリーで魅了する推理作家というのも珍しい。人間模様こそミステリーと言わんばかりに...
しかし、ここでは一変して、ミステリーっぽいミステリーにしてやられる。スタンリイ・エリンという人は、やはり推理作家であったか...

ある日、一人の男が自動車事故で死んだ。十万ドルの生命保険契約直後に。事故死であれば倍の二十万ドルが遺族に入る。これを自殺と見た私立探偵は、無名女優と夫婦役を演じて現地に乗り込む。男は裕福で地位もあり、社会貢献も献身的で人望を集め、非の打ち所のない人物。
だが、過去の経歴となるとあまりに不明点が多い。しかも、巨額の金を恐喝されていた。この男はどこから来たのか?その正体は?
尚、皆藤幸蔵訳版(ハヤカワ・ミステリ文庫)を手に取る。

原題 "The Man from Nowhere"... これに「空白との契約」という邦題を与えたセンスもなかなか...
ミステリーとしては事故死した男の正体も気になるところだが、物語性としては調査員がフリーランスであることが重要な要素となっている。フリーの調査は、怪しい点を暴き、それを証明できれば謝礼金がもらえる。誰にも雇われておらず、調査費はすべて自前。自殺だと確信したところで、それが証明できなければ、すべてが無意味となる。存在するかしないか、まったく空白のような契約の中で葛藤する私立探偵の人間模様が、このミステリーを成り立たせている。

契約とは、冷徹なもの。明文化した仔細どおりに動くだけ。無名女優との契約もその一つ。冷たい契約関係でのみ生きてきた人間は、そこに契約以上のもの、人間味ある暖かさのようなものが入り込んできた時、どうなっていくか。契約という拠り所を失い、人格までも崩壊させていくのか。
したがって、契約書には契約が破綻した時までもきちんと文書化し、あらゆる状況を網羅しておきましょう... ってかぁ。なるほど、アメリカは契約社会だ!

ここで男の正体について、キーワードを拾っておこう...
事故については... 路面にブレーキ痕なし。解剖で麻薬やアルコールの検出なし。自動車に機械的な欠陥なし。運転中に失神したか、居眠りしたか。過去に失神した経歴はなく、精神病患者でもない。居眠りは証明が難しい。あとは、自殺する確固たる理由は...
男の過去については... 殺人犯か、カストロの自由戦士か、潜水艦で派遣されたナチの破壊工作員か...
うん~... こうした要素だけでは、平凡なミステリーで終わっていたであろう...

2024-12-15

"闇に踊れ!" Stanley Ellin 著

原題 "The Dark Fantastic"... これを「闇に踊れ!」とする翻訳センスはなかなか。人間なんてものは、誰もが社会という名の闇で踊らされる、そんな存在やもしれん。
スタンリイ・エリンといえば、短編「特別料理」の薄気味悪い後味が残ったまま。ここでも、死神に取り憑かれた不気味さを醸し出す。それにしても、これは本当に推理小説であろうか。うん~... 人間模様は、まさにサスペンス!
尚、安倍昭至訳版(創元推理文庫)を手に取る。

「わたしの名はカーワン、六十八歳。白人、男性、引退した歴史学準教授。今、テープレコーダーに向かって語りかけている。わたしは末期的な肺癌患者、余命は数ヶ月。だが、その数ヶ月を約三週間に縮めようとしている。少なくとも六十人の命を道連れに...」

本書には、二つの物語が交錯する。
一つは、ニューヨークに住む年老いた男の独白。親から授かった格式高い屋敷に一人暮らし。隣には親父が建てた古いアパート。住人はユダヤ人夫婦以外はみな黒人。快く思っていない住人どもへの嫌みのオンパレードとくれば、自分と共にアパートを木っ端微塵にする計画を立てる。その仔細をテープレコーダーに録音中!
二つは、私立探偵のイタリア系白人のエピソード。盗難された絵画を取り戻すよう依頼を受け、画廊に接近する。その画廊で働く美人黒人が、一つ目の物語のアパートにかつて住んでいたとさ...

「迫りくる死を告げられたときに人間が示す最初の反応がいかなるものであろうとも、やがてその死の告知は完全に自由な人間にすることを、わたしは知ったからである。奇跡的な状態。そしてわたしはその奇跡の生き証人なのだ。最初はショックと恐怖、次に苦い悔恨。それから、信じられないことに、自由の実感。自由を味わえる喜び...」

この作品は当初、出版拒否されたそうな。なるほど、差別的な表現がえげつない。爆破計画にしても、犯罪の手本になりそうな。おまけに、自爆テロときた!
30% のニトログリセリンに、50% の硝酸ナトリウムに、炭素燃料からなるダイナマイト 72 本とくれば、雷管は市販の雷酸水銀。起爆装置は把手式の電気スパーク。緻密な計算によれば、建物の壁はすべて内側に崩れ落ちるとさ...

「二十人までは通らせよ、二十一人目に石を投げよ。愛でなく、憎しみでなく、ただの運命なり...」

この叙述の奇妙な現実感は、なんであろう。断じて復讐などではない。
では、なんなんだ?社会への苦言か。未来への警告か。それとも、破滅型人間のなせる業か。いや、新時代を画策する歴史的大事業だとさ。
イタリア系にも、ユダヤ系にも、シシリーの末裔にも、ゲットーの末裔にも憎悪を抱く。社会には貪欲なブローカーどもが暗躍し、偽善家センチメンタリストが打ち立てた法律なんぞになんの意味が。内心では外を歩くのさえ怖がっているのに、汝の隣人を愛せよ!とは片腹痛い。臆病と日和見主義に毒された者ども、みな自分ともども死刑だ!最後の審判が下る前に...

「ソクラテス的様態。親愛なる故ソクラテスに一言。汝は堕落の代理人なり。親愛なる独善的リベラリストの愚者と、ブランガの栄光のため社会改良制度にひたむきに貢献した愚者にも一言。われわれを取り巻く荒廃はすべて汝らがもたらした荒廃である。わたしの大事業もまた荒廃を一つ残すだろう...」

歪んだ正義感、独り善がりな使命感とやらは、ある種のイデオロギー、価値観、倫理観、世界観から生じる。そして、狂った世を道連れにせずにはいられない。表現主義に覆われた社会では、正義をまとった誹謗中傷の嵐が荒れ狂う。論理主義が言い訳を巧みにし、支離滅裂な言葉を浴びせかければ、まさに言葉遊び。そもそも、小説を書くことが言葉遊び。
しかしながら、どんな言葉遊びも、最期の叙述となると神聖なものとなる。臨終の言葉とは、そうしたもの。だから人は最期に告白文を書きたがるのか。狂人の書いた名文なんぞ、ポイ!

「これからの叙述は完全なる理性的精神の証拠に... 最も頭の鈍い精神科の藪医者でさえその頭に詰め込む必要のある証拠に... いかなる法定にも、この大事業を常軌を逸した行為と断じさせないだけの証拠に... 証拠???

2024-12-08

"背徳者" André Gide 著

福音書に愛想を尽かされた人間の物語とは、こういうのを言うのであろうか...
「狭き門より入れ!(前記事)」の訓示に逆らい、異常な情熱をもって学術研究に消磨してきた青年学者。彼が肺結核を患い、死の淵から蘇って見えてきたものとは...
尚、川口篤訳版(岩波文庫)を手に取る。

生きるということを、どう解釈するか。その答えを神学者に求めたところで、死後の世界を提示するだけ。天国に行きたければ... と。哲学者に求めても... 理論哲学者は面倒な現実から目を背け、数理哲学者は自己存在に関わる様々な量の計算に耽り、あとはニーチェ風に生き様を冷笑するか、パスカル風に死に様を見下すか。学者馬鹿ってやつは、平凡な馬鹿よりもタチが悪いと見える。それで背徳者に成り下がってりゃ、世話ない...

「僕は... 僕はただ話したいのだ。自由を得る道などは問題ではない。困難なのは自由に処する道だ。」

死にかけた父に促され、愛してもいない女性と結婚するも、その妻には看病の重荷を背負わせる。病気が回復に向かうや生の喜びに浸り、幼き頃から叩き込まれてきたキリスト教の訓示に背いて享楽に走る。すると今度は、その生活ぶりが妻に負担をかけ、とうとう瀕死の状態に。男は看病の末に、妻の死という重荷を背負う。

人間は自由を求めてやまない。境遇が過酷であれば尚更...
しかし、自由とはなんであろう。贅沢三昧な生活が自己を破滅にかかる。宗教に縋ったところで、現実逃避に救いを求めるばかり。哲学に目覚めたところで、自己破滅型人間を助長させるばかり。それで何が会得できるというのか。雄弁に、抗弁に、詭弁に、論弁に、屁理屈弁に... 言い訳の技術を磨いていくばかり。人生とは、自己に何か言い聞かせながら生きていく、ただそれだけのことやもしれん...

「死ぬほどの病苦に悩んだものにとって、遅々たる回復ほどみじめなものはない。一度死の翼に触れられたあとは、かつて重要に思われたものも、もう重要ではなくなる。重要らしく見えなかったもの、あるいは存在さえ知らなかったものが、かえって重要になって来る。われわれの頭に積み重ねた既得の知識は、白粉のように剥げ落ちて、ところどころに生地、つまり隠れていた正体がむき出しに見えて来る。」

幸福なんてものは、平穏で淡々としたもの。これについて語ることは難しい。人間の語るに足る所業は苦痛しかないのか。無論、幸福な人間には語れまい。自分の不幸を愛し、舐めるように語る。そこに第三者として自我が介入し、自己を審判にかける。病的な性癖を自ら語るのは難しい。自由な語りには、これを統制し、調和する知的努力が欠かせない。だが、その努力も強い野望をともなわなければ...

「私は、この書を告訴状とも弁護論ともしようとしたのではない。... (中略)... 勝利も敗北も明白に提示していない。... (中略)... 要するに、私は何物も証明しようとしたのではない。よく描き、描き上げたものをよく照らし出そうとしたのである。」

2024-12-01

"狭き門" André Gide 著

ルカ伝第十三章二十四節、及び、マタイ伝第七章十三節に曰く...
「力を尽くして狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし。」

父を早く亡くし、母の悲劇にも触れ、感受性を強めていく少年ジェローム。彼は叔母の家に身を寄せ、従姉妹アリサとジュリエットと一緒に過ごすことに。やがて年上のアリサに恋心を抱く。アリサもジェロームに好意的だが、妹ジュリエットもジェロームに恋する。キリスト教が理想とする禁欲的な世界に憧れるアリサは、妹への遠慮もあって結婚を拒み続ける。ジュリエットが身を引いても気持ちは変わらず。アリサは地上の幸福を放棄し、天上の幸福を夢見て命を落とす。ジェロームは、アリサの遺した日記の思いを背負って生きていくことに...
尚、山内義雄訳版(新潮文庫)を手に取る。

「今の曲をもう一度!滅入っていくような調べだった。まるで菫の咲いている土手を、その花の香をとったりやったりして、吹き通っている懐かしい南風のように、わしの耳には聞こえた。もうたくさん...。よしてくれ。もうさっきほどに懐かしくない。」
... シェイクスピア

幸福の感じ方は人それぞれ。自分の辛苦に対する対価として味わう者もいれば、幸せを演じ、それを人に見せつけることによって味わう者もいる。
幸福とは、滅びへの序章か。自己嫌悪も、自己憐憫も、自己愛の類い。愛とは、滅びへの道しるべか。
恋ってやつは、成就した途端に幻滅する。ならば、あえて成就させず、美しいままにしておく方がいい。いや、幻滅して現実を知る方がましか。不幸を知らずして、幸福を知ることも叶うまい...

「自ら進んで引かれるままになっているときには、人は束縛を感じません。しかし、それにあらがい、遠ざかろうとするとき、はじめて激しい苦しみを感じます。」

狭き門とは、自己犠牲の徳を言うのであろうか。アリサは、殉教者か、解脱者か。
自虐によって、自己を正当化することもできよう。自己を不幸のヒロインに仕立て、純粋なままに死んでいくのもよかろう。そして、その生き様を、その死に様を、ニーチェ風に忌まわしく眺めるもよし、パスカル風に皮肉交じりに見下すもよし。いずれにせよ、人の生き方なんて、いかようにも解釈できる。ジャック・リヴィエールは、この本をこう評したそうな...

「これについては語りたくないほどな書物、読んだことさえ人に話したくないほどな書物、あまりに純粋であり、なめらかなるがゆえに、どう語っていいかわからないほどな作品。これこそまさに一息に読まれることを必要とする作品。愛をもって、涙をもって、ちょうどアリサがある美しい日に、ぐったりと椅子に腰をおろして読むように...」