Contents
- 2007-04-29 "世界の歴史をカネで動かす男たち" W. Cleon Skousen 著
- 2007-04-22 "グーグル・アマゾン化する社会" 森健 著
- 2007-04-15 "ブルー・オーシャン戦略" W. Chan Kim & Renee Mauborgne 著
- 2007-04-08 "文明の衝突と21世紀の日本" Samuel P. Huntington 著
- 2007-04-01 "ご冗談でしょう、ファインマンさん(上/下)" Richard P. Feynman 著
- 2007-03-25 "人を動かす" Dale Carnegie 著
- 2007-03-18 "道は開ける" Dale Carnegie 著
- 2007-03-11 "決断力" 羽生善治 著
- 2007-03-04 "ハッカーのたのしみ" Henry S. Warren, Jr 著
- 2007-02-25 "C言語による組込みプログラミング スタートブック" 鳥海佳孝 著
2007-04-29
"世界の歴史をカネで動かす男たち" W. Cleon Skousen 著
ただ、ミステリーよりもリアリティを感じるので最近好んで読むようになった。また、著者の経歴もおもしろい。著者クレオン・スクーセンは、16年間のFBI在職、4年間の警察署長、10年間の警察雑誌編集長、17年間の大学教授、そして政治評論家である。捜査官ならではの裏が覗けそうである。
本書は、1300ページにもおよぶ書籍「悲劇と希望」の紹介書(解説書)の位置付けにある。「悲劇と希望」の著者はキャロル・キグリー。1966年に刊行された。これは、現実社会を牛耳る金融支配体制の暴露本である。そして、刊行後間もなく全米書店から姿を消した。権力の中枢がこの暴露を時期尚早と判断したからであろう。その後1970年、本書の原書である「裸の資本主義者」が発刊される。本書は、日本の出版界、学術界から黙殺された邦訳版である。と紹介される。この序文ですっかり立ち読みの罠に嵌ってしまった。ゆっくり読みたい。またもや衝動買いするのである。
いきなり全米の凶悪犯の紹介から始まる所は、いかにもFBIらしい。
どんな凶悪な犯罪者も自分自身が悪いとは思わないと語る。これは人間の真理かもしれない。人間はレベルの違いはあれども、過去に犯した罪は数あるはずである。
おいらは自分が犯してきた罪など思い当たるところが無い。なるほど、人間とは身勝手なもののようだ。ただ、アル中ハイマーだから記憶が辿れないだけで少し意味が違うかもしれない。と言い訳して許してもらえると思っているのは、もっと罪深いのである。
人間は許容範囲までは自分の罪を認める。許容範囲を超えると豹変して攻撃的な態度を取る。罪を認められる範囲が、その人の器というものだろう。さて、前置きはこのぐらいにして本題に入ろう。
本書は「国際エスタブリッシュメント」による闇の権力が世界支配を企てる。という一般的に語られる陰謀説を語っている。「悲劇と希望」の著者キグリー博士はこの黒幕に属している人物である。
彼曰く。「この黒幕は信用に足るグループであると保証し、もはや暴露しても問題がない。」と言い切る。おいらは、いきなりむかつくのである。
この国際エスタブリッシュメントを「銀行家一族王朝」という言葉で表現している。
「ここ二世紀で、欧米の巨大銀行一族が国際金融連合を形成し、政治支配を目指す新たな王朝を築き上げた。こうした銀行王朝は、どんな政府に対しても緊急時に借金できる財源を確保していなければならないこと。その資金を自分の財源から拠出できれば、意のままに王も民主的指導者も操れることを熟知している。」
主要な銀行一族を列挙すると、ロスチャイルド家から始まる。しかし、しばしば陰謀説で登場するようなユダヤ人の企てではないと断言している。
「世界的な陰謀を研究する時に、あらゆる悪の根源は大掛かりなユダヤ人の陰謀であると決めつけるヒトラー主義を鵜呑みにしてはならない。こうした企みを抱くグループは国際銀行家であって、特定の人種や宗教ではなく金と権力への渇望であることを心に留めておくことが肝要である。」
こうした超富豪王朝の世界支配組織が地球征服を目指しており、社会福祉的法律を適用したり、また、必要な場所では共産主義革命もいとわないというのである。キグリー博士自身が、自家用ジェット機で世界を飛び回り、この秘密権力グループの一員であると自負している。
キグリー博士は、国際エスタブリッシュメントによる金融支配は大方良いことである。と満足げに語る。資本主義の暴走を抑えつつ共産主義を支援したこと。FRBの誕生とそれを牛耳る銀行一族の存在。モルガン、ロックフェラー、カーネギー財団は中国を共産主義陣営に売り渡したこと。朝鮮戦争で米国が勝てないように巧みに仕組まれたこと。ロックフェラー系の石油会社、2社が、過去20年間、政治改革が世界各地で発生するたびに、石油、天然ガスの権益を独占してきたこと。などなど。
「平和を希求する諸国家の連邦であるはずの国連は偽善的な茶番でしかなく、その創設メンバーの米国は世界で最も戦争、破壊、世界制覇を擁護する存在であることは明らかである。拒否権の発動により安保理が機能を果たさない。国連本部の全部門がロックフェラー家の援助を受けているのは偶然の一致ではない。」
日本において「プラザ合意」「金融ビックバン」「郵政民営化」となんとなく強制的に仕組まれたという感じがするのは偶然ではないかもしれない。日本で講義される経済学はゴミのような大量の情報で欺瞞されていると言い切っている。その件はまったく同感である。
ここで、本書の著者スクーセンはキグリー博士の言うところの「世界的陰謀」の中核体として「国際銀行家」を正確に定義している。これは、貯蓄銀行や商業銀行とは違うのである。
イングランド銀行を主体として「シティー・オブ・ロンドン」が形成され、この「シティー」こそが事実上、主権を有する世界政府であるという。イングランド銀行が英国下院の支配監督検査を受けない。FRBも言うまでもない。世界金融システムの本質はイングランド銀行と「シティー」の権力構造に米国を取り込み世界国家へと進む。世界金融は民族、国家を一切認めない。
恐ろしいことにキグリー博士は「世界中の政治経済力が巨大な一枚岩の全世界的権力に収斂しつつある」と断言している。このような闇組織に逆らった政策を取る国は滅ぼされかねないというのである。"長いものには巻かれろ"ということか。日本国の最も得意とする戦略である。
国際エスタブリッシュメントにとっての脅威についても語られている。
「国際エスタブリッシュメントにとっての脅威は、米国中流階級である。中流階級こそ、進歩的、自己統治的、自由を愛する国民性を維持する上で一番重要な階層だからである。この階層は独裁制に逆らう。米国中流階級を無慈悲にも抹殺するしかない。そして、高度に集中化された社会主義国家へと向かっている。」
もはや堂々と批判できる人間は一般市民でしかないのか?マスコミによる世論調査などの報道は、まったく胡散臭い。数字の改ざんをしなくても、調査方法そのものに方向性をつけていると自然に感じとれる。少なくとも、アル中ハイマーの周りでは、しばしばマスコミ報道と対極にある。きっと、似たもの同士の集まりだからであろう。社会への反抗分子の集まりである。
本書は最後に、国際エスタブリッシュメントの存在を明らかにしたキグリー博士への感謝を述べつつ、こうした「悪党は駆逐されるべき」と述べている。米国の二大政党は、もはや権力のバランスを保つためには機能できないと言い切っている。日本においても、国民主権により選ばれた国会議員であっても、巨大な官僚が支配している。そこに、国際エスタブリッシュメントが圧力を加えれば万事休すである。
キグリー博士は、社会の一部では悪い方向に向かっていることを認めつつも、人類の超エリート階層というのは、理性を失ったり、慌てふためくようなことはない。と言い切っている。
世界の超エリート階層による支配とは、人間の倫理観とは、そんなに信頼できるものなのだろうか?過去に輝かしい功績を上げた人間でも、現在、努力を怠ると過去の栄光にすがる。大金を持つと人間は豹変する。人間とは思い上がるものである。
本書は、一般のマスコミや政治指導者達の無知さかげんをあざ笑うかのごとく語られている点はとてもおもしろい。しかし、こうした行為を恥じらいもなく公表しているのは少々むかつくのである。このような暴露本や陰謀説は、冷戦が終わった途端に吹き上がる。大抵は10年以上前にさかのぼる。リアルタイムでは、権力者に抹殺されるからであろう。ということは、現在進行中の陰謀はどんなものだろうか?
支配者からすると、馬鹿で酔っ払いな国民ほど扱いやすいものはないのだろう。アル中ハイマーは、ますます福祉重税国家の罠に嵌っていくのである。
2007-04-22
"グーグル・アマゾン化する社会" 森健 著
情報化、多様化が進む社会において、Web2.0的企業は果たして偶発的なものなのか?情報化、多様化が進むと、逆に一極集中する現象が起きるのはなぜか?現在の社会が、格差社会を助長させるのではないか?という問いに対して話が展開する。Web2.0をユーザ参加型という世間の論調があるが、まさしくユーザ依存型であると定義している。
まずは、Web2.0的企業としてアマゾンとグーグルが紹介される。
アマゾンと言えば、ロングテール戦略で成功した企業として真っ先に名前が挙がる。売上の3分の1は、売上順位15万位以下の"死に筋"商品から成り立っている。これは、商品の展示コストを限りなく0にすることで実現できる。
グーグルと言えば、真っ先に検索エンジンが思い浮かぶ。その主力技術である検索連動広告の「アドワ-ズ」と「アドセンス」を紹介している。前者は検索キーワードに連動した広告表示、後者はブログに含まれる文字と関連キーワードに連動した広告配信、そして多数の小額広告料により収入を巨大化する。
双方とも巨大なデータベースを武器に、アマゾンは誘導的に、グーグルは半強制的にユーザのWeb活動を取り込むことに成功している様が語られる。
情報化、多様化が進むと、結果として一極集中が招かれるのはなぜだろう?
ロングテールを美化する世間の論調があるが、実際にWebを利用した小売で生き残れるのは、在庫スケールをもつトップ企業だけである。つまるところ物量作戦の恩恵である。
こうした現象は、Web業界だけにとどまらず、金融、経済、政治にも顕著に現れる。本書では、社会現象の例としてミリオンセラーの発生頻度を挙げている。映画の劇場総動員数、音楽CD、書籍などは、産業としては下降状況にあるにも関わらずミリオンセラーは、かつてない勢いで登場するようだ。これも多様化から一極集中で勝ち組みを助長する現象であるという。
インターネットは分散的で各サイトはフラットに存在する。しかし、人が集まるサイトは分野別に固定化され一極集中が起きる。「群集の叡智論」で多くの人が意見を述べ、集団でまとめられる意見が最適な解であるならば、理想的な社会へ向かっていると言えよう。これはグーグルの理念とも一致する。ただ、ページランクの主旨はリンクが多ければ重要度が高い、という解釈は真理だろうか?
複雑系とネットワーク理論における「スケールフリー・ネットワーク」現象について科学している。
「六次の隔たり」という仮説は、おもしろいので記しておこう。
どんな人でも6人も介せば世界中の誰とでもつながる。
社会学者スタンレー・ミルグラム博士が唱えた説である。
例えば、一人に50人の知り合いが居るとすると、それぞれ50人の知り合いが2500人となる。これを5回続ける6人目に至るときは150億人を超え、かるく世界人口を上回る。
本書は、このネットワークはランダムネットワークではないと指摘する。
「人の知り合いも特に要職にあるものなど顔の広い中心人物を介する。神経細胞ネットワークも、ニューロンは局所的に集中してつながる部分とそうでない部分がある。物流におけるハブ空港やハブ港からインターネットのアクセス網に至るまで。こういった仕組みは自立成長を成す。また、効率的観点から優先的選択が起きる。」
産業分野では、先行者利益や、一番でないと意味がない、という物言いがある。これも「スケールフリー・ネットワーク」がもたらす現象だと述べている。
しかし、グーグルは後発参入組みではないか。YouTubeや、mixiも。
これに対する答えは、以下のように述べている。
「後からでも結節点に適応性があれば、優先的選択が起きてハブができる。適応性とは、利便性、操作性、技術、コストなどで、イノベーシュンにより参入する余地である。」
Web2.0時代の特徴としてオープンソースが語られる。
「Webサーバの3分の2を占めるApacheはオープンソースである。サーバ構築で最もよく用いられるLAMP(Linux, Apache, MySQL, PHP)は全てオープンソースである。こうした流れは、企業の知的財産保護に真逆にある。」
オープンソースのコミュニティにはボランティア精神が受け継がれる。知的挑戦を目的とした真の研究者の財産と言えよう。こういうコミュニティに参加できるということは、それだけの技術レベルを持った証拠であり、金銭的な報酬がなくても精神的に満足できる。ただ、こうした財産を武器に巨大なマーケットを手中に治める企業が現れるのも事実である。
「金持ちほどますます金持ちになる現象」について群集心理を分析している。
最初は支持者が少なくても、ある限界点を超えると突然殺到する様を、従来のマーケッティング例や、心理学から弁明している。ある限界点を過ぎると、下降せず一定の力を持ちつづけるともある。つまり、富を持つ者は増やし続けられ、富を持たざる者はいつまでも持てないという真理である。日本でも格差社会と言われはじめているが、加速するまでの臨界点にきているのかもしれない。
パーソナライゼーションは一見、個性、多様性の重視として持てはやされているが、その危険性についても語られる。
パーソナライゼーションは、過去の行動履歴をコンピュータが記憶するという手段で実現される。行動履歴とは、意味を持つ言葉としての最小単位である単語を累積することである。
「最小単位の単語は、サイエンスが万物を極限まで分類する性格からしても合理的な流れである。しかし、顧客のマーケッティングに有効な情報が得られる一方で、完全に個人の世界が出来上がる。結局親しみのある連中の世界が形成され、類は友を呼ぶ現象となる。」
集団分極化が進むと考えが異なる別の集団の意見を排除し、同じ集団で考えが極端に偏る傾向を指摘している。集団分極化は、むしろ情報を任意に取得しコントロールできる空間に発生しやすいという。人間は心地よい意見を多く聞きたいものである。特に社会不安に直面すると顕著である。世界でナショナリズムが進む傾向もこれに似た現象と捉えている。このあたりは、SNSが勢いを増す現象と照らして、その典型であるmixiを攻撃しているがごとく語られている。
本書は「一極集中化が進む社会にあって、いかに多様性や異質性を汲み上げるかが問題であり、その問題を踏まえた上で主体的志向を貫けるか、群集の叡智は真価を問われている時代である。」と締めくくる。
読んでいて、昔から持っている疑問を思い出す。自分自身に主体はあるか?
自分の意見を主張しているつもりでも情報操作がなされ、その罠に自分自身が嵌っているのではないか。更に、それすら気づかないでいるのではないか。という仮説である。
科学者ならば、発明することにより実感できるかもしれない。しかし、それも人間の進化の過程でたまたまその人に巡ってきた幸運かもしれない。
自動的に特定方向に誘導していくパーソナライゼーションは専門性を高めるが情報ベクトルは狭められる。個人の自主的選択とは、実は強大な力に屈しているだけかもしれない。主体性があるかどうかも把握できないのに、主体性を主張しているかのように錯覚しているだけかもしれない。Web2.0は、それを後押しするツールなのかもしれない。
今日のインターネットを中心とした情報化社会における利便性は高く評価できる。ここでで述べられる社会現象は、良い社会へ進むための過渡期なのかもしれないし、悪い社会への前兆なのかもしれない。
アル中ハイマーは、自分の意見に酔っていると主張するが、実は酒に酔っているだけかもしれない。そして、遠隔操作され、いつのまにか夜の社交場に居ることはよくある。
更に、お姉さんに意見操作され、いつのまにか朝まで飲んでいる。
こうなると自分自身はどこに存在するのかも疑わしい。
ついに、アル中ハイマーは酒樽の中に存在すると主張する有様である。
2007-04-15
"ブルー・オーシャン戦略" W. Chan Kim & Renee Mauborgne 著
今宵のアル中ハイマーは機嫌が悪いぜ!よって書評も荒れるのだ。なぜかって?そこにあったはずのグレンリベットが無くなっているのだ。そして、ドスの利いた声で鏡に向かって絡むのである。
「犯人は、てめえーだろう!証拠は挙がってんだ!顔色が赤いぜ!」
本書は2005年6月初版だから、従来のマネジメントの書籍に比べてもそれほど古くもない。しかし、真新しく感じるものがない。随分昔からあるマネジメント論が並べられているだけである。
本書は大会社のお偉いさんが推薦している。お偉い方々というのは忙しいから、マネジメントの本なんてじっくり読む時間がないのだろう。そういう意味では手頃な本なのかもしれない。
「ブルー・オーシャン」という言葉は心地よい響きがある。カバーの色も青く落ち着いている。更に、サブタイトルには「競争のない世界を創造する」とある。何か別世界へでも導いてくれるようで、宗教の香りさえする。アル中ハイマーは、酒の醸し出す香りのごとく、つい雰囲気に惑わされるのであった。
ブルー・オーシャン戦略とは、このように定義している。
「競争のない市場空間を生み出して競争を無意味にする。縮小しがちな既存需要を分け合うのではなく、競合他社との比較を行うものでもない。需要を押し上げて競争から抜け出すことを狙いとする。競争を前提とした戦略理論と一線を画す。」
既存の需要が形成される市場競争の世界を「レッド・オーシャン」、新しい市場空間を開拓し競争を避ける世界を「ブルー・オーシャン」と呼んでいる。ここだけ読むと、かなり期待感が募る。
レッド・オーシャンは、競争の原理が働き、その戦略は兵法の影響が色濃く、「領土が限られているため、敵を打ち負かさないと繁栄できない。」と表現している。
「競争のない新しい市場空間を想像できない。供給が需要を上回っている世界では進展がない。コストか品質でしか他社を上回ろうとしない企業群の世界である。この世界で成長できても単に運が良いだけである。20世紀の戦略論、マネジメント論の大多数がこの世界を前提としたものである。」
やや反論もあるが、新戦略論がどう打開するのだろう?もう少し読み進めてみよう。
永遠の「エクセレント・カンパニー」や「ビジョナリー・カンパニー」は存在しないと主張する。おいらは「エクセレント・カンパニー」Thomas J. Peters & Robert H. Waterman著は読んでいるか記憶にない。「ビジョナリー・カンパニー」James C. Collins著も読んだ記憶がないが形跡がある。なぜか本棚に並んでいる。
ブルー・オーシャンは、以下のように論じている。
「競合他社とのベンチマークを行わず、従来とは異なる戦略ロジックに従う。これを"バリュー・イノベーション"という言う。価値と革新が重んじられる。従来の競争市場では、価値とコストはトレードオフの関係にある。この前提から抜け出し、差別化と低コストを同時に実現しようとする。新しい需要を掘り起こす。ブルー・オーシャンを創造する体系的方法は、なじみのあるデータを従来と別の角度から眺めるだけである。」
- 代替産業どうしの狭間には往々にしてバリュー・イノベーションの機会がある。
- 見落としていた買い手を見つけ出す。
- 往々にして補間材や補間サービスには潜在的な価値が秘められる。トータルソリューションを提示する。
- 従来志向は、価格や機能に訴える業界と、反対に感性に訴える業界と2つに分かれる傾向にあるが、一方で決まるほど割り切れる例はまれである。
- 企業は、結果的に「何を期待すべきか」という点について買い手を啓蒙してきたが、顧客の立場に立たなければならない。
「自分の目で現場を見る」一見当たり前だが、外部委託する経営者はよく報じられているのは嘆かわしい。間接的な報告を受けるなどは、当然のようになされている。一貫性のない戦略、矛盾した戦略は職能別の縦割りが強い企業によく見られるのである。
本書は「ブルー・オーシャン」と「レッド・オーシャン」という言葉で新しい戦略と従来型の競争戦略を切り離して論じられている。しかし、新たな市場空間を見出すということはアイデア競争と考えることができるし、体力競争から、知的競争に置き換わっただけのことのように思える。言葉は新しく聞こえるのだが、なんら真新しい戦略とは思えないのである。そもそも境界線を引く必要があるのだろうか?大企業とは、このように戦略論を分けて論じないと発想転換ができないような頑固な組織なのだろうか?
ピーター・ドラッカーによると、大企業にも意外と起業家精神がありイノベーションを遂げてきた。むしろ中小企業に起業家精神の無い大企業体質を持つ危険性が高いと言う。
今まで見向きもされなかった顧客層を開拓し新しいマーケッティングを展開するためには従来の常識を転換する必要があると語られているが、古くから歴史的に語られていることである。
学者というのは、新しい言葉を創出し、専門用語を流行らせようとすることを好むようだ。現場では既に無意識に実践されている状況をよく見かける。
本書を売るためのマーケッティング戦略と考えれば、タイトルの設定が絶妙である。おいらは、見事に戦略に引っかかって買ってしまった。だからと言って嘆きはしない。全く当たり前のことが書かれているように思えるが、人間というのは、当たり前と決めつけていることが意外と分かっていないものである。分かっているつもりというのは危険な領域に陥るかもしれない。
本書で紹介されるマーケッティング戦略の手法は、いろいろな本で見かけてきた。そうしたものを思い出し頭を整理する役割にはなるのである。こうして、アル中ハイマーは無理やり理屈をつけて、自らを幸せな領域へと導くのである。
2007-04-08
"文明の衝突と21世紀の日本" Samuel P. Huntington 著
本書では、かつて国家は、政治体制やイデオロギーによって分類されてきたが、いまや冷戦時代を終え、人類の本質でもある文明の違いにより分類される時代であるとしている。
1993年「文明の衝突」理論が発表された当時は、冷戦後は新世界秩序なる一つの世界民族主義が主流となり、価値観のグローバル化を唱えた学者も多くいた。東西ドイツ統一などからしても無理からぬ思想である。しかし、実際はハンチントン理論のように民族紛争へと進み文明間の対立は顕著になっていくように見える。
では、ハンチントンの世界観をざっと摘んでみよう。
世界政治は、文化と文明のラインによって再構築されつつあるとしている。世界の主要文明は、西欧文明、東方正教会文明、中華文明、日本文明、イスラム文明、ヒンズー教文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明である。人類の歴史で初めて世界政治が真に多文明化する言う。
これからの紛争の主な源は、「中国の台頭」と「イスラムの復興」としている。潜在的に危険な紛争は、米国と中国の関係であることは日本人であれば自然と感じとれる。
日本人には理解しずらいイスラム世界についても紹介してくれる。
「イスラム世界による挑戦は経済発展ではなく人口爆発に根ざしている。世界総人口の20%を占め、2025年には30%を占めると言われる。イスラム教徒が暴力に頼りがちな原因の一つは、オスマン帝国没落以来リーダーシップを行使する中核国家が存在しないからである。第二の原因は出生率の高さにある。15歳から24歳までの若年人口の激増を生み出している。」
歴史的に見て若年層人口が20%以上を占めると社会的に不安定になるらしい。しかし、人口増加は1970年イランでピークを迎え、やがて年齢が高くなり諸国で沈静化していくとしている。日本の高齢化社会は、ある意味平和的で良いのかもしれない。
日本の特徴についてもいくつか語られる。
「日本は、文化と文明の観点からすると孤立国家である。日本文化は高度に排他的で、広く指示される宗教やイデオロギーを持たないため、他国との文化的関係を築けない。」
日本の唯一の同盟国は米国であり最良の友と主張する政治家や知識人は多い。米国人は他国の人々より日本人とのコミュニケーションを難しいと考えているようだ。日本で危機が生じた時に米国は当てにならないことは言うまでもない。ましてや、アイデンティティを感じるなどで他国から結集して支援してくれるなどありえない。金だけ出して利用される、悲しい性である。
東アジアでは、日本を中心とした経済圏は成り立たないだろうとも言っている。孤立国家という表現は、日本人の体質からして恐れる人も多いだろう。しかし、おいらには孤立文明がもたらす世界的役割もはっきりしてくるように思える。民族紛争の多い時代にあって中立の立場を取れる。偏った戦略は不幸を招くだろう。こういう時代だからこそ世界観を見極められる政治家に期待したいものである。実は、真の政治家が求めらる国は日本のような国なのかもしれない。と考えるとなぜか落ち込むのである。
今後も、米国は中国とイスラムとの間に防衛線を引くであろうことは容易に推測できる。そうなると、その間で揺れる国家は重要な位置付けになるだろう。本書では、それは、ロシア、インド、日本であると主張している。
「ロシア、インドは今のところ曖昧な態度を取っているが、日本は米国にくみしてきた。国際関係の理論からすると、新興勢力に対して、勢力の均衡を維持するか。追随するかである。日本は、歴史的に追随の道を辿ってきた。第一次大戦時の大英帝国。第二次大戦時のファシズム強国。そして、今は米国との同盟。中国が台頭してくれば、日本は中国と米国の力関係を比較検討するだろう。ぎりぎりまで選択を避けるだろうが米国が超大国となりえないと見るや中国と手を結ぶ可能性が高い。中国、米国、日本の三国の相互関係こそ、東アジアの政治の核心である。」
日本と米国の関係は当面持続しそうに思える。中国と米国の関係は難題こそあれ改善されつつあるそうだ。とすると、最も弱いのは日本と中国の関係である。
本書は「中国には寛容さが必要であり、日本には歩みよりが必要である。更に米国の後押しが必要である。」と述べている。
冷戦後の最も重要な国際関係は東アジアであると述べている。
「アジアは文明のるつぼであり、文明の衝突を引き起こす可能性が高い。東アジアの状況は18世紀及び19世紀に見られるヨーロッパに似ている。しかし、西ヨーロッパでは、ここまでの文明の違いは無かった。東アジアは政治体制も経済体制も様々で複雑であり、火種もいくつかある。2つの朝鮮と2つの中国である。それぞれは紛争に発展する可能性もあるが極めて低い。なぜならば同じ文化を共有しているからである。むしろ武力衝突は領土問題で起きる可能性の方が高い。日本とロシアの北方領土問題、中国とロシア及びインドの国境問題、中国が経済大国になればモンゴルの領有権を主張するかもしれない。東シナ海で、中国、フィリピン、ベトナムに加えて周辺国が関わる可能性もある。中国の中央軍事委員会は、東アジアの安全保障は非常に暗く見えると考えている。」
中国は歴史、文化、伝統、領土、経済、自己のイメージなど全てにおいて東アジアの覇権を求めるであろう。これは歴史的にみて自然なことである。かつて全ての強国、英国と仏国、独国と日本、米国とソ連が、急速な工業発展により領土拡大、強い自己主張で帝国主義に走った。同じことを中国がしないと考える理由はない。歴史は繰り返されるのだろうか。アジアを過去のヨーロッパのようにならないように祈りたいものである。
異文明時代において大規模な戦争を避ける原則を上げている。
「中核国家は他の文明内の衝突に介入するのを慎む必要があり、これは真理である。一部の国家にとって、特に米国にとってはなかなか容認できない真理であることは疑いない。他の文明内の衝突に中核国家が干渉しないという、この不干渉ルールは多文明かつ多極的な世界にあっては平和の第一条件である。第二条件は中核国家が互いに交渉して紛争を阻止する共同調停ルールである。多文明社会での共存方法は普遍主義を放棄し多様性を受け入れ共通性を追求することである。人類が世界文明を発展させるためには、こうした共通の特徴を追求し拡大することである。よって第三のルールは共通性のルールである。」
おいらは、少なくとも道徳レベルでは、いくつか共通性を見ることができると思う。また、主要宗教間においても重要な価値観を共有できるだろう。しかし、人類はもうしばらく時間を要しそうに思えるのである。
本書を読んで、中核国、特に米国の指導者に対して、西欧文明の普遍主義により、非西欧文明との対立を招くことを警告しているように思える。米国は一極体制であるかのように振舞うのは止めるべきである。実際、一極体制ではない。米国の指導者は、慈悲深い覇権国という幻想を捨てるべきである。実際、覇権国にはなりえない。実は、諸文明との対立を避け非西欧文明との共存の道こそ西欧文明の優位性を長く保つ秘訣であり国家戦略であるとしている。さすが世界一流の政治学者の理論であるが、やや西欧のエゴが潜むようにも感じとれる。
また、日本文明を、中華文明とは別の独自文明として扱っている点もおもしろい。ただ、西欧の文明史論者のほぼ主流的な考え方のようだ。
本書では、中国が経済的にも安定し成長し続け、21世紀の超大国となると予言している。しかし、このような文明による枠組みを信じるならば、中国が抱える民族問題も大きいだろう。分裂の危機も見過ごせないと思う。もし、そうなったとしても中国の東海岸側では都市が独立に振舞って安定するのかもしれない。
本書は、「イデオロギーが統一されていても文化的に分裂している国は分裂する。イデオロギーが異なっても文化的に共通すれば統合される。文明の衝突こそが人類の根本的問題であり最も根深い。」と述べている。
このようにハンチントン理論は「文明による枠組み」が進むであろうことが述べられている。国家の枠組みだけでは限界がきているのかもしれない。国家は経済主導で発展するであろう。軍事主導よりは、はるかにましである。しかし、あまりに魅力のない国家指導者や支配層が君臨すれば、都市レベルで独立し都市国家の枠組みができるかもしれない。これも一つの文明が生まれると思えばハンチントン理論の延長上とも考えられなくもない。かつて古代ギリシャの都市国家がそうであったように。こうしてアル中ハイマーは無理やり理論を結びつけて、九州が独立するとおもしろいと思っているのである。
2007-04-01
"ご冗談でしょう、ファインマンさん(上/下)" Richard P. Feynman 著
1. 脳の視覚部門と感覚部門のつながりについて分析した時の話。
「僕が夢を観察した一つの理由は、目を閉じていて、何も外界からの刺激が無いとき、いったいどうやって人の姿などのイメージを夢の中で見ることができるだろうということに、非常に興味を持っていたことに始まる。」
絶えず眠りにつく時の自分を観察しようと努力したとある。
この発想で、おいらは大学時代を思い出した。講義中、寝てる時に自分の意識を自覚しようと努力したことがある。そして金縛りになった。皆からは良く笑われたものである。金縛り中、頭元に霊が存在するかのような感覚に陥って初めは恐怖を感じるが、慣れるとおもしろい。そして、力が抜け過ぎて金縛りになれなくなった。楽しみを一つ失うのである。
今では、医者から処方してもらった睡眠薬を飲んで、眠くなった状態でどこまで長く起きていられるか。という遊びを覚えた。楽しみを一つ増やすのである。
2. 「本質的対象とは何か」という哲学的議論をした時の話。
彼は「電子は本質的対象か?」という質問から始める。そもそも「本質的対象」という言葉を理解するところから始めたかったわけだ。
実は電子とは仮説なのだ。これが自然のしくみを理解する上で、ほとんど実在しているというぐらい便利なものである。そこで、理論上の構成物を本質的対象と考えるかという質問から始める。すると、あーでもないこーでもないという議論に発展して、哲学ではありがちな混乱で締めくくる。
結局「本質的対象」とは何かという定義すら誰も理解していなかったというオチだ。これでは、深夜の討論番組「朝まで生ビール」である。
3. 原爆の話。
著者がノーベル賞物理学者なので、このエピソードは外せないだろう。ロスアラモス時代、マンハッタン計画に参加した頃、数々の有名人に囲まれた会議の風景を物語る。つまり原爆を作る会議である。ここでは少々長いが、印象に残ったのでそのままの文章を引用する。
「誰か一人が意見を述べると今度は違う者がそれに対し異なる意見を説明する。という形で進行する。そこで気になるのが、最初に意見を言った人間が繰り返し強調しない。この会議のメンバーは皆それぞれに新しい事実を考えに入れて実に様々な意見を発表しながら、一方でちゃんと他の連中が言ったことを覚えている。しかも最後には一人一人の意見をもう一度繰り返さなくても、それをちゃんとまとめて誰の意見が一番良いと決めることができるのである。これを目のあたりに見て僕は舌を巻いた。本当に偉い人とはこういう連中のことを言うに違いない。」
目的意識が完全に共有できた賢者の会議というものがひしひしと伝わってくる。
一方で、外部との情報のやりとりに検閲が入る不自由な環境において、夫人への手紙で、わざと暗号っぽい数字を並べるなどのいたずらをしたことなどは微笑ましい。また、夫人もわけのわからないアルファベットを並べた手紙を書いたりと、よくできた女性のようだ。下手すると反逆罪で捕まる緊張感のある時代にこうした冗談がやれる人間性は洒落てるのである。
また、原爆実験が成功した時、皆が興奮して喜んだ中、開発者の一人が「どんでもないものを造ってしまった」と言ったことに対して、無我夢中で働いてきて、考えるという機能が停止してしまっていたことを語っている。数学者フォン・ノイマンの「今生きている時代に責任を持つ必要はない」という忠告で「社会的無責任感」を感じるようになり、それ以来幸福な男になった。と言っているが、悩み悩んだ照れ屋が無理に語っているように思える。
4. 優雅なバー「アリバイ・ルーム」での話。
アル中ハイマーとして反応しないわけにはいかない。
ある常連客がミルクを注文する。この客が胃潰瘍であることを皆が知っているから哀れむ。これを見て、彼は次からコーラを注文し、つまらなそうな顔を作ってみせた。すると他の連中がたちまち彼をとりかこんで同情しはじめたという。
試しに、おいらも行付けのバーでやってみた。しかし、殺人カクテルが出てきた。ちなみに、このバーでオーダーが通った試しがない。
また、女性を口説く手ほどきを受ける。基本法則はこうだ。
「男は紳士と思われたいのが普通だ。礼儀知らずの野暮な奴と思われたくないし、ことにケチと思われるのが一番こわい。女の子達はこれを見抜いているから、思い通りに操られるというわけだ。よって、どんなことがあっても紳士であってはいけない。女の子を頭から軽蔑してかかること。しかも第一のルールは、女の子に決して何も買ってあげてはいけない。」
おいらは、ベロンベロンと、うぬぼれのデュアルバイアスがかかっているので見事に操られる。
かつて、女性から「ハイヒールを忘れたから買っといて!」というメールを受けた。
さっそく、おいらは夜の社交場近くのヒール店に一人で恥ずかしそうに入った。
どれを選んでよいかわからないので少々悩む。店員は真剣に選んでいると思ったのかもしれない。
「これなど、いかがでしょう!今人気がありますよ!」と近寄ってくる。おいらは、即座に逃げたかったが、いちおう色の好みだけは伝える。そして、「すぐに使うから包まなくていいよ!」って言うと、店員から「お客さんが履かれるんですか?」と止めを刺される。おいらにオーラでもあるというのか?「女の子に決して何も買ってはいけない」という教訓が身にしみるのである。
本書は、他にもたくさんのエピソードがあり、全てに突っ込みを入れたいが、今日はこのぐらいにしといてやろう。ただ、出てくる話はトップレスの店やら、バーでの出来事など、ただのスケベおやじである。ノーベル賞物理学者ってこんなもんかあ。妙に親しみを感じる。
まさしく馬鹿と天才は紙一重である。アル中ハイマーは前者であるという証明である。
おいらもそれなりに人生を楽しんでいるつもりであったが、楽しみ方が足らないと反省するのである。こういう本に新鮮さを感じるということは、おいらの根は真面目過ぎるのだ。
おっとくしゃみが「ヘークション!どこぞの女が俺の噂をしてやがるぜ!」
とドスの利いた声でつぶやくのである。
ここで、本書とは関係ないがロスアラモスでの出来事を追記しておこう。
かつて、相対性宇宙論の世界会議がロスアラモスで開催された。
アル中ハイマーは「重力場における時間の歪と相対性理論による実証」と題して論文を発表した。
「ホットな女性と一緒にいると時間が短い。そうでもないと時間が長い。オーラとは、重力による空間の歪であり、時間は美貌の波長に左右される。」
もちろん、オッペンハイマーの目に留まったことは言うまでもない。
オッペンハイマー&アル中ハイマー、なんとなく語呂合わせが良い。こうして記念に造られたワインが「ハイマースハイマー・ロゼ」である。このワインは、市場の不完全性パラダイムを体系化したハイマー理論に基づいて製造されたため、激辛と強烈なつんとくる酸味からは信じられない、濃厚でボリュームたっぷりの甘味を醸し出す。
また、会議のあまりの盛況ぶりに、どこかで噂を嗅ぎつけたクラブから、桜祭りの招待状が届いたことを付け加えておこう。アル中ハイマーはクラブ活動にも余念が無い。
すっかり、意気投合してしまったオッペン君は、カクテル「アトミック・ボンブ」を一気に飲み干した。そして、実証実験と称して「もう1軒行こう!」と言い出した。
おいらも、つい口癖で応酬する。「しょうーがねーなあ!」
以上。19XX年4月1日の出来事である。
2007-03-25
"人を動かす" Dale Carnegie 著
タイトル通り"人の心を動かす"秘訣を語ったものである。
本書を読んで、ほとんどおいらと逆の事ばかりである。読み終わって、おいらの人格を否定されたような気分で落ち込むのである。どうやらアル中ハイマーは、人を動かそうなんて思ってはいけない人種のようだ。では、普段ベロンちゃんのアル中ハイマーが、どこかへ落ち込んでいく様をざっと眺めてみよう。
「批判も非難もしない。苦情も言わない。」
人間とは、どんな悪人でも自分を正当化しようとするものである。他人の批判はなんの役にも立たない。自尊心を傷つけられ、反抗心を生むだけである。人を非難することの無益さを理解しなければならない。と語られていく。
おいらは、いつも批判めいたことや愚痴ばかり言っている。一種のストレス解消だ。そして誰も相手にしなくなる。唯一の友は酒である。あれ?もしかして孤独?知らなかった。落ち込みの第一波が押し寄せる。
「率直で誠実な評価を与える」
人を動かす秘訣は、自ら動きたくなる気持ちを起こさせることである。人間の持つ最も根強い衝動は「重要人物たらんとする欲求」である。と語られていく。どんな人間でもお世辞に弱いものである。しかし、お世辞とわかれば逆に嫌われる。人間は自分自身の存在価値を認めてもらいたいと考える。特に歳を重ねるとその傾向は顕著になるようだ。生きてきた以上は当然のことである。重要ポストなどについている人は、決定事項を素通りすることを好まない。なんでも仲介役を買って出たり、忙しくしてないと気がすまない人が多い。そのわりに重要なことをサボったりする。そして、肝心なときに席を外したり、責任を負わないことはよくある。
アル中ハイマーの存在価値は有るか?無いか?という問いには、当然有ると答える。じゃ、賭けをしようと持ちかけられたら、当然無い方に賭ける。おいらは賭けに負けることが大嫌いなのだ。
書いていてなんか虚しい!落ち込みの第二波が押し寄せる。
「名前を覚える」
相手への最低限の礼儀であろう。アル中ハイマーが最も苦手とするところである。久しぶりに会って、その人の細君や子供、趣味などを尋ねると、和むものである。アル中ハイマーには、こうした記憶力がない。しかし、逆に覚えられることはよくある。妙な特徴があるのだろうか?いや普通の紳士である。
いつか、東京駅のホームで偶然、高校時代の知人に会った。声をかけられ、なんとなく顔はわかるのだが名前が思い出せない。とうとう我慢できずに聞いてしまった。最後まで我慢すれば不快な思いをさせずに済んだであろう。アル中ハイマーには決して珍しくない出来事である。あだ名がわかっても、本名を知らないなど、ざらである。友人の結婚式に招待されて、初めて本名を知る。
ただ、夜の社交場で隣に座った女性の名前を覚えるのは天才的である。んー。落ち込んでいいのやら悪いのやら?わけがわからない。落ち込みの第三波のようだ。
おいらは、珍しい名前なので、幼いころから先生にからかわれるのである。学校の先生は多分仲良くなろうとして冗談で言うのだろうが、本人にしてみれば、いじめである。こうした幼い頃の体験は、病的になるか反抗的になってしまう。おいらは天の邪鬼になった。
そうした中、高校時代、物理の先生には感動した。
おいらのクラスは、たまたま珍しい名前の生徒が揃っていた。どの先生も珍しいからとおもしろがっていたにも関わらず、その物理の先生だけは、初対面で全員の名前をフルネームで完璧に読み上げて出席をとった。事前に調べてきたのである。おいらの名前は性が珍しいのと、名は当て字で微妙に読み方が違う。初対面でフルネームで完璧に読まれたのは、これが最初で多分最後であろう。このような気配りのできる先生を嫌う理由がない。以来物理が好きになるのである。まさしく、"人を動かす"秘訣である。ところでその先生の名前なんだっけ?
「話上手とは、聞き手にまわることである」
おいらは、人の話をじっくり聞ける人や穏やかに話せる人に憧れる。落ち着いて品が高そうに見えるからである。おいらは、ほとんど人の話を聞いていない。自分で喋っているからである。言いたいことは、つい言ってしまう性格なのだ。これはマズイ!
第何波だっけ?波に揺られて酔ってきた。いや君に酔ってんだよ!
「相手の身になる」
相手の自尊心を傷つけずに説得するなど至難の業である。
ガリレオ曰く「人にものを教えることはできない。みずから気づく手助けができるだけだ」
自分の誤りを直ちにこころよく認めるなど、なかなかできないだろう。おいらは自分で楽しもうとすることしか考えない。それで他人も楽しめればOKである。おいらは、自分ならどう思うかと置き換えることぐらいしかできない。他人のことを理解することなど難しくてできないと半ば諦めている。
航空家で作家のサンテグジュペリの言葉を引用している。
「相手の自己評価を傷つけ、自己嫌悪におちいらせることを言ったり、したりする権利は私にはない。大切なことは相手を私がどう評価するかではなく、相手が自分自身をどう評価するかである。相手の人間としての尊厳を傷つけることは犯罪なのだ」
おいらは犯罪者なのだ。どこまでも落ち込んでやる。波乗りは気持ちええのだ。
本書の要約を見つけた。
「相手の自尊心を尊重しなければならない。批判によって人間の能力はしぼみ、励ましによって花開く。」
本書では、当り前のことが並べられている気がするのだが、分かっているつもりでも実践できていないことはよくあることだ。おいらは気が短いので、なかなかできないことが語られていて頭が痛くなってきた。ちょっと飲み過ぎたようだ。
「自分のことだけしか考えない人間は教養のない人間である。たとえ、どれだけ教育を受けても教養が身につかない人間である。」
おっと言葉まで突き刺さる。おいらは随分相手を傷つけてきたことだろう。よく友人に注意される。アル中ハイマーは無神経人間で通っている。実は、照れ屋だから酔っている振りをしているのだ。いや、本当に酔ってるのかもしれない。もはや波と共に神経がどっかへ行ってしまったようだ。
結局、どこに落ち込んだのだろう?アル中ハイマーは酒に落ちるのである。
ちなみに、「酒に落ちると書いて"お洒落"と言う。」とは、某バーの記念パーティーのマスターの台詞である。おいらは、なるほどと感動した。しかし、感動して損した。お洒落は酒ではない。横棒が一本ない。
そして甲高い声で叫ぶのだ。この詐欺野郎ー!
2007-03-18
"道は開ける" Dale Carnegie 著
「人間の悩みについて、どうやって対処したかの実証記録である。欠点は無知ではなく無為である。古来の根本原理を再述し、現代風に書き直した。」
と前書きされている。なぜこんな本を読んでいるのだろう?昔でも思い出しながら、ちょいと潜在意識を覗いてみよう。
大抵の悩みは未来に対する恐れからくるとある。
未来の重荷まで今日背負うと、どんな強人でもつまずくだろう。真の心の平和は、最悪の事柄をそのまま受け入れることにより得られる。そして、もはや失うものがなくなる。開き直るのである。人々が怒り、混乱し、人生を台無しにするのは、最悪の事態を受けれようとしないからである。逃避から、うつ病の犠牲者となる。
ということが語られていく。
おいらは子供の頃から学校嫌いで出席日数もギリギリで義務教育を卒業している。小学6年生ぐらいから高校2年生ぐらいまで続いた。悩みというよりは学校に行くのが面倒だったのである。普通の登校拒否とも違うと先生が言っていた。先生が居なくても教科書を読めばええじゃんって思っていたし、時間の無駄だと思っているなど、ただのひねくれ者だったようだ。
周りは体が弱いと思っていたようだ。そう思われるのは都合が良かった。けっして体が人一倍弱いわけではない。強いわけでもない。ただ意思が弱かった。
興味もないものに意思を持つことの方が難しい。しかし当時は、そうした無気力状態に落ち込んでいた。当時から、悩みとはなんぞやという事について考え伏せていた。アル中ハイマーにもこうした暗黒時代があったことを誰も信じてくれない。
「悩みに対する戦略を知らないものは若死にする」とある。神経症入院患者は、無力感、欲求不満、不安、苦悩、恐怖、絶望が原因である。プラトン曰く。「医師の犯かしている最大の過失は、心を治療せずに肉体を治療することだ」
おいらは、最近よく健康診断にひっかかる。つい気まぐれで3年ほど前病院へ行った。たまには看護婦さんを眺めるのも精神衛生に良いと思ったからである。すると、脳梗塞!即入院!今では毎月検診を受けているが健康過ぎて困っている。事業の成功と健康を引き換えにするなら、おいらは健康をとっていると言えよう。
生活習慣といえば、眠くなれば寝て、自然と朝4時過ぎに目が覚める。朝は散歩、昼寝を1時間、夜は0時過ぎに寝る。仕事の気分転換にバイクで海岸線まで走り、風にあたり、煙草を一服。夜は大人の社交場へと消えていく。
事業者の"負け犬の遠吠え"とは、"健康を勝ち得た!"と叫ぶことである。
「悩み解消法は、事実を把握、分析、そして、決断、実行」とある。悩みの大半は、判断の根拠となる知識が十分でないのに、あえて判断を下そうとするから生じるとある。
人間は、思考する努力を省きたいために、あらゆる方便に頼ろうとするのだろう。自分を正当化し好都合な事実や、抱いている偏見を正当化する事実だけを望む。しかも、自分の悩みを他人に強いる人までいる。おいらは現実から逃避する手段として、仕事とは別に計画を練ったり、思索にふけったりする。そうすると、悩んでる場合ではないということに気づかされる。こうした行為は、いままで避けていた分野でも自然と興味が湧くから不思議である。興味がないことに対して無力であることは、学生時代に証明済みなので無理なテーマを掘り起こすことはない。ただ、いろいろと目が移り本業がだんだん馬鹿らしくなるから困ったものである。今では本業が何だかわからない。アル中ハイマー本領発揮である。
ここで、アル中ハイマーの持論を上げよう。
・生きるとは、死までの暇つぶしである。
・生きがいとは、死の恐怖から逃れる手段である。
・多忙とは、神経疾患への麻酔薬である。
・哲学とは、暇人の学問である。
・暇とは、不安と葛藤する勇気を養う時間である。
・天国と地獄があるなら、まさしくこの世である。
生きがいがあれば天国。生きがいが無ければ地獄。
ほんの少し悩みを分析すれば、このような言葉を思いつくことは容易である。しかし、誰かの思想をコピーしているものもあるかもしれない。自分の考えだと自信を持っていても無意識に感化されてることはよくある。そもそもアル中ハイマーに自意識があるかは分析不能である。
「物事があるがままに受け止めよ!」避けられない運命があると語られている。人間、努力すればなんとかなるという人がいる。学校教育とはそうしたものである。絶対的に支配される何かが存在し、それを受け入れる心構えがあってエゴから解放される。おいらには身近に先天的知的障害者がいる。少々わがままで、深夜に踊りだしたりするので、鬱陶しいこともある。昔はあまり人前に見せたくないなど、くだらない気配りをすることもあった。今では慣れたせいか、他の人には体験できない境遇にあることを感謝している。
悩みを完全に克服する方法として、神に祈ることを上げている。宗教に頼るのが手っ取り早いのだろう。カントも「信仰が必要ならば神を受け入れれば良い」と言っている。カリスマなんたらというのがマスコミに取り上げられるのも仕方のないことかもしれない。おいらは無宗教なので信じるものがない。また、苦悩を正面から受け止めるほどの度量も持ち合わせない。よって屁理屈で武装するのである。
悩みを予防する方法に休息が良いとある。精神分析医に言わせると疲労の大部分は精神的、情緒的態度に起因するのだそうだ。半時間の昼寝など。筋肉をリラックスさせると自然と悩みを忘れられるそうだ。おいらは、1時間昼寝をすることが多い。眠い時だけで無理に寝ようとはしない。元々不眠症に悩んでいた時期があり、睡眠薬を処方してもらっている。しかし、眠くない時に寝る方が疲れる。眠ろうとする焦りが逆にストレスになる。
おいらは睡眠薬を飲んで睡魔と闘う遊びをおぼえた。眠くなった時にどこまで起きていられるかという遊びである。そして、いつのまにか意識をなくす。目が覚めた時は別世界である。本当に記憶が飛ぶ。麻薬ってこんな感じなんだろうか?病み付きである。こうして10年ぐらい不眠症を楽しんでいる。最近はよく眠れるのでおもしろくない。
尚、ここでいう睡眠薬とは酒ではない。本当に薬局で扱っている薬だ。ほんまだって!最近、真実を語っても信じてもらえない。これがアル中ハイマーの悩みである。
前半は、悩みの根源や分析について語られていて意外とおもしろく読めた。しかし、後半は、前向きに陽気でなどと一般的な決り文句が続くので少々退屈してしまう。本書を選択した読者は悩み悩んで辿り着いた人だろうから、それでちょうど良いのかもしれない。
おいらは悩むのもいいことだと思っている。前向き過ぎるのも問題である。少々心配事があるぐらいでちょうど良い。そうでないと理性のバランスが保てない。
アル中ハイマー・ツェッペリン曰く。「ジンとベルモットのバランスを保つことが悩みを取り払い、天国への階段は開ける。」
2007-03-11
"決断力" 羽生善治 著
某国営放送が「将棋界の一番長い日」と題するこの日は、毎年仕事をせずに観戦することにしている。恒例ではあるが、またまた感動させられるのである。
やはり一番の注目カードは、佐藤棋聖 vs 久保八段だろう。佐藤棋聖は連続勝し越し記録がかかっている。久保八段は降級がかかっている。
おいらは、いきなり序盤から驚かされた。戦形は相振り飛車。後手番の佐藤棋聖は9一玉へ一直線で穴熊に入る。これを見て久保八段は8筋に振った飛車先の歩を交換する。そして、久保八段が8五飛と引いた瞬間。おいらは、ええっ?っと思わず声を発した。
この飛車が2筋に回ったら、角頭を防ぐには3三に飛車を浮くしかない。これは自分の角道も塞いで、飛車も動けない状況になる。だからといって8筋に歩を垂らされるのも辛い。どちらを防ぐのか?玉に近い8筋を優先して2筋は飛車を浮いて防いだ。久保八段の角道に飛車があたるのは覚悟の上だ。
佐藤棋聖が指した9一玉のタイミングは、もしかしてチョンボ?まさかA級棋士が序盤の序盤に?おいらなら、やる気をなくして投了しそうな場面である。
プロ棋士によっては、攻めさせるための誘いの手だったと解説している人もいる。それにしても、8五飛のタイミングで佐藤棋聖が長考するのは妙である。しかし、後に佐藤棋聖が優勢と思わせる場面もあるから、やはり誘っていたのかもしれない。その後、繰り出す手が不可解?勝負手?実は、形勢が苦しいとみての思い切りだったのではないか?気持ちは佐藤棋聖を応援していたが最後は投了。いつのまにか勝敗などどうでも良いと思っているのである。
真相は不明であるが、おいらには到底計り知れないレベルで感動するのである。達人がやるとポカも妙手になるのだろうか?この真相を解説したサイトを現在も探索中である。将棋チャンネルの中川七段の解説で、実は最後の最後に大逆転の妙手もあったと知って、またまた感動するのである。
すっかり気分が盛り上がってしまったアル中ハイマーは朝一番で書店に走った。将棋関係で心理面などを解説した本が読みたくて探していると、本書を見つけるのである。
将棋は一見ロジックの世界のようであるが、本書は冒頭からメンタル面の重要性が語られている。
まあ、数学の世界に似ているのだとは思うのだが、フィールズ賞の小平先生の数学は高度に感覚的な学問であることを「数覚」と言ったことを持ち出している。
定跡を研究すれば、60手、70手ぐらいまで正確に指すことができるが、知識を知恵に昇華させないと勝てない。情報化社会では新手の研究は報われない。著作権はない。だからといって諦めては流される人生になる。こういう時代だからこそ、自分なりのスタイル、信念が重要である。
経験と机上の研究とは深みが違う。経験を積むことによりネガティブになるが、このマイナス面に打ち勝つ理性を同時に成長させないと経験を生かすのは難しい。
といったことが語られていく。
棋士は、数学と同じで複雑系を定跡という形で体系化しようと努力しているが、結局、ぎりぎりの勝負で力を発揮できる決め手は大局観と感性のバランスであるということのようだ。
また「決断とリスクはワンセット」などで、ビジネスの世界にも少々踏み込んだ場面もある。
「物事を進めようとする時、まだ、その時期ではない。環境が整っていない。とリスクばかり強調する人がいるが、逆説的に言えば、整っていない環境は良い環境だとも言える。日本は同質社会ということもあって、このバランスが悪いと思う。リスクを負わない人がいる一方でリスクばかり負わされる人がいる。決断を下さない人に減点がないから決断を下せる人が生まれてこないのではないか。自己責任という言葉を最近よく耳にするが、リスクを背負って決断を下す人が育たないと、社会も企業も現状の打破にはつながらないだろう。」
同じ発言でも、ある分野でトップを極めた人間の言葉は重い。アル中ハイマーが同じことを言っても、飲み屋の姉ちゃんからハイハイでおしまいなのである。
将棋というと、アル中ハイマーはずっと疑問に思っていることがある。
先手と後手どちらが有利か?である。プロ棋戦の勝率をみると圧倒的に先手が良い。数学的にも選択幅が多い分、先手が有利なような気もしないでもない。しかし、内容を見ると後手番が戦形を試している節もある。プロ棋士は後手が不利と最初から意識しているからかもしれない。こうした心理が数字を助長しているようにも思える。
本書では、カーネギーメロン大学の金出先生の
「将棋の指し手の可能性は10の30乗ぐらいあり、地球上の空気に含まれる分子の数より多い。アボガドロ数に達する数にはコンピュータも答えられない。」
を持ち出して、プロでも将棋のことは意外とわかっていないということも語っている。
実際、戦いが始まると、仕掛ける側は予め駒損を覚悟しなければならない。極めつけは、最近有効な戦法とされている「一手損角換わり」である。後手から仕掛けると2手遅れることになる。わざわざ一手損戦法が使われるから、更に疑問が深まるのである。
また、谷川 vs 羽生の対戦成績だけをみると、著者から見て先手番よりも後手番の方が勝率が良い。これが、佐藤戦、森内戦となると、明らかに先手番の勝率が良い。本書では谷川九段に対する特別な思いが伝わる。
「谷川先生とは200局はいきたい。他の人と比較しても、谷川さんと私との対局は一番多いものとならなければならないと思っている。谷川さんとは対局を離れるとほとんど会話をしないが、最も理解しあい信頼できると自負している。」
と語っている。この二人の対戦成績には重みが伝わるのである。
先手と後手という意味で語られているとしたら、本書ではこの部分が一番近いような気がする。相手に手を渡すことの難しさと重要性が語られている。
「できるだけ可能性を広げて、マイナスにならないようにうまく手を渡す。相手に自由にやってもらい、その返し技をかけることが重要である。この選択は気持ちに余裕がないとできない。それなりに対応できる自信、手応えがあって手を渡せる。確固たるものではないが、好調な時ほど、そうしたものである。」
ここだけ読むと後手番が気楽なようにも思える。素人でも先に仕掛けると手を作る難しさがあるが、受けに回ると気楽な面もある。もし、勝ち負けしか意識しない将棋の神様が二人いて対戦すると、ずっと駒がぶつからないような気がするのである。
ちょうど先日、王将戦第六局(羽生 vs 佐藤)があった。
先手番の羽生はあっさりと千日手にして指し直しとなった。指し直し局は後手番で熱戦の末負けた。本当に先手番が有利ならば、もうちょっと工夫してもいいのではないかと思って観ていた。過去の対戦からの流れもあるのだろう。このような駆け引きは奥が深くて理解できない。また、いままでに勝ったことが無い手順をわざわざタイトル戦で採用して負けてる場面もある。佐藤棋聖も同じように、不利と言われている戦形をわざわざ採用して、やっぱり負けてる場面もある。これらの行動は理解不能であるが、逆に魅了されていくのである。
本書にこうした行動に対する答えがあった。
「自分の熟知した戦法ばかり採用していると、長い目で見ると必ず現在のポジションを失う。最近では相振り飛車を使う。プロの間ではあまり使われない戦形である。いままでに千局以上対局してきたが、十局も指していない戦形だ。相手は熟知しているエキスパートだ。経験がほとんどないからあえなく撃沈である。それは先行投資のための授業料を払ったと思っている。勝ちを優先することは、企業で言えば目先の利益を優先することである。」
大一番では安全な手法をとりがちになるのは当り前であろう。著者もそう述べている。しかし、確実という気持ちに逃げると、逆に勝ち続けることが難しくなるという。なるほど、納得である。負けるとわかっていても、あえて挑戦しているように思えたのは間違ってはいなかったのだ。
アル中ハイマーの眼力も捨てたもんじゃない。こうして自分に酔っていくのである。いや!アルコールに酔ってるのかもしれない。もはや何に酔ってるかわからない。アル中ハイマーとはそうした病気である。
結局、先手と後手はどちらが有利か?という問いに対する答えは見つからなかった。しかし、アル中ハイマーは断言できるのだ。先手で酔った方が幸せだということを。
2007-03-04
"ハッカーのたのしみ" Henry S. Warren, Jr 著
いきなりデータのビット操作から始まるが、目から鱗が落ちるのである。
演算回路でいつも悩まされるのが、符号付/符号なし演算、ビット操作など、いかにコンパクトにするかである。本書は、ビット操作やワード操作といったレベルから要素技術が紹介されているので、いろいろなアルゴリズムで使えそうである。
おいらは単純で頭が悪いので、できるだけわかりやすく記述しようとする。正確には自分にとってわかりやすくである。よって、冗長したコードとなり実行時間を犠牲にする。ゴリゴリとコンパクトに仕上げるのが苦手なのである。
こうした冗長プログラムもハードウェアの進化により時代が解決してくれている。とうとう、おいらの時代がきたぜ!と思っているうちに、今や高機能化、大規模化についていけない。どちらにせよ馬鹿は馬鹿なりに世界をみつけるのである。
除算の項の締めくくりにこんなフレーズがある。
「割り算ほど可愛くない演算を思い描くことは決してないだろう。答えを推測してから掛け算で確かめなければならない演算、我々が大きな犠牲を払っている演算、毎日は繰り返し無駄に過ぎた割り算のコードは多くの場合ぞっとするほど難しく、longの割り算は身の毛もよだつ。証明は脳に過負荷をかけることがあり、切り上げと切り捨てで狂気に追いやられるかもしれない。割り算の良いコードはクヌース級の英雄を魅了するが、神でさえ0で割ることができない!」
まったくだ。ディジタル回路で除算の実装で狂気に震えたことがある。こんな仕様を考えた奴は誰だ!と、いつも愚痴るのである。アル中ハイマーは、こんな面倒な仕事から逃避するのである。
平方根では、こんなフレーズがある。
「おお、捕らえ所のない平方根、それは確実に計算できるに違いない。けれど可能な最善の方法は、2のべき乗を用いてニュートン法を繰り返すであろう!」
おいらは、平方根にしても三角関数にしても、面倒なものはテーブルで逃げることばかり考える。そして、数値を組み合わせて近似する。最大限の手抜きしか考えない。たまにはエレガントにプログラムできないといけないと反省するのである。
本書を全部理解するのは生涯かけても無理だろう。アル中ハイマーは自分の馬鹿さ加減に飲むしかない。腹いせにヒルベルト曲線でも作って遊ぶしかないのである。
2007-02-25
"C言語による組込みプログラミング スタートブック" 鳥海佳孝 著
以前、行付けのバーで生涯飲めないような高級なお酒をご馳走になったことがある。お返しをせねばなるまいと思いつつ甲斐性がないのでなかなか実行できないのである。
W杯の話になると互いに熱くなる。現地へも行かれているようだ。本書の著者紹介には4大会連続出場中とある。
日韓大会では"FINAL 2002-6-30 YOKOHAMA"が刻印されたヒップフラスコをプレゼントして頂いた。アル中ハイマーは時々これに酒を入れてニヤニヤしている。
個人で独立して活動されている点においては親しみを感じるのだが到底及ばない。セミナーでも活躍されており、こういう方々の地道な努力が本当の意味で社会を支えているのだろう。
本書のおかげで、たまには仕事関係の記事を書いてみる気になるのである。ちなみに、おいらの本職はちょいと味のあるボケた詐欺師である。ゆえに、いつも詐欺に会うのである。
組込み系というとマイコン制御を思い出すが、本書はソフトウェア技術者のためにHDLの知識無しでも回路設計ができる例を紹介している。
Cベースによる設計環境ではC++の"System C"が有名であるが、本書では手軽さでC言語の"Impulse C"を題材にしている。
C言語では逐次処理を記述していくが、ハードウェアでは個々の素子が並列に動作する点が大きく違う。よって、HDLでは並列動作を記述することは当り前であるが、ソフトウェアではこの点を表現する方法が難しい。
Impulse Cではハードウェアの動作を表現できるco_*関数を用意しているので、この使い方を紹介している。開発手順は、C言語で書いたプログラムを動作合成によりHDLに落とす点が追加されるだけで、後は論理合成、配置配線と設計手順は通常のハードウェア設計と同じである。本書にもあるが、動作合成ツールの性能により回路の出来が決まり、現状では回路効率は圧倒的にHDLが優位にある。
かつて、回路図ベースで設計していた時代に、HDLが登場してソフトウェア化が進もうとした。しかし、プログラムが書ければ回路が実現できるものでもない。今日では、回路の知識とプログラムの知識の両方が必要となった。
それでもプログラム記述の方が抽象化できて圧倒的に効率が良い。なによりも検証環境を構築しやすい点が最大の利点であろう。ターゲットモジュールはもちろん、周辺部分をソフトウェアでモデル化できることはとてもありがたいのである。
こうしてアル中ハイマーは、ジョブを積み上げて夜の社交場へと消えていく。そして、酒場からsshする。その日の酒の量はログの量で決まるのである。
おいらは、回路設計を請け負うことがあるが、周辺装置のモデル化や期待値モデルの作成において、C言語だろうがHDLだろうが言語依存で考えたくない。本音は貧乏なので高価なツールなど買えないのである。手段は顧客の要望次第であるが、極力、言語依存、ツール依存を避けるため、ファイルでI/Fするという原始的な手段を取ることが多い。よって、画像処理など大規模な検証パターンを要する検証環境では、大きなファイルが多く存在してしまうなど、つまらないことを気にしなければならないのである。
個人的にはプログラム経験のある人であれば、HDLを覚えるのはそう難しいことだとは思わない。と言ってもハードウェアの知識は必要である。しかし、アルゴリズム検討で作成したコードをそのまま回路に実現できれば、こんなうれしいことはない。そのためには動作合成ツールの性能にかかっている。かつてマシン性能が上がって数々のソフトウェアが実現できるようになったように、素子性能や集積度の向上により、時代が解決してくれるのかもしれない。おいらは、HDLなんて中間ファイルを生成しなくなったら使う気になるのである。ついでに、回路図を滅ぼしたように、HDLを滅ぼしてほしいのである。その前にアル中ハイマーが滅びるのは自明である。
こういうセミナーを受講すると貧乏人には辛いが、本書で受講した気になれるのは幸せな領域へ導いてくれる。また、非常に丁寧に記載されているものと思われる。アル中ハイマーのような酔っ払いにでも理解できるからである。
正確には理解できたような気がする。これが重要なのである。気持ちええのである。どうせアル中ハイマーには万物は何一つ悟れないということを悟っているのである。
