2021-05-09

"責任と判断" Hannah Arendt 著

「凡庸な悪」をめぐる物語。それは、「凡庸な善」と背中わせにあったとさ...

小惑星の名になったハンナ・アーレントは、ヒトラー時代を生き抜いたユダヤ系女性。彼女が提示する悪は、邪悪でない人々が画一化し、全体主義的な傾向を強めていく中で浮かび上がる悪である。
どんなに良い事でも、同じ事をする人が多過ぎると、なにかと問題になる。それが人間社会というものか...
どんなに良い人でも、同じ考えの人が集まり過ぎると悪魔に変貌する。それが集団社会というものか...
人間ってやつは、自分自身を見つめることを忘れちまうと、人間性までも見失うらしい。そんな大衆社会にあって、個人の責任はどこまで問われるだろうか、個人の判断はどこまで当てになるだろうか。これがハンナの問い掛けである...
尚、中山元訳版(筑摩書房)を手に取る。


やはり、大衆は臭い!そこには、誹謗中傷の嵐が吹き荒れる。正義を振りかざす人ほど言葉を強め、中庸な人ほど言葉を弱める異様な言語空間。言葉ってやつが、人を攻撃的にさせるのか。アイヒマンのような怪物が実は凡庸であったと指摘し、人間が潜在的に持つ悪魔性について言及すれば、非難に晒される。語ってもいないことを攻撃する輩がいれば、語ってもいないことを擁護する輩まで論戦に加わり、まるで SNS 上で繰り広げられる誹謗中傷の連鎖。現代社会の抱える病理が、こんなところに...


人は誰もが、自分の属すカテゴリに対して敏感に反応する。それは、自己存在を強烈に意識させるからで、いわば本能的な反応。所属するグループが他のグループを優越できれば、これほど心地よい居場所はない。
しかし、だ。残虐な迫害行為がなされ、それを目の当たりにし、それでも心地よくいられるだろうか。悪魔の所業は、どんな心理状態で容認されたのか。歴史学者グイド・クノップは、アイヒマンやメンゲレなどの恐るべき事務的処理を指摘していたが、ハンナは、官僚主義が生み出す非人間性を指摘する。
おそらくヒトラーは、巨大官僚機構こそが、人々が思考することを放棄させ、機械的に、事務的に、つまりは、最も忠実な実行部隊に仕立て上げることを熟知していたのだろう。独裁者である自分自身を神格化できればそれに越したことはないが、こっちの方が手っ取り早いことを。民衆の心を操るプロパガンダ効果も含めて。大衆社会という形態は、この時代に基礎づくりがなされたとも言えそうか...


1. 官僚主義がもたらす「義務」という脅迫観念!
義務ってやつは、ある時は出世の道具に、またある時は強迫観念に、意志を持たない人ほどハマりそうな。これと瓜二つの観念に「常識」とやらがあり、どちらも疑問を持つことを忘れさせる。
義務の恐ろしさは「責任」という観念にいとも簡単に転嫁されるところにある。あらゆる行為が自発的でなされるならば、義務やら、責任やら、そんなものを意識せずに済むはずだが、自発性は個人の問題である。集団の中では協調性がより重要視され、自発性と協調性はしばしば反目する。そのために、統治者は、意志をしっかりと持ち、自発的に行動する人が煙たくもなり、逆に自発的な人は、所属するグループが息苦しくもなる。
そして、ボランティア的な社会活動でさえ誰かの命令でやらされてしまい、誰かの指示がないと仕事も見つけられない。換言すれば、官僚主義は「義務」や「責任」といった用語で支えられている。いや、縛られていると言った方がいい。これらの用語をどう解釈するかは別にして...
但し、官僚主義は公務員の専売特許ではない。組織あるところに、なんらかの形ではびこる。命令する側にとって、イエスマンほど都合のいいヤツはいない。命令だから、規則だから、法律だから、と言い訳できれば、思考せずに済む。非人間性ってやつは、思考することの面倒臭さからくるのだろうか。形式や儀式に固執し始めたら、その前兆かもしれない。
いずれにせよ、扇動者にとって、思考しない連中が思考しているつもりで同意している状態ほど都合のよいものはない...
「こうした官僚機構で支配するのは、法でも人間でもなく、非人格的な役所やコンピュータです。まったく人間の手から逃れた制度による支配は、これまで経験されてきた独裁政治のもっとも法外な専制よりも、人間の自由と最低限の礼儀に対する脅威となりかねないものです。」


2. 良心や定言命法ってやつは、当てになるか?
道徳を根底から支えるものに、良心ってやつがある。良心は、責任や義務にも深く関与する。良心はきわめて主観的な領域にあり、主観的であるからには個人的な資質に関わる。道徳が個人的な問題だとすれば、集団社会においては悲観論にならざるをえない。ソクラテスの黄金律だけでは不十分。何か別のものが必要ってことだ。
ハンナは、古代ギリシアから培われてきた道徳法則に、「カントの定言命法」を加えて補完を試みる。仮言命法は、ある目的を実現するために提示される命令で、道徳的な意味はあまりない。対して、定言命法は、目的を考慮せずとも提示される命令で、義務の意味合いが強い。ただし、目的を考慮せず... というのが問題で、無条件で思考を放棄してしまっては本末転倒。常に、自己の中にある良心に耳をすます、といったところか。
しかしながら、自らに照らして吟味する性格のもので、主観的な領域は脱しえない。となれば、あとは共通認識に期待するぐらいか。善と悪の基準は人それぞれ。それでも、人間なら誰もが苦痛を感じ、喜びを感じるような意識がある。それが、普遍性ってやつか。普遍性に従った判断力は、共同体の中で期待できる最後の砦となりうるだろうか。それは、基本的人権とも深く関わる問題である。
とはいえ、良心に期待するのも心もとない。良心の限界、理性の限界、道徳の限界を心得てこそ、節度の心理が働く。自分の理性に自信を持ち、自分の道徳認識に自信満々になれるということは、すでに自己の中で理性が暴走を始めたと見るべきであろう...
「客観的な原則の表象は、これが意志を強制するかぎりで、理性の命令と呼ばれ、この命令の形式は命法と呼ばれる。」


3. ヒトラーの教皇
ロルフ・ホーホフートの戯曲「神の代理人」は、ユダヤ人虐殺を黙視したローマ教皇ピウス12世の戦争責任を告発し、多くの論争を呼んだ。人道的な立場から、なにゆえナチスを批判しなかったのか、あるいは、できなかったのか、という議論は現在でも燻る。ヨーロッパにおけるローマ教皇の精神的権威は大きく、ローマ皇帝でさえ教皇に頭を下げてきた歴史がある。当時のドイツにも多くのカトリック教徒がおり、その影響力は大きかったはず。なのに... そして、ピウス12世は「ヒトラーの教皇」と呼ばれた。
しかしながら、21世紀の今では、逆の見方が優勢であろうか。実際、表向きナチスと親交をもちながら、多くのユダヤ人を救ったという逸話が数多く残され、映画やドラマにもなっている。人種的な、イデオロギー的な立場をカモフラージュしなければ、そうした行為もできない。そのために、戦後、不本意な告発がなされ、無知な大衆の餌食にされた事例も少なくない。
では、ピウス12世の場合はどうであろう。ナショナルジオグラフィックでも特集をやっていたが、バチカンの敷地には多くにユダヤ人が匿われたそうな。ユダヤ教の礼拝中にドイツ軍が近づけば、アヴェ・マリアを歌ってカトリックを装う。教皇が沈黙していたから、静かに匿うことができたとも言える。
ピウス12世はヒトラー暗殺計画にも関与していたという説もある。ヒトラーもローマ教皇を目の上のたんこぶと見ていた節があり、教皇の誘拐計画を企てたが、実行部隊がわざと時間をかけて防いだといった話も。
また、当時のヨーロッパには二つ悪魔がいて、互いに警戒しあっていた。一つは、ヒトラーの国家社会主義、二つは、スターリンのボリシェヴィキ。バチカンにとっては、後者の方が危険であろうか。ドイツにも多くのカトリック教徒がいたし、ヒトラーはユダヤ人だけでなく共産主義も目の敵にしていた。ただ、地理的にはヒトラーの方が目障りで、西ヨーロッパのほとんどの領土を支配していた。
こうした情勢の中で、堂々とヒトラー批判を展開すれば、バチカンは残虐な報復攻撃を受けたことだろう。ハイドリヒ暗殺でリディツェ村が抹殺されたように。正論は、しばしば悪魔の口実にされる。戦後の当事者の証言にしても、あまり当てにならない。自分を正当化しようと必死なのだから。
そして、ドイツの大衆はヒトラーにすべての責任を負わせ、敵国の大衆は一介の市民にまで責任を負わせようとする。戦争責任を問うことは難しい。その範囲を問うことは、さらに難しい。クラウゼヴィッツ風に言えば、戦争は政治の一手段であり、その責任は政治指導者が負うべきであろうが、その指導者が選挙で選ばれた人物なら、国民にまったく責任がないとも言えまい。我が国にも、戦時中に平和論を唱えようものなら、非国民と罵倒された時代があったが...


4. 善行の逆説
カントは、毎日、同じ時間にケーニヒスベルクの街路を散歩したという話は聞いたことがあるが、散歩中に乞食に施しをする習慣があったという逸話はあまり知られていない。いつも新しい硬貨を用意し、使い古しのみずぼらしい硬貨を与えるのでは、乞食を侮辱すると考えたとか。乞食たちが群がり、カントは散歩の時間を変えなければならなかったが、その理由を告げるのを恥じて、肉屋の店員に乱暴されたからという話をでっちあげたという。本当の理由は、施しをする習慣が道徳的な格律にふさわしくなかったということらしい。すなわち、「施しをねだる人には誰にでも与えよ」という格律から...
善をなす誘惑はどこにでも転がっているが、悪をなすには手間がかかるし、知識もいる。道徳を学ぶには、悪をも学ばなければ...
すると、善行の逆説が薄っすらと浮かび上がる。ナザレの御仁は、善を行う者は、その行為を他者からだけでなく、自分自身からも隠せ... というようなことを告げた。右の手のすることを左の手に知らせてはならない!という言葉が、それだ。善を行えば、それを人にアピールしたくなるものだが、それこそ独善者というわけである。真の善人は、善人ぶることはないだろう。真の悪人こそ善人ぶるだろう。無私性を問えば、自ら孤独へ導くことに。そして、孤独のうちに十字架を背負ったのだろうか...


5. 孤独と孤立、そして孤絶...
人間ほど孤独を恐れる動物はあるまい。寂しがり屋な性癖がそうさせるのかは知らんが、誰かと繋がっていないと心配でしょうがない。
そこで、ハンナは、孤独と孤立の違いを指摘し、「孤絶」という概念を持ち出す。思考は、孤独の状態を前提とし、自己との対話によって可能になる。孤立は、自己との対話すらできず、思考することもできない状態。孤独は自己の中にあるが、孤立は自己の中にも、人里離れた山奥にもなく、むしろ集団の中にあるというわけか。そして、最も深刻な状態が孤絶ってやつで、それは騒々しい大衆の中にあるってか...
エジソンは、こんな言葉を残した... 最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は騒動のうちになされる... と。
ハンナは主張する。善を為す者は、それが善行であることを他者に誇ってはならないだけでなく、自らも意識してはならないと。行為を為す者は、単独で神と向き合っていなければならないと。
とはいえ、これを実践するには、よほどの修行がいる。下手すると自己にも無関心になりそうな。自己に無関心な自己とは、どういう状態であろうか。それはそれで危険な香りがする。いずれにせよ、最も危険な状態は、自己に問い掛けることを忘れ、自己を見失うことであろう...

2021-05-02

お引越し、BD 2枚でピストン輸送... おいらは流れに弱い!

この春、Jcom さんの流れがいい!雨でも降るんじゃない?もう二十年かぁ。長いこと使ってりゃ、いいこともあるってかぁ...


ネットコースを、320M から 1G へアップしたばかり。瞬間スピードも 800Mbps を超え、まあまあ...
そこに、CATV チューナの交換ときた。モノは、Pioneer BD-V302J から 住友電工 XA401 へ。サービス名も変わり、Smart J:COM Box(スマートテレビサービス)から、J:COM LINK へ。


我が家の BD レコーダは Sony BDZ-E500、十年前の代物だ。こいつは、サイトに公開される LAN 録画の対応機種表にはない。ただ、一応 DLNA 対応機器なので試してみると、十分に使える。こいつで OK! なら、たいていの機種はいけそうか...
内蔵 HDD が 500GB と貧弱で、すでに枯渇気味。ちょうど買い替えを考えていたところに、チューナの交換というタイミングの良さ。おいらは流れに弱い!


1. さて、次の機種は?次のメーカは?
この手の問題では、まずデータのお引越しが悩ましい。メーカ依存は避けたい。BDZ-E500 は、パナからの乗り換えであった。今度も乗り換えのつもりで、久しぶりに家電量販店に足が向く。
すると、Sony BDZ-ZW1700 が三万円ちょっとで叩き売りしていた。まさか展示品?在庫は二つ、どうやら新品のようだ。5月に、新製品 ZW2800/ZW1800 が出たばかり。録画機能などがアップしてそうだが、余計な機能はいらない。むしろ、型落ちの方がありがたい。ZW2700 は内蔵 HDD が 2TB で、これなら即決しそうだが、ZW1700 は 1TB で、ちと寂しい。店員によると、ZW2700 は先週売り切れたという。
また Sony では芸がない!文化に染まるのも、よろしくない!、と一瞬踏みとどまるものの...


2. 結局、衝動買いかよぉ...
うん~、店内で30分考えた挙げ句、おいらは流れに弱い!
要するに、メインの記憶デバイスをどこに配置するか。メーカ依存を避けるなら、SeeQVault 対応の HDD/SDD あたりか。時期尚早な気もしなくはないが...
いずれにせよ、BD レコーダが SeeQVault 対応でなければ、話にならない。ちなみに、ZW1700 は対応している。メインを外付に配置するなら、4TB は欲しいところ。内蔵を一時退避場所に位置づけるなら、1TB は贅沢な領域となる。DLNA 対応機器ならパソコンからも覗けるし、NAS を立ち上げることも視野に入れて、SeeQVault のサーバソフトも検討してみたい。そもそも、BD/DVD といった記録媒体が必要なのか?BD レコーダの地位も下がっていくかも...
などと考えを巡らせているうちに、衝動買いしちまった。結局、問題は先送り。1TB が枯渇するまでに、まだ時間はある。
そういえば、家電量販店で機器を購入するのは何年ぶりだろう。通販サイトがコロナ禍や配送業者でドタバタ劇を演じる中、意外と穴場やもしれん...


3. お引越しは、BD-RE 2枚でピストン輸送!
ZW1700 の HDD は 1TB でちと寂しい... と書いたが、E500 の 500GB のお引越しとなると、かなり辛い。最近の機種は、お引越しダビングなんて機能があるが、E500 の時代にそんなものはない。
ムーブ + ムーブバックを、ちまちまやるしかないか。BD-RE が 2 枚あれば、ムーブとムーブバックを同時にカバーできる。単純計算で、50GB の BD-RE で10回。1回に要する時間は、90分から 120分で、だいたい2時間置きに様子を見ては作業するといった感じ。なんと時代錯誤な!まぁ、500GB なら被害は小さい...


4. 録画そのものが、バカバカしい行為かも...
時代とともに画質が改善されるたびに、新たな記録媒体で録り直し。VHS に始まり、DVD/BD、さらに、4K/8K と続くだろう。どうせ録り直すなら、いま録る必要があるのだろうか?それでも、やっちまう。手元に現物がないと落ち着かない。ただそれだけのために...
情報ってやつは、大量に押し寄せてくると鬱陶しくなるが、録画データにも似たところがある。録画という行為は奇妙なもので、一旦録画しちまうと、なかなか観ようとしない。いつでも観られるという安心感からか。
となれば、録画という行為そのものがバカバカしくなる。ダイレクトにストリーミングすりゃいいものを...


学生時代は、もっと、もっと、バカなことをやっていたっけ...
レンタルビデオ屋さんから大量に VHS を借りてきては、持ち寄ったビデオデッキでダビング。ビデオデッキを二台所有できるのは、金持ちのボンボン!新古品の売出しに徹夜で並んで、1万円ポッキリでゲット。1万円でも高価だった。情報を聞きつけたヤツらが、おいらの部屋にビデオデッキを持ち込んで徹夜でダビングを始める。アダルトビデオを大量に借りてくるヤツもいた。
おまけに、大学の真向かいのアパートで、チャイムが鳴ってから家を出ても講義に間に合う。おいらの部屋には、代わる代わる学生がやってきて、プライベートはぐちゃぐちゃ!俺の青春を返せ!
今つくづく思う。録画という行為が、いかにバカバカしいか。しかし、バカバカしいことをやり続けるのが人間である...

2021-04-25

CATV チューナ交換、BD-V302J から XA401 へ... 長いこと使ってりゃ、いいこともある!

この春、Jcom さんの流れがいい!雨でも降るんじゃない?もう二十年かぁ。長いこと使ってりゃ、いいこともあるってかぁ...


2021年3月...
ネットコースを 320M から 1G へアップしたばかり。今なら工事費無料!に釣られて。ブースタとその電源部の交換、保安器や経路のチェック、信号レベルの調整など、実に丁寧な工事で満足!場末の一軒家で終端特性が功を奏したか、瞬間スピードは 800Mbps を超える。都心だと、こうはいかんらしい...


続いて、4月...
CATV チューナの交換案内で営業マンがやって来た。当初、断るつもりでいた。どうせ、サービス追加のセールスだろうと思い。

ところが、現料金のままで、2台目のチューナ代が千円ほど下がるというではないか。もちろん工事費も無料!1G で月額500円アップしたところに(6ヶ月間は据え置き)、合計金額が下がるとくれば、断る理由がない。


サービス名は、Smart J:COM Box(スマートテレビサービス)から、J:COM LINK になるらしい。

モノは、Pioneer BD-V302J から 住友電工 XA401 へ。

但し、2台目は、BD-V302J のまま。こいつまで交換すると、料金が上がるらしい。


1. 録画方法は二つ
おっと!XA401 に録画用の出力端子がない。今までのアナログ端子はあんまりだったけど、デジタル端子ぐらいあっても。ネアンデルタール人は、カルチャーショックを受けるのだった。

そして、録画方法は二つ。USB HDD へ落とすか、DLNA 対応機器で LAN 録画するか。

我が家の BD レコーダは十年前の代物で、Sony BDZ-E500。一応 DLNA 対応機器だけど... おぉ~、十分使える!

尚、サイトで公開される対応機種表に、BDZ-E500 はない。こいつで OK! なら、たいていの機種はいけそうか...

実は、こいつの内蔵 HDD 500GB が枯渇気味。ちょうど買い替えを考えていたところに、チューナの交換という次第である。


録画予約では、録画機器を BD レコーダへ向けて番組表から選択すれば、電源のオン/オフにかかわらず、自動で開始される。リモコンの録画ボタンで視聴中の番組を録画しようとすると、BD レコーダが電源オフだと怒られる。電源オンなら問題ないが、リモコンとの連携はイマイチか。対象がほとんど映画で、録画ボタンを使ったことないけど...

録画中に操作できるのもありがたい。今の時代では当たり前かもしれんが。マニュアルには、こうある。

「トリプルチューナー搭載により、2番組同時録画中に放送番組を視聴することも可能です。」

但し、LAN 録画中の操作制限は、DLNA 対応機器次第。ちなみに、BDZ-E500 は、2番組同時録画はできない。BD/DVD 再生や外部入力の視聴はできるけど。

ちと気になるのは、LAN 録画や LAN ダビングは、DR モードしか対応していないこと。データ領域が喰われるのは頭が痛い。BD レコーダで録画モードを変更すればいいが、BDZ-E500 は内蔵 HDD 内で変更できない。外へのダビング時ならできるけど。いくらなんでも、今の機器ならできるだろう。おっと、もう買い替え気分に...


2. LAN 録画の接続イメージ
モデムをブリッジモードにしているので、工事屋さんを少々戸惑わせてしまったのは、申し訳ないっす!

回線速度を引き出すために、モデムをシンプルな状態にしたいので。ブリッジというキーワードが通じない工事屋さんも見かけるけど、すぐに納得してくれた。

要するに、ローカル IP アドレスをどこから拾うか、というだけのこと。ルータモードならモデムから直接拾えるし、ブリッジモードなら、それにぶらさがるルータから拾えばいい。

構成は、こんな感じ...


### ルータモードの場合
+- HUMAX HGJ310V3  # JCOM モデム Router mode: dhcp
  +- XA401
  +- BDZ-E500

### ブリッジモードの場合
+- HUMAX HGJ310V3  # JCOM モデム Bridge mode
  +- YAMAHA RTX810 # Router: dhcp
    +- XA401
    +- BDZ-E500

どちらの構成でも、LAN 録画は動作確認済!但し、LAN ダビングは試していない。

3. 4K 視聴は目に毒!
テレビをあまり観ないので気づかなかったけど、4K 番組が増えている。工事屋さんがテストで YouTube の 4K 動画を再生すると、すこぶる画質がええ。4K 対応テレビじゃないのに。対応していると、もっときれい?いかん、買い替え気分が...
尚、4K 番組の録画は、USB HDD だけで、LAN 録画や LAN ダビングには対応していない。うん~、外付の HDD は編集できるのだろうか?ひとコマでも余計なフレームは削りたい。XA401 のマニュアルに編集機能は見当たらない。SeeQVault 対応も期待薄。マニュアルには、用語すら見当たらない。
録画デバイスのメインは、XA401 の外付 HDD にするか、BD レコーダ側にするか、データの移植性も考慮して悩ましい...

4. リモコンの感触がイマイチか...
ボタンの反応がイマイチ!特に、時間をおいて押すと鈍い。マニュアルには、こうある。
「J:COM LINK のリモコンは Bluetooth 接続リモコンです。電池の消耗を防ぐため、無操作状態が一定時間続くと、スリープモードになります。いずれかのリモコンボタンを押すことで、スリープモードが解除されます。スリープモード解除には、数秒かかる場合があります。」

そういえば、BD-V302J には赤外線モードがあった。電池の減りが少ないよ!って、工事屋さんが裏技を教えてくれたっけ。XA401 にもひょっとしたら... おぉ~、ググったら見つかった。
但し、赤外線モードは指向性が悪く、距離も短いし、遮断物があれば反応しない。Bluetooth モードは、あさっての方向でも反応するし、部屋の外からでも反応することがある。それは、赤外線と電波の特性の違いである。
ただ、赤外線モードにしたからといって、あまり改善された感じがしない。少しは反応がよくなった気もするけど。
また、タイムアウト設定も気になる。地デジ、BS、4KBS は、1秒に設定され、CATV は、3秒に設定されていた。工事の作業マニュアルがそうなっているのだろう。3秒は長いが、1秒では3桁入力で、おいらの指がついていかない。間をとって、2秒ってところか。ん~、少しはましになった気もする。ちなみに、0秒に設定することもできる。選局入力方式が、3桁入力になっていたので、ワンタッチ選局にして、3桁入力ボタンを使うという手はどうか。
うん~、リモコンの感触を自分好みにするには、ちょいとコツがいる。そのうち慣れていくんだろうけど...

一つ気になり始めると、ほかの粗も見えてくる。ボタンの作りも貧弱で、長押しでもしようものなら、すぐにバカになりそう。ボタンの反応が鈍いと、つい強く押してしまうのが人間の行動心理。なるべくソフトに押すよう心掛けよう。
また、番組表の表示や録画リストの表示などで画面を切り替える時、視聴中の音声が途切れて空白の時間を感じる。
ボタンの作りも、画面の切り替わり方も、一昔前の家電品ではよく見かけたけど。操作性にはリズムが欲しい!

2021-04-18

"暗い時代の人々" Hannah Arendt 著

小惑星の名にもなったハンナ・アーレントは、ドイツ生まれのユダヤ系女性。彼女が「暗い時代」と呼ぶのは、全体主義が世界を覆った20世紀前半である。資本主義が自由市場において醜態を晒せば、人々は全体主義へ傾倒していく。政界は党派ではなく徒党を組み、文壇は流派ではなく流行を追い、市場は生産ではなく仲介に走り、あらゆる場所で政治的な騒乱の力学が作用する。あくびの出そうなつまらぬことで大騒ぎをやらかす日々。大衆社会ってやつは、こうした全体主義的な風潮から生じたという。

ハンナは嘆く。公的な領域に光が失われ、もはや私的な領域までも失ってしまったと。相対的な認識能力しか持ち合わせない知的生命体が、公共性を欠くと自己を見失い、孤立すれば、理性も見えなくなる。集団の中に多様な価値観が共存するということは、自己を見つめるためにも有意義なことなのだろう...

「人間は人間であることで十分だ!」


ここで紹介してくれるのは、知る人ぞ知るややマイナーな人々。彼らは多様性に富み、世代も違えば、職業や信念も違い、一つの例外を除いて互いに知り合うこともなかった。見い出せる共通点といえば、同じ時代を生き、ヒトラーやスターリンから逃れ、一時的にマルクス主義に身を寄せながらも、やがて自分自身を取り戻していく、といったところ。政治の騒乱と道徳の退廃に満ちていながら、科学と芸術では驚異的な発展を遂げた時代を分かち合うかのように。類は友を呼ぶ... というが、直接触れ合うことがなくても、互いに共感し、影響し合うことはできる。評伝という媒体を通して...

「過去が伝統として伝えられるかぎり、それは権威を持つ。権威が歴史的に現われる限り、それは伝統となる。」


尚、本書には、ゴットホルト・エフライム・レッシング、ローザ・ルクセンブルク、アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリ(ローマ教皇ヨハネス23世)、カール・ヤスパース、アイザック・ディネセン(カレン・ブリクセン)、ヘルマン・ブロッホ、ヴァルター・ベンヤミン、ベルトルト・ブレヒト、ワルデマール・グリアン、ランダル・ジャレルの十名の評伝が収録され、安部斉訳版(河出書房新社)を手に取る。


冒頭を飾る論文「暗い時代の人間性」では、レッシング考が語られる。それは、1959年、ハンブルクで行われたレッシング賞の受賞演説で用いられたものだそうな。ハンブルクといえば、ハンザ同盟でも知られる自由の象徴のような街。この場で、賞や公的名誉の意義、自由という言葉の重みと自立的思考が知識の酵母となること、真理への思いと対話の可能性といったものが熱く語られる。十人の中でレッシングだけが18世紀の人。ハンナはこの人物を師と仰ぎ、彼の言葉を借りて言論の抑圧と偏見へ挑戦状を叩きつける...


"Jeder sage, was ihm Wahrheit dünkt, und die Wahrheit selbst sei Gott empföhlen!"
... Gotthold Ephraim Lessing
「各人は自分が真理と思うことを語ろう、そして真理それ自体は神にゆだねよう!」


ところで、この手の書に触れると、いつも思うことがある。それは、「ユダヤ人」という言葉の定義が一筋縄ではいかないってことだ。ユダヤ教を信仰する人々というのでは説明が弱く、その子孫までも対象となる広範な意味を含んでいる。人種の枠組みを超えたような。ハンナの場合、伝統的な宗教儀式から解き放たれた新たな時代の人間ということになろうか。

とはいえ、キリスト教徒にしても、カトリックやこれに反発するプロテスタントの枠組みを超え、宇宙論的な解釈で独自に信仰する人も少なくない。仏教徒にしても、信仰形式の多様化が進み、無神論者にしても既存の宗教に属さないだけで、なんらかの信仰や信念を持っており、いまや、人種や宗教で区別する意味すら薄れている。

本書に登場する人々は、本人がユダヤ人であったり、妻がユダヤ人であったり、あるいはその子孫であったり、はたまた異教徒の立場から憐憫の情をかけたりと、なんらかの形でユダヤ人との関わりを持っているが、それも偶然ではあるまい。特に、この暗い時代では苦難を強いられたグループに属していただけに。

これを偏りと見るかどうかは別にしても、歴史的にはやや控え目な存在に着目するハンナのセンスは、見事に歴史を掘り起こしてくれる。こういう人々こそが、真の意味で歴史を作ってきたのであろう。そして、歴史を作ってきた人物も、詩をこしらえてきた人物も、音楽を奏でてきた人物も、ただ引用されるために、そこにいてくれる...

「物語の語り手が物語に... 忠実であるとき、そこでは、終には沈黙が語るであろう。物語が裏切られるところでは、沈黙は空虚でしかない。しかし、私たち忠実なるものは、最後の言葉を語り終えたとき、沈黙の声を聞くであろう。」

2021-04-11

"過去と未来の間 - 政治思想への 8 試論" Hannah Arendt 著

おいらは、政治ってやつが嫌いだ!大っ嫌いだ!真理の探求者が、なにゆえこんなものを...
西洋の歴史には、ソクラテスの時代から受け継がれてきた「政治哲学」というものがある。プラトンは哲学者が統治する国家を理想像として描き、アリストテレスは倫理上の観点から政治学という学問分野を創設した。東洋史にも、諸子百家の面々が名を連ね、孔子や孟子といった偉大な哲学者たちが政治を論じてきた経緯がある。
しかしながら、如何ともしがたい理論と現実のギャップ。統治する側がどんなに賢人であろうと、統治される側の圧倒的多数は愚人。やがて、マキャヴェッリやホッブズが唱えた近代的な政治理論に取って代わり、いまや、ロックやモンテスキューが唱えた権力分立論で落ち着いている。
いつの時代も、政治は倫理や道徳の限界をつきつける。毒を以て毒を制すの原理に縋るしかないってことを。その証拠に、21世紀の現代でも、何か揉めるごとに第三者会議を設置しては、民衆の非難を避けようと躍起だ。とかく善意の第三者ってやつが、一番の曲者だったりするのだが...
人間というちっぽけな存在は、無限の過去と無限の未来の間に薄っすらと立ち現れるのみ。過去と未来が交差する場でしか、真理と現実が干渉する場でしか、その存在意義を見いだせないでいる...


とはいえ、人間の本性を観察するのに、これほどうってつけの場もあるまい。政治のキーワードとなる自由と正義、権威と理性、責任と義務といったものが、いかに利用され、いかに有効な動機となりうるか。言葉の本当の意味なんてどうでもいい。言葉で威厳をまとうことができれば、それで十分。それゆえ、政治屋ってやつは、集団が形成されるあらゆるところに出没するのであって、その性質は政治家の専売特許ではない。こいつを観察するには、集団から距離を置く必要があろりそうだ。
ここでは、ハンナ・アーレントが八つの遠近法を提示してくれる。「伝統と近代」、「歴史と概念」、「権威とは何か」、「自由とは何か」、「教育の危機」、「文化の危機」、「真理と政治」、「宇宙空間の征服と人間の身の丈」という試論をもって...

彼女は、古代ギリシアから受け継がれる形而上学の枠組みから人間の存在と人間の条件を問い、アリストテレスが定義した「人間はポリス的動物である」という切り口からコミュニケーションのあり方、教育のあり方を現実世界に照らしながら、政治と哲学の狭間でもがき続ける。「政治哲学」とは、なんと矛盾に満ちた用語であろう... と。
尚、引田隆也、齋藤純一訳版(みすず書房)を手に取る。

「プラトンが理解していたような政治哲学のこうした失敗は、西洋の哲学や形而上学の歴史の端緒から存在する。また、ヘーゲルや歴史哲学が哲学に課した務め、すなわち近代世界を今日あるものに作り上げた出来事や歴史的現実を概念的に理解し把握する役目を、やはり哲学が果たせないのが明らかになったときにも、実存主義は生じなかった。だが、古来の形而上学の問いが無意味であること、つまり近代人の精神や思考の伝統をもってしては、直面しているアポリアに解答を与えるのはもとより、適切で有意味な問いを掲げることすらできぬ世界に住んでいるのに近代人が気づいたとき、事態は絶望的となった。」


本書には、真理と政治の矛盾はもちろん、権威主義に対する険悪な態度も目につく。ハンナは、ナチズムが旺盛な時代を生きたユダヤ人女性。大衆社会が暴力と結びつく光景を目の当たりにし、権威の根源というものを考えずにはいられなかったのだろう。権威がもたらす秩序は、ある種のヒエラルキーをなす。ピラミッドのメッセージは、権威の象徴であったのかは知らんが...
権威は服従を要求し、暴力もまた服従を要求する。しかし、権威は威圧と相反し、暴力は威圧と相性がいい。権威ってやつは威厳をまとうものであって、強制力が発揮されると、たちまち喪失してしまう。権威は権威主義とも、似ても似つかない。伝統的な慣習や宗教が権威主義に昇華した形態もあるが、権威主義という用語にはたいてい悪い意味が込められる。特に、自由主義社会では...
しかしながら、自由主義ってやつは、その名にもかかわらず、自由の概念を政治の領域から締め出すことに一役買ってきた。政治の存在理由を問えば、多くの人は答えるであろう。民衆の自由のため!と。
だが政治では、なによりも生命の維持とその利害の保全が優先される。生命が危機にさらされる局面では、すべての行為は必然性の支配下におかれ、自由の制限こそが政治の意味となる。最大限に自由を尊重するなら、政治は安全保障に制限されるべきで、小さな政府が望ましいが、経済が不安定な局面では、社会福祉の充実を求め、民衆は大きな政府を望む。いつの時代も、民衆は強力な指導力を持った政治家の出現を望んできた。だがそれは、自由とは矛盾する。
では、真理は自由の方にあるのか、制限の方にあるのか。歴史を振り返れば、どんなに残虐な独裁者であっても、民衆の自由意志を完全に無視することはできなかった。自由に制限があるように、圧政にも制限があるのだろう。
自由主義と保守主義は、世論が激しく対立する中で生まれた。両者は、理論的にも、イデオロギー的にも、対立する相手がいなくなれば、互いに存在意義までも失ってしまう。サディズムとマゾヒズムも、そんな関係なのであろう...

「真理を語ることを職業とする者に驚くほど顕著な暴政的傾向は、性格的な欠陥というよりも、むしろ常日頃から一種の強迫の下で生活しているための緊張から惹き起こされるのであろう。」


人は、真理に魅了されるのではなく、真理めいたものに魅惑される。真理ってやつは、愚人には見えぬものなのか。人は嘘をつく。自らの行為を正当化するために。嘘を語る者が行為の人なら、真理を語る者は行為の人でないというのか。神は愚人には冷たい。真理ってやつをなかなか見せてくれやしない。芸術家も愚人には冷たい。何かが見えるまで高みに登ってこいとそそのかしておきながら、平気で挫折感を喰らわす。いまやプレゼン能力が問われ、やってます感を演出することが支持率につながる政治の世界。真理が無力だとすれば、真理はいったいどんなリアリティを持つというのか...

「政治哲学は、政治に対する哲学者の態度を示す。すなわち政治哲学の伝統は、哲学者がいったんは政治に背を向けながらも、自らの尺度を人間の事柄に押しつけようと政治に立ち戻ったとき始まった。その終焉は、哲学者が政治のうちに哲学を実現しようと哲学に背を向けたとき到来した。これこそマルクスの企てであった...」

2021-04-01

賢者たちの結婚談義...

今日、四月一日...
小雨ちらつく中、しとしとぴっちゃん気分でお決まりの古本屋を逍遙していると、本棚の奥で、なにやら「談義の幕」が開いた様子。
それは、ソクラテスの言葉に発した。
「とにかく結婚しなさい。良妻を得れば幸せになれるし、悪妻を得れば哲学者になれる。」と...
そして、クサンティッペは思いっきり偉大な悪妻を演じきり、夫を思いっきり偉大な哲学者に仕立て上げたとさ。よっ、良妻賢母!


「歳をとったら女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する。これは愛情じゃありません。生きる知恵です。」
... 永六輔


まず、キェルケゴールが口火を切った。
「結婚だって!?君は結婚しなかったことを悔やむだろう。そして結婚すればやはり悔やむだろう。」と...
ヘンリー・ルイス・メンケンは断じた。
「真の幸せ者は結婚した女と独身の男だけよ!」と...
フランシス・ロッドマンは独り酒瓶に向かってぼやいている。
「結婚とは、花屋に払っていた勘定が、乾物屋に回っていく過程のことよ。」と...
釣られて、シリル・コノリーが愚痴る。
「孤独に対する恐怖は、結婚による束縛に対する恐怖よりもはるかに大きいので、俺達はつい結婚しちまうんだ。」と...
ラ・ロシュフコーは自ら慰めている。
「よい結婚はあるが、楽しい結婚はない。」と...
モンテーニュは閉塞感を漂わせている。
「結婚は鳥カゴに似ている。外にいる鳥は必死に入ろうとし、中にいる鳥は必死に逃げ出そうとする。」と...
エルバート・ハバードは教育論まで持ち出す。
「女を教育してやろうと思って結婚する男も、また、男をよくしてやろうと思って結婚する女も、共に同じ間違いの犠牲者になる。」と...
ベンジャミン・フランクリンは、彼らに助言を与えている。
「結婚前は両眼をぱっちり開けてよくみるがよい。しかし、結婚後は片眼を閉じたほうがよい。」と...
ソーントン・ワイルダーも応酬に加わる。
「結婚生活の最良の部分は喧嘩である。あとはただ可もなく不可もない。」と...
そしてついに、バルザックは悟ったのだった。
「あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。」と...


結婚に関する名言は枚挙にいとまがない。これほど所有の概念と強く結びつくものがあろうか。所有とは、支配欲の源泉。結婚(けっこん)と血痕(けっこん)が同じ音律なのは、偶然ではなさそうだ。運命の糸が血の色というのも...
談義の締めくくりに、サマセット・モームが所見を述べた。
「結婚はすばらしいことだが、結婚という習慣をつけたことはミステイクだと思う。」と...
そしてついに、寡黙なニーチェが重い口を開いた。
「偉大な哲学者たちの誰が結婚したというのか!?ヘラクレイトス、プラトン、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、カント、ショーペンハウアー... 彼らは結婚しなかったではないか。のみならず、彼らが結婚する姿を想像することすらできない。結婚した哲学者は喜劇ものよ。これは私の教条だ。そして、ソクラテスのあの例外はどうかと言えば... 意地の悪いソクラテスのことだ。わざわざこの教条を証明するために、反語的に結婚したらしい。」と...


おやおや!なぜか?この場にアリストテレスの姿が見当たらない。友より真理を愛した彼なら、なんと答えるだろう。Philosophia... 哲学の語源は、「知を愛する」ということ。哲学者ときたら、これほど貪欲な人種が他にあろうか。金や名声なんぞでは満たされない。愛情や憐憫なんぞでも満たされない。もっと高次な、もっと高尚な、もっと崇高なものを貪り... そして、真理という幻想に憑かれ、疲れ果て、死んでいったとさ。


そして、劇作家ビバリーニコルズのピロートークで「談義の幕」は閉じた。
「結婚... 第一章は詩で書かれ、残りの章は散文で書かれた一冊の本。」


今日、四月一日。酔いどれ天の邪鬼は、賢者たちに屁理屈屋の末路を見たのだった...

2021-03-28

ISP 320M から 1G へ... 増速工事よりメンテナンスでスッキリ!

J-com さんからインターネット増速プランの案内がきたのは、2020年4月。320M コースから 1G コースへの。
そして、2021年3月に申し込むと、工事費が無料!という追い打ちが... おいらは、暗示にかかりやすいのだ。
二十年間利用してきて、乗り換える気はないし。今のところ...


正直言って、1G なんて名前に期待していなかった。倍にはなるかなぁ.. ぐらいなもので。案内には「モデム交換工事」とあり、モデムの交換だけで、そんなに改善されるとも思えない。
ところが、二十年前に屋根裏に設置したブースタの交換と信号レベルの調整に、分配器や保安器などすべての経路を丁寧にチェックしてくれた。1G ともなると、モデムの交換だけでは性能が出ないらしい...


実は、ブースタへの電源供給部の接触が不安定で、掃除の時にモップが当たると、接続が遮断したりしていた。基板も浮いているようで、カラカラ音がする。触らなければ問題ないので、数年間放置してきた。何かのついでに... と思っていたところ、今回、ちょうどいい機会になったという次第である。
ブースタ交換にともない、その電源供給部も交換、ついでに古くなった接続部も交換。おかげさまで、懸念材料がすべてクリア!増速よりもメンテナンスで非常に有意義な工事となった。
工事担当者にも恵まれたのだろう。来訪時間がギリギリで、作業時間もちょっとかかったけど、納得!
こんなに大袈裟な増速工事になろうとは、いや、こんなに大々的なメンテナンス作業になろうとは... ありがたや!ありがたや!


さて、速度は?というと... まぁまぁ。
工事屋さんの経験によると、測定値の平均は 500Mbps ~ 650Mbps ぐらいだそうな。うちの測定値は、700Mbps ほどでビックリしていた。環境は、かなり良よさそう。場末の一軒家だし。都心だと、こうはいかんらしい。
J-com はネットが弱点なんですよ!なんて愚痴をこぼしていたが、実は、技術屋さんの本音が聞けるのも貴重だ。企業組織では、営業トークで本音を漏らすと厳しく叱る上司もいるが、向上心ある技術屋さんは技術に対しては素直なもので、その実直さが信頼に繋がる。また工事機会があれば、指名したいぐらい...

参考までに、測定サイトでは、瞬間スピードが 800Mbps を超える模様。上りの 10Mbps はあんまりだったけど、100Mbps にアップして少し救われた。下りのアップよりありがたいかも...


  ピン   ダウンロード速度  アップロード速度
  24 ms  819.95 Mb/s       97.27 Mb/s
  @Home Network Japan
  by https://www.bspeedtest.jp/ (9:00 AM)


新規のモデムは、HUMAX HGJ310V3...
ルータモードとブリッジモードを試すと、ややブリッジモードの方が速い。但し、30Mbps ほどの差で、誤差の範疇か。タイミングによってはルータモードの方が速いかも。とりあえず、シンプルな構成でブリッジモードに...
尚、VPN のスループットがちと目立つようになった。うん~... VPN ルータへの投資が悩ましい...

参考までに、構成は...


  +- HUMAX HGJ310V3           # J-com Modem 1G, Bridge mode
    +- YAMAHA RTX810          # Router 1Gbps/VPN 200Mbps, dhcp/dns
      +- BUFFALO WSR-2533DHPL # WiFi Access Point 1733Mbps(5GHz)
        +- ...
      +- Corega CO-BSW08GTX   # Switching Hub 1000BASE-T
        +- ...
  # LAN ケーブルはすべて CAT6a


30Mbps ぐらいで誤差と言える時代とは...
二十年前は、12M コースだったような。当時は、誤差の量ほども仕事をしていなかったということか。
もっと遡ると、9600 ボーの時代が懐かしい。ギーガギーガ音がかすかに耳に残る。ボーなんて単位を知る人も、いまや少数派のようだ。仕事仲間に余計なことを喋っていると、ボーレートと bps の違いを質問され、物理的な位相変調のイメージをホワイトボードで説明する羽目に。変調イメージは、イーサネットでも無線通信でも基本は同じなので、知っておいて損はないだろう。高速になればなるほど、設計者は物理的なアナログ特性を考慮することになるのだから。
ただ、ネアンデルタール人でも見るような目線を感じるのだった...

2021-03-21

"人間の条件" Hannah Arendt 著

人間である条件とはなんであろう。こんなことを自分に問えば、人間失格の烙印を押されちまう。ハンナ・アーレントも、随分と酷なことを...


しかし彼女は、これを問わずにはいられない時代を生きた。家は上層中産階級のドイツ系ユダヤ人。両親は知的職業の社会主義者。ただ、彼女自身は伝統的な宗教儀式から離れ、いわゆる若い世代に属していたようである。

マールブルク大学でハイデガーやブルトマンに学び、フライブルク大学ではフッサールに師事し、ハイデルベルク大学ではヤスパースに... そんな彼女にして、政治活動家へ向かわせた条件とは...

社会主義ユダヤ人の娘という立場は、ナチズムが猛威をふるう時代では特別な意味があったことだろう。パリへ亡命するも、フランス敗北とともに強制収容所へ。なんとかアメリカ政府が発行したビザを手に入れ、難を逃れるも...

市場経済が世界恐慌で醜態を晒し、民衆が自由主義世界に幻滅する中、隣の芝生は青い... と言うが、よその世界が良く見えるもので、社会主義がもてはやされたのも、そうした流れがある。

ハンナの場合、労働に価値を求める点ではマルクス主義的。だが、労働と仕事を区別する点では反マルクス主義的。隷属的な労働と職人的な仕事とでは、人間として意味するものがまったく違う。それは、21世紀の現在でも問われていること。なにやらヘーシオドス風の原点回帰を思わせるような... ルネサンス風の精神回帰を思わせるような...

しかしながら、人間ってやつは、知能があるゆえに、理性を纏うがゆえに、自己破壊への衝動を抑えきれない。その意味では、シュンペーター風の自業自得論にも通ずるような...

尚、志水速雄訳版(中央公論社)を手に取る。


ハンナの危機意識には、三つのものが見て取れる。

一つは、ナチズムとスターリニズムの台頭。巨大な暴力が世界を全体主義へと向かわせる。彼女の言葉には、革命の時代が来たと鼓舞するレーニンのような高揚感は見られない。

二つは、画一化した大衆社会。労働が大量消費と結びつき、世界を食い尽くしていく。芸術作品ですら保存の対象から消費の対象へ。

三つは、世界に蔓延していく疎外という精神現象。科学や生産技術の高度化が、人間というものを見失わせる。核兵器や人工衛星などの開発で、地球に拘束されない宇宙的な立場を確立し、ますます人間優越主義を旺盛にしていく。

「共通世界の条件のもとで、リアリティを保証するのは、世界を構成する人びとのすべての共通の本性ではなく、むしろなによりもまず、立場の相違やそれに伴う多様な遠近法の相違にもかかわらず、すべての人がいつも同一の対象に係わっているという事実である。しかし、対象が同一であるということがもはや認められないとき、あるいは、大衆社会に不自然な画一主義が現われるとき、共通世界はどうなるだろうか...」


自己をしっかりと見つめなければ、社会像も曖昧になっていく。現実をしっかりと見据えなければ、理想像も空想化していく。それは、相対的な認識能力しか持ち合わせない知的生命体の宿命である。ハンナの目には、20世紀に出現した大衆社会が、私的領域も、公的領域も消滅した世界に映ったようである。確かに、大衆(体臭)は臭い!「人間の条件」とは、人間の危機を物語った書というわけか...

生きるために人間は、実に多くの人工物を編み出してきた。組織、生産、技術、知識... そして、労働と。古代都市国家の時代、労働は奴隷のものであった。労働の力学法則ってやつは、文明がどんなに高度化しても、あまり変わらんようだ。いや、高度化するほど顕著になるのかも...

ただ、彼女の言う「仕事」という概念は、古代から受け継がれる「哲学する」という行為の延長上にあるような。仕事とは、金儲けだけのものではあるまい。喰うためだけの手段でもあるまい。ボランティアだって、立派な仕事。自己を見つめるための手段とするなら、いくらでも仕事は見つけられる。これぞ、私的領域というものか。

個人が仕事をすれば、何らかの関係を持つことになり、その先に、公的領域までも開けてくる。人がなんらかの活動をすれば、その反作用として同時に受難者となる。それが、活動の力学法則というものか。

この際、関係の対象が、物理的なものか、仮想的なものか、そんなことはどうでもいい。仕事とは、人間であるための手段というわけか...


「どんな活動においても、行為者がまず最初に意図することは、自分の姿を明らかにすることである。これは止むを得ず活動する場合でも、自分の意志から進んで活動する場合でも同じである。どんな行為者でも、行為している限り、その行為に喜びを感じるのはそのためである。というのも、存在するものは、すべて、あるがままの自分を望むからである。さらに、活動においては、行為者であることはいくらか拡張されるから、喜びは必然的にそれに従う... だから、活動が隠された自己を明らかにしないなら、いかなるものも活動しないだろう。」
... ダンテ


ところで、人間に生物的な存在以上のものがあるのだろうか。自然界の一員であることを忘れちまった生命体に。それを放棄しちまった存在に...

宇宙に存在するあらゆる有機体は熱機関として働く。人間だって、喰って排泄するだけの存在。エネルギーをやりとりするからには、物質同士で何らかの関係を持つことになる。

しかも、同族同士で結びつこうとする性質があり、周期表に並ぶ原子族同士でも分子構造を持たずにはいられない。物質がなんらかの関係を持とうとするのは、万有引力の法則がそうさせるのだろうか...

人間社会でも、この同族の性質は保たれたまま。アリストテレス風にいえば、人間は社会的存在ということになるが、同時に集団依存症を患い、生まれつき奴隷説は未だ健在ときた。孤独を忌み嫌うのは、物質の特性であろうか...

人間目的なるものを知っている人間が、この世にいるのかは知らん。神とやらに与えられた使命があるのかも知らん。ただ、そう思い込むことは簡単だ。思い込みは、経験から生じる。経験が人を賢くするのか、愚かにするのか。いずれにせよ、経験は人と共有できる。自分自身が経験しなくても、他人の経験から学ぶこともできる。

人工知能ともなると、大量の経験データを瞬時にダウンロードできる。データがなければ、バカすぎるほどの判断力しか示せないヤツが、大量にデータをダウンロードした瞬間から、人間を超えた能力を発揮しちまう。コンピュータ科学が唱えるデータ共有とは、夢と希望に満ちた概念かは知らんが、実に恐ろしい。失敗したデータから学ぶことを忠実に実行する人工知能。対して、失敗を恐れすぎるほどに恐れる人間、あるいは、失敗なんぞとっくに忘れちまう人間。人間であるかどうかの境界面は、このあたりにあるのだろうか。

コンピュータが人間に近づけば近づくほど、人間は自分自身に問わずにはいられない。人間とは何者か?人間の役割とは何か?そして、人間であるとはどういうことか?と...


「どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、堪えられる。」
... イサク・ディネセン

2021-03-14

"MIND HACKS - 実験で知る脳と心のシステム" Tom Stafford & Matt Webb 著

オライリー君の Hacks シリーズの中でも、ちょいと異質感あり。自分の心をハッキングし、自分の人生をハッキングする。自分探しの旅に終わりはないのか...

ちなみに、行付けの寿司屋の大将が言っていた。心を握ります!って。気色わるぅ...


本物語では、基本的な脳の構造から、視覚や聴覚などの感覚系、運動や推論といった思考系、そして、これらの機能が連携する様子を観察しながら記憶の果たす役割が考察され、さらに、人間関係における脳の働きが論じられる。

脳には、各部位に違う機能が備わっていることが、科学的に判明している。だが、どのように備わっているかは不明のまま。よく見かける論説では、「論理の左脳」、「直感の右脳」といった類いのものだが、そう単純ではない。部位に機能的な傾向はあっても、独立して機能するものでもない。脳の損傷によって失われた機能を、別の部位が補うといった症例もある。脳内の複雑なネットワークによる協調と補完は、まさに神秘!創造主は神だ!と信じるのも無理はない。

おまけに、脳が司令する意思には、二つのものある。意識した意思と、意識してない意思とが。しかも、その境界も曖昧ときた。意識した意思が言語化すれば、おそらくそれは自分自身の意思であろう。では、意識していない意思は、誰の意思か?聖職者が答えてくれる。それは神のお告げ... と。俗人も負けじと答える。それは悪魔のささやき... と。

脳というブラックボックスには、自我とは別に暗躍するヤツらも住み着いていそうだ。脳を操る黒幕どもが。それが、深層心理ってやつかは知らん。もしかして脳ってやつは、神と悪魔の共同作業でこしらえたものということはないのか。神と悪魔は、表裏一体ということはないのか。主観と客観の関係のような。ヤツらは、グルってことはないのか。やはり人間は人間らしく、ヤツら双方と距離を置き、中庸を生きるのが収まりがいい...


ところで、思考する知的生命体が、思い込みってやつを排除することができるだろうか。精神などという得体の知れないものに取り憑かれながら。主観に支配されれば、客観への憧れを妄想にまで膨らませ、科学する衝動を抑えきれない。

ちなみに、客観的に語ると宣言した有識者どもの主張が、客観的だったためしはない。無い物ねだりというやつか。

脳ってやつが、いかに幻想や錯覚を見せていることか。自我の安定を図るために。

巷では、感情を抑えるのが大人の態度とされる。だが逆に、これを存分に解き放ち、本音に耳を傾ける方が合理的ということはないだろうか。怒りも、悲しみも、憎しみも、喜びも... 感情のすべてを利用し、愚痴までも存分に吐き出して言語化する。小説家とは、そういう類いの人種では。内にあるものすべてを曝け出し、恥を忍んでまで表現力の限界に挑む。芸術家とはそういう類いの人種では。人がどうであれ、そんなことは気にもかけず、素直に自分の本心に従って行動する。これぞ自由精神の体現。Mind Hacks... とは、そういうことだと解している。

無意識の領域は、ことのほか広大だ。考えや記憶を植え付けるには、いろんな裏技がありそうだ。思い込みにも情緒あり。脳には、脳の持ち主ですら知らない人生があるのやもしれん...


1. レクリエーション神経科学

この手の研究は、「認知神経科学」という分野に属すそうな。「認知心理学」という用語なら見かける。情報処理的な観点から、知覚や記憶、言語操作や意思決定といった心理プロセスを研究する分野である。これに、脳科学を融合したような...

脳を一つのブラックボックスに見立て、外部から様々な情報や刺激を与え、反応の仕方や反応時間の変化を観察する。EEG(脳電図)、PET(陽電子放射断層撮影法)、fMRI(機能的磁気共鳴映像法)、TMS(経頭蓋磁気刺激法)といった手法を駆使し、脳の各部位の活動を可視化する。

すると、「人間は脳の 10% しか使っていない」などという神話も崩れていく。10% しか使っていないなら、90% はいらないってか。ただ、この手の神話は、人間の可能性とやらを夢見させてくれる。希望めいた可能性は、人の心を動かすが、同時に危険でもある。絶望と背中合わせで。それで、心に平穏がもたらされるのなら、これも精神的合理性というものか。合理性という概念も、ちょいと角度を変えて眺めると、多様な合理性が見えてくる。

本書は、一般人にも実践できる数々の思考実験の冒険へといざなう。尚、「マインド・ワイド・オープン - 自らの脳を覗く」の著者スティーブン・ジョンソンは、これを「レクリエーション神経科学」と呼んでいるという...


2. 複雑な脳のリレー構造と多重人格性

中枢神経系を眺めるだけでも、複雑なリレー構造が見て取れる。

まず、脊髄の二つの神経、感覚の情報を受取るレセプターと筋肉や分泌腺を機能させるエフェクター。脊髄のニューロンの束が脳に到達する脳幹。さらに、後脳、小脳、中脳、大脳へ。

後脳は、主に、呼吸、心臓の鼓動、血液供給量の調整を担い、自動的に働く。小脳は、学習や運動の制御で重要な役割を担う。

ちなみに、小脳は最も古い脳とされ、進化において最初に獲得したとも言われるそうな。

中脳は、後脳と前脳を中継し、人間の場合は小さくなっているが、コウモリなど中脳が非常に発達している動物もいるという。

大脳は、右半球と左半球に分かれ、さらに前頭葉と後頭葉に分かれて四つの葉で構成される。これらを覆う大脳皮質には様々な機能が部位的に埋め込まれ、人間が人間らしくいられるのは、この大脳のおかげである。

そして、無数の神経から発せられる大量の情報をニューロンが電気信号で伝達し、脳が活発になると血流も著しく増加する。脳の中では、絶えず電子の嵐が吹き荒れているわけだ。

ひとりの人間の身体は一つだから人格も一つと見てしまいがちだが、脳の複雑なメカニズムを眺めると、二重人格、いや、多重人格の方が自然な姿に見えてくる。脳疾患とこれにまつわる精神病とは、進化の過程を今まさに実践している状態を言うのかもしれん...


3. 左脳か、右脳か

一般的に、左脳は言語認識、分析推論、論理的思考などの役割を担い、右脳は身体感覚、空間認識、芸術性、創造性などの役割を担うとされる。

人間のタイプでも、左脳型と右脳型で分類されるのをよく見かける。左脳型は言語力や計算力に優れ、右脳型はひらめきやイメージに優れるとされたり、あるいは、前者は真面目で几帳面、後者は楽観的でマイペースと言われたり。

右脳と左脳は、常に情報交換しながら協調しあい、補完しあっているのは確かであろう。しかし、それだけだろうか。反目しあったり、邪魔をしあったりすることはないのだろうか。何事も関係を持つということは、そういうことであろう。精神分裂症の境界面は、このあたりにありそうな...

では、左脳と右脳の連携を、外部からコントロールすることは可能であろうか。脳というブラックボックスに対して、入力と出力の関係から考察してみる。

そういえば、脳の処理傾向を、指の組み方、腕の組み方、足の組み方といった、さりげない癖で診断する方法を見かける。指の組み方は脳の入力側で、つまり、物事を直感的に捉えるか、論理的に捉えるか。右の親指が上になると、論理的に捉える傾向にあるらしい。腕の組み方は脳の出力側で、つまり、物事を直感的に処理するか、論理的に処理するか。右腕が上になると、論理的に処理する傾向にあるらしい。足の組み方も、性格診断で用いられたりする。右足が上になる人は常識行動タイプで、左足が上になる人は大胆行動タイプとか。

こうした傾向は、犯罪心理学や営業心理学にも用いられる。対面した人の手足の動きを観察しながら。利き手が、右か、左かでも、脳の半球説で論じられるのを見かける。

さて、入力側と出力側で左脳派と右脳派を区別するだけでも、四つのパターンができる。物事を直感的に捉えて論理的に処理したり、物事を論理的に捉えて直感的に処理したりもするわけだ。直感だけに支配される脳も味気ないが、論理だけに支配される脳も面白味がない。

そこで仕事中に、脳内の思考回路を操作しようと、腕や足を組み替えて、すべての組み合わせを試すのだが... うん~... うまくコントロールできているかよう分からん。結局、人間の最も人間らしい行動は、気まぐれだ!という考えに落ち着いちまった。ちなみに、ダンディズムってやつは、右曲がりで演じるらしい...


4. 視覚の罠

視覚系は大きな謎である。物体の形や色を見分けるだけでなく、奥行きや運動までも感知し、身に降りかかる危険かどうかまで瞬時に判別する。目の網膜に当たった光だけを頼りに、あらゆる脳内組織が連携した結果として見える世界。それは真実の世界であろうか。

例えば、生まれつきの盲人が、青年になって手術を受けて視覚を獲得した際、映像は見えるようになっても、それが自分自身とどう関係するか、それが危険な状況にあるのか、といった判断がまったくできず、却って情報処理が負担になって精神病を患ってしまうという症例もある。

今、目で見ている映像は、経験的に関連性をもたせた結果ということか。つまり、脳が映像を作っていると。人間にとって、見たまんまというほど説得力のあるものはない。

となれば、視覚が正常な人ほど、映像で洗脳することも容易いということか。だから、深く考えようとする時には本能的に目を閉じるのだろうか...

現代社会は映像情報に溢れ、アニメーション効果も絶大である。4K に 8K と解像度は格段に上げっても、フレームレートは変わらない。NTSC 方式であれば、毎秒 30 フレームのコマ送り。人間の目は、このフレームレートで十分すぎるほど誤魔化すことができるというわけか。

高度な認識能力を持つ宇宙人は、こんなノイズだらけの映像を見ている生命体を不可解に眺めているかもしれない。だから、遠くから観察しながらも、近寄ろうとしないのかは知らんが...

人間の視覚系は、物体の動きに対して補間機能が自動的に働く。人間の心にとって、連続性はよほど落ち着くと見える。逆に、ノイズがない純真な世界は、心が落ち着かないのかもしれない。だとなると、ノイズにも一定の価値がありそうだ。人間ってやつは、真実が見えすぎると思い上がる性癖を持っている。真理を見る目を持つには、盲目の方がよさそうだ。

本書は、視覚を誤魔化す実験として、ブルフリッヒ効果、隠し絵、蛇の回転などを紹介してくれる。

ブルフリッヒ効果は、片目に着色ガラスを付けるなどして、左右の目に入る光量の差を大きくすると、直線運動する振り子が楕円運動しているように見える、といった現象のこと。視覚の認知機能は、アンバランスなサングラスがあれば、簡単にハンキングできるとさ。

隠し絵は、トリックアートの類いで認知心理学でもよく見かける。有名なものでは、「妻と義母」、「ルビンの壺」など。ここでは、「アヒルにもウサギにも見える絵」が紹介される。ただ、これらのダブルイメージは、同時に見ることができない。脳が、イメージに文脈を与えているということか。人間の脳は、二つの文脈を同時に解する能力に欠けるのか。ここでいう文脈とは、脳内で形成される一つの物語であり、思い込みと解することもできそうだ。

蛇の回転は、静止画像なのに、じっと見つめていると、なぜか動いて見えるというヤツ。その画像は「蛇の回転」でググれば、わんさとひっかかる。静止しているのに動いているというのも、思い込みの類いか。

となると、映像情報によって思考を促す、いや、思考しているように思い込ませることもできそうだ。

おいらの場合、仕事場でデスクトップ環境にも凝る。マルチモニタを 8 面に拡張し、背景、色彩、動画などの素材を組み合わせて。周波数スペクトルをアニメーションさせるだけでも癒やされたりするし、三角関数の動きにも何か感じるものがある。ピュタゴラス教団の信仰も、この感覚に似たものがあったに違いない。ただ、素材が調和しないと、逆に集中力が乱れる。視覚系と聴覚系の連携にも気を使う。視覚に調和しない BGM は、思考を邪魔する。

そんなこんなで、普段から思考を高めようとしているわけだが、効果があるかはよう分からん。それでも、気分よく仕事ができる。これこそ気分屋の思い込みであろう...


5. 思い込みにも情緒あり

思い込みは、どこから生じるのか。おそらく、心を持つ人間は、こいつから逃れることはできまい。人間は、あらゆる情報に因果関係を持たせようとする意識が働く。そして、多くの関連情報をひとまとめにし、総合的に捉えたり、構造的に理解しようとする。いわゆる、「ゲシュタルト原理」ってやつだ。学問とは、そうした立場であり、物事を理解する上での自然な感覚とも言えよう。

精神的には、物事を抽象化し、ひとまとめにして、それで分かった気になれる性質はありがたい。ただ勢い余って、無関係なものまで無理やり因果関係を与えようとする性癖も共存する。無関係にも程度があろうが、宇宙に存在するものが完全に無関係とも言えないか。なんでも関係性を持たせたいと思うのは、外界との関係を断つことを恐れているからかは知らん...

さて、思い込みという心理現象も、様々な関係性の意識から生じるような気がする。理解の過程には、思い込みがつきもの。天動説や地動説も、その類い。変化を嫌う現状維持バイアスが心理的に働くことも、現実から目を逸らす要因となる。真理の色は、ステレオタイプに簡単に染められるのである。

また、その日の心理状態によって、見えることがあれば、見えないこともある。見たことがないものを、見たことがあると思うことも。疲れている時に偽りの真実を見せるなど。デジャヴも、その類い。逆に、見慣れたものに未知なものを感じることも。脳のデータベースには、偽造の記憶で溢れていそうだ。いや、心ってやつが、記憶を取り出すときに捏造するのかも...

人間の脳には、情報の捉え方でも、一人称視点と三人称視点で都合よく使い分ける能力が備わっている。幸運に巡り合うと自分の努力を褒めたり、不運に見舞われると神のせいにしたり、まったくおめでたい。

ところで、コーヒーの味は、カップで変わるという。バーの薄暗いセピア色の雰囲気が、ピート香を引き立てるのも確かだ。こうした感覚は、コーヒーとカップが関係を持った瞬間に生じる。人間の脳は、様々な要素の関係性から物事を認識しているのは確かであろう。こうしてみると、思い込みという感覚も奥が深い。

しかしながら、世間は、思い込みを低級扱いする。特に、学問の世界では。思い込みを排除するのに、関係性を断つことも一理ある。

とはいえ、学問の場では、現象の原因、つまりは、関係性を追求しようとする態度を重視する。人間ってやつは、多くの関係性を持ちたいという欲求に飢えていそうだ。それでいて、思い込みを馬鹿にするとは。矛盾の最大の原因は、心を持つことか...


6. 独り言の効能

人類の進化を論じる時、ほとんどの科学者が言語の獲得を重要視する。まさに文化は、言語によって語られる。記号も図形もある種の言語、そして、美術作品も、建築物も、音楽も、はたまた、暗号も、方程式も... ある種の言語化。

しかし言語ってやつは、人と話をしたり、情報を伝達したりするだけのものではない。自分自身で思考するためにも欠かせない。言語は、様々な種類の情報を関連づけ、思考を促してくれる。他人に説明しているつもりでも、実は、自分自身に言い聞かせているということもよくある。

となると、独り言も、心のハッキングで利用できそうだ。自問や自省の役割は大きい。歴史を遡ると、多くの自省の名著にでくわす。啓蒙時代にあってはルソーの「告白」、ルネサンス時代にあってはチェッリーニの「自伝」、ローマ帝国時代にあってはアウレリウスの「自省録」、紀元前に遡ると、司馬遷の「史記」の末尾に「太史公自序」なるものが添えられる。いまだ人類は、人間自身を語り尽くせていないということか。偉人たちですら、独り言が不十分だったと見える...

2021-03-07

"Beautiful Security" Andy Oram & John Viega 編

 "Beautiful Code", "Beautiful Architecture" に続く、オライリー君の Beautiful シリーズ第三弾。

但し、ここでは美しさの光景が、ちと違う。悪を知らなければ、善を知ることもできない。醜いものを認識できなければ、美しいものを認識することもできない。それは、相対的な認識能力しか持ち合わせない知的生命体の宿命だ。どんな技術に美しさを感じるか、それも十人十色。エレガントな善人もいれば、華麗な悪党もいる。侵入の手口が鮮やかならば、それをさりげなく葬り去るのも鮮やか。美しさをめぐる善と悪の饗宴とでも言おうか...

ここでは、セキュリティの第一線で攻防を繰り広げる 19人 + 1人(日本語版)の達人が、善悪の両面から体験談を語ってくれる。美しさの定義もいろいろあろうが、要件の一つに、善と悪のバランスを挙げておこう。

そして今、本書を犯罪心理学の書として眺めている。まずは悪を知ること、自己の中に潜む悪をも...


「人間という存在を稀有な存在たらしめているのは、他者の経験から学習する能力を持っているからであるが、人間とは面白いことに明らかにその能力を発揮したがらない存在でもある。」

... ダグラス・アダムス


現場百遍ともいう...

事件捜査で使われる用語だが、まずは痕跡や経路を追うこと。セキュリテイの基本は、まずログ・システムの構築ということになろうか。システム設計者であれば、美しいログとまで言わなくとも、できるだけ有用なログを残すよう常に心掛けていることだろう。

彼らは、システムの設計思想にも敏感なはず。システム自体に内包する論理的矛盾が、新たなバグを呼び込みやすくし、外部攻撃を支援する可能性を高める。そのために、システムの状態を詳細にモニタせずにはいられまい。科学の基本姿勢である観察哲学を適用しようと。

ピーター・ドラッカーも、こんな言葉を遺してくれた...


"If you can't measure it, you can't manage it."

「測定できないものは管理出来ない。」


基本的な機能の実装も重要だが、こと悪の道では例外処理により気を配ることになる。ユーザは設計者の想定どおりには行動してくれない。犯罪者なら尚更。どこかに隙がないかと自動化した反復攻撃を仕掛けてくる。プログラミングの利便性は、犯罪者にとっても利便性をもたらす。


設計者だって人間...

設計者は、しばしば商業主義的な命令に屈する。日々、くだらない要求仕様を強要されれば、無力感に襲われ、疑問を持つ気力も失う。本書は、こうした姿勢に「学習性無力感」「確認バイアス」といった心理学的用語を当てる。

設計者の意欲に対して、品質を落とすような命令は危険すぎる。変革や改善にも悲観的な意識を与え、向上心までも頓挫させ兼ねない。設計開発の現場では、後方互換性のためにセキュリティを犠牲にする事例も珍しくない。哲学的な目標を見失い、人生の目標を見失い、それで給料が安泰とは... 優秀な人材が逃げていくのも致し方あるまい。

設計に穴があれば、運営にも穴がある。ルータなどの通信機器では、内側に向けられた既知のサービスやプロトコル以外は、たいていブロックするよう設定されている。well-known 系ポート以外は。だが、外側へ向けられたコネクションはほとんど遮断しないよう設定されている。利便性を考慮してのことだが、そのために、ファイアウォールの内側から見れば、default でたいていのウェブサイトにアクセスできるようになっている。侵入はブロックし、発信はオープンという思想だが、なにもシステムに侵入しなくてもデータは盗み出せる。ユーザに喋らせればいいのだ。しかも、無意識に。それは、インテリジェンス工作における諜報心理学と基本的な原理は同じ。近年、メーカに忍び寄る政治的圧力が目立ち、セキュリティは高度な政治問題になっている。今日の設計者は、犯罪心理学の側面からもテストや検証を考慮する必要があろう...


ユーザはというと...

ウィルス対策ソフトなどのセキュリティツールが、システムの安全を確保してくれると信じているユーザは多い。ファイアウォールのみならず、IDS(不正侵入検知システム)や IPS(不正侵入防止システム)を設置すれば、もう安心!と...

巷では、セキュリティ・アラートはオオカミ少年化し、アップデート神話まで蔓延る。ソフトウェアを最新版に保っていれば、もう安心!と...

確かに、セキュリティ面から即座にアップデートし、常に最新版に保つ方がいい。だがそのために、システムに深刻な不具合をもたらすことも珍しくない。そして、WUuu... と重低音で唸らずにはいられない。

尚、WUuu... は、Windows Update.... の略。ユーザを飼いならすことにかけては、SM 教はお見事!脆弱性を理由に、あらゆるソフトウェアの不具合に対してパッチを当てることを、ルーチンワーク化してしまったのだから。これに、なんの疑問も持たないとすれば、見事な洗脳ぶり...


パスワードを一つとっても...

ソフトウェア業界は、パスワードの管理でユーザにかなりのストレスを強いている。一般ユーザにとってのパスワードは、解読しにくいことよりも、忘れてしまう方がはるかに問題である。覚えやすく強度のあるパスワードを作ることは、自己責任!ってか。

パスワードは、常に辞書攻撃に晒されている。秘密主義が崩壊した昨今、あの L0phtCrack にしても裏をかかれる可能性がある。パスワードのクラッキングでは、ユーザがパスワードを作る傾向を分析したデータベースがある。

では、生体認証ってやつは安全だろうか。バイオテクノロジーとの融合は、なんとなく期待感を持たせてくれる。犯罪捜査ドラマでも見かける、指紋、声紋、顔、掌形、口唇、網膜... あるいは、歩行、体臭、耳介、血管、汗線、DNA... さらに、キーストロークや指の動作のリズム、身体の重心、人格... などあらゆる行動パターンが認証の素材に。おまけに、マルチモーダルで高精度化とくれば、鍵サーバの在り方までも問われる。

しかしながら、いくら最新技術でデータベース化を試みても、技術は模倣される運命にある。3D プリンタの時代では、個人のモックを作ることも簡単だ。認証だけなら、なにもクローンまでこしらえる必要はない。量子暗号システムがいくら強力でも、やはり量子コンピューティングで対抗される。技術の進歩は、一般ユーザだけでなく、犯罪者にとっても恩恵となり、結局はイタチごっこに引き戻される。それが、人間社会というものか...


ハニートラップ攻防戦...

インテリジェンス工作には、セキュリティとも密接なシギントという通信や電磁波を傍受する諜報活動がある。ただ、ハニートラップの方が、最も古典的で、より効果的な諜報活動となろう。結局は、人間を操る方が手っ取り早い。それも無意識に。シギントに対してヒューミントと呼ばれるやつだが、こんな視点も推理小説の読みすぎであろうか...

実際、セキュリティ業界にも、ハニー的な手法をよく見かける。ハニーポットがそれだ。わざと無防備なシステムを設置して、逆にウィルスの感染源を追うという発想である。つまり、おとり捜査。

ハニークライアントや P2P クローラーも同じ類い。ハニークライアントは、わざとウィルスに感染させたシステムで、別のウィルス情報を収集する。P2P クローラーは、ファイル共有ソフトで感染を広げるウイルス情報を収集する。

能ある鷹は爪を隠す... というが、馬鹿を装っているシステムほど恐ろしいものはない。実は、大々的に安全性を謳って、世間に認知されているシステムの方が危険なのでは?

例えば、マスコミも触れ回る二段階認証って、本当に安全なの?有識者どもがこぞって、二段階認証も知らんのか!といった空気を振りまいて。人間社会ってやつは、結局は洗脳の世界というわけか...