2015-10-04

"色彩論" Goethe 著

人類は、光に特別な地位を与えてきた。魂の難題を迎え入れては開眼を求め、絶望の淵にあっては神に乞う。光を与えよ!と。人間が知覚できるものの中で、これほど幻想的で、神秘的なものがあろうか。しかしそれは、闇をともなって、はじめて成り立つ情念。光は盲人を区別しない。俗世間は、相も変わらず眼の前の事象に惑わされる。物事が本当に見えているのは、どちらであろうか。絶望を見た者にしか見えない何かがある。その何かを見るためには、純粋な集中力をともなった精神活動を要請してくる。
一方で、物理学では、光は可視光線と呼ばれ、電磁波の一種に過ぎない。闇は光の存在しない状態、すなわち無であり、光学的に意味をなさない。
だが、芸術の巨匠たちは、闇の方に深い意味を含ませ、光をより効果的に用いて見事な陰影を仕掛けてくる。人間にとって、闇は光の引き立て役なんぞではない。光と闇が対照に配置されると、神と悪魔、あるいは自然と人工が同列に扱われ、物理現象に精神現象が結びついた結果、薄気味悪い無限とやらを彷彿させる。色彩が心象に現れ、ある種の有機体のようなものが生起するのである。その状態は薄明のままに留まり、いつまでも明確な意識として説明できず、もはや自分自身を啓蒙するしかない。それは精神そのものが、幻想的で神秘的な存在だからであろうか。未だ人類は、精神の正体を知らないということか。
ゲーテは、物理的現象と化学的現象に生理的現象を結びつけ、客観的な光学現象を主観的な色彩現象として考察する。無味乾燥な周波数スペクトルだけでは、色彩を語ったことにならないというわけである。とはいえ、いくら陰翳を礼賛したところで、人はみな色仕掛けに弱い...

ゲーテの自然研究は、植物学、動物学、地質学、鉱物学、骨学、色彩学、気象学など多岐に渡る。これらの共通点には、16世紀頃の汎知学に影響された神秘的な自然観があるらしい。この文豪が自然研究に没頭したことは、現在でも毀誉褒貶が絶えない。ニュートン批判に及ぶと、素人が何を言うか!と。
だが彼は、自然は物質的存在であると同時に精神的存在であるという立場を変えようとしない。学問にもそれぞれの立場がある... 利用する人、知識の人、直観する人、包括する人... そして、包括する人を最高位とし、ゲーテ自身その段階を極めようとする。学問は、専門家だけのものでもなければ、専門家が支配するものでもあるまい。科学者も元を辿れば、同じ自然愛好家であったはず。現実に素人の発想が専門知識を補完することはよくあり、専門的な知識が邪魔をして誤謬を犯すことだってある。それ故、全生涯を学問に捧げることができない者であっても、学問に寄与できないなどとは言えまい...
「芸術を高次の意味で考察した場合、願わしいのは、名匠のみが芸術にたずさわり、弟子は厳格に能力をためされ、愛好者は芸術にうやうやしく近づくだけで幸福に感じるということである。なぜなら、芸術作品はほんらい天才から生ずべきものであり、また芸術家は内実と形式を彼自身の存在の奥底から呼び起こし、素材に対して支配者としてふるまい、外面的影響はたんに自己完成のために利用すべきだからである。」

ところで、波という物理現象が人間の感知できるというだけで特別扱いされるのは、視覚だけではない。物理学的には雑音も同じく音波でありながら、人間の魂に何か訴えるものがあると、それは音楽と呼ばれる。music の語源は、ギリシア神話の詩歌の女神ムーサ(ラテン語形の musa, 英語形の muse)に遡る。いま巷で騒がれるハイレゾ音源は、人間の耳の持つ可聴帯域を超え、精神的に安心感や快感を与えるという研究報告がある。光もまた、人間の眼の持つ可視帯域を超えた領域で、身体全体で光線を浴びて感じとっているのだろうか。人間の知覚能力は、五感だけでは説明できないところが多分にある。人体構造を司る遺伝子メカニズムは、スイッチをオン/オフするだけで多様な細胞形態をこしらえる機能を具える。とすれば、人体を形成するあらゆる細胞に、なんらかの周波数感知能力が潜在的に眠っている可能性はないだろうか。それが、第六感ってやつかは知らん...
「人間は世界を知る限りにおいてのみ自己自身を知り、世界を自己の中でのみ、また自己を世界の中でのみ認識する。いかなる新しい対象も、深く観照されるならば、われわれの内部に新しい器官を開示するのである。」

1. 光学 vs. 色彩論
本書には激しいニュートン批判が込められている。そこで酔いどれ天の邪鬼は、ニュートンを少し弁護したい気分になる。
そもそもニュートンが研究したのは光学であり、ゲーテが探求したのは色彩論であり、ここに決定的な違いがある。光も色彩も自然現象であり、同じ物理学の研究対象であることに違いはない。
ただ、芸術の観点から色彩は重要な要素であり、光よりもむしろ闇の方に大きな意義が与えられる。それ故、ゲーテが陰影現象に主眼を置くのも道理に適っている。
物理学がいくら客観性を主張したところで、観察するということは人間が認識することを意味する。人間が認識するということは、主観が関与するということだ。科学実験は、客観と主観の仲介役とでもしておこうか。客観性と主観性の重きの置き方に違いはあれど、どちらも興味深い研究であることは間違いなく、互いに補完的な立場に置きたい。学問と芸術はすこぶる相性がよく、けして分離できないものであろうから...
「われらの書きしもの、正誤いずれにせよ、われら生くる限り、それを弁護してやまず。われらの死後、いま遊び戯れる子らが裁き手とならん。」

2. 生理的色彩と陰翳礼讃
医学的に健康とされる眼に映る色彩は、生理的色彩と呼ばれる。対して、病理的色彩というものがありそうだ。それは、有機的に異常に発達した状態、あるいは劣化した状態ということになろうか。
ただ、正常を明確に定義することも難しい。生理的色彩を語るからには、心理的領域に踏み込むことになり、それは、空想的、想像的、あるいは妄想的ですらある。人間の認識が五感だけで説明がつかないとすれば、色覚異常と精神異常を区別することも難しい。いずれにせよ、色彩で最も単純な構造は、白黒画像ということになろうか。そこに物体の像を浮かび上がらせるのも、認識脳の中で物体が再構築されるからである。
人間の知覚能力は、危険との関係、すなわち自己存在との関係から発達させるところがある。生まれつき盲目な人が青年期に手術を受けて視力を回復させても、目の前の像から危険を察知することができない、と聞く。はっきりと何かが見えるのだが、その像が自分にとって何を意味するかが分からないと。ならば、危険を感じない領域では、客観的なものの見方ができるのだろうか。それはそれで、無感動、無価値、無駄、無意味として通り過ぎるだけのことかもしれん...
一方で、認識脳ってやつは、物理現象に享楽が結びつくと、あらゆる幻想を見せる性質を持ってやがる。真理が心地良い存在となれば、光がさすところに開眼や悟りの像を見せる。それは、陰影から育まれる像であって、そこに多彩な色が副次的に結びついて、より豊かな感情を呼び覚ます。色彩を超越した心的エネルギーの覚醒とでも言おうか。バーの空間が薄暗く演出されるのも道理である。余計な情報を排除してこそ味覚も研ぎ澄まされ、五感を総動員しなければ真の愉悦は得られまい。となれば、色彩論の本質はむしろ無彩色の方にあるのかもしれん。
尚、ゲーテは見事なほどのロウソクの妙技を語ってくれるが、このお爺ちゃんが七十を過ぎて二十歳前の娘を口説く時、陰影の妙技を演出したのかは知らん...

3. 色相環の巡回符号
三角形は、数学者によって特別な地位を与えられ、神秘主義者たちは崇拝の源泉としていきた。実際、三角形を用いると実に多くのことが図式化される。正三角形の向きを反転させて重ねると、神秘の代名詞となった。
ゲーテの色彩論もまた、赤(深紅)を頂点とし、底辺に青と黄を配置した三原色論を導入し、さらに、逆三角形の頂点(底点)に緑を置いて、菫と橙を底辺に配置し、赤(深紅)、菫、青、緑、黄、橙の色相環を形成する。そして、最高の深紅色を尊厳ある色とし、その対極の緑を希望の色として、神秘的な解釈を試みる。緑は自然の中で最も始源的な色で、青や黄へ枝分かれしながら精神の高進が始まり、深紅という一致する高貴な対象へ向かうというのである。
確かに、緑は目に優しい色とされ、植物の放つ緑は最も自然的な存在で、心を落ち着かせる。目の悪いおいらは、眼科のお医者さんに、遠くの緑の風景を見るようにするといい、と助言されたことがある。対して、赤は情熱的な色とされ、何か駆り立てるものがある。その段階的な色彩で、古くから階級を区別したり、心理学では精神状態を重ねるといった試みもある。
一方で、色彩現象では、色の混ざり具合によって色相、明度、彩度といった状態が近似され、色の伝達、除去、同化といった感覚的相殺が生じる。実際、錯視という現象がある。同じ物体でも、色の明るさによって大きさが違って見えたり、色の領域がはっきりと区別されても、遠くから見ると一つの色に見えたり。ミュラー・リヤー錯視、ツェルナー錯視、ヘリング錯視... など幾何学的錯視の事例は腐るほどある。
こうした感覚は、認識脳の都合上の問題であろうか。テレビが動画としてそれなりに見えるのは、視覚能力の追従性の鈍感さを利用して、誤魔化しているに過ぎない。そう、残像効果ってやつだ。人間の知覚能力には、認識脳と協調して、うまいこと補完する機能を具えている。それは、誤り訂正能力、いや、都合よく見せる技と言うべきか。宇宙人の眼には、ノイズだらけの情報で熱中する地球人が滑稽に映ることだろう。だから、近づかないようにしているのか?
無限にある色彩の状態は、いまだ精神の過程にあるとすれば、精神状態は常に色彩循環を求めているのだろうか?ちなみに、符号理論では、巡回符号を誤り訂正の手段として用いられる。認識の誤りを色彩循環によって補正しようとするならば、ここには一種の巡回符号が形成されている... と解するのは行き過ぎであろうか。
しかしながら、このお爺ちゃんは深紅を崇めつつ、七十を過ぎてもなおバラ色のテクニックを駆使したものの、二十歳前の乙女の心を射止めるには至らなかった...




4. 像を写しだす境界面と接合芸術
人間の眼に色彩を写しだすためには、ガラス、水面、鏡、スクリーンなどの境界面を必要とする。しかも、その境界面で色を重ねたり相殺したりすると、別の色に見せたり、無色に見せることだってできる。あらゆる色が空気中を浮遊しているにもかかわらず、境界面においてのみ眼に見えるとは、どういうわけか?その境界では、色彩エネルギーが心的エネルギーに変換されるとでも言うのか?
ニュートンのプリズム実験は、光線のエネルギー境界を示したという重要な意味があり、単に屈折を示したわけではあるまい。液晶ディスプレイは、それ自体発光しない液晶組成物を利用して光を変調することによって像を映し出す。太陽の像にしても、目に危険を冒してまで直接見なくても、反射面を利用すれば間接的に観察することができる。実は、色彩の物理的意味は、物事を間接的に観察するってことかもしれん。
さて、色彩現象の度合いは屈折の度合いに比例すると考えられ、屈折の強弱は媒体の密度に依存するとされる。実際、大気中の空気や霧の密度が高まるほど、像の変位の度合いを増す。また、屈折の原因は物質的性質の他に、化学的性質を加える必要があるとしている。屈折の増加は酸性によって規定され、減少はアルカリ性によって規定されると。
本書は、最初に実用化されたクラウンガラスとフリントガラスを紹介してくれる。望遠鏡の設計で欠かせない概念に、色収差というものがある。接眼レンズの設計は、単純に屈折率や拡大率を調整すればいいというものではなく、収色性や余剰色といったものの補正を考慮する必要がある。この点は、光学と色彩論が協調して振る舞う部分である。精度の高い望遠鏡は、見事な接合芸術というべきであろう...
「有色の輪の現象が最も美しく生じさせられるのは、同一の球面に従って研磨された凸レンズと凹レンズを接合させる場合である。私はこの現象を、色収差のない望遠鏡の対物レンズの場合ほどすばらしく見たことはいまだかつてない。その対物レンズの場合、クラウンガラスとフリントガラスとじつにぴったり接触していたに違いなかった。」

5. 自然に恋したゲーテ
「自然!われわれは彼女によって取り巻かれ、抱かれている。彼女から脱け出ることもできず、中へより深く入っていくこともできない。頼まれもせず、予告することもなしに彼女は輪舞の中へ引き入れ、われわれとともに踊りつづけるが、そのうちにわれわれは疲れ果て、彼女の腕からすべり落ちる。
...
彼女は比類のない芸術家である。いとも単純な素材から最大の対照物をつくり上げ、苦労のあともなく最大の完成にいたる。緻密な確実さを有しながらつねに何かを柔弱なものでおおわれている。彼女の作品はいずれも独自の存在をもち、彼女の現象はいずれもはっきりと孤立した現実ではあるが、すべては一つをなしている。
...
自然は一つの芝居を演じている。彼女がそれを自分で見ているかどうか、われわれは知らない。しかしながら彼女はそれをわれわれのために演じ、われわれは片隅に立っている。
...
自然の冠は愛である。愛によってのみ人間は彼女に接近する。彼女はすべての個物のあいだに間隙をもうけたにもかかわらず、すべてのものは互いにからみ合おうとする。彼女がすべてのものを孤立させたのは、すべてのものを引き寄せるためである。愛の酒杯からほんのすこし飲むだけで、彼女は苦労に充ちた生活の償いをする。」

ドイツ語の Natur が女性名詞であることは、偶然ではなさそうである。掴みどころのない永遠の謎!自然の中に生きながら、その正体をまったく知らない。自然は人間を支配し続け、人間は自然ばかりでなく、自分自身ですら支配できない。自然は、常に運動を続け、停滞することを許さない。静止とは、ある種の呪いであろうか。永劫不変とは、永遠に未完成であることを意味する。人間ってやつは、完成の美よりも、はるかに未完の美に恋焦がれる。どうりで男はみな色仕掛けに弱い...

2015-09-27

"魚道(さかなどう) 海の四季" 水谷修 + 鈴木一人 著

本屋を散歩していると、奇妙な組み合わせを見つけた。夜回り先生(水谷修) + 葉山「稲穂」の大将(鈴木一人)。二人は、海から命をいただく気持ちを大切にしたいと熱く語る。なるほど、鮨で語る人生論であったか...
「旬にきちんと食すことは、食されるいのちへの最低限の敬意!」
養殖や空輸など食の保存技術が進歩し、一年を通して好きなものが食べられるとは、なんと贅沢な時代であろう。その分、食材が回転寿司のように年中回り、季節を感じられなくなる。便利な世の中が、旬を味わうという贅沢な食感までも鈍らせるとは。おまけに、クロマグロがレッドリストに指定され、乱獲、乱食に警鐘を鳴らす。自然と向き合った食の在り方とは、いかなるものであろうか...

海の季節を感じたければ、寿司屋がうってつけであろう。寿司屋やバーに行付けの店をつくるのは、そこに技術屋魂を感じるからである。哲学をともなわない技術は、陳腐なものとなろう。彼らのこだわりは、同じ技術者として学ぶべきものが多い。寿司職人は、新鮮さと天然もので自然の味わい方を教え、バーテンダーは、カクテルを作る技よりも、酒の本来の姿を見極める目を養わせる。
どちらの職人も、食材の発酵や腐敗と戦っている。物理現象として眺めれば、微生物の作用で有機化合物を酸化させることでは同じだ。しかしながら、身体にとって有害か無害かの見極めは至難の業。ひらたく言えば、ほどよく腐らせる技術である。発酵技術をうまく利用すれば、野菜は漬物になり、身が柔らかくなり甘みが出るのも道理である。鮨ネタでは、少し寝かせることによって甘みを醸し出し、酒では、熟成の仕方によって酔い方を演出する。
「寿司屋と板前を作るのは、客だよ。江戸前の本当の鮨を知っている客が、カウンターに座れば、こっちも勝負したくなる。... でもな、鮨のことを何もわからず、ましてや勉強したいと思っていない客では、ただ、腹を一杯にするためだけに、酒のつまみにしたいだけに来る客では、こっちも気合も何も入らない。寿司屋と板前を、活かすも殺すも、客次第だよ!」

寿司屋に入ると、まずネタケースを見聞し、大将のお薦めに従って本日の戦略を練る。淡泊な白身から始まって、徐々に味の濃いものへ移り、そして、湯引きした穴子のタレと塩の両方を頂いて、お吸い物で締める。お吸い物の代わりに、茶碗蒸もなかなか。これがおいらのパターンだ。寿司屋だからといって、握りばかりを食べる場所だとは思わない。土瓶蒸し、アワビのバター焼き、アゲマキ焼き、白子をボイルしてポン酢、トロのあぶりなどがお気に入り。たまーに、天ぷら会食もいい。季節やその日のタイミングで作れないこともあるので、行く時は前もって宣言する。
ほとんどお任せだが、いつも言いなりになるのも癪だ。こんなもの作れるの?と挑発すると、なんでも作れるわい!と大将も負けん気が強いから思う壺よ。逆に、これ食ってみな!と、勝手に作り始めることもしばしば。在庫処分か?向こうも思う壺よ、と思っているかもしれん。ちなみに、行付けの寿司屋の大将のポリシーは、心を握ります!だそうな。聞いてるこっちの方が恥ずかしくなる...

1. 海の四季
海の中の四季は、地上の四季よりだいたい一ヶ月程度遅れて来るそうな。地上で春一番が吹き荒れ、三寒四温を繰り返し、桜の開花で春爛漫となる頃、海ではちょうど春が始まるという。ワカメ、カジメ、ヒジキなどの多くの海藻が温かい海水で一斉に成長を始め、鯛や鮃などが岸辺に集まって産卵を始める。季節風のごとく黒潮が日本列島沿岸を北上すると、それに乗って鰹がやってくる。磯では栄螺や鮑が成長し、海のギャングこと蛸が貝類を漁る。
梅雨から夏は、魚たちの成長期。雨が山からたくさんの有機物を川から海へ運ぶ。それを餌とする植物性プランクトンが増え、これを食べる動物性プランクトンが増え、それを餌とする小さな魚が増え、その魚を餌とする大きな魚が増え... などと食の連鎖。
秋風が立つ頃、黒潮の北上が止まり、魚たちは一斉に南へ戻り始める。冬の季節風のごとく親潮や千島海流が南下し、冷たい海で生きる鮭が海流に乗って、産卵のために河川へ向かう。これにともなって鱈や鰊、そして秋といえば秋刀魚、彼らも群れをなして南下する。
冬は地上同様、魚たちにとっても我慢の季節。温かい時期に脂肪を蓄え、じっと春を待つ。
海の幸は、島国にとって宝だ。縄文時代のゴミ捨て場は貝塚と呼ばれ、その地名は日本列島に点在する。昔は、家庭で魚を捌くのをよく見かけたものだが、今ではスーパーで切り身や刺し身がそのまま手に入る。きれいに切り揃え、骨抜きまでしてくれるのは、独身貴族にはありがたい。
それにしても、連鎖の下部にいる弱い生き物ほど数が多いとは、うまいことできている。自然界のバランス感覚に驚嘆せずにはいられない。このバランスの最大の破壊者として君臨するのが人間だ。彼らは食すだけでなく、海洋汚染まで仕掛けてくる。鯛、鮃、魬、鰤、鯵などがほとんど養殖されれば、天然モノがもてはやされる。人工的な社会は、ますます自然を懐かしくさせる。いや、懐かしもうにも、もはや自然の姿が思い出せない。いずれ遺伝子工学の発達によって、天然モノの人間が馬鹿にされるようになるのだろうか...

2. 鯛は本当に旨いのか?
鮨の世界では、王様が鮪なら、女王は鯛とされるそうな。腐っても鯛... 海老で鯛を釣る... などと言うし、めでたい... などと語呂合わせで縁起物にされる。桜鯛などと風流な名前をつければ、春の贅沢品の座を欲しいまま。しかし、鯛をそれほど旨いと思ったことがない。
本書も、真鯛は3月から6月に産卵の季節を迎え、産卵を終えた魚はガリガリに痩せていて、美味しいわけがないという。産卵の時期に乱獲することに問題があるらしい。鯛の旬は、厳しい冬を乗り切るために、たくさんの脂肪をつけた秋口から冬にかけてだという。

3. 夏の風物
京都では、夏の鱧(はも)が珍重されるそうな。梅雨の終わり、祗園で祭り囃子が街角に響き渡るころ、魚屋、寿司屋、割烹、料亭に鱧が並ぶという。鱧の湯引き、天ぷら、照り焼き、さらに、鱧しゃぶなんて聞くと、ヨダレがでてくる。
しかし、鱧もまた夏が産卵期で、味が落ちるのでは?鱧は生命力が強く、海から揚げても、相当長い時間生きているという。内陸部の京都で、魚の傷みやすい夏に、淡泊な魚を味わうには、鱧ぐらいしかなかったようである。
また、夏の白身は板前泣かせだそうな。くそ暑い夏はあっさりした物を欲し、白身が好まれる。なにしろ冷凍、冷蔵がきかない。鯛、鮃、鰈などは鮪や鰹と違って、冷凍したものは刺し身として使い物にならないという。しかも、活け締めで、きちんと血抜きをしないと、すぐに身に血が回ってしまい、身が緩み、血の匂いがついてしまうとか。
季節によって美味い不味いが、白身魚ほどはっきりするものはないという。特に春から夏、産卵前後の白身魚は、とても寿司屋では扱えるものではないらしい。この時期に、いかに美味い白身魚を出すかが、板前の腕の見せどころだそうな。
ただ、この時期にも、白身で淡泊な魚はきちんとある。鱚(キス)がその代表で、青物とか光物と呼ばれる。真子鰈も、夏の最高のネタの一つだという。鰶(このしろ)の子供の小鰭(こはだ)や新子は、まさにこの時期が旬だとか。んー... この時期の酢締めもたまらん。

4. 東西の食感の違い
河豚の出し方は、関西と関東で違うそうな。西では、活けからすぐに捌き、締めたばかりのコリコリ感を料理する。東では、捌いた後、甘みを引き出すために、一日から二日寝かせるという。江戸前職人のこだわりは、そのまま手をかけずに出すことはあまりないようである。鯵は塩で締めて、鮃は昆布で締めて、鯛は湯引きなど、何かと手間をかけるという。河豚に限らず、あらゆる魚で、なんらかの手を加えるのが関東風というわけか。西側の薄味と、東側の濃い味の違いも、このあたりからきているのかもしれん。
昔々、獲れたての魚を出すことができなかった地域では、食材を寝かせる技術を発達させてきたのだろう。とはいえ、地元の隣町、下関が河豚の名産であり、獲れたての感覚に慣れていると、寝かせるのはもったいない気もする。
また、肝を食べるなら河豚よりも、生なら皮剥の肝、煮付けなら鰈や鮟鱇の肝の方がはるかに旨いという。河豚の肝は命をかけるほどのものではないらしい。
鮃や鰈などの白身魚を、ポン酢に紅葉おろしで食べる。これもなかなかだと思うが、白身魚の味を殺しているという。新鮮な白身魚、特に河豚は、本山葵とむらさきで、是非楽しんでください!と。なるほど...
ちなみに、むらさきとは寿司用語で醤油のこと。行付けの店の名も「紫」だが、通称ディープ・パープルで親しんでいる。
醤油の味にも東西で好みが分かれ、時々出張で来る人と議論する。関西は甘め。著者のお二方も関東人で、特に九州の甘みが苦手だと語る。いずれにせよ、幼い頃が慣れ親しんできた地元の味というものは、忘れられるものではあるまい。それは、ラーメンやうどんのスープの味にも反映される。食感に限らず、五感には精神の落ち着く場所というものがありそうだ。

5. 巻物のこだわり
干瓢巻きは、板前にとって一番むずかしい巻物だという。そして、二通りの食べ方があるとか。きちんと簀巻きで巻いてもらって、まずは半分そのまま海苔のパリッとした食感を味わう。そして、もう半分は20分ぐらい置いて食べる。すると、海苔がしゃりと溶け合って、違った風味が出るとか。板前は、この二つの食べ方を考えながら作っているという。
そういえば、干瓢巻きではないが、行付けの寿司屋で手巻きを出す時、寿司下駄に置いてくれればいいものを、直接手渡される。すぐ食べろ!と言わんばかりに。何かこだわりでもあるのか?今度、干瓢巻きと合わせて、大将を挑発してみよう...

6. 玉子焼きのこだわり
玉子焼きには二種類あるという。一つは本焼きと呼ばれ、卵に芝海老や白身のすり身を入れて、砂糖や塩、酒で味付けして焼き上げる。厚さが薄くなることから薄焼きとも呼ばれる。もう一つは、卵に出汁を入れ、味をつけてやきあげた、だし巻き。ほとんどの寿司屋で、だし巻きが出されるようだ。本焼きが廃れたのは、手間がかかりすぎるからだそうな。
行付けの寿司屋も、だし巻きがあるが、これがなかなか旨く、家庭では出せない味である。薦められることはないのだが、ちょっと一服のタイミングで、つまみに頂くのが習慣になっている。

7. しゃりのこだわり
目の前に座る客を見て、しゃりの握り方を変えるのが本物だそうな。客は、つい寿司ネタに目がいく。しかし、一番多く食べているのは、しゃりだ。いつも握る姿を見ては、その優しい手つきに感心するのだけど...
箸で食べる客には、むらさきにつけて口に運ぶときに壊れないように、少し強く握るという。手で食べる客には、その客の鮨の持ち方で握り方を変えるという。また、女性男性、年齢や入れ歯、出身や仕事、口の大きさや空腹かどうかでも、握り方を変えるのだとか。ネタを切る大きさも合わせて。
すべての握りは、しゃりで決まる!とはよく聞くが、しゃりに手を加えれば騙すこともできる。不味いネタを美味いと思わせるのが板前の技術だとすれば、バーテンダーが不味い酒をカクテルで誤魔化すようなものか。
所詮、しゃりは裏方。だが、米ほど一年を通じて、味が変わるものはないという。鮨には、水分が多い米質は合わない。新米が旨いとはいえ、やや水分が多く、鮨にはちと向かない。日本では、コシヒカリが米の王様のように言われるが、こうした含有水分の多い米では鮨に向かないそうな。含有水分の少ないササニシキが、鮨の王道だという。だが、ササニシキは背の高く成長する米で、すぐに台風で倒れてしまい、手に入れることが難しいらしい。
しゃりの味を安定させるために、いかに板前が苦労しているかを客は知らない。これも、大将の挑発ネタとして使えそうだ...

8. 店のこだわり
「あるお客様が、自慢そうに言っていたのですが、そのお客様が東京の有名な寿司屋に入ると、出される魚は、ネタケースの中のものではなくて、冷蔵庫の中のものを特別に引いてくれる。自分は、その寿司屋に大切にされているんだと言いたくて、このような話をされたのでしょうが、これは言語道断です。これをやってしまったら、その寿司屋の信用はなくなってしまいます。」
常連客を大切にしたい気持ちは分かるが、店の客は平等に扱うべきだという。客を大切にすることは難しい。客を選べる立場でもなかろうし。そのために、グルメ雑誌などに掲載されることを嫌う店も見かける。個人的には、行付けの店はいつまでも隠れ家のような存在であってほしい...

2015-09-20

"作家の食と酒と" 重金敦之 著

あらゆる文化は大衆化すると質の低下をもたらすが、飲食文化は違うらしい。芸術の材料がふんだんに鏤められると、作家たちは食卓の行儀作法よりも、美味く食すための段取りにうるさい。食通でもなく、美食家というほどではないにせよ、そこに独特の美学を抱く才は一流ときた。能書きを垂れるのも、一つの作法というわけだ。なるほど、文章術とは、食への執着、酒へのこだわりから生まれるものであったか。こだわりとは難癖をつけることであったか。含蓄とはウンチクの類いであったか...
「酒は百薬の長」というが、「酒は百毒の長」とも言う。大食短命を説く言葉を聞いても、大食漢を賛美する言葉はあまり聞かない。食や酒を満喫しながら、いかにおおらかに生きるか... これは、なかなかの難題だ!今宵は、芸術家たちの飲食哲学を堪能しつつ、濁り酒をやりながら茶化すとしよう...

魚料理に癖と臭みはつきもの。それは持って生まれた食材の個性であり、身体に害を及ぼさない限り、癖も味わいたい。しょうがや酢味噌の味ばかりが口に残り、何の魚だったか分からなくなることも、しばしばあるのだから...
人間にも癖がある。それが個性であり、持ち味であり、魅力でもある。ただ、才能豊かな人は、自分の個性が手に負えないということもあろう。世間の枠組みからはみ出すぐらいでなければ、芸術は生まれない。人格円満にして当たり障りのない聖人君子に、小説や随筆なんぞ書けるはずもない。ましてや、幸福な人間に。作家とは、自分の不幸を舐めるように愛しながら書く、そのような境地で生きている人種であろうか。
「嘘を書く」といえば聞こえが悪いが、「演出する」といえば聞こえがいい。食生活の中にもちょっとした演出を仕掛け、五感を総動員しながら食の愉悦を物語る。行間の隙間から粘性に満ちた心理描写、彼らの感受性は日常の何気ない出来事ですら敏感に、しかもディープに反応するだけに、精神を病むこともあろう。何を見ても面白がるという性癖は、ある種の職業病にも映る。
自我を狂わせるほどの執筆エネルギーは、どこからくるのか?小説というものは、恨みや反骨精神だけで書けるものなのか?彼らは、どこかに人間嫌いな側面と社会への反発心を覗かせる。社交的な人間嫌いでもなければ、世間の激流を生きては行けまい。凡人は目の前の幸せにも気づかないものだが、その分、不幸にも気づかなければ同じことかもしれん...

1. 松本清張伝
著者は、ジャーナリズムの基本は知的好奇心にあるとジャーナリズム論を講義したところ、なかなか理解されないと嘆く。
「いささか不謹慎ではあるが、ジャーナリストは戦争でも災害でも、ある意味で面白がっているところがある。」
面白がる対象は、それこそ森羅万象。作家とは、面白がる部分を書き終えると、その作品には興味がなくなってしまい、すぐに次の題材に気移りするものらしい。凡庸な酔いどれですら、仕事の終盤が見えてくると、ホッとして次の興味へ向かう。
その意味で、清張作品の結末は「技巧的な突き放し」であるとか、「判断を読者に委ねている」といった感があるという。あるいは、「新たな迷宮を作り出す」一方で「豊かな余韻を楽しめる」といった読後感もあると。
また、小説にはリアリティが重要だと、しつこく言っていたそうな。小説のリアリティとは生活感のことか。
「人間の内面の思索をあれこれ書くよりも、ちょっとした運命のいたずらによって逆境に立たされる苦悩や冷酷な組織の論理に翻弄される人間の恨みを好んで書いた。現実味のある動機を重視した結果、登場人物の存在を身近なものにした、とは多くの人が指摘するところだ。」
その反面、他人の栄誉や栄達には冷たく、納税額でもライバル意識を燃やしたという。82歳を過ぎても現役で、週刊誌に小説を二本も連載するとは前代未聞。嫉妬心が飽くなき挑戦意欲を掻き立て、生涯を通して小説家の緊張感を持続させたようである。芸術とは、個性を存分に体現する場であり、こだわりとは、ある種のわがままである。そして、嫉妬心をロマンティシズムに変えるのも、小説家の資質であろうか...
「他人の幸福を、自分の幸福に置きかえる余裕や度量よりも、そねみとひがみが伏流し、安穏とか愉悦とかいうことと生涯、無縁であった。そういう意味では人生をきわめて不器用、訥直(とっちょく)に送られたのだと思う。」

2. 長寿の秘訣???
日本画家、横山大観は日本酒好きで有名だそうな。広島県三原市の名酒「醉心」を好み、91歳まで飲み続けたという。「絵を描くのも、酒を造るのも芸術だ!」と熱弁をふるう酒豪ぶり。
一方、まったく酒が飲めずに長生きした文人が、小島政二郎だという。その分、食通だったらしい。老舗菓子屋「鶴屋八幡」のPR誌「あまカラ」に連載したエッセイ「食いしん坊」には、自分の下戸ぶりを書いているとか。
「悲しいことを言うようだが、私くらいの年配になると、もうあと幾度晩飯をおいしく食べる機会があるか知れたものだ。だから、日に一回の晩飯だけは、何かうまいものが食べたい。」
これは60歳頃の文章だそうだが、それから十年後、30歳も若い伴侶を得て、百歳の長寿をまっとうする。文豪ゲーテも、70代で二十歳前の娘に求婚した。やはり長寿の秘訣は、恋でしょうか!
内田百閒は、小学校に入る前から煙草を吸い、好きなビールとなると半ダースは飲み、それでいて83歳まで生きたという。漱石を敬愛し、芥川とも交流があったようで、その評価は様々で、大文章家から大酒豪、吝嗇漢、借金魔、大変人など毀誉褒貶が著しいとか。そして、この記述こそ酒道というものか。
「強い酒を飲んで酔ふのは外道である。清酒や麦酒なら酔つてもそれ程の事はない。しかしお酒にしろ麦酒にしろ、飲めば矢張り酔ふ。酔ふのはいい心持だが、酔つてしまつた後はつまらない。飲んでゐて次第に酔つて来るその移り変はりが一番大切な味はひである。」
このように長寿をまっとうする作家がいる一方で、「全日記 小津安二郎」には、こんな記述がある。
「酒はほどほど 仕事もほどほど 余命いくばくもなしと知るべし 酒ハ緩慢なる自殺と知るべし」

3. 美の気品とは
挿絵画家、風間完の人物画には、美の気品のようなものを感じ、なんとなく癒やされる。本書は、彼の印象を漢字にすると「飄」の字を選ぶと語り、さわやかな気風の持ち主であったと評している。画家ではなく、挿絵画家と称されることにまったく屈託がなかったといえば嘘になろうか。実際、清潔感と美意識は挿絵の域を超え、日本画という言うべき気品を漂わせている。瀬戸内寂聴は、風景画からは「街角の匂いが漂い、立ち話している人の会話が聞こえてくる」といい、人物画については、こう語ったという。
「女性の体臭や肌のぬくもり、手足の冷えまで伝わってくるけど、清潔だからいいのよ。それが本当のエロティズムなの。」

4. 祗園に夢をはせて
日本の料亭文化は、色町の伎芸とともに発展してきた、世界でも稀有な特徴を持っているという。色町といえば京の祗園、「お茶屋」という上品な響きにイチコロよ。生涯で一度、お座敷遊びをしてみたいと夢見ている。
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」とは、山口素堂の句。目には青葉が広がり、耳には山ほととぎすの声、口には新鮮な鰹を味わう... とは、まさに五感の愉悦を堪能する贅沢。目の前に淑やかな女性がいて、気品ある談笑付きとなれば、食のエロティズムを堪能できるであろう。
一介のサラリーマンでも身元さえはっきりしていれば、気楽にお茶屋に上がれるのが祗園の一筋縄ではいかない魅力だそうな。その寛容さは、どこからくるのだろうか?祗園町は女系家族で、夫以外の子供を産んでも是認する風土があるという。乱暴に言えば、父親の存在はどうでもいい。それは、性道徳や家族意識が乱脈だという意味ではなく、伝統的に女性中心の社会だということ。父親の名前をあからさまにできない女性がいるのも珍しくない。また分かったからといって吹聴するようなこともしない。これが、祗園の仕来りだそうな。早くから女性の自立が植え付けられ、むしろ進んだ社会とうわけか。世間の常識や道徳の規範から多少ずれていても、それを許容する寛大な空気が漂っているのが祗園という町だそうな。
渡辺淳一の小説「化粧」に登場する頼子と里子のイメージは、まさに祗園。性愛文学の原点は京にあったか。彼の持論では、結婚、出産、離婚を経験するのが、女のフルコースだという。世間で負け組と呼ばれる人も、祗園ではカテゴリーが逆転する。
では、男のフルコースはなんであろうか?破産、失業、三行半を喰らう... やはり男は役立たず。そりゃ男性社会でもなければ、生きてはいけんよ...

5. カレーライスとライスカレー
カレーライスとライスカレーの違いとは何か?こんな話題が小学校時代にあったような気がする。古典的な説では、ご飯とカレーが別々に出されるものがカレーライス、ご飯の上にカレーをかけて出されるものがライスカレーとされる。対して、向田邦子は、金を払って外で食べるのがカレーライス、自分の家で食べるのがライスカレーと定義したという。なるほど、生活感が出ている。向田説に一票入れとこう...

6. スローフードとファーストフード
「ミスター円」こと榊原英資の著書「食がわかれば世界経済がわかる」には、こう書かれているそうな。
「世界主要国の食の形態を見ると、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどは食を資源と捉え、日本、中国、フランス、イタリアなどは文化と考えてきた。前者は食の工業化を推進し、ファーストフードを生み出した。」
世界に広まるスローフードとは、ファーストフードのような合理的なものに対抗して、地方の食文化や食材を見直す運動である。日本では「食育」という用語があって、明治時代に村井弦斎が既に用いているという。だが、こうした耳障りのよい運動も、すぐに企業や政治と結託して逞しい商魂を見せる。本書は、その貪欲さを見直すのも、スローフード運動の精神ではないか、と疑問を呈する。
ちなみに、宮本徳蔵の著書「たべもの快楽帖」には、ボストン名物のロブスターを食した体験から、「アメリカ人は胃袋で味わい、日本人は舌先で味わう」と説いているという。なかなかの達識だ。

7. 秋の季語「ボジョレー・ヌーボー」
毎年11月になると、夜の社交場方面から「ワインと紅葉の夕べ」と題して案内状が届く。そう、ボジョレー・ヌーボー解禁日だ。だが、おいらには場違いなイベントである。なにしろワインの味がわからない。一杯何万円もするワインを飲ませてもらったことがあるが、確かに風味も上品で美味い!しかし、どうしても値段ほどの価値がわからない。その代わり、夏の季語「浴衣祭」の出席は欠かさぬよう釘を刺されている。

8. 行付けと隠れ家
誰にでも、行付けの店や馴染みの店が一つや二つはあろう。なんとなく波長の合う場所と言った方がいい。飲み食いする店だけでなく、本屋、食料品店、薬局、病院など。
場所に限らず道順にも癖が現れ、どこに行こうかと考えているうちに、いつの間にか同じ店へと足が向く。注文する品まで一緒だったりして... いつものやつ!こうした行動パターンにも、ある種の美学が隠れている。慣習とは、ある種のこだわりであったか。
そこで、贔屓の店にはあまり有名になってもらいたくない。いつまでも隠れ家のままでいてほしい。大衆の眼に晒すことで、店のコンセプトが壊れることもあろう。常連さんを大切にするために、わざと宣伝しない店も少なくなく、ミシュランガイドへの掲載を断る店もあると聞く。

2015-09-13

項目の開閉を HTML タグだけで制御、ついでに onmouse ハンドラを試す

これは備忘録である。お歳ですねぇ... と、からかわれ始めて久しい今日この頃であった。はぁ...
さて、全記事数が、500 に達し、Site Map の見た目が鬱陶しい!そこで、ラベル毎に開いたり、閉じたりできるようにした。

方針は...
  1. JavaScript などを使わず、HTML だけで記述し、一つの投稿内で完結する。
  2. テンプレートを変更したくないので、css はインラインに置く。
  3. 具体的には、onclick イベントハンドラで項目内の表示/非表示を切り替える。
    尚、onmouseover/onmouseout という属性を知り、これがなかなかいい!勧告バージョンが、HTML4.01 というのもありがたい。

コードの流れは...
  1. onclick で、id="xxx" で指定した部分を取得し、オブジェクトの display 状態を判定して、block/none を切り替える。
  2. マウスカーソルのスタイルを、pointer に指定し、イベントハンドラを記述する。
    尚、イベントは over -> out の順に発生するので、onmouseover/onmouseout をセットで記述する必要有り。
  3. 開閉部分 id="xxx" を指定する。
    尚、表示/非表示の最初の状態は、display で指定。
    表示の場合、display:block; 非表示の場合、display:none;

<div onclick="obj=document.getElementById('xxx').style;
obj.display=(obj.display=='none')?'block':'none';">

<span style="cursor:pointer;
margin:5px; padding:3px; display:block; width:240px; text-align:left;
background-color:#eee; box-shadow:2px 2px 2px 2px #555;"
onmouseover="this.style.backgroundColor='#ccc'"
onmouseout="this.style.backgroundColor='#eee'"
>項目</span>
</div>

<div id="xxx" style="display:none; clear:both;">
<p>リストの内容</p>
</div>

そして、これがサンプル...

b.読書:数学
  1. 2014-08-10 "数学と論理をめぐる不思議な冒険" Joseph Mazur 著
  2. 2014-08-03 "連分数のふしぎ" 木村俊一 著
  3. 2014-06-29 "数について" Richard Dedekind 著
  4. 2014-06-22 "ピタゴラスの定理" Eli Maor 著
  5. 2014-06-15 "天秤の魔術師 アルキメデスの数学 " 林栄治, 斎藤憲 著
j.読書:文学
m.読書:政治

2015-09-06

ルータのグレードアップ RT107e から RTX810 へ

JCOM さんから増速のお知らせがきた。... 2015.7.31
下り 160Mbps から 320Mbps へ。上り 10Mbps は変更なし。利用料金の変更なし。
尚、うちの場合、モデム交換は不要とのこと。今どきの機器にしては熱を持ちすぎる感があるので、できれば交換してもらいたいが、まぁいいや...
てなわけで、我が家のルータ Yamaha RT107e では性能不足のため、こいつを購入した。

  Yamaha RTX810 : 43,260円




1. 構成は...

  NETGEAR CG3000D      : ISPモデム(ルータ), ブリッジモードで使用
  + Yamaha RTX810      : ルータ, DHCP, VPN
  + corega CO-BSW08GTX : Gigaスイッチングハブ
  + NEC Aterm WG300HP  : 無線アクセスポイント
# LANケーブルも CAT5e から、CAT6a(ELECOM LD-GFAT/BM*)に変更

2. 速度は... まぁまぁ!
コース名から、ウルトラ!という大袈裟なネーミングは消えたようである。しかし、品質はかなり改善されたようだ。160M の時は、80Mbps を上回る程度で、せいぜい 60% であった(ルータスルー測定時)。320M では、DLサイトによっては 約290Mbps の値を示し、90% に達する。ダウンロード時間に1時間以上要していたものが、30分未満になったことはありがたい。ただし、ネットサーフィンをやる分には、体感スピードはほとんど変わらない。
尚、RTX810 に付属されるケーブルは CAT5e で、CAT6a に換えても誤差程度の違い。
また、Win7(64bit) では素直に速度が出ないので、TCP Optimizer でカスタマイズすると改善された。
  http://www.speedguide.net/downloads.php

参考までに...
BNR Speed Test の結果を示す。尚、他の測定サイトでも同等の値が得られる。

------ BNRスピードテスト (ダウンロード速度) ------
測定サイト: http://www.musen-lan.com/speed/ Ver5.6001
測定日時: 2015/08/20 11:04:45
--------------------------------------------------
1.NTTPC(WebARENA)1: 218.83Mbps (27.35MB/sec)
2.NTTPC(WebARENA)2: 266.12Mbps (33.25MB/sec)
推定転送速度: 266.12Mbps (33.25MB/sec)
--------------------------------------------------

3. 余談...
思えば、随分と贅沢な環境に慣らされてきたものだ。おいらが初めて通信に触れたのは、1200ボーの時代。インターネットという用語すらなかった。ボーなんて変調レートから眺める単位は、もう死語であろうか。とはいえ、設計者の立場では、単純なビットレートだけでなく、変調レートという視点も必要な場合がある。
はじめて Web を閲覧したのは、二十年以上前になろうか。ディスプレイ上に一枚の絵が、ゆっくり上から下へスキャンするように出現する様に興奮したのを覚えている。Netscape の前身 NCSA が開発した Mosaic というブラウザは、アダルト向け画像のモザイクを解除してくれるものと勘違いしたものである。
さて、いくら技術が進歩したとはいえ、TCP/IP の基本技術があまり変わっていないのも事実。プロトコルの勉強を一からやり直すのも、乙かもしれない。... などと思いつつ、本棚で分厚い顔をした「マスタリングTCP/IP 応用編」と目が合うものの、どうも気分が乗らない。こいつに出会ってから二十年近くになるが、辞書代わりにするぐらいで、まだ一度も読み通したことがない。そんな気力も失せたとなれば、そろそろ引退するべきであろうか。なぁーに、心配はいらない。すでに引退勧告を暗示されているではないか...

2015-08-30

"義務について" キケロー 著

ベランダで心地よく純米酒をやっていると、大きなランドセルを背負った女の子から、おはようございます!と挨拶され、照れくさく答える。まるで堕落人のショーウィンドウ...
そんな我欲に憑かれた酔いどれが、なに故こんなものを読んでいるのか?なぁーに、気まぐれってやつは誰にでもある。ところで、気まぐれな善意と周到な悪意とでは、どちらが厄介であろうか...

この哲学書は、ペリパトス派(逍遙学派)の所説とあまり違わないようである。それも、ソクラテス派であり、プラトン派であり、アリストテレス派であることを表明しているように映る。その根底思想には、不死の魂から導かれる自然的な叡智の継承がある。
義務とは、高貴さを備えた生に対して生じるもので、それが私的であれ、公的であれ、人々が係わり合う社会で必然的に生じ、けして免れることのできないものだとしている。しかも、徳を伴わなければ、友情も、正義も、寛大さも、けして尊重することはできないと。
また、ストア派の義務論が賢者のみ実行可能であるため、これを一般人にも実行できるよう換骨奪胎することを表明している。弁論と判断の力を大衆に植え付けようとは、とてつもない義務をキケロー自身に課している。
ただ、最高善を唱えるからには、そこに絶対的な義務が定義できるというのか?道徳的な高貴さとはどんなものなのか?そんなに硬苦しく構えず、ゆとりや柔軟性をもって自然に構えたい。人間、無理をしすぎると碌な事にならない。
「真理への探求と追求は、人間に特有のものである。従ってやむをえない仕事や心配がないとき、ひとは当然何かをみたりきいたり、また習い添えることをのぞみ、浄福の生活をととのえるに必要なものとして神秘的または驚嘆すべき事がらの知識を求めるのである。これをとっても、真実、単純、純粋なものは、人間の本性にもっとも強く訴えるものであることがわかる。」

さて、義務とはなんであろうか...
この言葉には、なにやら高貴で崇高なものを感じなくはないが、同時に、慣習や虚栄に惑わされやすい印象がある。これをやるのは義務だ!などと雄弁者が語れば、それなりに説得力を持つ。それ故に正義と同様、悪用されやすい。
一般的に、社会人は働いてい収入を得ることを義務付けられ、学生は勉学に励むことを義務付けられる。こうした慣習は、自立や自律と相性が良さそうに見える。だが、仕事や学問の内容について問われることがあまりない。自分の仕事は、自然的な義務を果たしているのか?自分の学問は、はたして自然の理に適っているのか?実は、やってはいけない仕事、やってはいけない学問があるのではないか?潰すべき組織があるのではないか?
人は、常に何か意義らしきものをやっていないと落ち着かない。収入源となる何かに対して役に立っていないとなれば、尚更。日々の仕事で、納期を守れ!約定を守れ!などと使命感を強要されながら、今を生きるために仕方なくやっているだけのこと。あるいは、地位や役職を欲し、多数派の支持を募ることばかりに執着し、自己存在を強調せずにはいられない。こんなブログですら何年も続けていると、やらないと罪悪感とまでは言わなくとも、サボった気分に襲われる。いつも読んでます!などと励まされると、強迫観念に駆られるがごとく、ジャンク長文を書き続ける羽目に。
そして、義務は自己正当化の手段に成り下がる。叡智への純粋な欲望は脂ぎった欲望へ変貌し、かつての高邁さは高慢の内に沈んでいき、あらゆる手段の下で義務は後付けされる。世間には、悪意の詐欺だけでなく、善意の詐欺も余すところなく健在ときた。悪意を自覚できるだけ、まだマシであろうか。この泥酔者は半世紀も生きながら、義務がどんなものか?いまだに見えないでいる...
プラトン曰く、「正義を欠く知識が英知よりむしろ狡智といわれるべきであるのみならず、危険を待望する精神もまた、もしそれが利己的な欲望に駆られ公共の利益を忘れるとき、勇敢よりむしろ兇敢の名を持つべきである。」

1. キケローという人物
この人物が、政治家よりも哲学者としての印象が強いのは、残した書籍によるものであろう。共和制を堅持する保守派で、共和制ローマへの奉仕と貢献を常に念頭に置く実践家であったようである。カエサルとキケローは、ローマ共和制末期における相抗争する二つの巨星。キケローが討伐したカティリーナの謀反における処罰をめぐっては、カエサルと対立。彼に対抗する反貴族的な革新勢力は、カティリーナ、カエサル、クローディウス、ポンペイウスなど古い貴族出身者であったことも皮肉な構図である。共和制から独裁制へ移行する時代では、どちらが革新派なのか分かりにくい。おまけに、彼らの死がこぞって横死したことも、共和制の終焉を暗示している。
最期の大演説「ピリッピカ」では、カエサル暗殺後、後継の座に就こうとするアントニウスを弾劾するも、暗殺される。これを契機に共和制を守ろうとする支柱を完全に失い、アウグストゥスの帝政へと向かう。キケローの目には、この独裁制というべき帝政が非道的なものに映ったようである。
「もし英知が最大の徳だとすれば、協同の意識から導かれる義務こそ最高でなければならない。というのは、自然を認識し省察するだけでは欠陥があり完全ではないからだ。それを完全にするためには具体的な行為が伴わなくてはならない。」

2. 四つの徳から生じる四つの義務。
義務とは、人類の普遍性において自然との調和によって育まれるものらしい。そして、道徳的に高貴であるかは、四つのいずれかに起因するとしている。

一つは、真なるものへの洞察と通暁に存立するか。
二つは、社会の維持と人々のために、自分に課せられたものを寄与、約定された事柄における誠実さに成立するか。
三つは、高邁にして不屈の精神の持つ偉大さと強力さに起因するか。
四つは、謹慎と自制を生むところの言行における秩序と中庸に存在するか。

「ここにいう義務とは、人間として、また市民としての道徳的任務の完遂を意味する。」
アリストテレスは、人間はポリス的動物だとした。共同体を育むことができるのは、優れた動物の証であると。それ故に社会的地位に対して異常なほどの野心を抱く輩は多く、しばしば義務は過剰な領域で野望となってきた。したがって、節度をともなわない地位や権力は、社会にとって厄介この上ない。
歴史を振り返れば、義務は国家体制と結び付けられ、強要されてきた経緯がある。愛国心旺盛な人々は、自分の意にそぐわない者を非国民!と罵ってきた。国家の根源的な意義は秩序にあり、それ故に歪んだ政体では秩序もまた歪む。人間社会は無知であり続け、誤謬を犯し、狂気する。しかも、それに気づかないときた。歴史の意義はそれを気づかせることにあるが、いつの時代も現世を生きる者には分からない。そして、国家体制の下で罪悪感を煽って犠牲を強いる。そう、歴史とは犠牲の上に成り立つものだということだ。
それでもなおキケローは、感謝によって結びつく関係ならば、絆をいっそう強くするという。感謝をともなう議論では、批判ですら建設的な関係を築くと。しかしながら、議論は往々にして憎悪とヒステリックの内にある。
「善行も所を得ざれば悪行ぞ。」

3. 道徳的な高貴と有利
人は誰でも、集団における有利さを求めてやまない。物欲、金銭欲、名誉欲といったものは、この有利さに隷属したものだ。いくら高貴な有利さを求めても、醜悪な有利さが社会を席巻しているのが現実。学問の動機にしても、ビジネスや就業で有利となるからである。だが、そうした欲望が、庶民生活を豊かにしてきたのも、これまた現実。人間社会には、脂ぎった動機も必要であろうし、むしろ実践的な解はこちら側にあるのかもしれない。最初の動機がどうであれ、脂ぎった欲望はいずれ純粋な動機に薄められていくかもしれない。
そこで、キケローは永続的な動機から、どちらが有利であるかを自然的調和から問う。他人を不利益で害することで有利となることが、自然的であるはずがないし、義務であるはずがないと。強権が有利さから生じたとはいえ長続きせず、正義を狡猾に利用する者の権威も長続きはしないだろう。人間社会が、本当にそういう方向にあるとすれば、捨てたもんじゃない。
しかし、キケローの生きた時代から二千年以上経った今では、どうであろう?政治屋は抑圧欲に駆られ、法律もまた狡猾さと悪意な解釈で執行されることが多々ある。そして、「最高の法は最高の不法」というローマの格言も、いまだ意味を持つ。自分の利益を除外視してまで、他人の利益を真剣に考えることは難しい。自分に利害が及ぶからこそ、深刻にもなれる。遠くで起こっている戦争ですら、他人事と思うのが普通である。何人も害さず、公共の利益を守ることが義務だとしても、公共の利益が自分に回ってこなければ憤慨する。おまけに、権力、名声、肩書に憑かれ、正義を怠るばかりでなく、巧みに利用するときた。
「事実を秘匿する人が非難されるべきだとすれば、空言を申立てるものたちについて、われわれはどう評価すべきであろう。」
どんな立派な法を持ち込んでも、社会の慣習と結びつかなければ、ものの役には立たない。義務が慣習と結びつきやすいとなれば、善き慣習を人間社会に植え付けるしかあるまい。そして、義務は自律的、自制的となるはず。しかしながら、この善き慣習というやつが一向に見えてこない...

4. 孤独の有用と自然の理法
プーブリウス・スキーピオーは、常々こう語ったという。
「自分はひまなときほど、ひまがなかったときはなく、ひとりでいるときほど、ひとりでなかったことはない。」
暇にあっても公事を考え、孤独にあっても自分と語るを常とし、他人と語る必要性すら感じなかったとは。余人にとっては退屈病にさせ、怠惰とさせ、不安に陥れる孤独や暇を、哲人は喜んで招き入れる。それを義務とするかのように。哲学とは、叡智への熱愛に他ならないというわけか。真の自由人とは、孤独や暇を存分に謳歌できる人を言うのであろう。キケローは、こんな原理を要請してくる。
「道徳的に高貴なもののほかは、何ひとつとしてそれ自身のために求められるべきものはない。」
最高善は、しばしば有利さと背反するように見えるが、人類の普遍性において、けして矛盾しないという。富があり裕福であることに越したことはないが、それよりもはるかに優先すべきものがある。ただ凡人は、その優先順位を逆転させる。自然に順応して利益を得る者が、他人を害すようなことはすまい。道徳的な高貴さを備えた有利性を否定するならば、共同社会を否定するようなもの。ダーウィンの自然淘汰説は、なにも弱肉強食を正当化したものではあるまい。地上に豊富な生命を溢れさせ、共存するには、生命体が多様性に富む必要がある、というのが真意だと思う。ただ、その多様性も、普遍性においては価値観を共有する必要がある... などと言えば、凡庸な、いや凡庸未満の泥酔者には高貴過ぎる!
そもそも政治が、不自然な存在ということはないのか?実際、毒を以て毒を制すの原理でしか機能せず、有害物質の有機体のような存在ではないか。しかしながら、悪があるからこそ善が覚醒する。善と悪、道徳と不徳は、鶏が先か卵が先かの関係にある。相対的な認識能力しか発揮できない人間にとって、脂ぎった動機も、純粋な動機も必要なのであろう。それとも、不利益なこと、すなわち道徳的高貴に反することを、一度もやったことがない聖人のような人間が、過去に居たというのか?偉人たちは崇拝者によって神話化され、もはや最高善は空想の中にしか見当たらない。自分の悪に気づかないとすれば、罪も感じられない。ならば、善人だと思っている者ほどタチが悪いということはないのか?罪を自覚できる者の方が、はるかに自然の理法に適っているのでは...

2015-08-23

"友情について" キケロー 著

友情などという言葉に照れ臭さを感じるのは、魂が腐っている証であろう。「老年について」(前記事)の姉妹篇ということで、つい手を出してしまう...

人は、なにゆえに友情を欲するのか?寂しがり屋だからか?SNS の旺盛な社会では、友人を作ることも手軽となった。だがその分、たった一人の親友をつくる難しさを思い知る。小さな友情を集積すれば、エネルギー保存則では同じか。はたして自分の周りに、親友と呼べる者が一人として存在するだろうか?悪友と呼べる奴ならいるんだけど...
有識者たちは、友情の掟のようなものを唱える。自分とまったく同じ立場で考え、互いの思いは共有すべきだと。そして、苦しい時だけ分かち合うことを望み、都合よく頼りにし、それに応じなければ裏切り者呼ばわれ。そういう輩ほど、絶大なる信義と正義を持ち出し、平等対等の立場を強要する。友情の生贄を差し出せというのか。あるいは、自分にない才能の持ち主を友人にせよ、と勧める輩は実に多い。友人から見返りを求めよ!というのか。友情も愛情も似たようなもの、愛情劇が愛憎劇となるのに大して手間はかからない...
「友情は実益のためにあると言いなす連中は、最も愛すべき友情の絆を捨て去るもののように、わしには思える。友人によって得られる実益より、むしろ友人の愛そのものが嬉しいのだから。」

では、友情とはどのようなものか?キケローは、生きるに値する人生を問いかけながら、こんな掟を制定する。
「恥ずべき事は頼むべからず、よし頼まるとも行うべからず」
本書は、友情を育む人を、賢者とは別に「秀れた人」と表現している。そして、友情の資質に徳を持ち出し、徳こそが友情を結びつけ、保ち得るものとしている。徳には万物の協調があり、不動、安定の節義があると。
なるほど、善き友情を育むには、まずもって自分自身が善く生きよ!というわけか。賢者の類いであることは間違いなさそうだし、別段、賢者と呼んでも差し支えあるまい。友情が徳であるならば、実に多くのことを含んでいるはずだし、徳を知ろうとする自己愛は、啓発された自己愛でなければなるまい。結局、友情とは自分の人間性と向き合うこと... というわけか。だから、類は友を呼ぶということも自然に起こる。
「それなくしては友情もありえぬ徳というものを尊び、徳以外には友情に勝るものはないとまで考えよ、と君たちには勧めておく...」

1. 「友情について」
「老年について」では大カトーの聞き手であった若きガーイウス・ラエリウスが、今度は熟年の語り手となって登場する。キケローによると、人生を語るべき人物が大カトーだとすれば、友情を語るべき人物がラエリウスというわけだ。
場面は、無二の親友、小スキーピオー(スキピオ・アエミリアヌス)の死後、ラエリウス邸に二人の娘婿を招いて友情談義に浸る。二人とは、ガーイウス・ファンニウス・ストラボー(紀元前122年執政官)と、クイントゥス・ムーキウス・スカエウォラ(紀元前117年執政官)。キケローは、父親からスカエウォラに弟子入りさせられ、ラエリウスの噂話を耳にしたようである。つまり、自分の師が師と仰ぐ人物を語り手に据えた物語というわけである。その根本信念には「老年について」と同様、魂の不死を置く... 友人は死んでも友情は死なず!
「友に死なれた場合、大抵の人を苦しめることになるあの間違った観念から自由であるという慰藉がある。スキーピオーには何ら悪いことは起こらなかったと思う。起こったとすれば、わしに起こったのだ。但し、それを己の不幸として余りにひどく苦しむのは、友の身ならぬわが身を愛する者のすることだ。」

2. 友情の掟
友情には、絆の強制執行よりも、どこか遊び心がほしい。柔軟な豊かさとでも言おうか。似たもの同士であっても、何か違うものを持っているし、尊敬できる部分がある。思いを共有しなければならない息苦しさなんぞ、人間の多様性を否定しているようなもの。そして、友情に疲れ、愛情に疲れ、恨み、妬みを募らせていく。神の前で誓った二人ですら、法の調停を求めるではないか。本書は、第一の掟をこんな風に唱える。
「友人には立派なことを求むべし、友人のためには立派なことをすべし。頼まれるまで待つべからず、常に率先し、逡巡あるべからず。敢然と忠告を与えて怯むことなかれ。善き説得をなす友人の感化を友情における最高の価値とすべし。勧告にあたりてはその感化を率直に、かつ必要に応じて峻厳に用い、感化の及びたる時は従うべし。」
過度な友情は煩わしい。完全に心の許せるような人物に、これまで出会ってきたであろうか?親兄弟ですら鬱陶しいというのに。仲の良い友人ほど、うまく距離を保ちながら付き合ってきたような気がする。離反したくないという意識が、本能的に働いているのだろうか?
一方で、無条件で信頼しているところがある。互いの生き方に共感しているからであろう。友人の生き方が刺激となることは多々あり、どこか張り合っているところがある。自分をさらけ出せない世界で、どうして真の友情が育めよう。そして、酒を酌み交わしながら互いに醜態を晒し、いっそう心地よい存在となり、十年ぐらい顔を合わせていなくても身近な存在であり続ける...

3. 類は友を呼ぶ
「人間の本性ほど自分に似たものを強く求め、渇望するものはない。」
善き人に善き友人ができることは、自然の法則であるという。真の友人とは、第二の自己のようなものであろうか。真に学問を愛する者、真に真理を愛する者、真に人を愛する者は、見返りを求めたりはしないものらしい。ではなぜ、そんなものを求めるのか?真理とやらは、よほど心地よいものらしい。
しかしながら、大抵の人は自分にないものを持った人を求めるし、どうしても損得勘定が頭から離れない。学問をするにしても、報酬や役職を求めてやまない。あるいは、同じ苦悩を抱えているというだけで、仲間意識を持ちたくなるものである。財力、能力、権力を持ち、あらゆるものを手に入れながら、友情が手に入らないとは、なんと馬鹿げていることか。
友人を選ぶためには、互いに手探りをし、試さざるを得ない。だが、友情という言葉を崇め、美化するあまりに、判断よりも先に試す機会を潰していく。
ちなみに、カトーの言葉に、こんなものがあるそうな。
「ある人にとっては、優しそうな友人より辛辣な敵の方が役に立つ。敵はしばしば真実を語るが、友人は決して語らぬから。」
友情の在り方は多種多様な上に複雑で、疑いや立腹の原因はいくらでも転がっている。そして、多くの前兆があるにもかかわらず、目を背ける。「世辞は友を、真実は憎しみを生む。」とは、よく言ったものだ。友情が見えなくなるということは、自分自身が見えなくなるということか。恋は盲目と言うが、その類いであろうか...

2015-08-16

"老年について" キケロー 著

Cicero(キケロー)は、現代イタリア語では「Cicerone(チチェローネ)」となり、「観光案内人」という意味になるらしい。この雄弁家は、人生の案内人にでもなろうというのか。なるほど、ポジティブ老年論というわけか...
「人生の行程は定まっている。自然の道は一本で、しかも折り返しがない。そして人生の各部分にはそれぞれの時にふさわしい性質が与えられている。少年のひ弱さ、若者の覇気、早安定期にある者の重厚さ、老年期の円熟、いずれもその時に取り入れなければならない自然の恵みのようなものを持っている。」

キケローは問いかける... 生あるものは、いつか老いる。それは惨めなことであろうか?はたして老年は幸福を妨げるものであろうか?
幼年期に青年期を迎え入れるよりも、壮年期に老年期が忍び寄る方が、はるかに速く感じられる。長く生きるほど相対的に時間を短く感じさせるのか、あるいは、迫り来る死への焦燥感がそうさせるのか。やがて心配症を募らせ、僻みっぽくなり、頑固になり、嫌味の一つも口にしないと気が済まない。説教することがストレス解消の手段にされるとは。愚か者ほど己の欠点や咎を歳のせいにするものらしい。死への嫌悪が、人生を無駄に過ごした諦めがたい失望に対して比例するとしたら、それを老齢で悟るのは辛い。人生の目的は目的ある人生を生きることだ!と励ませばなおさらである。
「幸せな善き人生を送るための手だてを何ひとつ持たぬ者にとっては、一生はどこをとっても重いが、自分で自分の中から善きものを残らず探し出す人には、自然の掟がもたらすものは、一つとして災いと見えるわけがない。何よりも老年こそ、そういった種類のものなのだ。」

言葉で自己弁護をしなければならぬ惨めさは、なにも老年のものだけではあるまい。興奮と激情のうちに心を乱しやすいのは、むしろ若者の方である。奉仕と訓育の精神のうちに、整然と穏やかに語られる言葉にこそ諭す力がある。多くを学びながら老いていく、これを喜びと感じることができれば、これほど幸せなことはあるまい。熟成された美酒に価値を求めるように、老年だからこそ見出せる価値がある。いくら青年の体力を欲しても、青年時代に獅子や虎のごとく体力を欲したわけではあるまい。最初から体力には限界があり、行動範囲も限られていることを承知しているではないか。下を見ては慰め、上を見ては羨むだけのこと。人間はいつまでも餓鬼のままであり続け、何かを欲してやまない。飢えと渇きの中をさまようがごとく。
孔子は... 十五で学問を志し、三十で自立し、四十で迷わず、五十で天命を知り、六十で人の言葉を受け入れ、七十で思うがままに生きよ... と人生戦略を語った。人生とは、死ぬ瞬間をいかに生きるかの準備期間ということであろうか。
人が必要以上に心配症を募らせるのは、対象の正体が見えない時である。死という得たいの知れないものが確実に近づくと知れば、恐怖に慄き、慌てふためくのも自然な反応であろう。だからこそ、その準備を怠らないようにしたい。常に何かを知り、学ぼうとする意欲を持続させる、それは年齢に関係ない動機であろう。
「節度があり気むずかしさや不人情とは無縁の老人は耐えやすい老年を送るが、苛酷さと不人情は、どの世代にあっても煩わしいものなのだ。」

本物語は、古代ローマの政治家、大カトーことマルクス・ポルキウス・カトーが、文武に秀でた二人の若者小スキーピオー(スキピオ・アエミリアーヌス)とガーイウス・ラエリウスを自宅に招き、自ら到達した境地を語る対話篇。その議論は、老年が惨めだとされる四つの理由を列挙し、これを論駁する形で展開される。四つの理由とは、公の活動から遠ざけられること、肉体を衰弱させること、快楽を奪われること、そして、死に近づくこと。
今、流行りのごとく口にされる「高齢化社会」という言葉には、暗いイメージがつきまとう。老いると目や耳が衰え、思考や記憶が鈍り、生きることも難しくなる。しかし、老年が精神の成熟した姿であるとすれば、どうして社会的弱者と見なせようか。
ここには、ソクラテスの魂「善く生きる」が受け継がれる。では、善く生きるとはどういうことか?誰しも、老年の重荷を軽くしたいと願う。名声や肩書といった過去に縋って生きるとすれば、それは既得権益に縋るも同じこと。目指すものがなくなったと言うなら、それは人間を悟ったと自負しているようなもの。人類の目的が叡智を伝承することにあるとしたら、それに励みたい。魂の不死と永劫回帰を信じつつ。
... などと書いてはみたものの、泥酔者には叡智が何たるか?一向に見えてこない。いや、見えないからこそ心地良いのかもしれん。真理を悟ってしまえば、残りの人生は色褪せてしまうだろう。自然に服従し、自我に服従するしかないということか...

2015-08-09

"室町の王権" 今谷明 著

「室町時代は、天皇の権力を圧伏しようとする動きが極限に達した段階であるとともに、権力・権威をいったんは喪失した天皇が、新たな権威、つまり既成権力よりも高次の調停者としての地位を得て、不死鳥のように復活してくる時期でもあった。」
なぜ天皇家は存続し得たのか?それは千古の謎である。網野善彦氏は著書「無縁・公界・楽」の中で、民俗学や人類学の観点からこの難題を問うた(前記事)。伝統の力に対する精神的な後ろめたさのようなものを。今谷明氏は、政治権力や政体構造の正面からこれを問う。どちらが王道かと問えば、学術的にはこちらの方ということになろう。しかしながら、王道ってやつは、邪道と調和してこそ映える...

日本の歴史は、天皇を超える実力者を数多く輩出してきた。平清盛や源頼朝、あるいは北条氏、足利氏、徳川氏など。彼らは真の国王になろうと思えば、いつでもなれたはずだ。この手の議論では天皇神職説なるものをよく耳にする。民衆にとって、神のような存在であったことは確かであろう。だがそれは将軍とて同じで、やはり雲の上の人であったに違いない。では、天皇と将軍を区別するものとはなんであろうか...
西洋の歴史にも、類似の現象が見られる。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、いくら権力を振りかざしたところで、教皇グレゴリウス7世に破門だけは赦してくれ!とカノッサ城の門前で三昼夜泣きついた。フランス王フィリップ4世は、ローマ教皇をアヴィニョンに幽閉したものの、教皇制の根絶には至らなかった。
人間社会には、権力や武力だけでは征服できない何かがある。僭主的、専制的な政体が一時的に出現しては衰退し、最終的に世俗慣習として根付いてきた側が勝利してきた。人間ってやつは抑圧が激しいほど信仰心を強め、私欲的な圧政に対抗しては人間本性的な自由精神を覚醒させる。かつて天皇や将軍を超越し、信仰を超越し、人々の精神までも征服できた君公が一人として出現したであろうか。
社会秩序を構築するには、どこかで伝統の力や慣習の力に縋ることになる。政体や法律が完全な客観性で説明できるならば、過去に頼るまでもない。だが、人間社会が絶対的な価値観に達し得ない限り、過去と現在を比較しながら相対的な価値観を育んでいくしかあるまい。但し、人間の学習能力がどれほど当てになるかは知らん...

本書には挑戦的な副題が付せられる。「足利義満の王権簒奪計画」... この推理小説ばりの文句にイチコロよ。注目したいのは、天皇制の存続を官位や官職とセットで捉えている点である。つまり、律令体系を利用して取り巻き連中を格付けすることが、いかに首長の地位を安泰せしめたかということ。
古代中国では官位制度は王朝が交替する毎に改変されたそうだが、日本では8世紀に確立し、千年以上も連綿と続いてきた点で、世界に例をみない特殊な構造であるという。地方の有力者の中には、異常な執念を燃やし、官位獲得に大金を投じる者も数知れず。現在とて、あらゆる組織において肩書や名目上の権威を欲する風潮があるが、その意識の源がこのあたりにあるのかもしれない。
公家はもとより武家も、国司や守護など地方の実力者も、この体系に組み込まれていく。そして、武力集団の頭領に対しては、征夷大将軍という地位に押し込めた。下克上を掲げる戦国大名ですら勅命には逆らえない。実力者に世俗的な権力を認めつつも、叙任権や祭祀権といった信仰的な儀礼にまでは口を出させないという寸法よ。
しかしながら、こうした慣習に逆らおうとした実力者が、いなかったわけではない。本書は、足利義満が叙任権や祭祀権、すなわち精神の体系までも巧みに支配しようとしたことを物語ってくれる。最高権力者として相応しい待遇と儀礼を要求したことが、「義満の僭上」と言われる所以か。
義満の宗教観には、中国崇拝思想があったという。しかも、神祇、神道に否定的な観念の持ち主で、信仰心に乏しいとか。この中国かぶれは、中国皇帝の封禅の儀を強く意識し、陰陽道の下で盛大な祈禱体系を作り上げていく。封禅とは、皇帝が政治上の成功を泰山で天地に報告する国家の祭典で、秦の始皇帝に始まり、漢の武帝、後漢の光武、唐の高宗と玄宗、宋の真宗などが莫大な財源を投じて行った盛儀である。日本では、泰山府君祭がまさにそれか。
義満の派手好きは、金閣寺にも見て取れる。将軍はあくまでも世俗権しか持ち得ないので、これを超越するために、神道に疎い人物があえて出家する。外交政策においては、中国では律令体制における最高位が国王と見なされるため、天皇を超越する官位を模索する。実際、義満は明帝から「日本国王源道義」の封号を受けている。こうして国内外に既成事実をこしらえ、天皇と将軍を超越して真の国王になろうとしたというのである。
「天皇制度を、なんらかの意味で改変するには、外来思想を借りることが必要で、外来思想を拒否したとき、必然的に神国思想 → 天皇へともどるしかなかったのだと思われる。」

はたして、義満の野心が「王権簒奪計画」と呼べるほどのものであったのか?誰でも一度は、子供心のままに出世物語を夢見るものであろう。社長になりたい!大統領になりたい!といった類いである。ましてや、それが目の前にぶら下がっているとなれば...
結果的に、義満の急死によって野望は途絶え、天皇家はなおも存続することになる。義満が示したことは、国家として一つにまとめるためには、世俗権力だけでは不十分だということ。すなわち、社会の構成員に浸透した信仰や慣習をも取り込まなければならないということであろうか。
明治維新政府もまた、西欧列強国と対抗するために、幕府体制では国家は一つになれないことを熟知していた。封建社会の象徴天皇と民主社会の象徴天皇とでは、その意味も意義も大きく違うであろうが、いかなる宗派にも、いかなる党派にも属さないからこそ、高次の調停役になりうることに変わりはあるまい。にもかかわらず、現在ですら天皇家を政治利用しようとする動きは後を絶たない...

1. 治天の君
天皇が実際に政務を執らず、代行者を置くという例は枚挙にいとまがない。古くは推古天皇における聖徳太子の摂政など。それは、あくまでも例外的、臨時的措置であって、やはり親政が基本にある。
ところが10世紀頃、摂政や関白の方が定着し、天皇不執政という恒常的な慣習転換をもたらす。摂関政治の本質は、中国漢王朝にも見られる外戚政治にあるという。廷臣の最上層を構成する藤原北家が、女子を入内させて天皇の舅となって実権を握るという仕組みだ。とはいえ、恒常的な律令官僚と公卿の議定政治の枠組みは健在で、形式とはいえ天皇が百官に君臨していたことに変わりはない。
11世紀になると、律令的太政官制の原理を根本から覆す宮廷革命によって、本格的な院政が成立する。歴史の教科書あたりでは、白河上皇の退位1086年から平家滅亡の1185年頃までが院政と呼ばれるが、本書は、南北朝末期の後円融上皇が死去する1393年まで三百余年を指している。院政を布く上皇は「治天の君」と呼ばれ、白河上皇が譲位して幼帝の堀河天皇を後見し、「太上天皇」という形が定着したという。院政が天皇を上皇が操る傀儡政権であるならば、さらに武力で実権を握った幕府政治は傀儡の傀儡という形を帯びてくる。権力の二重構造に、影の二重構造。
平家一門が都落ちした時、平氏に擁立された安徳天皇は拉致され、神器とともに西海に沈んだが、治天の君である後白河上皇は京に居座り、神器抜きでも後鳥羽天皇を立て、王統の延命を図ることができた。本書は、天皇家が、治承、寿永の乱、すなわち源平合戦を生き抜いた要因に、この皇統の二重構造を挙げている。
院政の最大の利点は、責任の所在を曖昧にできることにある。失策や危機に際して、トカゲの尻尾きりで権力の延命を図るとは、まさに現在の企業組織や官僚組織で見られる構造だ。黒幕政治の好きなお国柄は、このあたりからきているのかは知らん...

2. 親政の失敗が意味するもの
しかし、いつも責任回避が成功したわけではない。天皇家あげて鎌倉幕府に対決した承久の乱は、未曾有の危機であったという。北条泰時は、治天の後鳥羽院以下、三人の上皇を島流しに処し、廟堂から反鎌倉派を一掃。だが、止めを刺すことはできなかった。北条氏は源氏ほどの威厳はなく、天皇家に取って代わるほどの統治能力もない。摂政、関白、大社寺など討幕計画に関与しなかった荘園領主や権門は依然として健在で、これらの勢力を天皇の尊厳なしで統治することは難しい。泰時は父義時と謀って、皇位の経験のない持明院宮守貞親王を治天に立て、その子、後堀河を擁立して王統の再建を図る。形式的に天皇を置いて、遠隔操作する方が現実的というわけだ。
鎌倉幕府は、鎌倉殿と全国の御家人との主従関係で成り立つ東国国家。その統治能力は、いかに御家人たちを支配するかにかかっている。巨大な外敵が現れれば、国家はいっそう団結が求められる。蒙古襲来で、いざ鎌倉!を発令。その外交処理では、モンゴルの使節に対して、外交の顔は天皇とする建前は崩さない。
だが、鎌倉幕府の打倒にも天皇は利用される。1321年、後醍醐天皇は院政を廃止して親政を取り戻し、1333年、建武の新政を樹立。後醍醐の構想は封建王政を目指したとも、中国宋朝型の皇帝専制支配を模範にしたとも言われるが、武家の支持を得られず、おまけに中央集権的官僚制を構築しようとして、公家や寺社などの既得権益を奪ったために離反され、短時日に崩壊。後醍醐の失敗は後を引き、天皇家の存続が許されるならば、象徴的な存在でもいいよ!という印象を強烈に与える。
足利家は再び院政を復活させ、持明院統の光厳上皇を治天に立て、その弟、光明天皇を即位させる。つまり、幕府の都合で北朝側の天皇を擁立した。だが、尊氏の弟直義派と、嫡男義詮派で対立し、それぞれ南朝と北朝の天皇を取り込もうとする。
1352年、南軍による三上皇と廃太子の拉致事件が起こる。北朝側の義詮の政治を困惑させようという狙い。後継者を失い、万策尽きた幕府は、後伏見上皇の女御、老女広義門院(西園寺寧子)を治天に立てた。つまり、皇家ではなく、しかも女性だ。老女院は光厳の実母でもあり、光厳の末子、弥仁を新帝に擁立する案を出す。弥仁は仏門に入っていたので、拉致を免れていたのである。老女院は、二度の要請を蹴っているという。幕府にとって天皇は、形式上、征夷大将軍を任命する存在に過ぎないが、いかに切羽詰まっていたかを物語っている。
こうして院政史上初めて、女性の治天の君が登場したわけだが、称徳天皇以来、六百年ぶりの女性国王誕生であるという。ちなみに、従来の院政研究では、広義門院を治天の歴代に数えないという。太上天皇の尊号も持たないのだとか。その段取りでは、神器を持ち去られていたことが問題となる。神器なき地位は正当性に欠け、北朝の権威を低下させたという。天皇に依存しない武家政権の樹立が、将来的な課題として明確になったとも言えよう...

3. 天皇家最後の国王 vs. 将軍家最初の国王
源氏の鎌倉幕府は御家人の支配を重視し、王朝に対しては不干渉路線をとったという。対して、北条氏の鎌倉幕府は皇位継承に介入しているようだ。さらに室町幕府は、しばしば王朝の裁判にも介入しているとか。上皇の裁判機関「院の評定制」は、14世紀後半にはほぼ廃絶し、わずかに「勅問制」によって寺社僧官の人事などが細々と決定されたという。この時代には、治天の君は世俗の裁判権をほぼ喪失しているようだ。朝廷の諸機関がほどんと形骸化する中、検非違使庁だけが南北朝末まで京都の警察権を保持していたぐらいだとか。
朝廷の権限を接収する人物として、将軍足利義満と管領斯波義将が重要な役を演じる。後円融天皇が践祚したのは14歳の幼年で、義満も同年。この頃、幕府は管領細川頼之が動かしていた。頼之は、公家や寺社の荘園を保護する半済令を発布するなど、対公家協調路線をとり、公武関係は比較的安定していたという。
だが、寺社勢力に妥協するあまり、禅宗などの新興教団に犠牲を強い、五山に気脈を通じた斯波義将ら強行派と衝突。1379年、頼之は康暦の政変で失脚する。この事件で斯波義将が管領となり、後円融と義満も成人に達し、公武関係は融和路線から一気に緊迫した時代を迎える。
1382年、後小松天皇が践祚し、後円融が治天となって院政を布く。征夷大将軍足利義満は、左大臣に昇進。祖父尊氏、父義詮はともに大納言まで昇ったものの、義満はそれ以上の実質的な称号を求めたという。
ところで、義満と後円融には、意外にも血縁関係があるそうな。ともに母親が姉妹であり、紛れもなく従兄弟。幼い頃から同族意識があり、天皇家に対する劣等感やコンプレックスといったものがない。宮中万般の作法を習い、宮中の最有力者たちが義満に肩入れすれば、廷臣たちも追従する。義満が美しい妻女を所望しては側室に容れる、というのは有名な話である。公卿中山親雅の妻加賀局、義満の弟満詮の妻誠子、日野資康の妻池尻殿らはみな、義満に差し出された妾だそうな。差し出す側も栄達を得るためで、妻を取られたという惨めさは微塵もないのだとか。消極的ながら反抗する者もいたらしいが、地位を略奪されるとなれば、まさに恐怖政治!持明院基明のように出家遁世を余儀なくされ、没落した者は数知れず。義満のやり口は、公家の建前を大切にしながらも、巧妙に内々で処理する政略家だったという。幕府から奏聞があれば、よほどの事情がない限り治天の側で承諾するのが、慣例になっていたとか。
しかし、後小松天皇の践祚に際して、後円融は突っぱねた。結局、摂政二条良基と将軍義満の協議によって、上皇の勅許なきまま即位の段取りが決められるのだが...
そして、後円融はスキャンダル沙汰に晒される。「後愚昧記」の著者三条公忠の娘三条厳子は、後円融の上臈局で後小松の生母。彼女が出産のため三条家に里帰りし、無事出産を終えて内裏に出仕した時、後円融はなにを逆上したか?厳子を峰打ちし、大怪我を負わせたという。これが流言となり、上皇は御没落されたという噂が広まったとか。
今度は、上皇の妾按察局(あぜちのつぼね)が出家したという事件。按察局が義満に密通していると告げた人物がいるらしい。これに激怒した後円融が内裏を追い払ったというが、真偽は不明だそうな。そうすると、三条厳子も義満と密通していたために逆上したのか?などと疑いたくもなる。
女性たちの義満との密通は、後円融の被害妄想だったのか?義満に女を寝取られた惨めな上皇というイメージを世間に与える。側近が将軍が上皇の配流を考えているなどと進言すれば、自殺してやる!と喚き立てる。これが自殺未遂として噂が広まるという前代未聞の珍事まで起こったという。ますます権威を失墜させ、上皇は孤立していく。こうした逆上事件は、豊臣秀次を切腹に追い込んだ事件に重なって映る。情緒不安定な上皇を精神的に揺さぶり、とうとう後円融は義満と対決する気力を失い、沈黙したという。だがこの時点では、まだ天皇家の格式は据え置きしたまま。いくら上皇の権威が失墜したとはいえ、権力だけでは宗教的な権威までも奪うことはできないという課題をつきつける...

4. 叙任権と祭祀権の簒奪
後円融の死後、最大の公家人事は、南朝の後亀山院に対する太上天皇の尊号宣下であったという。幕府にとって南朝は「不登極帝」、すなわち皇位に就いていないダダの人。この宣下は、義満の内意によって行われたとか。
官位や官職は慣例により公家が独占してきた。武家がそこに割り込むには、賄賂のような姑息な手段を要する。既に義満政権は、官位、官職の人事権を掌握していたようである。義満は、寺社官の裁判権(安堵権)をも後円融から受け継ぎ、僧侶や神官の形式的な任命権の領域にも踏み込んでいるという。
地方寺社の僧官、神官の人事権の一部が早々武家に帰した理由は、既に鎌倉時代にあるらしい。1232年の御成敗式目には、関東御分国、すなわち鎌倉幕府直轄の知行国、関八州と九州の一部に限り、御家人武士らに「神社の祭祀」、「仏事の勤行」を義務付け、東国では地方祭祀権が早くに幕府に握られていたという。さらに、追加法で守護大名に仏神事興行を命じるようになり、「管国内寺社」に関する権限が付与されたとか。流鏑馬などは武士の行事に映るが、祭礼と結びつけて主催されたようである。
そして、足利家による顕密寺院の門跡独占は、義満の死後、子の義持の執政期に至って、ほぼ目的を達したという。足利家は黄金時代である義持の代で、五山と北嶺、東密などの有力寺社を配下に組み入れたが、摂家入室を鉄則とする南郡の興福寺だけは、室町時代を通じてついに武家の入室を拒み続けたという。
また、祭祀の実行ですら武家に介入されたにもかかわらず、依然として律令祭祀の大宗は維持されている。天皇家もまた、祈禱の儀式によって鎮護国家の一部をなしている。律令祭祀を上回る武家の祭祀、あるいは国王の祭祀というべき新たな宗教的権威を、いかに構築するか?
当時の国家的祈禱には、朝敵や謀反人の追討、天下静謐、地震や彗星などの天変地妖を祓う修法があるという。修法は宗派によって異なるが、代表的なものには台密や東密で重視される「五壇法」がある。台密とは天台宗に伝わる密教で、東密とは真言宗に伝わる密教のこと。秘密に教えられる高貴な段階というものがあるのか、悟った者にしか教えられない境地というものがあるのかは知らん。
この崇められる祈禱の領域に踏み入ることこそ、義満の目指すところであろうか。そして、征夷大将軍という俗界の官位を捨てて出家しなければ、最高権威である祈禱権を得ることはできないということか。義満は太政大臣に昇ると、将軍位を子の義持に譲るが、実権は手放さず院政を敷き、西園寺氏の山荘を接収し、壮麗な北山第を造営したという。金閣寺の名で親しまれている鹿苑寺である。今日、金閣寺を義満の山荘跡と呼ぶのはまったくの誤りで、山荘どころか国家の中心的な政庁、宮殿であったという。そして、叙任権と同様、祈禱という名の祭祀権を治天から継承したことは、公武を超越した国王の祈祷という位置づけであったと指摘している。
義満の真骨頂は、あからさまに命令せず、伝奏や側近に自発的に提案させるように仕向けることだという。権力をふりかざして脅すのでは、それこそ暴君であり、むしろ権威は半減する。その典型例として、相国寺大塔供養におけるものを紹介してくれる。義満一代のうちで、最大規模の儀式であったという。
応永元年(1394年)、火災で相国寺が全焼し、応永6年に七重大塔の供養が行われた。供養式は、亡父義詮の三十三回忌と、義満自身42歳の重厄祈禱を兼ねていたという。相国寺は京都五山の寺格。異例だったのは、五山禅宗の建立にもかかわらず、供養の呪願師は仁和寺永助法親王、導師は青蓮院尊道入道親王と、顕密の最高僧侶を招いたことだという。つまり、宗派を超えた国家レベルの大セレモニーというわけだ。人々を驚かせたのは、義満の行列が出立にあたり、永助、尊道の両法親王が扈従を申し出たことで、さすがに義満も辞退したらしいが、この辞退の効力が抜群だったとか...

5. 勘合貿易(日明貿易)と権威工作
いくら明帝から国王の封号を受けたところで、明帝がどんなものか、一般社会にはあまり認知されていない。義満は、建文帝の返詔を安置した机の前で焼香を行ない、三礼した後、跪いて返詔を拝見するというパフォーマンスを見せたという。そして、自ら明帝に「臣」を表明する。天皇にも見せない儀礼を見せれば、民衆にも重みが伝わるであろうか。外交的には、明帝に足利家の家督を日本国王と認めさせたことで、自動的に朝鮮でも認められ、日朝間の外交ルートが成立したという。勘合貿易の成立が、義満に貨幣発行権をもたらしたという見方もできそうか。
平安末期以来、宋、元、明の中国銭を貨幣としてきたのは、中国貨幣が国際通貨として東アジアで卓越していたことを物語る。だが、民衆はそんなことに無頓着だ。ましてや、この時代に海外と直接交流のある商人も限られているだろう。はたして義満の権威工作が、民衆にどこまで浸透していたのか?もっとも権力者に民衆感覚なんぞ関係なかろうが...

6. 百王説
義満は、「百王の墜緒」について尋ねてまわったという説があるそうな。その意味は、古事記にある。文字通り解釈すれば、王が百代で滅亡するということだが、百年安泰や千年王国という言い方をするので、むしろ長く続くという意味が込められている。
しかし、義満の問うたのは、古事記ではなく、野馬台詩にある「百王流畢竭」の方だという。「百王の流畢(おわ)り竭(つ)き...」とは、ある種の終末論か。
天皇歴代の数え方は種々あり、鎌倉初期の僧侶、慈円の「愚管抄」にはこう記されるという。
「神の御代は知らず、人代となりて神武天皇の御後、百王と聞ゆる。既に残り少なく、八十四代にも成りにける中に...」
八十四代を順徳天皇にあてると、後円融天皇が百代になるのか?だが南朝が絡むとややこしく、後小松天皇が百代になるのか?いずれにせよ、義満が卑俗的な説を求めたのは、百王の後を受け継いだ充足感か?英雄伝を確実なものにしたかったのか?あるいは、王権簒奪の正当性に自信が持てなかったとしたら、義満といえども後ろめたさのようなものがあったのか?野馬台詩は梁の宝誌の作とされ、これまた中国思想に救いを求めている点では、義満の思想観念は一貫しているようだ...

7. 三代目の宿命と象徴天皇の宿命
お家は三代目の力量でその後の運命が決まると、よく言われる。企業組織などでも。二代目は、創業者の権威がまだ残っているので、素直に従属するタイプが相応しいとされる。だが、三代目ともなると安定期に入り、体制が真に確立されるかが問われ、トップが遊びホケて潰すといった例は多い。本書は、義満を典型的な三代目と評している。だが、遊びホケる方ではなく、祖父尊氏に似ても似つかぬ野望の持ち主であると。
ただ義満の死後、数奇な運命に弄ばれた子弟が多いのは、陰謀の反動か?三代目の直系が呪われているのか?次男義嗣は、還俗して親王に擬せられたが、権大納言となった後、上杉禅秀の乱に連座して死刑。三男義教は、長男義持の死後、クジで将軍となり、嘉吉の乱で暗殺。義昭(義満の子息の方)は、還俗して後南朝に擁されたが、義教に叛し、日向で死刑...
ここで興味深いのは、鳴かぬホトトギスの句で喩えられる三人の中で、最も温厚な性格とされる家康が、極めて義満路線に近いと指摘している点である。比叡山を焼き討ちにした信長ですら、本願寺との和睦で天皇に仲介を求めた。ただ、権威を利用するだけ利用するという方針だったのかもしれんが。
信長、秀吉、家康は、ともに一向一揆に悩まされてきたが、ここにも天皇家が関与しているらしい。家康と石田三成が争った関ヶ原の戦いでも、和平調停を試みているとか。さらに、秀頼を大坂城で包囲した冬の陣でも、家康の老体を案じた文面を示しながらも、強硬な和平勧告を与えたという。
こうした騒乱は、公家から見れば武家の内輪揉めに過ぎない。それでもなお平和を望んだとすれば、まさに王者の権威ということになりそうだが、はたしてどうだったのか?
江戸幕府は、天皇の調停役を抑えこむために腐心する。禁中並公家諸法度の交付、紫衣事件など次々に管理強化を打ち出し、天皇が一切の政治的行為ができないよう目論む。フランス王が教皇をアヴィニョンに幽閉したように、徳川家もまた天皇を土御門内裏に幽閉したというわけか。いわゆる「陽尊陰抑主義」を打ち出し、表向きは天皇家を尊びながら、実際には厳しい規制を加え抑圧したということらしい。
さらに、その意志を最も強く受け継いだのが、これまた三代目の家光だったという。
「外来思想を排除排撃する場合、当時の日本が、神国思想を対置するしか方法がないとすれば、秀吉のキリシタン禁制を復活させた徳川家光の場合も同様であろう。」
しかしながら、徳川家をもってしても、天皇家を潰すには至らなかった。天皇は、幕府だけでなく公家や寺社など荘園領主を含めて、すべての上に君臨する象徴的な権威で、この建前は長い時間をかえて尊厳にまで昇華させてきたようである。その存在感は国王というより、むしろ権門相互間における統合的な調整役という色彩が強いようである。となれば、武力だけで天子様を滅ぼすには、後ろめたさのようなものがあるのかもしれん。やはり気分の問題であろうか...

2015-08-02

"無縁・公界・楽" 網野善彦 著

無縁(むえん)、公界(くがい)、楽(らく)とは、およそ結びつきそうにない概念であるが、本書は、こいつらを思想観念において見事に抽象化して見せる。いずれも仏教用語であることは想像に難くないが、もっと人間根源的なものがありそうである。
「無縁の原理は、未開、文明を問わず、世界の諸民族のすべてに共通して存在し、作用しつづけてきた、と私は考える。その意味で、これは人間の本質に深く関連しており、この原理そのものの現象形態、作用の仕方の変遷を辿ることによって、これまでいわれてきた世界史の基本法則とは、異なる次元で、人類史、世界史の基本法則をとらえることが可能となる。」

歴史学者網野善彦氏は、教鞭をとっていた頃、学生諸君の二つの質問に悩まされてきたことを懐かしそうに語ってくれる。一つは、いつ滅んでもおかしくないほど衰弱した天皇家が存続できたのはなぜか?二つは、平安末期から鎌倉という時代にのみ、優れた宗教家を輩出したのはなぜか?この二つの問いを考え続けた結果の一部を、一つの試論としてまとめたのが本書だという。だからといって、明快な答えが得られると期待してはいけない。どちらも素朴な疑問でありながら、誰一人として完全な解答を提示できない難題であろうから...
歴史研究では、政治の力関係や権力の側から分析するのが、ありふれた考え方としてあるようだ。どんな学問でも、華々しく目立つ側を追いかけたがるものである。本書は、あえて歴史の裏舞台、すなわち風俗や奴婢下人の側から考察を試みている。百姓という用語を一つとっても、一般的に農民と同一視されるが、実に多様な生活様式が存在したことを物語ってくれる。こうしたマイナーな視点を与えてくれる書は貴重であろうし、王道よりも邪道を行くアル中ハイマーにとって刺激的だ。
「実際、こうした非農業民の中で、最も数多く、農業民に十分比肩しうるだけの役割を日本の歴史の中で果したことの間違いない海民(漁民、塩業民、水上運輸に携わった人々、等々)について、現在、専門的に研究している狭義の歴史家が何人いるのか。五指にも満たない、と私は考えているが、農業民専門の歴史家の数と、この数ほどのひらきが、現実の農業民と海民との間に果たしてあるのだろうか。だれしも否ということは間違いない。にも拘らず、これが現実なのである。有主、有縁の世界と、無主、無縁の世界についても全く同様の関係がある。」
注目したいのは、江戸時代に流行った縁切寺、平安末期から戦国期にかけて出現した市(いち)、あるいは遍歴する職人や芸能民たちの慣習を、無縁という共通精神において説明してくれることである。さらに、古代西洋の聖域アジールと結びつけている点も見逃せない。こうした社会現象の共通した動機には、権力や所有の支配、あるいは主従関係から逃れようとしてきた人々の叫びがある。その根源を自由思想と未開人に求めるあたりは、古来、哲学者が口にしてきた人間の自然状態とも言うべきものを彷彿させる...

ところで、現世に絶望してもなお生きる道があるとすれば、それはどこにあろうか。真のアウトローの進むべき道、俗権力の及ばない冥府魔道、人生の目指すべき普遍の真理... こうした修行の旅路が「無縁」の原理として働き、人間としての尊厳を保ちうる。だが、縁切寺に駆け込んだところで、同じ境遇にある者たちの社会が待っており、集団生活のあるところに逃れられない掟が居座ってやがる。結局、公共の場、すなわち「公界」から逃れることはできないではないか。アリストテレスは言った... 人間は本性上ポリス的な人間である、と...
ならば、真の自由はどこにあるというのか。誰も手出しできないアンタッチャブルな聖域はいったいどこに。もはや、孤独と集団性の双方を凌駕するしかない。孔子は言った... 吾れ十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順がう、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず、と...
聖人として完成することができれば、そこに聖なる喜び、すなわち「楽」があるとでも言うのか。そんな超人的な姿を、自分自身に描くことは到底無理な話よ。人生の旅路がニーチェの永劫回帰ごときものであるとすれば、微分学の原理に支配されていると言わざるを得ない。つまり、永遠に近づこうとすることは、永遠に到達できないことを意味する、と...
宗教と哲学は似ても似つかぬものだが、思考の発祥(発症)を辿ると同じに見えてくる。まず、どちらもどこか狂ってやがる。一方は救済を求め、一方は真理を求め、どちらも心地良いときた。違いは、見返りを求めるか求めないかであろうか。いや、人間ってやつは、ちっぽけな努力ですら報われようとするではないか。真理を探求する旅にしても、知性を求め、自己の居場所を求めているに過ぎない。無条件に信じられるかどうかなんて違いも、好みの問題でしかないのでは...
それでも一つ言えることは、根拠のない思想を押し付けられる行為が、いかに苦痛であるか!精神活動が受動的か能動的かの違いは大きい。精神の持ち主は誰しも、どこかに心の隙間を抱えており、幸福の押し売りはそこに入り込むので、自分が不幸だと思っている人ほど洗脳されやすい。いや、不幸を他のせいにしている人ほど。
いずれにせよ人間は信仰の対象を必要とするであろう。これからもずっと。心の拠り所となる何かを。世間では、信頼や信用などと呼ばれるやつか。そして、見返りを求めることから自己を解放しなければ、俗欲に幽閉され続けるであろう...

1. エンガチョと無縁の原理
エンガチョとは、方言かと思ったら、日本全国で見られる民俗風習だそうな。「エン」とは縁のことで、それは縁切りの呪い。両手の親指と人差指で鎖の輪をつくり、誰かに、縁切った!と言って鎖をきってもらうと、エンガチョから解放される。このガキの遊びに、穢れの感染を防ぐための特別な仕草が仕組まれている。生活に余裕が出てくると、除け者や嫌われ者といった意地悪な気持ちが混入し、子供心に深刻な影響を与えることもある。
一方で、仲間はずれの存在が魔力を持つと、これを反発心に変えて逞しく生きることを学び、自立という聖なる力を与える。鬼ごっごにも、社会組織を相手取った反発心を育む機構が組み込まれている。鬼をなすりつけるとは、まさに責任転嫁の原理!子供たちは、既に自由精神がなんであるかを本能的に察知し、それを社会に組み込む術を会得しているようだ。大人の方が子供から学ぶことが多いのも道理である。大人とは、脂ぎった知識を詰め込み過ぎて人間の本性を見失った姿とでもしておこうか。
自由精神は、無縁の原理と相性がよく、独立心を育み、自立、自律、自給自足を目指し、自力救済の精神を働かせる。それが個人レベルか、集団レベルかは別にして。
「自由と平和は、あくまでも原始以来のそれであり、その実体は時代とともに衰弱し、真の意味で自覚された自由と平和と平等の思想を自らの胎内から生み落とすとともに滅びていく。だからこそ、世俗の世界から、この自由と平和の世界に入ることはできても、その逆の道を戻ることは次第に困難、かつときには絶望的と思えるほどになっていくのである。」

2. 縁切寺と自由精神
江戸時代、女性には離婚権がなく、三行半の離縁状を書くのは夫の権利であった。とはいえ、事実上の離婚という形はあったようである。例えば、夫が妻の同意を得ずに質入れするとかで、妻が呆れて親元に帰って、そのまま数年放置すると、妻の離婚の意志は認められたようである。実家に帰らせてもらいます!とは、その名残であろうか。縁切寺への駆け込みもその一つで、積極的で最も有効な手段だったという。役人や主人などの第三者から、三行半を書くように説得されたりと。現在でも、ドメスティックバイオレンスの類いで、駆込寺のような場所を必要とする。三行半とは、女性がつきつけるものというイメージがあるが、やはり愛想をつかすのは女性の方であろうか...
さて、鎌倉松ヶ岡の東慶寺と、上野徳川の満徳寺が、縁切寺であったことは広く知られているそうな。離婚を望む女性が、草履や櫛など身につけたものを門内に投げ入れると、追手は手出しできなくなるという寺法に支えられていたという。東慶寺は尼寺で、比丘尼として三年間奉公すると、縁切りの効果が得られるというもの。将軍吉宗が公事方御定書を制定する以前、東慶寺や満徳寺だけでなく、かなりの尼寺が、こうした機能をもっていたと推定している学者もいるらしい。政治権力や法律では制圧できない人間の精神領域、すなわち救済の道というものが自然に出現するとは、人間社会には計り知れない柔軟な機能が具わっている、と言わねばなるまい。アングラ社会もまたその受け皿としての機能がある。抑圧には必ず反抗心が生じる。どこかに救世主が現れ、アジールのような避難場所を提供する。
実際、どんなに迫害を受けても、キリスト教もユダヤ教も生き長らえた。どんなに強力な権力者であっても、人間社会から自由精神を根絶することは不可能であったばかりか、むしろ専制権力の方が自由精神によって打倒されてきた。権力の及ばない社会が事実上存在することに、幕府も不愉快であったに違いない。しかし、完全に消し去ることができないとすれば、公認して監視下に置く方が支配しやすい。慈悲深い将軍様という評判を得ることもできよう。公認とは特権であり、そこに大名たちが癒着することも大いに考えられる。
実際、幕府の制度も緩和され、東慶寺の機能を認める方向へ転換していったようである。東慶寺も満徳寺も、徳川氏の手厚い保護を受け、どちらも由緒ある寺として知られる。慣習力の強さが、政治制度に事実上の柔軟性を持たせることはあるだろう。社会の補助機関として機能した事例には、寺子屋という教育施設もある。いずれも政治権力とは無関係に自発的に生じた成果だ。親は無くとも子は育つと言うが、政治は無くとも社会は育つということか...

3. 宗教法人と無縁所
禅昌寺は、防長五山の一つに数えられ、法幢山禅昌護国禅寺と言われる寺格の高い寺だそうな。加賀大乗寺の明峰和尚の法系を継ぐ慶屋定紹(けいおくじょうしょう)が開山し、慶屋を崇敬する守護大内義弘は荘園を寄進しようとしたが、慶屋はこれを辞退したという。田畑を持たず、ただ国中を遍歴し、托鉢、乞食を行いたいとの願いを、大内義弘は快く認めたという。以来、この寺は開山の教えを守り、田畑を持たず、寺僧たちが夏と秋の年二回、托鉢によって経済を支えるようになったとか。その後、意志を継いだ毛利元就が、その特権を保証する。ここにも、田畑の寄進を俗権力から受けない無縁の原理が働いている。
一方、若狭の正昭院が、鋳造師、猿楽、山伏などの職人や芸能民から零細な田畑の寄進を受けていることと相通じるとしている。托鉢僧もある種の芸能民で、職人や芸能とは切り離せない関係にあるという。中世、遍歴する職人の中に、関渡津泊(かんとしんぱく)の自由通行を認められ、津料などの交通免除の特権を与えられた人々が多く見出されるとか。要するに関所を自由に通れる特権の保証である。禅昌寺の托鉢僧だけでなく、その荷物までも通行の自由が保証されるとなれば、禅昌寺は俗世間から隔離された無縁所となる。
銭も米も、無縁所に駆け込めば税が免除されるとは、これいかに?寄進された田畑もまた無縁の土地となり、もちろんこの土地の売却益も無縁となり、買った者もうまいことやれば無縁所として引き継ぐことができ、誰からも干渉を受けない土地があちこちに出現する。子孫が土地を受け継ぎ、世襲的に権力の及ばない聖域、まさにアンタッチャブル!身も心も金も土地も洗浄されるってか?
現在でも宗教法人は課税対象にならない収入で賄われ、政治団体への寄付も同一視される。マネーロンダリングも、市場を通じて政治権力の及ばない無縁所を経由するとすれば、同じ原理か。なるほど、権力者は無縁所を禁止するよりも、利用する方がはるかに得というわけか。他の寺がたとえ無縁所であったという証拠がなくても、寺法が明示されていなくても、暗黙的にそうなる可能性はある。むしろ、無縁所や寺法を明確に規定せず、証拠を残さないようにするだろう。
また、弱者の弱みにつけこんで集金力を発揮するだけに、これが金融屋へ変貌する可能性がある。徳政令は、宗教屋がやる高利貸の擁護という見方もできるかもしれない。おまけに、所有が完全に保証され、徳政令も及ばないときた。宗教心に目覚めた偉大な坊主が数えるほどしか出現しない一方で、宗教心に憑かれて俗欲を増幅させる坊主は数知れず。坊主丸儲けの仕組みは、無縁という無限の縁深いところから発しているのかもしれん...

4. 歓進聖の意義と天皇家の存続
阿弥陀寺の清玉は、東大寺大仏殿を再興すべく歓進上人となった。三好三人衆が立て篭もると、松永久秀が東大寺を焼き討ち。その再興のために諸国の助縁を歓進する活動を始め、松永久秀も三好長逸も援助を約束した。この事業の援助には、毛利元就、武田信玄、徳川家康、そして、織田信長ですら名を連ねているという。歓進が聖なる活動であるがゆえに、大名間の遺恨関係をも無縁にできたということはあるかもしれない。とはいえ、歓進聖の特権を与えられたのは優れた坊主だけではあるまい。無縁の特権を持って遍歴する坊主には、裏社会との結びつきが臭う。
ところで、ここには天皇家と無縁の関係に通ずるものを感じる。本書には提示されないが... 平氏や源氏が武家の頭領とはいえ、血筋を辿れば公家に行き着く。武家が軍事行動をする度に天皇の勅命を欲するというのは、気分の問題もあろう。南北朝時代、足利家は後醍醐天皇を吉野(南朝)に追いやって、京(北朝)に光明天皇を擁立した。民衆を支配するのに天皇の威厳が必要とは思えないが、長い時間をかけて育まれてきた伝統の権威を滅ぼしたとあっては、後ろめたさがあるのか。天皇家と将軍家の違いには、権力者にとって精神的に計り知れない重みがあるようだ。伝統の力が正当性を与えるとすれば、慣習力、恐るべし!
ちなみに、比叡山を平然と焼き討ちにした信長が、もう少し長生きしていたらどうなっていたか?などと疑問を持った時、本能寺の変の黒幕は誰か?という陰謀説が未だに燻る。
それはさておき、現在ですら、皇室の人々を「様」付けで呼ぶ風潮がある。せめて、「さん」づけぐらいにして、気楽にさせてやってはどうかと思うが、当人たちはどう思っているのだろうか?もう少し自由に発言する場を与える方が、民主主義時代の天皇として意義があるように思える。永田町が政治利用しようと待ち構えている猛者たちの溜まり場であることは否めない。ならば、住まいを京へ戻すとか...

5. 自由都市と排他原理
中世には、惣(そう)と呼ばれる自治体や共同体が、点在したようである。本書は、この組織の基本構成を「老若 = 公界」という法則で語っている。昔々、長老が集団の掟や知恵袋として機能した。学ぶ機会が平等でない時代、長く生き、多くを経験した者の意見が重宝される。ここには、老者と若衆で組織される意思統一された組織があったことを物語っている。年功序列ではあるにしても。
意外にも、中世の自治組織には、世襲や血縁の贔屓などとの結びつきの弱い事例が、いくつもあるようだ。多数決の制度は無縁の原理に支えられていたという。民主主義の原理は、血縁や地元出身などで支持するような組織では機能しない。ましてや利益供与など。その意味で、真の自治体であったということらしい。
例えば、南伊勢の大湊は、南北朝時代には東国への海上交通の発着地として知られた要津で、戦国時代には会合衆によって運営された自治都市であったという。しかも、公界であったという見方をしている。役人が、すべての地域に目を行き届かせるのは不可能であろうから、特に僻地ではある程度の自治は認められよう。それでも、大湊が本格的な自治都市があったことは興味深い。
自由都市が経済の拠点になりやすいのも確かで、商人の町といえば堺である。宣教師ガスパル・ヴィレラは、本国に「耶蘇会士日本通信」という書簡を送っているという。キリスト教徒にとって堺の町より安全な場所はないと、特別な思いを報告しているとか。ルイス・フロイスは、東洋のベニスと呼んだ。この町が自由と平等を保ち得たのは、会合衆の富力、三好家、松永家など大名間の分裂抗争を利用した政略による。世渡り上手といえば、そうかもしれないが、本書は、その根底に公界、無縁の原理があると指摘している。もっというなら、自由精神の底力である。当初、信長にも屈しなかった町が、結局、秀吉、家康に屈して、彼らの庇護の下で、自由と平和を保つことになる。
だが、自由精神までも放棄したわけではあるまい。権力側もある程度の自治を容認し、互いに妥協を受け入れたと見るべきであろう。博多もまた秀吉の庇護の下で自由都市として生き長らえた。信長のように楽市楽座の特権を与えて、経済力を後ろ盾にした勢力拡大は、まさに自由の力を利用した政略である。
しかしながら、一旦、全国統一の目処が立つと、支配権力は反対方向に舵を切る。そして、堺の精神を代表する千利休は、秀吉によって死を与えられた。専制権力は、自由と平等を利用して民衆を飼いならし、不動の権力となった途端に支配欲の本性を剥き出しにする。現在とて、経済政策をうまくやって支持率を不動のものとすれば、すぐに本性をむき出しにする。鎖国政策を用いた徳川幕府ですら、長崎に特別な自治権を与えた。キリシタン迫害に幻滅し、長崎へ向かった人も少なくない。
ところで、自由精神から育まれた共同体といえども、やはり排他原理が働く。縄張り意識ってやつだ。組織の運営哲学が共有できなければ、自由や平等の精神が却って秩序を乱す。現在でも、うまく機能しているプロジェクトチームは、価値観や哲学を共有しながら、仲間内に合言葉が生まれるといった現象を見かける。優れた集団に属しているという自負心が、ある種の排他原理を働かせるのである。それは、イジメなどという劣悪な意思とは真逆な発想で、単に仲間が欲しいという思惑で無理やり集まった結果でもない。
キリスト教的な秘密主義にしても、俗界と距離を置く場所を提供しながら、そこに真の自由の場を求めたはず。ジェームズ・ヒルトンが記したシャングリ・ラのように、森鴎外が記した寒山拾得のように、俗人の目には晒してはならない神聖な領域が、自由都市には必要なのかもしれん...