2024-07-14

"Visualizing Data - Processing による情報視覚化手法" Ben Fry 著

グラフィック用のプログラミング言語 "Processing" ってやつが、ずっと気になっていた。データをビジュアルに表現するのに、Ruby や Python、あるいは JavaScript や Gnuplot そして画像フォーマットなどを駆使し、ちと行き詰まり感が漂う今日このごろ。Graphviz もかじったりと... 本書でも触れられ、ちとうれしい!

本書は、Processing の言語入門書といったところ。当初、この言語は芸術家やデザイナ向けの Java 拡張として開発されたそうな。今では、本格的なデザインツールならびにプロトタイピングツールとして利用されているとか。
Java ベースというのは個人的にはちと抵抗のあるところだが、RubyGems にも rubysketch ってやつがあって、"A game engine based on the Processing API." とある。
尚、増井俊之監訳, 加藤慶彦訳版(オライリー・ジャパン)を手に取る。

大勢で大量のデータと向かい合う情報過多の時代、データ収集の方法は思いっきり進んでも、それを分析し、それを利用するとなると遅れをとる。いくらデータを集めたところで満足のいく答えが得られるわけもなく、むしろ弊害に。単に集めただけのデータは漏洩した途端に悪用され、これほどタチの悪いものはない。
本書は、まずデータの理解に目を向け、そこに至る七つのプロセスを提示する。収集、解析、フィルタリング、マイニング、表現、精緻化、インタラクションと...

「優れた問いを発することは、データを理解する上で最も重要なスキルの一つです。... もちろん、問いを過度に狭く定義することはやめて柔軟に利用できるようにしたいデータセットもあるでしょう。ただしその場合でも、重要な発見を強調することに目標を置くべきです。」

本書は、地理情報、時系列データ、散布図、ツリー構造や階層構造といったものを事例に、具体的なコードを紹介してくれる。全般的に対話的手法が掲載され、興味を引くところでは、map() などのメソッド群、タブ表示、タイポグラフィ、あるいは、Eclipse といったところ。付録には、ActionScript の使い方まで掲載されるが、まぁ、これはいいやぁ...

しかしながら、いくら言語を習得しても、いくらコードの書き方を会得しても、ビジュアライジングに演出するには芸術的なセンスが問われる。
ベンジャミン・フライは、コンピュータサイエンス、統計学、データマイニング、グラフィックデザインなど、様々な分野の洞察力が必要だとしている。
ちなみに、ガウディは、建築はあらゆる芸術空間の総合であり、建築家のみが総合的芸術作品を完成することができるとし、自ら画家、音楽家、彫刻家、家具師、金物製造師、都市計画家を演じてみせた。ビジュアライジングにも、建築家のような空間センスが必要なのであろう。
そして、普段から芸術を嗜み、美術に親しみ、動画や映画の演出に触れ、多くのデータと戯れ、多角的に視覚センスを鍛えておかねば。おそらく最も重要なセンスは、調和ということになろうか。
ここでは、芸術家でありながらプログラマでもある人材を求め、宮大工のような調和センスを要請してくる。なんと酷な!

2024-07-07

"数学の学び方・教え方" 遠山啓 著

暗算って、どうやってるんだろう。おいらは、自分の頭の中がとんと分からん。
例えば、2 + 3 って、どうやって計算してるんだろう。暗記か。経験則か。
方程式の解が一通りでも、解き方はたくさんある。ならば、答えよりも、答えに至る過程の方が重要やもしれん。その方が人間味があっていいし、ほかの解き方を模索するだけで視野も広がる。
数学は、論理的思考の源泉。それは問題解決能力を養う上でも鍵となり、今日の情報社会でデータの収集や分析に欠かせない。
数学をやるのは楽しい。落ちこぼれでも楽しい。自由に学べるってことが、なにより愉快。押しつけがましい学習指導要領なんぞ、クソ喰らえ!

遠山啓先生は、数学の土台に、量と数、集合と論理、空間と図形、変数と関数を位置づけ、従来の急所を避ける数学教育の在り方に苦言を呈す。教育ってやつは、なにかと保守的なもの。数学の教え方となると、明治時代に確立されたやり方が根強く残っているという。
数学を物語るならば、最初に「数」を論じそうなものだが、ここでは「量」を論じることに始まる。それは、人間の進化に根ざした感覚的なもの。大きい、小さい、多い、少ない、熱い、冷たい、長い、短い、重い、軽い、高い、安い... こうした量は、日常生活と密接に結びついてきた。いわば、生命を維持するための本能的な感覚として。これらの量を客観的な視点で数値化しようとするのが数学という学問。数はそれを記述するための道具に過ぎないというわけか。

そして、集合論に論理的思考の根源を見る。集合は、英語では "set"。この用語は、セットメニューや食器セットなどでお馴染み。憲法は条文の集まり、古今和歌集は和歌の集まり、これらすべてセット。
集合という概念は身近でありながら、その定義となるとよそよそしい。結局は、記述の問題か。集合の要素を種別、分離することで図式化したのがド・モルガンの法則で、真と偽、論理和と論理積でブール代数を成す。この論理形式は、真理値表とすこぶる相性がよく、0 と 1 で記述するデジタルへの道筋を示している。
そして、ブール関数の簡略化で有効なカルノー図やクワイン・マクラスキー法がふと頭をよぎり、なにやら懐かしい風を感じる。本書には登場しないけど...

空間問題では、定規とコンパスが主役。つまり、直線と円で特徴づけられる図形が問われる。ただ、直線は幅のないまっすぐな線であって、現実的ではない。図形は、測度よりも、その特徴に目を奪われがち。三角形の性質を説いても、スケールの実感がわかない。そこで、方眼紙を用いた作図を、教育に取り入れることを提案してくれる。すると、図形をマス目で数え、測量する感覚が自然に身につくのだとか。図形を量として捉えるのがいいのかは分からんが、方眼紙を用いて思考する習慣は良さそう。
図形の舞台は、ユークリッド幾何学。その代表格は三角形だ。図形の性質を論じるのに、三角関数は欠かせない。それは図形にとどまらず、あらゆる連続的な物理現象の解析に用いられる。フーリエ変換がそれだ。こいつには、学生時代に魅せられたものだ。本書には登場しないけど...

ユークリッド原論は、公準、公理、定義を通して、整然たる論理の組み立て手順を示した。まさに、論証法のお手本!それで、演繹的な思考が王道とされ、帰納的な思考が邪道とされるのでは、ちと視点が狂っちまう。現実社会は、すっきりと演繹的に説明できる現象はそうはない。むしろ、帰納的なアプローチの方が役立つことが多い。例えば、互助法は帰納法の美しさを示しているし、そこからアルゴリズムという思考法が見えてくる。

さらに、変数と関数が登場すると、代数という抽象数学を体感できる。ツルカメ算は、最初に出くわす連立方程式。その原型を古代中国の算術書「孫子算経」に見る。
方程式は、入力に対する出力という関係から、量的な因果法則として成り立つ。これを、ある種のブラックボックスと見立てれば、符号化処理や暗号処理、あるいは、あらゆるデータ変換への道筋が見えてくる。
さらにさらに、関数を座標系に投影すれば、グラフとの関係が見て取れ、認識空間が精神空間と結びつく。やはりデカルトの発明は偉大だ!

2024-06-30

"世界でもっとも正確な長さと重さの物語" Robert P. Crease 著

長さを測る。重さを量る。それは何を意味するのか。あらゆるものを計測する。それは単なる慣習か。あらゆるものの基準をつくる。それは人間の本性か...

度量衡体系にも社会的な意味がある。相互理解をもたらす尺度として、価値や文化の共有、国際協調といった意識を高める上でも。それは、身体尺に始まったとさ...

尚、吉田三知世訳版(日経BP社)を手に取る。


身体に結びつく尺度では... インチは親指の長さ。フィートは足の長さ。ヤードについては諸説ある。アングロサクソン人のウェスト回りのサイズや、イングランド王ヘンリー 1 世が自分の鼻先から親指までの長さとしたなど、はたまた、古代ギリシアの長さの単位キュビットの倍だとか。

生活習慣と結びつく尺度では... エイカーは、一日に一人で耕せる面積。ポンドは、一日に消費するパンの製粉量... こうして人類は、まず自分自身の感覚を尺度の基準としてきた。客観的な知識は、主観の中でもがいた結果得られる。それは、絶対的な認識能力なんぞ持ち合わせていない知的生命体の宿命である。


本物語は、あのダ・ヴィンチが理想とした身体像「ウィトルウィウス的人体図」の考察に始まり、腕の長さ、足の長さ、ヘソの位置、頭の大きさ、肉づきに宇宙のメカニズムを見る。人体の対称性こそが宇宙の秩序を表し、霊的な次元を映し出し、調和と完全性を体現する。

そして、すべての測定単位が自然界の物理現象によって定められた時、単位系の意義が浮かび上がる。計測基準が人工物の呪縛から解かれるということは、真の知識が解放されるってことか。それは、パンドラの箱を開けちまうようなものか...


物理量は、すべて計測の対象になり得るだろうか。計測するという行為が人間の本能に根ざしたものかは知らんが、抽象的な物理量には抽象的な単位が必要だ。計測の問題では、科学者たちは絶対の真実に到達できないと考えているのか。だから、誤差に問いかけるのか...


「われわれは神の計り知れぬ目的など知らないし、神の計画を理解することもできない。われわれにわかるのは、神は自らの下僕(しもべ)に誤解させておくのがふさわしいと思うかもしれないということだけだ。」

... プラグマティズムの創始者チャールズ・S・パース


国際単位系(SI)において、人工物が基準となっていた最後のものは、キログラムであったという。それも、2019 年のことで、本書が刊行された 2014 年よりも新しい。それまでは、白金イリジウム合金でできた国際キログラム原器が基準となっていた。

現在の SI の基本単位は七つ... 秒はセシウムの超微細遷移周波数、メートルは真空中の光の速さ、キログラムはプランク定数、アンペアは電気素量、ケルビンはボルツマン定数、モルはアボガドロ定数、カンデラは視感効果度が、それぞれ定義定数とされる。


確かに、単位系は客観的な数値で決定し、人工物の入り込む余地は残さない方がいい。

しかし、単位ってやつは習慣と深く結びつくもので、今更、アメリカンフットボールをメートル法にするわけにもいくまい。

通信業者が公表するデータ転送速度はどうか。何々 Gbps 契約という名目で、60% も確保できれば御の字!

自動車会社が公表する燃費は、実際の道路事情に適合しているか。それで、ユーザが飼い慣らされてりゃ、世話ない。

法律にも似たところがある。慣習法ってやつが、それだ。条文が慣習として馴染まなければ、形骸化しちまうばかりか、犯罪の温床に...

そして、キログラムの定義に対するジョークが飛び出す...

「量子力学が不得手な肉屋や八百屋にはとんだ災難だ!」


慣習に看取られた人工物の呪縛では、「正午の号砲」というエピソードがなかなか...

何百年もの間、誰もが正午の号砲によって時間をあわせる慣わしとなっていたとさ。おかげで村人たちの生活は安定し、仕事から密会に至るまで、あらゆることを計画できる。

そこで、一人の少年が疑問を抱いた。いったいどうやって大砲を鳴らす時間を知るのか?砲兵の隊長が、正確な時を刻む時計を誇らしげに見せる。その時計はどうやって時間を合わせるのか?時計屋の大時計で合わせてもらうのさ。時計屋の大時計は、どうやって時間を合わせるのか?そりゃ、正午の号砲で合わせるのさ!


習慣ってやつは、恐ろしい。無条件に信頼を勝ち取るのだから。科学で裏付けられた知識よりも。それで無限循環論に囚われてりゃ、世話ない...

2024-06-23

"百年の孤独" Gabriel Márquez 著

この手の書は、独り言を加速させやがる。シガー香る焼酎をチビチビやりながらでは、しゃあない。銘柄はもちろん、百年の孤独!心の中で自己陶酔に溺れ、肉体をも酔い潰す。孤独死の予兆か... オーメン!

巷では孤独を悪のように触れ回り、孤独死を悲惨な結末として忌み嫌う。しかし、それは本当だろうか。偉大な思想や創造力は孤独から生まれた。寂しさを知らねば、詩人にもなれない。芸術家たちは自我との対立から偉大な創造物に辿り着き、真理の探求者たちは自問することによって学問の道を切り開く。そのために命を擦り減らし、自ら抹殺にかかることも。自己否定に陥ってもなお愉快でいられるなら、それこそ真の自己肯定というものか...

一方で、孫たちに囲まれて賑やかに死んでいくことを願ったり、盛大な葬式を願ってはビデオレターで演出したり、生前葬をやっては生への未練を断ち切れないでいる。自己を慰める術(すべ)を知らねば、他人の同情を引くしかあるまい。
孤独は自己の中にあり、自己を知ればこそ謳歌できる。孤独感は集団の中にあり、人に振り回されるからこそ不安を募らせる。
とはいえ、人間は人との関係においてのみ自己を知ることができる。それは、相対的な認識能力しか持ち得ない知的生命体の宿命だ。呪われているのは孤独か。いや、呪われているのは人間だ。
もはや自由への熱狂は冷め、沈黙の恐怖に見舞われる。おまけに、高度化した情報社会のおかげで距離の概念はぶっ飛んだ。家から一歩も出ずに世界中の出来事に触れることができ、世界一周旅行だって疑似体験できる時代だ。その分、人との関係で距離を求めてりゃ、世話ない。ならば、引き籠もって生きる方が合理的やもしれん。理想的な死は、むしろ孤独死の方にあるやもしれん...

さて、独り言はこのぐらいにして...
本書は、村の開拓者一族が辿った創生から隆盛、そして衰退から廃墟へ至る百年の物語。一族にまとわりつく孤独の深淵とは。ずっと昔から血を交えてきた両家。血が濃すぎると奇形児も生まれる。近親相姦に、強大な睾丸に、貪欲な下腹に、血に飢えた男どもとくりゃ... 親がおかしけりゃ、子もそうなるさ。
「わしにはまだ六人も娘がいる。よりどりみどりだよ。」

どこへ行ってもよそ者。本当の身内なんていやしない。血のつながりすら当てにはならない。ただ無関心があるのみ。自尊心を捨て、悪意さえも犬に喰わせちまった。
神が人を救ってくれるのか。聖書が信じられリャ、誰だって信じられる。
愛が人を救ってくれるのか。神の前で誓った愛ですら心もとない。
知識が人を救ってくれるのか。盲人に読ませる本はねぇ。いや、盲人の方がはるかに物事が見えてらぁ...
「この世も終わりだよ。人間が一等車に乗り、書物が貨車にのせられるようになったら!」

奇形児の誕生を恐れ、豚の尻尾を持った坊やが生まれないように... と願いつつも百年後には、それが現実に。一族の最後を運命づけらた末裔に何を見る...
「この百年、愛によって生を授かったのはこれが初めて...」

あれっ?こいつは、虚無の物語ではなかったのか。まさか、愛の物語だったとは。いや、愛だって虚無の類い。独り言がうるさけりゃ、本筋が見えなくなる。まったく物事が見えてねぇ奴に読ませる本はねぇぜ...
尚、鼓直訳版(新潮社)を手に取る。

2024-06-16

"作品は「作者」を語る" ソーントン不破直子, 内山加奈枝 編著

作品は誰のものか...
人間の本能は、とかく所有の概念に敏感ときた。私のものは私のもの、あなたのものも私のもの。その対象は、物ばかりか人にまで及ぶ。ぼくの彼女に、あたいの彼氏に、はたまた、お前がこの場にいるのは俺のおかげだ!などと...
その領域を侵そうものなら、恨み妬みの類いが襲いかかる。作品を購入すれば、所有権は購入者へ移り、その作品をどう解釈するかなんて、持ち主の勝手次第。作者が過去の人なら死人に口無しよ。だからといって、作者の亡霊からは逃れられない。作品を評するのに、作者の存在はなかなか無視できない。そして、作者の意図を解し、作者が生きた時代背景を汲み取る。そうでないと、作品を味わうことも難しい。作者は、単なる作品の制作者にとどまらない。名作ともなると権威をまとい、時には道徳論と結びつき、時には教育論で存在感を示し、時にはイデオロギー装置の引き金となって永遠の存在となる。

では、作者不明の作品はどうであろう...
例えば、原作不明で知られる「千夜一夜物語」、別名「アラビアン・ナイト」は世界各国で翻訳され、子供たちにも親しまれる。作者が定まらなければ、原型も定まらず、後に加筆され、様々なバリエーションが共存する。
しかしながら、作者不明と作者不在とでは、ちと意味が違う。たった一人の原作者の権威に縛られず、あちこちから作者が加わり、作品自体が独り歩きを始める。未完成とは、自由の代名詞か。とはいえ、寄り集まりの作者たちが生きてきた時代に翻弄されてりゃ、世話ない...

「読者の誕生は、作者の死によってあがなわれなければならない。」
... ロラン・バルト

作品の解釈をめぐっては、作者の意図を優先すべか、受け手の自由な解釈に委ねるべきか...
解釈する側の単純化する性癖はいかんともしがたい。一貫性を求めたところで、作者の自己矛盾ばかりか、受け手自身の自己矛盾に翻弄される。ならば、その双方にとどまらず、中庸な立場で眺めるのも悪くない。想定できるすべての立場を渡り歩くのも面白そうだし、それこそが作者が意図することかもしれん。
例えば、ヘミングウェイは、何も起こらない物語を書いたという。原題 "Big Two-Hearted River"、これの邦題が「二つの心臓の大きな川」では直訳すぎる感も... まぁ、それは置いといて。戦争帰還兵の物語が、戦争には一度も触れていないとは、これいかに。戦場とは対照的な静寂な光景に浸るという、なんとも思わせぶり。ヘミングウェイ自身がロストジェネレーションでもあり、そうした空虚な精神状態を物語ったのであろうか。作者の生きた背景を知らなければ、味わうのが難しい作品である。
しかし、それも読者の勝手な解釈かも。戦争とはまったく関係なく、単に癒やされた感覚を素直に綴っただけかも。読者の側も、読了した労力の報酬を受取りたいし、読書時間に対する見返りが欲しい。どんな言葉も、どんな表現も、深読みすることによって読者は救われる。批評家であれば、尚更であろう。
おまけに、作品に自己同一性を求め、教訓的な何かを期待する。作品の主体に責任を押し付けるのは、読者の責任逃れか。作者に人類を救え!などと吹っ掛ける気にはなれんよ...

「余は心理的に文学は如何なる必要あって、この世に生れ、発達し、頽廃するかを極めんと誓へり」
... 夏目漱石

文学は、言葉の力を魅せつける。言葉は語られることによって生を受ける。しかし、誰が語るかが問題だ。この世には、名言とやらが溢れている。本来、誰が何を言ったかなんて関係ないはずだが、語り手の名声が威光を放つ。この天の邪鬼ごときが孔子の言葉を熱く語ったところで、所詮、酔っぱらいのたわごとよ。
そもそも文学とはなんであろう。その定義となると、「言語表現によって創作された虚構」とするのが一般的なのかは知らんが、文学作品は人間の本質を暴き、その虚構の場に読者は現実を重ねる。マクベスが権力欲を露わにし、クレオパトラが情欲を剥き出しにし、ロミオが愛の苦しみを暴き、シェイクスピアの虚構が人間の現実を物語る。作者の体験からくる発想が膨らんでフィクションとなり、フィクションがフィクションでは終わらず、さらに上位のメタフィクションで語り継がれ、もうメタメタよ!

「読書という行為によって生命の息を吹き込まれて生かされていく限り、文学作品は、そのときの読者の生命を一時停止させることによって、ある種の人間になるのである。」
... ジョルジュ・プーレ

古典は、時代に揉まれて名作となる。本体のニュアンスを微妙に変化させながら、時代に同化していく。まるでカメレオン!
作品は作者の鏡、自己投影の場、心で感じたものが露わになる場。そうした作者たちの独創性はどこからくるのだろう。社会に馴染めない性癖が、虚構の世界に走らせるのか。持って生まれた才能が、そうさせるのか。
いや、人に影響されずに生きてゆける人間は、そうはいない。独創性の源泉には、なんらかの模倣が含まれているはず。ゲーテは、死の一ヶ月余り前に、こんなことを呟いたという...

「われわれはどう振舞ってみても、結局みんな集合体なのだ。純粋な意味でわれわれ自身のものと呼べるものは、どんなにわずかなことだろう!われわれは先人や同時代人からすべてを受け入れ学ばなければならない。... 私は他人がまいてくれたものを取り入れさえすれば、よかったのだ。」

2024-06-09

"歴史を変えた 6 つの飲物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラが語るもうひとつの世界史" Tom Standage 著

トム・スタンデージという人は、ちょいと風変わりな視点から歴史を物語ってくれる。それは、喉の乾きの物語。人体の三分の二は水からできており、水分の補給はそのまま死活問題となる。
しかし人類は、文明の歩みとともに水以外の飲み物を発明してきた。文化の尺度に水質が挙げられるが、水以外の飲み物にも文化の成熟度が見て取れる。
ここで注目する飲み物は、三つがアルコール、三つがカフェイン。ぞれぞれの出現に、農耕の始まり、王朝や貴族のステータス、裏社会との結びつき、大量生産と大消費主義の動機づけなど、人類の一万年の歩みを概観させてくれる。ただ、良き水がなければ、良き飲み物も叶わない。
結局、原点回帰へ導かれ、老子の言葉を引く... 上善、水の如し!
尚、新井崇嗣訳版(インターシフト)を手に取る。

水以外の飲み物では、まず醸造物がある。それは、神からの賜物か...
農耕をやれば、農作物の自然発酵を観て、醤油や味噌、そして酒の作り方を学習する。主だった醸造酒では、ビールは麦芽を発酵させ、ワインはブドウの果汁を発酵させ、日本酒は米を発酵させて造る。発酵とは、言わば、うまいこと腐らせること。文化の尺度に腐らせ方の技術を見る。人間も、腐らせ方が問題か。うまく腐らせれば、熟成する。

「銃器および伝染病と並び、蒸留酒は旧世界の人々が新世界の支配者になる手助けをすることで、近代世界の形成に寄与した。蒸留酒は、数百万の人々の奴隷化および強制的移動、新しい国家の建国、土着文化の征服の一翼を担ったのである。」

社交場におけるビールの役割は、メソポタミア文明やエジプト文明にも記述が見つかるそうな。ワインともなると、古代ギリシア・ローマ時代に、その飲み方で人間性が格付けされたとか。大航海時代になると、長い船旅で保存性を求め、醸造酒を蒸留してウィスキーに価値を見い出す。世界各地の植民地では、その地域に適した蒸留酒が生産された。そして、アメリカ建国にラム酒が一役買ったのだった。蒸留酒の流通は、グローバル経済の幕開けを予感させる...

「ニューイングランドは、その富の主な源であるラム酒をフランス領の島々の安価な糖蜜で作った。彼らはラム酒で奴隷を買い、メリーランドとカロライナで働かせ、イギリスの商人たちへの負債を支払ったのである。」
... 合衆国大統領ウッドロー・ウィルソン

酒宴の場は、あらゆる論議を活性化させてきた。プラトンの「饗宴」に浸れば、哲学論議もお盛ん...
しかし、酒は強い人と弱い人、飲める人と飲めない人がいて、とても平等とは言えない。悪酔いすれば、頭痛が...
頭をスッキリさせたければ、カフェインか。そこで、コーヒーハウスの出現。男女を問わず、階級を問わず、粋な男に、コケティッシュな女に、聖職者に、ジャーナリストに、作家に、詐欺師など、あらゆる人種が集まり、政治、経済、哲学、技術などあらゆる分野で談話の場となる。本格的な情報社会の到来か...

コーヒーが情報社会を発展させたとすれば、世界征服を覚醒させたのは、お茶ってか。大英帝国に発する帝国主義の野望は、イギリスへ茶を供給する東インド会社の独壇場に発するという。その税収によって、政治的影響力を増大させていく。多国籍企業の先駆けか。茶の栽培からケシの栽培まで、その供給ルートを独占すれば、アヘン戦争へ導かれる。茶の物語は、産業革命から帝国主義へ至る物語というわけか。
イギリスでは紅茶がもてはやされ、これに高級志向が絡むと、差別意識を助長させる。紅茶のまろやかさに浸れば、誰もが王族気取り。その感覚は、スコッチやブランデーにもお見受けする。こうした文化の優越感が、民族主義や国粋主義を覚醒させていったとさ...

そして、大量生産や大消費主義を象徴するのが、コーラというわけである。カフェインにコカインとくれば、コカ・コーラに資本主義のエッセンスを見る。21世紀の現在でも、超エリートの政策立案者たちは、消費を煽る経済政策しか打ち出せないでいる。
水の浄化技術が貧弱な時代には、水以外の飲み物が求められた。水質汚染に正面から立ち向かうことのできる技術革新の時代となれば、問われるのは、まさに水の質ということに...

2024-06-02

"世界を変えた「海賊」の物語 - 海賊王ヘンリー・エヴリーとグローバル資本主義の誕生" Steven Johnson 著

海賊といえば、海上を荒らし回る無法者ども。彼らには陸地が、よほど居心地が悪いと見える。海賊にとって陸地とは、政治権力がのさばる呪われた地、あるいは、同調圧力のはびこる隷属社会といったところであろうか...
海は地球の表面の 70% 以上を占め、陸よりも広く、なによりも自由が広大。例えば、平将門の乱と時を同じくして、藤原純友は海賊討伐の宣旨を受け瀬戸内へ向かったが、逆に海賊の頭領となって朝廷に反旗を翻した。ミイラ取りがミイラに... 精神力学における自由引力は思いのほか強い...

本書は、そうした無法者の徒党から自然法なるものが生じる様子を物語ってくれる。互いに社会に馴染めない者同士が集まれば、逃れた先でも集団生活を営むことになり、社会的なルールが生じる。集団で襲撃するにしても、戦略や戦術を用いる合理的な組織となり、上下関係や階級が生じる。権力分立が定められ、公平な報酬体系が導入され、病人の補償制度までも整備されていくとなれば、まさに海上民主国家!
そして、頭領が最も恐れるものは、部下たちの飢えであったとさ...
尚、山岡由美訳版(朝日新聞出版)を手に取る。

「海賊は、世界の秩序を変える火種をつくった。権力分立が明記されたミニ憲法、掠奪品を公平に分配する報酬体系、労働者協同組合、事故や怪我の重傷者への保険制度... そして海賊たちは友情を育み、恋もした。すべて、生きていくためだ。」

著者スティーブン・ジョンソンは、ちょいと風変わりな視点を与えてくれる。なにしろ、センセーショナルな犯罪物語を通じて、民主主義や資本主義の源泉を辿ろうというのだから。こうした見方は天の邪鬼にはたまらん。いや、こちらの方が本筋か。裏社会にも掟があるってことだ。いや、裏社会だからこそ。いやいや、どっちが表だか...

さて、海賊の黄金時代を先駆けたヘンリー・エヴリー。この海上ユートピアの主人公は、文字通りの奸賊か、それとも伝説通りの英雄か。
世界通商の破壊を恐れる政府に対して、英雄伝を捲し立てる売文家たち。この対立構図を大衆メディアが煽り、まるで現代社会の縮図!海賊の掠奪は、国家の搾取や企業の横暴と何が違うのか。それは程度の違いか。国家だって愛国心を後ろ盾に他国を侵略するし、宗教だって、違う神を信じるだけで平然と迫害する。
海賊だって、仲間内では絶対的な掟も、部外者にはまったく効力を持たない。排他主義に、同じ穴のムジナとくれば、これはもう人間の本性とするほかはない。
しかし、いくら喰うためとはいえ、レイプや人身売買までも正当化すれば、人間の誇りまでも失う。殺害を正当化する時の決まり文句は、死人に口無し!

「アレクサンドロス大王に捕えられたある海賊は、大王に対して優雅にかつ真実に、次のように答えたのである。すなわち、王がこの男に向かって、どういう了見でお前は海を荒らし回っているのかと尋ねたところ、その男は何らはばかることなく豪語した。『あなたが全世界を荒らし回っているのと同じ了見です。わたしはそれをちっぽけな船舶でしているから海賊と呼ばれているのですが、あなたは大艦隊でやっているから、皇帝と呼ばれているのです。』と。」
... アウグスティヌス「神の国」より

2024-05-26

"世界が動いた「決断」の物語 - 新・人類進化史" Steven Johnson 著

熟考というのは、人類特有の行為であろうか...
長期的な視野に立てるというのは、進化の過程でホモ・サピエンスだけが習得した能力であろうか。そこが、人間の人間足る所以やもしれん...
だが、三千年記が幕を開けても尚、現代人は近視眼的な判断に振り回される。どんなに経験を積み、どんなに情報を集めても、動物の本能には逆らえない。そこが、人間の人間足る所以やもしれん...

「自然は人間を二人の独立した主人の支配下に置いてきた。それは苦痛と快楽である。私たちが何をするか決めるだけでなく、何をすべきかを指示するのも、もっぱら苦痛と快楽なのだ。一方では善悪の基準が、他方では因果の連鎖が、この二つの玉座に結びつけられている。私たちがやること、言うこと、考えること、すべてを苦痛と快楽が支配している。服従をかなぐり捨てるために私たちができる努力はどれも、服従を実証し裏づけることにしかならない。」
... ジェレミー・ベンサム

本書は、決断のメカニズムを、認知科学や社会心理学、軍事戦略や環境計画、そして、文学から紐解こうとする。それは、「モラルの代数学」に始まり、あらゆる状況や条件を「マッピング」した上で「予測」を組み立て「シミュレーション」し、「決定」に至る一連のプロセスを物語るという趣向。
モラルの代数学とは、メリットやデメリットを箇条書きにし、そのバランスを検討して意思決定を下すというもので、価値観の貸借対照表とでも言おうか。
マッピングとは、経験値などのスペクトル全体にわたる多変数システムのモデル化とでも言おうか。それは、内面から生じる感情から、政治的世界観や宗教的信仰、あるいは、社会的用件や経済的制約、さらにチャンスなど、実に幅広い。
予測やシミュレーションは、このマッピングによるモデリングが鍵となる。
ちなみに、この世には誤りが溢れているが、予言ほど差し出がましい誤りはないとさ...
尚、大田直子訳版(朝日新聞出版)を手に取る。

「決定者に必要なのは、意思決定の才能ではない。必要なのはルーティンや習慣なのだ。それは問題と向き合い、ほかにはない特性を探り、選択肢を比較検討するための、明確な一連の手順である。複雑な意思決定に取り組む人々の集団を見ていると、そこにはすばらしいドラマと深い感動があることがわかる。」

本書で注目したいのは、これらを物語性で結びつける点である。文学小説や芸術作品を嗜むことで豊かな物語が想像でき、意思決定のスキルが養われるらしい。
歴史を振り返れば、人間は言葉で操られ、大衆という集団性に惑わされてきた。劇的なスピーチに、ドラマチックな宣伝活動に... それは、ゲッペルス文学博士が証明して見せた。現在ではスタイリッシュなプレゼンテーションに踊らされる。
ならば、自分の人生を自分自身の言葉で物語ることができれば、周りに惑わされることも、ある程度は防げるかもしれない。小説は科学には示すことのできない洞察を与える。科学もまた小説には示すことのできない洞察を与える...

最も誤りやすいのは、えてして自分が正しいと確信することだという。能力の低い人ほど自分のスキルを過大評価しがち。意思決定の科学では、多様な集団の方が同質の集団よりも賢い選択をする可能性が高いという。多様な集団は、自分たちが間違っているかもしれないという考えにあまり抵抗がないらしい。
さらに、自己の中でも多様な物語が語れれば、選択肢がぐっと広がりそうだ。物語ってやつは、想定外な事も起こるから面白い。自己の許容範囲にあればだけど。そして、自己の許容範囲を広げるのも、物語の想像力ということになろうか...

しかしながら、その物語をマシンが語り始めたら...
人類は、ひたすら利便性を求め、実に多くの技術を編み出してきた。そして今、自らの技術力に陶酔する。いや、泥酔か。究極の発明品足る人工知能は、人類の判断能力を超える。こいつに情報を与えておけば、人間が思考する必要はない。いや、思考する人間は邪魔な存在か...
思考せず、判断しなくて済むとういことが、人間にとって幸せなのかは知らん。だがそれは、独裁者がすべての行動を個人に命じ、権力者が下した判断の言いなりになるのと何が違うのだろう。
すべては結果!そこに至る過程なんぞどうでもええ。すべての労苦は早送りされ、最後のスナップショットだけが残像に留まる。そして、結論が独り歩きを始める。しかも、結論を導くのはマシンだ。独裁者よりはましか。
マシンが人間味を帯び、人間がマシン化していくとなれば、落ち着いて嘆く準備だけはしておいた方がよさそうだ。人間そのものを再定義する準備を...

2024-05-19

"世界を変えた 6 つの「気晴らし」の物語 - 新・人類進化史" Steven Johnson 著

「おもちゃとゲームはまじめなアイデアの序章である。」... チャールズ・イームズ

歴史上に名を連ねる人物は、その名の通り偉大であろう。
但し、彼らが歴史を育み、真に文明を開花させて来られたのも、無名な人々の地道な支えがあったればこそ。だから人間は、人間自身の進化に誇りを持てる。その誇りが、誇大妄想を掻き立てることもあるにせよ。歴史を冷静に見つめるためには、人間の本能に根ざした視点が必要なようである。

スティーブン・ジョンソンは、「気晴らし」という衝動的な行動を主題にしている。その着眼点は、歴史を冷静に語るにはちと違和感があるものの、逆説的でなかなか面白い。おいらは、これを「気まぐれ」と解しているけど...
歴史物語ってやつは大抵、生き残りのため、権力のため、自由のため、富のためといった闘争として描かれる。そうした志に比べれば、気晴らしなんぞおまけのおまけ。必需品と贅沢品を対置すれば、明らかに必需品が重んじられ、労働と娯楽を比べれば、明らかに労働が重んじられる。
しかしながら、気晴らしのための娯楽の方にこそ、人間味溢れた歴史物語があるのやもしれん...

文化度を測る物差しに、余暇の時間と、余暇の多様性といった尺度がある。つまらない日常から解放されるために、ささやかな心の変化を求めて改良や改善に努める。これも気晴らしの類い。人間ってやつは、退屈とやらがよほど苦手と見える。一般的な世界史と距離を置くのは、なかなかの趣向(酒肴)!
それは、歴史の裏舞台か。いや、どちらが表やら...

「この探求への発展的な衝動が、楽しみと必要の差である。人は遊びモードのときには新しい驚きに寛容だが、基本的欲求は人の心を、生存のためにどうしても必要なことに集中させる。この差を理解することは、一見したところ表面的には軽薄な遊びが、これほど多くの重要な発見やイノベーションにつながった理由を理解するのに欠かせない。」

前記事「世界をつくった 6 つの革命の物語」では、ガラス、冷却、録音、清潔な水、機械仕掛けの時計、電球の光といった日常の発明が革命的な存在であったことを示してくれた。
本書では、機械時計から初期ロボットに至るからくり人形的な趣向、ファションに始まる紡績業の発達と商業主義への流れ、自動演奏ピアノからコンピュータに至る音響技術の情緒、香辛料の生産と消費に見る世界交易マップの成り立ち、幻影や錯覚を利用した映画産業の発展と映像技術の罠、ゲームに確率論が結びついた人工知能の出現、酒場や動物園などのレジャーランドが育む発想の原動力といった側面から文明史を物語ってくれる。すべては遊び心に発し、驚きを探し求める人間の本能に導かれてきたとさ...
尚、大田直子訳版(朝日新聞出版)を手に取る。

「現在私たちは、機械がとても器用になって製造業の労働者の仕事を奪い、とても賢くなって人間の上司になるような、暗い未来について心配している。しかし歴史を知ると、私たちはまちがった不安に気を取られているのかもしれない。機械がみずから考え始めるときに起こることについて心配するのは、まちがっているのかもしれない。ほんとうに心配すべきなのは、機械が遊び始めたときに起こることなのだ。」

2024-05-12

"世界をつくった 6 つの革命の物語 - 新・人類進化史" Steven Johnson 著

よく見かける世界史では、四大文明の出現、三大宗教の確立、ローマ帝国の興亡、大航海時代、フランス革命、産業革命、二つの世界大戦といった事象が主題とされる。
しかしここでは、ガラス、冷却、録音、清潔な水、機械仕掛けの時計、電球の光といった発明を切り口に世界史を物語ってくれる。
歴史を学べば、英雄伝や重大事件とされる事象に注目しがちだが、真に歴史を育み、真に文明を開花させてきたのは、名も無い人々が日常生活で営んできた改良や改善といった努力の積み重ねなのであろう...
尚、大田直子訳版(朝日新聞出版)を手に取る。

「アイデアは科学からしたたり落ち、商業の流れに入り、先が読みにくい芸術と哲学の渦にはまる。しかしときには、あえて上流へ、芸術的な想像からハードサイエンスへと進むこともある。」

スティーブン・ジョンソンは、「ハチドリ効果」と呼称する不思議な影響の連鎖を主題に掲げる。それは、カオス理論で見かけるバタフライ効果とも似てそうだが、原理は根本的に違うらしい。
バタフライ効果は、例えば、カリフォルニアで蝶の羽がはためくと、その影響が回りまわって大西洋上でハリケーンを起こすというもので、無関係と思われる不可知な因果連鎖をともなう。
対して、ハチドリの場合、骨格構造では不可能なはずが、羽を回転させながら打ち下ろす時だけでなく引き上げる時にも揚力を得て、蜜を取り出す時に空中にとどまることができ、そこに食への執念のようなものを見る。しかも、花蜜を生産する機能を具えた顕花植物がなければ、成し遂げられない共進化と言えよう。
したがって、バタフライ効果が結果的に受動的な相互作用を引き起こすのに対し、ハチドリ効果はもっと積極的で意志をも感じるような相互作用ということになろうか。
実際、ある分野のアイデアがまったく違う分野のヒントとなって、相互に画期的なイノベーションをもたらすことがある。あるいは、情報共有が何十倍、何百倍と増えていくだけで、予想だにしない無秩序な変化の大波が生じることだってある。ささやかなアイデアが、世界を変える新たなチャンスを切り開くことだってありうるのだ。歴史とは、ちょっとしたことが無数に集まり、それらが複雑に絡み合った結果と言うことができよう。
しかしながら、そこに生じる相乗効果が、悪魔のお告げのように機能することもしばしば。人間の集団性は恐ろしい。そこには個々の意志とはまったく別の意志が生気し、おまけに集団暴走を始める。御用心!

「先進世界の人々の大半は、水道水を飲んで 48 時間後にコレラで死ぬことをまったく心配しないということが、どれだけすごいかをわざわざ考えたりしない。エアコンのおかげで、50 年前には耐えられなかった気候のなかで快適に暮らしている人がたくさんいる。私たちの生活は、大勢の先人のアイデアと創造性によって魔力を与えられたさまざまなものに囲まれ、支えられている。発明家や愛好家や改良家が、人工光やきれいな飲料水をつくる問題に堅実に取り組んできたおかげで、私たちは現在そのようなぜいたく品をためらうことなく、そもそもぜいたく品だと考えることさえなく、利用することができている。」

また、著者が「ロングズーム」と呼称するアプローチを紹介してくれる。新たなイノベーションは、近視眼的には地政学的な影響を受け、流通や情報の中心地に集まる傾向がある。だが、大局的に眺めると、国家や国民性といった枠組みにとらわれることもあるまい。ましてや、このグローバルの時代に...

「これは私がほかでロングズームの歴史と呼んでいるアプローチだ。鼓膜を震わす音波の振動から大衆の政治連動にいたるまで、さまざまなスケールで同時に検討することによって、歴史の変化を説明しようとする試みである。歴史の物語を個人または国のスケールで統一するほうが直感的に理解しやすいが、根本的にその境界内にとどめるのは正確でない。歴史は原子のレベルで、地球上の気象変動のレベルで、そのあいだのあらゆるレベルで起こる。物語を正しく理解しようとするなら、そのような異なるレベルすべてを公平に評価できるような解釈のアプローチが必要なのだ。」

1. ガラス職人が世界の見方を変え...
二酸化ケイ素化合物には、興味深い化学特性がある。今日、ガラスと呼ばれる物質である。融点は、260度以上。およそ 2600 万年前、リビアの砂漠で旅人が、その破片につまずいて発見されたとさ。
二酸化ケイ素のアクセサリーは、ツタンカーメンの埋葬室でも発見された。そして、ガラス職人の工夫から望遠鏡や顕微鏡の発明につながり、世界の見方を変えることに。
いまや、インターネットはガラスで編まれている。今日のデータは、光ファイバーケーブルを張り巡らせ、光を集約することによって伝送されている...

2. かき氷を我が家で食べられる幸せを噛み締めて...
冷却技術は、温暖化気候でより重要視される。いや、沸騰化気候か。自然界の冷たさといえば、まず氷だ。こいつの驚くべき能力は、周囲の大気から熱を引き出すところにある。そして今、瞬間冷凍技術のおかげで、果物、野菜、肉類が美味しく保存される。そして、精子バングが冷凍庫に保存され、人体までも瞬間冷凍されるであろう。北極と南極の氷がもてばいいが...

3. 古代洞窟は天然のサラウンドシステム...
音の拡声、拡散が、音空間を形成し、精神空間に影響を与える。それを最初に味わったのはネアンデルタール人かもしれない。人類は、音波を記録する技術をもって音響という概念を創出した。フォノトグラフは、音波を視覚化して音響空間の設計を進化させる。録音技術は、S/N 比と葛藤の日々。そして、デジタル音源を手に入れた時、完璧なコピー音源になりうるか、少なくとも劣化を抑制することができるようになった。潜水艦などの軍事技術や医療機器に欠かせない音響システム。海中ソナーに、身体エコーに... そして、命を救う音に、命を終わらせる音に...

4. 清潔さは文明の尺度...
シャワーや入浴が健康に良いとされたのは、19 世紀だそうな。患者の処置前に手を洗うことを提案した医師が非難される時代であったとさ。
人間は、喰って排泄する動物である。どんなに賢くなろうとも、どんなに進化しようとも、この熱機関としての工程は変えられない。そして、食物の確保と、排泄物の処理は、街づくりの根幹であり、水道と下水道の整備は、文明社会で最も重要視すべきものとなる。塩素革命では、適量の塩素剤を加えることによって、水から効果的に細菌を除去することを知るに至る...

5. 人類はますます時間に幽閉されていく...
農業労働はだいたいの時刻が分かれば、それで事足りたが、産業労働には厳密な時間管理が必要となる。生産工程にも、労働時間にも。給料が時給で支払われるシステムでは、人間が巧みに時間管理されるようになった。航空業では、国際標準時間を必要とする。ますます人類は、正確な時間を刻む機械を求めてやまない。
石英の特定の結晶、水晶に圧力をかけると安定した振動が得られる。この原理を利用したのがクォーツだ。CPU のマスタークロックには、たいてい水晶振動子が用いられる。クォーツの精度がマイクロ秒であるのに対し、原子時計の精度はナノ秒。セシウム 133 原子が...
さらに、放射性炭素の崩壊は、百年ないし千年の精度で時を刻む。炭素 14 は、5000年毎に、カチッ!カリウム 40 は、13億年毎に、カチッ!

「一万年ものあいだ時を刻む時計があったら、どんな世代単位の問題や計画を提起するだろう?もし時計が一万年動きつづけるのなら、私たちの文明もそうなるようにするべきではないのか?私たち個人が死んだあともずっと時計が動きつづけるなら、将来世代がやりとげることになるプロジェクトを試みてもいいのでは?さらに大きな疑問は、ウイルス学者のジョナス・ソークがかつて問いかけたとおりだ。『われわれはよい祖先になっているのか?』」
... ロング・ナウの役員ケヴィン・ケリー
"The Clock of the Long Now" https://longnow.org/clock/

6. 人工光で盲目は治るか...
信頼できる電流源、その電流を近隣一帯に分配するシステム、個々の電球を配線網につなぐメカニズム、そして、どれだけ電気を使ったかを測定するメータ。これらが揃って安定した生活源が確保される。電球の発明によって、暗闇でも目が見えるようになったのはありがたい。だからといって、精神の盲目は解消されたであろうか。人類は何を見ようと、光を欲するのか。そして、この電流源に税金を支払うシステムを強要されようとは...

「もし隠れているものに対する直感的な知覚を持ちたければ、その場合、少し道に迷う必要がある。」