2011-10-09

"禁断の市場" Benoit B. Mandelbrot & Richard L. Hudson 著

フラクタルの父と呼ばれるベノワ・マンデルブロ氏。彼が亡くなったと大々的に報じられたのは一年前のこと(2010.10)。実は、彼の著書「フラクタル幾何学」を探していたのだが...まぁいい、人生行き当たりばったりよ!
マンデルブロ氏は、インタビューで経済学者を名乗り、金融工学は科学的に未熟で、過信すればすぐに破綻すると指摘した。そぅ、偉大な数学者が経済学に殴り込みをかけたのだ。その予想は的中し、世界はリーマンショックを皮切りに金融危機を経験することになる。1929年の世界恐慌以来、おそらく経済危機の伝統は受け継がれていくだろう。いまだ人類は、市場という複雑系を科学的に解明できるほどの有効な分析ツールを見つけられないでいる。せめて最大リスクを回避するための手段はないものか?本書は、まさしくその手段を提唱する。

ここで、古いジョークを一つ。
技術者と物理学者と経済学者が、海で遭難しましたとさ。
やっと辿り着いた無人島は砂ばかりで、食べられる物といえば豆の缶詰一つだけ。さて三人の意見は?技術者は石で缶に穴を開けて豆を取り出そうと言った。物理学者は缶を太陽熱で膨張させて破裂させようと言った。そして経済学者は、考えた末に「まず、我々が缶切りを持っていると仮定しようじゃないか...」と語り始めた。

運の委ね方にもいろいろあろう。確率論もその一つだが、賭けるものが大きくなれば客観的な視点は失われる。経済人には最大利潤を求める価値観があるが、その根底に安全運用という思考が働かなければギャンブル性を高める。企業家は従業員の生活に責任を負い、真っ先に倒産のリスクを計算する。一方、金融屋はわざわざリスクを複雑にして、世間を欺瞞する金融商品を続出させる。金融理論では、グローバル市場における暴落の可能性を過少評価し、専門家よりも一般の人々の方が危険性を直観的に感じているように映る。
金融理論が金儲けのツールとしてほとんど役に立たないことは、過去の市場経済が証明してきた。しかし、ちょいと視点を変えてリスク管理ツールとして眺めれば、そこそこ活用できることも確かだ。市場価格の分析では、絶対価格を追い求めるよりボラティリティを観察する方がずっと現実的であろう。それは、相対的な価値観にしか到達できない知的生命体の宿命であろうか。はたして、市場を完全に理解するということが、どれほど現実味を帯びているのだろうか?
数学者コルモゴロフ曰く、「サイコロを振るような過程でも、集合として全体を見ると、本当に美しい法則がある。そのような法則から生じる運を見積もることに、確率論の存在価値がある。」
政治や経済の最も重要な役割は、好景気に導いてみんなを裕福にすることではない。いかに経済的危機を避けるか、いかに耐え難い格差を抑制し基本的人権を守るかである。したがって、その視点はリスク管理にかかっているはず。一時的に景気を煽ったところで、その反動で不況の波が必ずやってくる。瞬間的に誘導した資本の流れは、経済循環に歪を生じさせるだろう。ある産業で景気を良くしようと企てたところで、別の産業にシワ寄せがくるだろう。それが経済サイクルというものである。

あらゆる現象を分析する上で、統計学の果たす役割は大きい。だが、数学の中でも少々異質に見え、肌が合わない。それは、いかに分布モデルに当て嵌めるかということに囚われ過ぎるように映るからである。ド素人感覚で言うならば、関数の直交性や対称性から地道に解析すればいいのに...と思うのだが、おそらく複雑系を相手取るような分野では、なんらかの法則や型に嵌め込んで近似する方が現実的なのだろう。そのアプローチでは、まず正規分布を仮定するのが一般的で、平均値や分散だけで統計モデルを決定しようと考える。そこで必ず例題として用いられるのが、学業成績や身長分布である。確かに、最も単純なところからモデリングするのが筋道であろう。しかし、自然界を眺めると正規分布をする方が珍しい。
そもそも「正規」ってなんだ?身近な現象では、突風のゆらぎ、金属の断面のギザギザ、凸凹した海岸線、地震の揺れなど... 物理現象では、ブラウン運動、熱伝導、フリッカー雑音、太陽黒点の変動など... ほとんど変則的で乱流的な性質を持っている。乱流の間欠性は、物理学では空洞実験などで古くから知られており、むしろ、ランダム性の方が「正規」と呼ぶに相応しいのではないか。経済学においても、伝統的に正規分布を仮定したモデルで金融理論を構築してきた。だが、市場経済もまたランダムウォークしやがる。おまけに、自然現象だけでなく、人間の思惑まで絡むという複雑怪奇!
そこで、フラクタルの登場だ!それは、図形の部分が全体と自己相似形になっているような幾何学的概念である。マンデルブロ氏は、人類にとって絶望的とも思える複雑系の中にフラクタルという法則性を見出した。根底の考えには「ベキ分布」があり、そのスケールは想定外で発生することを盛り込む。ちなみに、ベキ分布とは分布関数がベキ乗則に従うようなやつだ。正規分布では平均所得層が最も多いことになるが、ベキ分布では多くの富がほんの少数の富裕層に集中することが説明できる。
その分析方法は極めて単純だ。図形の部分と全体が相似形になる基本パターンを抽出し、そのパターンも数か所の点を持つ折れ線グラフを用意するだけ。あとは、パターン図形の拡大縮小率や縦横比率を調整したり、反転や左右対称などの幾何学的操作と組み合わせて近似する。これが「マルチフラクタル」の概念である。単純とはいえ、折れ線グラフは傾きや折れ曲がる場所をパラメータとするだけで無限のパターンが生成できるので、実際にはそう簡単にモデルを決定することはできないだろう。
カオス理論は、数値シミュレーションで想定した値にほんの少し誤差があるだけで、結果が大きく変わることを教えてくれる。この思考方法は微分に似ている。最も単純な折れ線グラフは三角形であるが、三角形で微分しているようなイメージだ。したがって、統計学というよりは解析学に近い、いや!幾何学と解析学の融合と言った方がいいかもしれない。自己相似性を用いて解析するとは、総体としての自己を根源的な自己で見つめ直すということに通じるような...自然法則が無限循環論に嵌り自己矛盾に陥るとすれば、これは自然学的な発想なのかもしれない。ちなみに、フラクタルという名のカクテルがあってもよさそう...酔えば酔うほどフラフラくたる...ランダムウォークとは千鳥足のようなものよ!

1. 異端の科学者
マンデルブロ氏はユダヤ人の家庭に生まれ、戦争体験から派閥に属さず独自路線を歩んできたという。プリンストン高等研究所では、フォン・ノイマンの最後の教え子となる。その後、IBMのトーマス・J・ワトソン研究所に勤務し、コンピュータの通信エラーの統計解析を行う。ついでに、社長の依頼で株式市場の価格変動を解析したという。1962年、金融工学の標準的モデルを否定する論文を発表し、正統派経済学と真っ向から対立する。
「経済学は流行りすたりのある学問分野です。自然科学でも似たようなところはあるのですが、特にこの学問のなかでは何が正しいのか、どんな研究が博士論文に値するのかについては、多数の合意、あるいは流行で決められる傾向があります。」
マンデルブロは、経済分析にベキ分布を取り入れた最初の人物だそうな。価格分布でファット・テールと呼ばれる長い裾野があるという考えは、今では広く受け入れられる。彼の提唱したベキ分布の理論は、安定分布、パレート分布、レヴィ分布、レヴィ=マンデルブロ分布など、様々な名で呼ばれるという。非整数ブラウン運動という確率過程と、その根底にある非整数階の微積分という概念も、近年、計量経済学の技術として用いられるという。また、市場がいかにバブルを生み出すかを定量モデル化しているという。後の研究者の手柄にされているようだけど...
彼は、マルチフラクタル・モデルを提唱し、「経済物理学」という新たな分野を切り開いた。そして、経済学の影の功労者として殿堂入りするに相応しい人物だという。

2. フラクタル幾何学
その名称は、「分解された」、「壊された」を意味するラテン語を元にした造語だそうな。例えば、樹木の枝やカリフラワーの小房、川の分岐などは、自然界に存在するフラクタルの代表である。
フラクタル幾何学では、ランダム性を単純な方からマイルド、スロー、ワイルドの三状態で分類するという。従来の金融理論では、単純なマイルド型が想定されている。それはコイン投げの確率と同じモデルである。確かに、コインを投げて表と裏が出るグラフを作成しても、株価チャートと見分けがつかないような傾向が見られる。本書は、実際の市場は最も複雑なワイルド型であると指摘している。マイルド型では一人の人間が歴史に影響を及ぼすことはないが、ワイルド型ではたった一人が歴史を大きく変える可能性があるという。そして、ホワイト・ノイズや熱エネルギーによる電子の動きは比較的予測可能でマイルド型、コンピュータの通信エラーや1/fノイズはワイルド型だとしている。
フラクタル幾何学では、全体と部分で繰り返しの構造に注目するので、分析と統合が同時に行われるという。基本は、イニシエータ、ジェネレータ、代入の規則、この三つがセットになってフラクタルのコードが構成される。最も単純なフラクタルは、ユークリッド幾何学の基本図形から出発する。三角形、直線、球がイニシエータで、フラクタルを作るための雛形になる単純な幾何学パターンがジェネレータである。どの方向にも同じスケールで拡大や縮小をすると元の形が現れる。この性質が自己相似性だ。ジェネレータはいくつか用意しておき、使う順番を乱数で決めたりする。
しかし、価格変動モデルでは、縦軸が価格で横軸は時間を表しそれぞれの性質は異なるので、縦軸と横軸の拡大率を変えないと同じ形が見えてこない。このような軸方向性を持つような相似性を「自己アフィン」と呼ぶそうな。更に、基本パターンごとに拡大縮小率を変え、左右対称、上下対称、スケールの相似といった組み合わせでマルチフラクタルを形成していく。

3. マルチフラクタル・モデル
市場予測では時間を横軸とするのが普通である。注目すべきは、物理時間と精神時間を区別して導入しているところである。ニュースが飛び交って売買注文が殺到する時もあれば、際立ったニュースもなく穏やかな時もある。そこで、一定に刻まれる物理時間ではなく、取引活動に基づいた「トレーディング時間」を想定する。時間方向と価格変動方向を分解するようなモデルを導入するわけだ。
フラクタルでは全体を一定の割合で縮小すると部分が再現できるのに対して、マルチフラクタルでは一つのパターンの中に複数の拡大縮小の特性を持っている。また、二つのパターンの特性を引き継ぐようなパターンをデザインすることもできるという。本書は、父親パターンと母親パターンから、それぞれの特徴を引き継いだ子供パターンの幾何学的な作図法を紹介している。これは感動ものだ!
母親パターンには物理時間を横軸にしたランダムウォークを用意し、父親パターンにはトレーディング時間に変換したランダムウォークを用意する。そして、その二つの特性を融合したマルチフラクタルが得られるという寸法だ。ここでは、フラクタル市場の立方体までが紹介されるが、次元は好きなだけ増やすことができそうだ。
時間の伸び縮みの処理方法は、数学的には「乗算カスケード」と呼ばれるそうな。ここでは、金鉱石を産出する地域の解像度を次第に上げていくようなイメージが紹介されるが、ウェーブレット変換に似ている。ウェーブレット変換は、思いっきり単純な関数の直交性を利用して成分を分解する。フーリエ変換にしても、正弦波と余弦波の直交性を利用して成分を分解する。なるほど、思考の原理は同じかぁ。ただ、マルチフラクタルは、幾何学的に何次元でも拡張できそうな予感がする。
更に、複雑系の現象として、突然現れる危機的な現象と、周期的に見える長時間相関の二つの激動の形を考察している。価格の大きな変動が一度現れると、ある程度持続する傾向もあれば、同じ方向の変動が単純に続くこともある。あるいは、それらの傾向が突然止まることもあれば、変動が逆向きになることもある。過去の事象が長時間相関の記憶効果によって、どの程度影響を与えるのかはまるで気まぐれだ。
そこで、この二つの形を検証する手段として、ハースト指数(H)と指数アルファ(α)を紹介してくれる。Hは、0から1の値をとり、0.5より大きければ持続性を示し、0.5より小さければ持続性を示さない。αは、値が低い時は突然の変動を起こす可能性があり、値が高い時は標準モデルに近い振る舞いをする。Hはトレンド性が見えやすくなり、αは市場リスクが見えやすくなるというわけか。

4. 凸凹とフラクタル次元
100年ほど前、リチャードソンという研究者は国境線の長さの矛盾を指摘したという。スペインとポルトガルの国境線の長さは、スペイン側は987km、ポルトガル側は1214kmとしているそうな。オランダとベルギーの国境線の長さも、オランダ側は380km、ベルギー側は449kmとしているそうな。正確な微分ができなければ近似するしかないわけだが、基準の物差しを短くすると海岸線の長さがどんどん長くなる。
この現象を特徴づけるために導入されたのが、「フラクタル次元」だという。直線ならばフラクタル次元は1となる。しかし、イギリスの海岸線は1.25、オーストラリアの海岸線ではもう少し滑らかで1.13、南アフリカの海岸線は1.02、といった具合に半端な数字になる。分岐を繰り返す気管支の先に広がる肺胞の表面積は、テニスコート一面分もあり、肺の表面のフラクタル次元は3に近い値になるという。肺の中の気道はきわめて入り組んでいて、ほとんど3次元空間を埋め尽くすというわけか。
フラクタル次元とは、図形の凸凹の様子を定量化する量ということになる。そして、あらゆるランダム性をフラクタル次元で表すことができるかもしれない。音楽や絵画や...精神も...

5. 金融理論も捨てたもんじゃない!
本書は、正統派金融工学が生み出した三つの理論の優れた点を考察している。それは、CAPM(資本資産価格モデル)、MPT(現代ポートフォリオ理論)、ブラック=ショールズの公式である。これらは、経営学修士(MBA)を取得するのに必須科目だという。
銘柄ごとに平均と分散などのグラフを描けば、リスクの高い銘柄と低い銘柄が見えてくる。そして、リスクとリターンの按配から、好みの銘柄を集めて独自のポートフォリオが作成できる。この概念は分かりやすく、投資をする上でまず勉強するところであろう。株式だけでなく債券や為替などを盛り込むこともできる。
CAPMは、ポートフォリオ理論を単純化したもので、株式指数型投資信託の概念を生んだ。
更に、ブラック=ショールズの公式の登場で、市場と同様にオプション価格を随時計算できるようになった。金融派生商品の価格づけに現れる確率微分方程式を編み出し、リスクに値段を付ける仕掛けを作ったわけだ。これらの理論が、投資をギャンブル性から工学へと持ち込んだ。フラクタル分析は、このあたりの理論の発展形と捉えることもできそうだ。
ところで、リスク管理のために世界中の銀行で使われるVaR理論というものがある。それは本当に機能しているのか?まさか、みんなが同じリスク管理思考に陥っているから、一斉に金融危機として現れるということはないよなぁ?BIS規定のような国際基準を設けるのもいいが、リスク分散には多様性に鍵があるような気がするけど。重要なのは規定ではなく、運用状態の情報の透明性である。危険な運用者がいたとしても、まともに情報が開示がされていれば、金利が上昇するだけのこと。市場には危険を好むギャンブラーが多いのも事実であり、彼らを単純に否定することもできまい。金融機関がいかに安全運用しているか、その努力で競争の原理が働くように誘導しなければ、規定は言い訳にされるだけであろう。

2011-10-02

"巨大企業が民主主義を滅ぼす" Noreena Hertz 著

前々からノリーナ・ハーツ女史の書を読んでみたいと思っていたが、なんと絶版中ではないか!いつでも入手できると侮っていたら...てなわけで図書館へ。
今日、どこの民主国家でも選挙の投票率は低下傾向にあるらしい。それは民衆の無言の抗議を示しているのか?それとも政党政治の限界を示しているのか?いまや政治不信は世界的風潮となりつつある。社会人類学者レヴィ=ストロースは原始社会の研究において、政治的首長は社会の必然から生じるものではないという見解を示した。ニーチェ風に言えば、政治家は余計な人々というわけか。これは真理かもしれない。グローバリズムの真の姿とは、政治家不要説ということか?...そんな予感をさせてくれる一冊である。

巨大化する多国籍企業が巨額な政治献金を行えば、政治家の行動を縛ることになる。民間企業がなんの見返りもなく資金提供するとは考えにくい。アメリカのように国民皆保険の設立を夢見たところで、反対派の保険業界から多額な献金を受けていては骨抜きにされるのも仕方があるまい。政治家がどんなに立派な公約を掲げようとも、選挙を介さない連中によって政治が動かされる現実がある。
本書は、「企業による無言の乗っ取り!」の実態を暴き、資本主義とグローバリズムの行き過ぎが引き起こす民主主義の衰退に警鐘を鳴らす。そして、政治や企業に対して市民の新たな関わり方を提唱する。これは反資本主義を唱えたものではない。過去に資本主義が富を生み、自由の尊さを教えてくれたのは事実である。資本主義以上の社会システムが模索できない今、このシステムに改良を続けていくしかあるまい。
ただし、我が国はこのようなレベルで経済政策や国家政策を議論できる土壌が、まだできていないことは虚しい。政策が悪いという前に将来計計画がない。善悪はひたすら結果論で評価され、その場のギャンブルに委ねられる。政治屋は、数の派閥を利かせるには、無思想、無理念のチルドレン議員を多く輩出することが最も効果があることを知っている。そして、次の政策には反省を盛り込むことすらできず、問題先送りの泥沼に嵌り込んでいく。これは、世論調査ばかりを気にする日和見政権が長期化することの悲劇であろうか。説得する政治は、いまだ見ることができない。将来ビションに対する説得がなければ、なんで増税議論ができようか。

民主政治にとって選挙が絶対的な制度とは思わない。それでも、現時点で人類が編み出した最も実践的な制度であることは確かだ。政治家たちは選挙制度を自らの手で機能不全に陥れてきた。そもそも選挙制度を国会で決めることに矛盾がある。現制度で当選した連中が、わざわざ見直すだろうか?「泥棒が刑法を作っているようなもの」とは、よく言ったものだ。おまけに、国対が存在するとは憲法違反ではないのか?憲法第41条に「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」と記されているにもかかわらずだ。
政治支援団体は資金をちらつかせ、政治屋はその資金で選挙戦略を練る。いわば脅し屋とたかり屋の構図がある。もはや「清き一票」を信じる人は少数派であろう。支援団体や献金の規模の違いはあれど、どこの民主国家でも原理は同じだ。
しかし、献金する企業が悪いとばかりは言えない。現実に、実業家の中には慈善活動に従事する人々がいる。彼らは、その成功が不必要な格差を生じさせたと罪を感じ、懺悔心でも抱くのだろうか?実業家は現場を知っている。そうでなければ事業は成功しない。現場に則した実践的な政策立案のできる能力やマネジメント能力を持っている。政治家のように上辺の政策とは根本的に思考水準が違うはずだ。もし、彼らが倫理観に目覚めることができれば、これほど政治的に役立つ連中はいないだろう。
「行政が後ずさりすれば、企業は新たなチャンスだ。政治はこれまでになく曖昧にブランド化された商品となり、企業は社会と環境に対する責任を負うことによって、道徳的というありがたい評価を得るとともに、実際のビジネス面でも利益をあげることができる。」
とはいっても、企業の本来の性格は利潤を求めることにある。経営不振ともなれば、生産効率の悪い部門から削られ従業員は解雇される。慈善活動は余裕のある範疇でしかできない。対して、政府は耐え難い格差や不公平社会を抑制するために存在し、ボランティア的な性格がある。だが、財界と政界が癒着するならば、どうして資本主義や自由主義の暴走を防ぐことができようか。

では、企業を倫理的に導くことはできるだろうか?反社会的な領域に及ぶ利潤追求は、透明性のある情報公開によって抑制することができるだろう。近年、内部情報の漏洩や内部告発が企業イメージを失墜させ、その存続を脅かす。ただ、社会的制裁は情報の正確性があってはじめて機能するもので、エセ情報が流布したおかげで非のない企業にダメージを与えることもある。
では、情報の正確性を誰が検証できるのか?マスコミは信頼できるのか?マスコミもまたスポンサーに逆らえないし、大企業や政府の圧力を受けやすい組織であることは周知の通りである。いまや報道屋は政治屋と同じくらい、いやそれ以上に胡散臭いとされるが、そんな疑惑をマスコミ自身が報じるわけがない。近年、インターネットは、大手マスコミが語ろうとしない情報が得られる点で社会的役割が大きい。現実に、北アフリカや中東でソーシャルメディが改革運動を高めた。だが、欺瞞やエセ情報が流布しやすいのも事実だ。
んー...どこにも浄化作用が見当たらない。
本書は、個々の自由意志で参加する民衆運動を訴えている。マスコミにも、政府にも、企業にも、民衆の眼で圧力をかけようというわけだ。これが具体的で最も現実的な方策であろうか。不買運動やボイコットといった民衆運動や消費者運動は社会的意義が大きいので、大企業や政府も無視できないはず。ただ、民衆が偽情報で扇動されると厄介なことになる。人間は個人では冷静でいられても、群衆化すると感情論に煽られ暴徒化しやすい。となれば、個人の能力として情報の目利きが要求され、個々で思考して行動することが求められる。
...などと言えば、民主政治とはなんと難しいシステムであろうかと絶望感に苛まされる。やはり、シャングリ・ラのような超高齢化社会でもなければ、精神が成熟できず実現できそうにない。
んー...人間の悪魔化を抑制する手段は、それぞれの業界の緊張的関係しか思いつかない。競争の原理とは、「毒を以て毒を制す」を意味するのか。

1. 諸悪の根源
本書は、英国でサッチャー政権が米国でレーガン政権が誕生したあたりに諸悪の根源があるとしている。新自由主義と叫ぶ連中が「レッセフェール!」を布教しながら市場シェアを拡大したために、市場は制御不能な怪物と化したと。「小さな政府」をスローガンにWTO、IMF、世界銀行が世界各国に圧力をかけてきたことは周知の通り。そこで決まって福音されるのが、「富裕層が貧困層を牽引して、経済を回復させる...」だ。しかし、富裕層が潤った頃に景気は再び後退局面に向かう。これが経済サイクルというものか。
株価が上昇したところで、庶民の生活が向上するわけではない。だが、株価が暴落すると思いっきり庶民の生活を圧迫する。この一方向性はなんなんだ?エントロピーの法則なのか?容認できない二極化は、かつての貴族社会のように階級を固定化する。財産という優位性によって、富裕層の子孫たちが明日のリーダーを担うような社会がまともなのか?
経済学者アマルティア・セン曰く、「穀倉が作物いっぱいなときでも、飢饉が起こりうる。」
冷戦構造が終結し、イデオロギー対立による軍事的脅威が収まると、政治の主な役割は経済に向けられた。むかーし、社会主義や共産主義は福祉の分配に成功していたかに見えた。だが、腐敗から巨大官僚主義が蔓延るまでに時間はかからず、結局、貧民から搾取するシステムとなった。そして今、資本主義が同じ轍を踏んでいる。冷戦構造は、資本主義の暴走を抑制するために、ある程度機能していたのだろう。単一のイデオロギーしかない世界では、民主主義は自身の本質を見失うのだろうか?かつての共産主義圏ですら資本主義や自由主義の成功に憧れて、欧米式の経済コンサルタントを受け入れた。その最たるものは、ノーベル賞経済学者を擁したドリームチーム「LTCM」だ。その結果、世界規模の経済危機を招き入れ、市場経済への信頼を失墜させた。そして残されたものは、耐え難い格差社会と不公平社会であった。これがグローバリズムの正体か?小さな政府は、なんでもかんでも民間に委託すればいいと考える。そして、国家防衛の要である軍事を専門とする企業が出現した。次は、政治を専門とする民間企業の出現か?

2. 無言の乗っ取り!
今日、経済政策は消費主義と同一視され、政府は相変わらず消費を煽る。経済循環は消費に見出すしかないのか?人類が相対的な価値観しか見出せないならば、経済循環も相対的なものとなるはず。絶対的な経済循環というものが認識できなければ、循環は欲望とともに拡大を続けるしかないだろう。
いまや国際的巨大企業の力は、中小国家を凌ぐほど強大化している。ヘッジファンドなどの投機家の資金力は、国際経済に影響を与えるほど怪物と化した。金融市場は、続々とデリバティブやオプションを発明していき、新しい金融商品は爆発的なキャピタルフローを生み出す。それに通信コストやコンピュータ処理の低コスト化が輪をかけ、もはや政府は海外投資に規制をかけることもできない。
しかし、増え続けたのはポートフォリオ投資だけではない。80年代あたりから、企業は生産拠点をより効率のいい場所に移し、前例のないペースでグループ企業が設立された。
本書は、最大規模の多国籍企業100社で、グローバルな外国資産の約20%を支配していると指摘している。最大規模の多国籍企業6社のそれぞれの年間売上は1110億から1260億ドル。GDPで上回るのは21か国に過ぎないという。ウォルマートは、ポーランド、チェコ、ウクライナ、ハンガリー、ルーマニア、スロバキアを含むほとんどの中央ヨーロッパ、東ヨーロッパ諸国よりも収入が多いそうな。この傾向は21世紀になっても衰えず、多国籍企業は合併を繰り返す。そして、政治と癒着し、選挙とはまったく無関係に国家を乗っ取るほどの力を発揮する。各国はIMFや世界銀行に門戸開放政策を押し付けられたが、利益を得たのは多国籍企業だけではない。多国籍企業が進出した相手国政府と腐敗した役人、外国企業に就職できた幸運な人々などがいる。
本書は、第三世界では売国奴となりさがる政治屋が蔓延り、不正行為に慣れっこになったと指摘している。政治屋は、選挙資金を盾にこのゲームに積極的に参加したというわけか。正義、公正、権利、環境、さらに国家安全の問題でさえ、なおざりにされたという。
自国の企業利益が絡めば、軍事独裁国家や人権侵害国家ですら援助し、もはや民主国家の誇りすら感じられない。ここには、経済が政治よりも重んじられ、市民は単なる消費者とみなされ、人権など無視される実態がある。しかし、企業に道徳観念がないわけでもないという。社会的責任、持続しうる経済循環、環境への配慮などを訴えるのは、むしろ政府の大臣よりも企業のCEOであろうという。政治家は、企業の暴走を抑制するというよりは、むしろ助長する側にいるのかもしれない。

3. 最後のシャングリラ?
人口約60万のブータン王国は、最後の独立ヒマラヤ公国で、チベットとインドの間に位置する。一人当たりの所得550ドルといえば貧困国とされるが、この数字だけでは誤解を招きそうだ。国民の85%が自給自足農業に従事し交換取引が当たり前だから、衣食足りてホームレスがほとんどいないそうな。成功は、環境、倫理、精神の発展に基づいて決定され、道徳性と教養は物質的富にまさるとされる。入国する旅行者は6000人(1998年)と少なく、旅行客の一人一人に行動規範が渡されるらしい。チップを渡さないこと、現地の子供たちに物を与えないなどは、物乞いをさせないためだとか。商業施設や宿泊施設も、環境破壊につながるとして建てられない。ブータンの仏教はエコロジーを重んじるそうな。
C・ドルジ計画相の言葉が紹介される。
「わが国は、何でも現代的なものを無批判に受け入れる、ということはしません。過去に発展の道を歩んだ人たちの経験に頼り、私たちの能力と必要にふさわしい足取りで、じっくり現代化に取り組むつもりです。そうしてわが国の文化、伝統、価値体系と制度を持っています。」
しかし、グローバリズムの波はこの国にも及んでいるようだ。バスケットは国技となり、NBAが人気を博すという。インターネットも普及し、農家は農作物を売り外貨を得ているという。シャングリ・ラのような価値観を持った国は、ごく少数派として俗世間から隔離しないと実現できないのだろうか?ジェームズ・ヒルトンの小説のように、250歳ぐらいまで生きないと到達できない価値観なのか?

4. 産業スパイ
1947年、ソ連を監視するために米英の諜報機関が組んで「エシュロン」を組織した。後に英語圏のカナダ、オーストラリア、ニュージーランドが加わる。
しかし、ソ連崩壊後も電子機器を使ったエシュロンの監視は続く。自由主義を脅かす国に向けられるのではなく、米英の同盟国の事業を傍受する商業活動に変貌したという。あらゆる通信が傍受され、他国の企業活動の情報を自国企業に流していた。この驚愕な事実が表面化したのは2000年。機密扱いを解かれたアメリカの防衛関連文書がインターネットに公表された。政府が営利目的で動けば、企業は政治資金を差し出すであろう。ドイツでは発明や開発計画が盗まれたことが明るみとなり、その損失は年間100億ドルに上るという試算もあるとか。もちろん日本企業も餌食にされ、東南アジアで受注されるはずの契約がアメリカ企業にかすめ取られたという。クリントン大統領は産業スパイもCIAの任務だと明言したという。
「ボーイングにとってよいことは、アメリカにとってもよいことだ。」
そもそも、産業スパイを企てない国の方が珍しい。欧州連合の報告書は、フランスとドイツが共同して、北米と南米の双方を盗聴していることを明らかにしたという。中国は海外留学生と科学者に商業的機密を本国に回すように奨励しており、日本は産業スパイの達人だという。かつて総合商社が、日本企業の情報戦略として機能したことも確かであろう。そうでなければ、政治が三流でありながら経済大国にまで伸し上がった理由が説明できない。しかし現在は、海外勤務を拒む商社マンが多いという噂を耳にする。

5. カネがなければ選挙にならない!
「贅沢な資金が手に入る人しか立候補できないのに、どうして自由で公平な選挙ができるだろうか。」
政治家は、優秀なコンサルタントや、マーケティング、マネジメントのプロを雇い、効果的なメディア戦略を練る。アドバイザーや広告業者は、政治家よりも有名となる。いまでは、政治屋がバラエティ番組に出演して選挙運動をするといった現象まである。政治理念の相違点がはっきりしなければ、単純に資金力の差がものをいう。そして、企業にとって良い投資先となる。税制においても、政治家にとって必ず有利な方向に働き、継続的な癒着をもたらす。この論理からすれば、政治は腐るしかないではないか。
対して、企業側もうかうかとはできない。政治資金を提供しなければ、すぐにでも独占問題で非難の的にされる。実際、アメリカ政府がマイクロソフトの独占を問題視したのは、ビル・ゲイツがしかるべき時期に政治献金をせず、時流に乗ったロビー活動にも参加しなかったことが原因だと言われる。なるほど、ある業界に有利な法案が通る時は、その方面から多額な企業献金がなされたと思えばよさそうだ。かつて煙草産業の宣伝広告塔とされたF1マシンだが、F1界の実力者バーニー・エクレストンが献金すれば、イギリスは煙草企業による自動車レースの後援に反対しなくなった。政治献金の方法は、どこの国でも法律すれすれのグレーゾーンで行われる。そして、怠ればスキャンダル沙汰かい。

6. 消費者運動
「多国籍企業の間では政府は弱い、国民国家はもはや世界における力の中心ではない、政治家にはもはや企業をリードできず、企業のほうが政治家にできることとできないことを教えているのだ -- こう思った今では、もう政治家に働きかけるのをやめている。その代わり、新たな政治的権力、企業に対してストレートに動こうとする人々が増えている。」
政治的行動を起こすために最も効果的なやり方は、スーパーマーケットや株主総会で直接意思表示することだという。民主的先進国では、人々は投票する代わりに買い物をする。そして、非倫理的企業に抗議するには、企業イメージを非難し、その製品を買わないことだと。ただ安いからといって飛びつく消費行動が民主主義を崩壊させるというわけだが、生活が苦しければ誘導することも難しい。それに、民衆が企業情報をいかに正確に入手できるかにもかかっている。となれば、そこで暗躍できるのがメディアということになる。民主主義社会では、メディア支配の社会になりやすい。
「ニュースの消費者として、他の業界を監視するようにメディアを監視することは不可能だ。メディアが独立した外部の力に対して説明する責任を負わなければ、民主主義の死活にかかわる報道の自立性が危険にさらされることになる。」
政治や企業にとって、主要なジャーナリストと仲よくなるのが効果的というわけか。報道倫理に関する委員会なるものが、どこまで第三者機関として機能するだろうか?検証機関というものは、世論の非難を避けるために組織され、政治力が思いっきり働いて弱い者いじめをする傾向がある。伝統的なメディア、政府、企業、シンクタンク、研究機関から提供される情報と誤報が錯綜する中、消費者にとって新たな情報源が必要であろう。NGOや圧力団体の活躍に頼るのも一つの方法であろうが、彼らもまた暴走する可能性がある。民主主義の根幹は、情報の信頼性と透明性ということになろうが、あまり透明過ぎても国家戦略が機能しない。
近年、情報漏洩や内部告発が頻繁に起こるのは、社会への不満と無関係ではあるまい。警察が機能しなければ自警団が組織されるが、社会が機能しなければ民衆的な自主運動が盛り上がるというわけか。

7. 大慈善家でも知られるソロス
ジョージ・ソロスといえば、「イングランド銀行を破産させた男」として有名な大投資家。むかーし、この有名人の伝記的物語を読んだ時、金融界のデリバティブ商品に問題があると指摘していたことに共感した。ソロスは、ポンドがヨーロッパの為替相場メカニズム(ERM)から脱退することに賭け、見事に10億ドルの利益を稼いだ。結局、イギリスはポンドを切り下げてERMからの脱退を余儀なくされた。いわゆるブラックウェンズデー(1992.9.16)である。結果的に、ソロスはポンドをERMから解放し、慢性化したイギリス経済に回復のチャンスを与えたという見方が多い。実際、ソロスがハイリスクで得た資金は慈善寄付へと流れているという。また、ドラッグ規制からセルビア人の攻撃に対するサラエボ防衛まで、アメリカ政府がためらった分野で高邁なプロジェクトを次々と立ち上げたという。その活躍ぶりは称賛と非難の両方に及ぶ。
ソロスはハンガリーで育った。彼の父はユダヤ人弁護士だが、一家はキリスト教徒を装って強制収容所送りを免れたという。大戦後、共産主義国で過ごした後にロンドンへ渡り、哲学者カール・ポパーの「開かれた社会」という概念に感化されたという。彼は、アービトラージ(裁定取引)の達人となり、ヘッジファンドのプロとして開化する。
しかし、1970年代後半から金儲け以外のことに目を向けたという。結婚が破綻し家族を顧みなかったことに気づき、まもなく自責の念と羞恥心が大きな位置づけとなり寄付活動を始める。1980年代、ハンガリー全土にコピー機を供給したのは、コミュニケーションを促進して検閲を難しくすることで、民主化運動を直接支援するためだったという。更に、共産圏から民主化のために欧米に働きかけたが、それは実らなかったらしい。ナチスと共産主義を生き抜いた経験が、民主化への情熱を掻き立てたようだ。
しかし、アメリカでは「過剰な個人主義」と非難される。ソロスは「制限のない市場資本主義は共産主義と同様、オープン・ソサエティにダメージを与えうる」と警告したという。

2011-09-25

"超ヤバい経済学" Steven D. Levitt & Stephen J. Dubner 著

全世界でベストセラーになった「Freakonomics(ヤバい経済学)」の続編、「Super Freakonomics」の登場。前作では、社会の相関関係や因果関係から生じる人間の行動を、経済的インセンティヴ、社会的インセンティヴ、道徳的インセンティヴの視点から見事に説明されていた。特に印象に残っているのは、アメリカにおける犯罪の大幅減少の要因を中絶の合法化にあるとしたことであろうか。これには、識者と呼ばれる人々から思いっきり批判されたであろう。今作では、一般的な話題の地球温暖化問題に殴り込みをかけたために、ノーベル賞級の識者たちから批判されることになる。
本書はミクロ経済学でも行動経済学の分野を扱うわけだが、その視点は一般的には反社会的ということになろうか。アル中ハイマーな泥酔者にとっては、こちらの方が正道だけど。全般的に理性的な方策よりも現実的な方策を重視している。経済的とも言えるけど。そして、人間行動を観察する上で重要なのは、「インセンティヴ(誘因)」にあるとしている。
「現代の世界では、危ない振る舞いをやめさせるのに一番効果があるのは教育だとぼくたちは信じがちである。これまで行われた意識向上キャンペーンはほとんど全部、そういう考え方が裏付けとなっている。地球の温暖化からエイズの予防から酔っ払い運転まで、どうれもそうだ。そして、お医者さんは病院で一番教育をうけた人たちなのである。」
これは、最も知識的とされる医者が忙し過ぎて手を洗わないという統計情報にもとづいて語られたものである。知識や教育で行動が完全に誘導できるならば、有識者や有徳者がダイエットや禁煙に失敗することはないだろう。ましてや政治と金の問題など発生するはずもない。
専門家とは、その筋の情報で優位に立ち、それを利用して人を出し抜こうとするインセンティヴを持った連中だという。
「政治と経済学はアメリカではとくに相性が悪い。政治家はありとあらゆる理由をつけて、ありとあらゆる法律を作るけれど、彼らがどれだけいいことをしたつもりでも、彼らの作る法律は本物の人びとが本物の世界でインセンティヴにどう反応するかがてんでわかっていない。」
ちなみに、経済学用語の「累積的優位」とは、「ヤバい!」を意味するそうな。

新たな社会問題が生じれば、有識者どもは決まって悪行を批判し、理性的な解決策ばかりを持ち出す。そして、暴力映画はけしからん!風俗業はけしからん!などと叫びやがる。だが、こうした現実的な方策がいかに犯罪を抑制してきたであろうか。はたまた、交通事故の増加が悪いニュースとばかりは言えないかもしれない。臓器提供を期待する人々にとっては良いニュースかもしれない。人間が善悪の双方において本質である限り、その片方を遠ざければ思考は偏重するしかあるまい。科学的に答えの分からない問題を、そのまま世論に委ねるのは危険だ。巧妙な宣伝ばかりが残り、政治的思惑に陥りやすいのだから。俗世間の圧倒的多数は、残念ながらアル中ハイマーのようなあまり思考しない人々であろう。人間は基本的に面倒で厄介な事を嫌う傾向がある。これだけ情報インフラが発達しながら、いまだにテレビの影響力が強いのは、人間の受動的な性質によるところが大きい。ちなみに、放送とは「送りっ放し」と書く。
高度な情報化社会ともなれば、思考すべき段階で他人の意見が先に入り込み、冷静に思考する機会が失われがちとなる。議論に参加しやすくなれば、思考が活性化されて、その相乗効果で様々な意見が生まれやすいのも事実だが、本当に自分の意見なのかも疑わしい。仮想化社会では、自己の居場所を他人の意見に求めるところがあって、多数派に属することで安住したりする。そして、多数決の原理は、良くも悪しくもいっそう強烈な効果を発揮することになろう。情報に対する姿勢は、ますます個人の能動的意欲で決まり、情報格差や意識格差も生じやすい。
そうなると、唯一拠り所にできそうな思考は客観性である。すなわち科学の目だ。あらゆる社会問題において、マスコミは科学者の意見をもっと重視すべきだが、その見極めが難しい。科学者にも政治的思惑を好む輩がいるからだ。ましてや、科学的見解を自称有徳者たちの批判に晒されては、感情論に陥るのは避けられない。だから、政治から独立した科学機関が必要となるのだが、研究は予算獲得が要となり政治の思惑と結びつきやすい。あのNASAですら。

ファインマン曰く、「すべての知識は実験で検証される」
人間社会を実験の場にすることは難しい。地球温暖化の原因がCO2にあるのか?それを実際に調べるために、CO2を排出するエネルギー源を大胆にも数年間すべて止めてみるなんてことは不可能だ。ここに経済学や社会学の難しさがある。だが、ほとんどの経済政策や社会政策が、実験的に試されてきたのも事実である。
人間は、自虐的に過去の行いを非難して、自己を救済しようとするところがある。歴史を振り返れば、その性質が感情論と結びついて誤謬に陥った例も少なくない。確かに癒し系の言葉や理性的な思考は心地良くさせてくれる。だが、それだけに思考が硬直化する恐れがある。だから、アル・ゴア的な理性的な風潮を広めるだけでなく、非理性的かもしれないけど、あらゆる科学的な方策を模索すべきであろう。科学的見解では、温暖化の結果としてCO2の増加を招いているとするのが有力だ。では、地球温暖化の原因は何か?自然的要因と人為的要因の論争はいまだ尽きない。まぁ、複合的な要因なんだろうけど。
本書は、直接太陽光を遮断して地表を冷やす方法を、大規模な火山噴火をヒントに議論している。成層圏に亜硫酸ガスをばら撒くというアイデアだ。不純物をばら撒くとなれば、有識者どもから、なんと不謹慎な!とか、SFじみている!などと地球工学を蔑む声が大きくなる。確かに、それが実現できたとしても、なんらかの副作用が生じるだろう。それでも、緊急に地表を冷却する必要があるような危機的状況を想定しておく必要はある。問題の本質が明らかにならないうちは、違った視点を持ち続けることが思考停止を防ぐ意味でも重要である。本書が指摘しているのは、まさにこの点にある。
ちなみに、太陽光発電はヤバいらしい。問題はパネルが黒いことで、太陽光を吸収するためには絶好だ。電気に変わるのはたった12%ほどで、大部分は再放射されるという。となると、地球温暖化に寄与しているわけか。我が家は太陽光発電にして10年近くになるが、節電などと言って大きな顔はできんなぁ。もっとも環境意識からではなく、電気代がもったいないという経済的誘因が働いただけなんだけど。

1. サルの経済学
キース・チェンのオマキザルの実験は興味深い。オマキザルの脳は小さくて、食うこととセックスぐらいしか考えないという。
まず、何ヶ月もかけてコインに価値があることを教える。コインを渡してからご馳走を見せるといったことを繰り返して。研究員が複数いて、それぞれ持っている食べ物にコインを渡すとその食べ物が得られるといった仕組みにすると、好き嫌いがあることもわかったという。
次に、価格ショックと所得ショックの概念を持ち込む。コイン1枚でゼリーが3つ買えたのを、突然、コイン1枚では2つしか買えないことにする。すると、餌の値段が上がると買う量を減らし、値段が下がると買う量を増やしたという。なんと、右下がりの需要曲線をサルが実践してみせたわけだ。サルは合理的なのか?
更に、二つの賭けで非合理的な概念を持ち込む。一つ目の賭けは、最初にぶどうを1つ見せ、コイントスの結果でもう1つ与えるか決める。二つ目の賭けは、最初にぶどうを2つ見せ、コイントスの結果で1つ引っ込めるかを決める。どちらも同じ確率だが、一つ目の賭けは儲かるかもしれないという心理が働き、二つ目の賭けは損するかもしれないという心理が働く。サルは一つ目の賭けを圧倒的に好んだという。つまり、損失回避という心理が働くというのだ。この実験的心理は、見事にデイトレーダたちの行動を再現している。
チェン曰く、「株式市場の投資家のほとんどは統計的にサルと見分けがつかない。」
驚くべきはこれからだ!
実験室で強烈な事件が起こる。ある日、一匹のサルが、餌を買わずに12枚のコインをひったくった。銀行強盗か?コインが床にちらばると、7匹のサルが奪い合う。研究者たちは、仕方なく餌で釣ってコインを回収したという。
「これでサルたちはもう一つの大事な教訓を学んだ : 犯罪はおいしい!」
また、雄サルが雌サルにコインの受け渡しもやったとか。サルにも思いやりってものがあるのか?いや、しばらくすると、その二匹はセックスをはじめたという。セックスが終わると、雌サルはコインでぶどうを買いにきたとか。売春行為か?
ここには経済学の本質が暗示されているのではなかろうか。

2. インド事情
ここに語られるインドは近代化したイメージからは程遠い。ただ、本書の出版が2010年だからそんなに古い情報でもなさそうだ。
いまや世界経済の主力プレイヤーとなったインドは、国全体ではいまだ耐え難い貧しさがあるという。人口の2/3以上が住む農村部では、電気がきている世帯は半分、トイレのある世帯は1/4、平均寿命も識字率も低く、汚染も汚職も酷いという。また、女性差別が激しく、人口でも女性の方が3500万人も少ないのだそうな。男子を授かるのは401kの退職年金を受けるようなもので、大人になれば親を養ってくれるし葬式も出してくれる。
一方、女子の場合は、退職年金は持参金にすり替わるそうな。持参金という慣習は昔から批判されているが、いまだ花嫁の両親は花婿の家族に金銭や車や不動産などを贈る風習が残っていて、結婚式の費用も花嫁の実家が支払うのが一般的だという。過去には、間接的に女の子には医者に連れて行かなかったり、直接的に助産の段階で殺されたりしたことが予測されるらしい。近年では医学の進歩でもっと巧妙になり、性別を選んで中絶するなど生まれる前に処理するやり方が増えているという。
「嫁焼き!」ってなんだ?毎年10万人を超える若い女性が焼き殺され、その多くは家庭内暴力だという。HIV/AIDSの感染率も高いらしい。ノーベル賞経済学者アマルティア・センは、足りない女性を「喪われた女性たち」と呼んだとか。そうえいば彼の本を一冊読んだことがあるが、経済学者というよりは人道的社会学者という印象がある。劣悪な国家事情が、こうした経済学者を生んだのだろうか?
CATVなどの情報インフラが整っている家庭は出産率が低いそうな。出産率が低いということは、女性の自立性が高まり、健康上のリスクも低下していることを意味するという。また、テレビのある家庭は娘を学校に通わせる割合が高いとか。そういう家庭は、少なくとも女の子をそんなに低く評価しているわけではないのだろう。
耐え忍ぶ女性というイメージは、日本の慣習にも残っているがケタ違いなようだ。どんなに新興国に経済的勢いを感じても、どんなに他の先進国を羨ましく思っても、やはり日本人で良かったと思うのであった。

3. 馬車から自動車、そして温室効果ガス
産業革命が起こると、世界で近代化が進み人口は急増した。群衆やモノが大量に移動することになると、交通渋滞、交通事故、保険料の高騰などの問題が発生した。特に甚だしいのは、ロンドン、パリ、ニューヨーク、シカゴなどの大都市圏。尚、これは自動車ではなく、馬のお話。
19世紀、急速な近代化の途上で建築資材の輸送や自家用馬車など、様々な輸送手段として馬の需要が高まった。同時に馬の交通事故が多発。馬が怪我でもすれば交通渋滞となるので、その場で安楽死させることも多い。死骸は非常に扱いにくいので、街路清掃人たちは腐るまで放置する。その方がバラバラにして運びやすいから。また、車輪や蹄鉄の騒音が凄まじく、神経を病む人も多かったという。病院通りでは馬の通行を禁止する街もあったとか。なによりも最悪なのはウンコだ!当初はウンコ市場もうまくまわっていて、農家が買って肥料にしていた。しかし、あまりにも馬の交通量が増えると、ウンコが大量に余るようになる。雨が降ればドロドロになって、道に溢れ... 読んでるだけで悪臭がしてきそう!おまけに、恐ろしく有害!ハエの大量発生で伝染病を媒介、ネズミや害獣が群がる。ウンコはメタンを出す。強力な温室効果ガスだ。
この大問題を解決したのが、ある技術革新である。そぅ自動車の発明だ。なるほど、自動車のパワーを馬力で表記するのもうなずける。当初、馬環境の救世主として登場した自動車が、今では環境破壊の代名詞とされるのも皮肉だ。
結局、馬から自動車に交通手段が変わっただけで、根本的な問題は先送りされてきたということか。いや、逃れられない永遠の社会問題なのかもしれない。人間が生きるということは、消費を意味する。電気、ガス、石油などのエネルギーがなければ生きてはいけない。そして今、新たな自然エネルギーを求めている。しかし、新たに発明される自然エネルギーも、いずれなんらかの形で有害となるのだろう。人類の歴史は、まさに創造的破壊の繰り返しというわけか。歴史を振り返れば、終末論のような絶望的な観測よりも、技術革新によって思ったよりも良い方向にきたように思う。では、これからもそれを期待していいのか?あるいは、期待を外した時に人類は滅亡するのか?

4. 地球温暖化
数十年前まで、地球は氷河期に向かっているとされていた。それを地球工学的に阻止すべく研究もされてきた。今でも長期的には変わっていないのだろう。しかし、21世紀では温暖化が進んでいるとされる。近年の気温上昇や異常気象などを鑑みても、そう考えるのは自然であろう。ただ、世論の流れでは、その原因がCO2の増加とされている。まるでCO2は悪魔のような言われようだ。しかし、科学的見解では、むしろ逆で温暖化の結果CO2が増加したというのが有力なようだ。となれば、CO2削減を打ち出す政府の方策は的はずれではないのか?CO2削減は、地球温暖化とは別の問題で寄与するかもしれないけど。
小学校時代には、人間は酸素を必要とし、植物はCO2を必要とすると習った。農業では、CO2を倍にして生産物の成長を促すような配慮をすると聞く。人間が食料とする植物にとって、CO2は命なのだ。
ここ100年間で、大気中のCO2の濃度が280ppmから380ppmに増加したという。その数字だけで不安に駆られるだろう。だが、進化の過程にある8000万年前は、1000ppmもあったという。ちなみに、普通の高層ビルでもそのぐらいのCO2に保たれているというから、それほど毒にはならないのだろう。仮にCO2が2倍になっても、地球が放射するエネルギーの2%も捕捉しないという。ただ、CO2の半減期は100年もあるらしいから、溜りはじめると厄介なのかもしれない。
地球温暖化の原因が自然的か?人為的か?という論争は尽きないが、人為的な要因がゼロということにはならないだろう。人間が息をすればCO2を出すし、牛や羊などの反芻動物の息やオナラやゲップやウンコはメタンを出す。ちなみに、何の因果か?カンガルーのオナラにはメタンが含まれていないそうな。だからといって、牛の代わりにカンガルーを食べればいいというものでもないだろうけど。
そして、産業活動で化石燃料を使用すれば、大量の温室効果ガスを発生する。人間は悪魔めいているなぁ。となれば、アル・ゴア的な発想も悪くはない。
しかし、だ。地球温暖化の主因がCO2やメタンなどではなかったとすると、どうだろうか?人類は、危機に備えて別の方策を考えておく必要はないのだろうか?問題の原因を世論の多数決に求めても仕方があるまい。気象変動モデルによるコンピュータシミュレーションは、今のところいまいち信頼に欠ける。金融機関のリスク管理モデルも当てにならないし、人類はいまだランダムウォーク現象に対して無力である。人類にとって、どの程度の気温上昇まで許容できるのかもはっきりしない。地球温暖化の問題よりも地球の自転軸がずれるほうが、はるかに危機のような気もするけど。
ちなみに、最近の気候モデルは、どれも同じような結果を出す傾向があるという。かけ離れた結果では予算がつかないので、パラメータや係数を微妙に調整するのだそうな。研究助成金を得るためには、気象モデルまでもが多数決に従うというわけか。大震災時の原発事故では、せっかく放射能予測システムSPEEDIがありながら情報公開されない。環境汚染の前に、科学が政治に汚染されているのか?

5. 火山活動をヒントにした経済的方策
本書は、不純物を成層圏にばら撒いて直接太陽光を遮断する案を紹介している。それは、1991年のピナトゥボ火山の噴火で、成層圏にばら撒かれた亜硫酸ガスによって、一時的に地球の平均気温が0.5度下がったという科学的根拠からきている。ピナトゥボ火山級の噴火が数年おきに発生すれば、21世紀の人為的な温暖化の大部分は相殺されるという論文もあるという。多少の不純物をばら撒くぐらいならOKなのだろうか?そもそも人間が生きること自体が、公害を撒き散らすようなものだから、どこかで妥協点を見出すしかないのかもしれない。しかし、環境保護団体などから、不謹慎な!という批判が殺到したようだ。それでも、最悪な気温上昇を招きそうとなれば、手段として準備しておく必要はあろう。
NASAは、もっと突飛なことを考えているらしい。「複合スクリーン」計画は、空にアルミニウムのメッキをした気球を何十億個も飛ばして太陽光を屈折させる案。「スペースミラー」計画は、光を反射する5万5千個の帆を上空の軌道に乗せる案。いずれもSFじみているが、アメリカの凄いところはこういうことを本気で研究していることである。
さて、亜硫酸ガスをばら撒く話に戻るが、経済的にも工学的にも現実味があるらしい。毎年少なくとも2億トンの亜硫酸ガスが大気中にばら撒かれているという。火山が25%、産業活動が25%、残りが波しぶきなどの自然現象。地球を変えられるほどの硫黄排出量は、今の1%のまたその1/20で、それも空高く持っていけばいいだけという試算もあるらしい。つまり、めちゃくちゃ長いホースがあればいいというのだ。
更に、成層圏よりも対流圏にばら撒くといいことがあるらしい。温暖化の大部分は極地で起きる現象で、赤道よりも緯度の高い地域の方が4倍も気候変化に敏感だという。ある計算では、北極圏近くで亜硫酸ガスを1年に10万トンばら撒くと北半球の温暖化が抑制できるという。成層圏の風は時速100マイルもあるので、吹き出された霧は10日ぐらいで地球全体に行き渡るとか。しかも、成層圏の大気は北極と南極に向かって自然に螺旋運動をするという。これは、てこの原理からくるもので、アルキメデスの言った「私に支点をくれれば地球を動かしてみせよう」というのはそういうことらしい。
地球温暖化は人間が産業活動を完全にやめたとしても続くかもしれないし、ましてや理性や道徳などで人間の行為を戒めても解決しそうにない。工業化のために散々CO2を排出してきた先進国の説得を、新興国が受け入れるかは疑問だ。それよりは、地球工学的に模索する方が現実的であろうか。地球工学をあまり信用しないアル・ゴア的な政治屋が派閥を利かせれば予算がつきそうにないけど。
「アル・ゴアとかけてピナトゥボ火山と解く。そのこころは、どちらもこの惑星の冷やし方を示している。でも、割りの良し悪しって点では、二つの間には宇宙1個分ぐらいの隔たりがある。」

6. モンティ・ホール問題
ベイズの定理における事後確率、あるいは主観確率の例題だが、興味深いのでメモっておこう。
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それぞれ1/3ずつの確率で当たるクジを引く。プレイヤーはまず選択肢3個のうち1個を選ぶ。それからクジの主催者が残った2個のうち、ハズレを1個除く。クジを開ける前に、プレイヤーは最初に選んだクジを、残った1個のクジと変えても良いと言われる。
さて、プレイヤーは変えた方が良いか?
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一見どちらもで同じ確率で1/2に見える。だが、実は最初に選んだクジの当たる確率は1/3、残ったクジが当たる確率は2/3になるという。これは直感的には難しい。
そこで、最初の選択肢を100個にして、2回目の選択の前に98個を除くとすれば分かりやすいか。最初は1/100で、次は99/100となる。

2011-09-18

"心の旅路" James Hilton 著

ジェームズ・ヒルトンを記事にするのは、「失われた地平線」、「チップス先生さようなら」に続いて3冊目だが、この小説が絶版中なのは惜しい!...さっそく図書館へ。
いずれも彼自身が生きた時代、すなわち19世紀から20世紀にかけての暗黒のヨーロッパ情勢を反映しながら、英国紳士の生き様を描いている。そして、過去の記憶をめぐって物語が展開されるところまでは同じ。しかし、この物語の記憶のぶっ飛び方は、まるで精神分裂症だ。「失われた地平線」は冒険的で奇想天外、「チップス先生さようなら」は感傷的で退屈な日常、そして「心の旅路」は結末の意外性から推理小説風の様相を見せる。

時代背景を細かく描写しながら主人公の精神状態を重ねる繊細なシナリオ、これこそヒルトン小説の真髄であろうか。けして結論を急がない。前戯の長さがやや退屈かと思いきや、なんとなく興味を惹くという感覚を持続させる。結末の意外性は冷静に考えるとなんのことはない。ただ、はっきりとしないモヤモヤ感を残すのがたまらない。読者の精神を、現実なのか幻想なのか、その境界線を彷徨させながら弄ぶような物語。
その最大の演出効果は、時系列をぐじゃぐじゃにしてしまうテクニックだ。本書は、記憶喪失から生じる一人の分裂した三つの人生を物語る。記憶喪失の状態と、記憶が戻っても記憶喪失だった頃が失われた状態、そして、それらが結合し完全に記憶が蘇えった状態。
まず、大戦の塹壕戦で記憶喪失となった男が記憶を戻して帰郷するが、故郷では戦死したとされ居場所のない疎外感を味わう。やがて実業家や政治家として成功する現在、精神病院に記憶喪失で収容され、そこから救い出してくれた女性との結婚という過去、この二つの出来事が完全に分離したかのように展開される。そして、過去の女性を懐かしんで会いに行くと、その正体が現在と結びつく。大方このような流れが、現在と過去を往来しながら章ごとに錯綜する。
そういえば、精神病とは脳内時間が連続性を失った現象だという話を聞いたことがある。記憶の断片と離散性、これらをごちゃごちゃに混ぜてしまえば、精神病へ誘なうような作品になるわけか。
ちなみに、時間を自在に往来する小説では丸谷才一著「笹まくら」を思い出す。丸谷氏の時間のぶっ飛び方は半端ではない。何の前触れもなく、いつのまにか過去へ現在へと自在に瞬間移動する。本書はまだ章で区切られるだけ追いやすいが、同じような小説家の凄みが感じられる。映画版ではこのダイナミックな感覚は、まず味わえまい。

物理法則では、時間は一定に刻まれることになっている。しかし、それは本当だろうか?物理時間と精神の内に体系化される時間とは別物に思えてならない。過去の記憶を遡れば平気で前後しやがる。過去、現在、未来が規則正しく並んでいるのかも疑わしい。相変わらず時間は、短く感じたり長く感じたりする。インパクトのある期間が強調され、苦い思い出ばかりが蘇える。曖昧な記憶は夢の中に紛れ、現実との区別もつかない。人間の記憶なんてものは、実にいい加減なものだ。
「夢は未来を予示するものである。われわれは、夢が現実になるまで忘れてしまっているにすぎない。不明瞭な記憶のかけらをのぞいたいっさいを、われわれは忘れてしまうのである。」
精神病が脳内時間の連続性を失うことに原因があるとすれば、精神病を患わさない人間なんているのだろうか?そもそも、時間なんてものは人間の意識の産物ではないのか?一定に刻まれると勝手に信じながら。それにしても記憶喪失とは不思議な現象である。個人的なことはすっかり忘れても理性的な行動はとれるのだから。酔っ払いの方がよっぽど質ちが悪いという噂だ!

1. ハリスンとチャールズ・レーニエの出会い
1937年11月11日、第一次大戦の休戦記念日。ハリスンは汽車で移動中、2分間の黙祷を捧げる中で、40代前半の英国紳士チャールズ・レーニエと出会う。二人は、車窓の美しい朝景色を眺めながら、暗いヨーロッパ情勢について会話する。そして、チャールズはフランスの塹壕戦を体験したことを話し始める。戦友のほとんどを失い、自分も砲弾を浴びて記憶喪失になったこと。ドイツ軍の捕虜だったかもしれないこと。戦時中ドイツの歯科医は代用金属を使うようになり、それが歯に詰められていたのだ。
ところで、休戦記念日に出会った偶然が、この無口な紳士をお喋りにさせたのだろうか?実は、二人は翌日のスウィスィンの晩餐会で同席することになっていた。チャールズが主賓で、ハリスンはそのレセプションの委員を務めていることを明かす。そして、翌日再会する。ハリスンは、チャールズが貴族の血筋ではなく、二流のパブリックスクール出身で、大実業家の息子で、保守派の下院議員ということを調べていた。金持ちで有力者であるが目立とうとしないタイプ。ハリスンは昼食会でレーニエ夫人とも会う。彼女は社交的で完璧な政治家の妻を演じていた。
ハリスンは新聞業界で職を探していたが、チャールズの誘いで秘書を引き受ける。そして、秘書のホッブス嬢から仕事を教わる。ホッブス嬢はチャールズを崇拝し、夫人に嫉妬しているようだった。ハリスンは、チャールズが好きになり、彼の過去に興味を持つのだった。やがて、ホッブス嬢は辞職しハリスンが引き継ぐ。

2. 記憶を語り始める
1919年、チャールズはリバプールにいた。ひとけのない公園を歩いている自分がいる。車にひかれ、運転手がその場に置き去りにしょうとしている光景。記憶の断片が戻りそうで、すぐに砲弾の記憶と錯綜する。そして、自分がスタートンにある田舎の大邸宅に住んでいたことを思い出す。終戦から一年もして連合軍が勝利したことを知る。しかし、なぜリバプールにいるのかは分からない。
スタートンへ帰ると父は危篤状態。レーニエ家は7人兄弟で、戦死したと思われた一人が戻ったことで遺産相続で揉める。医師サンダーステッドと弁護士トラスラブが激しく争う。サンダーステッドは、ショックで病状を悪化させるので、帰国した朗報を父親に知らせるべきでないと主張する。トラスラブは、父親の依頼に対する義務として、チャールズの権利を主張する。チャールズは揉め事にうんざりし家を出る。やがて父親が亡くなったという知らせが届き、再びスタートンへ。遺言状にはチャールズの配分はなかったが、トラスラブの道義的な説得で遺産の7分の1を出し合うことに同意させた。
1920年になると戦勝国の面影はなくなり、株の大暴落の風説が流れ新聞紙上をにぎわす。レーニエ家の事業も、長男チェットが継いだものの失敗する。チェットは自社株に投機するために銀行から金を借りていた。そして、チャールズに借金申し入れの手紙が届く。スタートンへ戻ると、家族会議が開かれ互いにヒステリックになっている。レーニエ家は破産したのだった。チャールズが会社の状況を調査すると、放漫と不合理さはこの上ない。馬鹿げた値段で大量の株を買っていただけでなく、あらゆる経費が浪費されていた。そして、事業を引き継ぎ再建に乗り出す。
1924年には優先株の配当金が支払われるまでに回復。事業が好転した頃、チャールズは姪のキティと婚約する。本当の血筋ではないようだけど。しかし、ニューヨーク市場で株暴落。イギリスもその影響は避けられない。その頃、ハンスレットという静かな女性が秘書となった。キティは、この女性とチャールズの波長をなんとなく感じたのか?婚約を解消する手紙を残して去った。その後、キティはマレーシアに大農園を持っていた男と結婚して、半年もしないうちにマラリアで死ぬ。

3. メルベリーの精神病院にいたことを思い出す
チャールズは、ビジネスと政治の相棒として欠かせない秘書ハンスレットと結婚する。そして、大不況時に空売りで大儲けし、「シティの大物」と呼ばれるほどになった。
ある日、ピアノでも聴きたい気分になり、ピアノリサイタルでショパンを演奏するピアニストと出会う。そして、そのピアニスト夫婦と「国旗に敬礼」という芝居を見に行った。それは、第一次大戦を舞台にした気高いイギリス人と極悪非道のドイツ人が登場する喜劇かかった物語。この芝居で、チャールズはメルベリーの精神病院にいたことを思い出し、すぐに運転手にメルベリーへ走るように指示する。

4. 終戦直後、メルベリーからの逃亡劇
1917年、塹壕戦で砲弾を浴び意識が戻った時、ドイツの病院に身元不明、確認不可能患者として入院していた。後に、スイスを通じて捕虜交換がなされ、その際にイギリスにまわされた。病院を転々とし、中でもメルベリーは一番嫌いだったが、戦後の病院はどこもいっぱいで選べる状況にない。
1918年、終戦直後の夜、街中を散歩する。終戦にわく群衆はまだ興奮が冷めきれない。死者は死者のまま、けして生きかえってはこない。失った手足、失った眼、失った正気。帰国した兵士たちは自虐的に何かを叫び、衝動のままに群がる。群衆を避けて歩いていたが、やがて群衆に巻き込まれる。まもなく、一人の兵士を助けて!と娘が叫び、そこに群衆の同情が集まった。娘はアウル亭というパブに運ばせる。彼女の名はポーラ・リッジウェイ、旅回りの劇団の女優で、本名ではない。兵士の名はスミス、チャールズの記憶喪失時の仮名で、これまた本名ではない。ポーラは、彼をスミシーという愛称で呼び、心の安らぎを与えた。スミスは、アウル亭の庭で働くことになった。
だが、メルベリーの病院から二人の男が探しに来た。さっさと逃げないと病院に連れ戻される。ここから、スミスとポーラの逃亡劇が始まる。そして、ポーラの劇団の一座に加わり、俳優以外のどんな仕事もこなす。報道先発員、背景描き、帳簿係、コピーライター、雑用係など。これが病状に良い影響を与える。
この劇団は、「国旗に敬礼」という芝居をやっていた。ある日、一座の一人が病気になり、スミスに代役がまわってくる。一座の連中は何も心配していない。彼はあらゆる仕事を起用にこなすのだから。それに大した役でもない。イギリス軍服を着て、敵軍が進軍してくる!という報告をする役で、台詞も一言、二言。しかし、昔の息苦しさが蘇えり、台詞がごもり、観客を笑いの渦に巻き込んでしまう。これには屈辱を感じないわけにはいかない。なによりもショックだったのは、恥をかいたことよりも、心の病がほとんど治っていなかったことだ。彼は一座を去るしかないと考え、荷物をまとめる。
途中ファルバートンの町を急いでいると、鉄道の陸橋下で警備員が通り抜けできないと言った。幻想に憑かれたのか、銃を持っていると勘違いし、警備員を押し倒して逃げる。そして、五つの州が見える丘を登って田舎に辿り着く。ポーラは後を追った。スミスはポーラに愛を告白し、二人は婚約した。だが、新聞には「陸橋下で襲われる、ファルバートンの警備員重傷」と掲載され、その犯人は紳士風だったと記される。スミスが振り切った時に、何かの拍子で怪我を負わせたのか?この新聞記事が、次の逃亡先へと導く。そして、ロンドン行きの列車で牧師プランピードに出会い、意気投合してロンドンの牧師館で部屋を借りる。
二人は牧師のはからいで結婚する。牧師の人柄がスミスの病気に良い影響を与える。この幸福の中で、スミスはものを書き始める。作家になろうなどという野心からではなく、内から湧きあがる欲求に素直に筆を執っただけだが、偶然にも出版社に採用される。プランピードは、スミスにリバプールで地方新聞の編集長をしている友人を紹介した。そして、仕事の依頼がきてリバプールで会うことになった。新聞記事によると、ファルバートンの警備員は回復して退院しているらしい。二重の喜びとなる。リバプールに着くと雨が降っていた。滑りやすい通りを横断しようとして転び、自動車事故に遭遇したのだった。

5. ポーラとレーニエ夫人
チャールズは、ビジネスとポーラの思い出に挟まれながら、過去にこだわり続ける。そして、昔の思い出を追ってロンドンへ向かう。プランピード牧師は亡くなっていた。
一方、レーニエ夫人はチャールズが気がかり。夫婦は喧嘩をしたこともない。幸せそうに見えるが、どことなくぎこちない。夫人は秘書ハリスンに告白する。チャールズを崇拝し、キティと婚約した時も嫉妬していたと。キティが亡くなった後、チャールズはますますビジネスだけになってしまった。だから、夫人にもチャンスがあったと。結婚すれば心が通じると信じていたが、実業家の妻と政治家の妻として社交性を演じるぐらい。夫人にも以前子供がいたが、すぐに亡くなったという。
ハリスンは、彼女の話に同情せずにはいられない。そして、チャールズがポーラに出会ったのがメルベリーで最初の休戦記念日、二人はロンドンで結婚、プロポーズしたのがピーチングズ・オーバーという田舎ということを話して聞かせる。
そんな時、ドイツ軍がポーランドへ侵攻したニュースがラジオで流れる。世界は地獄へ舞い戻った。夫人は、それを自分の心境と重ねながら絶望感を募らせ、五つの州が見渡せるあの美しい場所へ行くと言いだした。そして、ハリスンをともなってチャールズの後を追う。
しかし、なぜレーニエ夫人は、五つの州が見渡せることを知っているのか?どうやって、その場所に見当をつけるのか?丘を登っていくと、チャールズが両腕をいっぱいにのばして寝転んでいた。再会した夫妻は、懐かしそうに見つめ合う。夫人は「ああ、スミシー!スミシー!まだ、おそくなんかはないわ!」と言って、チャールズの胸に飛び込む。チャールズの記憶は完全に蘇えっていた。えぇ!レーニエ夫人ってポーラだったの?

2011-09-11

"チップス先生さようなら" James Hilton 著

前記事で扱った「失われた地平線」は、なかなかいい。ジェームズ・ヒルトンにちょっぴり嵌りつつあるか。彼の作品は「失われた地平線」、「チップス先生さようなら」、「心の旅路」など、よく映画化されている。文学作品の傑作が映画化されることはよくあることだが、あまり賛同したくない。小説は読者のペースに自由に合わせることができるが、映画はそのリアルタイム性のために筋を追いかけることに目を奪われがちとなる。作者の意図したものも見えにくくなり、作品の性格そのものを変貌させてしまうことさえある。書き物には、作者が生きた時代背景に対する皮肉がこっそりと鏤められるが、映像にはそれが表れにくい。本質的なものの余韻が乏しくなるのは残念なことだ。反応の鈍い酔っ払いには読書の方が合っているのだろう。
と言いながら、大作を読むのは面倒なもので、映画の方だけ観ている文学作品も多いのだけど...

「失われた地平線」が冒険的であったのに対し、「チップス先生さようなら」は老教師がひたすら学園時代の回想に浸るという平凡な作品である。その感傷的な退屈さがいい。...などと感想を漏らすと、もう歳だねぇ!とからかわれるのがオチだけど。
二つの作品には共通点も見られる。それは、対称的な価値観の融合である。「失われた地平線」では、物質的な西洋文明と精神的な東洋文明の調和が描写されていた。「チップス先生さようなら」では、急進的な革新主義と英国紳士の伝統主義を調和させる。いずれも偏り過ぎると、ろくな社会にならないと警鐘を鳴らしているのだろうか?新旧のコラボレーション!ヒルトンの価値観には、中庸の美学といったものが感じられる。

舞台は19世紀から20世紀にかけてのイギリス。チップス先生はパブリックスクールのブルックフィールド学校に赴任する。エリザベス朝時代に初等学校として設立された伝統校だが、特別優秀な学校というわけではない。標準的なパブリックスクールといったところか。チップス先生も格別な教師というわけではない。それでも一般の例に漏れず、青年期は活発で一流校の校長を夢見た時代もあった。そして、徐々に平凡を楽しむようになる。65歳で職を退き、学校から道一つ隔てたウィケット夫人の家で部屋を借りて住む。かつて教鞭をとった学舎を眺めながら、新入生の名前を覚えたり、時々学生をお茶に誘ったりして思い出に耽る。身分相応の経歴から、それに相応しい幕を閉じていくという物語である。
しかし、平凡な人生とは対照的に時代背景は目まぐるしい。資本階級や金融業者が幅を利かせてくる中で、マルクス主義の流れから急進的な社会主義が盛り上がり、ゼネストや工場閉鎖、婦人参政運動、アイルランド自治法案、第一次大戦といった激動の時代。保守派と改革派の論争が激化する。新しい風潮と合理性は一目置かれてはいるが、恐れられ好まれてはいない。その対称的な存在に、礼儀正しく古くさい老教師が位置づけられ、象徴的な関係は、典型的な英国紳士のチップス先生と急進的な革新精神を持つ女性キャサリンの出会いである。チップス先生は、近代的で斬新的な女性が苦手だったにもかかわらず恋に落ちる。キャサリンも、当世風を毛嫌いする中年男を嫌っていたが、同年代の青年よりも奥深いことを知る。この二人が20以上の年の差婚をするというなかなかの設定だ。おまけに、頭脳明晰で美人とくれば男性諸君が憧れるのは必定。若くして亡くなるのは、ちと惜しいが...
チップス先生の教育法はマンネリ化していたが、キャサリンの助言でうまくバランスされていく。ただ、チップス先生は十回に一回反論するぐらいで、ほとんどキャサリンの論理にしてやられる。やはり女性は強い!それほどのパワーがなければ、婦人参政権を勝ち取ることもできなかったのだろうけど...
やがて、馬が合わない活動的なロールストンから引退を勧告される。最新の学校を目指すには旧式な人間は邪魔というわけだ。彼は、資本階級と金融業者を贔屓し、株で儲けたことを自慢するようなオッサン。周囲からは同情と声援が巻き起こる。みんなロールストンの奴隷的駆使を憎んでいたのだった。ここには、産業界が民主主義を広めるのではなく、金融を膨らますことに熱中する風潮への皮肉が込められている。まるで学校を金融屋や経済人の生産工場にするのか?と聞こえてきそうだ。ヒルトンは、当時のパブリックスクールの教育のあり方に問題を提起しているのかもしれない。
さらに、第一次大戦の描写が奥行を与える。当初この戦争の見通しは楽観的だった様子が描かれる。ヨーロッパには、クリスマスまでには片付くだろうという楽観視から、多くの悲劇を招いてきた歴史がある。チップス先生もバルカンの問題は大したことではないと語る。しかし、四年も続こうとは。戦線が膠着状態になると、ブルックフィールド付近に兵舎が続々と建つ。そして、礼拝堂では戦死した卒業生の名前が読み上げられる。教師としてこれ以上辛いことはなかろう。

本書の鋭さは、「チップス先生さようなら」というフレーズに不思議な力を与えているところにあろうか。若く元気な時は前向きに響くが、年老いてくると後ろ向きに響いてくる。結婚前夜ではキャサリンがこの言葉で優しくからかう。卒業生が語れば明るい未来への巣立ちとなる。しかし、やがて冗談には聞こえなくなる時がやってくる。
眠るのでもなく、目が醒めるのでもなく、なんとなく夢うつつな感じ。いろんな夢と声がそこらじゅうに広がっていく。これが老人病というやつか。年の割りには元気な爺さんだけど。そして、思い出に耽りながら眠るように死んでいく。精神が黄昏れていき天寿を全うするオールドボーイ。幸せな死に方とはこういうものであろうか...おいらの理想は死ぬ瞬間まで本でも読んでいたい。

ところで、チップス先生は洒落の名人ということになっている。もともと生真面目な性格だが、キャサリンのおかげで柔らかい人間に変化させ、厳格とユーモアを兼ね備えた円熟味を開化させる。年を重ねると、「あーム!」という意味のない音を話の間に挟むのが癖になって、洒落の精彩も欠いていく。
それはいいとして、本書の駄洒落やジョークはあまりおもしろくない。なによりも読むリズムが合わない。物語自体はまあまあなだけに惜しい。洒落の熟成振りを、肝心なポイントの前で笑いが起こるといった形で表しているのだが、聞く側が冗談の飛び出すのを待ち構えている雰囲気がいまいち。「あーム!」ってのがいたるところにあって目障り!「満場ドッと笑った!」やら「哄笑!」といった演出効果も、あまり役に立っていない。翻訳の難しさであろうか?日本語の文脈に合わないのだろうか?いや、名人芸に期待しすぎているだけのことかもしれん。
そういえば、あるバーテンダーが「酒に落ちる」と書いて「お洒落!」という能書きを垂れていた。棒が一本足らんよ!

2011-09-04

"失われた地平線" James Hilton 著

シャングリ・ラと言えば、この小説。それは、俗世間から隔離された理想郷の物語である。ちなみに、「ラ」とはチベット語で「峠」を意味するそうな。
ジェームズ・ヒルトンが生きた時代は、二つの大戦とともに「殺戮の世紀」と化す。彼は、絶望から逃れるために、このような世界を夢想したのだろうか?あらゆる美徳が戦争や残虐行為に砕かれ、科学や技術は大量殺戮のために最大限活用される。まるで狂気の沙汰だ!暗黒の時代は、ますます暗闇へ向かい破壊のカオスへ誘なう。「失われた地平線」は、まさに第二次大戦へと向かう1933年に刊行された。

ヒルトンは、未来への暗示をハイ・ラマ(大僧正)に語らせる。
「おそらく世界がまだ見たこともないような嵐になるでしょう。武力によっても安全たり得ず、権力によっても救い得ず、科学によっても解明され得ないでしょう。あらゆる文明の花々が踏みにじられ、あらゆる人間が巨大なカオスへと投げ込まれるまで、これは荒れ狂いつづけるでしょう。わたしはこの幻影を、ナポレオンの名前さえまだ知られていなかったころに見ておりました。そしていま、わたしはそれを刻一刻、さらに鮮明に見ているのです。」
その地にあるのは、東洋哲学と西洋文明の融合した「シャングリ・ラ」という名の理想郷。
「東洋の諸民族が異常なまでにのろまなのではなくて、イギリス人やアメリカ人がたえずばかげた熱にうかされて、世界じゅうを駆けまわっているにすぎない」
俗世間では、流行を知らないと馬鹿にされる。報道屋や政治屋が存在感を強調すれば、世論は過熱し市場は大袈裟に反応する。だが、現在の瞬間的な現象には多くのノイズが紛れ、後世の歴史に照らしてみないと客観的に評価することができない。情報は歴史的に淘汰され、洗練されたものが生き残るであろう。真理の探究という観点からすると、生き残った情報にのみ耳を傾けることが、合理的な生き方なのかもしれない。しかし、現代人は毎日ニュースを読まないと気が済まない。アル中ハイマーこと俗世間の泥酔者は、世間から隔離されることを恐れずにはいられない。

本書には、重要な哲学的概念が二つあるように映る。それは、理想郷の原理が革新的な意味での「適度の異端」「中庸の原則」とによって機能していることである。思想を権威的に押し付けるのではなく、納得した者だけがこの地に留まり、納得できない者は自由に去ってもらう。自然の原理こそが最強の布教活動というわけか。
社会システムでは、身分階級があるわけでもなく、政治的なシステムは一切存在しない。選挙のような民主主義的な機構すらない。せいぜい大僧正とその他大勢という構図があるぐらいなもの。完全に治めるには、治めすぎないようにするという考えか。ここには、哲学的な共通価値を持った人々によってコミュニティが形成されるという自然学的な秩序がある。
また、図書室や音楽室が充実し、東洋知識だけでなく、西洋知識も豊富に吸収できる最高の学問環境が整っている。彼らの意識は、過去に学ぶのと同じく、現在の叡智と未来への洞察力に信頼を置くという。
「伝統の奴隷にならぬというのが、わたしどもの伝統でしてね。」
真の知性と理性といった純粋な欲望を探究する環境には、政治やイデオロギーといった脂ぎった欲望に汚染されない空気が必要というわけか。その唯一の手段は学問というわけか。適度や中庸といっても、知識は最高レベルを求め、知的欲望だけは自由に解放するというわけか。ここでは、中庸と中途半端をごっちゃにしないようにしたい。

本物語は、主人公コンウェイの体験談をラザフォードという登場人物がまとめたものである。時代は、イギリス領インドでガンジーの「非暴力運動」で盛り上がるあたり。中国の教会病院に辿り着いたコンウェイは、チベットの秘境で拉致され不思議な体験を語り始める。
そこには、精神の高まりを得ようとする共通価値を持った人々の世界があったとさ。250歳にもなる大僧正が住み、100歳を過ぎても若々しいラマ僧たちがいて、65歳の処女娘が慰安を与えるような不老長寿の国である。精神の高まりを得るには100歳を超えないと達しえないということのようだ。長寿の秘訣は、煙草と麻薬とお茶、そして瞑想と叡智の追及なのか?これには生物学的にも論理的にも説明がつかない。
コンウェイは大僧正から後継者に指名されるが、結果的に仲間を助けるという理由からこの地を去った。どこか合点のいかないところがあったからだろうか?彼は、前の大戦でフランスの塹壕戦を経験し、社会に絶望し疎外感に見舞われていた。戦争後遺症が狂気へと変貌させ、夢物語を描かせたのか?あるいはカルト教団に洗脳されたのか?その話に確たる証拠はないが、余韻らしきものは残っている。その推理小説風の結末が物語を盛り上げる。
ところで、「シャングリ・ラ」って実在するの???
実際にモデルになった村が存在するらしいが、有名になれば政治利用されるのが世の常。やはり、俗人たちが踏み入ることのできない秘境でなければならないわけか...
ちなみに、本当に美味い店は大々的に宣伝しないもので、ほとんど口コミでしか伝わらない。ポリシーのようなものを大切にしているからであろうか。あまり知れ渡ると客質も落ち、真の常連客を遠ざけてしまう。商売根性も中庸が良しというわけか。やはり、真に癒される空間は、隠れ家のような存在であってほしい。

1. チベットの秘境へ
1931年、インドのバスクールで革命が起こり、白人居住者をペシャーワル(現パキスタン)へ疎開させていた。輸送機には、マハラージャ(回教君主)が提供する贅沢な小型旅客機が含まれていた。その飛行機に4名が乗り込む。東方伝道師ブリンクロー女史、アメリカ人バーナード、イギリス領事コンウェイ、副領事マリソン大尉。
だが、その一機のみがまったく正反対のヒマラヤ山脈を越え、チベットの秘境へと拉致された。パイロットは飛行機が着陸した時の衝撃で死んだが、死に際にわずかなことを喋った。この近くにラマ教の寺院があって、谷間に沿って行けば食糧も宿もあると。4人が谷へ向かう途中、ラマ僧の一行に出会う。その中の威厳のある老人が張(チャン)と名乗り、シャングリ・ラ寺院へ案内する。

2. シャングリ・ラの生活
セントラル・ヒーティングなどの設備が整い、チベットの首都ラサまで電話が引かれている。そこは、西洋的衛生知識と東洋的伝統の融合された社会があった。
「ローマ人は仕合せだった、わたしはよくそう考えます。彼らの文明は機械という致命的な知識まで行きつくことなしに、熱い風呂にたどりついておわったのですから」
ブリンクロー女史は、ラマ僧が不道徳者と決めつけるかのように宗教論争を持ちかける。張老人は、多くの宗教にはそれぞれ適度の真理がふくまれていると答える。
「信仰の根幹には中庸があり、いかなる行き過ぎも避けるという徳を説き、逆説的にはその徳そのものの行き過ぎですら避ける」
住人たちは、適度の厳格さをもって支配され、適度な服従で満足しているという。適度に真面目、適度に控え目、適度に正直、多種多様の信仰と習慣を持ちながら、大部分の人が適度に異端視し合うといったところか。
反感的なマリソンは、帰国するために人夫を雇いたいと申し出る。だが、この地を離れてまで案内する者はいない。とはいっても、外界と時々は連絡をとり、物資を取り寄せているのも事実。荷物を運んでくる連中を人夫として雇えばいいわけだが、彼らはいつ来るのか?二か月ぐらい先か?マリソンが子供じみた癇癪を起こすと、張老人はその場を去る。熱を帯びたところでは会話を避け、冷えたところでは会話を進める。くだらない口論を避けるのが最も賢明というわけか。しかし、不自由なく歓待してくれるのだから、それほど悪い話ではない。東洋文化を蔑んだり、人種偏見があれば別だけど。張老人は、コンウェイは賢明、マリソンは感情的、ブリンクロー女史は知的盲目の中に異教徒を眺める調子、バーナードはまるで執事と接するような馴れ馴れしい態度、といった具合に観察している。
ここには、古典美術が並ぶ建物や、天井が高く広々とした図書館がある。世界最高の文学作品だけでなく、値踏みのできない難解かつ珍妙な書物までも多数揃えている。だが、どの書物を探しても「シャングリ・ラ」の名は載っていない。
音楽室には、ハープシコードとグランドピアノが設置され、西洋の偉大な作品がすべて揃っている。ラマ僧たちは、特にモーツァルトを高く評価しているという。そこに中国服をまとった羅簪(ロー・ツェン)という少女(実は65歳?)が来て、ラモーのガボットを演奏して癒してくれる。これほどの作品がなぜ揃えられるのか?イエズス会のように金銀をどっさりと隠しているのか?
やがてマリソン以外の3人は、この地に興味を持ち始める。ブリンクロー女史は、この地にキリスト教を説く使命を抱く。バーナードは、実は本名をチャーマーズ・ブライアントといい、金融詐欺で追われていて偽パスポートで旅行している。彼は、犯罪者として帰国するぐらいならこの地に留まる方がましと思っているかもしれない。コンウェイはパイロットの埋葬に出会う。遺族によると、そのパイロットはシャングリ・ラの偉い人の命令で大山脈を越えたという。4人がこの地に来たのは偶然ではなく、シャングリ・ラの教唆によって計画されたことを知った。

3. 政治不要論
犯罪は滅多に起こらない。ラマ僧院直属の聖職者に違反者を追放する権利は与えられているが、滅多に行使されることはない。見知らぬ人を冷たく扱ったり、意地悪く口論したり、先を争ったりといったことは、なされるべきではないという慣習がある。低級な本能を刺激するようなことは軽蔑される。こうした共通価値を持った社会は、世界の中でごくちっぽけな領域に構築することはできるかもしれない。しかし、全世界に広げることは不可能だ。違反者を追放する場所がなくなるのだから...
「渓谷を訪問しているあいだ、たしかにコンウェイは善意と満足の気風をこの上なく楽しく感じた。それというのも、あらゆる技術の中で政治の技術が完全の域にもっとも遠いということを知っていたからであった。」
政治的なものがどうやって運営されるのか?長老の思惑だけで決まるわけでもあるまい。すべての人が、自分を含めて客観的に人間性が測れるならば、あるいはその能力が測れるならば、自明であろうけど。すべての人が真理を探究し、それに近づくことができるならば、政治的な機構は一切必要ないということか?実は、政治なんてものは精神の高まりには邪魔な存在なのか?
ちなみに、レヴィ=ストロースは、著書「悲しき熱帯」で「首長の政治力は共同体の必要から生まれたものではない」と語っていた。

4. ハイ・ラマ(大僧正)の正体
大僧正は、コンウェイとだけ会見し、ペロウという神父の話をする。
1719年、カプチン修道会の4人の修道僧がこの地を目指して何ヶ月も旅をしたという。うち3人は死亡し、ペロウ神父だけが渓谷に辿り着いた。古いラマ教の僧院は、物質的にも精神的にも衰退していた。
1734年、彼の指導のもとに建物の修復と大改造が行われた。53歳のこと。ペロウは、ルクセンブルクの生まれ、音楽と美術を好み語学に堪能、世俗的な享楽はほとんど味わい尽くしていたという。戦争体験から侵略行為の恐ろしさを知っている。谷沿いに金鉱を発見したが、それに誘惑されることもなかった。禁欲主義者ではなく、この世の善きものは楽しむという生き方。帰依者には、教義だけでなく、実用的なことも教える。彼は誇りという動機だけで実践を説く。この人物がシャングリ・ラ寺院を建てたのだった。
1769年、ローマから召喚状が届いたが、この地に留まる。既に89歳の老齢で動けなかった。しかし、98歳になっても元気で仏教の経典を勉強し始める。もともとは、正統信仰の立場から仏教を攻撃する著書を書き上げるつもりで、この地に来たのだった。
1789年、臨終の床についたという知らせが伝わる。108歳のこと。だが、何週間も横たわりながらも、やがて回復しはじめた。麻薬の服用と深呼吸の実践、これが死を防ぐ有効な摂生法だという。やがて、ペロウ伝は幻想的な民間伝承となった。
1794年、ペロウはまだ生きていて、やがて谷のどの寺院からも「感謝聖歌」と「南無阿弥陀仏」が聞えるようになったという。
コンウェイは言った。「あなたはまだ生きていらっしゃるということです。ペロウ神父」。この大僧正は250歳ということか?

5. 経済システムを構築した人物
ヨーロッパから二人目の訪問者が、この谷に辿り着いた。ヘンシェルという若いオーストリア人。ペロウが人々に道を説き、改宗させるために来訪したのに対して、ヘンシェルは金鉱に興味を寄せた。彼の野心は富をつかんで帰国することだった。だが、帰国しなかった。谷の平和と自由が、彼の出発を延ばしていった。そして、ペロウ伝説を知る。友情や愛情といった情念を超越したペロウの慈悲心が、この青年の心を潤した。
中国の美術品や、図書や音楽に関係するあらゆる貴重品の収集は、ヘンシェルによるものだという。金鉱は社会システムを維持するための財源なのだ。必要な物品を外界から取り寄せる複雑なシステムは、ゴールドラッシュといった欲望から免れるための仕掛けである。自然の地形から軍隊による侵略の心配もない。西洋人たちが科学調査で天山山脈の難路を超えてやってくると、訪問者に対する態度に修正を加えていく。金鉱の噂を聞きつけた人々には、すぐに失望して引き返すように。

6. なぜ、4人が選ばれたのか?
様々な年齢の人たち、異なった時代の代表者たちと一緒に暮らすことは楽しいという。だが、ヨーロッパの戦争やロシア革命以降、旅行者や探検家がほとんど途絶えてしまった。外来者の中には、滞在してなんら恩恵を受けず、世間並みの年齢まで生きて病気で死ぬ者もいる。魅力的な人を多く入門させたいが、百歳以上生き長らえる者はわずか。高地などの厳しい自然条件に適応できる人種が少ない。日本人も中国人もいまいち適応しなかったので、北欧やラテン系、アメリカ人の方が適応性があるかと考える。つまり、人口減少の歯止めというわけか。あまり血を濃くするのもよくないのだろう。

7. 謎の人物、満州娘とショパンの弟子
羅簪(ロー・ツェン)は、満州の王家出身、トルキスタンの王子と婚約していた。1884年、嫁ぐ途中、護衛たちが山中に迷い、シャングリ・ラの密偵によって助けられた。18歳のこと。つまり、演奏で癒してくれていた少女は65歳の老婆ということになる。
ショパンの直弟子アルフォンス・ブリアックは、ショパンの未発表の曲を知っていた。彼は、まだ入門して日が浅いので、ショパンのことばかり口にしても、大目に見てやらないといけないという。
「若いラマ僧は自然のことながら、どうしても過去のことにとらわれがちになるものでしてな。まあ、それも未来を直視する必要な段階なのですが」

8. シャングリ・ラを去る
コンウェイは、大僧正と何度か会見しているうちに、この理想郷を譲渡された。その夜、マリソンは羅簪と一緒に逃亡するとコンウェイに告白する。コンウェイも上品な彼女に恋心を抱くが、老婆であることを知っている。そして、シャンブリ・ラにまつわる歴史や、大僧正や張老人との会話を打ち明けた。
しかし、マリソンは信じない。羅簪は処女だったといい、250歳の大僧正が生きていることは生物学的に矛盾していると主張する。マリソンの言うことももっともだ。コンウェイは、自分が幻想に憑かれているのではないかと混乱する。
「はたして自分はいままで気違いであっていま正気に立ち返ったのか?あるいは、しばらくのあいだ正気であったのがふたたび気違いに舞いもどったのか?」
コンウェイは二人とともにこの地を去った。

9. 結局、実話だったのか?
ラザフォードは、コンウェイの話を調査した。4人の消息は不明のままで、シャングリ・ラの噂も聞かない。ペロウ神父も、ヘンシェルも、ショパンの弟子も、満州娘も、その記録を見つけることができない。ただ、マリソンが中国に辿り着けなかったのは間違いないらしい。コンウェイの語ったことは、戦争後遺症による幻想だったのか?しかし、コンウェイはショパンの未発表曲を弾いた。
更に、コンウェイが教会病院に辿りついた様子を調べると、医者が女性に連れられてきたと証言した。その女性は中国人で、熱病を患い到着後すぐに亡くなったという。彼女は若かったですか?と訊ねる、医者は答えた。
「いえいえ、ひどい年寄りでしたよ。 いままでわたしが見たうちで、いちばん年寄りでした」

2011-08-28

"バッハの風景" 樋口隆一 著

「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」(BWV140)を聴きながら記事を書いている。急遽CDを仕入れて...
正直言ってバッハの音楽は難解だ!おかげでバロック音楽はちょっと敬遠してきたところがある。バロックいう言葉には「いびつな真珠」という意味があり、血なまぐさい宗教戦争の香りがする。もともとキリスト教には多くの福音があったはず。2世紀頃、リヨンの司教聖エイレナイオスが「異端反駁」で、四つの福音書以外は認めないなんてするから受難の歴史が始まったんじゃないの?ナザレの高貴なお方は抽象的な事しかおっしゃらない。なのに、凡人は具体的な言葉を求めるからややこしくなる。ちなみに、冒頭の「光よあれ」の解釈は、正統派ヨハネよりも異端派トマスの方が好きだけど。
まぁ...そんな偏見はさておき、激動の時代だからこそ宗派を超えて、民衆を励ましたり安らぎを与えたりするような音楽が求められる。今宵は、この「いびつな真珠」に嵌りつつある。

バッハは、バロック末期に登場し、続く古典派の準備段階を生きた。当時の評価は、オルガニストとしてはピカイチでも、作曲家としてはイマイチだったそうな。啓蒙主義の影響やイタリアオペラの流行で、バッハの音楽は深遠で複雑で時代遅れとされたらしい。通説によると、バッハの芸術は死後すぐに忘れられたとか。ドイツ音楽の父という地位は、ヨハン・ニコラウス・フォルケルの著書「バッハの生涯、芸術および芸術作品について」(1802年)によるという。更に1829年、ベルリン・ジングアカデミーでメンデルスゾーン指揮による「マタイ受難曲」の演奏の大成功が復活気運を高めた。
バッハのオルガン曲は二つに大別できるという。一つは、前奏曲(あるいは幻想曲やトッカータ)とフーガの組み合わせ。二つは、ルター派プロテスタント教会の礼拝と密着したコラール(讃美歌)に基づくコラール前奏曲の類い。
彼の教会音楽の代表作といえば、「マタイ受難曲」(BWV244)とするか「ミサ曲ロ短調」(BWV232)とするか意見の分かれるところであろうか。「マタイ受難曲」は、カンタータの創作活動の大きな波がほぼ終わろうとした頃に書かれた、ルター派教会音楽の集大成と言うべき作品だという。「ミサ曲ロ短調」もまた最晩年の作品で、人生の集大成とも言うべき作品なのだろう。ただ、作品の性格と意義はまったく違っていて、ミサ曲で完成させたのは、カトリックやプロテスタントの宗教的立場を超越した思想という見方もあるそうな。バッハは歴史意識を強く持った芸術家だったようだ。バロック期から古典派期を呼び起こす新旧芸術の融合を計ったと解釈する意見も多いようだが、時代の偶然性からして、ちと理想化し過ぎか。ルネサンス期でもあるし、やはり中心はイタリアかもしれない。
音楽家バッハの生涯を眺めると、彼が転々と勤め先を替えていることが分かる。ワイマールとケーテンが貴族のための宮廷音楽であったのに対し、アルンシュタット、ミュールハウゼン、ライプツィヒでは民衆のための町の教会音楽家として活動した。宮廷音楽には華やかだが主君の束縛があり、町の教会音楽には義務もあるが自由がある。彼の生涯はこの二つの狭間で揺れ動く。どちらが経済的に有利だったかは知らんが、所得倍増計画では成功したようだ。

ところで...
「バッハのカンタータの歌詞は、なんでああ大げさでばかばかしい内容のものが多いのかね。イエスと魂が延々とラブシーンまがいの台詞を言い合うのにはまったくうんざりするよ。」
という印象を持っている人は少なくないだろう。ドイツ人でも奇妙に感じているらしい。19世紀、ベルリンを中心にバッハ復興運動が起こった時、カンタータの普及を妨げたのが歌詞の問題だったという。バッハの声楽曲演奏の第一人者だったカール・フリードリヒ・ツェルターでさえ、友人ゲーテに宛てた手紙に、「最大の障害は、まったく破廉恥なドイツ語の教会詩にあります」と記したという。宗教色を強調したければ、誰にでも分かりやすく大袈裟に俗っぽく叫ぶ方が洗脳しやすい。ドイツ語の分からない日本人には、翻訳でバロック的な誇張は弱められるが、それでもやっぱり...
歌詞の問題は、バッハに協力した神学者や宮廷詩人たちのせいだという。中でも、バッハの友人にして専属詩人の印象の強いクリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーキ(ヘンリーツィ)。彼は、ピカンダーの筆名で風刺的あるいは卑猥な詩を書いて名を上げていたという。バッハがピカンダーの歌詞に基づいてカンタータ年巻を書いていたという推定もある。いわゆる「ピカンダー年巻」だ。

歴史的に興味深いのは、「12音技法」に関する記述である。アルノルト・シェーンベルクが考案したとされる作曲技法のこと。対位法は、それぞれの旋律に独立性を保ちつつも調和させる音楽的技法であるが、古くから教会音楽に根付いている。ただ、12音技法の体系化となると20世紀になってからで、シェーンベルクはバッハを「最初の12音作曲家」としている節があるらしい。「バッハと12音」と題するメモが紹介される。
「おそらく私は次のことをすでにどこかに書いているし、いずれにせよ弟子たちに述べてきた。"バッハは(逆説的に表現すれば)最初の12音音楽家なのである"
事実、バッハはネーデルランドの対位法の秘術を有していた。すなわち七つの音を互いに、その動きの中で起きるあらゆる響きが一つの協和音のように把握されるような位置にもたらす技術である。この秘術を彼は12音に拡大した。
したがって彼が「平均律クラヴィーア曲集」を書き、それがまさに12音のすべてを考慮しているというのも決して偶然ではないのである。」
ちなみに、シェーンベルクは、ユダヤ人の靴屋の息子として生まれ、まったくの独学で音楽を勉強したという。後にユダヤ教からルター派プロテスタントに改宗しているのも、バッハに通じるものがある。だが、ナチス政権下では、抗議のため画家シャガールの立ち会いのもとに、わざわざユダヤ教に改宗しているという。これも、芸術家の持つ自由への執念であろうか...

1. バッハの源流を遡ると、ルター派教会音楽に辿り着く
宗教改革の動乱のさなか、ルターは民衆が自国語で歌える音楽があるといいと考え、作曲家ヨハン・ヴァルターの協力で約40曲の讃美歌集を出版したという。それは、コラールやキルヒェン・リート(教会歌)と呼ばれるもの。コラールは、当初から単旋律で歌われただけでなく、多声に編曲され、また楽器付きで演奏されたそうな。その編曲は、当時の音楽様式を反映して、テノール声部にコラールが置かれたテノール・リートの様式で書かれたという。
16世紀末、主旋律はテノール声部からディスカントゥス(ソプラノ)声部に移され、四声体の簡単な和声付きで歌われるようになる。これが、カンツィオナール・ザッツ(カンツィオナール書法)と呼ばれるものらしい。バロック音楽は、主旋律を簡単な和声で支えるホモフォニックな様式で、世俗的な歌曲を繁栄させた。また、歌詞だけを宗教詩に置き換えるコントラファクトゥムの手法によるコラールも生まれたという。一種の替え歌だ。この二つの傾向を、バッハは「クリスマス・オラトリオ」(BWV248)と「マタイ受難曲」(BWV244)で効果的に用いているという。
バッハよりも100年前、初期のバロック音楽に貢献したハインリッヒ・シュッツという作曲家がいる。彼は、最初の国際戦争と呼ばれる三十年戦争を生きた。ドイツ人口を三分の一にまで減らしたと言われる戦争だ。その厳しい時代に宗教曲が民衆の支えになったことは想像に易い。シュッツは、晩年に「マタイ受難曲」(SWV479)、「ルカ受難曲」(SWV480)、「ヨハネ受難曲」(SWV481)を作曲したという。
ここには、ルター派の教会音楽がシュッツを経て、バッハ音楽を形成したという系譜がある。

2. アイゼナハからオールドルフの幼年期
1685年、ヨハン・ゼバスティアン・バッハはアイゼナハの町に8人兄弟の末子として生まれる。父は町楽師ヨハン・アンブロジウス。町楽師は一応音楽家のようだが、「町の笛吹き」と呼ばれたという。主な仕事は、塔の上からラップを吹いて時を知らせたり、外敵来襲の警報を吹くこと。その任務からして管楽器が主であるが、弦楽器など多くの楽器に精通している多面性こそが町楽師の特質だそうな。町主催の踊りや音楽会、あるいは婚礼などでも演奏し、市民行事には欠かせない存在だったという。バロック期には、教会音楽においてもオルガン以外の楽器の占める割合が大きくなり、町楽師の役割も増えていき徒弟を抱えるほどになる。
10歳の時に父が死去し、オールドルフの町の長兄ヨハン・クリストフの家に引き取られ、ラテン語学校で勉学に励む。クリストフは巨匠ヨハン・パッヘルベルにクラヴィーアの手ほどきを受け、オールドルフのミカエル教会オルガニストに就任している。クラヴィーアは、今ではピアノを指すことが多いだろうか、当時はオルガンやチェンバロなどの鍵盤楽器の総称だったようだ。この頃、ゲオルク・エルトマンと出会い終生の友人となる。エルトマンは、後にダンツィヒ駐在のロシア大使にまで出世する。
バッハの旺盛な向上心と勤勉さでは、ある逸話が残されている。兄クリストフは、パッヘルベルをはじめ、フローベルガー、ケルルなどの作品を集めたクラヴィーア曲集を所有していた。少年バッハは、それを見せてくれるよう兄に頼んだが、なぜか見せてくれない。毎晩、みんなが寝静まるのを見計らって楽譜棚へ行き、月の光のもとで6ヶ月もかけて書き写したという。ほどなく兄に知られ、取り上げられるのだけど。この写譜を、兄が1721年に亡くなるまで再び手にすることはなかったという。これほどの才能の持ち主だから暗記していたであろうけど...

3. リューネブルクの学舎で学ぶ
1700年、リューネブルクに移りミカエル学校に入学。リューネブルクの聖ミカエル教会にはエリート合唱隊が組織されていた。通常は声変わりまで間のある10歳前後の少年が対象とされたが、15歳のバッハと17歳のエルトマンが入学できたのは例外。その理由は、ローレンツ・クリストフ・ミーツラーの「故人略伝(追悼記)」による、特別に美しいソプラノ声だった、というのが従来の説のようだ。だが近年の調査で、バスのパートが不足していたために、その補充として入学できたという説が浮上しているという。
リューネブルクの学舎では、人文主義が高い領域にまで導かれたという。ヘブライ語、ドイツ詩学、物理学、数学、論理学に通じ、ローマ修辞学の大家キケロやギリシャ哲学者ケベスやフォキュリデスを学ぶ。ハインリヒ・トレ著「ゲッティンゲン修辞学」は、音楽における修辞学的教養の基盤になったという。
リューネブルクでは、教会オルガニストのゲオルク・ベームと交流があったらしい。
また、当時有名だったヤン・アダム・ラインケンを聴くために、時々ハンブルクを訪れたという。ラインケンの室内楽曲集「ホルトゥス・ムジクス(音楽の園)」から3曲を選び、「フーガ 変ロ長調」(BWV954)、「ソナタ イ短調」(BWV965)、「ソナタ ハ長調」(BWV966)というクラヴィーア曲に編曲しているという。
更に、ツェレという町にもよく出かけフランス音楽にも接したという。この時期に、フランス音楽と出会ったことが、後の音楽思想に重大な意味を持つという。

4. アルンシュタット...本格的な音楽活動を始める
1703年から半年間、ザクセン=ワイマールのヨハン・エンスト公の従僕となる。もっともバッハ自身は宮廷楽師と称していたらしいが、宮廷の記録には「従僕」としかないそうな。そこからほど近いアルンシュタットに新教会が建設されることになり、オルガニストとして迎えられる。既に才能を高く評価されていたとはいえ18歳という若さ。
1705年、北ドイツのリューベックへ長期旅行をする。巨匠ディートリヒ・ブクステフーデのオルガンを聴くためだ。その二年前に、マッテゾンとヘンデルもリューベック旅行をしているという。高齢なブクステフーデの後任候補として招待されたが、その条件がブクステフーデの娘との結婚ということでハンブルクに逃げ帰ったとか。バッハにも同じ条件が提示されたかは分からないらしい。ちなみに、同年代のヘンデルに出会うことはなかったようだ。
アルンシュタットの記録に、バッハのスキャンダルが残っているという。「見知らぬ女性」を教会の合唱隊席に入れて演奏させたという非難である。あるバッハ研究家によると...教会はバッハが生徒たちとモテットなどの込み入った合唱曲を上演することを望んだが、生徒たちの水準は低く若いバッハとの関係も良くない。その代替措置として技術のある少人数の歌手を使ったのではないか...というもの。女性スキャンダルとした方が、面白おかしく注目されるのだけど。

5. ミュールハウゼン...カンタータの創作が始まる
1706年、ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストのヨハン・ゲオルク・アーレが世を去る。その後任をめぐって、1707年の復活祭にバッハの試験演奏が行われた。初期カンタータの名作「キリストは死の縄目につきたまえり」(BWV4)こそが、その試験曲とされるらしい。
同年、それぞれの父が従兄弟同士という遠縁にあたるマリア・バルバラ・バッハと結婚。結婚式は、アルンシュタット近郊の小村ドルンハイムで行われた。司式にあたった牧師は、まもなくマリア・バルバラの叔母と結婚。これらの結婚式のどちらかのために「主は我らを心にとめたもう」(BWV196)が作曲されたのではないかという説があるが、確証はないらしい。
尚、ミュールハウゼン時代に作曲されたことが証明できるカンタータは2曲しかないという。「神はいにしえよりわが王なり」(BWV71)と「主よ、深き淵からわれ汝を呼ばん」(BWV131)の2曲。
「アクトゥス・トラギクス(哀悼行事)」の名で知られる葬送カンタータ「神の時は最善の時なり」(BWV106)も、様式的には初期カンタータの一つの挙げられるが、自筆譜もオリジナル楽譜も残されていないらしい。リコーダ2本とヴィオラ・ダ・ガンバ2本、それにオルガンを中心とした通奏低音のみの伴奏による、このカンタータは特にブクステフーデの影響が大きいという。
後年、ブラームスが交響曲四番終楽章のためにシャコンヌ主題を借用したことでも知られる「主よ、わが魂は汝を求め」(BWV150)や、結婚式のためのカンタータ「主はわれらを心にとめたもう」(BWV196)も、初期のカンタータに属すとされるらしい。

6. ワイマール...多くの教会カンタータを作曲
1708年、再びワイマールに戻り宮廷オルガニストになる。イタリア音楽の影響を受けつつ作曲家としての成熟を深め、同時にオルガニストとしての名声を確立。
1716年、宮廷楽長J.S.ドレーゼが世を去り、バッハに昇進の期待がかかる。この時、5曲の傑作カンタータ(BWV155, 70a, 186a, 162, 147a)が毎週書かれるという異常なまでの熱心さ。しかし、故人の息子で副楽長J.W.ドレーゼが新楽長に就任した。がっかりしたバッハの前に現れたのは、無類の音楽好きアンハルト=ケーテン侯レオポルト。バッハが辞職を願い出ると約一か月の禁固処分にされる。失寵による解雇が通告され堂々とケーテンへ赴く。

7. ケーテン...器楽曲や世俗カンタータを作曲
1717年、アンハルト=ケーテン侯宮廷楽長兼宮廷楽団監督に就任。しかし、ケーテンはカルヴァン派とルター派の抗争が熾烈だった。しかも、カルヴァン派のレオポルトはルター派を弾圧した。それでも、バッハがエルトマンに宛てた書簡によると、バッハとレオポルト侯との関係自体は問題がなかったという。ライプツィヒ移籍後も元ケーテン宮廷楽長を名乗り続け、1728年のレオポルト侯の葬儀では「葬送音楽」(BWV244a)を捧げたという。
1720年、バッハが避暑地カールスバートから戻ると、妻マリア・バルバラが突然世を去っていた。この年を、バッハのケーテンにおける危機の年とする見方があるらしい。ルター派教会音楽が重視されなかったため、創作意欲はもっぱら器楽曲や世俗音楽に向けられる。「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」(BWV1001-06)が書かれたのがこの年。「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」が書かれたのもこのあたり。「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」を書き始めたのが1722年。独奏曲やクラヴィーア曲に集中される。こうした変化は、ルター派弾圧による宮廷予算の縮小や人員削減によるものではないかという説がある。宮廷楽団の中にもルター派が少なくなかったようだ。予算や人員の減少は回復している年もあるので、やや懐疑的であるが...
1721年、ソプラノ歌手アンナ・マグダレーナと再婚。「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集」の第一集の表紙には「アンチ・カルヴィニズム」というメモが記されるという。これはルター派神学者アウグスト・プファイファーの神学書の名で、カルヴァン主義の聖体拝領解釈を公然と批判していることになる。バッハにとってケーテンは居心地が悪かったようで、ライプツィヒのトーマス・カントルの職に応募する。

8. ライプツィヒ...教育者としての晩年
1723年、ライプツィヒ市音楽監督兼トーマス・カントル(ライプツィヒ聖トーマス教会のカントル)に就任。バッハは本質的に独学者だったという。また、優れた教育者でもあり、多くの弟子を多く輩出している。理論家ではなく実践派で自由精神を尊重した作曲を教えたそうな。オルガニストの教育に配慮した曲も手掛けている。「正しい手引き」と題した序文が、その熱心な教育姿勢を物語る。
「これは鍵盤楽器の愛好家、また特に熱心な学習者に、二声できれに弾くことを学ぶだけでなく、さらに進歩したければ、三声の独立した声部を正確かつ快適に処理するわかりやすい方法を教示する。またその際、同時に、よい着想(インヴェンツィオ)を得るだけでなく、それを快適に展開し、しかも多くの場合、演奏に際してはよく歌う(カンタービレ)方法を学び、それと並んで作曲についてのかなりの予備知識を会得するためのものである。」
インヴェンツィオとは、バッハがリューネブルク時代に学んだ修辞学の用語の一つだという。修辞学とは、いかに立派な文章に仕立てるかという方法論である。まず何を語るべきか、それは着想を得ることから始まり、全体の配置を構成して、更に細部の彫琢を加え、最後に発話や表現で仕上げるといった具合...つまり、この序文は修辞学の体系を作曲に応用している。まさしく音楽修辞学の体系というわけだ。
クラヴィーア演奏での指の使い方では、興味深い話がある。今でこそ親指は当たり前のように使われるが、当時はほとんど使われなかったという。大家は、よほど大きく手をひろげて弾かねばならない時以外は、親指を使わないとしていたが、バッハは「自然がいわば使ってほしいと望んでいるとおりに使おうとした」という。クラヴィーア演奏で親指に要職を与えたのはバッハということか。
1750年、この地で世を去る。

9. 社会風刺の世俗カンタータ
バッハは18世紀のドイツ社会を描写した風変りなカンタータを書いている。「農民カンタータ」(BWV212)は、キスをさせろ!いやさせない!などと、いきなり男女の本音が単刀直入に語られるという。その後の展開は急転直下で、徴兵逃れに税金問題、殿様は情け深いが税金泥棒の阿漕などと...ちなみに、この台本はピカンダーが書いたらしい。
「コーヒー・カンタータ」(BWV211)は、毎日三回コーヒーを飲まなければ、ひからびた山羊の焼き肉みたいになってしまうと主張する娘と、あの手この手で悪習をやめさせようとする父親の物語だそうな。
他にも、知人の誕生日、教授就任祝いや送別、結婚祝いなどでカンタータを作曲している。また、ザクセン選帝侯国がポーランドをめぐって権力闘争した時を反映したカンタータなど、歴史や政治にも絡む。

10. カンタータの教会暦
ルター派の礼拝は、新約聖書や福音を朗読することが基本にある。バッハの教会カンタータの歌詞は一種の教説でもあった。礼拝で朗読される聖句は教会暦で規定される。
キリスト教では、イエスが復活した日曜日に礼拝のために集まるが、一年間の日曜日はイエスの生涯を基準にして意味が与えらえる。まず、主な二つ祝祭、降誕祭(クリスマス)と復活祭が基準としてある。バッハのカンタータも教会暦との結びつきが強く、季節によって上演される作品も違うようだ。迫害を恐れるな!と説くカンタータもあり、キリスト教初期の迫害された時代も色濃く感じられる。当時のドイツの社会風潮には反ユダヤ主義が根強く残っているようにも映る。その背景を、カルヴァン派からの弾圧と重ねたのだろうか?
バッハは三位一体節のために「わが神、わが光なる主を誉めまつれ」(BWV129)を作曲している。父である神と、神の子としてのイエスと、その父と子から永遠の愛として地上に注がれる聖霊の三者は、唯一無限の神として一つであると...

11. 受難曲の歴史
キリスト教の礼拝において、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書から、受難に関する章句を朗唱する伝統は、かなり古くからある。最古の記録では、4世紀にエルサレムを訪れた女性エゲリアという巡礼者が聖週間の礼拝について述べたという。5世紀には、教皇レオ1世は、枝の主日から聖水曜日までのミサでは「マタイによる福音書」、聖金曜日には「ヨハネによる福音書」から受難の聖句を朗唱するように定めたという。その後、聖水曜日には「ルカの福音書」、聖木曜日には「マルコの福音書」から受難の聖句が読まれるようになったそうな。朗唱の方法は、初期の段階から演劇的要素が備わっていたという。
13世紀にクレルボーのベルナルドゥスによって神秘主義的傾向を強め、受難の追体験としてコンパッシオの意義が強調される。
15世紀になると追体験だけにとどまらず、直接体験による「キリストのまねび」が説かれ、受難曲はしだいに長くなる。そして、複数の人物によるトゥルバ(群衆)の部分と、イエスの言葉が協和するポリフォニーが導入される。いわゆる「応唱受難曲」の成立である。
受難曲は、16世紀にはカトリックとプロテスタントの双方で作曲されたが、17世紀から18世紀にかけて特にルター派プロテスタント教会の礼拝音楽として盛んに上演されたという。ドイツ語の応唱受難曲の手本になったのは、ルターの友人ヨハン・ヴァルターによる「ヴァルター受難曲」だという。

2011-08-21

"パタン・ランゲージ" Christopher Alexander 著

前記事で扱った「アドレナリンジャンキー」が、この本の形式を参考にしたということで、ちょっと興味を持った。ひたすら実践例が羅列されるわりには、要所に一般的な抽象論が盛り込まれ、意外と秩序ある構成となっている。本書は建築と都市計画に関する分野で、おいらにはあまり馴染みがないのだが、精神を取り巻く空間の構築という意味では興味がある。

「パタン・ランゲージ」とは、町、近隣、交通網、住宅、庭、部屋などの細目にわたる原型(パターン)を、言語体系(ランゲージ)として統合するという意味がある。ここには具体的に253ものパターンが紹介される。これらを散漫に組み合わせても、それなりの形にはなるだろう。多くのパターンを同一空間内に重ね合わせることも可能だろう。だが、どんなに斬新的な着想であっても、精神の収まりが悪いのではすぐに廃れてしまう。ここに調和の難しさがある。
また、「パタン・ランゲージ」を共通言語に持ち込もうとすれば、抽象的に述べざるを得ない。それでも、あえて具体的に述べようとすれば、考えを押し付けないことが肝要である。本書はそれを十分に心得ているようだ。
本書は、街づくりを通しての一種の環境論といった様相を見せる。そして、自然と人工のコラボレーションを通して、いかに人間精神を自然に帰するかという哲学に則っている。その背後には、街の歴史や政治、あるいは人類学、心理学、環境工学、物理学といった包括的な知識を感じる。技術至上主義に陥る専門バカへの警告であろうか?なんとなく説教に聞こえてくる。
「生き生きとしてまとまりのある社会には、独自で固有の明確なパタン・ランゲージがあり、しかも社会のすべての個人が、部分的に共有するとしても、全体としては自分の気持に合わせた、独自のランゲージをもつであろうということである。この意味で、健全な社会には、たとえ共有され、類似していても、人間の数だけパタン・ランゲージが存在するであろう。」

パターンの序列は、地域や町といった大きな視点から、近隣、建築物、部屋、アルコーブなどを経て、施工の細部に至る。その序列は直列的なシーケンスで示され、これが「パタン・ランゲージ」をうまく機能させるという。基本的な構想では、大まかな空間設計から細部を展開するトップダウン的な発想がなされる。細部を考察する時も全体像を念頭に置きながら組み立てる。とはいっても、下位を知らなければ上位を構想することも難しい。実際には、全体構想と細部の検討を並列で行うようなイメージであろうか。
また、パタン・ランゲージのシーケンスに従えば、初期の決定が無効になるほどの大幅な変更は生じないという。それは、パターンを一つの実体として捉え、実体を認識できるまで上流工程の検討を十分にやるということであろう。
何事も理論と実践の両面から理解できれば幸せである。理論だけで実践できるものではないし、実践しているうちに後から理論がついてくる場合もある。おまけに、どんな分野においてもパターンは生き物のように進化する。人間はいつも改良パターンを模索しながら生きているのだから。となると、実践の書の位置付けは微妙となる。印刷物に依存するような危険性がないとは言えないだろう。実践例を参考にするには、読者が哲学的な領域まで理解して独自の考察がなされた時に非常に有効となる。だが、読者が無条件に信者となってしまっては有害となりかねない。最初から最適な解を書籍に求めるのは、むしろ思考を混乱させるであろう。脇道に逸れながら思考を繰り返すから本筋なるものが見えてくる。本書は、理論的に記述するか、実践的に記述するか、その按配の難しさという問題を提起しているように見える。

ここには、様々な町の構造や住宅のアイデアがスケッチされ、それを眺めるだけでも和む。写真よりも、フリーハンドのスケッチが圧倒的に多いのは、心の中に広がるイメージを大切にしているからであろうか。デジタルコンテンツに慣らされている昨今、逆にフリーハンドに癒される。写真を用いる場合でも、素人感覚では現物のカラー写真を掲載する方が分かりやすいと安易に考えてしまうが、あえて白黒写真を用いてコントラストを大切にしている。なるほど、空間イメージを強調するのに優れた方法というわけか。
「現場にしばらく留まって、敷地が語りかけてくる秘密に耳を傾ける。」
パターンの具体的な姿を思い浮かべながら、精神が自然と同化する瞬間を感じるまで哲学的に問い続ける。これが建築家の仕事であろうか。まさしく建築家とは芸術家であることを感じさせてくれる。ガウディは、建築はあらゆる芸術の総合であり、建築家のみが総合的芸術作品を完成することができるとして、自ら画家、音楽家、彫刻家、家具師、金物製造師、都市計画家など様々な役割を演じた。

「大地は、途方もなく大きな家族のものだ。生ける者はわずかでも、過去から未来への無数の家族たちが使うのだ。」
-- ナイジェリアの一原住民の言葉 --

1. 町づくりと地方分権
「町やコミュニティの骨組に重大な影響を及ぼす大きなパタンが、中央権力やマスタープランによってつくり出せるとは思えない。その代りに、大小の建設行為が、個々に責任をもって、世界の片隅で大きなパタンを少しずつ形成していけば、徐々に、有機的に、しかもほぼ自動的に大きなパタンが出現するものと確信している。」
町というものは、その瞬間を眺めただけでは構造を理解することはできないだろう。町には、環境意識や文化意識、あるいはコミュニティの成長過程が刻まれる。社会的集団や政治的集団は、国家、地方議会、近隣社会、家族など階層的に組織される。それぞれの組織やコミュニティの階層において意思決定がなされ、各段階で責任が生じる。となれば、個々に責任が分散されない社会では、地域に調和した効率的なパターンは生じないだろう。ここには、地方分権の原理があるように思える。
お偉いさんが目の届かない余計な責任まで背負いこむということは、地域社会を硬直化させるだろう。現実に自立することは難しい。だが、少なくとも自立を目指す意欲がなければコミュニティは活気づかない。都市の伝統は、予測したよりも経験的合理性に基づいている。にもかかわらず、都市計画では、地域分析を疎かにして大都市の流行を追う傾向がある。地方行政が大都市型の商業都市を夢見て、税優遇などを餌に大企業の誘致を繰り返し、伝統的な商店街を破壊するような例は珍しくない。大企業の扱う高価な商品が、地域住民に合わないために業績を悪化させ、あっさりと撤退してしまう。残された跡地にはペンペン草も生えず、結果的に地元経済を悪化させる。現実に、歩行路、田園、住宅、工業用地などの配置と分散は、町づくりの視点よりも政治的な思惑によって決定される。哲学的観点から町づくりがなされることはない。おそらく土地倫理学などという思考が働かないのだろう。
本書は、田舎町や下町に大都市の風潮を猿真似して、二流の田舎町を創り出すことほど馬鹿げたことはないと指摘している。
「どんな地方や町、あるいはどんな近隣にもその地域と住民のルーツとを象徴するような特別な場所が存在する。そこは過去から受けつがれた自然の美しい場所かもしれないし、歴史的ランドマークかもしれない。だが、それは、どんな形にせよ本質的な場所である。」

2. 適切な規模
生物学者J.B.S.ホールデンは、「適性規模について」という論文で次のように述べたという。
「あらゆる動物に最適規模があるように、人間のあらゆる制度にもそれがある。ギリシャ型の民主主義においては、全市民が居並ぶ雄弁家達の演説に耳を傾け、立法採決には直接投票が可能であった。かくして、かの哲学者達は小都市こそ最大の民主国家なりと考えるようになった。」
規模が大きすぎれば、自治体は機能しない。それは、アメリカ民主政治に対するジェファーソンの提言でもある。規模が大きすぎれば、一部の指導者による制御は不能に陥り、官僚主義があらゆるプロセスを圧倒する。小規模な国家ほど、民主主義が発達しやすい。したがって、大規模な国家ほど地方分権を確立しなければ、民主主義は発達しないことになり、ますます国家は余計な存在となろう。理想的な地域国家は、1000万人ぐらいという意見をよく耳にする。幅を持たせて500万人から2000万人ぐらいであろうか。このあたりの規模は、英国のウエイマス卿が「世界連邦 - 1000の国家」と題してニューヨークタイムズ紙に投稿したところからきているらしい。シンガポールなどの国々を眺めれば、説得力のある数字だ。組織の中で自己の存在感と疎外感との境界線がこのあたりにあるのかもしれない。
地域に属するという意識が、その地にある名物やシンボルに誇りを与える。だが、地域社会が小規模過ぎても国家の集団的パワーは生じないだろうし、大都市に集中し過ぎても国民認識は偏重するだろう。外国人から日本人は感情論に流されやすいとよく指摘される。確かに、首都圏集中型の人口分布や世論の激変ぶりを眺めれば反論できない。マスコミの扇動ぶりを眺めればどこの国も大して変わらないじゃないかと反論しても、報道姿勢が論理的かどうかの違いは大きいと指摘される。地方分権の必要性が叫ばれて久しいが、民主主義の根付きにくい国民性が妨げているのかもしれない。

3. 文化交流と民主主義
混成都市は、多様な人間が混在し、互いの生活様式や文化には無関心であるという。各地から人々が集まれば多様性に満ちているように見えるが、実は類似性を促すだけだと指摘している。一方、数多くの小規模なサブカルチャーが、分かりやすく分割しているような形態では、それぞれの文化が選択できて、異なる生き方が体験できるという。文化は、単に混合すればいいというものではなく、はっきりと特徴が把握できた上で自由選択を与えることが肝要というわけか。
大都市のように価値、習慣、信仰などが拡散し混在する社会では、そこで成長する人間もとりとめなく混乱した人間になると指摘している。しかも、そこに生じる弱い性格は大都市社会の直接的産物だとしている。確かに、得体の知れない隣人が増えれば増えるほど不安が増すだろう。そして、子供には矛盾だらけの要求が課せられ、調和した性格形成を妨げる。心の平安と自尊心の代償に不調和を強要する。得体の知れない価値の混合が得体の知れない人間を形成するとすれば、哲学的意識がはっきりと区別できる個性の集団を求めることになろう。それが民主主義の基本原理であろうか。
「たびたび独りになる機会がなければ、他人とも親密になれない。」
人間は他人との交流がなければ生きてはいけないが、同時に自己を見つめるための孤独も必要である。文化交流の基本は、相手の文化を理解せずに無条件に受け入れるのではなく、理解した上で交流の選択をするということになろうか。とはいっても、文化を理解するのは難しく、とりあえず交流してみるしかない。少なくとも、文化の境界があることが、交流できないということにはならないだろう。文化の交流とは、同質化することではない。ましてや生活様式の多様性を殺してまで個性の成長を阻害することではない。そこを誤ると、文化の押し付けが生じる。
自分の個性を認識するためにも、明らかな近隣の個性との違いが認められると助かる。同質からは特質は発見しにくいのだから。家族形態も多様化する方が互いに刺激しあえるだろう。核家族化一辺倒では、価値観も同質化するだろうから。生活環境の違いを眺めるだけで、新たな価値の発見があるかもしれない。
「行動を見ることが行動への引き金となる。街路からいろいろな空間をのぞき込めると、人びとの世界は拡大し、豊かになり、さらに理解が深まり、街路にコミュニケーションと学習の可能性が生まれる。」

4. おまけ...医療の町
これは本書とは関係ない。なーに、20年ぐらい前に考えたことを思い出しただけのことだ。
ある地方に心臓病などの重大な病気に関する権威的なお医者さんがいる。うちもお世話になった。その病院には全国から患者が到来する。必然的に病院の周りには宿泊場があり、病院が仲介してくれる。だが、民間の宿泊場なので、長期間ともなれば負担が大きい。そういう町では、商業都市を夢見るのではなく、「医療の町」というものを掲げてはどうだろうか。高齢化社会にもよく調和する。すべての医療機関を一か所に集め、宿泊施設を整備する。
実は、そういう目的に合致した町がある。旧産業で一世風靡した過去の栄光にすがり、企業誘致のための土地を確保しているが、空き地のままだ。にもかかわらず、病院をあちこちにちりばめ、どこの病院も駐車場問題を抱えている。マイクロバスで駐車場と病院の間を送迎したりと。あるいは、無計画で無作為に空き地があれば老人ホームを建て、同じ管理者が数キロメートル離れたところに別の医療施設を建て、その間をマイクロバスが往来するという効率の悪い所も珍しくない。こんなことは行政指導で効率性が図れるはずだが。
ならば、せっかくの空き地を、全国でも最大規模の医療センターに仕立てる手はあるだろう。優秀な医学が実践できるとなれば、優秀な医学生も集まるだろうし、大学病院も近接させればいい。入院患者を全国と言わず海外からも受け入れられるように宿泊施設も整備すればいい。医療システムは、医療メーカから機器メンテナンス業者、あるいは情報システムから最先端の産業技術など、あらゆる分野との関わりがあり、事業の拡大の可能性は計り知れない。そういうことを行政と医療団体が一体化して考えれば、大医療都市ができそうな気がする。日本の医療レベルからすれば、そんな町が一つぐらいあってもよさそうなものだ。町づくりの方向性に将来像がなければ、いくら招致しても無駄だ。IT業界など流行りの業種を誘致しても、すぐに行き詰まるだろう。向こうから来たいと思わせなければ持続しない。国家における社会的役割を考えながら、得意分野を発展させる方が町に馴染みやすいし、事業の成功率も高くなるだろう。
しかし、行政は、相変わらず首都圏のような商業都市を夢見る。そしてうまくいかなければ、観光地化にも手を出す。50年ほど前に複数の市が合併してできたためか?いまだに行政派閥の亡霊がつきまとうかのように、中途半端な再開発が順番に行われる。テクノパークを作ったかと思えば、遠く離れたところに大学と企業が連携できるような学園都市を作ったりと節操がない。人口を減らさないために周辺の自治体を吸収していくという戦略は、一貫しているようだが。おかげで、人口密度が減っている。人ごみの大嫌いなアル中ハイマーにはありがたいことだけど...
尚、これはずーっと昔に思ったことで、今どうなっているかは知らん!

2011-08-14

"アドレナリンジャンキー" Tom DeMarco 他著

ちらっと表紙をめくった瞬間、眼の中に飛び込んできたフレーズに思わず買ってしまう。
「抽象化は人間独特のものだ。私たちはいつ何どきでも、目覚めているかぎりは抽象化を行っている。しかし、ずっとそうしてきたわけではない。有史以前のいつか、はじめて抽象化が行われた瞬間があったはずだ。原始の人類が何かを見つめ、なんとなく見覚えがあるなと思い、突然 "ああ、またアレだ!" とひらめいた瞬間が。それが最初の抽象化である。その瞬間から、何もかもが変わった。人はこの地球上に解放された。」
トム・デマルコ氏の本を読むのは久しぶりか。相変わらずリズミカル、やはり仕事で最も大切なのはリズムである。仕様検討から成果物を出すまでの周期、あるいは達成感を得る周期、こうしたものが仕事にリズムを与え意欲を持続させる。
一方で、大変だ!急げ!などと、いつもアドレナリン全開で働いている組織を見かける。しかも、全員が120%努力しているにもかかわらず、確実に日程が遅れる。そして、必ず耳にするプロマネの口癖は「日程を死守せよ!」である。死んでもらいましょう!道連れなしで...

「アドレナリン中毒の組織は、猛烈に動き回ることが健全な生産力のあかしだと信じている。」
政治的にアドレナリンジャンキーな状況に追い込まれることがある。例えば、過去の技術資産を流用すれば日程が大幅に短縮できる!なんて甘い誘惑に、部長クラスのオヤジたちは簡単に引っ掛かりやがる。政治的に持ち込まれるブラックボックスは悪臭を放つ。黒幕のゾンビが潜んでいる違いない。そして、システムにマッチするかどうかも検討されずに、日程会議だけが先行するのだ。
上流工程を疎かにすると、リリースに近づくほど厄介な問題が発生するようにできている。このようなプロジェクトでは、優先順位が絶えず変化する。仕様書の変更が重要かと思えば、すぐに妥協して次の作業にとりかかある。致命的な問題を抱えながら、緊急作業が続々と発生し、その状態が慢性化するのだ。とにかく突っ走る。忙しくしていないと落ち着かない。この種の組織文化では、死に物狂いに作業することが、効率性と同一視される。
とはいっても、アドレナリンジャンキーがいつも失敗するわけではない。猛烈なペースで何年も事業を続ける場合だってある。だから余計に厄介なのかもしれない。しかし、安定性と長期計画の必要な仕事では、必ずボロを出すだろう。
このような組織体質は、ひとえにプロマネの体質で決まるだろう。要するに、仕事に対する戦略的思考が欠けているのだ。充分に検討された仕様は日程の精度を上げる。それを知っているプロマネは、部下をこのような状況にけして追い込まない。メンバーがモチベーションを失うことが、品質にとって最も危険であることを知っているからだ。最初から成功の見込みがない仕事もある。しかも、誰も意見しようとしない空気が深刻さを物語る。問題点を挙げようものなら、ヤル気がないやら、チームワークを壊すやらと言われ徹底的に叩かれる。そして、本当にヤル気を失う。チームが成功への情熱ではなく、恐怖心を原動力とするようになれば悲劇だ。いや、喜劇か。このような状況に追い込まれるぐらいなら、最初から仕事を潰した方がみんな幸せになれるだろう。そぅ、人生は短いのだ!そして、二度ほどプロジェクトを葬ったプロマネは「プロジェクトの必殺仕事人」と呼ばれるのであった。
...尚、これはフィクションです... ヘーックション!

本書には、どこかで見かけたような86ものパターンが、気の向くままに羅列される。しかも、良い例と悪い例を混在させながら、あえて善悪を示さない。構造的に知識を理解する方法もあろうが、あえて実践的なパターンに触れることで直感を研ぎ澄まそうという魂胆だ。
尚、特に決まった順序立てもなく様々なパターンを紹介する構成は、建築家クリストファー・アレグザンダーの著書「パタン・ランゲージ」の影響だそうな。この書にも興味がわく。わぁお!1万円もするのかぁ...
原著は、コンピュータ業界のオスカーともいわれる「Jolt Awards」を受賞(2008)。著者は、トム・デマルコ、ピーター・フルシュカ、ティム・リスター、スティーブ・マクメナミン、ジェームズ・ロバートソン、スザンヌ・ロバートソンの6人で、アメリカ、イギリス、ドイツを拠点としながら、年に一週間だけカリフォルニアに集まって書き上げたという。究極の分散チームから生まれた一冊というわけだ。パターンの中には洒落た題目や惚れ惚れするフレーズがちりばめられる。どれも甲乙つけがたいが、スパイシーの効いたところを、経験と重ねながら摘んでおこう。なぜかって?泡立ちのいいビールの横に、辛さの効いたカラムーチョがあるから。

1. 幸福礼賛会議
「みなさんの意見を聞かせてください!」と発言する友愛的な人間が仕切る会議を見かける。だが、そういう人に限って突飛な意見を迷惑がるようだ。実は意見を求めているのではなく、賛同してほしいのだろう。意見の対立や批判が人間関係をぎくしゃくさせると考える時点で、議論の意味を失っている。感情論に走られても困るが、論理的な意見であれば、むしろ歓迎する技術者は多い。本音で議論するからには、ある程度の感情を表現してもよかろう。議論に熱中すれば、気持ちも熱くなるものだ。
哲学的な共通認識をチームに植え付けてさえおけば、互いの指摘は批判まで発展せず、互いに成長していることを実感できるだろう。グチりやすい雰囲気って、なんか楽しい!冗談で言えるうちは。チーム内に不満や批判が生じないとすれば、互いに向上心を放棄したことになろう。

2. アイコンタクト
プロジェクトの地理的な分散化は、時代の流れでもあろう。だが、場合によっては、全員を同じ場所に集める方が良いこともある。例えば、緊急かつ複雑な場合。
「フルタイムの熱心なプロジェクトメンバーが1か所に集まると、ある種の奇跡が起こる。ほかのメンバーのニーズや能力を理解するようになり、それにともない、チームの力を最大限生かせるように自分自身のやり方を修正していくのだ。」
これは古い考えにも映ろうが、チームの本質かもしれない。少数精鋭で集まる方が良いのは、今も昔も変わらないだろう。
一方で、コンサルに乗せられて、コストダウンのために「分散化チームの神話」を鵜呑みにする経営者たちがいる。だが、分散化を機能させるには、互いの意思疎通が築けた時であろう。機械的に分散すれば、むしろ効率性は失われるだろう。また、メールのような文章は意図が伝わらないことが多い。文章だけでは情報量は意外と少ない。あまり面識のない相手の場合、論理的な文章が険悪な雰囲気にさせることもある。それを考慮して、文章に冗談を巧みに埋め込むことのできるような能力を持った人がいる。こうした能力の持ち主は、直接顔を合わせるべきかどうかの按配をよく心得ているようだ。人間関係が軌道に乗れば、ネットなどの通信手段は予想以上に効果を上げるだろう。

3. 信者とミケランジェロ組織
「特定の方法論を教義のように受け入れる人がいる。教典から少しでも外れるのは冒涜だと思っている。」
プロジェクトの方法論には、万能な黄金手法など存在しないだろう。したがって、現場の経験から育まれるものが多く、組織によって独自の手法が生まれるのも自然であろう。
「プロジェクトに信者がいると、身動きがとれなくなることがある。コンテンツに集中せず、手法戦争を始めるのだ。」
ちなみに、コンサルが信者だと質が悪いという話を聞く。「コンサルとは、混乱した猿!」と誰が言ったかは知らん。いや「混乱させる猿!」だったけ?
また、自動ツールに憑かれるプロマネがいる。リソースが足りないという圧力を受けながら、藁にもすがる思いで。そして、見事にツール営業マンにしてやられる。ツールが便利なことは言うまでもない。だが、ユーザにも相当のスキルが求められるという事実を見落としていると指摘している。
「たがねは買ってやった。なのに、どうしてミケランジェロになれないんだ?」
こうした愚痴をこぼす組織にかぎって、能力よりも給料の安さで人材を雇うという。ミケランジェロ組織には、買ったきり積まれたままのツールの山があるという。

4. プロは技術に魂を売らず、魂を貸す!
「一流のプロのほんとうにすばらしい点は、確立された個人やチームの能力に問題をはめ込むのではなく、問題に合わせて解決策をつくろうとすることだ。」
長年かけて習得したスキルを捨てることは容易ではない。だが、新しいアイデアの優位性を認めたならば、乗り換え意識を働かせるのが技術者の宿命であろう。それには、新しいというだけで鵜呑みのするのではなく、その長所を十分に吟味する必要がある。だが、新しいアイデアを片っ端から調査することは不可能だ。流行りのアイデアともなれば、誇大宣伝の魔力に憑かれる。深く考えないまま熱狂すれば、魂までも売り渡すことになろう。技術を手法として捉えるだけではなく、哲学的に理解している人は、意識の移行も素早いようだ。ここで述べられるのは、あくまでも姿勢の問題である。

5. 永遠の会議
「いつまでも不満を与える権利を与えていて、結局は何も決まらない。」
できれば余計な論争を避けたいというのも分かる。だが、プロマネが悪役を買って出なければ、プロジェクトは迷走するだろう。賛成しろ!と命じたところで無駄だ。決定に従うことと、賛成することは別なのだから。メンバーたちは、そういう日和見的な態度をよく観察している。好転したプロジェクトの影では、あらゆる意思決定の権限を持つプロマネが、穏やかな独裁者として振る舞っているものだ。プロマネが勇気を持って決断しなければ、チームを狂乱させるだけだ。

6. 映画評論家
「映画評論家とは、プロジェクトにとって自分の価値は、過去や今後の間違いを指摘してやることだと思っていて、間違いを正すためには何もしないメンバーや傍観者のことである。」
開発途中でほとんど発言しない者が、リリース直前になって意見する場合がある。今まで何をしてたんだ?と言いたくなるような。だが、批判者が必ずしも映画評論家になるとは限らない。違いは時期にある。問題に気づいてすぐさま指摘するならば建設的な意見となるが、映画評論家が発言するのは映画が完成してからだ。映画評論家は、プロジェクトの成否にかかわらず、自分が正しいと思われたいだけだという。政治家に多いタイプか。
一方で、プロジェクト開始当初から、少し距離を置いて評論家の立場を表明する人を見かける。しかも、優秀で意見も鋭い。こういう人物を、いかに中心的人物に押し上げるか、これこそプロマネの腕の見せどころであろう。

7. かかし
「かかし」は抽象化モデルではなく、ソリューションだという。クライアントの要求を引き出したり、クライアントの批判を避けるために、最小コストでプロトタイプを提供する。優秀なアナリストは、「何がお望みですか?」とは聞かないという。それが不快な質問になりやすいことを知っているから。人は白紙から答えをつくることを嫌がるが、既に存在するものに対して批評するのを好む傾向がある。
「クライアントは、実物を見るまで、そして「これは違う」と思うまで、自分が何が欲しいのかわからない。」
最高のかかしモデルには、意図的な間違いまでも組み込まれているという。わざと批判の余地を与え、そこに注意を促せば、弱点を目立たないようにもできる。間違いを見せることで、その修正から方向性を導くこともある。完全に近いモデルからは間違いに気づきにくい。議論を活性化させるには、道化を演じることも大切というわけだ。
「すでに自分はかかし戦略を使っていると思う人も多いかもしれないが、そのモックアップを指さされ、笑われたことはあるだろうか。そこまでしてこそかかしである。」
なるほど、その域までは達していないなぁ。笑わせるつもりがなくても、人間性そのものが笑われているけど...

8. ダボハゼ
「コスト削減と人員削減の時代、企業は新しいソフトウェアを十分に開発していないため、戦略的に優位に立つ機会を失っているというのが、少なくともITプロフェッショナルの間の一致した見方になりつつある。この見方に賛成だという人は、その反対の状況についてちょっと考えてみてほしい。もしかしたら、ソフトウェアをつくりすぎているのかもしれないと。」

9. 裸の組織
「組織で何をするにも全員がすべてのことを知っている必要があるなら、その組織はおしまいである。」
組織の体質がオープンであれば、なんとなく自由を感じ、民主主義的で美しい組織に映る。しかし、オープン過ぎるのも弊害がある。情報が多すぎれば注意力も緩慢となり、なによりも個人の責任範囲が明確になっていないことを意味するだろう。プロマネが、何もかもみんなに知ってもらいたいという主旨も分からなくはない。そこには人材を育てたいという意図も加わる。ある程度のオープン化は必要であろうが、完全なオープン化は機能を妨げることになる。その按配が難しいのだけど...

10. ブルーゾーン
「チームに少なくともひとり、いつも与えられた権限以上のことをするメンバーがいる。」
上司がいないかのように振る舞う人がいる。プロジェクトにとって純粋に良いと思って、命令に関係なく勝手に行動する。それが、やり過ぎるというわけではない。自分の権限を限界まで引き延ばすだけのこと。この領域が「ブルーゾーン」だ。対して、指定された任務だけを遂行するのは「グリーンゾーン」で、権限の範囲外を侵すのが「レッドゾーン」。ブルーゾーンで行動する根本には自由思考がある。その範囲を心得ている人は、レッドゾーンで動く時には必ず許可を求める。つまり、その境界を認識できる優秀な人材で、チームにとって非常にありがたい存在なのだ。おそらく、それで失敗してクビになっても本望だと思っているのだろう。そのぐらいの覚悟と自信があるのだろう。
また、給料よりも仕事そのものが好きという人たちがいる。仕事が好調だったり、製品がクールだったりして。給料が上がればそれはそれでうれしいが、それ以上に仕事の質にこだわる人たちだ。落ち着いていて、仕事を楽しむ雰囲気を醸し出し、チームに良い酸素を与えてくれる。しかも、監督する必要がまったくない。自然体で純粋に知への渇望をみなぎらせている。こういう人物は扱いやすい。だが、ちょっと扱いを間違えると、あっさりと組織から去っていく。優秀だからといって何もかも仕事を押し付けると、次第に嫌気がさす。そういう人間の代用は容易には見つからない。

11. 隠れた美
「完璧というものは、付け足すものがなくなったときではなく、取り去るものがなくなったときに達成される」
-- アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ
隠された機能が美的感覚など無縁だというのは、とんでもない間違いだと指摘している。そして、仕事の成果がほとんど見えない状況では、細部までもよく見てデザインの質を評価するマネージャの存在は、設計者に大きな影響を与えるという。自己満足かもしれないが、コードにはエレガントに書きたいという欲望が込められている。見えないところにこだわりを持ち、宇宙原理のような崇高な領域に向かったりするのが、プロとしての特質でもあろうか。この特質は、芸術家のそれと似ている。

12. 生半可なアイデアの美徳
「強いチームは、未完成のアイデアでも安心して口にする。このようなことを奨励しているチームは多い。」
強いチームは、生半可に思えるアイデアでも育てようとするという。ブレーンストーミングや、創造的なワークショップがうまくいくのは、そのアイデアが不完全でも、不可能に思えても、馬鹿げているようでも、臆せずに発言できるところにあろう。そこに個人的な中傷や嘲笑などはない。完全武装しないとアイデアが発言できないのであれば、イノベーションの起こる可能性を封じることになる。したがって、雑談もまた仕事のうちと考えている。もしかして、雑談好きの酔っ払いには困ってるかい?

13. テンプレートゾンビ
「文書の内容を検討することより、標準文書を作成することに懸命になっているプロジェクトチームを見つけたら、そこはテンプレートゾンビの国である。」
テンプレートが必ずしも悪いわけではない。むしろ、一貫性のある文書は読みやすい。だが、すべてのドキュメントが、内容的に画一化できるものではない。
ちなみに、ドキュメントレビューで、文字の大きさ、フォントの種類、誤字脱字などを指摘することを、我チームでは「姑チェック」と呼んでいる。こういう気配りのできる人は非常に貴重だ。おまけに、内容までチェックしてくれれば、これほど強力なことはないのだけど...いや、すぐにそうなるさ!

2011-08-07

"シックスシグマ" シビル・チョウドリ 著

本棚を眺めていると、時々まったく見覚えのない本に出くわす。だが、嘆くことはない。アル中ハイマー病患者のささやかな喜びなのだ。そして今宵も、百ページほどの入門書を見つけて首をかしげる。アマゾン履歴では十年前に購入したことになっている。そういえば、シックスシグマという言葉が流行ったような。
...んー!今宵の酒は愚痴を加速させやがるぜ。

品質保証がうまくいっているチームは、精度の高い工程管理がなされている。その一方で、工程表に憑かれたプロマネがいる。綺麗に整えられたドキュメントを眺めては、満足感に浸っているようだ。工程表は効率を図るための手段に過ぎないのに、工程表の作成自体が目的化している例は珍しくない。
工程表といえば...日本政府は、福島原発の進捗状況をほぼ工程表通りだと発表した。いまさら何を。そして8月、オープン化された枝野官房長官の定例会見へのフリーランス記者の申し込みがゼロだったことが報じられた。4月に遡ると、海外メディア向けに開催された東電、原子力安全、保安院の合同記者会見で、出席者ゼロだったことは記憶に新しい。政治屋や大本営化した大手マスコミが肝心なことを発表しないことは、世間では周知とされつつある。一方で、記者クラブの団結力は相変わらずか。クラブ活動とは、よほど楽しいものらしい。アル中ハイマーも夜のクラブ活動は欠かせない。
プロマネが工程を誤魔化し始めると、最悪な状況に向かいつつある前兆だ。そして、納期ギリギリで重大な問題が発覚するようにできている。これは、一種のマネジメント法則と言っていい。日本政府の様子をマネジメントの失敗事例として眺めるならば、これほど良い題材はなかろう。...any questions ? (無人の聴衆に向かって)

ISO9000のような国際標準規格を取得して、鼻高々にしている品質管理部長を見かける。理想郷にでも憑かれたかのように。そして、現場から愚痴が聞こえてくる...わざわざプロセス間のドキュメントを増やしてどうする!品質保証とは効率を悪くすることなのか?開発計画を短縮しても開発期間が延びるという矛盾を誰か説明してくれ!などと...
監査資格を持った連中を接待して経費が嵩むとは、なんとも滑稽だ。そういえば、むかーし職印の日付部分が、はめ込み式だと面倒だから、全員に回転式が配られたという話を聞いたことがある。今ではデジタルスタンプでバッチリかな?なるほど「カイゼン」とは「カイザン」のことか。それにしても、TQMやらISOやらと連呼しながら、資格や肩書きに目がないオヤジたちがいる。これも一種の宗教のようなものか。アル中ハイマーもウィスキーの銘柄には目がない。

シックスシグマの語源は、統計学の標準偏差に用いるσ記号である。もともとは、品質特性を正規分布と仮定した場合、欠陥率を100万分の3か4に抑えて、バラツキ範囲を6σにするという発想だ。1980年代、モトローラ社は日本式品質管理を参考にしながら、その概念を拡張させて品質改善手法を開発した。この手法にGEが目を付けると、統計学的な経営理念に発展させ、世界中に広まった。ジャック・ウェルチは、シックスシグマにおける活動を「GEが取り組んだなかでもっとも重要な活動」と語ったという。
しかし、多くの企業はよく理解せずに導入したために、成果が上がらず経営者たちを失望させた。コンサル会社が巧みに語れば、お偉いさんは楽園のようなものを夢想する。そして、大金を投じた企業も少なくないだろう。6σというネーミングが、管理職をビビらせるところもある。「コンサルとは、混乱させる猿」と誰が言ったかは知らん。いや、自ら「混乱する猿」だっけ?
得体の知れない新プログラムを宣伝効果だけで導入すると、新興宗教と化す。そして、最大の被害を受けるのが中間管理職だ。上級管理職のオヤジたちが、あまりにも現場から乖離したシステムを導入したがるのはなぜか?そのリスクを考えないのか?あるいは、現場を知らないだけか?
改革の成否は、現場の人間にいかに哲学的に浸透させるかにかかっている。シックスシグマの本当の力は単純さだという。それはピープルパワーとプロセスパワーを組み合わせたプログラムだという。
「シックスシグマにおいて品質の向上は、目標を達成する手段に過ぎない。目標そのものではないんだよ。目標は品質向上のための品質向上ではなく、顧客満足度を上げて収益を増すことだ。仮に品質を向上させても、顧客が不満を感じたり収益が減ったりしたら、本末転倒になってしまう。」

1. 思想と理念
あらゆる製造工程において品質が求められるのは当然だ。欠損が増えれば、それだけ収益が減るのだから。不良品をなくそうとすれば、検査を厳しくするという防御的な発想に走りがちだ。人間は目の前の現象に囚われるやすい。
しかし、シックスシグマの理念には、不良品が発生する原因を根絶するという思想がある。例えば、製造ラインにおいて、不良率を高める原因が機械設備にあるとすれば、それを客観的に判断できるところまで計測して、大胆にシステムを入れ替えるという攻撃的な発想をする。コスト削減だけからは、何も生まれない。だが、何をやっていいか分からなければ、それぐらいしかできないのも事実だ。
ここでは、品質を重視するのは当然だが、それ以上に「やり直しをしない!」ことに重点を置く。優秀なプロマネは、後戻りすることが最も無駄だということを知っている。
また、よくある考えに品質向上にはコストがかかるというのがあるが、それは間違いだという。シックスシグマを導入した企業は、逆の発想をするらしい。
「導入企業は、品質がコストを節約するということを理解している。不良品、保証にかかる金、返品を減らせるんだからな。そのすべてが収益増につながる。」
シックスシグマは、財務と品質を区別するのではなく、協調関係にある画期的なプログラムだという。
こうした発想は、開発や設計の思想にも導入できるだろう。開発者は要求仕様に忠実に設計しようとする。そして、仕様通りになっているか、厳しいチェック作業を行う。だが、仕様自体が思想的におかしいとか、一貫性がないといった場合も少なくない。企業文化によっては、部署の力関係によって仕様が決定されることもある。そのために奇妙なチェック項目が増えて意欲が削がれる。複雑な仕様は検証工程を指数関数的に増加させるだろう。
ならば、最初からミスの起こりにくいエレガントな仕様を目指してはどうだろうか。奇妙なデザインは捨てることから検討したい。おいらは、上流工程にこそ設計品質の根幹があると考えている。充分に検討された仕様は日程の精度を上げる。そして、問題は早めに発覚し、最初は苦労するものの仕事をだんだん加速させる。なによりも大きな効果は、エレガントな組織文化が開発者のモチベーションを持続させることだ。

2. 分析と数値化
シックスシグマでは、あらゆる要素が測定され数値化されるという。そして、規律、ストラクチャ、統計に基づく意思決定を土台とし、投資利益率や人材利益率を最大にするという。シックスシグマの専門家は、「自分が話したいことを数値で表現できないうちは、そのことを理解しているとは言えない」とよく言うらしい。
また、シックスシグマを導入したからといって、必ずしもシックスシグマの品質が達成できるわけではないという。数値的には、ワンシグマで約30%、ツーシグマで約70%、3.8シグマで99%、きちんと仕事をしていることになる。そして、シックスシグマに近づくように努力する。ほとんどの事業は、スリーシグマからフォーシグマあたりで行われているという。1%のミスでも大きいが。測定する際には、DPMO(Defects per Million Opportunity)という指標を使うという。
 DPMO = (欠陥数/機会) x 100万 :100万機会当たりの欠陥数。
確かに、開発、設計、生産、検査、サービスなどあらゆる工程において客観的判断を下すために、数値化できればありがたい。しかし、それが最も難しいだろう。シックスシグマを機能させるためには、統計情報の収集方法と分析能力が鍵を握りそうだ。統計情報の扱いを一歩間違えば、とんでもない方向に導くことになる。

3. ピープルパワーとブラックベルト
「トップの連中が時間をかけてシックスシグマを理解し、サポートしてくれなきゃ、プロジェクト・リーダーに勝算はない」
そんなことは、シックスシグマに限ったことではない。中間管理職が特攻隊になっている組織を、時々見かける。
シックスシグマを実践する組織はトップダウンで形成されるという。まず、取締役の一人が「エグゼクティブ・チャンピオン」となって、プロジェクト全体の監督とサポートにあたる。そして、全員に熱意を伝えたり、社内の障壁を取り払い、専門プロジェクトを完全サポートする。エグゼクティブ・チャンピオンは、実際に仕事をする「ブラックベルト」を指名する。それは、最も信頼のおける人物で、シックスシグマの真のリーダである。そのサポートスタッフが「グリーンベルト」である。ブラックベルトは、管理能力と技術能力を兼ね備え、熱意や知力があって創造的でなければならないという。しかし、組織にそんな人材を一人見出すだけでも難しいだろう。組織と現場の双方を熟知した人物となれば、中間管理職ということになろうか。だが、中間管理職にそこまで権限を与えていいのか?と抵抗する上級管理者も少なくない。選出の段階から政治的な思惑が絡めば成功の見込みはない。ブラックベルトが企業の未来を担うというわけか。となれば、エグゼクティブ・チャンピオンの現場感覚と眼力にかかっていると言ってもよかろう。

4. プロセスパワー
プロセスで重要なのは、まず問題点を明確に定義すること、そして、結論を急ぎ過ぎないことだという。だが、お偉いさんの最も悪い癖は結論を急ぐことである。その気持ちも分からなくはないが...会議では、あからさまに結論だけ述べろ!と指示するオヤジがいる。最初から考える気がなさそうだ。経営会議の前日になると、現場の意見を集めて回るオヤジまでいる。基本は入念に情報を集めることであろうが、収集方法の違いだけでまったく違った結論を導いたりする。統計情報から様々な解釈ができるのは、今日の社会学者や経済学者たちが証明している。
目的からすると、顧客を不愉快にさせる原因から手をつけるのも一つの考え方であろう。だが、製品やサービスの満足度を調査するにしても、顧客の本音を引き出すことは難しい。アンケートを実施したとしても、不満のある場合、細かく指摘する人もいれば、二度と買わないから答えないという人もいる。満足していても厳しい意見はあるだろうし、不満でも人が良くて優しく振る舞う人もいるだろう。よく見かけるのは、サービス解約時にその理由をアンケートで答えろ!というものだが、真面目に答えると思っているのだろうか?
しばしば経営者は、「顧客目線になれ!」と檄を飛ばす。その通りだろう。だが、本当にその意味を分かっているのだろうか?新製品を開発するにしても、顧客自身が何を求めているか分からないことが多い。アンケートをとったところで、せいぜい現存製品に改良したものを思いつくぐらいであろう。顧客から現存しない新アイデアをもらおうなんて、虫が良すぎる。だから、プロトタイプのようなものを提供しながら、顧客の様子をうかがったりする。新製品の開発にリスクをともなうのは当然だ。にもかかわらず、マーケティング部は、「顧客が求めているのはコレだ!」と強気だ。まるで株価上昇を連呼する証券アナリストのように。彼らの市場調査を疑いたくなる。だいたいの企業において、営業と開発はあまり仲が良いものではないようだ。
経営者は、技術者はマーケティングを考えていないと批判する。そして、新製品は世間に登場させるタイミングが重要で、スピード勝負だ!と強迫する。近年、なんでもスピード重視の傾向がある。その割には、負荷を減らしてスピードを買うといったことはあまりなされない。プロジェクトで適切に処理できないほどの仕事を受けるプロマネは卑怯であろう。大胆に仕様を削ったり、やってはならないプロジェクトを止める決断が重要なのだ。尻を叩いて品質を犠牲にすれば、技術者の精神状態は危険になる。優秀な人材は他に活路を見出すだろう。そこで経営者たちに問いたい!多くのケースで二番煎じが成功するのはどういうわけか?
...愚痴おしまい!