2012-06-24

"破戒" 島崎藤村 著

谷崎潤一郎は、東京生まれの作家で藤村を毛嫌いする人が少なくないと書いた。漱石も露骨ではないが嫌っていたとか。滅多に悪口を言わない芥川までも「新生」という作品を露骨に貶したそうな。坂口安吾も不誠実な作家と書いていた。
しかし、そんな評判に怯むことはない。ここは天邪鬼への宣伝文句と受け取っておこう。俗世間の泥酔者に文学作品に対する目利きがあろうはずもないが、この作品は一読の価値があるのではなかろうか。小説という手段を用いて、古くからある日本社会のタブーを大衆化しようとした試みは称賛したい。藤村は、乞食よりも下等扱いされてきた穢多の境地を暴く。しかし、幸せになるために現実逃避に縋るしかないという結末は...これが小説の限界であろうか?平等が人類の最高の価値だとは思わない。すべての人間がどうして対等でありえようか。能力差もあれば人格差もある。だが、優劣を決める要因が、それ以外のところで決定されるのは、理不尽としか言いようがない。人類の歴史とは、まったくもって「人間」という身分をめぐっての抽象化の歴史ということができよう。

明治維新の時代、「四民平等」のスローガンのもと、封建時代の身分制度「士農工商」が廃止された。そして、穢多や非人と呼ばれた人々も解放され、みな同じ平民となる...はずだった。法で定めたからといって、伝統によって培われてきた慣習を簡単に捨て去ることはできない。日本社会には伝統的に家柄や身分を重んじる風習があり、華族や士族を鼻にかければ平民との区別が強調される。平民にしても、自分より下の階層がないと落ち着かない。穢多にしても、差別から逃れる者を見れば、僻み、妬む。人間ってやつは、自分よりも劣等な人種を見つけて安住したがるものらしい。結局、身分の世襲からは逃れられず、「新平民」という新たな差別用語を蔓延させることになる。
「病のある身ほど、人の情の真と偽とを烈しく感ずるものはない。心にもないことを言って慰めてくれる健康(たっしゃ)な幸福者(しあわせもの)の多い中に...」
農村部に封建制の余波を残しつつ、あれは穢多だ!放逐してしまえ!と平気で言う時代、居住、職業、進学、結婚などで市民権を保証すると唱えたところで、行政措置は上辺だけでしかない。裏社会で売買される穢多の娘たち、人並みに学問を志すことも許されない人々...美人で金持ちの目に留まるのは、まだしも幸せというものか。
しかし、こういう時代も経験する必要があったのだろう。残酷な行為はその時代には分からないもの。現在だって数十年もすれば、あんな理不尽な時代があったと言われるかもしれない。昭和の時代にも、その名残りはあった。高校時代、同和教育を受けた記憶が蘇る。当時はまったく現実味がなく、無神経に冗談を飛ばして先生に怒られたものだが、後で身近に同和地区があったことを知る。
ところで、部落問題は西側に多く存在すると聞く。その発祥は分からないが、平氏の怨霊かそのあたりの時代に遡るのだろう。武士の時代、多くの落ち武者が西側に流れたという歴史的背景がある。いくら武家社会が源氏を中心に固められたとはいえ、平氏が完全に絶滅したとは考えにくい。平氏以外にも歴史的に滅亡したとされる名門の子孫たちもいただろうし、権力の主流派であっても陰謀から逃れた落とし子のような人たちもいただろう。そういう人々が忠実な家臣とともに生きながらえ、目立たない地に集落を形成したことは想像できる。他にも犯罪者など素性を隠したい人は多くいるだろうし、世間の目から逃れた社会が形成されてきたことも想像できる。もちろん偽名を名乗る。
本書は信州を舞台にしているが、東側にも点在する現象なのだろうか?ずっと政治、経済、文化の中心できた東京人には、分かりにくい感覚なのかもしれない。役所も部落民などと差別するつもりはないのだろうが、行政的に保護が必要となれば区別する用語が必要になる。政治屋は友愛やら博愛やらという言葉がお好きだけど、「同和」と呼べばそれ自体が差別用語と化す。
更に厄介なのが、同和問題となんら縁のない連中が部落民を名乗り、社会保障や生活保護を脅したり、たかったりする。いわゆるエセ同和というやつだ。弱者や善人を装う輩の背後には、裏社会や宗教団体が寄生する。弱みや憐れみのあるところに政治団体が忍び寄り、福祉は選挙運動の道具と化す。報道屋は表面的な弱者の味方をするが、本当に保護を受けるべき人々が放置されるのは世の常。
現在では、穢多、非人、かたわ、気違い... などといった言葉が禁止用語とされる。そういう考え方も必要かもしれないが、そんな言葉が使われた時代があったということも認識しておきたい。近代化の過程で、「新平民」などと新語が用いられ、いじめの手口も裏で巧妙化していく。堂々と悪行をなすのと、陰で悪行をなすのとでは、どちらが悪いのかさっぱり分からん!人は、憐れみを感じながらも、つい余計なことを言ってしまう。真意が違っても、つい傷つけたりする。その反省を繰り返せば無口にもなろう。だが、無言ですら何かを物語る。お喋りなこの世から差別を無くすことは不可能なのかもしれん。

1. 「破戒」と「破壊」
「破戒」という題名は、戒めを破ると書く。戒めとは、素性を隠そうとすることが慣習として根付いたもので、先祖代々受け継がれてきた生き延びるための知恵である。破るとは、素性を世間に告白することで、社会からの迫害を覚悟することである。その意味では、自己の「破壊」という気持ちも込められているのかもしれない。
しかし、その告白はけして積極的なものではなく、噂が広がる中で仕方なく追い込まれた結果なのだ。告白した後は、逃げるように自由の国アメリカを目指す。ただ、その結末は少々腑に落ちない。現実には、様々な事情で逃げられないケースがほとんどであろう。経済的な負担も大きい。まだしも逃げる場所があるだけ幸せというもの。だからといって、この物語を夢も希望もないまま終わらせるのも...このあたりが小説の限界であろうか?
そういえば、日本政府がブラジルへの移民を募集した時代とも重なる。新天地への夢に乗せられ、苦労したという話も聞く。その中にも部落出身者がいたのかもしれない。本作品は、移民との関係も匂わせているのかもしれない、というのは考えすぎか?
また、解説の野間宏は初版本を読むべきだとしている。訂正本はまったく生ぬるいと。「穢多」という言葉を避けて「部落民」という言葉にすり替えられているそうな。

2. あらすじ
穢多出身の瀬川丑松(せがわうしまつ)は、生い立ちと身分を隠して生きよ!という父からの戒めを守って生きてきた。そして、小学校教員となり、解放運動家で部落出身の猪子蓮太郎を慕うようになる。
ある日、旅先で代議士になろうという人物と美女の一行を見かける。世間とは狭いもので、この女性が丑松の知り合いの穢多の娘であった。同僚の勝野文平は、その議員あたりから丑松の素性を嗅ぎつける。そして、町中で噂になり擁護派と蹂躙派で二分される。
しかし、擁護派も残酷な面を見せる。丑松が穢多ではないと主張するだけで、穢多そのものは差別しているのだから。穢多には、こういう特徴があるという。一種の臭いがある、皮膚の色が普通の人と違う、顔つきで分かる、そして、性格が異常に僻んでいる。ひたすら素性を隠す習慣から性格が陰気になり、病的な境遇が哲学をさせるんだとか。こうした特徴から、丑松を穢多であるか判定しようという話まである。憐れみが怖れに変わるのも道理というものか。時代の価値観によっては、どちらが病気扱いされるか分かったもんじゃない。
隠そうとすればするほど、世間はやかましく追求してくる。騒ぎが大きくなれば、素性を明かさないわけにもいかない。ついに丑松は告白する決心をする。
「我は穢多を恥とせず!」
それにしても、素性を隠していたことを、あまりに卑屈に謝る態度は、時代を反映しているのだろうか?
普段優しい人たちでも、一旦身分が明らかになると残酷な動物へと豹変する。人間は、群衆化すると野蛮になるところがある。陰の噂や陰の罵声といった陰湿な方法によって。まさに、いじめの原理がここにある。
そんな悲愴感の漂う中にあっても、読者を救ってくれるものが一つだけある。それは、最も純粋な擁護者である生徒たちの存在だ。教師として新平民であることに何の不都合があろうか、と校長に詰め寄る。教師冥利に尽きるというやつか。校長は、進退伺いを提出すればどうしようもないと言い訳するが、実は若くて活力ある教師が目障りだった。ここには、丑松の人間主義的な教育と、校長の封建主義的な教育との対立構図を匂わせる。おまけに、出世主義の勝野はライバルの脱落を意味ありげに微笑む。校長や勝野は、規則!規則!と生徒たちを封じ込める。
この物語が子供たちの純粋な感覚に救いを求めたのは、未来へ希望を託したのか、あるいは腐った大人どもに絶望したのかは知らん。
「ああ、教育者は教育者を忌む。同僚としての嫉妬、人種としての軽蔑...」
そして、丑松はテキサスの日本村で新たな事業を起こす夢を持って旅立つことに。学校を去る淋しさか、社会への悔しさか、目から涙が溢れ出る。

2012-06-17

"谷崎潤一郎随筆集" 篠田一士 編

小説もいいが、随筆もなかなかいい。随筆の魅力は、文章の達人たちの自己主張が存分に披露されるところであろう。物語の制約を受けることなく、自己矛盾が生じるのもお構いなし...とまでは言い過ぎか。ただ、これについて行くには、読者の側にも心構えがいる。筆が伸び伸びとする様は、もはや無力感に身を委ねるしかない。文学が精神と対峙する学問である以上、インド哲学にせよ、中国哲学にせよ、ギリシア哲学にせよ、いずれ古代哲学に帰着するものと考えていた時期があった。ところが、日本文学もなかなかの庶民的な哲学を魅せつける。つまりは、生き方というやつよ。

時代は大正デモクラシーに至る頃、急速な西洋化とともに自由の機運が高まる。この時代に随筆が多く書かれたのは偶然ではなかろう。西洋文学が輸入されると、男女の性や恋愛物があからさまに書かれるようになる。恋愛小説が高級な扱いを受けるとなれば、次は官能小説の番か?キラリ!オヤジの眼も輝く。ついでに、関東大震災の追い打ちで日本式建築様式も失われつつある。
谷崎は、「陰翳礼讃」で伝統文化の回帰を仄めかしながら、「いわゆる痴呆の芸術について」で歌舞伎や浄瑠璃の不合理性と不自然性を斬って捨てる。そして、日本文化を国粋芸術として崇めたり、世界に広めようなどという軍閥政策を皮肉る。
「どうか歌舞伎や文楽などは、間違っても世界的なんぞになってもらいたくない。それよりわれわれ日本人だけで、つつましやかにしんみりと享楽したい。」
芸術はあくまでも個性の領域であり、なにも民族の誇りだとか国粋などと崇めるほどのものではないということか。いくら教育の場で芸術を強制したところで、現代感覚ではハリウッド映画と比べられて退屈するのがオチか。
また、徳川時代の弊害を指摘している。...平安朝の時代には、紫式部のような女性作家がいた。にもかかわらず、江戸時代になって不合理で不自然な芸術が育まれたのはなぜか?そして、開国とともに芸術が解放され、その進化を取り戻す。...といった流れが語られる。
国の在り様には大きく二つのものがあろう。国の形というやつだ。一つは、民が伸び伸びと生きることで国を富ませようとする形。もう一つは、政を司る者が法によって民を厳しく縛り、組織として国を発展させようとする形。どちらが善い世かは知らん。まぁ好みもあろうが、徳川時代は後者になろうか。権力が禁じる思想を広めるには、こうすればよかろう。まず、思想論争の必要性を論じながら、反体制思想を紹介する。そして、権力思想を引用しながら、できるだけ説得力のない論理で批判する。聴衆の側も皮肉のツボをよく心得ているので、効果は必定。
そういえば、何の歴史書かは思い出せないが、徳川家を直接批判するとお咎めを受けるので、先代の足利家をネタにして間接的に批判する文化が育ったという話を聞いたことがある。天皇家を南北に割った張本人としても攻撃対象に相応しい。粛清の時代では、回りくどく不合理で不自然な文芸が発達しやすいのは、本当かもしれない。なるほど、江戸から距離を置いた西の都で、お笑いや毒舌の文化が発達したのも分かるような気がする。寺小屋のような教育文化も、幕府主導というよりは庶民的な運動から始まったのだろう。真の教育が国家教育から育まれないのは、いつの時代も同じか。新渡戸稲造は、武士道精神は徳川泰平の世に衰えたと指摘した。忠臣蔵で、播州という西の地で権力に抗議するエネルギーが発生したのも偶然ではないのかもしれない。徳川倒幕のエネルギーも西方から起こった。となると、現在においても、政治改革は西から蜂起するということであろうか?京が中心の時代には東から蜂起した。平将門の乱しかり、鎌倉幕府しかり。政治の中心、経済の中心、文化の中心が一箇所に集中すると何かと弊害があるのだろう。
「それにつけても凡ての作家が郷土を捨てて東京へ志すのは、大きくいえば日本文学の損失であると考えられる。」

当時の文壇事情も暴露される。文豪たちの論争は激しい。いわゆる喧嘩を売る!というやつか。中央公論の編集長、滝田樗陰が作家たちに、出来が悪い!と喧嘩を吹っかける話や、生田長江が、誌上で白樺派というよりは武者小路実篤に、オメデタイ!と凄まじい攻撃をした話など。さすがに文章の達人たちだけあって議論の吹っかけ方も巧みだ。文学の基盤は、もともと論争や口論にあることが見えてくる。まさに皮肉屋文化か。人間とは、喧嘩しながら精神を高めてきた生き物なのかもしれない。戦争もその類いなのか?
また、鏡花、里見、芥川、谷崎は、鍋を囲む仲だったという。互いの食い意地にもライバル関係が現れる。
東京生まれの作家で、島崎藤村を毛嫌いする人が少なくなかったという。荷風も、辰野隆も、みなそうだと。漱石も露骨ではないが嫌っていたとか。最もあからさまに罵ったのが芥川だそうな。特に「新生」という作品に関するものらしいが、滅多に悪口を言わない男だけにインパクトがある。谷崎も遠まわしにチクリと書いたとか。ちなみに、坂口安吾も不誠実な作家と評していた。しかしながら、藤村にも神の如く崇めるファンがいる。そこまで悪口を言われると...次は藤村でも漁ってみるかぁ。天邪鬼精神健在!

本書には、「『門』を評す」「懶惰の説」「恋愛及び色情」「『つゆのあとさき』を読む」 「私の見た大阪及び大阪人」「陰翳礼讃」 「いわゆる痴呆の芸術について」 「ふるさと」 「文壇昔ばなし」「幼少時代の食べ物の思い出」「『越前竹人形』を読む」の十一篇が収録される。
さて、純米酒に合いそうなところを摘んでおこうか。

1.『門』を評す
「『門』は『それから』よりも一層露骨に多くのうそを描いている。そのうそは、一方においては作者の抱懐する上品になる ― しかし我々には縁の遠い理想である。一方においては先生の老獪なる技巧である。」
谷崎は、漱石を当代ずば抜けた作家だと評している。なのに、この物言いは谷崎流の自然主義文学への挑戦状か?当時、文学界には自然主義なる風潮があり、漱石は自然主義に近づいていると評されたらしい。もともと小説とは、空想の世界を描くものである。だが、現実社会で生きる読者に共感を与えるものがなければ説得力を欠く。あまりにも理想郷へと旅立たれると、作家の独りよがりと言わざるを得ないというわけか。
「それから」は姦通する小説で、「門」は、姦通した二人が夫婦になる小説だそうな。道義上許されない姦通によって成就した恋、世間の冷たい目に晒されながら生きる様、罪が祟って三度も妊娠した胎児がことごとく闇へ葬られる...といった物語だとか。ここには、恋はかくあるべし!という漱石流の道徳観が描かれているという。人間社会というものは、もっと複雑で皮肉な事実に満ちていて、もっとドロドロとしたもので、このような夫婦関係を真の世間だとする見方は甘いということらしい。小説が真実よりも嘘に価値があるとすれば、その意味で「それから」は成功した作品であり、「門」は失敗した作品だと評している。

2. 懶惰の説
怠け者と言われて名誉に思う者はいないだろう。しかし、室町時代の「御伽草子」には「物臭太郎」という物語がある。怠け者で近所から爪弾きされる厄介者の話だが、乞食かと思えば権威に怖れないほどの気骨があり、馬鹿かと思えば和歌の才能があり、しまいには御多賀の大明神に祭られる。こうした物語が作られるのは、もともと人には怠惰への憧れがあるからであろう。だから、博奕に憑かれる。博奕打とは、楽をしながら金儲けをする人種である。そのために情報収集に努め、己の技を磨く奇妙な人種でもある。怠惰を求めて勤勉になるというわけさ。経済活動や学問に励むのも、ほとんどその類型であろう。
三国志には、諸葛亮が劉備の三顧の礼に従って世に出た話があるが、ようやく重い腰を上げたのは怠け者の証しかもしれない。もし、三顧の礼に従わず、才能が埋もれたままだとしても、品位が変わるべくもなく、偉大であることに変わりはないのだろう。老荘の無為の思想も、ディオゲネスの犬儒学も、その類型であろう。つまりは、人間の欲望の裏返しである。怠け者の哲学とは、自然風狂の哲学というわけよ。

3. 恋愛及び色情
平安朝の時代には、紫式部のような女性作家がおり、恋愛文学が旺盛を極めた。「今昔物語」の「不被知人女盗人(ひとにしられざるおんなぬすびとのこと)」は、珍しく女のサディズムを描いた作品だという。「枕草子」には、清少納言が宮廷で男をへこます話があるという。日記や物語や和歌などの文学的能力では、女性は多くの男から尊敬されていた様子がある。
恋愛物は、儒学者が淫蕩の書とした時代もあれば、国学者が神聖視し教訓とした時代もあった。徳川時代では、徹底的に低俗扱いされた。武士社会では、女性に優しいことが武士らしいということと一致しない。むしろ惰弱に見られ女々しいと言われる。こういうお国柄では、高尚な恋愛文学が発達するはずもないか。
一方、西洋の騎士道においては、武士道で言う忠誠や崇拝を女性に求めたという。西洋文学では、恋愛を題材にしない方が珍しい。キリスト教的に言えば、聖母マリアのような女性を崇める発想がある。西洋には、「聖なる妊婦」や「みだらなる貞婦」という概念があるという。日本では、卑しいで片付けられてしまうけど。男女身分の優劣から、竹取物語のように、かぐや姫が昇天するような想像は難しいだろう。しかし、現実に古くからある物語だ。となると、自由恋愛の伝統は古くからあり、徳川時代の頃に虐げられたということか?性欲の抑圧を美徳とする価値観は、この時代に育まれたのか?茶の文化などは、女性禁制の文化である。自然美だけが唯一不変とし、詩人や歌人たちはひたすら自然を描写した。高嶺の女よりも、高嶺の月を目指したというわけか。
ところで、昔は、家庭に舅や姑がいてくれた方が、嫁に色気が出ると言われたそうな。嫁が親に遠慮して、陰で夫に縋りつき、愛撫を求めるからだそうな。その遠慮がちな言葉や態度が夫をそそるという。現代社会では別居が当たり前だから、本性まるだしで...それで興醒めするかは知らん。ちなみに、「色気」という言葉は、西洋語で翻訳しようがないという。セックスアピールと言ってしまうと、興醒めか。

4. 「つゆのあとさき」を読む
荷風の小説「つゆのあとさき」は、純客観的描写をもって一貫され、何の目的もなく、何の主張もなく、それ自身の内に含むものがなく、冷たい写実的作品だという。どんな客観的な作品にも自我の描写というものが現れ、創作熱というもが感じられるのだが、そんなものがまるでないそうな。
「うそを楽しむ人でなければ手の込んだうそは吐けないと同様に、虚無を楽しむ人でなければああまで空中楼閣は築けない。」
感情やら創作熱などどうでもよく、あくびをしようが、酔っ払ってようが、そんなものが書ければ結構というわけか。荷風は、妻もなく、子もなく、友人もなく、時折気の合った茶飲み相手を拵えるぐらいだったという。こういう人物でなければ、創作に耽ることもできないのかもしれない。長い間、孤独地獄の泥沼に落ち込んで、苦しく味気のない暮らしを送りながら夢や覇気や情熱を擦り減らした挙句、次第に人生を冷眼で見るようになるのであろうか。享楽主義者が、享楽を尽くし、享楽に疲れ果てるまで...
「とにかく私は、この作者が最も肉慾的な婬蕩な物語を、最も脱俗超世間的な態度で書いているところに、― そして、何もむずかしい理屈をいわずに素直に平凡に書き流しているところに、― いかにも東洋の文人らしい面目を認める。」

5. 私の見た大阪及び大阪人
関東大震災の頃、避難場所として大阪へ流れた人は数知れず。その中に、谷崎や志賀などの小説家たちもいたという。東京生まれには、関西という地は肌の合わないことも多い。谷崎は、大阪ほどの大都市に文士がいないことを嘆いている。金の計算ばかりしていると、文士など育ちにくいのかもしれないけど。芸者で賑わい、三味線につれて地唄を唄い、人情味に溢れ、この多様な風俗の町では、経済競争の中で落伍者も多く、商売人から型破りまで多様な人種が集まる。それだけに金融屋やヤクザの入り込みやすい町なのかもしれん。
大阪弁といえば、下品でエゲツない印象があるが、女性の大阪弁は悪くない。個人的には京都美人と聞いただけでイチコロだが、谷崎は大阪の女性に惹かれるという。猥談などをしても、上方の女性はそれを品よく仄めかす術を知っているという。東京の女性は露骨過ぎるのだとか。変に色気があり、愛想よく歯の浮いた台詞も出るが、東京の女性は人見知りが強く、あまり巧いことが言えないらしい。じゃ、ズルいのか?というとそうではなく、正直なのだそうな。
「関西の婦人の言葉には昔ながらの日本語の特質、― 十のことを三っつしか口へ出さないで残りは沈黙のうちに仄かにただよわせる、― あの美しさが今も伝わっているのは愉快だ。」
男がエゲツないと、逆に女は上品になるのだろうか?となると、草食系の男子が増えれば...ゴホゴホ!

6. 陰翳礼讃
まず、臭い話から...
純日本風の厠は、閑寂な壁と清楚な木目に囲まれ、青空や青葉を見ることができるという。用を足すにも風流というわけか。
「総てのものを詩化してしまう我らの祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、かえって、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした。」
ただ、母屋から離れていて夜中に行くには便利が悪い。斎藤緑雨は、「風流は寒きものなり」と言ったとか。漱石は、便通いを「生理的快感である」と言ったとか。しかし、便器が木製というのは...やはり水洗でないと...便器の文化を一つとっても、西洋では光り輝くものを芸術とし、日本では陰翳なるものを芸術にするという。
次は、出す方から口に入れる方へ...
日本料理は、食うものではなく見るものだと言われる。谷崎は見るもの以上に迷想するものだと言い、「闇にまたたく蝋燭の灯と漆の器とが合奏する無言の音楽の作用」と語る。赤味噌汁にしても、薄暗い家の中で発達したものであることが分かると。
さて、住まいは...
建築様式は、日本人だって暗い部屋より明るい部屋の方が便利に違いない。だが、固有の風土によって、自然と暴風雨を防ぐために部屋が暗くなったという。
「暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。」
太陽光線の入りにくい座敷の外に土庇を出したり、縁側を付けたりして、一層日光を遠のける。庭からの反射が障子を透して、ほの明るく忍び込ませるように演出したりする。掛け軸や生花も飾るが、あくまでも脇役であって、陰翳の深みが主役であり、陰翳こそが装飾であるという。日本座敷の美は、陰翳の濃淡によって構築され、間接的な光線の演出に他ならないというわけか。
しかし、西洋人が見ると、その簡素さに驚き、ただ灰色の壁があるばかりで、なんの装飾もないと感じるらしい。陰翳を解せなければ、質素に見えるのも当然か。これもチラリズムの類いであろうか?そういえば、日本の幽霊には足がないのに、西洋の幽霊には足がある。これも陰翳感覚の違いか?現代人は、昼夜の明かりに馴れて闇の時代を忘れている。夜の世界地図を眺めても、この国は異常に明るい。おそらく暗い土地の方が正常なのだろう。先進国はどんどん人間離れしているのかもしれん。アインシュタインが訪日した時、大層不経済なものがあると、電灯を指さしたという。この時代から、ヨーロッパよりも惜しみなく電燈を使う癖があったらしい。資源がない国と言われながら...
「私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の櫓(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとはいわない、一軒ぐらいそういう家があってもよかろう。まあどういう工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。」
ちなみに、行付けのバーでは、酒を演出するために照明にこだわっている。それがたまらなくいい。

7. いわゆる痴呆の芸術について
辰野隆(たつのゆたか)が義太夫を悪く言ったという。歌舞伎を痴呆の芸術と言い出したのは、正宗白鳥だったとか。西洋かぶれになった時代、西洋音楽の何たるかを解さずに。辰野隆はいわゆる洋楽党だったとか。
しかし、西洋音楽を学んだ女性ピアニストは、邦楽では義太夫の三味線を聞くという話が紹介される。パリで娘時代を過ごし、フランス教育をうけた近代人でも、あの音色の中には日本人の血に訴える宿命的な魅力が籠もっているという。伝統芸術が軽んじられるのは、いつの時代も同じか。それも必要な過程なのだろう。芸術は、新旧を問わず、揉まれるうちに真の芸術に回帰していくのだろう。今では、リバイバル作品をよく見かける。ちなみに、義太夫通に言わせれば、文楽は見るものではなく聞くものだそうで、悪魔的な美を奏でる旋律だそうな。
「波立つ海面、渦巻く水勢、一つ所を船がくるくる行ったり来たりする運動、懸命に櫓を漕ぐ水夫たちの努力...」
こうしたものが思い浮かぶのだそうな。琴だの、三味線だの、地唄だの、俗世間の酔っ払いには退屈してしまうのだけど。旧劇や浄瑠璃には、滑稽なほど不合理や不自然が満ちていて、大袈裟でどことなく胡散臭い感は否めない。おまけに、軍閥政治が時代物や浄瑠璃を推奨したために、義太夫の残忍な場面は、軍閥の野蛮性と重なるとしている。国家が教育や文化を押し付けると、国民感情はだいたい逆の方向に働くものだが。

8. 『越前竹人形』を読む
水上勉の小説「越前竹人形」は、最初はそれほど名文があるわけでもなく平凡な書き出しだが、次第に生彩を帯びてくるという。娼妓の玉枝という女性の描写、その書き方を絶賛している。

...
家内でございます。と、喜助はひくい声で鮫島に紹介した。鮫島は、(中略)瞬間息をのんだ。美貌だったからだ。すらりと背の高い玉枝は、肉づきのいい固太りの躯(からだ)をしていた。白い肌が、青みどりの竹の林を背景にして、ぬけ出てきたようにみえる。それに切長(きれなが)の心もちつり上った眼は、妖しい光をたたえて鮫島をみつめていた。(この男に、こんな美しい妻がいたのか...)
鮫島はわれを忘れてみとれた。あいさつの声も出なかった。櫛の歯のように生えている竹林にさし込んでいる陽は、苔のはえた地面に雨のようにそそぐかにみえた。玉枝は黄金色の光の糸を背にして、竹の精のように佇んでいた。
...

「私は近頃これほど深い興味を以て読み終わったものはなかった。.....『楢山節考』を読んで以来の感激である。...何か古典を読んだような後味が残る。玉枝を竹の精に喩えてあるせいか、何の関係もない『竹取物語』の世界までが連想に浮んで来るのである。」
「竹の精」とは、うまいこと言う。是非、挑戦してみたい。

2012-06-10

"堕落論・日本文化私観 他二十二篇" 坂口安吾 著

「善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。キリストが淫売婦にぬかずくのもこの曠野のひとり行く道に対してであり、この道だけが天国に通じているのだ。何万、何億の堕落者は常に天国に至り得ず、むなしく地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に通じているということに変りはない。」

小説家の鎮魂歌とは、こういうものを言うのであろうか。魂のこもらない一句が見当たらない。独特のリズムは修羅の妄執がごとく。毒舌とストレートな表現で、一見荒々しくも見える文章群が、妙に調和していて心地よい。繊細な感受性の持ち主でなければ、できない技であろう。なによりも、生への執念が込められる。
「私はただ、私自身として、生きたいだけだ。私は風景の中で安息したいとは思はない。又、安息し得ない人間である。私はただ人間を愛す。私を愛す。私の愛するものを愛す。徹頭徹尾、愛す。そして、私は私自身を発見しなければならないように、私の愛するものを発見しなければならないので、私は堕ちつづけ、そして、私は書きつづけるであろう。」
生きるとは人間の最大の欲望であり、生き方とは精神の最大のテーマである。善は悪との関係から生じ、生は死との関係から生じる。その真理に迫ろうとすれば、すべてを曝け出すしかあるまい。自己の醜行をも避けるわけにはいかない。
そこで、安吾は精神の堕落を求める。すべてを投げ捨てる心は、自暴自棄などとは違う。権威を嘲笑い、死をも笑い飛ばす。恋愛を人生の最高の花とし、女体に溺れる。
「小説の母胎は、我々の如何ともしがたい喜劇悲劇をもって永劫に貫かれた宿命の奥底にあるのだ。笑いたくない笑いもあり、泣きたくない泪もある。奇天烈な人の世では、死も喜びとなるではないか。知らないことだって、うっかりすると知っているかもしれないし、よく知っていても、知りやしないこともあろうよ。小説は、このような奇々怪々な運行に支配された悲しき遊星、宿命人間へ向っての、広大無遍、極まるところもない肯定から生れ、同時に、宿命人間の矛盾も当然も混沌も全てを含んだ広大無遍の感動に由って終るものであろう。」

自己を破壊してみなければ、自己を創造することもできない。ましてや自己の発見などおぼつくまい。しかしながら、自己の醜行までも受け入れる寛容さを身につけるのは、至難の業である。小説家が精神と正面から対峙する職業となれば、自己の醜行に耐えられない作家は自ら死に追い込むことになる。
安吾は、自殺を無意味だと吐き捨てる。芥川や太宰の自殺を不良少年の死だとし、不良青年にも不良老年にもなりきれなかったと蔑む。芥川にしても、太宰にしても、元来孤独の文学。なのに現世とつながり、ファンとつながったがために自ら死へ追いやったと。しかし、彼らへの思いは強い。
「本当の自殺よりも、狂言自殺をたくらむだけのイタズラができたら、太宰の文学はもっと傑れたものになったろうと私は思っている。」
安吾流の悔みの言葉であろうか。まるで太宰に「自殺論」でも書いて欲しかったかのように。人には様々な生き様があるように様々な死に様がある。自殺にも様々な事情があろうし、肯定する気にも否定する気にもなれん。俗世間の酔っ払いには、そんな度胸もないのだから。ただ、生きている限りは自分に正直でありたい。安吾はわざわざ死期を早めるのは人生の敗北者だとしている。だがそれは、生きる意欲を奮い立たせるための裏返しかもしれん。
「人間は生きることが、全部である。... 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。」
キェルケゴールは、死んで墓に安住できるならば、それは絶望ではないとした。絶対的な存在感を示す孤独とぎりぎりまで戦い、現世を突っぱね、その生き地獄を生き抜いてこそ小説家というわけか。そこまでしてこそ、芸術というわけか。芸術ってやつは、狂人にしか見えないのかもしれん。
「生きている奴は何をしでかすか分らない。何も分らず、何も見えない、手探りでうろつき廻り、悲願をこめギリギリのところを這いまわっている罰当りには、物の必然などは一向に見えないけれども、自分だけのものが見える。自分だけのものが見えるから、それが又万人のものとなる。芸術とはそういうものだ。」

本書には、「ピエロ伝道者」「FARCEに就て」「ドストエフスキーとバルザック」「意欲的創作文章の形式と方法」「枯淡の風格を排す」「文章の一形式」「茶番に寄せて」「文字と速力と文学」「文学のふるさと」「日本文化私観」「青春論」「愕堂小論」「堕落論」「続堕落論」「武者ぶるい論」「デカダン文学論」「インチキ文学ボクメツ雑談」「戯作者文学論」「余はベンメイす」「恋愛論」「悪妻論」「教祖の文学」「不良少年とキリスト」「百万人の文学」の二十四篇が収録される。
安吾の生涯に渡る代表的エッセイ集ということだが、これ一冊で人生論が語られる。生涯に渡って一貫性を保つのは難しいはずだが、小説家としての信念はぶれないということであろうか。

1. ファルス論
ファルスとは笑劇や道化のこと。一般的に笑いよりも涙の方が高尚とされるが、人間の情念は涙を誘うよりも笑いを誘う方がはるかに難しい。悲しみには人類の共通観念があり、死や命の儚さを匂わせればたいてい涙を誘う。対して、笑いほど文化や慣習や言語に影響されるものはない。笑いは否定をも肯定する。おまけに、笑いは涙をも乗り越える。故に、戯作をもって笑劇を演じることが、文学の高尚なテクニックということになろうか。笑いは不合理を母胎にするという。芸術心とは、まさに不合理の内にあるのだろう。
「ファルスとは、人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しようとするものである。凡そ人間の現実に関する限りは、空想であれ、夢であれ、死であれ、怒りであれ、矛盾であれ、トンチンカンであれ、ムニャムニャであれ、何から何まで肯定しようとするものである。」

2. 不条理な文学
グリム童話で有名な「赤ずきん」に「文学のふるさと」を探る。シャルル・ペロー版に遡ると、ただ少女が狼に喰われるだけの物語で、そこに教訓や道徳はないという。暗黒の運命と冷酷な現実を叙述するのみ。これが客観性と言うかは知らんが、実に童話らしくない。ただ、その不条理を受け入れるだけの無力な世界、これが文学の本来の姿だということであろうか。

3. 文豪批判
安吾は文豪たちに厳しい。というより、文学界に厳しいと言った方がいいか。藤村や漱石らを血祭りに上げる。「新生」という作品において、藤村は世間的処世において糞マジメだが、文学的には不誠実であるという。漱石は、知と理で痒いところに手が届くものの、人間の本質が欠けているという。ただ、自らインチキ文学と称し、撲滅すべきは安吾小説とも言っている。安吾自身が糞真面目な文章家であることは言うまでもない。そうでなければ、こんなに緻密に計算された文章は書けまい。小説家の正体は戯作者ということであろうか。
「言論の自由などと称しても人間の頭の方が限定されているのであるから、俄に新鮮な言論が現れてくる筈もなく、之を日本文化の低さと見るのも当らない。あらゆる自由が許された時に、人は始めて自らの限定とその不自由さに気付くであらう。」
それにしても、文学の神様と呼ばれた志賀直哉への攻撃は半端ではない。これは本物か。志賀は、特攻隊の生き残りを再教育せよ!とほざいたとか、太宰もその態度を批判したらしい。志賀文学を思想観念などない皮相的だとしているが、その気持ちも分かるような気がする。現代でも、国のために命を賭けている人たちに敬意を払わず、その存在すら認めない輩がいる。
「日本に必要なのは制度や政治の確立よりも先ず自我の確立だ。本当に愛したり欲したり悲んだり憎んだり、自分自身の偽らぬ本心を見つめ、魂の慟哭によく耳を傾けることが必要なだけだ。自我の確立のないところに、真実の道義や義務や責任の自覚は生れない。」

4. 堕落論
安吾は人間の本質に迫るために一貫して堕落を求める。
「人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。」
しかし、人間が堕ち抜くほど強くはないことも認めている。
「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。」
安吾は、宮本武蔵の凄まじい生への執念を称賛しながらも、その執念が薄れたために晩年の著書「五輪書」をつまらなくしたと嘆いている。対して、戯作的な低さがあるものの勝海舟の父勝夢酔(むすい)の「夢酔独言」を高く評価している。勝夢酔は、生涯を不良で通した武芸者だそうな。道学的な高さよりも、必死の生き様の方に芸術性が生じるというわけか。とことん醜態を曝け出して生きなければ、人間の本質は見えてこないし、真の芸術もありえないというわけか。
「良く見える目、そして良く人間が見え、見えすぎたという兼好法師はどんな人間を見たというのだ。自分という人間が見えなければ、人間がどんなに見えすぎたって何も見ていやしないのだ。自分の人生への理想と悲願と努力というものが見えなければ。」

5. すけべぇオヤジの恋愛論
戦争未亡人の多い時代、安吾は何度も恋愛をやり直すことを奨励する。そして、愛を宗教的なものとし、恋を狂人的なものとして区別している。狂うほど好きにならないと、人間の本性は見えてこないというわけか。まったく友愛型人間ってやつが愛を安っぽくしやがる。俗世間では、愛は最高の善とされる。ならば、愛を金で買うことこそ、最も有意義な金の使い方ということになろう。
そういえば、あるバーテンダーが能書きを垂れていた。下心があるのが「恋」、心を下に書くから、真心があるのが「愛」、心を真中に書くからと。なるほど、下心こそ人間の本性というわけか。
また、女房と女とどこが違うのか?と問いながら、知識があっても知性がなければ最低な女だとし、良妻などというものを偽物とし、知性ある悪妻を求める。そして、何度でも結婚すりゃええと主張する。ただし、安吾自身は二十の美女を好むと宣言しているけど。
すけべぇオヤジまるだしの自由恋愛論にはまったく同感だ。しかし、なんでわざわざ再婚を奨励するのか?そんなに実体のない法律なんてものに縛られたいか?どうせなら確実に実感できる縄で縛ってほしい!と、M君は言っていた。

2012-06-03

"桜の森の満開の下・白痴 他十二篇" 坂口安吾 著

およそ鳥肌が立つような小説とは、こういうものを言うのであろうか。男と女のドロドロ哲学を語らせたら、この作家の右に出る者を知らない。各々の物語は、二つの二元論において展開される。それは精神と肉体、そして夢想と現実。これらの狭間で揺れ動く情念の微妙なタッチを、男女の性を絡ませながら対称美で魅せるところに、この小説家の凄みがある。
古来、精神と肉体は一体か?という哲学的な問いがある。人間の実体は精神にあるとし、固体である肉体になんの意味もなさないとする立場と、どんな物質にも精神が宿るとする立場の論争は、いまだ決着を見ない。本書は、大体において後者の立場をとりつつ、結果的に前者に引き戻される感がある。純愛を夢想したところで結局は肉体を貪り、理性を求めたところで結局は衝動の虜になる。いくら理想を追いかけようが、いくら現実を直視しようが、そこにあるのは虚しさだけというのは変えようがない。

本書には、「風博士」「傲慢な眼」「姦淫に寄す」「不可解な失恋に就て」「南風譜」「白痴」「女体」「恋をしに行く」「戦争と一人の女」「続戦争と一人の女」「桜の森の満開の下」「青鬼の褌を洗う女」「アンゴウ」「夜長姫と耳男」の十四篇が収録される。
作品の順番もうまいこと演出され、一つの体系をなしている。いきなり「風博士」が無力な男の復讐劇を喜劇で演じれば、文学なんて楽しけりゃいいじゃん!という解放感を与えてくれる。そして、無垢な少年が年上の女性へ向ける「傲慢な眼」で純愛を語り、なにやら忘れかけているものを思い出させてくれる。
しかーし、こうして油断させておいて、いつのまにか(小)悪魔への殉教が始まっているのだ。美麗な女どもは...「白痴」な女は純真な肉体を晒し...戦争好きな女は空襲の度に男の優しさを快感にし...もはや男なしでは生きられない。脂ぎったオヤジども、すなわち「青鬼赤鬼」でもええからひとりぼっちにしないでと。男どもは男どもで...戦争に生き残った野郎どもはハーレム気分...美女の微笑みに憑かれた男は「桜の満開の下」で狂い...もはや自分の命を守るには妖女の媚態を断ち斬るしかないと気づく。
さて、美女をモチーフにした小説が、愛憎劇や官能小説風に展開されるのはよくあること。性に解放された自由闊達な娼婦や気高い女王様が登場すれば、男どもは命を磨り減らす。愛という幻想が仕事の原動力となり、美麗の虜になり、残虐な行為も命じるがまま。安吾は、天性の娼婦を奉仕する人として崇めているところがある。自己犠牲を払って相手を喜ばすのだから、そうかもしれん。ある種のエゴイズムであろうが、もともと小説とはエゴいもの。退屈は、エゴイストにとって虚しさを感じるだけだが、エゴを放棄した天性の娼婦は幸せを感じるというのか?天性の娼婦は自己を見つめることなどないのか?だから、いつでも楽しめるというのか?そして、とことん憑かれ(疲れ)、気がついたらポイよ!そのリスクを背負ってこそ、理想観念に近づくことができる。理想の女性像を求めるということは、まさに精神の完成を求めるに等しい。これが安吾小説の真髄であろうか。
しかし、だ。仕舞いに、女性自身が命を奪われる瞬間でさえ微笑みで見つめられると、殺人鬼となった男はどう狂うというのか?美女がそれを穏やかに受け入れるのは、悪魔を自覚しているからか?かくして悪魔は神となり、男は救われる。美麗な女性が残虐であればあるほど、無垢な聖人と化すとは。ある種の宗教的救済なのか?宗教とは姦淫のようなものなのか?盲目となって惚れ込むところは、まったく同じよ。よって、男性諸君がこぞって夜の社交場へ通うのも道理というものよ。そう、教会へ行くのと同様、ある種の宗教儀式なのだ。さぁ、聖地へ赴くとしよう。ただし、美人と美麗ではまったく違う概念なので注意されたし!
...「夜長姫」に憑かれた男より。

1. 風博士
偉大なる風博士が自殺した。遺書には、憎むべき蛸博士のことが記されていた。かつて友人だったこの男は黒髪明眸の美青年であったが、やがて禿頭となり蛸博士と呼ばれる。彼は風博士の妻を寝とった。この憎むべき論敵は、いつも鬘で禿頭を隠している。風博士は、蛸博士を抹殺するために邸宅に忍び入り、証拠品である鬘を手中に収めた。しかし敗北した。蛸博士は密かに鬘の予備を持っていたのだ。そして、蛸博士を地上から抹殺することを諦め、自己を抹殺したとのこと。かくして博士は失踪した。偉大なる博士は風になったのである。その証拠とは。
「この日、かの憎むべき博士は、恰もこの同じ瞬間に於て、インフルエンザに犯されたのである。」
風となった博士は、風邪の伝道師となったとさ。

2. 傲慢な眼
ある辺鄙な町に、都会風の派手な県知事が赴任した。夏休みになると、東京の学校に残した美しい一人娘がやってきた。町中の眼が注がれる中、ただ一人の傲慢な眼が向けられる。大男の中学生。令嬢が問い詰めると、少年は顔を赤らめ、うつむく。
ある日、令嬢が散歩していると、少年は写生帳に描き始める。令嬢はモデルになってくれた。夏休みが終わると令嬢は東京へ戻り、冬休みになっても再びこの町に来ることはなかった。令嬢は友人に呟く。
「わたし、別れた恋人があるの。六尺もある大男だけど、まだ中学生で、絵の天才よ...」
彼女は「天才」という言葉を発した時、言いたいことを言い尽くしたような満足感に浸る。静かな感傷の中に、玲瓏と思い浮かべることができるのだからと。

3. 姦淫に寄す
九段坂下の裏通りの汚い下宿屋の一室で、勤め人が自殺した。そんな部屋に借り手はつかないだろうというので、それならと隣に住んでいた大学生の村山玄二郎が借りることに。彼は、顔立ちが良く品位もあるが、どことなく自殺の香りがする。滅多に外出しないが、水曜日になると決まって教会の聖書講義会へ通う。ただ、一度も神を信じたことがない。
「孤独を激しく憎悪しているが、憎み疲れて孤独に溺れ孤独に縋りついている。」
聖書研究会に、四十にとどく永川澄江という女性がいた。熟女の感覚で、玄二郎の内に秘める多感な心情を見抜いていたのか。玄二郎は澄江に穏やかな安らぎを求める。澄江は玄二郎を大磯の別荘へ誘い、近所の住人を交えてトランプに興じる。そして、嵐の夜、二人は興奮し姦淫に寄す。その後、玄二郎は教会へ行かなくなった。おそらく澄江も。
「杞憂を懐いた玄二郎こそ、詩も花もない一野獣の姦淫に盲(めし)いた野人であったのだろう。」

4. 不可解な失恋に就て
50を越えた絵の先生。30名近い弟子の中から、いつも5,6人の少女を連れて散歩する。天来稀なフェミニストで、特定の一人に態度が向けられることはなかった。しかし、その中の一人の美少女に恋をする。散歩のメンバーに彼女を加え、男女区別なく美青年も加えた。すると、嫉妬するのは先生自身であった。美少女は、ある青年と恋をはじめ、そして結婚した。先生は散歩をやめた。丸々と太っていた身体が痩せ衰え、眼はくぼみ、見る影もない老衰病者のようになっていく。
「不幸な恋は深刻そうであるが、必ずしもそういう理屈はなりたたないだろう。最大の愚、不幸な恋をみならうこと。」

5. 南風譜 (牧野信一へ)
紀伊への旅で友人宅に泊まる。熊野灘の眺めのいい所。浴室を出ようとすると、夕陽を浴びた廊下の隅から女の鋭い視線がある。可愛らしい魔物の眼。それは木彫り地蔵であった。鎌倉時代の作で、情感と秘密に富んだ肢体。ひたすら妄想に身を焼き焦がした者のみが、仏像の汲めども尽きぬ快楽と秘密を備えた微妙な肉体を創り出すことができる。
ところが、木像の脾腹に刃物でえぐったような生々しい傷痕を認めた。住民の話によると、それは混血(あいのこ)の父(てて)なし娘で、白痴で唖でつんぼだという。そして、友人の妻が白痴であったことを知る。木像への嫉妬が刃物を揮わせたのか?男の憧れが、実存する女性よりも、木像の妖しい様子に心を奪われたのか?もともと木像は書斎に置いてあったという。妻を失った今、木像は廊下の隅に置かれている。

6. 白痴
27歳の伊沢は、文化映画の演出家をやったことのある新聞記者で、徳川時代から受け継がれる年功序列制に反感を持っている。凡庸さを擁護し、芸術の個性と天才による競争意識を罪悪視するとして。
「要するに如何なる時代にもこの連中には内容がなく空虚な自我があるだけだ。流行次第で右から左へどうにでもなり、通俗小説の表現などからお手本を学んで時代の表現だと思いこんでいる。...最も内省の希薄な意志と衆愚の盲動だけによって一国の運命が動いている。」
しかし現実は、芸術を夢見ながらも会社員として安定した給料にすがる毎日。硬直した社会の破壊を戦争に期待している。
さて、伊沢の隣には気違いが住んでいた。その女房は四国遍路の旅で連れ帰った25、6の白痴の女、古風で瓜実顔の美しい顔立ち。気違いには、笑いたい時にゲタゲタ笑い、演説したい時に演説をし、アヒルに石をぶつけたり、豚の尻を突いたりする性癖がある。人目をはばかることもない。おまけに、母親が病的なほどのヒステリックで女房はいつも怯えている。
ある晩、遅く帰ると白痴の女が隠れていた。伊沢は問わずに事情を悟る。そして、同棲することに。白痴の女は、米を炊くことも、味噌汁をつくることも知らない。喋ることも不自由で、配給の行列に立つのが精一杯。喜怒哀楽の微風に反応するだけで、放心と怯えの狭間で他人の意志を通過させるだけ。まるで人形のような存在。伊沢は白痴の女を抱きたいが、世間体を恐れる。
やがて毎日、空襲警報。焼夷弾が降りそそぎ、辺りは焼鳥のように人が焼け死ぬ。ただ、戦争ってやつが不思議と健全な健忘症にさせる。白痴の女はただ待ち受ける肉体に過ぎない。
「ああ人間には理知がある。如何なる時にも尚いくらかの抑制や抵抗は影をとどめているものだ。その影ほどの理知も抑制も抵抗もないということが、これほどあさましいものだとは!」
女を捨てることもできない。殺す度胸もない。戦争が女を始末してくれるだろう。伊沢は冷静に空襲を待っている。それでも、ある瞬間、人間らしさを見せる。死ぬ時は、こうして、二人一緒だよ!としっかり抱きしめる。ほんの一瞬にせよ、人間の誇りというやつが、まだどこかに...意志を持たない白痴の女の空虚が、戦争の空虚と重なる。
「戦争の破壊の巨大の愛情が、すべてを裁いてくれるだろう」

7. 女体
岡本は谷村夫妻の絵の先生。年とともに放埒のつのる一方で、五十を過ぎても狂態。生活費で谷村に頼るが、生活苦は芸術家の宿命であるかのような態度。己を蔑むことは芸術を蔑むと言わんばかりに。谷村の生命の火は、妻の素子を貪ることによって燃え上がる。だが、その過淫が衰弱を招いていた。
ある日、ほとんど言いなりに金を貸していた谷村は、胸にしまいこんだものを吐き出してしまう。岡本は、あさましいほど狼狽した。しかし、素子は岡本を弁護し、狼狽に追い込んだことを避難する。金が欲しくてたまらなければ、あさましくもなる。なけなしの肩書きでも、消えそうな名声でも、なんでも利用する。それが人間というものではないかと。弱点を暴いて何になる?それは卑怯というものだと。素子は、岡本に頼まれて女の世話をしたこともあり、女のだらしなさを、むしろ魅力であるかのように受け止めている。人間は惨めな恥辱を受けると、その復讐に立派になって見返すか、やけになって思いっきり惨めになって困らせるか、のどちらかになるのだろう。岡本は後者のタイプか。性格破綻、破廉恥、こうした男の弱点が逆に武器になるとは、母性本能恐るべし。
「金銭は愛憎の境界線で、金銭を要求しないということは未練があるという意味だ」
岡本は、素子に露骨に話しかけ、媚びる卑しさを見せつける。だが、谷村が老けこむのに、素子は若々しくなる。谷村は、自分が死んだら好色無恥な老人の餌食になるのではと嫉妬する。そして、肉体とは関係ない、魂だけの純粋な恋がしたいと願う。

8. 恋をしに行く (「女体」につづく)
「女体」の続編。かねてから肉体と無関係の恋がしたいと願っている谷村は、信子に恋の告白をしに行く。信子も岡本の弟子で、恋仲とも言われた。贅沢な暮らしぶりから、男どもが相当な金をつぎこんでいるに違いない。それでも、谷村は処女のようなものと想像している。いくら現実主義者でも、媚態に惹かれた途端に幻想家となる。これが男の悲しい性よ。貞淑高潔な女体と信じるのは勝手や。でも結局、谷村は信子の肉体を貪る。
「人は誰しも孤独だけれども、肉体の場に於て、女は必ずしも孤独ではない。女体の秘密は、孤立を拒否しているものだ。孤立せざるものに天来の犯罪などは有り得ない。」

9. 戦争と一人の女 (無削除版)
戦争中、野村は女と同棲していた。最初から内縁の約束で。戦争で負ければ、どうせ全てが滅茶苦茶になる。二人は家庭的な愛情などに期待していない。女は酒場の妾、淫奔で気に入った客とすぐに関係を持つ。取柄といえば、金にがめつくないこと。女は戦争を愛していた。食料や遊び場の欠乏では呪っていたが、爆撃はむしろ歓迎していた。平凡や退屈に満足できない気質。防空壕では震えながらも恐怖に満足し、お陰で浮気をしなくなる。浮気虫の正体は、退屈虫であったか。まさに空襲国家の女!
野村は戦争が続くのを願う。唯一生きたいという希望をつなげるかのように。終戦のラジオ放送が流れると、なぜか寂しい。敗戦の悔しさなんかではない。苦しみから逃れられるという安堵感でもない。女に未練などないはず。なのに、いざ別れとなると躊躇する。野村は女体を貪りながら呟く。
「戦争なんて、オモチャじゃないか...どの人間だって、戦争をオモチャにしていたのさ...もっと戦争をしゃぶってやればよかったな。もっとへとへとになるまで戦争にからみついてやればよかったな。血へどを吐いて、くたばってもよかったんだ。...すると、もう、戦争は、可愛いい小さな肢体になっていた。」
尚、「無削除版」とは、GHQ検閲前を意味する。そして、これが削除されたラストの台詞である。

10. 続戦争と一人の女
続編は女の立場からの描写。60ぐらいのカマキリ親爺とデブ親爺。この二人と野村と女でよく博打をやった。四人とも戦争は負けると信じていたが、カマキリ親爺は喜んでいる。大勢の男が死ねば、女が群がってくると。空襲での二人の親爺の恐怖ぶりは酷く、生命の露骨な執着に溢れている。そのくせ他人の死となると好奇心旺盛で、空襲のたびに見物に行く。
ところで、男が本当に女に迷いだすのは四十ぐらいからだという。精神など考えずに肉体に迷うのだそうな。女の気質も知り抜き、女のしぐさに憎しみを持ち、肉欲に執着する。だから、覚めることもないと。
女郎だった女は結婚願望をとうに捨てている。それでも野村をだんだん好きになる。野村も女房にしてもいいと思いはじめる。野村は、空襲のたびに伏せろ!と叫ぶ。砂をかぶって伏せていると、必ず野村が起こしに来てくれる。死んだふりをしていたら、優しく抱き起こす。それがたまらなく快感なのだ。夜の暗さを憎べば、焼夷弾が明かりを灯す。人生の暗さと調和させるように。高射砲の中を泳いでいく銀色に光るB29が美しい。ついでに嫌な性格も、嫌な過去も、燃え尽くしてくれればいいものを。女は、生きることに不安がない。家を焼かれても、野村が死んでも、誰かの妾になればいいのだから。戦争に負ければ、ほとんどの男が殺され、女だけが生き残り、アイノコが生まれ別の国家が誕生すると思っている。国の変わりゆく様を開き直って眺めれば、もはや絶望なのか希望なのかも分からない。戦争が終わると、カマキリ親爺は怒った。ここでやめるとは何事だ!日本中が焼き尽くされるまでやらんかい!こんな中途半端なら、東京が焼ける前に止めんかい!
「私はどうして人間が戦争をにくみ、平和を愛さねばならないのだか、疑った。」

11. 桜の森の満開の下
昔々、鈴鹿峠では、桜の森の花の下を通る旅人は必ず気が変になったという。しばらくして山賊が住み始めた。情け容赦なく着物を剥ぎ命を奪う。こんな男でも桜の森の花の下へ来るとやはり狂う。女を攫いまくり、女房は七人になる。
八人目を攫い、その亭主を殺した。だが、いつもと勝手が違う。女が美し過ぎるのだ。女は歩けないからおぶってくれと言う。家に帰り着くと七人の女房の汚さに嫌気がさす。
「お前は私の亭主を殺したくせに、自分の女房が殺せないのかえ。お前はそれでも私を女房にするつもりなのかえ」
えらい女を拾ったもんだ。男は女の命じるがままに次々と斬殺。ビッコの女が腰を抜かしていると、この女だけは女中にするから助けろと命じる。かくして最も醜い女だけが助けられた。
やがて花の季節が訪れる。我儘女は都に焦がれ、都へ連れて行けと言う。男は造作もないことと都へ行く決心をする。しかし、一つだけ気がかりがあった。今年こそ、桜の森の花の下で、じっと居座ってみせると決心していたのだ。三日後、桜の森は満開になった。そこに一歩踏み入れようとすると、冷たい風が押し寄せ、無気味な感覚が襲う。四方の轟々という音に、泣き、祈り、もがき、逃げ去った。今年も、桜の森の花の下に居座ることができなかった。
さて、男は女とビッコの女を連れて都に住み始めた。毎晩、女の命じるままに邸宅へ忍び入り、着物や宝石や装身具を盗む。女はそれだけでは満足しない。何よりも欲したのは、その家の住人の首。そして、何十もの邸宅の首が集められた。女は毎日首遊びをする。お人形ごっこのように、それぞれの首に役柄を与えながら、カラカラ笑う。もっと太った憎らしい首が欲しい!白拍子の首を持ってきておくれ!などと種類まで要求する始末。男は都を嫌った。そして、退屈に苛む。山から眺める無限の明暗を思い出そうとするが、都の明るさに思い出せない。これまで女が生き甲斐できた。その女を殺すとどうなるだろうか?俺自身も殺してしまうのだろうか?
ある日、山へ帰ることを決心する。女はお前と一緒でないと生きられないから一緒に山へ行くと涙する。女を背負い、桜の森の下を通りかかると、ちょうど満開であった。男は、幸福を噛み締め、花の下を恐れていない。だが、一歩踏み入れると、突然冷たい風が押し寄せ、女の手が冷たくなる。背負っていたのは全身が紫色をした老婆だった。男は振り落とそうとしたが、鬼の手が喉にくいこみ、だんだん意識が薄れていく。必死になっているうちに、今度は鬼の首を絞めていた。鬼は息絶えた。しかし、そこにある屍体は女であった。男は泣き崩れる。ちょうど白い花びらが散り積もる。かくして男は桜の森の花の下にいつまでも居座ることができたのだった。
「桜の森の満開の下の秘密は誰にも分かりません。あるいは孤独というものであったのかもしれません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。」

12. 青鬼の褌を洗う女
母は戦争で焼け死んだ。母は妾で旦那の他に数人の男がいた。処女が高く売れる時代、娘は商品として見られた。娘は、窮屈な女房にはなれない、年寄りの妾が相応しいと言い聞かされてきた。そんな母に似てきた自分が気味悪い。娘は遊び好きで貧乏が大嫌い。妾が嫌というわけではない。束縛されず贅沢をさせてくれるなら、80の老人でもOK。女房となると別の人種で、これほど愚痴っぽく我利我利な人間はいないと思っている。男に従属なんて堪えられない。おまけに、夫が戦争にとられるなんて惨めは御免だ。ただ、肉欲を求めるだけでは、精神的に何かが低いと思っている。
空襲で一面焼け野原になると、新聞やラジオは祖国の危機を叫び、巷では日本滅亡が囁かれる。祖国だの、民族だの、という言葉は虚しいばかりで始末が悪い。だが、娘には自分の存在を信じることができるので困った様子がない。あるがままに受け入れ、誰にでも愛嬌よく笑う。娘は、久須美という56歳の専務から家を持たせてもらう。醜男だが気にならない。娘の本性を見抜いていて、浮気をするなら分からないようにしてくれ!と言うぐらい。娘は、久須美の愛撫のテクに、今まで知らなかった媚態を与えてくれたことを感謝している。天性のオメカケ性か。
ところで、愛する女が浮気をするのは、男にとって地獄であろうか?女にもリスクがある。若さは永遠ではない。より可愛い女が出現すれば捨てられるだろう。男と女のどちらが主導権を握り、どちらが残酷なのかは分からん。ただ、どちらも何かを恐れているのだろう。
「私は野たれ死をするだろうと考える。まぬかれがたい宿命のように考える。私は戦災のあとの国民学校の避難所風景を考え、あんな風な汚ならしい赤鬼青鬼のゴチャゴチャしたなかで野たれ死ぬなら、あれが死に場所というのなら、私はあそこでいつか野たれ死をしてもいい。私がムシロにくるまって死にかけているとき青鬼赤鬼が夜這いにきて鬼にだかれて死ぬかも知れない。私はしかし、人の誰もいないところ、曠野、くらやみの焼跡みたいなところ、人ッ子一人いない深夜に細々と死ぬのだったら、いったいどうしたらいいだろうか、私はとてもその寂寥には堪えられないのだ。私は青鬼赤鬼とでも一緒にいたい、どんな時にでも鬼でも化け物でも男でさえあれば誰でも私は勢いっぱい媚びて、そして私は媚びながら死にたい。」
鬼とは妾を囲う男ども。そして、鬼のフンドシを洗濯するとは、男を選択することか?それとも資金洗浄のことか?

13. アンゴウ
矢島は、古本屋で戦死した旧友の神尾の蔵書を見つけ、その懐かしさに買う。頁の間から、矢島と神尾が勤めていた出版社の用箋が現れた。紙面には数字だけが羅列されている。その組み合わせから項数と行数を追っていくと、ある語をなしている。
「いつもの処にいます七月五日午後三時」
矢島の出征は昭和19年3月で、神尾の出征は昭和20年2月。この七月五日は昭和19年に違いない。この本を蔵したのは、矢島の留守宅だけ。そこにこの用箋があったとなると、神尾と自分の妻の関係を疑う。矢島が復員すると、妻タカ子は失明していた。二人の子供は消息不明、おそらく焼死。タカ子が書いた暗号という証拠もなければ、神尾も戦死したのだから、いまさら過去をほじくることもない。戦争そのものが悪夢だったと言い聞けせ、買った本を片隅へ押し込んでも、その心労がかえって重荷になる。出征前の新婚生活では、タカ子は必ず矢島の左側に寄り添っていた。座っていても、寝室でも。だが、復員後は左に寄ったり右に寄ったりする。そして、恐ろしいことに気づく。神尾は左ギッチョだった。
ある日、矢島は出張で仙台へ行くことに。仙台には神尾夫人が疎開しているので、本を持参する。矢島は、神尾の蔵書のことを明かすと、この本は神尾夫人がこちらに持って来たという。確かに夫人が持っていたが、神尾の蔵書印がなかった。所々に朱線を引いた後があり、それは矢島の本であることが分かる。本を取り違えたのは、矢島自身であったことを思い出す。となると、ますますわけが分からない。今度は、タカ子に蔵書のことを明かす。タカ子は売るはずがないし、貸した覚えもないという。嘘を平然と語る時、目こそ表情の中心となるが、あいにくタカ子は失明した。更に、古本屋で蔵書の売り手を聞くと、焼け残ったものが盗まれたのだろうという。秘密の主役たちは、命を失い、目を失ったというのに、秘密の鍵だけが焼かれずに残り、秘密にされるべく自分の手にある。戦争という悪魔は、中途半端に傷痕を残しやがる。
そこに、かつての蔵書の所有者から電話があった。お宅が所蔵していたどの本にも、数字が並んだ紙が挟んであったという。暗号は、死んだ二人の子供が交わした手紙であった。子犬のこと、秘密の場所など、兄と妹は暗号で遊んでいた。これを妻の浮気と勘違いするとは。子供たちは天国で遊んでいるのだろう。それを父に話しかけたかったのだろう。矢島はそう信じた。
暗号が父親の元に戻ることを、悪魔の仕業ではなく、神の仕業で締めくくるとは...ちなみに、七北数人氏によると、この題名は「安吾」「暗号」「暗合」のトリプルミーニングになっているという。

14. 夜長姫と耳男
親方は飛騨随一の名人と言われた匠。夜長に招かれたのは、その親方が老病で死期の近づいた頃。まだ二十の若者だが、親方は身代わりに推薦した。確かに彼が彫れば寺や仏像に命が宿る。これが耳男。なるほど、大きな耳だ。そして、夜長姫のもとへ連れられる。姫は十三、その身体は生まれながらに光り輝き、黄金の香りがすると言われる。姫は大耳を見て、まるで馬顔だと笑った。耳男は耳のことを言われた時ほど逆上することはない。
長者は、姫が十六になるまでに、今生後生を守りたもう仏像を刻んでもらいたいと申し付ける。そして、姫の気に入った御仏を造った者には美しい娘を進ぜようと、機織りの奴隷娘エナコを紹介する。耳男が嘲けた眼でエナコを見ると、エナコは怒り、懐刀で耳男の耳を削ぎ落とした。
それから六日が過ぎた。耳男は籠って仕事をするために、一面雑草が生え繁り、蛇や蜘蛛がわんさといる場所に小屋を建てた。そこに使者が訪れ、斧だけを持って館へ来いという命令を伝えた。長者の館にはエナコが後ろ手に戒められていた。長者は言う。当家の女奴隷が耳男の片耳を削ぎ落したとなれば、飛騨の一同に申し訳がたたない。エナコを死罪に処すと。耳を削ぎ落とされた張本人に斧で首を打たせると。耳男は、虫ケラ同然の機織り女に、はなもひっかけやしねえや!と喚いた。すると、姫が笑顔で問いかける。エナコに耳を斬り落とされても、虫ケラに噛まれたようだって?ならばエナコよ!耳男のもう片方の耳も噛んでおやり!腹が立たないそうよ!姫は懐刀をエナコに差し出した。まさか命を助けたお返しに耳を斬り落とされるとは。可憐な姫は無邪気に悪戯を楽しむ。澄み切った目に、虫も殺さぬ笑顔。
ここから姫の微笑との戦いが始まる。蛇を天井から吊るし、その生き血を飲み、蛇の怨霊に乗り移りながらモノノケ像を彫る。天井いっぱいになった蛇の死骸にウジがたかり、悪臭がたちこめる。吊るした蛇がいっせいに襲いかかってくる幻を見ながらの仕事。こうでもしないと姫の透き通った笑顔と対抗できないのだ。
三年後、像を納めた後、小屋に姫が訪れる。三年のうちに姫は見違えるほどの大人の女になっていた。無数の蛇の死骸に目を輝かし耳男の造った弥勒に満足していた。着物を与え、褒美をやるからそれを着ておいで!と。姫が気に入った像を造った者にエナコを与える約束であったが、今ではそれができない。エナコは耳を斬り落とした懐刀で喉を斬って死んでいた。その血に染まった着物を男物に仕立て直した物が、今着ている物。耳男はこの姫にいずれ殺されると思った。ただ、今生の思い出に、この笑顔を刻み残してから殺されたいと願う。
その頃、山奥にまで疱瘡が流行り、死者が多く出た。家ごとに厄除けの護符を張り、白昼も戸を閉め、日夜神仏を祈る。一方、姫の館では雨戸を閉めさせない。耳男の造った化け物像が魔除けになるとして、門の外に飾った。姫は、蛇の生き血で呪いをかけたことまで知り抜いていた。毎日、死人がでる様子を姫は笑う。いまや耳男は、姫の笑顔を弥勒の像に写すことを生き甲斐にしている。はたして魔神を超越した笑顔など造れるのか?やがて耳男は悟る。すべての悪の根源は姫の微笑にあったことを。姫が生きていては、ちゃちな人間世界はもたないことを。ついにキリで姫の胸を刺した。だが、姫の笑顔が絶えることはない。そして、最期の台詞を吐いて微笑みながら死んでいく。
「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして...」

2012-05-27

"山椒大夫・高瀬舟 他四篇" 森鴎外 著

鴎外文学はなんとなく居心地がいい。数学的な美を感じる。物語の設定や定義となると、哲学書がごとくくどい有り様。ところが精神描写となると、科学論文がごとくバッサリと斬る。科学論文では主観を極力排除しようとするが、ごく稀に精神の奥行きまでも映し出す惚れ惚れするような記述に出くわすことがある。見事なまでに研究の情熱をコンパクトに言い放つ用法は、まさに鴎外文学の類型か。
鴎外小説は、知識を曝け出し過ぎだとか、設定が文学的でないだとか、様々な批判があるのも事実。だが、無味乾燥と呼ぶには、ちと違う。感情の喪失とも、ちと違う。あえて精神の破綻を表明しているのか?小説家そのものが、精神の枯渇を追い求める仕事なのかもしれん。描写そのものには激情を秘めつつも、あえて距離を置き、一定の価値観を押し付けない配慮を感じる。人間精神の多様性が真理だとすれば、様々な感情を呼び起こす余地を与えるのは、ある種の寛容性と捉えることができよう。余計な言葉を重ねて感情を誘導するよりは、淡々と綴って精神の葛藤を読者に委ねる。これぞ文学的、自然学的合理性というものであろうか。これほど澄んだ文章を見せつけられると、ぐれちゃう。どうあがいても、お喋りな酔っ払いには無理な芸当よ!今宵は「鴎外通り」を歩かずにはいられない。もっとも夜の社交場に因んで「美松通り」と呼んでいるが...

本書には、「山椒大夫」「魚玄機」「じいさんばあさん」「最後の一句」「高瀬舟」「寒山拾得」の晩年の六篇が収録される。
「山椒大夫」は、家族で父に会いに行く道中、人買いに攫われた子供が、なんの因果か大出世して、盲目となった母と再会するという物語。それを、陸奥掾正氏(むつのじょうまさうじ)が白河天皇の時代に罪を得て筑紫安楽寺に流された話と重ねる。
鴎外はこう語る。「とにかくわたくしは歴史離れがしたさに山椒大夫を書いたのだが、さて書き上げたところを見れば、なんだか歴史離れが足りないようである。これはわたくしの正直な告白である。」
家族の絆と出世物語に、人身売買や貧困問題という胡椒を効かせた作品、もはや余計な感情表現はいるまい。
「魚玄機」は、美麗才女という男性諸君の憧れな存在が、嫉妬から殺人を犯すというサスペンス風の物語。恵まれているがゆえに精神の発育をともなわないギャップを描きたかったのか?それとも、美女への好奇心を魚玄機という歴史人物と重ねて哀れに描きたかったのか?その真意はよく分からん。
「じいさんばあさん」は、実にとぼけた題名だが、想像だにしない若き日の激情振りを、おっとりとした隠居生活と結びつける手腕は見物。人生の黄昏とは、こういうものであろうか。
「最後の一句」は、父の死罪に娘が直訴するという大岡裁きを期待するような展開を見せるが、同情されることはない。役人たちの硬直した価値観では、献身的な態度など分かるはずもないと言い捨てるかのように。ただ、父の命を救う代わりに子供たちの命を捧げるという展開には、ちと無理がないかい。武士の時代、子供ですら命を覚悟した。その伝統が大正デモクラシーで失われたことを嘆いているのか?だとしても、商売人の家族にそれを求めても仕方があるまい。あるいは、伝統的な子供の意志の強さと、近代的な大人の態度を対照的に描いているのか?結果的に娘の願いは入れられる。天皇即位による恩赦と結びつけて。結末を温情で終わらせたければ、恩赦にすがるぐらいしかないということか?これが現実的な解というのか?
「高瀬舟」は、弟の自殺を手助けして殺人罪に処せられた兄の心情を綴る。貧困であるがゆえに、病気がちの弟は兄の心労を軽くするために自殺を図る。もう手遅れとなれば安楽死させるしかない。遠島を申し渡されたにもかかわらず、兄の心は澄んでいる。なにしろ、小遣いをもらった上に食事が保証されるのだから。そういえば、年末になると軽犯罪者が再犯して、わざと刑務所に戻るという話を聞く。それに似た心情であろうか。人生で「足ることを知る」とはどういうことか?それを問うている。また、安楽死における悪意の境界とは?それは、法律上の悪意と人情上の悪意の狭間とでも言おうか。その境界を権威にどこまで信頼が置けるだろうか?近代社会で権威といえば法律である。都合が悪くなるといつも法律を盾にして逃れる政治屋たちを見れば...
「寒山拾得」は、唐の賢人を題材にしながら、俗人の学問に対する態度を皮肉る。寒山と拾得とは、道を極めた二人の禅僧のことで、ここでは寒山を文殊菩薩、拾得を普賢菩薩と重ねる。そこに、儒教をかじった俗人と仏教を極めた僧侶が絡むと面白いことに。悟りを得た者から見れば、俗人は笑われ者ということか。どおりでアル中ハイマーこと俗世間の酔っ払いは、いつも笑われるわけよ。

1. 山椒大夫
越後の道中、30歳を超えたばかりの母親、気丈な姉14歳の安寿(あんじゅ)、おとなしく賢い弟12歳の厨子王(ずしおう)、40歳くらいの女中の4人が歩く。この辺りは人買いが出没するので、国守の掟で旅人を泊めてはならないことになっていた。そこに現れたのが山岡大夫という船乗り。旅人たちに同情し、宿を世話してくれるという。母親は、掟に背いてまで救おうという志に感じ入り、筑紫へ行ったまま帰らぬ夫を訪ねる旅路であることを打ち明ける。山岡大夫は、陸路には難所があるので海路を勧めた。翌日、一行を船に乗せると、岩陰に止まっている二艘の船に合図する。重すぎて船足が遅いので分かれて乗った方がいいと、子供二人を越中宮崎の船へ、母親と女中を佐渡の船へ乗せる。二艘の船が遠ざかっていくと、母親は今生の別れを覚悟し叫び、女中は海に飛び込んで死んだ。
さて、丹後に奴隷ならいくらでも買う山椒大夫という分限者がいた。彼は、農業から狩猟や漁業、蚕飼、機織り、金物から陶器の製造など、手広く商売して儲けている。安寿と厨子王は売られ、安寿は潮汲み、厨子王は柴刈りの仕事に就く。安寿は、厨子王だけを逃して父親のところへ行かせようと考えるが、その談合に見廻りが気づき、逃亡した者は焼印される掟を話して脅す。以来、安寿の様子がひどく変わる。表情は硬くなり、遥かに遠くを見つめ、物を言わない。
しかし、春が訪れると、姉の表情は喜びに輝く。伊勢から売られてきた小萩(こはぎ)と一緒に糸を紡ぎながら、故郷からこの地までの道のりを詳しく聞いたのだった。安寿は弟と同じ山で仕事がしたいと願い出ると、厨子王に中山を越えれば都へ出られることを教え、守本尊を渡して独りで行かせた。安寿は、追手から逃れるために沼に入水して死ぬ。
厨子王は、中山国分寺の曇猛律師(どんみょうりっし)に匿われる。律師は厨子王を連れて都へ発つ。都に着くと律師と分けれ、東山の清水寺に泊まる。翌日、目が覚めると老人が枕元に立っていた。関白師実(もろざね)である。師実は、養女の病を直すためにお祈りをしていると、夢の中でお告げがあったという。左の格子に寝ている童が守本尊を持っているから、それを借りて拝むようにと。そして、厨子王から守本尊を借りて拝むと養女の病が回復したのだった。
厨子王は身を明かす。陸奥掾正氏(むつのじょうまさうじ)の子で、父は12年前に筑紫の安楽寺へ行った切り帰らぬことを。それは、筑紫へ左遷させられた平正氏(たいらのまさうじ)に違いない。そして使いをだすが既に死んでいた。師実は、その嫡子となれば養子に迎えたい。厨子王は還俗元服して正道と名乗った。その年、正道は丹後の国主に任じられ、最初の政(まつりごと)で人身売買を禁止する。山椒大夫は、奴隷を解放して大損したかに見えたが、前より盛んになり一族は栄えた。曇猛律師は僧都に任じられた。姉をいたわった小萩は故郷へ還された。安寿は懇ろに弔われ、入水した沼の畔に尼寺が建った。
正道は佐渡へ渡り、母親の行方を調べたが不明。一人途方に暮れていると、大きな百姓家があった。襤褸を着た盲目の女が、座って歌のような調子でつぶやいている。

  安寿恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。
  鳥も生(しょう)あるものなれば、疾(と)う疾う逃げよ、逐(お)わずとも。

2. 魚玄機(ぎょげんき)
魚玄機は、26歳の時、人を殺して投獄された。魚玄機は唐の女道士(道教の修行士)で、美麗な詩人としても名高い。そんな女性がいったい誰を殺したのか?風説はすぐに長安中に流れた。
さて、玄機は、18歳の時、温岐(おんき)という優れた詩人に好奇心を持った。彼は醜男で、温鍾馗と渾名された。ある日、温岐は美少女が詩を作るという噂を聞きつけ魚家を訪れる。そして、玄機の詩の才能に惚れ込み、度々魚家を訪れる。温の友人に李億(りおく)という素封家がいた。彼もまた玄機の詩に嘆賞する。玄機はその美しさから側室に求められる。側室になったものの、李が近づくとそれを避け、強いて迫れば号泣する。
李は諦め、玄機は咸宜観(かんぎかん)に入って女道士になる。道教の観とは、仏教の寺のようなものだそうな。玄機は、共に修行する女道士と親しくなり、寝食を共にする。この女は采蘋(さいひん)、16歳。女道士の二人が仲良くなるのを「対食(たいしょく)」と呼ばれ揶揄される。いわゆるレズか。秋になると、采蘋は失踪した。寂しい玄機は、楽人の陳某(ちんぼう)という少年と恋仲になる。
そして、七年が経った。陳の老婢が亡くなると、その後に緑翹(りょくぎょう)という18歳の女中が来た。美しくはないが、聡慧で媚態がある。女盛りの玄機に対して、垢抜けのしない緑翹。陳は緑翹を気にもかけていなかった。やがて、三人の関係が紛糾する。陳は、玄機の振る舞いが気に入らない時、寡言になったり、口を噤んだりする。そんな時、緑翹と語るのだった。その語りは温和。玄機はその様子を聞く度に胸が刺されるように感じる。玄機の猜疑心は次第に膨らみ詰問するが、緑翹は存じません!と繰り返すだけ。白状しろ!と迫って喉を閉めると、死んでしまった。玄機はその屍を埋め、しばらく殺人事件は発覚しなかった。玄機は、陳が緑翹のことを問うてくると予期したが、聞いてくる様子もない。夕べからいなくなったと言っても、そうかい!と意に介さない様子。
初夏の頃、死骸を埋めたあたりに蝿が群がり、客たちが訝しがる。話は従者に伝わり、従者はその兄に語った。従者の兄というのは、以前玄機を脅して金を奪おうとしたことがある。その時、玄機に笑い飛ばされ怨んでいた。その男は、緑翹の失踪と関係があると睨んで穴を掘ると、死体が発見された。玄機は逮捕されて処刑された。玄機を哀れむ者も多い。最も心を痛めたのは温岐であった。噂は聞こえたが、遠くにあって尽力することはできなかった。

3. じいさんばあさん
松平の家中、宮重久右衛門(みやしげきゅうえもん)が隠居所を拵えた。そこに、まず二本差しの立派な爺さんが入った。数日後、爺さんに負けぬ品格のある婆さんが入った。二人は隠居暮らし始めた。仲の良さは無類。ただ、夫婦にしては遠慮をし過ぎる感がある。富裕には見えないが、不自由なく幸せそうな二人。しかし、彼らの生涯は、平和な隠居生活からは想像もつかない激烈なものであった。
ある日、徳川家斉の命で、婆さんの永年勤務に褒美が与えられた。爺さんは、元大番組の美濃部伊織(みのべいおり)といって、宮重久右衛門の兄。婆さんは、伊織の妻るんといって、外桜田の黒田家の奥に仕えて表使格(おもてづかいかく)になっていた女中。婆さんが褒美を貰った時、伊織は72歳、るんは71歳。
二人が夫婦になったのは、伊織30歳、るん29歳の時。るんは美人というタイプではない。伊織は色白い美男。ただ、癇癪持ちという性癖がある。
その昔、るんが臨月にもかかわらず江戸に残して、弟の代役で京都へ出張することになった。仕事は無事に勤めるが、質流れの古刀に惹かれる。親しくはないが工面のよいと聞く下島甚右衛門に金を借りて刀を買った。気分のいい伊織は、親しい友人を招いて酒盛りをしていると、下島甚右衛門が来た。金を借りた義理があるので酒を振舞うが、刀のことで口論になる。そして、収めていた癇癪がでて刀で斬ってしまった。取調べでは、伊織は弁明しなかった。

  いまさらに何とか云わむ黒髪の みだれ心はもとすえもなし

伊織は知行を取り上げられ、越前丸岡に流された。残された家族は哀れなもの。二年ほど経って、祖母は病気というほどの溶体でもなく死ぬ。翌年、5歳になる息子は疱瘡で死ぬ。るんは一生武家奉公にでる決心をする。そして、31年間黒田家に奉公し、隠居を許されて故郷の安房へ戻った。翌年、伊織は罪を許され、るんは喜んで江戸へ来た。37年ぶりの再会であった。

4. 最後の一句
大阪で、船乗り業の桂屋太郎兵衞が、三日間曝された上に斬罪に処せられるという高札が立てられた。噂され、家族は二年間も世間と交流を絶っている。厄難に遭ってから、悔恨、悲痛の他に何事も受け入れられなくなった女房。そして、5人の子、長女いち(16歳)、次女まつ(14歳)、養子の長太郎(12歳)、とく(8歳)、初五郎(6歳)。
ある日、出羽国秋田から米を積んで出帆した船が、不幸にも暴風に遭って積荷の半分を流失した。雇い人の新七は、残った米を売って大阪へ戻ってきた。二人は大金に目がくらみ、米主に黙っておくことにした。しかし、米主が残った荷の調査に乗り出すと、新七は逃亡した。太郎兵衛は、入牢し死罪を申し付けられた。長女いちは、お奉行様に願い出ることを決心する。父を助けて、代わりに私たち子供を殺して下さいと!ただし、実子でない長太郎だけは殺さないようにと。太郎兵衛の女房と5人の子供を連れて、町年寄たちがやって来た。拷問の道具を前にして尋問が始まる。長女いちのみならず、次女まつも父の代わりに死ぬと答え、長太郎も兄弟一緒に死ぬと答える。さすがに、幼いとくは涙を浮かべ、初五郎も怯えて答えられない。
鴎外は、長女の意志の強さを強調しながら、「お上の事には間違いはございますまいから」と形式張った役人仕事に皮肉をこめる。そして、取調べを終えた役人たちの心境を、こう言い放つ。
「心の中には、哀な孝行娘の影も残らず、人に教唆せられた、おろかな子供の影も残らず、ただ氷のように冷かに、刃(やいば)のように鋭い、いちの最後の詞の最後の一句が反響しているのである。元文頃の徳川家の役人は、固(もと)より『マルチリウム』という洋語も知らず、また当時の辞書には献身という訳語もなかったので、人間の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衞の娘に現れたような作用があることを、知らなかったのは無理もない。しかし献身の中に潜む反抗の鋒(ほこさき)は、いちと語を交えた佐佐のみではなく、書院にいた役人一同の胸をも刺した。」
結果的に娘の意志は貫徹し、太郎兵衛は死罪御赦免、追放ということになる。家族は再び奉行所に呼ばれ、父にお別れを言うことができた。しかし、小娘ごときの訴えで、死罪を免れるなんて世の中そう甘くはない。ちょうど桜町天皇の即位によって、恩赦が言い渡されたのだった。

5. 高瀬舟
高瀬舟とは、京都の高瀬川を上下する小舟である。京都の罪人が遠島を申し渡されると、この船で大阪に廻される。護送するのは京都町奉行の同心で、親類の主だった一人を大阪まで同船させる慣例があった。黙許である。この船に乗るのは極悪人がばかりではなく、過ちをした者も多くいる。
ある日、珍しい罪人が高瀬舟に乗せられた。喜助は親類がいないので一人で乗る。護送するのは、同心の羽田庄兵衛。ほとんどの罪人は気の毒な様子をしているが、喜助はまるで遊山船にでも乗っているような澄んだ態度でいる。庄兵衛は不思議に思い、心境を聞くと、喜助は答える。
「なるほど島へ往くということは、外(ほか)の人には悲しい事でございましょう。その心持はわたくしにも思い遣(や)って見ることが出来ます。しかしそれは世間で楽をしていた人だからでございます。」
遠島になると二百文の銭がもらえる掟があった。喜助はそれを手にして嬉しそうにしている。仕事をしてもらったお金は、右から左へ渡すだけの貧乏暮らし。牢に入れば、銭をもらった上に食事まで保証される。
庄兵衛は、そろそろ初老に届く年。妻と子供4人、それに老母の七人家族。必死に倹約しても、妻は金持ち商人の娘で贅沢が癖になっている。庄兵衛の生活も、給料を右から左へ渡しているようなもの。二百文の貯蓄すらない。貧乏の程度は違えども境遇は似たようなものか。
しかし、明らかに違うことがある。喜助には不思議と欲がなく、足ることを知っている。その違いはどこからくるのか?庄兵衛には養わなければならない家族がいる。とはいえ、独り身で気楽な境遇にあれば、同じように振る舞えるだろうか?いつのまにか、庄兵衛は「喜助さん」と呼んでいる。同心が罪人を「さん」付けで呼ぶとは。喜助は恐れ入った様子で真相を話し始める。弟は病気がちで働くのは兄ばかり、いつも済まなそうにしていた。
ある日、弟は血だらけになって布団に伏せていた。喉には剃刀が刺さっていて喋ることができない。自殺を図ったのだ。苦しいから剃刀を早く抜いてくれ!と眼が訴えている。ちょうどその時、弟の世話を頼んでいた婆さんが入ってきた。茫然とする喜助は、年寄衆に役場へ連れていかれた。喜助は誰も怨んでいない。病弱だった弟も、罪人にしたお上も。
庄兵衛は、これを殺人とすべきか?自問する。裁きは権威に任せるしかない。お奉行様の判断を自分の判断にしょうと思ったが、どこか腑に落ちない。ただ、喜助を無罪にして元の生活に戻ったとしても、貧困から逃れることはできない。

6. 寒山拾得(かんざんじつとく)
時代は唐の貞観の頃、閭丘胤(りょきゅういん)という官吏がいた。尚、閭が性で丘胤が名という扱いになっているが、実は閭丘が性で胤が名のようだ。宮内省図書寮が蔵する宋刻「寒山詩集」では、そうなっているそうな。鴎外は資料を徹底的に調べる小説家だそうだが、この作品に関してはほとんど参考書を見ずに書いたという。ここでは作品にならうことにしよう。
閭は、台州の主簿に任命された。主簿とは、日本の県知事くらいの官吏だという。長安から台州へ旅立とうとした時、頭痛を患う。そこに乞食坊主が訪れた。閭は、科挙を受けるために儒学を勉強したことがあるが、仏教や道教を学んだことはない。僧侶や道士を尊敬はしているが、何か高尚そうなものというぐらいで盲目的に尊敬している。鴎外は、盲目な尊敬を皮肉る。
「全体世の中の人の、道とか宗教とかいうものに対する態度に三通りある。
自分の職業に気を取られて、唯(ただ)営々役々と年月を送っている人は、道というものを顧みない。これは読書人でも同じことである。勿論書を読んで深く考えたら、道に到達せずにはいられまい。しかしそうまで考えないでも、日々の務めだけは弁じて行かれよう。これは全く無頓着な人である。
次に着意して道を求める人がある。専念に道を求めて、万事を抛つこともあれば、日々の務めは怠らずに、断えず道に志していることもある。儒学に入っても、道教に入っても、仏法に入っても基督教に入っても同じ事である。こういう人が深く這入り込むと日々の務めが即ち道そのものになってしまう。約(つづ)めて言えばこれは皆道を求める人である。
この無頓着な人と、道を求める人との中間に、道というものの存在を客観的に認めていて、それに対して全く無頓着だというわけでもなく、さればと言って自ら進んで道を求めるでもなく、自分をば道に疎遠な人だと諦念(あきら)め、別に道に親密な人がいるように思って、それを尊敬する人がある。尊敬はどの種類の人にもあるが、単に同じ対象を尊敬する場合を顧慮していって見ると、道を求める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬することになり、ここに言う中間人物なら、自分のわからぬもの、会得することの出来ぬものを尊敬することになる。そこに盲目の尊敬が生ずる。盲目の尊敬では、偶(たまたま)それをさし向ける対象が正鵠を得ていても、なんにもならぬのである。」
坊主は、水一杯の呪いにて頭痛を直して進ぜようと、水を口に含み頭に吹きかけると頭痛はすっかり治った。この乞食坊主が天台国清寺の豊干(ぶかん)である。閭は、台州には会ってためになるような偉い人がいるかを尋ねた。豊干は、拾得と寒山の二人の名を挙げた。拾得は普賢という人物で、寒山は文殊という人物であると。
閭は台州に赴くと、さっそく国清寺へ出かけた。寺では、道翹(どうぎょう)という僧が出迎えた。豊干のことを尋ねると、行脚(あんぎゃ)に出ていて帰らぬという。更に、拾得という僧のことを尋ねた。道翹は不審に思いながら、よくご存知で!あちらの厨で寒山と火にあたっていると答えた。二人に会えるとは願ってもない。拾得は、豊干が松林の中から拾ってきた捨て子で、今では厨で僧たちの食器を洗う仕事をしているという。寒山は、国清寺の西方にある寒巌という石窟に住んでいて、拾得が食器を洗う時に残った飯や菜を貰いに来るという。二人は痩せてみすぼらしい姿をしていた。閭は二人のもとへ近づき、恭しく礼をして自己紹介をした。寒山と拾得は顔を見合わせ、腹の底からこみ上げてくるような笑い声を出し、駆け出して逃げた。「豊干がしゃべったな!」

2012-05-20

"山椒魚・遙拝隊長 他七篇" 井伏鱒二 著

いきなり飛び込んできた一文に思わず吹いた。
「山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。」
文学音痴でも楽しめそうだ...と思ったのも束の間、井伏文学はなかなか手強い!150ページほどの薄っぺらな本と侮っていると大間違い。忙しい合間に読もうなんて代物ではない。なんだこの曖昧さは?テーマや山場といったものが見当たらない。まるで推理小説を読んでいるような、それでいて空とぼけた文章がいい。哀愁漂う人間観察で、絶望論をユーモアと皮肉で綴る、とでも言っておこうか。
二度三度と読み返しながら全体を立体的に眺めようと試みる。だが、いくらでも奥深く解釈できそうで、結局分からん!これは高尚な文学なのか?それとも、ある種の宗教原理なのか?いや、そう想わせているだけのことかもしれん。小説家だって一般的な小説に飽きることがあろう。彼らの独創性ってやつは常軌を逸している。読者を泥沼に陥れてどうする!いや、もっといじめて!こいつは読者をMにしやがる。

本書には、「山椒魚」「鯉」「屋根の上のサワン」「休憩時間」「夜ふけと梅の花」「丹下氏邸」「槌ツァと九郎治ツァンは喧嘩して 私は用語について煩悶すること」「へんろう宿」「遥拝隊長」の九篇が収録される。
「山椒魚」は悲劇と喜劇をごっちゃにした哲学に魅せられる...「槌ツァと九郎治ツァン...」は感動しながら笑ろうた...「夜ふけと梅の花」はなんとなく自分が指摘されているようで怖い...「遥拝隊長」は読めば読むほど泥沼状態へ...

1. 山椒魚
岩窟の中で二年間を過ごし、成長した山椒魚は頭がつかえて外に出られない。そこが永遠の棲家となる。出口に顔をくっつけて、恨めしそうに外を眺める日々。
「くったくしたり物思いにふけったりするやつは、ばかだよ。」
なかなかの前向きの奴だ。哲学を否定する根性は認めよう。だが、外ではミズスマシや蛙が自由に泳いでやがる。
「諸君は、この山椒魚を嘲笑してはいけない。すでに彼が飽きるほど暗黒の浴槽につかりすぎて、もはやがまんがならないでいるのを、了解してやらなければならない。いかなる瘋癲病者も、自分の幽閉されている部屋から解放してもらいたいと絶えず願っているではないか。最も人間ぎらいな囚人でさえも、これと同じことを欲しているではないか。」
ある日、岩屋にまぎれこんだ蛙を閉じ込めた。頭で出口を栓して。散々眼の前で自由に動きまわった奴への嫌がらせだ。狼狽した蛙は、山椒魚と口論を始める。互いに罵り合い、一年が過ぎる。更に罵り合い、また一年が過ぎる。とうとう沈黙し、互いの嘆息が聞こえないように注意する。蛙の嘆息が先に漏れた。これを聞き逃す山椒魚ではない。蛙は空腹で動けないでいる。「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ。」精神を獲得した知的生命体の本来の姿は孤独ということであろうか...

2. 鯉
「すでに十幾年前から私は一ぴきの鯉になやまされて来た。」
学生時代の友人からもらった鯉。その厚意に感謝し、鯉を大事にすることを誓う。そして、下宿の瓢箪池に放魚した。鯉は、池の奥底に入って、数週間も姿を見せない。その年の冬、下宿を移った。鯉も連れて行きたかったが断念した。彼岸が過ぎた頃、瓢箪池に鯉を釣りに行く。ようやく八日目に釣り上げ、洗面器に入れて友人宅を訪ねた。そして、友人の愛人宅の広い泉水で預ってもらう。あくまでも鯉の所有権は、自分にあると力説しながら。友人は疎ましい顔をする。
それから六年目の初夏、友人は亡くなった。愛人は悲しみに耽っている。友人が疎ましい顔を見せたのは、鯉の一件だけ。主人公は、一刻も早く鯉を持ち帰りたいと思った。友人の愛人の了承を得て泉水から釣り上げると、今度は早稲田大学のプールに放った。鯉は広いプールを王者のごとく泳ぐ。幾匹もの鮒と、幾十匹もの鮠(はや)やメダカを従えて。だが、冷たい季節がくると氷が張り、鯉の姿が見えない。毎朝プールへ来るも、氷に石を投げて遊び、もはや鯉を探すことを断念している。鯉に亡き友人の姿を重ねているのだろうか...

3. 屋根の上のサワン
「おそらく気まぐれな狩猟家かいたずらずきな鉄砲うちがねらいうちしたものに違いありません。」
沼地の岸で撃たれて苦しむ一羽の雁を見つけると、家に持ち帰り治療する。親切を誤解した雁は足蹴りして手術の邪魔をする。雁の傷がすっかりよくなると、羽根を短く切って庭で放し飼いする。後をついてまわる人懐こい鳥にサワンと名付ける。
秋の夜更け、屋根に登ったサワンは月に向かって鳴き叫ぶ。ちょうど、三匹の雁が飛んでいた。三匹の雁とサワンは互いに鳴き交わす。一緒に連れて行ってくれ!と叫んでいるかのように。降りてこいと行っても、いつものように聞かない。三匹の雁が飛び去るまで、屋根から降りようとしなかった。そして、屋根に登って甲高い声で鳴く習慣を覚える。
ある夜、ほとんど号泣なほど甲高い声で鳴いた。羽根を切らないことにして、出発の自由を与えるべきだとも考えた。だが、愛着のわいた鳥を放す気にはなれない。翌日サワンが姿を消すと、主人公は狼狽する。 彼は僚友たちの翼に抱えられて旅だったのであろうか...

4. 休憩時間
「文科第七教室は、この大学で最も古く、最もきたない教室である。」
学生たちは、この教室での講義がこの上なく好きである。日本文学史的にも由緒ある記念館とも言うべき存在で、懐古的ないくつもの挿話を持っているからに違いない。
ある四十分ほどの休憩時間、学生たちは文学や劇について語り合う。早口で相手を言い負かそうとしたり、言い負かせられまいと大声で反論したり。そこに学生監が巡回して来た。黒板にフランソワ・ヴィヨンの詩を書いていた学生は、歯の高い下駄を履いていた。下駄は校則違反。ヴィヨンのデリケートな詩情に浸っていた学生は、腕を掴まれ連れていかれた。靴は濡れて底が破けていて、代わりがないと言っても、学生監は聞く耳を持たない。
一人の学生が立ち上がって演説した。級友はヴィヨンの詩を書き残して引致された、こんなつまらない懲罰は受け入れがたい、そこで古靴を寄贈したい、と主張し級友を追った。だが、違反した学生はその厚意を断った。そして、裸足で戻ってくるなり、黒板に書いた詩を消して何かを書きだした。アララギ派の傾向を帯びた短歌で、内容はすこぶる反抗的なもの。権威が芸術を罰することなどできないという意志である。学生たちは、彼の巧みな興奮歌を感嘆するあまり、湧いてくる芸術の衝動を称賛した。
ところが、別の学生が教壇に上がると、惜しげもなく黒板のアララギ派の詩を消してしまった。この闖入者は英語で詩を書き始めた。かかる非常時に季節感を歌い、格闘は呪われてあれ!と批判したのである。その詩の反響は若い反抗心にとって評判が悪い。
またもや教壇を立った者がある。西洋の神主だ。彼は英文を消して、こんな不愉快な争いを繰り返すのはうんざり!といった内容を書いて去った。次々に教壇を去っていく学生、次は誰か?
「青春とは、常にこの類(たぐい)の一幕喜劇の一続きである。」
権威に対する反抗心...束の間の青春は過ぎ去る...まさに休憩時間のごとく...

5. 夜ふけと梅の花
ある夜ふけのこと。梅の花咲く道を歩いていると、電柱の影から出てきた男に話しかけられる。男は酔っていて、顔にひどい怪我をしている。4,5人の消防の人から袋叩きにされたという。警察に行くから証人になってくれと、放してくれない。いざ交番の前に来ると、この近くの者だから大ぴらにしたくないと言いだす。傷口を診てやると、お礼にお金を握らされる。主人公は、お金を返したくて、気になってしょうがない。
一年が過ぎて、男の名は村山十吉といい、質屋の番頭であることが分かる。仕入れの買入れ金を持って失踪したらしい。すべてを忘れようと飲み屋をはしごする主人公。よろめき転びながら歩いていると、声をかけられる。「僕の顔は血だらけになってやしませんか?」昨年のあの声だ。心臓が止まる。だが、それは幻影だった。そうと分かれば、意気揚々とする。
「おれは酔っぱらえば酔っぱらうほど、しっかりするんだぞ。びっくりさせやがって、村山十吉!やい、ちっとも怖くはないぞ村山!出て来い村山十吉!早く出て来んか!」
小心者の遠吠えか!夜の社交場で大きな事を言っているどこぞの酔っ払いに似ちゃいませんか...

6. 丹下氏邸
丹下氏は、男衆を折檻した。丹下氏は67歳、男衆は57歳のエイ。年老いたエイは、昼寝ばかりして、性根を入れ替えてやらなければならないと。主人公は、折檻の様子を風呂場の影から覗く。丹下氏がここまで怒るのを一度も見たことがなかったという。
ある日、エイのところへ一通の手紙が届いた。それを主人の丹下氏に見せないで主人公に見せた。どうか読んで聞かせてくれと。識字のできない階級ということか。辺鄙な田舎では、老年の雇い人が手紙を受け取ることは、不幸の知らせでもない限り、生意気なこととされた。「私らはどのようにも、なるようにしかならんでありましょう。」手紙は妻からで、折檻されたことを知り、いつまでたっても世帯を持つことができないと嘆き、様子を見に行くというもの。
丹下氏は手紙の内容を主人公に聞く。そして、エイの来歴を語り始める。... 妻オタツは53歳、いまだ新婚のように亭主のことを案じている。それというのも、嫁入りしてすぐ奉公に出したのである。奉公女が、そうそう訪ねられるものではない。病気でもしない限り会う口実がない。二人にはどこにも帰る家がない。やってあげたことといえば、谷下英亮(たにしたえいりょう)という立派な名前を与えたぐらい。それで身分が変わるわけでもない。... と涙しながら語るも、エイの性根までは知らないし、夫婦の事情は夫婦の勝手と突き放す。
そして、オタツが訪ねてきた。二年ぶりの再会にも、二人は互いに非難しあって、そっぽを向く。オタツは亭主がへまをして主人に叱責された時だけ、詫びに来るのだった。オタツは丹下氏に雛を土産に持参したが、貧弱な土産はかえって恥ずかしくなったのだろうか。古ぼけた伏籠を物置から探しだして雛を入れ、槌を打ち下ろす。
...自暴自棄に悩む夫婦の姿を描いたのだろうか?悲しい小作人の物語であろうか?当時の身分階級を皮肉った物語であろうか?なんとも中途半端な気持ちにさせやがる。

7. 「槌ツァ」と「九郎治ツァン」は喧嘩して 私は用語について煩悶すること
主人公は、両親を古い呼び方で「トトサン」「カカサン」と呼ぶ。だが、農村漁村文化運動で「オトウサン」「オカアサン」と呼ぶ風習が広まる。農村部では、階級制度の余韻が残っていて呼び方も違うという。地主の子は「オットサン」「オッカサン」。村会議員の子は「オトッツァン」「オカカン」。自作農の子は「オトウヤン」「オカアヤン」。小作人の子は「オトッツァ」「オカカ」。成金と呼ばれる階層が生まれた時代、これらの階級的呼び方もごっちゃになっていく。
人の名を呼ぶにも、階級の区別があるという。いいところの子には「何々サン」、次が「何々ツァン」、その次が「何々ヤン」、その次が「何々ツァ」、その次が「何々サ」。父母を呼ぶような進展がなく、子供の時「槌(ツッ)ツァ」と呼ばれれば、村会議員で偉くなっても呼ばれ方は変わらない。
ここで、槌ツァは「槌(ツチ)サン」と呼ばれたい、そんな名誉欲に駆られる人物だと仮定しよう。村会議員の会合の時、村長が「槌ツァ」と呼ぶと、満座の中で恥をかかされたと食ってかかる。発言した側が素直に謝れば事はおさまるが、「それが悪いかのう」と反問すれば面倒なことになる。些細な揉め事から恨みを買い、無実の罪を讒訴される羽目に。互いの狭量が揉め事になる典型というわけよ。
さらに、村長は九郎治という名で、「九郎治(クロッ)ツァン」と呼ばれると気を悪くする。おまけに、村長の娘「お小夜サン」と槌ツァの娘「お花ヤン」の仲がいいとなれば、ややこしいことに。お花ヤンは、父親を「オトッツァン」と呼んでいたが、村長に負けん気で「オットサン」と呼べ!と言いつけた。九郎治ツァンの家では、「オットサン」「オッカサン」と呼んでいたからである。九郎治ツァンがその噂を耳にすると、都会風に「オトウサン」「オカアサン」と呼べ!と言いつけた。
しかし、都会的な風習はこの村ではあまりにも無謀であった。槌ツァも、負けじと一家で都会的な言葉を使い始めた。「おこしやす」とか、「おおきに」とか。誰もそれがどこの言葉か知らなかったが、じきに大阪弁ということが判明する。九郎治ツァンも負けてない。一家揃って東京弁を使い始め、やたらと語尾に「ねぇ」とつける。「ありやねぇ。...よかろうと思うがねぇ。」てな具合に。
ある日、主人公の家に強盗が入った。祖父は確信ありげに、強盗は東京弁を使ったと証言した。すると、槌ツァが強盗は九郎治だ!と言いふらした。警官も疑い、九郎治の言葉づかいに似ていたか?と祖父に訊ねた。とんでもない!強盗は他国者に相違ない、我々田舎者が東京弁を覚えるには少なくとも20年は東京に住まないとだめだと、九郎治ツァンを弁護した。この話が広まると、槌ツァが九郎治の東京弁はニセものだと悪口を言いふらした。以来、九郎治ツァン一家は東京弁を使わなくなった。槌ツァの家でも、大阪弁を使わなくなった。せっかく移入された都会の言葉は、村から消え去った。百年経っても、田舎弁は消えないだろう。そして、主人公は煩悶する。天地がひっくり返っても、時流に任せた言葉が使えない。これが唯一の悩みだと...

8. へんろう宿
遍路のことを「へんろう」と呼ぶ。一人、土佐の遍路岬に来て宿をとる。この村にはへんろう宿が一軒あるだけ。宿屋には「へんろう宿 波濤館(はとうかん)」の看板があり、50ぐらい、60ぐらい、70ぐらいの三人お婆さんが温かく迎え入れる。客間は三部屋しかない。漁師屋をそのまま宿にしたような。経営主らしき人もいない。客間の一つには、12ぐらいと15ぐらいの女の子が勉強し、その隣の客間には、大きな男が腹這いになっていて、さらに奥の客間に通される。
二時間も眠っていると、隣の泊まり客の男が、50ぐらいのお婆さんと酒盛りをはじめた。その話し声は、酔っているせいか?妙に明るい口調である。捨てられたのが男の子ならば、大きくなって困るから、親を追いかけてその子を返す。親が分からなければ、役所に届けて戸籍だけでもなんとかする。そして、女の子だけを引き取る。この宿では、代々置き去りにされた女の子が嫁にも行かず、浮気もせず、育てて貰った恩の為に宿を切り盛りしながら一生を過ごすという。勉強している二人の女の子も捨て子であろうか?
...四国八十八箇所、お遍路参りをする人たちは、様々な苦悩を抱えながら旅をするのであろう。貧困の時代、何らかの事情で子供を捨てなければならない人たちがいた。その一方で、捨て子を温かく受け入れる人たちがいた。罪と救済の共存を明るく綴るところに、不思議な奥行きがある。

9. 遥拝隊長
村の平穏な日常に破綻をきたすことがある。元陸軍中尉、岡崎悠一32歳の異常な言動である。普段はおとなしいが、戦争の後遺症で気が狂っている。今なお戦争が続いていると錯覚し、軍人のよう振る舞う。滅私奉公に精神を鼓吹する。道を歩きながら、歩調をとれ!伏せ!と命令したり、感極まると東方遥拝する。発作が起これば、通りすがりの人にも、いきなり命令したり、怒鳴りつけたり。軍国主義の亡霊じゃ!と激怒され、兵隊ごっこのひとりよがり!侵略主義!などと罵声を浴びる。それでも、近所の人たちは温かく見守る。戦争中、悠一が戦地で怪我をして脳を患って送還された時、陸軍病院からの退院を願い出たのは近所の人たちであった。母親が辞退したにもかかわらず。戦地から将校が帰ってくるとなると、鼻が高いというわけで隣組一同で決議したのである。
さて、悠一の自宅には杉の垣根があった。 この杉垣は、悠一の父が亡くなった後、母がひとりで稼いで作ったもの。コンクリートづくりの厖大な門柱まで作った。ちっとも調和のとれない風景だが、母の意気込みに周囲の人たちから一目置かれる。村長までがその門柱を見て模範的な一家だと称え、悠一は幼年学校に推薦された。父のない家のハンデを、貫禄のある門柱で乗り越えたのだった。
しかし、大陸戦争が拡大すると、学生たちは軍関係の学校に入学させられる。悠一は、幼年学校から士官学校を経てマレーへ派遣された。戦地でどうしてびっこになったのか?漠然としたことしか話さない。当初、帰還兵の悠一の無口は美徳とされた。ところが、戦後、価値観が反転する。口外できない理由があるに違いないと、いろいろと噂される。滅私奉公の口ぶりで喧嘩して足を折られたなどと。
そんな時、ある帰還兵の話で、悠一が怪我をした理由が判明する。故障したトラックの中で、戦争ってのは贅沢なもので、惜しげもなく爆弾を落としよる、費用もかかる、と呟いた上等兵がいた。それに怒った悠一は、上等兵を殴った。その瞬間、故障車を動かそうとして、隊長はよろけ上等兵にすがりついた。二人はトラックから転落して川へ落ちた。悠一は重傷を負い、一緒に転落した上等兵は死んだ。悠一は事故で死んだ上等兵の怨霊に取り憑かれたのか?
「あれを見い。わしゃうらやましい。国家がないばっかりに、戦争なんか他所(よそ)ごとじゃ。のうのうとして、ムクゲの木を刈っとる。」
悠一は遥拝癖のある軍人で、東方遥拝を部下にも強制させた。そして、遥拝隊長と呼ばれる。その異常さを、他の隊長は注意しない。いや当時の軍隊では歓迎される態度か。隊長の振る舞いには寛大!そのくせ、一兵卒には細かい事に厳しい。要領の悪い兵卒はたちまち袋叩きにされる。
その後、悠一は発作を起こして、山の中腹の共同墓地を歩きまわる。そして、べルトで一つ一つの墓をなぐりつける。ビンタをくらえ!貴様も!とつぶやきながら。たまには、近所の人たちも悠一の命令に芝居して付き合う。村人たちには、悠一が東方遥拝をする理由が分かっているようだ。その方角は母の作ったコンクリートの門柱であった。
...この作品には、狂気じみた軍国主義への批判が込められていることは想像に易い。だが、それだけだろうか?同時に、遥拝と母親孝行の信念を重ねるところに奇妙な関係がある。戦時中と戦後で価値観や道徳観が反転したのは確かであろう。過去の反省とは、当時の価値観をすべて否定することではないはず。そこに、民衆が盲目的に信じてきた社会風潮への批判を重ねるような...

2012-05-13

"小僧の神様 他十篇" 志賀直哉 著

かねがね日常の出来事を文章で魅了する小説家の凄みに感服してきた。取るに足らないものまで、さりげなく芸術にしてしまう、その技に。目の前の事象を素直に言葉にできるということは、自然学の極致と言えよう。
しかし、あまりにも平凡な題材が並べられると、少々疑わしくなる。目に映る被写体をすべて言葉にすれば、世間は騒がしくてしょうがない。これも徹底した現実主義か。知識とその奥行を見せつける鴎外文学や、奇抜なシナリオを展開する芥川文学と比べると、やや退屈感が襲う。志賀小説は国語教育の題材とされることも多く、頭でっかちなイメージがこびりついている。その弊害であろうか。そんな泥酔者でも、二度三度と読み返していくうちに、薄っすらと味わいが見えてくる。噛めば噛むほど...退屈な物語は退屈しのぎにいい。

本書には、「小僧の神様」「正義派」「赤西蠣太」「母の死と新しい母」「清兵衛と瓢箪」「范の犯罪」「城の崎にて」「好人物の夫婦」「流行感冒」「焚火」「真鶴」の十一篇が収録される。いずれも哲学的な様相をあまり見せない。素直で淡々とした文章から、心の奥底にしまいこんだもの、何か忘れかけているもの、そんなものを思い出させてくるような感じがする。デジャヴってやつか?文学作品というものは、文章の論理性と精神の合理性の調和によって癒されるところがあるが、ここでは、知性的に違和感があっても感性的に否定できないものがある。夢想的私欲をあっさりと書き流すところに、人間性の本質なるものが浮き彫りになるのか?いや、ある種の呪術か?所詮、文章なんてものは我欲を張った結果なのかもしれん。

1. 小僧の神様
鮨屋に入ってきた小僧が、一度持った鮨を値段を言われて、気まずそうに置いて出ていった。同情した貴族議員が、主人公の少年をその小僧と重ねて、鮨を思いっきりご馳走する。これは現実か?夢か?
しかし、作者は結末で筆を置くと宣言する。小僧が貴族議員の正体を確かめに行くと、その場所には稲荷の祠があったとさ...という展開にするつもりだったが、残酷な気がしたと。

2. 正義派
電車が少女を轢き殺した。運転手は慌ててブレーキをかけたが間に合わなかったと証言する。だが、線路工夫が「そら使ってやがらあ!」と叫んだ。やがて、形式だけの取り調べが始まる。みんな鉄道会社の仕事で飯を食っている。示談か?しかし、悪いことは悪い。良心との葛藤が続く。

3. 赤西蠣太
歴史的事件である伊達騒動を背景にした物語。赤西蠣太(あかにしかきた)は、伊達兵部の家来で、醜男で野暮臭い田舎侍。一方、銀鮫鱒次郎(ぎんざめますじろう)は、原田甲斐の家来で、美男で利口そうな侍。対照的な二人は将棋仲間で通っていたが、実は諜報員。蠣太は、ほぼ報告書が完成し、いつでも白石に引き上げられる。鱒次郎は、もう少し調査が必要。そこで、蠣太は先にずらかることにする。
さて、その方法を鱒次郎が思案した。蠣太が女に附け文をして肘鉄砲を食らわされ、物笑いとなって屋敷にはいたたまれなくなり夜逃げするという寸法。おあつらえ向きに、小江(さざえ)という美しい腰元がいた。蠣太は醜男に想われる小江が気の毒でしょうがない。艶書を出すのも慣れずドキドキする。しかし、その返事は以外なものだった。
「私は貴方に恋した事はございませんが、前から好意を感じておりました...」
なんと、前々から蠣太の知性に尊敬していたが、若侍たちにはそれがない。そして、新しい感情が湧いてきたという。やがて、蠣太と小江の恋仲が兵部に届く。
ある日、甲斐が兵部の屋敷を訪れ、二人のアンバランスな関係を話題にする。だが、甲斐はすぐに気づく、蠣太の行動が怪しいことに。間もなく伊達騒動が起こる。長いゴタゴタの結果、原田甲斐一派は敗者となり悪党呼ばわれする。事件が終わって蠣太は本名に戻り、鱒次郎を訊ねたが行方知れず。どうやら殺されたらしい。
尚、伊達騒動の講談では、小江は触れれば落ちる若いおさんどん風の女になっていて、下等な感じて滑稽に扱われるという。この女が実は賢く、蠣太が真面目な人物である事を見抜いていたとしたら、という仮定で書き下ろした物語だそうな。

4. 母の死と新しい母
母は17で直行という兄を生み、兄が三つで死ぬと、翌年に主人公を生んだ。それっきり12年間は一人っ子。日清戦争後、母が懐妊したという知らせがある。帰省すると、二十何人かの予備兵が泊まって騒いでいる中、病床についていた。母が亡くなると、それから二ヶ月ほどしか経っていないのに、自家では母の後を探し始める。43歳の父が再婚するということが、思いがけないこと。新たに母となる人は、若く実母より美しい。新しい母の優しさに、実母は過去へと追いやられる。
そして、翌々年英子(ふさこ)が生まれた。また二年して直三が生まれた。また二年して淑子が生まれた。また二年して隆子が生まれた。若く美しかった母も、疲れが見えてくる。女は子供を産むものという価値観の強い時代、世間的圧力の表れか。
この物語は、著者の少年時代の追憶をありのままに書いたものだそうな。そして、次のように語る。
「小説中の自分が、センチメンタルでありながら、書き方はセンチメンタルにならなかった。この点を好んでいる。」

5. 清兵衛と瓢箪
清兵衛の瓢箪の凝りようは烈しかった。茶渋で臭味を抜くと、父の飲みあました酒で丁寧に磨く。道を歩いていても、いつも瓢箪のことばかり考え、オヤジの禿頭を間違うほど。瓢箪を学校へも持っていき、授業中でも机の下で磨いていると、教員に見つかり取り上げられる始末。教員は、家庭訪問し、自宅で厳しく取り締まるように食ってかかった。父は、清兵衛を叱り、散々に殴りつけた。そして、家にある瓢箪を一つ一つ割ってしまった。
さて、教員は、取り上げた瓢箪が穢れ物でもあるかのように、年老いた小使にやった。小使は、瓢箪を骨董屋に五十円で売った。小使は、4ヶ月分の給料をタダでせしめ、何食わぬ顔をして幸せを味わう。もちろん、教員にも清兵衛にも黙っている。その後、その瓢箪の行方は誰も知らない。骨董屋が、その瓢箪を地方の豪族に六百円で売ったことまでは想像だにしない。
「清兵衛は今、絵を描く事に熱中している。これが出来た時に彼にはもう教員を怨む心も、十あまりの愛瓢を玄能で破(わ)ってしまった父を怨む心もなくなっていた。しかし彼の父はもうそろそろ彼の絵を描く事にも叱言を言い出して来た。」
大人は自分の価値観でしかものを考えず子供の個性を抑圧するが、子供の創造性は留まることを知らない。大人の権威主義と子供の独創性の対比はなかなか。

6. 范の犯罪
范(はん)という支那人の奇術師が、演芸中にナイフで妻の頸動脈を切断するという不意な事故が起こった。妻はその場で死亡。しかし、三百人もの目撃者がいるにもかかわらず、それが故意か、過ちかは分からない。その芸は、女を立たせておいて、体の輪郭に沿ってナイフを投げるというもの。証言によると、熟練者ならばそう難しい芸ではないという。范の普段の素行は、賭博も女遊びも飲酒もしない真面目な男。昨年あたりからキリスト教を信じるようになり、暇さえあれば説教集を読んでいる。妻の素行も正しい。二人とも他人に柔和で克己心も強く、けして怒るような人ではなかった。だが、二人だけになると、驚くほど互いに残酷になる。二年前、妻が赤児を産んだが、早産ですぐに死んだ。その頃から激しく口論するようになる。范は妻を愛せなくなったと証言する。妻の産んだ赤児が自分の子ではないことを知ったから、殺したいと思うことも度々だったと。そして、自分自身の中にいる悪魔と葛藤するうちに、故意だと思い込んでしまう。
しかし、最初から実証することが不可能な事件。無罪のためなら、自分を欺いてでも、過失を主張すればいいが、范は自分に正直でいられる事の方が遥かに強いと考える。結局、無罪判決。范は言う。妻の死を悲しむ心は少しもないと。

7. 城の崎にて
山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした。その後、養生に一人で但馬の城崎温泉を訪れた。秋の山峡に一人でいると、淋しく沈みがちになる。一つ間違えば死んでいたのだ。青い冷たい顔をした祖父や祖母の死骸が傍にあり、お互いの交渉もない淋しい光景を想い浮かべる。それでも、死を恐怖には思わない。
ある日、一匹の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。他の蜂は気にする様子もなく働く。それが、いかにも死んだという冷淡な感じを与える。蜂の死を自分と重ね、親しみを感じるのだった。
またある日、小川に人の集まりがあった。大きな鼠を川へ投げこんで見ていたのだ。鼠の首には魚串が刺さっている。鼠が石垣を這い上がろうとすると石が投げられ、見物人は笑っている。鼠が必死に助かろうとする姿、その最期を自分の死と重ね、今度は恐ろしくなる。死後の静寂に親しみを感じても、死に至るまでの騒動は恐ろしい。
「自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまではあの努力を続けなければならない。」
いくら静かで穏やかな死を理想に思っても、もがき苦しみながら死ぬのが現実であろうか。
そして、またある日、小川の半畳敷ほどの石に、蠑螈(イモリ)がいた。もし蠑螈に生まれ変わったら、どうなるだろう?そんなことを考えながら、しゃがんで観察している。驚かせて水へ入れてやろうと石を投げると、蠑螈に当たって死んでしまった。なんてことを。
「可哀想にと思うと同時に、生き物の淋しさを一緒に感じた。自分は偶然に死ななかった。蠑螈は偶然に死んだ。」
少なくとも、助かろうと思わない限り助からない。一方で、生きたくても生きられない人たちがいる。とりあえず自分は生きている。そのことに感謝したい。生とは、死を感じて始めて感じられるものであろうか。生と死は両極ではなく、隣り合わせということであろうか。

8. 好人物の夫婦
のんびりとした秋の晩、妻は裁縫をし、夫はごろ寝している。夫の怠け癖と、妻がせっせと働く、昔ながらの光景であろうか。夫が気ままに旅行すると言えば、妻は淋しくて留守番が嫌だと言う。妻が浮気するだろうと問い詰めれば、浮気癖のある夫はしないかもしれないと曖昧な返答をする。妻の問答に付き合っているうちに、夫は急に気分が萎える。
翌朝、大阪から手紙が届く。祖母が病気だという知らせだ。妻は看護のために大阪へ向かう。夫も四週間ほどして大阪へ。そんな時、女中が妊娠し、夫が真っ先に疑われる。妻はうまいこと嫌味を言う。露骨に打ち明けられても落ち込むだけ、疑いで留めるのが親切というものか?夫は、今度は俺じゃない!と打ち明け、妻は涙する。
信じているのか?疑っているのか?信じたいという気持ちと、その自信のなさとの葛藤を描いた奇妙な作品。悲しみとは、自らの愚かさからくる誤解や意地っ張りが招き入れるものであろうか。

9. 流行感冒
最初の子が死ねば、ちょっとした病気でも死ぬんじゃないかと不安に襲われる。主人は、病的なほど子供の病気を恐れていた。裕福で、子供をあまりにも大事にする家庭があるかと思えば、貧困で、無神経に放ったらかしにする家庭もある。結果的に、どちらが善く育つかは分からない。小学校に乳児をおぶって通うような時代。どちらが自然な姿なのかは分からない。
さて、ある日、流感が我孫子の町に蔓延した。スペイン風邪が流行した頃か。芝居のような人が集まる場所へ行くだけで、感染が疑われ、道徳的な非難を浴びる。女中の一人が、こっそりと芝居を見に言った。長いこと楽しみにしていた芝居に嘘をついてまで。それを主人に見つかり咎められる。しばらくして主人が流感にかかり、妻、他の女中、そして最も大事にしている子供まで。だが、芝居を見にいった女中だけは元気で献身的に働く。あれほど喧しく言っておきながら、その主人が感染したのだから、彼女が痛快に思っても不思議はないのだけど。彼女には、欠点も多く、間抜けをしてよく叱られるけれど、悪い子ではない。そして、人間性を見直されるのだった。...我儘がちな主人が反省する様子がなんとも印象的だ。

10. 焚火
静かな晩、画家と宿の主人と、ある夫婦の四人で小舟に乗る。小鳥島の裏へ入ろうとする向う岸に焚火が見える。別の岸で、四人も焚火をはじめる。そして、山で怖いものの話を始める。蛇や山犬、あるいは、地獄谷の方で野獣の髑髏を見たとか、大入道を見たとか。気分が盛り上がったところで、宿の主人は不思議な体験を語り始める。
去年、雪が二、三尺も積もった頃、東京の姉の病気が悪いという知らせを受けて見舞いに行った。その帰り、鳥居峠を越える時、雪が腰くらいまで入るほど深くなっていて、引き返すこともできない。まるで蟻地獄。体力には自信があり、雪にも慣れていて、恐怖も不安も感じない。だが、もう一息、もう一息と、その道程りは遠い。そして、意識がぼんやりとしてくる。大概、雪で死ぬ人はそうなってしまうという。なんとか峠の上まで漕ぎつけると、遠くの方から提灯が見える。宿の主人の声を寝耳に聴いた母が、義理の兄を迎えによこしたのである。宿の主人の帰る日は未定だった。虫の知らせ!というやつか。母が聴いたのは、一番弱って気持ちがぼんやりしていた時。こんなことがあって、彼はいっそう母想いになったとさ。

11. 真鶴
伊豆半島の年の暮。十二、三歳の少年が弟の手を引いて歩いている。弟は疲れきって不機嫌だが、兄の方は物思いに耽っている。恋煩いというやつだ。父から歳暮の金をもらうと、小田原まで弟と二人で下駄を買いに行く。ところが、途中で唐物屋で水兵帽を見つけると、少年はそれが欲しくなり財布をはたいてしまう。叔父が海軍の兵曹長で、よく海軍の話を聞き憧れていたのだ。
更に、松飾りの出来た賑やかな町に通りかかると、騒々しく流している法界節の一行に出会う。一行は三人、チンドン屋か。一人は四十くらいの男で琴を鳴らし、一人は女房らしい人で甲高い声を張り上げて月琴を弾き、もう一人は少女で厚化粧をして唄っている。少年は、月琴を弾いている女性の色白さに魅せられる。少年時代、年上の女性に憧れることはよくある。少年は、尨犬のように弟の手を引いて、一行に付いていく。
日が暮れると、真鶴まではまだ一里あった。ちょうど熱海行きの列車が通りかかり、客車の窓からチラリと二人の横顔を照らす。弟は法界節が乗っていたと言う。弟の疲れきった様子にやっと気づくと、急に可哀想になり、おんぶする。そして、今の列車に乗っていたかと思うと空想が膨らむ。女性が何処かで自分を待っているという夢想を。この先の出鼻の曲り角で汽車が脱線し、崖から落ちて女性が倒れているところに少年が通りかかるというシナリオである。だが、出鼻へたどり着いても何事も起こるはずがない。それを曲がると提灯を持って来る女の姿があった。余りに帰りの遅いのを心配して迎えに来た母である。弟は兄の背中で眠っていた。母が、弟を少年の背から移そうとすると目を覚まし、今まで抑えに抑えてきた我儘を一気に爆発させた。母が叱ると、なお暴れた。少年は水兵帽を、弟にかぶせて、お前にやるから、おとなしくしな!と言った。少年は、もう水兵帽をそれほど惜しく思わなかった。...平凡な作品だが、なにやら懐かしい風を感じる。

2012-05-06

Fedora 14 から 16 へアップデート

実は昨年、Fedora 14 から 15 へアップデートしたが、再び 14 へ戻した経緯がある。マシンが古いせいか?シャットダウンの動作がたーまにコケたり、電源系が安定しない。ハードウェアの相性問題なら深刻か?ちなみに、マザーボードは GIGABYTE GA-8PE667 Pro...それほどマイナーでもないと思うが。ディストリビューションにこだわる必要もないが、Fedora Core 2 から使っているので、それなりに愛着がある。
てなわけで、GW連休中に腰を据えて当たることにした。17 リリースのカウントダウンも始まったことだし...

14 からのアップデートは yum だと 15 を経由する必要がある...とずーっと思っていたので憂鬱でいた。ところが、preupgrade を使うと直接 16 が選択できるではないか。前回のしくじりを踏まえて綿密に計画する。いや、覚悟する。
操作は、実に簡単!

  $ yum install preupgrade
  $ preupgrade
  待つこと1時間ほど...

これでおしまい!ドライバはすべて認識され、電源系も安定している。サーバの設定も、だいたい受け継いでくれたみたい。ほとんどトラブルもなく拍子抜け!
尚、remi系で 14 のゴミが残る... xulrunner11.i686  11.0-1.fc14.remi

やはり愚痴は gnome3 に集中する...
新しい環境に馴染めないのは年のせい...などとからかうんじゃない!
最初は気が狂いそうになったが、カスタマイズができていくうちに冷静になる。単に完成度が低いだけか?いや、肌に合わん気もする。デスクトップ環境を見直す日も近いかも...
尚、kernel 3.x で劇的な変化があるかと思いきや、何が変わったのか?よく分からん。

1. 何をするにも、「まずアクティビティ!」という思想
[アクティビティ]から[ウィンドウ] or [アプリケーション]という操作手順にイライラ![お気に入り]に置けば少し楽になるが、あまり多く置くと鬱陶しい。用途の限られた携帯端末では使いやすいのか???Windowsのスタートボタンと思えば、気にならないと思ったけど...
Win7 でも似たような愚痴をこぼしたが、スタートメニューは貧弱な方向にあるのだろうか?分かりやすいという言い方もできるかもしれんが。見た目ばかり大袈裟にしても...おいらの感覚が時代遅れなのかもしれん。
見たまんま!分かりやすい!...これほど説得力のあるものもない。しかし、慣れてくると、とっかかりの分かりやすさよりも効率性を求める。サーバー系で、いまだ GUI よりも CUI が好まれるのはそのためであろう。分かりやすさと効率性、あるいは厳密性とは、必ずしも同期しない。用途に応じた UI というものがあるだろう。
フォン・ノイマン型コンピュータが登場して、まだ半世紀余り。そのうち昔の UI が見直されるってことはないのだろうか?ヴィンテージ志向へ回帰するってことは?あらゆる学問がそうであったように...

2. deamon の自動起動でひと苦労!
ようやく systemctl というおまじないに気づく。SysVinit スクリプトが systemd へ移植された模様。

  systemctl enable xxx.service
  # systemctl start ... は、その場限り。
  # 実体はこのあたり... /etc/systemd/ と /lib/systemd/
  # /etc/systemd/system/multi-user.target.wants/

とはいっても、/etc/rc.d/rc.local は残っている。アップデートだからか?これも、systemctl で起動できる。

3. アプリの自動起動
~/.config/autostart/* がそのまま受け継がれる。セッションの設定画面が見当たらない...と彷徨していると、gnome-session-properties コマンドが見つかる。

4. ウィンドウテーマの変更 ...改善された模様。コメントへ...(2012-6-30)
[アクセサリ] → [高度な設定] → [テーマ]でウィンドウテーマを変更するが、いちいちログアウトしないと反映されない!ほんまかいな?Fallback mode ではリアルタイムで反映される。てなわけで、徹底的に Fallback mode で設定してから戻す。いや、永久に Fallback mode にする日も近いかも...

5. アプリケーション画面のアイコンが異常にでかい!
アイコンサイズは、cssファイルを直接編集する。gnome3 の完成度の低さを感じさせるところか。

例えば、こんな感じ(テーマによってCSS属性や値が違うだろう)。
  /usr/share/gnome-shell/theme/gnome-shell.css
  ----------------------------------------------------
  .icon-grid {
    spacing: 18px; /* default 36px */
    -shell-grid-item-size: 64px; /* default 118px */
  }

  .contact-grid {
    spacing: 36px;
    -shell-grid-item-size: 164px; /* 2 * -shell-grid-item-size + spacing */ /* default 272px */
  }

  .icon-grid .overview-icon {
    icon-size: 48px; /* default 96px */
  ----------------------------------------------------
反映させるためにgnome shell を再起動する。[Alt] + [F2] で r コマンドを叩けば簡単!

2012-04-29

"公共哲学" Michael J. Sandel 著

ハーバード大学の人気講義「Justice」で話題になったマイケル・サンデル教授。有名大学の講義を一般公開するところに、アメリカという国の懐の深さを感じる。ちなみに、このシリーズは昨年NHKで放映され、録画したはいいがまだ見返していない。
講義の特徴は対話術にある。暗記教育に慣らされてきた日本人には、度肝を抜かれただろう。答えの見つかりそうもない絶望的な難題に立ち向かう術は、ソクラテス時代からの弁証法的議論が受け継がれる。多民族、多人種、多文化が混在する地域では価値観が多様化し、政治を行うにしても論理的な説明や説得を必要とする。ここに、民主主義や自由主義の根幹があるのだろう。
一方、単一民族国家では価値観も単一的で、異端的な意見は暗黙のうちに村八分にされる。この講義形式をサンデル教授自ら東大で開催したのは、政治的立場としていかに中立に議論するか?という問題を日本社会に投げかけているように思う。議論で最も重要なことは、意見を主張することではない。意見を聞き入れる寛容さである。とはいっても、これが最も難しい。民主的に議論すれば何もかも解決できるなどと甘いものではない。話し合えば分かち合えると信じる友愛型人間も少なくないが、知れば知るほど嫌いになる教義もあるはずだ。多様性を認めるということは、意見の好き嫌いが生じることも含めて認めるということであろう。間違っていると思えば、論理的に反論すればいいだけのこと。そして、互いの論理に耐えうる意見のみが生き残るだろう。多数決の原理は、互いの論理的議論が尽くされた時にやっと機能しはじめるのであって、感情論や慣習論に流されれば、たちまち危険なシステムとなろう。ヒトラーの大衆扇動術の原理がここにある。
民主主義社会でコマーシャリズムは絶対に避けられない。ニュース、教育、娯楽、そして政治に至るまで。アメリカでは、栄養学をマクドナルド提供の教材で学び、原油流出事故の影響をエクソン制作のビデオで学ぶ現実があるという。今日、どこの民主国家でも政治がエンターテインメント化している。手軽な美徳や癒し系の言葉が氾濫し、有権者を惹きつける。矛盾が自然法則であるならば、弁証法なる方法以外に、これに対処する方法があろうか?意見の不一致あるいは多様性が人間の善を反映しているとすれば、弁証法的アプローチによって公共的価値観なるものを見出そうとする。これがサンデル教授の目論見であろうか。

本書は、「公の場で哲学する」をテーマにした小論文集である。そこには、Affirmative action(積極的差別是正措置)、幇助自殺、妊娠中絶、同性愛、幹細胞研究と胚の倫理学、環境汚染権の売買、市場の道徳的限界...など豊富な話題で埋め尽くされる。まさに、宗教的、文化的、道徳的な価値観が複雑に絡む難題ばかり。
議論の展開では、まずトーマス・ジェファーソンまで遡って政治的伝統を概観しながらリベラリズムの源流を探る。そして、数々の難題から生じる矛盾を、ベンサムの功利主義とカントの人格道徳の対比、あるいはリバタリアンとコミュニタリアンの対立構図から、人類の普遍的価値なるものを公共的に迫ろうと試みる。
歴史を概観しながらリベラリズムの諸派を考察するあたりは、アメリカという国を理解する上でも役に立つ。それは、アメリカ社会が権利の主張という柱に支えられていることである。最低限の生活や基本的人権とはどこまでを言うのか?アメリカの政治はこうした議論を重ねてきた歴史の上に成り立っている。自由主義は宗教弾圧への反発として育まれてきたので、政治に宗教的道徳や信仰的道徳が干渉することを極端に嫌う傾向がある。そして、公共的理性よりも個人的権利が優先され、慢性的に権利の制限という問題を抱えている。例えば、国民皆保険の導入となると、なぜそこまで目くじらを立てるのか、あるいは、ちょっとした社会福祉的政策を持ちだそうものなら「アカ」と罵る光景は滑稽に映る。些細な公共性に自由の侵害と大袈裟に反応するのも、自由獲得で苦悩してきた歴史的執念からくるものであろうか。
また、サンデル教授の学問の系譜を辿ると、コミュニティや公共的自由を唱える立場から、ウィリアム・ペティやジョン・スチュアート・ミルに通ずるものを感じる。だからといって功利主義を擁護するわけではなく、むしろ功利主義に頼らなくても自由が説明できるという立場を表明している。そして、功利主義とカントの自然道徳を矛盾しない立場に置いている。それは、ジョン・ロールズの「正義論」を、カントの人格道徳の修正版だとして称賛していることからもうかがえる。ちと持ち上げ過ぎの感もあるけど。もっともロールズ自身は、カントの道徳観念から離れる立場だと主張したらしいが。リバタリアンとコミュニタリアンという二大派閥から眺めると後者に属すのだろうが、そう単純でもない。ちなみに、アル中ハイマーはリバタリアンに近いか?それでも本書に共感できるところが多い。いずれにせよ、何事も二分してどちらかに属させようとするのは悪い癖か。もっとも、ここで言うコミュニティとは、政治的な強制あるいは扇動された枠組みなどではなく、市民生活から自発的に生じる自律的な精神を育んだ集団単位と見るべきであろう。そして、公共的自由には自己の自律が前提されるということを付け加えておこう。その根底には、ソクラテスが説いた「善く生きる」という人生観がある。要するに、古代から人間精神はあまり進化していないということか、いや退化しているのかもしれん。ユーロ危機が皮肉にも哲学の聖地ギリシャに端を発っしたのは、民主政治が衆愚政治と化した結果であろうか...

1. 小さな政府 vs. 巨大企業
金持ち優遇政策はアメリカ個人主義の代名詞のように言われるが、その傾向は近年のものだという。昔から、中央政府が自己統治のための市民感覚を鈍らせる懸念はあったが、同時に企業の巨大化も懸念されていたようだ。ジェファーソンは、「ヴァージニア覚書」で大規模な製造業を育成することに反対したという。大規模の企業が無産階級を生み出し、共和主義的市民が自立を欠くことを懸念したとか。
「依存は従属と金銭的無節操を生み、美徳の芽を窒息させ、野心を満たすたくらみを準備させやすくする。」
そして、農村の生活様式が国民の美徳を養い、自己統治に適しているという価値観があったという。尚、大地を離れては生きられないという価値観は農耕民族的なものと考えられがちだが、ヘシオドスの時代から大地(ガイア)に神が宿るという思想がある。
経済の分散を提唱したルイス・D・ブランダイスは、分配的正義よりも自己統治を担う市民形成を重視したという。
「人間が進歩するためには、きちんとした食事をとり、きちんとした住まいに暮らすこと、きとんとした機会に教育を受け、レクリエーションをとることが必要不可欠である。こうしたものなくして、われわれは目標に達することができない。だが、それらをすべて手に入れてもなお、奴隷の国であるかもしれない。」
自由競争が独占やトラストを生むことを、歴史が既に証明している。そう、自由の果てに束縛があることを。結局、農村の意義を唱えるジェファーソンの考えが主流になることはなかった。だからといって、多額の政治献金が提供できる団体が権利を持つという論理にはならないだろう。諸悪の根源をレーガン主義に求めるのをよく見かけるが、本書もその例に漏れない。
アメリカのリベラリズムは、もともと理性的な自由主義から育まれたが、「主意主義的」な自由主義に変貌していったという。主意主義的とは、理性よりも意志を根本に置く立場だそうな。レーガンは、大きな政府を有害とし、経済には自由を認めた。しかし、巨大企業の暴走に対抗するには大きな政府が必要であり、小さな政府を唱えるなら経済も分散させる必要があると指摘している。かつて、大きな政府が唱えられた時代があった。セオドア・ルーズベルトのニューナショナリズムである。だが、それは巨大化する産業資本に対抗するためで、ジェファーソンと方法論が違っていても目的は同じだという。そこに登場したレーガンのニューフェデラリズム(新連邦主義)、すなわち地方分権構想は、近代の潮流によく合致する。しかし、地方分権の方法論を誤って経済とのパワーバランスを欠くと、巨大企業に権力を集中させることになり、建国以来の伝統的な権威とコミュニティまでも衰退させていく。経営者ですら実体が掴めないほど企業は無秩序に大規模化し、いまや多国籍企業が小国家を呑み込む勢いだ。そして、地域社会の自律性が損なわれる。リベラルも共和主義も元を辿れば、自治統治のための自立や自律に行き着くということか。

相互依存という機械的な事実があるだけでは、結局はなにも生まれない。
...社会事業家ジェーン・アダムズ

2. God-o-Meter
レーガンの政治的直感は天才的なものがあるらしい。アメリカの保守主義に孕む二つの矛盾を見事にまとめたという。それは、リバタリアンや自由放任主義を重視しながら、同時に伝統主義や宗教的道徳を重視したことである。国民に干渉しないと表明しながら、宗教的価値を表明して、妊娠中絶、ポルノ規制、公立学校での礼拝を復活させる。
このレーガン式選挙戦略は、ジョージ・W・ブッシュに受け継がれる。大統領就任演説や一般教書演説で、神を口にした頻度はレーガンを上回ったとか。彼ほど宗教的レトリックや聖書からの引用を演説に散りばめ、厚かましくこの戦術を用いた者はいないという。候補者たちの神への言及を追跡する「God-o-Meter」(beliefnet.com)なんてサイトが、2004年頃からあるそうな。大統領選は、神の恵みをめぐる論争で熾烈をきわめたというわけか。

3. JFK
ケネディの活動エネルギーを支持する人はいまだに根強い。それに変わる民主党政権がいまだ誕生しないからであろうか?犯罪に厳しい態度をとり道徳的エネルギーを見せるものの、権力の分散、つまりは小さな政府を支持し、福祉を批判したことでは民主党らしくないように思える。しかし、解釈が違っていたようだ。
彼は、管理政治を批判し、市民性やコミュニティのビジョンを打ち出したという。彼が福祉に反対したのは、貧困層への連邦政府の支出が、受給者の市民的能力を損なうことへの懸念からだったという。つまり、民衆を依存と貧困の奴隷にするという理由からだと。ケネディは、消費社会の恩恵に公平にあずかれるというだけではなく、市民が自己統治を分かち合うこと、個人が集団的運命を律する力の形成に参加することを要求したという。なんでも分配を権利に頼るのは危険である。実際、補助金漬けになって、自立できない企業や産業が少なくない。国が無闇に口を出して存在感を示すと、ろくなことにならない。それをケネディはよく心得ていたわけか。彼の言うコミュニティへの参加とは、労働への参加をうながす意図があるという。なるほど、これは民主党の福祉政策とは根本的に違うし、共和党の福祉批判ともまったく違うもののようだ。

4. 正義と善はどちらが優先か?
政治では、正義、公正、個人の権利が最も高い位置に置かれる。少なくとも建て前は。道徳が宗教や信仰から導かれるとすれば、それは極めて主観性の領域にあり、客観性を求める法律や制度とは相性が悪い。そして、実践の場では、正義は善よりも優先されることになろう。アリストテレスは、都市国家の尺度とその目的を善とした。カントは、法律を道徳の最後の砦であるとして、人間の究極の目的である善との間でジレンマを起こした。ミルは、正義を道徳全体の主要部分であるとし、功利主義の目的を正義に求めた。いずれにせよ、正義が善を行うための道具と化す矛盾にぶつかる。実際、政治家にとって法律が神様で、都合よく憲法と矛盾する法案を次から次に編み出しやがる。これで道徳をどこに求めるというのか?やはり政治と道徳は相性が悪いのか?義務を正義の基盤に据えたとしても絶望的か?
カントは、人間性を自然学に求め、芸術的感性のみが主体を進化させるとし、理性構築の過程を主観性で魅了した。対してジョン・ロールズは、カントの超越論的主体から「負荷なき自己」という客体へ進化させたという。彼は「原初状態」という概念を持ちだしたそうな。それは、いかなる特定の目的をも前提しない状態である。自分がどんな人間であるか、強いか弱いか、幸運か不運かを知らず、興味や目的も、善の概念すら知らない時に、社会を支配する原理としての自己がどんな原理を選ぶかを想像する。人間の普遍的原理に回帰するとでも言おうか。その原理で選択された結果こそが正義というわけだが、そうした人間の潜在的能力を善とする思考は古くからある。
さて、「負荷なき自己」とは、自分が持つもの、欲するもの、求めるものに対する自己のあり方であって、自分の持つ価値観と、自分がそうである人格が常に区別される状態だという。自分の持つ目的や属性よりも先立って存在する自己があるとでも言おうか。その意味では、カントの言うアプリオリな認識と似ているように思える。自分で自己を定義しようとすれば、自己から距離を置いた何かに頼る必要がある。つまり、客観性である。客観性を認識する自己となれば、それもまた主体ではないのか?ロールズは本当に客体に進化させているのか?
「人間性にとって最も本質的なのは、みずから選ぶ目的ではなく、目的を選ぶことの能力だ。...自己がその目的に優先して初めて、正は善に優先できる。」
確かに、自己を疑う人格、自己を見つめ直す人格、そうしたものの存在をなんとなく感じる。自由を認識できるということは、自律を実践できるということになろうか。ただ、こうした思考は、カントの自然学的判断力でも説明できそうな気がするけど。このあたりのカントの解釈が、おいらと違うところであろうか。

5. ジョン・ロールズの「正義論」
ロールズは、アメリカの最も偉大な政治哲学者だとして紹介される。その著書「正義論」は、ミル以来、リベラル派の政治原理を最も説得力をもって説明する作品だという。そこには、三つの重要な概念、個人の権利、社会契約、平等について展開されるという。社会で最も恵まれない人々を救うための格差是正、あるいは基本的人権こそが正義ということになろうか。とんでもない高収入を得られる人々が存在しうるのは、最下層の人々にも恩恵がある場合に限られる。これが格差原理だ。必ずしも格差を否定しているわけではない。それを否定すれば能力主義をも否定することになろう。能力とは、弱肉強食の世界ではないということだ。そして、機会均等という条件も付け加えられることになる。道徳的、信仰的信念が一致しない以上、それらをめぐる論争に中立の立場をとるのが政治的立場となろう。
正が善に優先する概念は、カントの道徳哲学を政治に応用した結果ではなく、民主主義社会に住む人々が善についてたいてい意見が合わないという事実への現実的な対策である。これが政治の正義、つまり実践の正義ということになろう。ただ、リベラリズムがカント的人格概念を放棄するわけではない。そこで、「負荷なき自己」の概念の登場である。つまりは、コミュニティで生きるための成員資格のようなもの、正義の原理を生み出す仮説的な社会契約のようなものが必要ということのようだ。ここでは、「理に適った多元主義の実現」と表現されるが、ロールズの思考は理想主義の感もある。
最高善が人間の潜在能力にあるとすれば、それは余計な知識を持たない人格、すなわち赤ん坊が既に持つ能力ということか?だとすると、政治は言葉のみを知る赤ん坊にさせるのが一番か?いや、言葉を知る時点で余計な知識を持っているのか?なるほど、神は沈黙しか教えてくれない。実は、人類の普遍的価値は、古代から繰り返される自由と平等、正義と善の論争によって既に証明されているのかもしれない。すなわち、対立構図の中でもがきながら、駆け引きしながらでしか生きられない愚かな生き物ということ。思想の自由あるいは行動の自由が本当に社会の理に適うかも分からず、これに優る手段を他に知らないだけのことかもしれん。
んー...ロールズをもってしても、俗世間の泥酔者は絶望論から解放されそうにない。そもそも、人間は精神の正体も知らないのに、具体的に正義の何が決められるというのか?

まず、最も望ましい生き方の本性を決める必要がある。それが曖昧なままであるうちは、理想の国制の本性もまた曖昧なままであるしかない。...アリストテレス

2012-04-22

"自由論" John Stuart Mill 著

功利主義といえば、ジェレミ・ベンサムの「最大多数の最大幸福」という言葉が有名か。ただ、広範な幸福を求める立場から極端な平等主義の印象を与えたり、多数決を崇める立場から少数派に犠牲を強いる印象を与えたりと、その解釈は様々である。ジョン・スチュアート・ミルも、19世紀を代表する功利主義者として知られる。父ジェームズ・ミルは哲学者としても知られ、ベンサムと交流があったそうな。息子ジョンの方はというと、21歳で精神の危機に陥り、人妻ハリエット・テイラーとの交際によって危機を脱したという。自由精神とは、心の束縛と対峙しながら、もがき苦しみ目覚めていくものであろうか。多感性が強いということは、人間性の素材が豊富なのだろう。感受性が強ければ、様々な感情を試すことができる。衝動の強いところに活力がみなぎり、無気力で無感動よりは新たな挑戦ができるはずだ。自律心や自制心もまた、感受性や衝動性の裏返しとして育まれるのであろう。したがって、自由主義が宗教的不寛容さの反発から生じても不思議はない。ちなみに、おいらは神様ってやつが嫌いだ!肝心な時に留守してやがるし、バチを当てやがるし、やりたい放題やりやがる。

自由!... これほど矛盾に満ちた言葉もあるまい。自由奔放に振る舞えば、誰かの自由を束縛する。そう、他人の犠牲によって成り立つ概念だ。一方で、自由競争によって自然淘汰される原理がある。自由な経済活動によって優れた製品を生み出し、自由に思考を競ってこそ優れた知性に達する。より洗練された精神へ導こうとすれば、必要な概念である。自由とは、我儘放蕩に運営すればこれほど品性を劣悪にするものはなく、節度ある運営をすれば高みにのぼる可能性がある。となれば、自由の権利は社会性においてどこまで許容できるのか?これが問われることになる。
本書の基本原理には、「危害原則」というものがある。すなわち、他人に危害を与えない限り自由であり、「自分でリスクを負担するかぎり」という条件を前提にしている。そして、社会が個人として適切に行使しうる権利の性質と限界が論じられる。言い換えれば、精神的自律や社会的責任をともなう自由ということになろうか。けして価値観の押し付けなどではなく、基本的人権や主権と深くかかわるものと思われる。
「人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正当だといえるのは、自衛を目的とする場合だけである。文明社会で個人に対して力を行使するのが正当だといえるのはただひとつ、他人に危害が及ぶのを防ぐことを目的とする場合だけである。本人にとって物質的か精神的に良いことだという点は、干渉が正当だとする理由にはならない。」

ところで、人間社会には、生まれながらにしてどこかの国に所属させられるという奇跡的なシステムがある。人は、生まれる地や生まれる国を自由に選べない。生まれる場所すら与えられない人もいる。つまり、人はまず不自由から経験することになる。だから、自由への憧れが生まれつき強いのだろうか?
一方で、人間社会には孤独を悪とする風潮がある。孤独死を不幸と規定し、仲間意識を異様に煽る。しかし、自由と孤独は相性が良い。偉大な思想や発明は孤独との戦いから生まれた。俗世間から隔離されたところから生まれた。洗練された精神は、孤独的な精神空間の方が育みやすいのだろう。
英雄的思考は、世間から受け入れられるまで異端とされる。異端者の強みは、自分の思考を論理性や正当性で武装しようとすることであろう。自説の無謬性を前提にすれば、議論そのものが成り立たなくなるのだから。反対意見を論駁するということは、反対意見をも熟知することになる。失敗のリスクを考慮すれば、多数派に属する方が責任逃れしやすいのも確かだけど。なにも多数派が悪いと言っているのではない。他人の意見に影響されることが悪いと言っているのでもない。むしろ影響されなければ、知識を得ることもできないだろう。意見を鵜呑みにするのではなく、必ず個人的に思考を試し、検証してみる必要があると言っているだけだ。大衆の舞台から個人の舞台へ移し再検討してみる、これだ。それは、自ら編みだした思考も例外ではない。あらゆる思考は常に検証の対象となる。破壊と創造の原理が自然法則だとすれば、イノベーションこそ自由の源泉となろう。そして、自己破壊を試みるために、ひとり夜の街をさまよい(小)悪魔に魂を売る。これぞ自由精神というものよ。

1. 自由と支配
歴史を振り返れば、自由は支配権力に対する反発から生じた。外敵に対抗するために支配権力の必要性が生じ、やがて国土防衛という目的から国家という枠組みが形成される。集団社会には、どこにでもハゲタカのような連中が寄生するもので、彼らを押さえつける猛者を必要とする。よって、王もまたハゲタカと同類となる。「毒を以て毒を制す」というのが、伝統的な政治の原理としてある。
したがって、法治国家では法が権利を制限する役割を果たし、その制限が社会的自由と結びつくことになる。民主国家では、国民の代表者が権力者となる。だが、それで権力の暴走が収まったわけではない。伝統的な王様と国民の対立は、権力者が既得権益者と癒着することによって国民と国民の対立へと変化し、身分階級は所得階級へと変化してきた。
更に、近代社会の特徴として情報の影響がある。あらゆる民主国家で政治がエンターテインメント化する傾向があり、かつて信仰の奴隷だった民衆はいまや情報の奴隷と化す。同質化や画一化は、なにも共産主義の専売特許ではない。民主主義にも潜在的な性質としてある。宣伝技術は支配技術と結びつき、権力はより巧妙となった。したがって、政治や報道ほど自由の自律性が求められる世界はない。報道屋が言論の自由を訴えるのは、高い理性の持ち主であることを自負しているからであろう。彼らは公共の電波を独占しながら、自由の範囲を自覚しているはず。ましてや政治的な思惑などあろうはずがない。なのに、大手マスコミが護送船団式で報道を繰り返すのはなぜ?言論の自由を訴えながら他人の発言を迫害するとは...
「人類の良識という観点ではじつに不幸なことだが、人間が間違いをおかしやすい事実は一般論としてはつねに認識されているが、具体的な問題を扱う際にははるかに軽視される。」

2. 多様性と寛容さ
本書が一貫して唱えていることは、思考の多様性と宗教的寛容さの重要性である。寛容さとは、アル中ハイマーにとって最も難しい課題であり、説教に聞こえてくるから困ったもんだ。
古代の雄弁家キケロは、自分の意見と変わらないほど熱心に論敵の意見を研究する習慣があったという。自説の根拠しか知らない者は、その問題についてほとんど何も知らないと指摘している。どんな世界にも保守派と革新派が存在するのは、ある意味健全なのだろう。自由と平等の間で論争が生じるのも自然であろうか。異端的な立場が思考の硬直化を防ぎ、伝統的な立場が選り抜かれた思考を受け継ぐ。真理とは、対立的な思考を調和しながら近づくものであろうか。とはいっても、凡人は意見の好き嫌いに囚われる。誰もが頑なに自らの正当性を主張する。異端派にしても、頑なに主流派を攻撃する場合が圧倒的に多い。反対論を自分で提起できなければ、信じるしかない。ただ、自説に自信を持つことが悪いとも言い切れない。答えがはっきりしなければ、信念を持って追求することも必要である。おそらく理性的な人には、自己に疑問を持ち続ける能力があるのだろう。
「ニュートンの自然哲学すら、疑問をさしはさむことが許されていなければ、われわれはその正しさをいまほど強く確信することはできなかったはずだ。」

3. 宗教の道徳と古代哲学への回帰
キリスト教の道徳は、反発と抵抗という性格をあらゆる面で具えているという。かなりの部分が不信心への抗議で成り立っているらしい。その本質は消極的な服従の教えであるという。気高さではなく罪を犯さないこと、美徳の追求ではなく悪徳の抑制といった受動的な精神を理想にすると。教義では、「何々をなすことなかれ!」が圧倒的に多く、「何々をなすべし!」というのが少なすぎるという。天国に行けるという欲望と地獄に堕ちるという脅迫によって動機が導かれるならば、個人主義の傾向を強めることになろう。禁欲主義への反動が自由主義経済を発展させたのかもしれない。
対して、イスラム教の道徳では、国家に対する義務が重視され過ぎるという。個人の正当な権利を侵害するほどに。キリスト教とイスラム教の対立構図は、個人主義と集団主義の対立という見方もできるわけか。
ちなみに、本書には東洋思想に対する蔑視が鏤められる。時代的背景からしても西欧中心主義が強い。それでも、西洋的な道徳が不完全であることは認めているし、キリスト教に対する皮肉も目立つ。特に不寛容とされるローマ・カトリック教会ですら、聖人の位を求める際に悪魔の代弁者を議論に加えて反対論を辛抱強く聞くという。悪魔が浴びせる言葉を聞くような寛容さがなければ、死後に聖人になるほどの栄誉は与えられないということらしい。
一方、カルヴァン派の教義では、自分の意見や感情を持たないことが、人間の望ましい状態だとしているという。義務を果たし、それ以外はやってはいけない。人間は神の意思に自分を委ねる以外の能力を必要としないわけか。人間がなしうる善はすべて神への服従にあるとすれば、自由意思を持つ支配者も存在しないことになりそうだけど。
本書は、こうした宗教論議を散々しておきながら、結局ソクラテス流の対話術や弁証法の必要性を唱えている。宗教の道徳は古代哲学よりも劣るというのか。無条件に信じられるようになって退化したというのか。ソクラテスもイエスも処刑されたが、議論の余地があるような緊張感のある時代の方がましだったということか。
「迫害は真理が通過しなければならない試練であり、真理はかならずこの試練をうまく切り抜ける。」

4. 真理と人間の幸福度
どんなに主流的な意見でも、完璧に真理を掴んでいることはないだろう。もし真理があるにしても、それは一部に過ぎない。真理は一つしかないのだろうか?多様性が真理だとすれば、全員が賛成する状況は良いとは言えないだろう。誤りに固執する人も必要である。となれば、すべての人が真理を受け入れると、真理そのものが腐りはじめるのか?真理は、得られた結果で幸せになれるのではなく、追求する過程でしか幸せは享受できないということか?
本書は、進歩とともに論争や疑問の対象にならなくなった教えや理論の数は増え続け、人間の幸福度は反論の余地のなくなった真理の数と質によって測られるとしている。そして、真理を探求する努力、反対意見を受け入れる努力、正論を裏付ける努力を求めている。常識的な意見の決まり文句を鵜呑みにしている人は、実は何も分かっていないと指摘している。しかし、自分の無知を認めることは難しい。知性とは知識の丸暗記ではないはずだが、社会では暗記力に目が奪われがちだ。
ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの「国家活動限界論」には、こう記されるという。
「人間の目的、つまりあいまいで一時的な欲求によって思いついたのではなく、理性によって永遠不変のものとして規定した目的は、自分の能力を一貫性のある完全な全体へと、最大限に調和を維持しながら最高度に発展させていくことである。」
スコラ哲学の目的も、本来そうしたものであろうが、救いがたい欠陥があることを指摘している。それは、理性を議論の根拠に求めるのではなく、宗教的権威に求めることだ。